宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。
ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)
それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線ではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。なお、賢治と嘉内が訣別した場所は国立国会図書館の前身の「帝国図書館」で、現在は「国際こども図書館」として、開放されている。パブコメの全文を以下に掲載する。
※
「新花巻図書館整備基本計画(案)に関するパブリックコメント」
花巻市桜町3-57-11
増子 義久
電話:090-5356-7968
《宮澤賢治コーナ―の充実と「まちづくり」について》
「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。
●「賢治の森」コ―ナ―の設置
賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。
●「図書館」を軸としたまちづくり
「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。
●「文化と観光」とのコラボミックス
「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。
●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に
東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。
●将来のまちづくりに向けて
「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。
自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……
等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。
(写真は不気味で謎めいた賢治の『図書館幻想』=インターネット上に公開の写真から)