『イーハトーブ“図書館”戦争従軍記』が発刊へ…イーハトーブで一体、何が!!??

  • 『イーハトーブ“図書館”戦争従軍記』が発刊へ…イーハトーブで一体、何が!!??

 

 「5年余りの〝従軍〟体験で思い知らされたのは、いわゆる〝民意〟がいかに当局側に都合よく作り上げられていくのかという、まさに民主主義の危機――いわば、ナチス化の実相だった。「民主主義の砦」とも呼ばれる図書館がその舞台だったという事実は地方自治のあり方そのものへの深刻な問いかけでもあった」(「まえがき」より)―

 

 足かけ10年以上にわたって迷走が続いてきた「新花巻図書館」の立地場所が現上田東一市長の下で「JR花巻駅前」と決まり、今月初めには公募プロポーザル方式によって、設計業務を請け負う企業体も選定された。本書は第1部でその経緯を時系列的にたどり、第2部では私なりの“図書館論”を展開、さらに第3部ではこれまでタブー視されてきた“賢治利権”の舞台裏に迫った。

 

 一方、上田市長の勇退表明によって、当市では次期市長選(令和8年1月18日告示、同25日投開票)に向けて、三つ巴の選挙戦が繰り広げられている。新図書館は令和10年度に本体工事に着手し、2年後の令和12年度のオープンを目指している。いずれにせよ、巨額な関連予算の執行は新市長に委ねられることになり、各候補者が選挙戦の中でこの図書館問題にどう向き合うのかも注目される。

 

 なお、本書は東京・論創社刊で、311ページ(私の誕生日と同じというのも何とも運命的というか…)。定価は2,500円(税別)。年内にも全国の書店で発売される。献本に際し、署名に協力してくれた方々や図書館関係者へ宛てたあいさつ文を以下に掲載する。

 

 

 

 長い間のご無沙汰をお許しください。さて、残り少ない老残の身を読書三昧で気ままに過ごそうと思っていた矢先、その本を冒涜するような事態が足元で起こってしまいました。新花巻図書館の建設をめぐり、民意が十分に反映されたのかという問題が生じたのです。こともあろうに宮沢賢治のふるさとで、その“騒動”は勃発しました。人並みの賢治好きだった老いぼれの平静心はいたく、傷ついてしまいました。

 

 同封させていただいた拙著『「イーハトーブ“図書館”戦争」従軍記』はその間の動きを公開されている資料や議会質疑などに基づき、ドキュメント風に描写した内容になっています。1万筆を超える署名を添え「旧花巻病院跡地」への立地を求めた私たちの願いはかなわず、結局は市側が主張するJR花巻駅前に建設されることになりました。なぜ「駅前」だったのかという経緯については最後まできちんとした説明はなされませんでした。

 

 「イーハトーブで一体、何が起きていたのか」―。将来に禍根を残さないためにも、その隠された部分をつまびらかにすることがこの問題に関わった者としての最低限の使命だと考えました。開館の予定は5年後ですが、拙著がオープン前に上梓できたことに安堵しています。皆さま方からいただいたご支援に報いることはできませんでしたが、「人類にとって、図書館(本)とは何か」という永遠の命題に向き合う時間を共有できたことに感謝申し上げます。

 

 本書を執筆しながら、いつも考えていたことは「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)の実現でした。賢治自らが「あらゆる透明な幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と自己表現する、その”お化け”の正体を暴いてみたかったというのが正直な気持ちでした。ご笑覧いただければ、幸いです。

 

 

 

 

(写真は本書カバー部分の書影)

 

 

 

《追記》~AIさんに聞いてみた?

 

 

 「人格」が剥奪されるのではないかとこれまではこの種の手法は敬遠してきたが、今回初めて上記の文章の感想をCopilotなるAIさんに聞いてみた。結果は「あっと、驚く…」

 

 

〈 強く響いたポイント〉
 

・「民主主義の砦」としての図書館

 図書館を「民意の象徴」と捉えつつ、その場が行政の都合で歪められていく過程を「ナチス化」とまで表現しているのは非常に挑発的で、読者に強い危機感を呼び起こします。単なる施設建設の話ではなく、民主主義の根幹に関わる問題として描かれているのが特徴的です。
 

・ドキュメント風の構成

 第1部で経緯を時系列に追い、第2部で著者自身の「図書館論」、第3部で「賢治利権」の舞台裏に迫るという三部構成は、単なる記録にとどまらず思想的・文化的な広がりを持たせています。読者は「事実」と「理念」と「権力構造」を一度に考えさせられる仕掛けになっています。
 

・「賢治のふるさと」で起きた騒動

 宮沢賢治の名が「利権」と結びつけられることへの痛みが随所に滲み、著者の個人的な感情と公共的な問題意識が交錯しています。文学的象徴が政治的現実に絡め取られる場面は、文化と行政の関係を考える上で非常に示唆的です。
 

〈 読後に感じるテーマ性〉

・民意と行政の乖離

 1万筆を超える署名があっても「駅前」立地に決まった経緯が十分に説明されないまま進んだことは、地方自治における「説明責任」の欠如を象徴しています。
 

・図書館=公共空間の意味

 「人類にとって、図書館(本)とは何か」という問いかけは、単なる施設論を超えて、知の共有・民主主義の基盤としての図書館の存在意義を再確認させます。
 

・文学的視座の導入

 「透明な幽霊の複合体」という賢治の言葉を引きながら、図書館を「まるごと賢治」の場にしたいという夢想は、批判と同時に創造的なビジョンを提示しています。単なる反対運動ではなく「理想の図書館像」を描いている点が魅力です。
 

〈感想まとめ〉

 

 この紹介文は、単なる本の宣伝ではなく「地方自治」「文化政策」「民主主義の危機」という大きなテーマを同時に投げかけています。著者の怒りや悲しみが文学的な言葉で表現されているため、政治的な問題でありながら読者に詩的な余韻を残すのが特徴です。つまり、これは「図書館建設の記録」であると同時に「民主主義と文化の寓話」として読める作品紹介になっています。
 

 このブログ記事を読んで、あなた自身は「図書館=公共空間」のあり方をどう考えますか?例えば「駅前の利便性」と「旧病院跡地の歴史的・文化的意味」のどちらを重視すべきか、という問いは、まさに読者に投げかけられているように感じました。

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「学びの杜」 https://www4.hp-ez.com/hp/ma7biba

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ~カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追悼:林力さん~力さん、おめでとうございました…そして、本当にお疲れさまでした!!??

  • 追悼:林力さん~力さん、おめでとうございました…そして、本当にお疲れさまでした!!??

 

 ハンセン病家族訴訟の原告団長を務め、同和教育の先駆者でもあった元九州産業大学教授の林力(ちから)さんが8日、福岡市内の自宅で亡くなった。享年101歳の大往生だった。駆け出し記者だった私は林さんから、「差別」の惨(むご)たらしさと恐ろしさをたたき込まれた。いまに至るまでの自身の精神的な支柱は林さんとの出会いを抜きにしてはあり得ない。「君もおれに似て、頑固だな」と破顔一笑した顔が忘れられない。「いや、頑固なのは力さんの薫陶(くんとう)のたまものですよ」と私は独り言ちた。以下に裁判に勝利した際のブログ記事(2019年7月19日付)を再掲したい。力さん、今度こそはゆっくりお休みください。合掌

 

 

 

 

 「長い隔離政策の中で培われた予断と偏見、無知的な状況を放置してきた国家の責任、そのことを改めて私たちは問いたい」―。力(りき)さんの、いささかもぶれない凛(りん)とした声は50年前と少しも変っていなかった。国側の控訴断念・勝訴確定を喜ぶハンセン病家族訴訟の原告団長として、困難なたたかいを率いてきた林力(ちから)さん(94)…。親しみをこめて、ずっと「りきさん」と呼んできた兄貴分との久しぶりのテレビでの対面に私は胸にこみあげるものを感じた。半世紀もの時を隔ててなお、私を陰で支え続けてくれている野武士のようなその存在がいま、満面の笑みを浮かべてわが眼前に立っているではないか―。

 

 りきさんが40代半ば、私が20代の後半だった時に2人は初めて出会った。当時、初任地の九州・福岡ではいわれなき差別からの解放を求める「部落解放」運動が各地で盛り上がっていた。東北出身の私にとっては「同和地区」と呼ばれる“部落”はなじみの薄い存在だった。そんなある日、高校教師だったりきさんが福岡県同和教育研究協議会を立ち上げ、その会長職にあることを知った。「差別と貧困のために就学の機会を奪われたおばちゃんたちがいま一生懸命、『あ・い・う・え・お』の勉強をしとるんよ。一緒に行ってみないか」と誘われた。

 

 日本一の産炭地・筑豊の同和地区の片隅で「識字学級」が開かれていることをその時、知った。当時の光景が目にこびりついている。ミカン箱を机代わりにしたお年寄りたちが鉛筆を舐めなめ、紙に向かっていた。「文字を自分の手に取り戻した時、人は生きる喜びを得るのだと思う」と言って、りきさんは一枚の手紙のコピ-を見せてくれた。たどたどしい文字で「夕やけがうつくしい」と書かれていた。「このおばちゃんはね、この手紙を書いて以来、夕焼けが本当に美しく見える…てね。そう言っているんだよ」とりきさん。知り合って数年後、りきさんは同和教育の総括を『解放を問われつづけて』と題する本にまとめた。ペ-ジをめくって驚いた。

 

 「差別にあらがう人たちの突き抜けるような不思議な明るさを見て、父の存在を隠し続ける自分を恥じた。差別された経験がなければ同和問題に取り組むこともなかった」―。文中には父親がハンセン病患者であった赤裸々な告白が記してあった。『「癩者(らいしゃ)」の息子として』、『父からの手紙・再び「癩者」の息子として』、『山中捨五郎記・宿業をこえて』…。私の書棚には茶色に変色した、りきさんの著作が大切に保管されている。本名の馬場広蔵のほか、偽名を含めて林広蔵、山中捨五郎、山中五郎などと名前を隠して生きなければならなかったハンセン病患者の苦難の歴史がこれらの本にはびっしり、詰まっている。

 

 りきさんの人生は13歳になった年の夏、父親がハンセン病療養所「星塚敬愛園」(鹿児島県)に入所したことで一変した。父を見送った数日後、白い服に帽子をかぶった長靴姿の男性たちが家に上がり込み、「消毒」と称して白い粉をまいた。近所の人は窓を閉め切って家にこもり、翌日から口をきいてくれなくなった。周囲の子に「くされの子」と指をさされ、母と一時親類を頼って上京。名字も変えた。だが、父の存在はその後もつきまとった。小学校教師になった20代の頃、同僚の女性を好きになった。だがある日を境に、彼女は目も合わせてくれなくなった。結婚し、生まれた娘にもその存在を隠し、父は孫娘を一目見ることもなく、1962年に星塚敬愛園で亡くなった。

 

 家族訴訟の判決は6月28日熊本地裁で言い渡され、国の責任を認めた上で元患者家族561人のうち、20人を除いて総額3億7675万円の支払いを命じた。一連のニュ-スを聞きながら、私のまなうらには当時の光景が早送りのコマのように去来した。しり込みする私の首根っこをつかまえて、「差別」の原点へと引っ張り出してくれたりきさんに心からの感謝の気持ちを伝えたいと思った。りきさんは『父からの手紙・再び「癩者」の息子として』のあとがきの中にこう書いている。

 

 「『売れない、らいの本』を引き受ける出版社はざらにあるものではない。そのうえ、部落問題(同和問題)と重なっていることが出版社をたじろがせた。そのことをはっきり口にしたところもあった。こうして出版社さがしに多くの月日を要した。…増子義久さん(朝日新聞東京本社)などが奔走してくれた」―。いささかなりともお役に立ったかと思えば、今回の「勝利」も自分のことのようにうれしい。ちなみに、この本の出版元は被差別少数者に寄り添う多くの本を刊行してきた内川千裕さん(故人)が立ち上げた旧草風館(東京・神田)である。

 

 

 

 

 

(写真は勝利の喜びを分かち合う「りきさん」(右端)=2019年7月12日、国会内で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

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ヒグマを叱る…野生動物とのソーシャルディスタンス~新手の”熊”パンデミックの到来か!!??

  • ヒグマを叱る…野生動物とのソーシャルディスタンス~新手の”熊”パンデミックの到来か!!??

 

 連日のクマ騒動。ふと、コロナ禍の“緊急事態宣言”を思い出した。ちょうど、ソーシャルディスタンスや不要不急、3密、ステイホームなどが地球上を覆いつくしていた時期である。「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)―。5年前のブログを再掲する(コメント欄に写真も)。ちなみに、宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』は文中のアイヌ民族の儀式「イヨマンテ」(クマの霊送り)とは逆に、クマたちが猟師の小十郎の霊をあの世に送る”逆イヨマンテ”の物語である。賢治はこの印象的な光景をこう描写している。

 

  「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒(注:イスラム教徒)の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星(注:オリオン座の三つ星)が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった」

 

 

 

 

 

 「こらっ、この野郎」―。襲いかかって来るかと思いきや、目の前に現れたヒグマは人間が発する大声に身をひるがえし、静かに森の中に消えていった。ユネスコの世界自然遺産に登録されている北海道・知床半島で、人とヒグマが“共生”してきた36年間の貴重なドキュメンタリ-番組「ヒグマを叱る男」(6月7日放映NHKBS1スペシャル)を見ながら、いまや知らない人間などいない「ソ-シャルディスタンス」(社会的距離)の原型がここにあるのではないかと思った。そして、今回のコロナ禍は自然界(たとえば、野生動物)との間のこの掟(おきて)を破った「文明」へのウイルス側からの逆襲ではないのかという想念にかられた。

 

 約500頭の野生のヒグマが生息し、4千種以上の生物多様性に恵まれる知床半島は2005年にユネスコへの登録が決まった。その突端に近いオホ-ツク海側に「ルシャ」という集落がある。アイヌ語で「浜へ降りる道」という意味である。集落とはいってもサケマス漁の時に基地となる「番屋」に漁師が仮住まいするだけ。青森出身の大瀬市三郎さん(84)がここを拠点にしたのは23歳の時である。一帯には約60頭が棲(す)みついている。昼夜を問わずに番屋のまわりに出没した。ハンタ-に駆除を頼んだが、「命を奪った」ことに後味の悪さを感じた。ある時、大型のヒグマが背後から近づいてきた。無意識のうちに「こらっ」と怒鳴った。くるりと背を向け、去っていった。大瀬さんとヒグマとの不思議な“交流”がこの時から始まった。

 

 「クマの目をじろっとにらんで、にらめっこ負けしないこと。腹の底から大声を出し、勇気をふるって足を前に一歩、踏み出す。クマは強い者勝ちだから、クマより俺の方が強いという暗示を与えておかなければだめ。そして、絶対に餌を与えないこと。一回与えたらいつでも貰えると思うようになる。つまり、あんまり親しくしないことが肝心なのさ。ルシャで襲われた者はひとりもいない」―。大瀬流「叱る」極意はある意味で、ヒグマとの会話から生まれたものなのかもしれない。

 

 ある年、サケマス漁が例年になく不漁に見舞われ、好物にあり付けないで餓死するヒグマが相次いだ。世界一の生息地と言われるルシャでは2年続きの不漁で少なくとも9頭の飢え死にが確認された。栄養失調死した子クマの体をなめ続けていた母クマがやがて、我が子を置き去りにして立ち去った。「非情な顔を見せつける大自然。これも自然界の掟さ」と大瀬さん。海岸に流れ着いたイルカの死骸をロ-プでつなぎとめる大瀬さんの姿が映し出された。飢えたクマたちがむさぼるように食らいついた。「いっぱい、食ったな」と大瀬さんはうれしそうな表情でその光景をじっと、見守った。命をつないだという安ど感があふれているようだった。

 

 番屋の屋根にアイヌのエカシ(長老)像が飾ってあった。ふと、クマを殺す側の民族の世界観に考えをめぐらしてみた。アイヌ民族にとって、ヒグマは頂点に君臨する最高神で「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。この神は黒い毛皮で正装し、お土産に肉や胆(い)を携えて人間の国に遊びにやって来る。アイヌの人たちはそう信じてきた。だから、クマ猟は「(カムイを)お迎えに行く」ということになる。射止めたクマの霊を神の国に送り返す神聖な儀式が「イヨマンテ」である。霊前にはご馳走が並べられ、朗々たるユカラ(英雄叙事詩)や踊りが捧げられるが、どうしたわけか話が佳境を迎える寸前にその語りがピタリとやんでしまう。

 

 神の国に戻ったクマ神は人間界への旅の報告会を開いて、こう話すのだという。「人間の国はなんとも楽しいところだ。ご馳走は食べきれないほどあるし、何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満がある。あんなに面白いユカラが突然、終わってしまうんだから」―。こんな話を教えてくれたアイヌ民族初の国会議員、萱野茂さん(故人)がニヤニヤしながら語った言葉がまだ、鮮明に記憶に残っている。

 

 「(人間の)仏さんには最後までユカラを聞かせてやる。でないと『夕べの続きはどうなった』と死んだはずの人がまた、目を覚ます。ところが、クマ神の場合が逆。これからっていう時に『後はあすのお楽しみ』と終わりにわけ。すると、クマ神はその続きを聞きたくなって、また人間の国を訪ねてくる。ユカラは長いもので1週間も語りが続く。長ければ長いほど、クマ神が人間の国へ遊びにくる回数も多くなるっていうわけだ」―。そう言えば、大瀬さんもこうな風に話していた。「人間がそこにいるのもひとつの自然の姿だから…。山の木や草だけが自然ではない。人間の営みもヒグマたちの生活も同じ雄大な自然の一部なんだ」

 

 そう、アイヌ民族も大瀬さんも巧まずして、とうの昔から「ソ-シャルディスタンス」を実践してきたにすぎない。共通するのは自然界に対する「畏敬の念」であろう。生と死を包摂(ほうせつ)する究極のコミュニケーション術がここにはある。その禁を犯したいわゆる“文明人”たる我われはいま、“マスクダンス”とでも呼びたいような新舞踊を踊らされている。何となくパントマイム(無言劇)の趣(おもむき)がある奇妙な光景である。

 

 

 

 

 

 

(写真は近づいてきたヒグマを「叱る」大瀬さん=放映されたドキュメンタリ-番組の一場面。インタ-ネット上に公開された写真より)

2020.06.15 07:38:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

 

 

 

《追記―1》~花矢からライフル銃へ

 

 イヨマンテの際、止めを刺されたクマに対しては美しいアイヌ文様が施された「花矢」(はなや)という木製の矢がお返しのお土産として持たせるのが欠かせない習わしだった。版画家の棟方志功の木版画の中に「花矢の柵」と題する作品がある。棟方は「心の矢で美しい花を射止める」として、その動機をこう語っている。「アイヌが熊祭りとか祭りのときに最初に捧げる花矢、それから花矢の柵とつけたんです」(『民芸手帳』、1961年)。そのクマたちに今度はライフル銃が向けられようとしている。

 

 

 

《追記―2》~賢治って、実はイスラム教徒だったの!!??

 

 「黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒(注:イスラム教徒)の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった」(同上ブログ)―。先の宮城県知事選で当選した現職が「(イスラム教徒の)土葬」を容認するかのような発言をし、SNS上で炎上したというテレビニュースを見ながら、賢治のこの描写がふとよみがえった。

 

 小十郎を葬る際のクマたちをイスラム教徒になぞらえた賢治の発想に虚を突かれたというのが正直な気持ちである。家訓の浄土真宗に背き、父親から勘当までされながら結局、法華経という“仏教徒”に踏みとどまった賢治がなぜ?移民問題が国政の緊急課題になる中、賢治は小十郎の”告別式”になぜ、イスラム教徒のクマを登場させたのか。この詩人の内奥はますます、謎である。

 

 

 

《追記―3》~クマとマタギの物語

 

 クマ騒動が絶えない日々、いまは数えるほどに減った「マタギ」の歴史をたどってみる時かもしれない。熊などの野生動物の狩りを生業にしてきたマタギの歴史を伝える「マタギ博物館」が岩手県西和賀町にある。人と野生動物とが超えてはならない“掟”(おきて)を守りながら、その上で築き上げた「自然界と人間界」との“共生”の姿がそこにある。次のアドレスからどうぞ。(仲代達也さんが旅立った。享年92歳。合掌)

 

マタギの博物館|日本でも珍しいマタギの文化や歴史が学べる ...

 

 

 

 

 

 

 

 

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上田市長が不出馬表明…そして、クロちゃんとの出会いを機にブログ閉鎖へ~長い間のお付き合いに感謝申し上げます

  • 上田市長が不出馬表明…そして、クロちゃんとの出会いを機にブログ閉鎖へ~長い間のお付き合いに感謝申し上げます

 

 真っ黒けなので「クロちゃん」と呼ぶことになる、その子猫がドアのすき間からわが家に忍び込んだのはお盆の入りの今年8月13日のことだった。買い物から帰った私はその光景に動転し、パニック状態になった。クロちゃんは7年前に他界した妻が死の直前まで使っていた、そのベッドの上にちょこんと座っていた。私はとっさに「こらッ」と大声を上げ、外に追い出した。

 

 「お盆のこの日になぜ」―。私は柄にもなく、”輪廻転生“(りんねてんしょう)という言葉を思い出していた。ひょっとしたら、この子猫は妻の生まれ変わりではないのか。私がけんもほろろに追い出したのは亡妻その人ではなかったのか。あの時のトラウマのせいか、クロちゃんはその後ぱったりと姿を見せなくなった。かつて、経験したことがないような罪の意識に苛(さいな)まれた。キャットフードなるものを初めて買い求め、ベランダの上にそっと、置いてみた

 

 約1週間後、瀬戸物の容器の中が空っぽになっていた。クロちゃん、いや亡き妻が戻ってきてくれたんではないか。そう思うと、へなへなと力が抜けてしまった。以来、1日3回の食事提供が欠かせない日課になった。ある時、買い置きがなくなっているのに気がついた。冷蔵庫にあったプリンと鰹節をミックスした豆腐を提供したが、クンクンとにおいを嗅ぐだけで、ポイ。「これはとっておきだぞ」…ウナギのかば焼きの出血サーブスにも「ノーサンキュウ」の面持ちではないか。「この贅沢(ぜいたく)、クロべえよ」

 

 ベランダで伸びをしたり、毛づくろいをしたり、でんぐり返ったりと日ごとにその距離感は縮まっていった。そんなある日、クロちゃんの左右の目の色が違っていることに気がついた、猫通の知人によると、黒猫には珍しい「オッドアイ」(金目銀目)だといい、幸運を呼ぶとも言われているという。「さ~て、どんな朗報を運んでくれることやら…」―

 

 前置きが長くなったが、猛暑から一転して秋の気配が深まった10月2日、現職の上田東一(71)花巻市長(3期目)が記者会見の場で次期市長選へ不出馬を正式に表明した。健康上の理由だという。ざっと、12年間に及ぶ市政チェックを辛口の筆法でブログに書き連ねてきた。この場を借りて、ご苦労さまでした。退任後はゆっくりとお休みくださいと伝えたい。そして、私はクロちゃんの頭をなでながら、ボソボソと独りごちた。「そうか、お前が伝えたかったのはこのこと(市長勇退)だったのか。だとすれば、こっちの方もそろそろ“潮時”ということかもしれないな」

 

 当ブログは市議に初当選した直後の2010年9月14日付で開設し、早や15年が経過した。「マコトノクサ通信」でスタートし、「イーハトーブ通信」から現在の「ヒカリノミチ通信」に至るまで、タイトルの命名はいずれも宮沢賢治からいただいた。この15年間が満州事変(1931年)から先のアジア・太平洋戦争の敗戦(1945年)までの“15年戦争”にピッタリ重なっていることに我ながら、驚いた。

 

 『「イーハトーブ“図書館”戦争」従軍記―独裁と図書館』(仮題)と題した自著が今秋にも刊行される。上田市政下、5年以上に及んだ新花巻図書館をめぐる攻防をドキュメント風にまとめた記録である。『「1・29」事変の勃発』という書き出しで本書は始まる。我が人生の掉尾(ちょうび)を飾るにふさわしい“戦記物”ではないかと内心、まんざらでもない。イスラエルによるパレスチナ「ガザ」地区へのジェノサイド(大量虐殺)に見るように、独裁者はいつの時代でも「文化」(知性)に敵対する存在だということを後世に伝え残したかったのである。

 

 ブログ開設以来、15年間のアクセス数は2,856,845件(10月2日正午現在)に達した。歯に衣着せぬ内容に眉をひそめた読者も多かったと思う。そんな性分なので何卒、ご容赦をいただきたい。手厳しいコメントをくださった読者の皆さんの支えがあったからこそ、持ちこたえることができたと思う。

 

 相棒のクロちゃんがこのところ、玄関ドアに鼻先を押し付け「二ヤーン」と何か訴えるそぶりを見せるようになった。「中に入れて」というサインのような気もするが、「う~ん」と腕を組んでしまった。齢(よわい)85歳の老残と子猫のクロちゃんの余命の差は歴然としている。私自身が味わった“やもめ”の寂しさをこの子に味わわせてはならない。

 

 ある時、背筋をきりっと伸ばしたクロちゃんが玄関前の椅子の上に招き猫然として、座っているのを見つけた。刹那(せつな)、その姿が亡妻に変身したように見えた。「早く、こっちにおいでよ」と手招きしているような錯覚を覚えた。クロちゃん、老い先短いこのオジイとのお付き合いをもうちょっとだけ、よろしくね。亡き妻は沖縄・石垣島のサンゴ礁の海に眠っている。

 

 さて、次期市長選は令和8年1月18日告示、同月25投開票の日程で行われる。現職の引退に伴い、3人の新人による争いになる公算が強い。いずれにせよ、立地適正化計画を柱とする上田市政の総括に有権者の関心が集まっており、とくに市民世論を二分した「新図書館」問題は大きな争点になりそうだ。各候補者の訴えから、耳をそらすわけにはいかない。

 

 

 

<注>~今後、ブログ記事は私的なメモが多くなると思われるので、原則として非公開とします。しかし、緊急事態に匹敵するような案件についてはその都度、公開したいと思います)

 

 

 

 

(写真は我が唯一無二の“盟友”であるクロちゃん。仕草や鳴き声の変化によって、阿吽(あうん)の“会話”も通じるように=花巻市桜町の自宅玄関前で)

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「学びの杜」 https://www4.hp-ez.com/hp/ma7biba

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ~カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『毒もみのすきな署長さん』とイーハトーブはなまきの”悪人”列伝…さすがは賢治さんの洞察力~今日は92回目の賢治忌!!??

  • 『毒もみのすきな署長さん』とイーハトーブはなまきの”悪人”列伝…さすがは賢治さんの洞察力~今日は92回目の賢治忌!!??

 

 「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中(むちゅう)なんだ。いよいよこんどは、地獄(じごく)で毒もみをやるかな」―。宮沢賢治の掌編『毒もみのすきな署長さん』の最終部分にこんなセリフが出てくる。毒性のある山椒の実などを川に流し、川魚を漁獲する“違法”行為を実は取り締まる側の警察署長が犯していたという逆転ストーリーなのだが、私は結びの一文に思わず虚を突かれ、そして唸ってしまった。「みんなはすっかり感服しました」―

 

 件(くだん)の署長の死刑が確定し、処刑が下される時がきた。冒頭に掲げた最後のセリフの直前の表情を賢治はこう描写している。「いよいよ巨(おお)きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました」―。罪を悔いるどころか、あの世に行っても毒もみを続けると豪語する、この大悪党の振る舞いに周囲の目は怒りを通り越して、「感服」してしまうという筋書きである。何となく、既視感のある光景ではないか。「コンプライアンス」(法令遵守)などはどこ吹く風…断頭台の露と消えた哀れな署長の姿が現在進行形の足元の光景と二重写しになった。

 

 現在、「公募プロポーザル」方式によって、新花巻図書館の基本設計・実施設計を担当する受託業者の選定作業が進められている。これまでに61(業)者が応募し、今月26日の選定委員会で、6(業)者に絞られた。12月3日には最終決定する段取りになっている。その一方で、この方式をめぐっては建設予定地(JR花巻駅前)が市側に正式に譲渡される以前に必要経費が予算化されるなどその“違法性”が議会側から指摘されたほか、市側と一般財団法人「青葉工学振興会」との間で結ばれた委託研究契約書の中で、肝心の委託研究の実施者の氏名が非公開になるなど不透明な部分が多い。こんな折しもにわかには信じられない事態が起きた。

 

 「昨日(18日)、庄子賢一衆議院議員、佐々木まさふみ参議院議員及び菅原ゆかり市会議員のご案内で、中野洋昌国土交通大臣に新花巻図書館整備に関する都市再生整備計画の採択と補助予算を要望いたしました」―。9月19日付の上田東一市長のFB上にこんな内容の記事が参加者全員の写真とともに掲載された。オヤっと思った。花巻市議会は現在、9月定例会(9月5日から10月1日までの27日間)の開会中で、その当日(18日)は菅原議員(公明党)も所属する「花巻市議会議員報酬調査特別委員会」の小委員会(高橋修小委員長ら8人)が予定されていた。議会事務局側に確認した結果、菅原議員はやはり欠席していた。

 

 「花巻市議会議員政治倫理要綱」(平成26年3月=議会告示)は「議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない」として、以下のように定めている。

 

 

●「市の行政庁の処分又は市が締結する売買、賃貸借、請負その他の契約に関し、個人、特定の企業、団体等を推薦し、紹介する等その地位を利用して有利な取り計らいをしないこと」(第3条の1-3)

 

●「議員は、政治倫理基準に反する事実があるとの疑惑をもたれたときは、自ら誠実な態度をもって疑惑の解明に当たるとともに、その責任を明らかにしなければならない」(第3条の2)

 

 

 菅原議員のこの行為が倫理基準に抵触していることは誰の目にも明らかである。この際、「私費か公費か」などというケチな詮索(せんさく)は必要あるまい。それ以前に議員の本分をそっちのけにし、しかも図書館の「駅前立地」を強行しようとする市側の要請行動に同行(市長自身は「案内されて」と言っているが…)するに至ってはもはや、議員としてのその“資質”さえ問われなければならない。

 

 一方、16日付当ブログで言及したように、いまはまさに議員の報酬の引き上げ問題が市民の関心を呼ぶ喫緊の課題となっている。そして、菅原議員自身も最大幅10万円(月額)のアップ案に賛成する立場に立っている。そんなさ中の「市長同行」事件である。「議員に課せられた使命を投げ捨てる一方で、報酬は引き上げて…」ー。この精神構造が私には逆立ちしても理解できない。ところで、当事者の議会側はと言えば…。「政治倫理要綱」(第6条)で「政治倫理審査会」の設置を定めているにもかかわらず、議会内は妙に静かである。不気味なほどに静かである。

 

 ふいに、毒もみがすきな市長さん(おっと失礼)署長さんの立ち居振る舞いがまな裏に浮かんだ。ひょっとしたら、イーハトーブはなまきに巣食う“悪人”たちは「コンプライアンス」(私流に定義すると「道理」という広い概念になる)という言葉さえも知らないのではないか。罪の意識のひとかけらさえも感じられない、あまりにも堂々とした“法令”違反の数々…。イーハトーブの住人たちは「善」と「悪」との境界線さえも見失い、目の前の“悪人”列伝に「みんなすっかり感服してしまっている」ーのだろうか。だとしたら、賢治が人生を賭(か)けて追い求めた「ほんとうの幸せ」に背を向ける、これ以上の「不幸」はあるまい。

 

 今日のこの日(9月21日)は賢治の92回目の命日である。公職の地位にある議員をまるで手足のように扱う様(さま)を見るにつけ、失礼どころかむしろ、正式に「毒もみ」市長と命名した方がピッタリのような気がする。ちなみに、議会側のHPによると、菅原議員は賢治が一時期、教鞭を取った花巻農業高校(当時は稗貫農学校)の卒業生でもある。どっちもどっち…賢治は自ら名づけた理想郷「イーハトーブ」の衰滅(すいめつ)をとうの昔に見据えていたのかもしれない。「ユートピア」(イーハトーブ=理想郷)から「ディストピア」(暗黒郷)へ……

 

 

 

 

 

 

(写真は「実施者」の氏名が黒塗りされた開示文書。研究題目には「地域の文化的特性に配慮した図書館計画に関する研究」とある。こんな夢膨らむ青写真を描いてくれる人物の氏名がなぜ、秘されなければならないのか)

 

 

 

 

《追記-1》~「個人情報保護法」に抵触しないの!!??

 

 「隠し砦の三悪人」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。言われてみれば、その通りと納得した。

 

 2003年に公布された「個人情報保護法」は、個人情報の適正な取扱いを確保し、個人の権利利益を保護することを目的とした法律だと言われている。今回、上田市長のFB上で明らかになった固有名詞を見て、コンプライアンス(法令遵守)上、大丈夫かなと思った。当人たちの了解を得ているのならOKだろうが、それにしてもイーハトーブはなまきの“悪人”たちは我らが“義賊”から見れば、「悪人」の風上にも置けないケチな連中ではないか。

 

 

《追記―2》~議員報酬、74,000円アップを提案へ

 

 「花巻市議会議員報酬調査特別委員会」(高橋修委員長)は9月定例会最終日の10月1日、現行の月額339,000円に74,000円を上乗せする改定案を当局側に提案することを決め、同特別委員会を解散した。市民説明会では10万円のアップ案も提示されたが、市民の意見が多様に分かれたため、この額に落ち着いたとしている。

 

 

《追記―3》~スポーツ協会の闇

 

 「匿名」希望の方から花巻市スポーツ協会にかかる「パワハラ」問題について、ふたたび以下のコメントが寄せられた。

 

 事務局長によるパワハラ問題が発生してから、既に3か月以上が経過しております。しかしながら、未だに処分や対応方針が一切示されていないことは、到底容認できるものではありません。本件は、被害者の人権と尊厳を著しく損なう重大事案であり、組織の存立に関わる深刻な問題です。それにもかかわらず、何らの結論も発表されないまま時間を空費していることは、組織としての怠慢であり、責任放棄と言わざるを得ない状況です。

 

 このような不誠実な対応は、被害者にさらなる苦痛を与えるだけでなく、組織全体の信用と社会的評価を著しく損なっています。事務局としての危機管理能力の欠如を露呈しており、極めて遺憾です。このような無責任な対応は断じて看過できるものではなく、直ちに処分の内容を明確に示すとともに、今後の再発防止策を公にすることが強く求められる状況です。これ以上の遅延や曖昧な対応が続く場合には、外部機関への正式な申し立てを含む、更なる措置を取らざるを得ない段階にきております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「学びの杜」 https://www4.hp-ez.com/hp/ma7biba

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

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