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花巻市長―ご乱心「行状劇」(全四幕)

  • 花巻市長―ご乱心「行状劇」(全四幕)

 

●第一幕~『前代未聞』

 

 「まず、議員が先ほど触れたコ-ポレ-ト・ガバナンスについてですが…」―。花巻市議会12月定例会の私の一般質問(12月6日)に対し、上田東一市長は答弁をこう切り出した。当局側との申し合わせによって、質問内容は事前通告制になっており、今回は締め切り2日前の11月20日に提出。この際、担当職員に質問の背景などを説明するのが習わしになっている。質問時間は全部で1時間(60分以内)と決められており、質問内容の概要を登壇して説明した後、市長答弁を聞き、それを受けて再質問をするという段取りになっている。だから、当局側とはこの時間内での1分1秒を争う緊迫した対決となる。

 

 さて、質問したことにきちんと答弁しないことはママいや結構あるが、質問していないことに延々と答弁するということは寡聞(かぶん)にして聞いたことがない。今回、あらためて質疑の録音記録を再生してみて、その“前代未聞”の出来事が実際にあったことに気が付いた。最初は当方の思い違いかと思ったが、通告書や登壇原稿のどこを探しても「コ-ポレ-ト・ガバナンス」という言葉は出てこない。つまり、上田市長は質問していないことに答弁していたことが明らかになった。議場内での質疑応答が通告内容から逸脱することは双方にとって、厳に慎まなければならないル-ルである。今年、国会で「あったことをなかったこと」するという「加計」論議に関心が集ったが、わが足元では「なかったことがあったこと」なるという真逆の珍事に…。でも、どうして!?

 

 質問前日の11月5日付ブログで、私は一般質問への傍聴を呼びかける予告記事を掲載した(「12月定例会―ガバナンスのあり方を問う」、後に「12月定例会で”暴言”騒動―市長、ご乱心」へ改題)。その中で市民が質問趣旨を理解しやすいようにと前文で「コ-ポレ-ト・ガバナンス」(企業統治)について若干、言及した。善意に解釈すれば、上田市長が事前にこのブログを見て、私が登壇の際に同じ表現を使ったと勘違いしたことも考えられる。だとすれば、それほど目くじらを立てることでもあるまい。しかし、米国暮らしが長く、最高学府で法律を学んだ上田市長の立て板に水のような“長舌”は止まることを知らなかった。これに費やした時間はざっと10分間。逆に言えば、私の再質問の時間がその分、奪われることになった。

 

●第二幕~『時間がなくなる!!…あせる質問者』

 

 やっと、通告した質問への答弁に移った上田市長の懇切丁寧な説明はさらに、延々と続いた。私の手元には5項目の質問に対する「再質問」が17項目にわたって準備されていた。時計とにらめっこしながら、次第に焦ってきた。「これで終わります」と上田市長が降壇した時、議場内の時計はすでに45分が経過したことを示していた。残された再質問の時間はわずか15分前後しかない。いずれも重要な質問だが、時間が限られているので瞬時に優先順位を判断しなければならない。市民から寄せられた要望をもとに②「職員の再任用制度の運用と『理事』職の新設」と、⑤「市役所での共稼ぎ職員に対する人事管理上の対応」―の2点を取り上げることにした。⑤の再質問に移った時、目の前の時計は「あと5分」を示す秒針表示に変わっていた。そして、信じられないことが起こった。

 

●第三幕~『天地の逆転劇』

 

 ⑤の再質問の中で私は、当局側と議会側との間のあるべき姿を示した「二元代表制」を念頭に配偶者同士が双方にまたがって配置されることの是非について問いただした。そうした実態があることを前提とした質問だったが、当然のことながら属性にかかわる質問ではなく、一般論としての見解をただしたつもりだった。これに対し、上田市長はいきなり「それは具体的にどなたのことでしょうか」と逆に聞いてきた。質問者に対する当局側の質問は「反問権」と呼ばれ、議長の許可が必要になる。そのことに触れないまま、小原雅道議長は答弁を促した。私は不本意ながら、その個人名を明らかにした。

 

 「通告の内容は職員を特定するものではありません。『職務設置に関する規則』についての質問であるので、ご留意ください」―。突然、小原議長が私に向かって、こう告げた。一瞬、キツネにつままれたような気がした。この留意発言は本来「個人名を明かせ」と求めた上田市長に向けられるべきものではなかったのか。結局、議事運営の流れの中で私は「市長の側がそう求めたからだ」と答えた。ところが、摩訶不思議…。この最後の発言から数十秒間が録音記録には残されていないことが分かった。操作ミスか装置の故障か…。私にとっては重要な「証拠」発言だけにこの「ナゾの数十秒」は永遠のナゾとして、残ることになった。

 

●第四幕~『場外乱闘』

 

 普通ならこの行状劇は第三幕で幕を下ろす予定だったが、どうも問屋はそうは下ろしてくれなかった。定年退職した職員を再任用する制度は平成25年度から始まった。これに関連し、28年2月1日施行で「再任用に関する規程」が定められ、退職時の職務給が7級(部長級)の場合、再任用時の職務級は4級以下(課長補佐級)とする―と改正された。さらに、29年3月28日付の「行政組織規則」改正に伴い、「理事」職の新設が可能となり、今年度から理事1人が起用された。新設理由には「上司の命を受け、特定事項についての調査、企画及び立案に参画する」とあり、行政課題が広範囲にわたる昨今、この種の職種の必要性はむしろ高まっていると言える。

 

 こうした前提に立ち、私は実際の処遇が「7級」のままであることについて、その理由をただした。担当部長は「職務の困難度等に応じてこれに寄り難いとして、市長が特に認めた場合は、この限りでない」(「規程」第5条の4)と定めた条項を説明したうえで、「これを適用した」と答えた。これで一件落着と思いきや、最後の質問者が登壇する直前に“場外乱闘”が勃発したのだった。当然のことながら、私はこの質問に際しても個人名を口にしてはいない。質問の趣旨が人事管理(ガバナンス)の全般にわたることであるからである。ところが―。

 

 「やあ、〇〇さん(新理事の名前)。こっちは規則に従って手続きを進めているだけだ。個人情報に関することにいちいち答弁する必要はないんだよ。質問する方も質問する方だ」―。遅れて議場に入ってきた上田市長が突然、大声でこうわめき散らした。正直に答弁した担当部長に対する叱責なのか、あるいは質問者の私に対する当てこすりなのか…。ひょっとして、上田市長にとっては降ってわいた”災難”だったのかもしれない。しかし、個人情報を守る立場にある行政トップが逆にそのことに無頓着であることに私はゾッとさせられた。休憩時間内だったとはいえ、この事態に議場内は一瞬、凍り付いたような雰囲気に包まれた。行状劇はこうして最初と最後に実に不可解な印象を残したまま、フィナ-レを迎えたのだった。当局側と議会側はある種の”共犯関係“にあるのではないか―。残念ながら、そんな疑念がますます深まったような思いにさせられた。そういえば、あの大震災直後、ある議員が傍聴席の被災者に向かって、「さっさと帰れ」と暴言を吐いたことがあった。そして、今回の市長の”暴言”騒動―何とも似た者同士ではないか。

 

 

●閉幕に当たって……

 

 「イ-ハト-ブ劇場」(花巻市議会)で演じられた戯作の一方の主役である私は不思議な感慨を覚えた。たとえば、二元代表制にからんだ「共稼ぎ」問題―。上田市長は「適材適所の人事配置で、男女共同参画の考えからも何ら問題は生じない」と答えた。この認識に異議を唱えるつもりはさらさらない。同時に私は総務大臣を務めた元鳥取県知事の片山善博さん(早稲田大学教授)の「二元代表制」についての言葉を思い出した。「『(車の)両輪』は車軸で繋がっているが、通常二つの『車輪』には適度な距離がある。ところが、現実の多くの(ほとんどの)自治体では、『両輪』の間にほとんど距離がない。ぴったりくっついている。両輪が癒着した『一輪車』である。」(『世界』2016年12月号)―。今回の質問はこの認識に背中を押された結果だったことに触れておきたい。「一輪車」とは?理想的な配偶者像というイメ-ジとして…。

 

 ここまで書いてきて、「フェイクニュ-ス」という言葉が不意に口元に浮かんだ。「虚偽ニュ-ス」という意味で、米国のトランプ大統領が連発して波紋を呼んでいる。この種の言説が世界を席巻(せっけん)しつつあるようだ。すでに言及したように「あったことをなかったことにする」というある種の詐術が横行する一方で、私の質問に対しては危うく「なかったことがあったこと」になるという逆さまが成立するところだった。そこに悪意がなかったとしても、上田市長の冒頭答弁に私自身が即座に反論できなかったことに、この言説の怖さが潜んでいる。「戦争は平和である」―。イギリス人作家、ジョ-ジ・オ-ウェルの小説『1984年』に掲げられた独裁国家のスロ-ガンが現実味を帯びて迫ってくる…。想像力の射程がそこまで伸びていきそうな攻防劇だった。自らを戒める教訓として、記憶にとどめておきたい。「忖度」(そんたく)と「排除」が飛び交った激動の年も間もなく、幕を閉じる。

 

 なお、私の一般質問は12月10日(日)午後2時から、コミュニティFMラジオ「エフエムワン」(78・7MHz)で放送される(再放送は12月23日午後2時から)。合わせてお聞きいただければ、議場の様子がさらに臨場感をもって伝わると思います。

 

《追記》

 同上の「エフエムワン」で質疑内容を改めて確認しようとしたが、放送時間の関係からか、インターネット中継では収録されていた、小原雅道議長の”留意”発言以降のやり取りがカットとされていた。

 

 

(写真はジリジリしながら、再質問の原稿をチェックする質問者、つまり私=12月6日午前10時過ぎ、花巻市議会議場の再質問席で)

 

 

 

 

2017.12.09:masuko:コメント(0):[議会報告]

12月定例会で”暴言”騒動―市長、ご乱心

  • 12月定例会で”暴言”騒動―市長、ご乱心

 神戸製鋼所や三菱マテリアル、東レなどの大企業で、製品デ-タの改ざん事件が相次ぎ、ガバナンスが地に落ちた感がある。この言葉は「コ-ポレ-トガバナンス」に語源を有し、直訳すれば「企業統治」を意味する。不祥事の続発を受け、最近では統治5原則として「コ-ポレ-トガバナンス・コ-ド」を定める企業も増えている。「株主の権利・平等性の確保」「株主以外のステ-クホルダ-(利害関係者)との適切な協働」「適切な情報開示と透明性の確保」「取締役会等の責務」「株主との対話」―の五つで、「株主」を「市民」に置き換えれば、そのまま「自治体ガバナンス」にも当てはまる。民間企業で法務を担当した経験のある上田東一市長に対し、この点をただす。私の一般質問は6日(水)午前10時から。登壇原稿は以下の通り。市議会のHPからインタ-ネット中継にも接続できます。傍聴をお待ちします。

 

 

 議席番号2番、無所属・無会派の増子義久です。今回の一般質問が上田市政下での最後になりますのでよろしくお願い申し上げます。さて、行政運営の基本原則は「コンプライアンス」と「ガバナンス」と言われています。コンプライアンス(法令遵守)についてはこれまで何度も取り上げてきた経緯がありますので、今回は行政統治のあるべき姿―「行政組織とガバナンス」に絞って、何点かお尋ねしたいと思います。最近、大企業による製品デ-タの改ざんなどの不祥事が相次ぎ、ガバナンスの危機が叫ばれています。しかし、この大原則は民間企業に限ったものではなく、地方自治の根幹を支える最低条件でもあります。

 

 上田市長は次期市長選への出馬も表明されていると伺っています。過去4年間の総括と次なるステップに向けた決意を含め、簡潔明瞭なる答弁をお願いします。4年前の市長選の公約として上田市長は「4つの基本姿勢」を挙げ、その4番目にこう記しています。「市職員に責任と権限を持たせ、職員の情熱を引き出し、能力を大いに活かします」―。この文章の中の「責任」「権限」「情熱」「能力」という言葉にガバナンスの要諦(ようてい)が凝縮されていると思います。この公約がどの程度実現したのか、あるいは実現されなかったのか、その原因はどこにあるのか―など以下の具体的な項目についてのご見解を伺いたいと思います。

 

●1点目は「人事評価制度導入の成果と定員適正化計画との整合性」―についてです。当市でも昨年度から、能力評価と業績評価による「人事評価制度」が運用されていますが、その成果が「職員の任用や人事配置」など定員適正化の面で実際にどのように活用されているのか伺います。

 

●2点目は「職員の再任用制度の運用と『理事』職の新設」―についてです。3月定例会閉会後に「行政組織規則」が改正され、新たに理事職が設けられました。これに伴い、本年4月から理事1名が起用されていますが、これは一般職の補完的役割を果たす「再任用制度」の一環なのでしょうか。 新設の理由とその任用基準をお尋ねします。

 

●3点目は「一般事務職採用試験に『チャレンジ枠』と『社会人枠』を新設した理由とその運用、現状及び評価」―についてです。この採用枠は岩手県では初めての試みと言われています。採用試験では筆記試験が免除されることになっていますが、いまこの時期にこうした採用枠を新たに設けた理由と「職員の能力を最大限に活かす」という公約との兼ね合いを含めて答弁をお願いします。

 

●4点目は「任期付職員の採用に関して、外部人材の活用の必要性と今後の見通し」―についてです。行政運営が多面化・多様化する中で、とくに専門知識が必要とされる仕事が増えていることがその背景にあると思います。この4年間で具体的にどの分野でその必要性が顕著になったのか―お伺いします。

 

●最後の5点目は「市役所での共稼ぎ職員に対する人事管理上の対応」―についてです。当然のことながら、職業選択の自由や婚姻の自由は憲法に定められた「基本的人権」であることは言うまでもありません。この大前提に立った上で、なおガバナンス上の配慮が必要な場合があるとすれば、それはどんなケ-スなのか―最後にお尋ねします。

 

 振り返ってみれば、私の一般質問はコンプライアンスや今回のガバナンスのように、行政運営の基本にかかわる案件に終始してきたように思います。最後の質問はできれば建設的な議論で終わりたいと思っていましたが、結局、それもかないませんでした。厳しい言い方をすれば、行政のインフラ整備がいまだしということかもしれません。質問する側としても内心、忸怩たるものがあります。しかし、市民の負託を受けた議員のこれも宿命だと考えています。以上で登壇しての質問を終わります。ご答弁のほどよろしくお願いします。

 

(写真は統治の重要性を訴える漫画。「自治体ガバナンス」という言葉があるように、これは民間企業に限ったことではない=インタ-ネット上に公開された写真から)

 

◎《急報》●

 本日(12月6日)の一般質問の質疑で、答弁に立った上田東一市長が質問権に露骨に介入したうえ、通告した「理事職」に関する質問について、議場内で「こっちは規則に従って手続きを進めているだけだ。個人情報に関することにいちいち答弁する必要はない。質問する方も質問する方だ」と大声で”暴言”を吐き散らす一幕があった。休憩時間内とはいえ、この事態に議場内は一時、凍り付いたように雰囲気になった。上田市長は現在、1期目で2期目への出馬を表明している。市長選挙は2018年1月28日に予定されている。なお、この日のハプニングについては、質疑の録音を精査したうえ、近く当ブログで詳しく報告したい。

 

 

 

2017.12.05:masuko:コメント(0):[議会報告]

東北のおんばたちと啄木

  • 東北のおんばたちと啄木

 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」(石川啄木)―。処女詩集『一握の砂』の冒頭に置かれたこの一首がおんばたちの口にかかると、こう化ける。「東海(ひんがす)の小島(こずま)の磯(えそ)の砂(すか)っぱで/おらァ 泣(な)ぎざぐって/蟹(がに)ど 戯(ざ)れっこしたぁ」。何度か口ずさんでいるうちに、大津波にさらわれた三陸海岸の情景が目の前にす~っと、浮かんでくるような、そんな気がした。壊滅的な被害を受けた大船渡市や陸前高田市などでは「ケセン語」と呼ばれる土地の言葉が日常的に話されてきた。その言葉を自在に操るおんば(おばあさん)たちによって、100首の啄木の歌が翻訳された。題して『東北おんば訳―石川啄木のうた』(新井高子編著)―。

 

 「石をもて追はるるごとく(石っこで ぼったぐられるみでァに)」―故郷を後にした啄木は「漂泊歌人」と呼ばれた。その一方で逆にそれゆえに「ふるさと」を再発見した「望郷歌人」でもあった。その心の一端をおんば訳で読んでみると―。

 

●「ふるさどの山(やま)さ向(む)がって/言(い)うごだァねァ/ふるさどの山(やま)ァ 貴(と-)でァなぁ」→「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」(原歌)

●「ふるさどの訛(なまり)ァ 懐(なづ)がすなぁ/停車場(て-さば)の 人(ひと)だがりン中(なが)さ/聴(き)ぎさいぐべぇ」→「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」。そして、いたたまれなくなって、汽車に飛び乗ってしまうと―。

●「汽車(きしゃ)の窓(まど)がら/遠(とお)ぐの北(きだ)さ ふるさどの山(やま)っこ見(め)ぇでくっと/シャギッとなるなぁ」→「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」

 

 埼玉大准教授で詩人の新井高子さん(51)は2014年から約2年間、大船渡市で被災者支援プロジェクトに携わり、仮設団地の「お茶っ会」からこの企画は生まれた。新井さんはこう書いている。「未曾有の地震と大津波。それを経験したおんばたちが、短歌をのぞき込み、『東海(ひんがす)の小島(こずま)の磯(えそ)の砂(すか)っぱで…』と読みくだけば、蟹と戯れる人間に、ふしぎな重みが宿るのではないか。壊れた建物、ひしゃげた船、打ち上げられた無数の靴も、うしろに浮かんでくるような。蟹の目には、親しかった人の面影が潜んでいるような…」

 

 明治29(1896)年5月、「明治三陸大津波」が三陸一帯を襲い、約2万2千人の命が奪われた。その8割が岩手県だった。4年後の盛岡中学3年の時、啄木は級友たちとこの現場を訪れている。「嗚呼惨哉海嘯(かいしょう)」と刻まれた石碑の前で啄木らは号泣したと伝えられる。奇しくも啄木と並ぶ詩人で童話作家の宮沢賢治は明治三陸大津波のその年に生まれ、「昭和三陸大津波」(昭和8年)の年に没している。10年ほどのずれがあったが、二人の天才は自然災害や冷害などの凶作に翻弄(ほんろう)された時代を生きた。「おんば語」とはその時代の記憶を宿した言霊(ことだま)なのかもしれない。

 

 「ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」(原文)―。賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記であるという、いわゆる「ヒドリ・ヒデリ」論争については、11月21日付当ブログ「賢治、慟哭!?…神話づくり(中)」で言及した。ここ数年、「宮沢賢治・花巻市民の会」の語り部グル-プがこの詩の花巻弁訳を試みている。ひょっとすると、これまでとは違った風景が詩の向こう側に見えてくるかもしれない。啄木のおんば訳を音読してみて、ふとそんな思いがした。

 

 「ヒデリノトキハ…」と口ずさんでみる。カッと照りつける太陽が頭上で燃えている。そんなたたずまいが目に浮かんだ。一方の「ヒドリ」説には日雇い給金(出稼ぎ)や田に水を引く日程を決める時期だという解釈が地元研究者の間にはある。「ヒドリノトキハ…」と今度は原文通りに口にしてみた。出稼ぎの悲哀、水争いの怒声…。気のせいか、窮乏に苦しむ農村の風景が目の前に去来するような気がした。「東西南北」という対偶詩法を装いながら、賢治はそ知らぬふりをして「ヒドリ」という土地の言葉をそっと滑り込ませ、万人を驚かせようとしたのではないか。そういえば、ユ-モアやトンチは二人に共通しており、なかんずく「アッ」と言わせる逆転話法はこの天才たちの得意技でもあった。

 

 新井さんはこうも書く。「おんばの声は、東北弁の豊かさとともに、いっそう根源的な『言葉のふしぎ』もわたしたちに教えてくれている。この島国に横たわる、言葉の深い地層が、ぽっかりのぞけているような…」―。以下に「ばあさんのせなか」と題した詩を転載する。作者は花巻市在住の詩人、照井良平さん。第26回国民文化祭・京都2011の「現代詩フェスティバル」一般の部で、文部科学大臣賞を受賞した。3・11後、生まれ育った陸前高田市で出会った「おんば」をモデルにケセン語で書き上げた。賢治は三陸海岸を思わせる渚(なぎさ)を「イーハトーヴォ海岸」と呼んだ。おんばの背中から「修羅の渚」が立ち上がってくるような、そんな詩である。最後におんば訳をもう一首…。

 

●「大海(おみ)さ向(む)がって たった一人(しとり)で/七(しぢ)、八日(はぢんち)/泣(な)ぐべど思(おも)って 家(ええ)ば出(で)てきたぁ」→「大海にむかひて一人/七八日(ななやうか)/泣きなむとすと家を出(い)でにき」

 

 

ばあさん

こごさすわって

なにしてんのす

なんだっでかんだって

こんてぁなツナミ

こねぁば なんねぁのす

おら なんにも

わりごど してねぁのにさぁ

いえのほがに

むすめとまごまで

さらっていがれでしまっただぁ

まあだ 見っかっていねぁのっす

いまごろ こんなさむどこ

どごで なんじょにしているがどおもど

むぜぁくてむぜぁくて

いでもたってもいらくなぐなっでさぁ

ほんで はまさきて

こうしてんのす

ほんなんで

がぁんすが

ひとりでいるど

いろんなごどおもってなぁす

せんだって

むすめがら としよりのメガネ

まごがら ツメぎりっこ

プレゼントってやつ もらってさぁ

おもしょがったなあす

それもツナミに

もっていがれでしまっただあ

ほんだがらえんす

がっかりしてしまってなぁす

それおもど はやぐはやぐ

むすめどまごんどごさ いぎであども

おりゃ いなぐなるどだれも

むすめどまごが見つがったどぎ

おがんであげるひとがいなぐなるがらさぁ

ほんでぁ むすめとまごが

むぜぁがらし

わがりぁんすか

このむねのながっこ

ほんだがら むすめどまごだじがら見える

こごんどこの たがいどこさきて

手をあわせ はやぐけぁってこう

おりゃいぎでるあいだにけぁってこうって

まいにち よんでんのす

いぎるって このとしになっても

ままになんねぁもんで

がぁんすなあ

はやぐ

あっだがぐなれば

よがぁんすなぁ

ばあさん

 

(写真はふるさとを思い続けた石川啄木=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

 

 

 

2017.12.01:masuko:コメント(0):[身辺報告]

賢治、慟哭!?…イ-ハト-ブはなまき(下)

  • 賢治、慟哭!?…イ-ハト-ブはなまき(下)

 復興支援をめぐる「騒動」のあおりを受け、思い出したくもない“悪夢”を思い出してしまった。これまた被災地(者)に背を向ける、あっと驚く出来事である。東日本大震災の直後の2011年6月に開かれた花巻市議会にある議案が上程された。中身を見て、眼をむいた。全国から寄せられた義援金が何と一般会計補正予算案に計上され、それが今度は被災者を受け入れた旅館やホテルに「補助金」名目で支給するという内容だった。受け入れ先には「災害救助法」に基づき食事代などの実費が支払われることになっていた。当時、着のみ着のままでふるさとを追われ、当地に避難した人は千人以上に達していた。この日、大槌町からの避難者などで傍聴席はあふれ、審議の行方を固唾(かたず)を飲んで見守っていた。

 

 「他人の善意を自分のポケットに入れるようもの。賢治精神が地に落ちたも同然ではないか」―。被災地を行ったり来たりしていた私は語気を強めてその真意をただした。この種の義援金は「歳計外現金」として、一般会計に繰り入れることは地方自治法で禁じられていた。「法的には瑕疵(かし)はない。受け入れ側も困っている。だから…」。のらりくらりと逃げの答弁を続ける当局側…。次の瞬間、眼を疑うような光景が議場内に広がった。

 

 「さっさと帰れ」―。革新を名乗る議員のひとりが傍聴席に向かって、暴言を投げつけた。「この花巻の地から出て行けということですか」、「私たちには帰るところはないんです」…。2階の傍聴席は騒然とした雰囲気に包まれた。その後の展開に今度は腰を抜かしてしまった。革新会派の議員が先導する形で「発言調査委員会」が設置された。「暴言を聞いたという被災者は複数いたが、発言者も特定できず、確証は得られなかった」という結論になり、矛先は逆に私自身に向けられた。「事実確認が難しい問題をことさらに取り上げ、議会の品位を傷つけた」という理由で、処分(戒告)を受けたのは約6ケ月後。当局側が法に抵触することを認めたのは何と8カ月もたってからだった。

 

 「内陸避難、見守り手薄/被災男性が孤独死」―。震災翌年の12月6日付の地元紙「岩手日報」に大見出しが躍った。大槌町から避難していた男性(当時49歳)が民間の借上げ住宅(みなし仮設)で死んでいるのが見つかったというニュ-スである。すでに1週間以上が経過していた。私は12月定例会の一般質問で、ひとり人暮らしの被災者に対する見回り強化を求めた。「いわゆる被災者の方にも市民と同様のサ-ビス提供を行っている。行政の公平性ということも考慮しなければならない」―。言葉に窮した私は「随分、あっけらかんとした答弁ですね」と応答するのが精一杯。つまり、こころが伝わって来なかったのである。この時、答弁に立った総務部長(当時)はその後「宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-」の事務局長に天下りした。今回、学会と地元愛好団体との折衝の窓口になった人である。推して知るべし…。

 

 花巻市は将来都市像のスロ-ガンに「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げ、個人名を冠した例としては全国で初めてと言われる「賢治まちづくり課」を設置している。賢治関連予算として毎年2億円以上が計上され、各種イベントや行事にも「イ-ハト-ブ」というカタカナ書きが目立つ。イ-ハト-ブ一色と言っても過言ではない。それだけに賢治の命日である「9・21」はとりわけ意義深い日である。

 

 85回忌に当たる今年の命日は晴天に恵まれ、夜空には銀河宇宙を思わせる星空が広がった。郊外の「雨ニモマケズ」詩碑の前で行われる恒例の「賢治祭」には外国人を含むファンが全国から集い、賢治作品の朗読や地元小中高生などによる野外劇、郷土芸能などを鑑賞した。この日はたまたま、9月定例会の最終日にぶつかっていた。「核兵器禁止条約」の署名・批准を求める請願書の採択に際し、私は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という人口に膾炙(かいしゃ)したあの一節を読み上げ、賛意を表した。採決の結果、請願は賛成14:反対10で採択された。ここまでは良かった。でも…。

 

 定例会最終日には当局と議会との間で“打ち上げ”を兼ねた懇親会が開かれるのが恒例となっている。ところが、今年は運が悪いことに賢治祭と重なってしまった。命日は変えることはできないが、懇親会の日程を変えるのには何の不都合もない。しかし、懇親会に名を借りた飲み会は予定通りに行われた。(9月21日付当ブログ「賢治の命日よそに、当局と議会が打ち上げ」参照)

 

 「私にとって、賢治さんとは」―。かがり火がたかれた詩碑の前では参加者が思い思いの「賢治像」を語り始めていた。「賢治さんに支えられて人生を生きてきた」、「目標を失った現代社会で必要とされているのはまさに、賢治精神ではないのか」…。校内放送でこの日のイベントを知り、隣の北上市から自転車を漕いで駆けつけたという高校3年生が息せき切って話した。「ぼく、賢治さんがやっぱり好きなんです」―。明けて翌22日、「宮沢賢治・花巻市民の会」が進めてきた「大槌の子どもたちを支援しよう」―という善意の企画は賢治学会の圧力でとん挫した。行政も議会も学会もしょせんは「体面」を保つことだけに汲々とする「同穴の貉(むじな)」…つまり、”賢治精神“とは対極に位置する存在であることを思い知らされた。

 

 冬枯れの空に「イ-ハ-ト-ブ」の旗がヒラヒラと舞っている。そのいずれもが見事なまでに色あせている。賢治の慟哭(どうこく)がまた聞こえてきた。

 

http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

(写真は傍聴席に詰めかけた内陸避難者=2011年6月23日、花巻市議会議場で)

2017.11.28:masuko:コメント(0):[身辺報告]

沖縄からの訴え…イ-ハト-ブからニライカナイへ

  • 沖縄からの訴え…イ-ハト-ブからニライカナイへ

 “ヒロジ節”は生(なま)で聞くに限る―。24,25の両日、北上市と盛岡市で開かれた講演会「沖縄の基地の実態と平和を願うわけ―辺野古・高江の新基地に非暴力で抗う」(「沖縄とつながる岩手の会」など主催)は会場を埋めた人たちの熱気に包まれていた。基地反対運動の最前線に立つ沖縄平和運動センタ-議長の山城博治さん(65)は講演の途中でふ~っと息をつき、こう話した。「東日本大震災の復興は道半ば。福島の原発事故で沖縄に避難してきた被災者の方も多い。こんな時に沖縄のことだけを訴えてもいいものか。不遜ではないか…」。このひと言に私は胸を突かれた。いつもそうなのだ。沖縄の苦難を語りながら、絶えずもうひとつの苦難にまなざしを向ける。この全(まった)き人間性が私たちを引き付けるのである。

 

 最初に出会ったのは昨年10月15日、オスプレイが離着陸する沖縄県東村高江のヘリパット建設現場―。“現場隊長”でもある山城さんは土砂降りの雨の中でマイクを握っていた。「何かひと言」と促された。隊長がかざしてくれた傘の下で、私は宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節を口にしながら、連帯の気持ちを伝えた。隊長の目が少し、うるんでいるように見えた。山城さんが微罪で不当逮捕されたのはその2日後の17日のことである。155日間の長期勾留の末、今年3月18日に保釈された。その後4月末、沖縄県・石垣島で上映された映画「標的の島―風(かじ)かたか」(三上智恵監督)でのト-クでも話を聞く機会に恵まれた。そして、今回は3度目…唄あり、ジェスチャ-あり。ユ-モアたっぷりの話しっぷりにはさらに磨きがかかっていた。

 

 「つたない英語で基地内の米兵に話しかけると、中には涙をためる兵士もいる。海兵隊の最前線に派遣されるのは米国でも最下層の人たち。だから、心の中では沖縄の現状に理解を示すのかもしれない。いっそのこと、みんなで英語をしっかり勉強し、基地の外と内との連帯運動を盛り上げようか、と」、「本土からやってくる機動隊員は明らかに地元沖縄県警の動きも監視している。ウチナンチュ(沖縄人)同士の分断を図ろうとしているのは見え見え。彼らの気持ちを思うといたたまれない。でも、心はひとつという思いは変わらない」、「保釈はされたものの接見制限が厳しいため、逮捕現場など反対運動の拠点に近づくことは許されない。今回の講演のような場合も、行き先や主催団体などを事前に裁判所に届けなくてはならない。でも、国のお墨付きでこうやって全国行脚ができるんだから」…

 

 山城講演会が開かれたこの日、昨年4月にうるま市で発生した女性暴行殺人事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元海兵隊員(当時軍属)だった被告(33)の裁判員裁判論告求刑公判が那覇地裁で開かれた。検察側は身勝手で残酷な犯行などとして無期懲役を求刑、判決は12月1日に予定されている。一方、山城さんらの裁判は12月4日に論告求刑、同月20日の被告最終弁論のあと、来年3月14日に判決言い渡しという段取りになっている。

 

  一方で、北朝鮮のミサイル発射や尖閣諸島をめぐる脅威論の高まりの中、与那国島や宮古島、石垣島などの先島地方で自衛隊によるミサイル配備計画が急ピッチで進んでいる。「標的の島ー風かたか」はそんな実態に迫った映画である。山城さんが唇をかみしめるようにして言った。「本島を含めた沖縄全体が要塞化されようとしている。”有事”はいつの時代でも権力によって作り出される。高江や辺野古での基地増強の動きも先島から県民の目をそらすためのダミ-ではないかとさえ思う時もある。2度と捨て石になることは許されない」。5日前の今月19日、酒を飲んだ米兵が運転するトラックに衝突され、軽トラックの男性(61)が死亡した。「基地あるゆえの犯罪や事故」―。「(日米)地位協定にがんじがらめにされ、憲法が届かない南の島のこれが実態なのです。逮捕者はすでに80人を超えています」

 

  「沖縄の未来は/沖縄が開く 戦(いくさ)世を拒み/平和に生きるため 今こそ、立ち上がろう/今こそ、奮い立とう」…。“ヒロジ節”の最後はいつも唄で締めくくられる。加藤登紀子の「美しき五月のパリ」を拝借した自作の「沖縄 今こそ立ち上がろう」が会場に響き渡った。唱和する声が広がっていった。それにしても、この人はどうしてこんなにも大きな心を持つことができるのだろうか。ふと、そう思った。「ウチナンチュは非武の民と言われてきた。長い受難の歴史を非暴力で戦い続けてきた自負がある。そんな時、不思議なことに希望が向こうから近づいてくるんです」と話し、「たとえば…」とこんなエピソ-ドを披露した。

 

 沖縄最大手の土建会社「金秀グル-プ」のトップが「基地建設に手を貸すのはまっぴらだが、基地の解体作業は一手に引き受ける」と宣言した。そうしたら、リゾ-ト開発最大手「かりゆしグル-プ」のトップが「そのあとはオレに任せてくれや。観光こそが平和産業だ」と応じた。ニコニコしながら、山城さんが語気を強めた。「これが希望なんです。希望があるからやれるんです」。私はこの話を聞きながら、足元で起きている「騒動」を思い出していた。復興支援を呼びかける地元の賢治愛好家グループに対し、その善意を妨害する「宮沢賢治学会」とは!?…。賢治は夢の国や理想郷を「イ-ハト-ブ」という言葉に託した。「南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」(「雨ニモマケズ」)―。そう詠われた南の島―沖縄は”桃源郷”という意味を込めて「ニライカナイ」と呼ばれる。

 

 「レンタカーで通り過ぎる時、ちょっとだけ窓を開け手を振ってくれるだけで嬉しいんです。ぜひ一度、米軍基地の現場に足を運んでください。南と北がこれからもずっとつながっていけるように」ー。イ-ハト-ブからニライカナイへ…。私たちは今まさに、その道行きに一歩を踏み出すべき時なのかもしれない。

 

(写真は沖縄の実態を伝える地元紙を手に講演する山城さん。紙面には根も葉もない沖縄批判を繰り広げる作家、百田尚樹さんの記事が載っている=24日午後、北上市本石町の日本現代詩歌文学館で)

 

 

 

《追記》~25日付「毎日新聞」(電子版)

 ドイツ・ベルリンに本部を置く国際平和団体「国際平和ビュ-ロ-」(IPB)は24日、スペイン・バルセロナで今年のショ-ン・マクブライド平和賞の授賞式を行い、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する政党や団体でつくる「オ-ル沖縄会議」に授与した。同会議の高里鈴代共同代表(77)がメダルを受け取った。

 

 IPBはオ-ル沖縄会議の活動を長年にわたり米軍基地に反対し続けてきた「不撓不屈(ふとうふくつ)の非暴力闘争」と称賛し、満場一致で授賞を決めたとした。普天間飛行場については「世界で最も危険な軍事基地の一つだ」と指摘した。 高里さんは英語でスピーチし、米軍機の事故が繰り返されるなどしてきた歴史を紹介。今回の受賞で「世界中のより多くの人々が沖縄の現状を知るようになることを願う」と訴えた。高里さんと共に式に出席した同会議の安次富浩さん(71)は「われわれの草の根運動が国際的に注目されたことは、これからの沖縄にプラスになるのではないか」と話した。

 

 IPBはマクブライド平和賞をオール沖縄会議のほか、核軍縮や平和活動に尽力したとして、米言語学者ノーム・チョムスキー氏と英政治家ジェレミー・コービン氏にも授与した。 同賞はアイルランドの外相を務めた故ショーン・マクブライド氏の功績をたたえ、1992年に創設。平和や軍縮などの分野で活躍した個人・団体に贈られる。2003年に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が、06年には平和市長会議(現・平和首長会議)が受賞した。(共同)

 

 

2017.11.25:masuko:コメント(0):[身辺報告]
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