「これじゃ、戒厳令下の市民会議と同じじゃないか」(11月14日付当ブログ)―。ほんの1カ月足らず前に胸中をよぎった不吉な予感が隣国の「非常戒厳」宣布によって、現実のものとなった。政権運営が危うくなる時、権力者がなりふり構わぬ非常手段に打って出ることは歴史が教えている。今回は韓国の民主的な世論がこの暴挙を押しのけたが、国家レベルだけではなく、足元の地方政治にまでイヤ~な雰囲気がじわじわと忍び寄ってきているような気がしてならない。以下は「イーハトーブ図書館戦争」に従軍してきた私の最新レポートの一端である。
「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所を話し合う「対話型市民会議」が11月17日から始まった。それに先立って公表された「傍聴要領」を見て、びっくりした。「会議を妨害し、又は人に迷惑を及ぼすと生涯学習部長が認める者(入場の禁止)」、「傍聴人がこの規則に違反したときは、生涯学習部長は、これを制止し、その命令に従わないときは、その者に退場を命ずることができる」(傍聴人の退場)…。「その者」だって。「官尊民卑」丸出し、まるで、“戒厳令下”ではないか。「本来、全市民に開かれるべきはずの市民会議が物々しい“厳戒態勢”の下で開かれるという前代未聞の事態である」とその時のメモにある。
そして、第1回目のその日を迎えた。無作為抽出で選ばれた3、500人の中から、参加を希望した会議構成者(75人)は11班に分かれ、WS(ワークショップ)形式の意見交換に臨んだ。メインファシリテーター(進行役)の山口覚・慶応義塾大学大学院特任教授は冒頭、こうあいさつした。「4時間の長丁場ですので、30分間の休憩を2回取ります。おやつを自由に食べながら、リラックスして意見交換をしてください」―
「まるで、ゲットー(ユダヤ人の強制隔離地区)ではないか」―。若々しい声が飛び交うWS会場を見た瞬間、今度はこんな時代がかった言葉がこぼれ落ちた。本当にそう感じたのである。停止線で区切られた傍聴席には15人ほどが詰めかけ、成り行きを見守っていた。ほとんどが高齢者で、周囲には“監視役”の市職員の目が…。齢(よわい)84歳の私は年のせいで小用が近く、その目を気にしながら何度もトイレに走った。同席した知人に話しかけようとすると、今度は「私語は禁止」と唇に人差し指を立てられた。「拷問じゃないか」と次第に腹が立ってきた。
持参した茶菓子をポリポリかじりながら談笑する会場の光景を見回しているうちに、「オヤっ」と思った。高齢者の姿がほとんど、見当たらなかったからである。市側に確認すると、70歳以上の参加者は75人中、わずか6人に過ぎなかった。「4時間」という時間設定はもしかしたら、高齢者に二の足を踏ませるために仕組まれた“奥の手”ではなかったのか。こんな疑念さえもわいてきた。私自身、もう二度と足を運ぶことはあるまいと思った。寄る年波にとって「4時間」という拘束は心身の限界を超えることを身をもって知ったからである。
「31・4%vs0・08%」―。前者は市内の四つの図書館(花巻、大迫、石鳥谷、東和)が実施した「来館者アンケート」(令和5年12月24日~同6年1月31日)の集計で、70歳以上の来館率が全体の3割以上を占め、世代間で一番高くなっている。後者は今回の対話型市民会議における70歳以上が占める比率で、この極端は数字の乖離こそが「高齢者」排除の実態を如実に物語っているのではないのか。図書館を一番利用する高齢世代が新しい図書館の立地場所を話し合うその場に居合わせない―これほどまでに逆立ちした構図はあろうか。
二つの立地候補地の成否(メリット・デメリット)を論議する対話型市民会議は年を越して、来年まで続く。「イーハトーブ図書館戦争」も終結に向けて、大詰めを迎えつつある。一方に当局側のお先棒を担ぐような市議がおれば、その当局側はと言えば高齢者の声に耳を傾ける風もない。二元代表制ならぬ見事なまでの“二人三脚”の先に一体、どんな図書館が姿を現すのであろうか。
ハタと思う。この国にもし「戒厳令」が発令された時、それを跳ね返すエネルギーが国民の側にありや否やと…。かたわらのテレビでは韓国の国会議長が叫んでいた。「いま、この国の民主主義が問われている。世界中の目がこの国に向けられている」―。渦中の尹錫悦大統領と上田東一市長とがす~っと重なった。その目の前には「裸の王様」(エコーチェンバー)に成り果てた独裁者の姿が…。
ウィキペディアはこの王様について、こう解説している。「身の回りに批判者や反対者がいないため、本当の自分が分かっていない権力者を揶揄するために用いられる。当然ではあるが、正当な批判・反論すらも聞かずに猛進するため、当人が破壊的な影響を及ぼすようになり、いずれ必ず当人も組織も大きなダメージを受けるため、組織人として見た場合には非常に有害な人物になる」
(写真は若者の姿が目立った第1回「対話型市民会議」=11月17日午後1時~5時まで、花巻市のまなび学園で)
《追記ー1》~味見の量は少ないとダメ!!??
「社会調査担当者」を名乗る方から、長文のコメントが寄せられた。「無作為抽出」という統計学上の“落とし穴”について、誰もが理解ができる解説になっており「なるほど」と納得した。さっそく、この“みそ汁”理論を実践してみた。買い置きのインスタントみそ汁にお湯を注いで、上澄みを飲んでみたら当然のことながら、味も素っ気もなかった。「無作為」の“作為”を垣間見た思いがした。以下にその全文を転載させていただく。
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ある母集団の様子を観察するのに、その母集団から無作為抽出によって標本を取り、その様子を調べることで母集団全体の様子を推し量る方法は、世論調査といった社会科学的な分野だけではなく、医療研究など広く自然科学的な分野でも用いられている。
この無作為抽出法はしばしばみそ汁の味見に例えられる。すなわち、みそ汁の味見では、良くかきまぜた後であれば、小皿に少しみそ汁を取って味見をすれば全体の味が分かる、ということである。ここでまず重要なことは小皿に取るみそ汁の量である。最初、小皿にいっぱいにみそ汁を取って味見しようとしたとき、誤って大部分をこぼしてしまったらどうだろう。小皿に残ったごくわずかのみそ汁を味わっても、みそ汁全体の味はわからない。
市ホームページで公開されている新花巻図書館の建設候補地に関する市民会議の資料によると、参加者は15才以上の市民で無作為に抽出された方のうち、参加の申込をいただいた75名と書かれている。無作為抽出したもとの数はここには書かれていないが、増子氏ブログによれば市当局は3,500名を無作為抽出したようである。上記のみそ汁の例えに戻ると、本来、味見には3,500人が必要だったが、3,425人がこぼれてしまい、小皿に残ったのは75人、無作為抽出された3,500人に対して率にすると2.1パーセントとなり、小皿のみそ汁はほとんどこぼれてしまったことになる。
すなわちこのような味見は小皿上の微量のみそ汁では味見は不可能であることは容易に想像できることである。統計調査ではこの種の現象を「非回答バイアス」とか「無回答バイアス」と呼び、調査に回答した人と脱落した人の差によっておこるバイアスとされている。一般に統計調査の結果報告においては回答率というものが示されるが、今回の市民会議の場合、この回答率は2.1パーセントということになる。
回答率について言うと、例えばNHKの最近の世論調査の例は次のとおり書かれている「NHKは12月6日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける『RDD』という方法で世論調査を行いました。調査の対象となったのは、2816人で、44%にあたる1224人から回答を得ました。」
世の中で行われている世論調査の回答率がこういう率であることがわかると、今回の市民会議なるものの結論が、そもそも母集団である市民の意向を正確に表しているかどうかは容易に推測できよう。
《追記―2》~韓国の弾劾が可決!!??
(ブルームバーグ): 韓国の尹錫悦大統領に対する2回目の弾劾訴追案が14日、国会本会議で可決された。これにより大統領の職務は一時的に停止される。尹氏は一時的な「非常戒厳」宣布で国民に衝撃を与え、強い非難を浴びていた。
204人の議員が賛成票を投じた。可決には議員3分の2(200人)以上の賛成が必要だった。反対票は85だった。7日に行われた1回目の弾劾訴追案の採決では、与党「国民の力」議員の大半が退席したため不成立となった。今後は憲法裁判所が弾劾の妥当性を審査し180日以内に決定を下す。弾劾が妥当と判断されれば、大統領は罷免され、60日以内に大統領選挙が行われる(12月14日付電子版)
<お 知 ら せ>
年をまたいで旅に出るので、しばらくの間、ブログを休載させていただきます。みなさま、良いお年をお迎えください。