HOME > 駅茶こぼれ話

駅ノートに思うこと 西大塚駅

  • 駅ノートに思うこと 西大塚駅

 今回もJRW4H24さんの作品を紹介します。写真の作品には、「5月23日 だいたい7:30~8:30頃」と記されています。汽車通の女子高生でしょうか、駅舎の前で会話が弾んでいるようです。そして「今日も元気でやれるのはきれいな花のおかげです」のコメントがとても胸に響きました。

 

  JRW4H24さんは、古い駅舎の佇まいと高校生の明るい笑顔、それを見守る地元の人たちの温かい思いを感じたのではないか、と思います。この一枚の絵から、とても大事なものを教えられたような気がします。そして羽前成田駅の花壇も、駅を利用する人に元気を与えているのかもしれないな、と思うと少し嬉しくなりました。

 

 西大塚駅に咲いていた花は、赤いチューリップだったのかもしれません。

 こちらからどうぞ → 山鉄 駅務係さん (@ayukai_ringo) / Twitter

2021.07.29:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅ノートに思うこと  四季の郷駅

  • 駅ノートに思うこと  四季の郷駅

 今、駅茶では『駅ノートイラスト展』を開催している。「長井線乗車リポート」で各駅を巡りながら他の駅での存在を知ったことがきっかけである。スマホで簡単に投稿し合う時代にあって、陽に焼けたノートに文を書き、絵を書き残すのは時代遅れのような気もするが、ノートを見てSNSにはない感慨を持つのは私だけではないと思う。

 

 展示されている作品の幾つかを紹介していきたい。最初は、JRW4H24さんの四季の郷駅を描いた作品である。JRW4H24さんの絵には子供たちが多く登場する。特にこの絵を見ると四季の郷駅で行われる夏の七夕祭り、冬のイルミネーションの時の子供たちの生き生きとした笑顔が見えてくるような気がするのである。

 

 四季の郷駅のように、ホームと待合室しかない駅にもそこに降り立つ人がいる。そして駅舎の様子から地域の雰囲気を感じとる人も少なくないように思う。駅は、私たちが想像する以上に重要な「地域の窓」だと思う。そしてそこに置かれた駅ノートで心を繋ぎ合うのは、ローカル線の旅の魅力の一つなのではなかろうか。だとすれば駅ノートは、旅する人を迎える私たちの「おもてなし」の表現でもある。この展示会が、駅ノートについて考るきっかけになればうれしいと思う。

 

 【おらだの会】 駅ノートイラスト展の日程等はこちらから

→ 『駅ノートイラスト展』始まります:おらだの会 (samidare.jp)

2021.07.27:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

汽車ポッポの歌

  • 汽車ポッポの歌

 昨秋、駅茶で若い方々と談笑していると、シルバーヘアーのいかにもダンディな方がおいでになった。紳士は「俺、なんぼだど思う。90歳だ。どうだ90には見えねぇべ。」といい、子供頃、兵隊さんが出征するときには、子供達も学校から成田駅まで小旗を持って見送りに来たことを話してくれたのでした。中ノ目の歴史散歩(飯豊町 中ノ目の歴史を辿る会編:平成27年)にも、次のように記述されています。

 

 『1937年(昭和12年)7月、支那事変勃発と同時に当時、小学校の全校生は駅のホームで日の丸の小旗を持ち、毎日のように出征兵士を見送りした。出征兵士の士気高揚を図るため、大人と同様にばんざい・万歳を叫んだ。この行動は終戦まで続いた。』

 

「汽車汽車ポッポポッポ/シュッポシュッポシュッポッポ/僕らをのせて・・・・」で親しまれている童謡の『汽車ポッポ』は、もともとは『兵隊さんの汽車』という歌だったそうです。『汽車汽車ポッポポッポ/シュッポシュッポシュッポッポ/兵隊さんを乗せてシュッポシュッポシュッポッポウ/僕等も手に手に日の丸の旗を振り振り送りませう/萬歳萬歳萬歳兵隊さん兵隊さん萬々歳 』という歌詞だったそうです。

 

『兵隊さんの汽車』は1938年(昭和13年)に作られ、『汽車ポッポ』は終戦の年(1945年昭和20年)に発表されたそうです。子供達を戦時下に動員するための歌ではあっても、子供達には汽車ポッポは大好きなものだったということでしょうか。千葉から車を運転して来られた紳士には、今も鮮やかにあの頃の記憶が残っているのでしょうか。

2021.02.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

家族との時間

  • 家族との時間

   朝6時31分発の上り列車に合わせて、成田駅前は生徒を乗せた乗用車が列をつくる。ご両親が子供を送って来るのである。毎朝繰り広げられるこの風景を眺めているうちに、ある映像を思い出した。それは「さよなら…女子高生たった一人の駅が廃止」の題で、2016年3月に放送されたものである。

 

   北海道石北本線の旧白滝駅で3年間、たった一人で駅を利用し続けた高校生が卒業の日を迎えた。いつものように娘さんを送って来た父親が、インタビューに答えて語った。「(車の中は)二人きりでしゃべる唯一の時間だったから、私にとって貴重な時間でした。駅が(親子を)結んでくれたのかなっていう気がします。」

 

   車の送迎に対しては、「甘やかしすぎだ」といった声もあるようですが、親子にとってはとても大切な時間なのかもしれない。汽車通の子供達にとっては、弁当を作って送り出してくれたお母さんの姿も含めて、両親との想い出の時間として記憶されていくのかもしれない。大学入学試験ももうすぐ始まり、それが終われば卒業式も近い。家族のあたたかな見守りの中で、家族との大切な時間を過ごして欲しいものだ。

 

【おらだの会】 文中の旧白滝駅は、2016年3月26日の北海道新幹線開業の前日に廃止されたそうです。(ユーチューブは「女子高生たった一人の駅」で検索できます。)

2021.01.06:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

いつもの風景

  • いつもの風景

  1月4日、仕事始めの月曜日。駅にいつもの風景が戻って来た。7時41分成田駅着のアヤメ号で会社勤めの人達が降りて来た。その一人ひとりに手を振って迎える女の子とそれを見守るおばあちゃん。いつもの風景である。

  今年はコロナの影響で、都会に住む子供や孫たちと年末年始を一緒に過ごすことができませんでした。親戚同士のあいさつ回りを控えた方も多かったと聞きます。普通の暮らしの有難さを教えられた一年でした。

 

   思えば2年前の1月末から2週間ほど、長井線が大雪のために運休となりました。列車の警笛が聞こえない日々が続きました。線路は雪で埋まり、廃線跡のような風景が現れたものでした。鉄道も自分達の体の中に刻まれている風景の一つだったことに気付かされました。

 

  いつもの風景の中で、いつもの暮らしを重ねることができることに感謝しながら、この一年を過ごしたいものだと思います。

2021.01.04:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]