HOME > 駅茶こぼれ話

「駅」のはなし(6) 長井の文明開化

  • 「駅」のはなし(6) 長井の文明開化

 長井駅周辺が記載されている古い地図が残っている。一枚は大正3年の地図(上の写真)であり、それには「長井ステーション」と付記されている。もう一枚は昭和9年の地図であり、それには「長井停車場」と付記されている。
→ 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 14:長井市観光ポータルサイト | 水と緑と花のまち ようこそ、やまがた長井の旅へ

 地方には法律用語の変更がやや遅れて浸透してきたということだろうか。けれども、陸蒸気の一声は、地方人にとっても文明開化、新時代の到来を告げるものであった。二つのエッセー文から当時の人々の心情をみてみたい。
//源次はたまげて「まっちゃ早ぐ見ろ、見ろ。もみどが歩いて来たでないがえ」と言うと、側にいた年上の寅次郎が「軍艦が陸さ上がって来たでないべが」と言った。(略)。 「人力車ど汽車なて、俺らんだの乗り物でないべなえ」と源次が情けなさそうに言うど「これはしたり、あんまりせわしいごど語んねで、まっちょまず。うんとかしぇでお前だどご乗せんぞ」とまっちゃが空威張りして見せた。//(寺嶋芳子著「西山のへつり」より)
 → 第12話 汽車がかかったぞ~(長井駅):おらだの会

///ぼくの故郷白鷹町は、昔の名を蚕桑村といった。(略)。この村に鉄道が開通したのは大正十二年である。ぼくは小学校の二年生であった。遠い記憶を辿ってみても、汽車が通るということは、ふるさとの村にとって、ほとんど革命的な出来事であった。遥か遠い物に思われていた「都会」の匂いや、「近代」というまばゆいものが、汽笛のひびきと共に突如として村にやってくるのだ。/// (芳賀秀次郎著「わがうちなる長井線」より)
 → わがうちなる長井線 その1:山形鉄道おらだの会

2025.12.19:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(5) 駅とステーション

  • 「駅」のはなし(5) 駅とステーション

 洋風建築が立ち並び、陸蒸気が汽笛を鳴らして出発する。日本における文明開化は順調のように思えるが、当時の鉄道用語からみると、欧米と日本とのギャップを如何に調整するか、と苦心した姿が見えてくる。

 

 その一つが「ステーション」である。『駅のはなし』には、新橋ステーションという名が使われている。また前回までに紹介した浮世絵のキャプションにも「新橋ステーション」の文字が見られる。これは鉄道開業の4か月前(明治5年5月4日)に布告された太政官第146号(鉄道略則)の規定に基づくもののようである。同略則ではチケットあるいは乗車券を「手形」、駅を「立場(たてば)」と表記している。また鉄道略則には、現在にも通じるような規定があるので紹介します。

///第7条 喫煙並びに女性専用部屋への男性立ち入り禁止

「ステーション」構内の禁煙箇所ならびに禁煙車内においては、喫煙を禁止する。また女性のためにある車両および部屋等に男性がみだりに立ち入ってはならない。もしこれらの禁止事項を犯し、係の者の注意を聞かない者は、車外ならびに鉄道構外にすぐに退去させる。///

 

 明治33年には鉄道営業法が制定され、鉄道略則は廃止された。鉄道営業法では、ステーションは「停車場」に、手形は「乗車券」と表記されている。ちなみに現在一般的に使用している「駅」という用語を確認できたのは、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令(平成13年12月25日国土交通省令第151号)」の次の条文である。

///鉄道営業法(明治33年法律第65号)第1条の規定に基づき、鉄道に関する技術上の基準を定める省令を次のように定める。

(定義)

第2条 この省令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。

1~6   (略) 

7 駅    旅客の乗降又は貨物の積卸しを行うために使用される場所をいう。

8 信号場  専ら列車の行き違い又は待ち合わせを行うために使用される場所をいう。

9 操車場  専ら車両の入換え又は列車の組成を行うために使用される場所をいう。

10 停車場  駅、信号場及び操車場をいう。

11 車庫   専ら車両の収容を行うために使用される場所をいう。///

 

 史料の見落としがなければ、「駅」が法律上登場するのは平成13年ということになる。江戸時代に宿場間に置かれた馬や役夫の中継地を指す「駅」と混同しないように配慮された、という解説もみられたが、新しい社会システムを民衆に周知させることは、建物等の建設以上に難しい問題であったのかもしれない。

2025.12.16:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(4) 時間の革命

  • 「駅」のはなし(4) 時間の革命

 『駅のはなし』では、鉄道がもたらしたもう一つの変革に「時間」の概念の変革をあげている。それまでの日本では約2時間を1刻(とき)とし、半刻、小半刻(約30分)を設けていて、小半刻が日常生活における最小の時間単位であった。鉄道は、人々の生活の中にいきなり分単位の時間を持ち込んだというのである。

 

 鉄道の開通が契機となって、翌明治6年1月1日に今日の24時間制が導入された。まさに生活時間の革命である。ちなみに上の写真は明治5年東京(新橋)から横浜開業時の時刻表及び賃金表である。右の出発時間の欄に「刻」との混乱を避けるため、「時」ではなく、「字」の文字が使用されている。

 

 生活時間が短縮される一方で、鉄道の開設によって安全で迅速で安価な旅行が可能となった。それと同時に「旅」というものも変質してきたように思う。心にゆきかう由無し事を追いかけながら、ゆったりとした時間を過ごす場所を探しても良いのではないだろうか。

 

    旅  上      萩原朔太郎

  ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し

  せめては新しき背廣をきて/きままなる旅にいでてみん

  汽車が山道をゆくとき/みづいろの窓によりかかりて

  われひとりうれしきことをおもはむ

  五月の朝のしののめ/うら若草のもえいづる心まかせに

2025.12.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(3) 駅の魅力

  • 「駅」のはなし(3) 駅の魅力

 明治初期に洋風建築が多く建てられ、文明開化のシンボルとなった。けれども庶民にとって、それらの建物のほとんどは、見慣れた景観の中に忽然と現れた異彩を放つランドマークとして、遠くから眺めるだけのものであった。だが新橋駅や横浜駅は違っていた。駅は誰でも自由に出入りすることができる、庶民に開放されていた建築物だったからである。駅舎の自由な空間は、長い間の封建制度から解放された自由を満喫することができた唯一の場所であったといえるかもしれない。作家の永井荷風は、明治44年に書いた「紅茶の夜」の中で、「新橋ステーション」の持つ独特な情景を次のように表現している。

 

///この広い室の中にはあらゆる階級の男女が、時として其の波乱ある生涯の一端を傍観させてくれる事すらある。略。新橋の待合所にぼんやり腰をかけて、急(いそが)しさうな下駄の響きと鋭い汽笛の声を聴いてゐると、居ながらにして旅に出たやうな、自由な淋しい心持がする。略。自分は動いてゐる生活の物音の中に、淋しい心持を漂はせるため、停車場の待合所に腰をかける機会の多いことを望んでゐる。///

 

 この文には駅の雑踏の中で感じる孤独とやすらぎ、そして旅への憧れと不安とが込められているように思う。それは現代の私たちにも通じる「駅の魅力」でもある。

2025.12.10:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(2) 文明開化の汽笛

  • 「駅」のはなし(2) 文明開化の汽笛

 『駅のはなし』では、鉄道開業が庶民の意識に与えた二つの変革が上げられている。一つは士農工商の身分制度からの開放と新しい時代の到来を実感させたことであり、その場所を鉄道が提供したというのである。

///駅には、多方面からあらゆる階層の人々が集まり、身分の上下、職業の貴賤、老若男女の差別なく、一緒に運ばれるという自由平等の思想を実証してみせ、駅はその場を提供してきたのである。誰でも料金さえ支払えば、上下の身分差なしに一等車に乗ることができ、一緒に運ばれるというクールなシステムは、士農工商という身分差がなくなったことを如実に示す証であった。車文化を持たなかった日本では、一つの箱で一緒に運ばれるという経験がなく、したがって鉄道の開業は、身分の差を越えて、肩を触れ合いながら、共に旅程を同じくするという初めての体験でもあった。///

 新橋駅の汽笛一声は、まさに文明開化、新しい時代の到来を告げるものだったのだろう。

2025.12.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]