「IHATOV・LIBRARY」の実現を目指して…私論「図書館」“幻想”

  • 「IHATOV・LIBRARY」の実現を目指して…私論「図書館」“幻想”

 

 宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。


 ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)


 それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線ではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。なお、賢治と嘉内が訣別した場所は国立国会図書館の前身の「帝国図書館」で、現在は「国際こども図書館」として、開放されている。パブコメの全文を以下に掲載する。


 

 

 

「新花巻図書館整備基本計画(案)に関するパブリックコメント」

 

花巻市桜町3-57-11
増子 義久
電話:090-5356-7968

 

 

《宮澤賢治コーナ―の充実と「まちづくり」について》

 

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。

 

 

●「賢治の森」コ―ナ―の設置

 

 賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
 

 一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。

 

 

●「図書館」を軸としたまちづくり

 

 「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
 

 メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
 

 「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
 

 この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。

 

 

●「文化と観光」とのコラボミックス

 

 「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
 

 さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。

 

 

●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。

 

 

●将来のまちづくりに向けて

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。

 

 自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……

 

 等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。

 

 

 

 

(写真は不気味で謎めいた賢治の『図書館幻想』=インターネット上に公開の写真から)

さらば、パワハラ&ワンマン市長(下)…「図書館」残酷物語よ、永遠なれ~イーハトーブの終焉(しゅうえん)~花巻東高の快進撃の陰で!!??

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《特記ー1》花巻東高校の快進撃と城跡無残!!??

 

 

 「みちのくの/国原広く/見晴るかす/高き城跡…」―。選抜高校野球大会でベスト8へと快進撃を続ける花巻東高校の大活躍に声を枯らす今日この頃。その歓喜の気持ちも校旗掲揚の際に歌われる校歌を聞いた途端、消え失せてしまう。同校の前身は冒頭の校歌にある「高き城跡」に隣接して建っていた。その花巻城址には桜の名所として知られた「東公園」があり、校名はそれに由来するとも言われる。いまその城跡は、瓦礫(がれき)が山と積まれた廃墟と化している。元凶は市政を担う上田東一市長である。まちのど真ん中に無残な姿をさらけ出して、足かけ10年。初戦を観戦したという上田市長はどんな気持ちで、この校歌に耳を傾けたのであろうか。

 

 そして、この汚名を返上せんと頑張っているのが同校が輩出した菊池雄星や大谷翔平ら若き大リーガーたちである。郷土の童話作家、宮沢賢治は「イーハトヴとは…実在したドリームランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』広告チラシ)と書いている。彼らは日本岩手県を飛び出し、世界中にその夢を届け続けている。ガンバレ、東高球児たち。「師よ学友よ/この学び舎に/先達の教えを刻み」…校歌はこう閉じられている。”東魂”(とうこん=闘魂)におんぶにだっこの上田(東一)市政よ、あゝ無情…

 

 

 

《特記―2》~東高球児よ、夢をありがとう!!??

 

 

 16年ぶりのベスト4は果たせなかったが、その溌剌プレーに力と夢を授かった。本当にありがとう。ところで、件(くだん)の上田東一市長はといえば、この日の市長日程(公務)に「東高応援」とあるので、甲子園球場で声援を送ったことだろう。熱戦が繰り広げられているさ中の午前9時42分、花巻市は暴風警報の発令に伴い、トップ不在のまま、市災害警戒本部を設置した(午後6時10分に廃止)。この暴風の中、イーハトーブへの帰還は如何や…

 

 大会直前、上田市長は「未来を担う若者世代のために」と懸案だった新図書館の立地場所をJR花巻駅前に最終決定した。その言や良しとしよう。だったら、尚更のこと…。「みちのくの/国原広く/見晴るかす/高き城跡…」―。この誇り高き校歌に歌われる「城跡」(旧新興製作所跡地)の無惨な姿を一刻も早く修復すべきではないのか。若者世代の先陣を切り拓いてくれた東高球児の活躍に報いるためにも…

 

 (注:上田市長が野球観戦をしたこの日、同市消防本部の20代の男性消防士が酒気帯び運転の嫌疑で、懲戒免職に処せられたことがHP上に告知された。野球応援をとやかく言うつもりはないが、あなたが口癖のように言う「コンプライアンス」(法令遵守)は一体、どこに。自身のリスク管理を含め、足元の「ガバナンス」(内部規律)の確立も忘れないでほしい)

 

 

 

 

 上田東一市長は2014(平成26)年に初当選した際、「深沢晟雄 (ふかさわまさお )」と「新渡戸稲造」の二人の先人を尊敬する人物として、挙げていた。旧沢内村(現西和賀町)の2代目の深沢村長は昭和35(1960)年、65歳以上の医療費の無料化を実現。翌年には1歳未満の乳児の医療費を無料化し、さらに無料の対象となる高齢者の年齢を60歳まで引き下げた。そして、2年後には当時の日本の地方自治体としては初めて、乳児死亡率0%という偉業を達成した。「生命行政」を掲げる深沢村長は国や県の干渉に対して、こう喝破した。

 

 「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保証している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」(及川和男著『村長ありき』)―。コンプライアンス(法令遵守)の重視をことあるごとに口にしながら、それに背を向け続けた「Mr.PO」とは雲泥の差である。たとえば―

 

 国への陳情要望活動で政府高官と会ったことを必要以上に議会で語ったり、立地適正化計画を全国3番目に策定して国の覚えがめでたいことを自慢気に話したり、補助金や地方交付税を国から多くもらえることを是とする国の補助金行政に誘導された財政運営に胸を張ったかと思えば、ふるさと納税の好調は他の地方公共団体の税収を収奪している現実があるのに、その金額の多寡(たか)を声高に口にするなど国の言うがままの“優等生”たらんとする「上田」市政と、住民に寄り添った「深沢」村政とは天と地ほどの対極にある。ところで、一方の新渡戸の名著『武士道』にはこんな一節がある。

 

 「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にするものに対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣』(ねいしん)すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣』(ちょうしん)すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」(奈良本辰也・訳解説)―

 

 新花巻図書館の迷走劇を見るにつけ、私は主君を「市長」、佞臣や寵臣をその取り巻きや一部の「職員」に置き換えて、この文章を読むようになっていた。市長のトップダウンをそのまま、口移しのようにオウム返しする担当部署の語り口がこの文章とピッタリ重なったからである。

 

 そしていま、「上田」主導で移転・新築が強行された総合花巻病院は新たな巨額な財政支援にもかかわらず、将来に経営不安を残したままである。他方の新図書館号はといえば民意を排除する形で、終着のJR花巻駅前にやっとこさ、到着したようである。しかし、そこにはかつて「師」と仰いだはずの二人の先人の面影はみじんもない。それどころか、恩を仇で返すような豹変ぶりである。

 

 5年余りにわたった「イーハトーブ“図書館”」の発端は元をただせば、ある意味で図書館に最も親和性のある「賢治」をその空間にどう位置付けるか。近年ますます、“賢治精神”の現代的な意義が強調される中で、賢治の一切合財を集めた「世界一の賢治図書館」を、私はひそかに夢見てきたのだった。生誕地のど真ん中で、賢治を“実験”してみたいと…。結果として、それがインバウンド需要を喚起し、国内だけでなく、世界中にから賢治ファンを呼び寄せる契機になるのではないか。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指して…。こんな夢物語も結局は「Mr.PO」とは水と油だったというわけである。

 

 今回改めて『なめとこ山の熊』をじっくり、読み直してみた。この物語は互いに弔(とむら)いを尽くし合うことによって、小十郎とクマたちとの間で初めて、“和解”が成立したことを教えているのではないか。そしてまた、その「生と死」の哲学の深淵から伝わってくるのは、「戦争」という人間同士の醜い殺し合いの無意味さへの警告のようにも感じた。「北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」…あの「雨ニモマケズ」の精神とどこかで通底していると考えるのは“深読み”すぎるだろうか。

 

 

●ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
 

●それから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた…

 

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」(花巻農学校精神歌)―。“桑っこ大学”の愛称で呼ばれた旧稗貫農学校の教師だった賢治は当時、校歌を持たなかった教え子たちのためにこの歌を作詞した。この所縁(ゆかり)の地こそが図書館の建設候補地にひとつである旧花巻病院跡地である。私にもし…という仮定が許されるなら、「マコトノクサ」のタネのひと粒が蒔かれたこの地に、賢治精神を満載した「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)をためらうことなく、建てていたはずである。花巻市民の不幸はその施工主がたまたま、そうした感性を持ち合わせない、まるで不動産業を兼業するような首長だったということと、その人物を「佞臣」あるいは「寵臣」さながらに無条件で支持する”忖度”議員が多数派を占めているということであろう。

 

 午前7時、いまでは“市民歌”となった精神歌が時報代わりのチャイムとして、市庁舎から四方に流れる。「ケハシキタビノ ナカニシテ/ワレラヒカリノ ミチヲフム」…当ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」はその中の一節からの借用である。そのブログの内容を「ウソ」呼ばわりして憚(はばか)らなかった「Mr.PO」に対する、これが最後の返書である。

 

 

 

 

 

(写真は3選を果たし、バンザイする上田市長=2022年1月23日、花巻市内の選挙事務所で。インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記ー1》~特別委等の設置陳情は不採択へ

 

 

 花巻市議会3月定例会最終日の19日、「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)から出されていた「新花巻図書館整備特別委員会等の設置を求める」―陳情に関する採決が行われ、議長を除いた反対13人、賛成10人で不採択となった。付託先の議会運営委員会でいったん採択された陳情は僅差で逆転された。会派別の賛否の内訳は反対が明和会8人、社民クラブ3人、公明党2人で、賛成ははなまき市民クラブ4人、緑の風4人、共産党花巻市議団3人。

 

 それぞれ3人の議員が賛成と反対の討論を行ったが、賛成討論の中では二元代表制の観点から「図書館問題に対する議員間の自由討議を怠るなど議会側の取り組みにも反省が求められる」といった意見が述べられた。一方、反対討論に立ったある議員は「図書館問題に関する一般質問は36回にも及んでおり、議論は尽くされたと思う」と語った。しかし、件の議員が所属する最大会派の「明和会」を含め、これらの反対議員が図書館問題に関連して、質問に立った姿を私は寡聞にして見たことがない。

 

 いずれ、これから進められる基本計画や実施計画の策定に当たり、議会側がその使命をきちんと発揮するかどうか―市民の監視の目が光っていることを忘れてはなるまい。議会側はいま、上田「強権」支配の軍門に下るかどうかの瀬戸際に立たされている。

 

 

 

《追記ー2》~民意喪失

 

 

 「議会傍聴者」を名乗る方から、以下のような長文のコメントが寄せられた。市側の強引とも言える新図書館の「駅前立地」の方針決定に市民の間には大きな動揺が走り、当方にもその理由を問う声が相次いでいる。そんな折、その背景を的確に分析したこのコメントは混迷の度を極める図書館問題への認識を促す内容になっている。以下に全文を掲載する。

 

 

 新花巻図書館の建設を巡って、市の将来を思う市民から提出されていた陳情を市議会が採択しなかったことは、反対に回った市議たちによって千載一遇の機会を失ったと後世、言われることだろう。全国あちこちで物価高騰により、公共工事の費用が当初の設計をはるかに超え、入札不調はもちろんのこと、計画そのものを見直さなければならない状況があるのは枚挙にいとまがない。

 

 新図書館はようやくこれから、基本計画策定、基本設計、実施設計と工事実施までの道のりはまだまだはるかに遠い。今の経済情勢からすると、実施設計が完成した段階での事業費は、現在の見立てよりもはるかに高額になっていて、更に工事入札の頃には更に増額になっていることだろう。今回、新図書館計画等に市議会の参画があり、将来の問題を共に検討できる場があれば、今後予想される課題に対して効果的に対応できる術を検討できたことだろう。「議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない」(花巻市議会基本条例第4条第3項)―。市議会自ら定めたこの条例はただのお題目としか響かない。

 

 また反対討論の中で、ある市議が署名活動団体の市民が次回選挙での投票行動について圧力をかけるかのような発言があったことを議場で披露していたが、民主主義の中で投票行動は主権のある有権者の権利であり、自由であることを完全に見落としているばかりか、そのような発言をすることによって、市民の署名活動を貶めようとしているのを感じる。陳情の内容を審査するべき議会の場において、論点をすりかえている発言と感じた。その発言者がいわゆる労働争議の中で弄してきた、他者に圧力をかけるような言動を思うと複雑な気持ちであるが、当のご本人には首尾一貫しているのだろう。

 

 

 

《追記―3》~「沖縄戦80年」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。そのまま、転載させていただく。

 

 

 「増子さんのブログで伝わること・・・今、花巻で起きていることが太平洋戦争末期、特に沖縄戦において起きているように思えること。日本軍のプロパガンダに支配されたことと似たような状況が市の広報で行われていないだろうか。新図書館問題のことである。また、太平洋戦争当時と同じく、現代の報道機関も事実を伝えていないこと。東条英機が定めた戦陣訓に基づいておびただしい国民が特にも沖縄で殺された。勘違いしたトップの指令はいつも普通の市民にとって悲惨である。が、利権がある誰かにとっては最高であろう。今の花巻市がそうであろう」

 

 

 

 

 


 

さらば、パワハラ&ワンマン市長(上)…「図書館」残酷物語よ、永遠なれ~イーハトーブの終焉(しゅうえん)!!??

  • さらば、パワハラ&ワンマン市長(上)…「図書館」残酷物語よ、永遠なれ~イーハトーブの終焉(しゅうえん)!!??

 

 「これはクマ猟師とクマの話なんですが、猟師は最後はクマに殺されてしまうんですね。それでも、クマの親子の対話の場面などを読んだりするとクマを憎いとは思えません。『クマを撃つのは可哀想だ』という声もわからなくもありません。でも市民の安全を守るためには、クマは危険な動物であるという前提で対策しなければならないのだと思います」(「公研」2025年2月号)―

 

 花巻市の上田東一市長はある雑誌の対談で、宮沢賢治の代表作『なめとこ山の熊』を引き合いに出しながら、こう語っている。最近、市街地に出没するクマ対策として、AIカメラを設置するなどの取り組みをしていることについては特段の異論はない。私が驚いたのはこの賢治作品に対する途方もない“浅読み”についてである。いや、仮に牽強付会(けんきょうふかい)のつもりだったとしても、この貧相な読解は作者に対する冒涜(ぼうとく)とさえ言える。銀河宇宙の彼方で、賢治が苦虫をつぶしている表情が目に浮かぶ。

 

 主人公の猟師、小十郎とクマとの間で作中、こんな深甚(しんじん)な会話が交わされる場面がある。
 

●熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ(小十郎)
 

●もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから(クマ)

 

 「食うものは食われる」「殺すものは殺される」―。人間とクマとの交感を描いたこの作品は私の思考の原点として、いまも存在し続けている。前置きが長くなったが、この対談を読みながら、いまさらながら「住宅付き図書館」の駅前立地(2020年1月29日)という”不動産”感覚の持ち主が文学的な素養が要求される「知のインフラ」(図書館)に関与すること自体がそもそも、無理難題だったことにやっと、気がついた。図書館を「コストパフォーマンス」(費用対効果)…つまりは「儲かるかどうか」の物差しにした瞬間、新花巻図書館の命運は決まっていたと言えるかもしれない。

 

 ”賢治”まちづくり課を設置し、「イーハトーブはなまき」の実現を旗印に掲げる当の本人が実は相当な賢治“音痴”だったというブラックジョークでもあるが、その一方では―。「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」という「雨ニモマケズ」体験セットを売り出すなど「ふるさと納税」の錬金術師としての才覚は常人の及ぶところではない。「賢治」をある種の”利権”とみなすこの発想は私の想像力をはるかに超え、驚嘆の念さえ禁じ得ない。

 

 「それにしても、なぜこれほどまでに図書館の駅前立地にこだわるのか」―。この謎を探るため、私は何度か関連文書の開示請求をしたが、そのほとんどは「黒塗り」(のり弁)だった。『「黒塗り公文書」の闇を暴く』(朝日親書)の著者、日向咲嗣さんは「その行為を直接進めていた執行者は、決して“私利私欲にまみれた悪い奴ら”ではなかった。むしろ生真面目すぎるとさえいえる人たちだ」と述べた上、政治哲学者、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」を引用して、次のように書いていた。

 

 「ナチスドイツの高官で、第二次世界大戦中に数百万人のユダヤ人を強制収容所へ輸送する指揮をとったアドルフ・アイヒマンは、自らの職務に忠実なだけのごく平凡な役人の側面があったと、後年、指摘されるようになった。その意味からすれば『黒塗り公文書』というものは、役人による『凡庸な悪』の象徴といえるのかもしれない」―

 

 しかし当市の場合、事態はさらに深刻の度を極めつつあった。「凡庸な悪」に輪をかけたような“愚民化”の嵐が吹き荒れ始めていた。「駅前か病院跡地か」―。図書館抜きの“立地”論争が高まる中、「上田」流の強権支配もその本性をむき出しにした。たとえば、病院跡地への立地を求める署名について、わざわざ地方自治法を持ち出して、その数値の蓋然(がいぜん)性に言い及んだ際には、さすがに背筋がざわッとするのを覚えた。

 

 私はその属性を直截(ちょくせつ)に言い表すため、ある時期から上田市長を「Mr.PO」と呼ぶことにした。「パワハラ(Power-harassment)&ワンマン(One-man)」の頭文字を取った命名である。

 

 

 

 

 

(写真は『なめとこ山の熊』のイメージ図=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記ー1》~「凡庸な悪」→ひょっとして「悪夢」!?

 

 

 「えみこ」と名乗る方から「悪夢とは」というタイトルのコメントが寄せられた。今回の対話型「市民会議」に関する一連の当ブログの中で「悪夢」という言葉を使った記憶はない。もしかしたら、16日付の記事の中の「凡庸な悪」と混同されているのかと思う。だとすれば、趣旨はまったく違うことになるが、ご指摘の件がいつの時点の記事なのか、お知らせいただければありがたい。とりあえず、コメントは原文のまま、以下に紹介させていただく。
 

 

 娘が会議に参加していました。「活性化」などの質問項目は、参加者が図書館建設の上で大事だと思うことを書き出し、一言でまとめた物となっています。質問項目は、ファシリの方が誘導したというより、参加者の意見のようです。また、娘は大人になってから図書館をほとんど利用したことがなく、「正直どっちに建っても良い」という立場でした。娘の場合は本当に無作為で選ばれています。しかし、回を重ねるごとに楽しくなったようで、自分なりに図書館のあるべき姿などを調べていました。様々な立場の人の考えも興味深かったようです。一生懸命に参加した市民がいるにも関わらず「悪夢」という表現は失礼かと思います。

 

 

 

《追記ー2》~疑惑は益々!

 

 

 「市政堂」を名乗る方から、さっそく、こんな反応が届いた。「寄せられたコメントにびっくらこいた!『娘の場合は本当に無作為で選ばれています』ー。無作為で選ばれた訳ではない人が居たと言っているようなものじゃないか?やぶ蛇というか、墓穴を掘ったと言うか・・・ブラックホールのごとく、本当に闇は深いようだ(注:なお、このコメントについては3月6日付の当ブログの「追記ー2」をご参照願いたい)

 

「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

  • 「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

 

 「3・11」―。東日本大震災から、この日で丸14年を迎えた。あの日、壊滅的な津波被害を受けた岩手県大船渡市に今度は未曽有の山林火災が襲いかかった。消すことができない記憶として、あの大災厄の光景がまな裏に去来する。三陸沿岸の大槌町で、母親と妻、それに1人娘を津波にさらわれた照さん(白銀照男さん=享年73歳)は2022年12月に旅立った。10年以上たったその時点で、3人の行方は分かっていなかった。「もう待ちきれなくなって、照さんは自分の方から会いに行ったにちがいない」と私は無理やり、自分にそう言い聞かせた。

 

 震災14年を目前にした今月6日、福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死罪で強制起訴された上告審で、最高裁は「10メートルを超える津波を予測できたとは認められない」として上告を棄却し、旧経営陣の無罪が確定した。その一方で、北海道から沖縄まで県外に避難を余儀なくされている人は2月1日現在、2万7,615人に上っている(復興庁調べ)。「だれの責任も問われない」―この14年間とは一体、何だったのか。

 

 私はいま、沖縄・石垣島に滞在している。めっきり弱った足腰を少しでも鍛え直そうと、雪のない南の島につかの間の移住をしたというのが表向きの理由だが、実は狂奔(きょうほん)をきわめる「イーハトーブ“図書館戦争”」の戦場から一時、撤退したかったというのが本音だった。強権支配をほしいままにする敵陣のすぐかたわらに身を置いていては正直、心身の正常が保てないと思ったのである。そして、この老残の身も震災14年目のこの日、85歳の生を享受する幸運に恵まれた。

 

 私が寄宿するマンスリーマンションのすぐ目の前には真っ青なサンゴ礁の海が広がっている。時折、満艦飾のクルーズ船が行き来する。台湾や上海、香港だけでなく、オーストラリアなどから多い時には4,500人もの観光客を一度に運んでくる。滞在約2か月後の2月26日、その穏やかな海に突然、巨大な艦艇が姿を現した。米海軍のドッグ型輸送揚陸艦「サンディエゴ」(2万5千トン)と海上自衛隊の訓練支援艦「くろべ」(2,200トン)。この島への入港は初めてだった。自室からもその船影をはっきり、目撃することができた。

 

 「ニライカナイ」―。沖縄の人々は古来から「海の彼方に楽土がある」と信じ、その理想郷をこう呼んできた。その地ではいま、台湾や朝鮮半島の“有事”に備えるという名目で、軍事要塞化が急ピッチで進められている。与那国島から奄美大島に至る、いわゆる「南西シフト」である。2年前にはこの島にも陸上自衛隊石垣島駐屯地が開設された。地対艦と地対空のミサイル部隊が配備され、約560人の自衛隊員が駐屯している。そんな中、今年は戦後80年という節目の年を迎えた。

 

 県民の4人に1人が犠牲になった「沖縄戦」の激戦地では連日のように「戦禍の記憶」を後世に伝え残そうというイベントが続けられている。その一方で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題では政府の強硬姿勢はますます、むき出しになってきた。米軍基地の7割が集中する沖縄本島…ジュゴンが生息する辺野古の海では連日、軟弱地盤を改良するための土砂の投入が強行されている。その土砂の中には沖縄戦の戦火に倒れた遺骨も含まれている。「二度、殺すのか」という呪詛(じゅそ)のようなうめきが虚空をさ迷っているような気配を感じる。

 

 「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設(新基地建設)を直ちに中止し、『世界一危険』だと言われる同飛行場(普天間基地)の今後の運用の在り方について、沖縄県を除く県内外への移転が可能かどうか―国民的な議論を盛り上げることにより、民主主義と憲法に基づいて公正に解決することを求める」―。私は2019(令和元)年の花巻市議会6月定例会にこんな内容の陳情書を提出した。結果は全会一致で不採択となったが、頭の片隅には「世界平和」を願う宮沢賢治のメッセージがあった。「対岸の火事」として、ソッポを向いて良いのかという自責の念も少しはあったのかもしれない。

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。賢治が理想郷と呼んだ、その足下で続けられてきたもうひとつの戦争―「イーハトーブ“図書館戦争”」はいま、大詰めを迎えつつある。「駅前か病院跡地か」という“立地”論争について、上田東一市長は今月6日、JR花巻駅前に新図書館を建設するという最終決定を公表した。これに先立つ議会の質疑ではこう言ってのけた。「病院跡地への立地を求める署名を精査した結果、重複や同一筆跡、県外や市外からもかなりあり、自筆での署名は半分の6,000筆程度と聞いている」

 

 市側が「多くの市民」という対話型「市民会議」の実態はどうであったか。意見集約をするためのこの会議は無作為抽出した3,500人の中から「参加を希望する」75人で構成されたはずだった。ところが、4回の会議の参加者は毎回75人を大幅に下回り、6人が一度も出席しなかったという驚くべき事実が明らかになった。さらに、個々人の意見をヒアリングシートに記述する最終回(2月15日)は何と22人も少ない53人の参加に止まった。果たして、これで「民意」が反映されたと言えるのか。市民会議のこの数字の“有意性”については結局、ひと言も触れることはなかった。「異論排除」の上田流がここでも見事に発揮されているとしか言いようがない。

 

 病院跡地への立地署名について、上田市長は「精査の結果を確認したわけでない」と言いつつも、あたかも”捏造”(ねつぞう)をほのめかすような発言を、しかも議会議場で口にした。市外在住者の署名は無効だとする物言いは余りにも次元が低すぎて、開いた口がふさがらないが、とりあえずこう反論しておこう。「図書館こそが万人に開かれた文化空間ではないか」―と。街頭署名に欠かさず参加した私は文字が苦手な高齢の親に代わって、息子さんや娘さんが署名する姿を何度も見た。この人にかかってはこれが「同一筆跡」ということになるらしい。一方では「ピンポ~ン」作戦で一軒一軒を訪ね、1人で524筆を集めた女性もいた。さらには「お母さんが駅前でも私は病院跡地よ」と目の前で図書館論争が繰り広げられるというひとこまも。これこそが真の意味での「草の根」の意見集約ではないのか。

 

 南の「ニライカナイ」と北の「イーハトーブ」…この二つの理想郷に共通するのは草の根の「民意」を鼻先で笑い飛ばすかのような権力の”横暴”である。いや、”暴力”と言った方が当たっているような気がする。かと思えば、海の向こうでは米国のトランプ大統領が「(パレスチナ自治区の)ガザを領有する」などという狂気の沙汰を叫んでいる。「新しい帝国主義」の到来なのか。暗い時代の幕開けへの予感…「ファシズム」の亡霊が周囲に漂い始めている。

 

 「3・11」と「戦後80年」、そして「齢(よわい)85歳」…。目まぐるしい時空の変転に翻弄(ほんろう)されているうちにふと、著名な歴史家、アーノルド・トインビーの「民族滅亡」の3条件が頭をよぎった。元々は花巻城の一角に位置していた「旧新興製作所」跡地が上田”失政”のあおりを受けて、瓦礫(がれき)の荒野と化して久しい。ひよっとしたら、目の前に広がるこの無惨な風景と、旅先の沖縄で突きつけられた「戦後80年」の重い現実、そして大震災と生年が重なるというある種の”めぐり合わせ”がトインビーを想起させるきっかけになったのかもしれない。

 

 

1.自国の歴史を忘れた民族は滅びる。
 

2.すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる。
 

3.理想を失った民族は滅びる。

 

 

 午後2時46分―。遠く離れたサンゴ礁の海にも弔いのサイレンが、潮風に乗って渡っていった。凪(なぎ)の海は不気味なほど、穏やかだった。

 

 

 

(写真は民意を無視して、埋め立て工事が強行される辺野古の海=インターネット上に公開の写真から)

 

 

《追記ー1》~議会特別委の設置を採択

 

 

 花巻市議会議会運営委員会(佐藤峰樹委員長ら8人で構成)は11日、「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)から出されていた「新花巻図書館整備特別委員会等の設置を求める」―陳情に関する審査を行い、委員長を除く4人(はなまき市民クラブ2人と緑の風、共産党花巻市議団)が賛成、3人(明和会2人、社民クラブ)が反対し、採択された。議会内に設置されていた「整備特別委」は令和2年末に解散されたが、その後の立地場所の選定過程で不透明な部分が浮上したため、再設置を求めていた。市議会最終日の今月19日に全体の賛否が問われる。

 

 

 

《追記ー2》~上田”強権”支配の正体、ここに!!??

 

 

 3月15日付の「広報はなまき」に新図書館の建設が駅前に決定したことを告知する特集が掲載された。市議会3月定例会の会期は今月19日まで。予算委員会での関連質疑や議会側に特別委員会の設置を求める陳情審査の結果を待たないままの“強行”突破。この日を二元代表制の「崩壊記念日」として、記憶に留めよう。当ブログで触れた「ファシズム」は世界を差し置いて、賢治の理想郷「イーハトーブ」の地でいち早く、達成された。そう、上田「独裁」体制が―。詳しくは以下から

 

広報はなまき 令和7年3月15日号を発行しました暮らし・行政

 

 

 

《追記―3》~「僕の後ろに道は出来る」

 

 

 迷走劇を繰り返してきた新花巻図書館問題が14日開催の市議会3月定例会の予算特別委員会で一応の終止符を打った。駅前立地に前のめりになる市側の応答を議会中継で見ながら、ふと詩人で彫刻家、高村光太郎の詩「道程」が口の端に浮かんだ。杖をつき、車いすに身をゆだねながら、酷暑と厳寒の街頭署名に立ち続けた人たちこそが、未来への道を切り開いた“勝者”ではなかったのかと…


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

 

 

議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

  • 議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

 

 「多くの市民に利用され、市全体の活性化にも寄与することが期待される『花巻駅前』を新花巻図書館の建設候補地として選択し、新花巻図書館整備基本計画を策定したい」―。市側は6日開催した議員説明会で、新図書館の「駅前立地」を正式に表明した。10年以上に及んだ迷走劇にとりあえずの終止符が打たれることにはなるが、旧花巻病院跡地への立地を求める署名が1万筆を超えるなど市民を二分する中での”強行突破“は後々まで大きなしこりを残すだけではなく、上田(東一)市政の強権体質への不信感を増大させるのは必至である。

 

 対話型「市民会議」(全4回)の意見集約について、市側はこの日「アクセス」や「活性化」「安全性」「周辺環境」「駐車場」の主要な五つの選択肢のうち、駐車場を除いた四つの選択肢で駅前が評価されたとした。また、評価の内容については「駅前はバスや電車などの公共交通機関が整っており、行きやすい」、「新しい図書館ができることで駅前が活性化し、花巻の印象が良くなる」、「高齢者や学生にも利用しやすい場所が駅前である」、「観光客や花巻市民が利用しやすく、町の発展につながる」、「駅前は交番に近く、明るく夜も安心」―などを挙げている。

 

 市側によると、「市民会議」は無作為抽出した市民3,500人の中から「参加したい」と手を挙げた75人で構成された。ところが、出席者は65人(第1回)、64人(第2回)、57人(第3回)、53人(第4回)と回を追うごとに減り、出席ゼロは6人にも上った。各回ごとの出席者を全人口比(89,656人=令和6年12月末現在)で比較すると、その比率がいずれも1%にも満たないのに対し、病院跡地への立地を求める署名数(10,269人)は11・5%に上っている。さらに、世代別の構成も「若年層」(20代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、図書館の利用率が一番高い高齢者(70歳以上)はわずか6人と偏重が際立った。つまり、百年の計とも言われる図書館建設の場所がほとんど、統計学上の民意を反映したとは言えない形で決められたと言わざるを得ない。

 

 さらに例えば、「アクセス」について「明らかに駅前が良い」と答えた人が42人いた一方で、9人が「どちらでも良い」とし、「活性化」については前者が27人、後者が12人を数えるなど、この小集団の中には2択の選択をしなかった人もかなり、含まれていることが分かった。まるで、数字の“詐術”…今回の「駅前立地」という決定過程は将来へ大きな禍根を残したのではないかという不安をぬぐえない。今後、建設に至る道のりには多くの紆余曲折も予想され、予断は許されないままの強引な“見切り”発車となった。

 

 「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」の瀧成子代表は今回の決定について、こう話している。「まちのシンボルでもある文化の殿堂を作ろうとしている時、どちらでも良いなどという選択はあり得ない。また、アクセスや活性化などを尺度にするのも本末転倒。人が集まる場所へ図書館を作るのではなく、人を呼び寄せるのが図書館だと私たちは思っている。そもそも、図書館の捉えた方が違う。諦めるわけにはいかない。賢治の里にふさわしい図書館づくりを目指して、運動を続けたい」ー。「何かの終わりの始まりなのかもしれない」という思いがふいに、頭をよぎった。詳しくは以下のアドレスから。

 

 

 

 

 

 

 

(写真は橋上化と図書館建設によって、東北駅100選にも選ばれた駅周辺は一変することが懸念される。手前のポールが賢治童話「風の又三郎」をイメージした「風の鳴る林」。奥が図書館の建設場所とされるスポーツ用品店=花巻市大通りのJR花巻駅前で)

 

 

 

 

《追記ー1》~世論調査従事者を名乗る方から「バイアスあるいは偏りばかりの意見集計」という専門的な見地からの以下のようなコメントが寄せられた。


 

1.無作為抽出された3,500人から参加の意思を示した75名を市民会議メンバーに選定した段階で、「サンプリングバイアス」と呼ばれる偏りが生じている。ゆえにそもそもこの75名の意見は市民を代表する意見とはなりえない。
 

2.ヒアリングシートを見ると、「回答バイアス」と呼ばれる質問項目の偏りが見られる。例えば「活性化」のような花巻駅前が有利だと一般に考えられる質問項目を先に掲げることでその後の質問項目についても同じような回答をする傾向があり、「回答バイアス」の中の「順序バイアス」と呼ばれている。数値的に見て総合花巻病院跡地の建設費用が安いことが示されているものを最後に持ってくるのも同様の「順序バイアス」である。
 

3.「どちらでもよい」というような回答は中立的尺度と呼ばれているもので、通常は「どちらともいえない」という表現が普通だが、この中立的尺度を入れると回答がこの尺度に集中する傾向が生じ、分析自体を甘いものにしてしまう恐れがある。
 

4.そもそもこの市民会議は意見の集約を図ることが目的と考えていたが、上述のような様々な偏りによって仕掛けられた小集団の意見を「集計」したものに過ぎず、意見を「集約」したとは言えない。

 

5.このように杜撰な、または、ある意味意図的に行われた可能性のあるミスリーディングな意見集約なるものによって、図書館という市民最高の文化施設(活性化施設ではない)が建設されようとしているのを目の当たりにし、市の意思決定過程に第三者的に、かのアカデミックを扮する御仁が関わっているのを見るにつけ、絶望的な思いを禁じ得ない。

 

 

 

 

《追記ー2》~市政堂を名乗る方から「まじヤバ花巻」と題するコメントが寄せられた。これが本当なら当市はかなり重症だと思わざるを得ない。

 

 

 市民会議とやらが、図書館建設場所の決定打になったようであるが、この市民会議3,500人から選ばれた75人。しかも、参加希望者…らしいが、この会議に出てくれないか?と誰からかはわからないがオファーがあったという人がいた。しかも、4回の会議に一度も参加しない、参加希望者ってアリなのか?それも6人もいたらしい。ますます怪しい花巻市政。

 

 

 

《追記―3》~「Darkness」を名乗る方から「闇は深い」という内容の以下のようなメールが寄せられた。市側の「駅前立地」の決定は市民サイドにも大きな波紋を呼び起こしつつあるようだ。

 

 

 花巻駅周辺はこれから大きく変わるのだろうが、本当に市民が望んだ事業なのか?橋上化では、西口住民の悲願と言っていたが、ヤラセ要望書には、市議会議員も絡んでいたらしい。今回の図書館では、1,000万円もかけての市民会議らしいが、疑惑だらけ。市民の血税でやりたい放題?詐欺まがいのやり方、ガサ入れが必要では?

 

 

 

《追記―4》~税務申告者を名乗る方から「図書カード」について、以下のコメントが寄せられた。最初は「何のことか」と思ったが、なかなか根が深い問題だと納得しました。図書館問題は意外にすそ野が広いなと…

 

 

 何気に今日の市議会のやり取りを聞いていましたが、新花巻図書館市民会議の出席者には図書カードで報酬が支払われたと聞いたように思います。今はちょうど税金の申告シーズンなので調べてみましたが、現金か図書カードのような金券でも源泉徴収義務があることが書かれています。コンプライアンス重視の花巻市なので、その辺りの事務はきちんとなされているとは思いますが、あえて注意喚起でコメントしました。なお、図書カードを受け取った方々は少なくとも市・県民税の申告はしなくてはいけないようですね。

 

 

 

《追記ー5》~コンサルが素早い反応

 

 

 「花巻新図書館/建設候補地は花巻駅前/今春にも基本計画案」―。業界紙「建設通信新聞」(3月10日付電子版)の記事を引用する形で、建設候補地に関する「比較調査」事業を受託した大日本ダイヤコンサルタント(本社東京)がいち早く、そのことをX(旧ツイッター)で告知した。なお、同コンサルタントはJR各社の鉄道事業などを請け負う独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JR鉄道・運輸機構)の有資格業者の名簿に登載されている。