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フラワーの想い出帳 (その7 「共にあること」)

  • フラワーの想い出帳 (その7 「共にあること」)

 10月19日の前夜祭から始まった成田駅での長井線祭りが終了した。写真展を開催してくれた小野さん、オモチャのプレゼントやシャボン玉など子供たちを楽しませてくれたAさん、Nさん。また米屋さんはじめ多くの方々からたくさんの飲み物や土産品を差し入れしていただきました。ありがとうございました。

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 米屋さんとの撮影ツアーにおいでになった皆さんには、印象に残った写真とコメントを寄せていただきました。そこには私たちが気づかなかったものがたくさんありました。また会場の設営や撤収にあたって、会員以上の手際よさを発揮してくれた姿も印象深いものでした。これを「縁」にぜひまた遊びに来てください。

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 恒例となった駅前での記念写真を見て、この2日間は、迎える私たちと訪れた人々とが共に作り上げた事業だったのだ、と改めて思います。2023年4月に行われた広田泉さんを偲ぶトークショーで、米屋さんが語った「共にあること」という言葉が思い出されます。この場所で共にあること、そして新たなつながりや思い出が生まれていることに感謝します。本当にありがとうございました。また会える日を楽しみにして・・・。

   (おらだの会一同)

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 → 広田泉伝 [ 完 ]  明日の一歩 共にあること:おらだの会 

2024.11.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

フラワーの想い出帳 (その6 「最後まで幸せな気持ちに」)

  • フラワーの想い出帳 (その6 「最後まで幸せな気持ちに」)

 駅前での芋煮会が終了し、待合室で2次会が始まった頃、一日駅長の仕事が終わった伊藤桃さんが成田駅に立ち寄ってくれました。伊藤さんのインスタグラムからその一部を紹介します。

 

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 私がこうしてフラワー長井線に足しげく通うきっかけとなった大好きな羽前成田駅。100年を越える開業時からの木造駅舎。もちろんそれだけで最高なのですが、この駅の好きなところは地元の方々、おらだの会の皆様が駅舎を「人が集まる場所」として大切にしているところ。

 

 遅れて来た私のために残していてくれた鍋に、改めて火を入れてくれたので、あつあつの芋煮をいただけました。すっごく美味しかったです。「どんどんけ」これは私の故郷の野辺地の方言ですが、こんなニュアンスの山形弁で勧めてくれて、おじいちゃんを思い出してほっこり。

 

 帰り際に渡してくれたお弁当を、新幹線の中でいただきました。お昼に参加できなかった私のために、おかずを取り分けてお弁当にしてくれたのです。嬉しかったなぁ。もちろんお味も美味しくて、最後まで本当に幸せな気持ちにさせていただきました。本当にありがとうございました。(伊藤桃)

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【おらだの会】奥さん方が気配りしてくれたんですね、良かったです。(家では怖い○○なのですが(笑)) 写真は、伊藤桃さんが残してくれた色紙です。

2024.11.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

フラワーの想い出帳 (その5 「ローカル線の幸せなひとコマ」)

  • フラワーの想い出帳 (その5 「ローカル線の幸せなひとコマ」)

 米屋先生、おらだの会や芋煮会で知り合った皆様、塾生の皆さん、楽しく有意義な2日間をありがとうございました。そして老いてなお、私たちを温かく迎えてくれた駅舎達に感謝します。

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 2日間をほぼ羽前成田駅で過ごし、駅舎はコミュニティーには欠かせない一部だと痛感しました。あの落ち着いた木の温もりがあればこそ、人々が笑顔で出会い、集い、そして笑顔で別れることができる気がします。未来の笑顔のためにも、ぜひ守り続けて欲しいです。(R.S)

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【おらだの会】長井線祭りの日、ホームでは知らない人同士が手を振り合う姿が見られます。M.Sさんがフェイスブックで「ホームで手を振る人、手を振って応える人。日常の中の非日常。ローカル線の幸せなひとコマ。」とコメントしていました。イベントの最後に訪れる別れの時。笑顔の後には、いつもチョッと寂しい思いが残ります。私たちにとっては、そんな思いも含めて、古い駅舎での幸せなひとコマなのでしょう。

2024.11.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

フラワーの想い出帳 (その4 「終着駅の片隅で」)

  • フラワーの想い出帳 (その4 「終着駅の片隅で」)

 10月19、20日は、皆様にあたたかく迎えていただいてとても楽しかった。反面、地元の皆様にうまく溶け込めなくて、もう少しやりようがなかったのかなと反省することしきりです。そんな私でしたが、最初に声をかけて下さったのが会長の齋藤さんでした。お話の中で私が特に惹かれたのは、齋藤さんが長井線の歴史を熱心にお調べになっていることでした。私も鉄道史には興味があり、国鉄百年史も全巻揃えたくらいのモノ好きなので(ただし読んでいない)、長井線が軽便線だったと聞いて驚いたのでした。

 

 旅館での2次会も終わった深夜、部屋でこそこそとおらだの会のブログを拝見すると、長井線の歴史を調べた手記がありました。未成線に終わったという荒砥から左沢間の路線の根拠、「改正鉄道敷設法」に長井線が載っていない理由などについて理解することができました。翌20日、挨拶もそこそこに「長井線の改軌はいつ行ったのか?」との疑問を齋藤さんに投げかけました。すると「おそらく最初から(日本の)標準軌(1067ミリ)だったはず」との答え。頭がガーンと打ちのめされたようでした。軽便線=ナローゲージと思い込んでいたので、標準軌の軽便線なんて存在すら知らなかったのです。世の中、知らないこともたくさんある。そんなことを改めて思い知らされました。

 

 妙に大きな宿題を長井線に置いてきてしまった気分で、帰路につきました。来年、自分がどこで何をしているかわかりませんが、できることならまた羽前成田駅の芋煮会に参加したいと思います。齋藤さんと話の続きをしたいですし、おらだの会の皆さんとももっとお話をしたいと思います。写真は荒砥駅の車庫の片隅にあって役目を終えた車両です。この駅が左沢まで続く鉄道の中間駅だったら、どんな姿になっていたでしょうか。(H.S)

 

 

【おらだの会】 H.Sさんが「終着駅の多くは未成線の痕跡」と言われたことが特に印象に残っています。役目を終えて片隅に残る車両は、鉄路の実現にかけた先人の思いや夢を、私たちに伝えているように思います。だからこそ歴史を大切にし、今を大切にしたいと思います。 

 →    軽便鉄道あれこれ:山形鉄道おらだの会

 →     軽鉄人物伝:山形鉄道おらだの会

2024.11.07:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

フラワーの想い出帳 (その3 「楽しいひと時の中で」)

  • フラワーの想い出帳 (その3 「楽しいひと時の中で」)

 私が山形フラワー鉄道に乗るのは2回目。今回は米屋先生のおかげで、羽前成田駅前おらだの会の皆様や駅舎を慕って全国から集まる皆様と、駅舎での親睦会など楽しい時間を持つことができました。鉄道が好きだったり、鉄旅が好きだったり、ローカル線が好きだったりする私たちなので、「初めまして」でもすぐに打ち解けてつながることができるのは自然なことです。「鉄道は人と人とをつなぐ」。そんなことを木造駅舎の中で、改めてジンワリと感じました。

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 そんな楽しいひと時の中で、沿線の方から、駅舎を守っていく担い手について憂うお話を伺いました。私たちが生まれる前からあった木造駅舎たちの未来はバトンを渡す次の世代の力を必要とする日が必ず来ます。きっと多くのローカル線も同じような憂いを抱えながら、日々頑張っているはず。日頃私がよく通っているローカル線の姿も浮かびました。

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 20日は「フラワー長井線まつり」で、朝から2両に増設された列車が走り、車内は小さなお子さん連れのご家族の笑顔で一杯でした。これからも沿線にその笑顔が続くこと、沿線の未来を担う若い力がつながっていくことを心から願っています。そして今度は、沿線の鉄道風景を写真におさめにフラワー鉄道沿線にも伺い、おらだの会の皆様にもまたお目にかかれれば!と思います。ありがとうございました。(M.S)

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【おらだの会】 今は、やれるだけやるしかないかなと思います。皆さんとの出会いや交流が、私たちにとってはとても大きな励みになっています。写真の女の子がどこに向かって行くのか、こちら(地元)を振り返ってくれるのか気になります。

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2024.11.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]