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閑話休題…「マスコビッチ」は健在ナリ!!??

  • 閑話休題…「マスコビッチ」は健在ナリ!!??

 

 

 「現代女性文化研究所ニュース」なる機関誌が送られてきた。昨年夏に出版した拙著『男やもめの七転び八起き―イーハトーブ敗残記』(論創社刊)の書評が載っていた。筆者は朝日新聞の後輩記者の木村英昭さん(56)。九州や北海道で取材を共にした“同志”である。地べたを這うような取材には定評があった。その姿勢が福島原発事故の際の、いわゆる「吉田調書」のスクープにつながった。

 

 当時、第一原発の所長だった故吉田昌郎氏が政府事故調の調べに答えた「聴取結果書」で、非公開とされていた。余りにも衝撃的な内容だったため、政府筋や右派メディアなどから陰に陽にバッシングが浴びせられた結果、朝日新聞はこともあろうに当該記事を取り消すという前代未聞の醜態を演じた。「ジャーナリズムは死んだ」と私はその時に思った。木村さんは退社し、会社を相手取って、名誉棄損の訴えを起こしたが敗訴した。いまはフリーライターとして、健筆を振るっている。

 

 同じ新聞社の記者である青木美希さんの『なぜ日本は原発を止められないのか?』(文春新書刊)について、会社側は自社からの出版を不承認にした(2023年11月17日付当ブログ「抗(あらが)うということ」参照)。「個」としての記者を認めないという“翼賛”化はすでに木村さんの記事「取り消し」事件の時から始まっていたのである、久しぶりに声を聞いた。「しばらく日本を脱出し、アフリカにでも行こうかと」―。反骨精神は健在だった。私事にわたることだが、気持ちを読み取ってくれたことが嬉しくなったので、以下に紹介させていただく。メディアの腐敗を身をもって体験した人ならではの文章である。

 

 

 自称・叛逆老人の著者とは縁がある。ルポのうまい人で、その文体は増子節と呼ばれた。同じ新聞社時代には感化されたものだ。不義理をしていた。別の記事で書いた主人公が同じ“増子”だったので、「マスコビッチ(著者の愛称)は元気かなあ」と思い、連絡した。すぐにこの本が送られてきた。

 

 身辺雑記かな?ページをめくる。苦労をかけたであろう妻の死を契機に、マスコビッチは旅立つ。三池、沖縄、夕張、根室。記者時代の足跡をたどる旅には、マスコビッチに塗り込められたアイヌ民族と宮沢賢治の思想が折り重なる。そして、再挑戦した22年の花巻市議選での惨敗記で筆は置かれる―。

 

 増子節健在ナリ。こりゃあ「人生のルポ」だわ。マスコビッチは「俺の遺言状」とうそぶくが、一丁前の文章も書けるようになったと自負していた小生にとっては不敵な挑戦状ともなった。「お前にこれが書けるか」と。叛逆こそ生のエンジンだった。これを一年の計としよう。

 

 

 

 

(写真は拙著『男やもめの七転び八起き』)

 

「事業費比較」調査の怪(中)…“信用”珍論争の果てに!!??~そして、今宵は満月

  • 「事業費比較」調査の怪(中)…“信用”珍論争の果てに!!??~そして、今宵は満月

 

 「これはもう、信用できるかどうかの問題だと思う。どうか、信用していただきたい」、「まったく、信用しております。これまで何回聞いてもストンと落ちないから、質問しているんです」(令和5年12月4日)ー。花巻市議会12月定例会の一般質問で、「信用するしない」をめぐっての珍論争が繰り広げられた。政策論争ならいざ知らず、二元代表制の双方が互いに不信感をぶつけ合う光景に「図書館」問題の根深い対立の構図を見せつけられた思いがした。

 

 「今回の事業費比較の資料を見ると、まるで駅前立地に踏み込んだ、その整備を前提とした調査のように受け止められかねない。例えば現況整理とあるが、今さら何を整理するのか。まず、立地場所を決めてから詳細な調査をやるべきではないか。高校生を含む若者世代が駅前立地を希望しているというが、だとするなら例えば、きちんとした数値の裏付けがある科学的な根拠を示すべきだ」―。質問に立った伊藤盛幸議員(緑の風)は一見、公平性が担保されているように見える「比較」調査の意図に疑念を抱いているようだった。私もそう感じた。

 

 上田東一市長は色をなして、猛然と反論した。「(議員が)どうして勘違いしてるのかまったく、理解できない。分からない。今回は駅前だけでなく、病院跡地も同時にやることになっている。比較調査することのどこが悪いのか」―。身振り手振りの過剰反応に私は逆に「本音」がポトリとこぼれ落ちたなと思った。そして、新しい年を迎えた今月15日、指名業者11社による「指名競争」入札が行われた。大日本ダイヤコンサルタント(株)盛岡事務所が落札し、12,518千円で契約したことについてはすでに触れた(22日付当ブログ参照)

 

 HP上に公開された入札情報によると、発注者の市側が設定した上限の「予定価格」(税抜き)は14,270千円で、下限の「最低制限価格」(同)は11,338,900円。この価格設定の枠内で、最低制限価格に一番近い額で落札した業者が契約者となる仕組みになっている。3社が入札参加を辞退したため、残り8社による応札が行われた結果、予定価格超過などで失格した2社を除いた6社による競争になった。大日本ダイヤコンサルタントの落札額は「11,380千円」(落札率79・7%)で、最低制限価格との差額は「41,100円」。一番低いこの入札額で落札が決まった。一方、残り5社の差額は約172万円(落札率91・5%)から約270万円(同98・3%)と最低制限価格と大きな開きがあった。

 

 今回の比較調査の業務委託については、昨年12月の市議会定例会で、17,996千円が予算を計上されており、今回の予定価格(税込み)と2,299千円の差が生じている。落札した大日本ダイヤコンサルタントが「JRTT鉄道・運輸機構」の有資格業者であることも絡み、ナゾは深まるばかりである。

 

 

 

 

(写真は新図書館の立地場所として、市が第1候補地に挙げるスポーツ用品店用地。鉄道線路と背中合わせの位置にある=花巻市大通り1丁目で)

 

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

  署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。

 

 https://oimonosenaka.com/

 

 

 

 

「事業費比較」調査の怪(上)…委託業者の公平性に疑念も!!??

  • 「事業費比較」調査の怪(上)…委託業者の公平性に疑念も!!??

 

 「駅前か病院跡地か」で揺れる新花巻図書館の立地場所について、その事業費などの比較調査を委託する業者の入札結果がHP上で公開された。それによると、落札したのは大手コンサルタント会社の「大日本ダイヤコンサルタント」(本社・東京)盛岡事務所。落札(契約)額は12,518千円で、市側が予算計上した額17,996千円を約550万円近く下回った。今回の入札について、上田東一市長は「図書館などの公共施設の基本計画策定業務に豊富な実績を有するコンサルタント、概ね実績上位10社程度による入札を予定している」と話していた(令和5年12月20開催の定例記者会見)

 

 落札した同社はJR各社の鉄道事業などを請け負う独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JRTT鉄道・運輸機構、前身は鉄建公団)の有資格業者の名簿にリストアップされている。HPによると、設立は1963年1月で、活断層の調査を手がけるなど地質や地層の調査・解析に実績があるという。履行(工事)期間は今年1月19日から10月15日までとなっている。市側によると、この間、土地利用計画や建物のイメージ図などの調査・作成をし、その後に市民説明会を開催した上で最終的な立地場所を決定するとしている。

 

 今回の委託調査は「立地候補地の事業費比較がない以上、選びようがないという市民の声があった」(市側の説明)ことがきっかけとされる。これを受け、市議会12月定例会で「比較調査」の委託費として、約1800万円が賛成多数で可決された。事業費の中で注目されるのが立地場所の土地代金。旧総合花巻病院跡地については同病院が移転・新築した後で市側が買い取るという「土地譲渡協定書」(平成29年3月6日付)が双方で交わされている。一方、市側が第1候補地に挙げる花巻駅前のJR用地(スポーツ用品店用地)は新規の土地取得になるため、「税金のムダ使い(二重払い)ではないか」という批判が市民の間に強まっていた。

 

 JR側はすでに駅前所有地の譲渡価格を「1億3千万円」程度と提示しているが、一方の病院跡地については「3億円」余りとされるものの、まだ正式な譲渡契約は交わされていない。こんな“見切り発車”のような今回の入札について、ある市民はこう話す。「そもそも、市有地化がすでに決まっている物件とこれから新規取得をするそれとを比較調査すること自体に合理性や正当性はない。さらに、今回落札した業者はJR側に近い立場にあり、出来レースと疑われても仕方がない。果たして、比較調査の公平性は担保できるのか」と不信感をあらわにしている。

 

 一方、同じJRTT鉄道・運輸機構の工事部門の有資格業者名簿の中には地元花巻の11社が登録されている。その一社の代表取締役は「外部有識者」(公益財団法人「花巻国際交流協会」理事長)として、新花巻図書館整備基本計画試案検討会議の委員に名を連ねている。その発言を以下に記す。検討会議のこうした意向を受ける形で、市側は「駅前立地」へ舵を切った。

 

 「もし可能なのであればスポーツ用品店敷地を市有地にして、図書館を建てるというのが駅前案の中でも最も望ましい方向だということを私は主張させていただいているのに対して、皆さん特段の異論もなかったので、駅前案の中の第一案としてスポーツ用品店敷地にするというのは、議論の中では極めて全うで皆さん理解をしていただける内容で議論をしてきたのではないかなと私は思っておりまして」(令和4年9月20日開催の第12回検討会議の会議録から)

 

 今回の事業費比較の調査を含め、「駅前立地」に向けた布石が着々と進められてきた形跡が読み取れる。一方で、病院跡地への立地を求める市民の声も次第に大きくなっており、“立地”論争の行方から目が離せなくなってきた。

 

 

 

 

 

(写真は2024年元旦の早池峰山。この霊峰を遠望する病院跡地への立地を望む市民が日ごとに増えている=花巻市内の北上川河畔から)

 

 

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

  署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。

 

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繋がる、つながる、どんどん繋がる…本の”縁結び”!!??

  • 繋がる、つながる、どんどん繋がる…本の”縁結び”!!??

 

 突然で失礼します。私は埼玉県の所沢市に在住している写真家の飯島幸永と申します。突然ですが、御著「東京湾が死んだ日」を探しています。ネットでは品切れとなってまして、増子様のお手元に在庫があるか、と思いまして失礼とは思いましたがメールしました。

 

 実は私は昭和50年代に内房を撮影してまして、変貌する風景と海を放棄し労働者として働く漁民や海苔で生計立てる生活者や埋立の様子など写真に収めていました。まだ分かりませんが、「失われた時代」(仮題)と題し写真展を考えています。今日、本千葉にある県立図書館で8冊ばかり当時の関係本を見せてもらいデータをコピーしてきました。その中に御著がありましたので是非拝読させていただき、当時の全体像を把握したいと思っています。お忙しいところ恐縮ですが、ご一報頂けましたら幸いです。突然で失礼いたしました。

 

 

 新年早々の1月10日、上掲のメールが突然、届いた。現役記者時代、私は東京湾の盛衰を『東京湾が死んだ日―ルポ 京葉臨海コンビナート開発史』(2005年9月、水曜社刊)と題して、出版した。本棚の奥を探したら、2冊出てきた、不知の方だったが、「お役に立つなら、1冊贈呈します」と返信した。折り返し「貴重の本なので、買わせてください」とのメール。私は本を郵送する際、一筆添えた。「代わりにと言ったら、失礼になりますが、私たちはいま、宮沢賢治をメーンにした新図書館建設の署名運動をしています。よろしかったら、ご協力を…」

 

 「昨日御著を拝受いたしました。早々にご親切なご配慮に心より感謝申し上げます。大変参考になります。ありがとうございました。同封されていた署名運動に是非ご協力させていただきます。僭越ですが、友人にも声かけてみようと思いますので少し時間をください。後日拙著でございますが、小生の写真集を出版社より送らせていただきます。ご笑覧下さい」―。飯島さんから5日後にこんな返信が寄せられた。そして、3日後の18日、ズシリと重い写真集が宅配便で届いた。

 

 『寒流―飯島幸永写真集 津軽のおんな/越後・雪下有情』(2012年10月、彩流社刊)―。飯島さんは帯にこう記していた。「二つの雪国で、私が目の当りにし、かつ体感した世界は、紛れもなく風土を生き抜く人々の、渾身の姿である。人々があらわす喜怒哀楽は、支え合って生きるための、崇高な郷土愛と家族愛であり、幾世代へと続く、人の絆ではなかろうか」―。私は「津軽の方言詩人、高木恭三さん(故人)の詩と重ね合わせながら、拝見させていただきます」とお礼の返信をした。わずか、1週間余りで繋がった「絆」(きずな)の妙に胸が熱くなった。

 

 実は飯島さんから最初の連絡があったその日、もう一人の珍客がひょっこりと現れた。『炭坑美人―闇を灯す女たち』(築地書館刊)と題する写真集を出している写真家の田島雅巳さんで、20数年ぶりの再会だった。彼はいま、福島原発の放射能被ばくを受けた阿武隈山ろくで、うるしの木の植樹プロジェクトを続けている。「おれが死んでも、木は生き続ける。署名はもちろん、OK」と言い残して、また被ばく地に戻っていった。まるで、申し合わせたような二つの邂逅(かいこう)に私はかすかな「希望」の光を見たような気がした。

 

 それにしても、縁(えにし)って、本当に不思議!?繋がる、つながる、どんどん繋がる。離れても離れても、どんどん繋がる……

 

 

 

(写真は飯島さんから送られてきた写真集『寒流』)

 

 

 

 

 

<署名延長のお知らせ>

 

 

 新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)

 

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吹き飛んだ“行ッテ”精神…能登支援のうしろ向きに批判の声が続出!!??~阪神・淡路大震災から29年

  • 吹き飛んだ“行ッテ”精神…能登支援のうしろ向きに批判の声が続出!!??~阪神・淡路大震災から29年

 

 「災害の現場も見ず、被災者の声も聞かずにどうやって救済できるのか。独断で現地に入った国会議員を批判するなど本末転倒。最低限の随行人数で現地の悲鳴を最大限受け止めてきてよね。首相なら」(1月10日付「東京新聞」本音のコラム)―。歯に衣着せない文芸評論家の斎藤美奈子さんが能登半島地震をめぐる与野党の「視察自粛」申し合わせやれいわ新選組の山本太郎代表に対するバッシングという“狂態”ぶりを痛烈に批判しているが、当市花巻でも日本赤十字社が募集する義援金の窓口を設置しただけで、被災地に寄り添った具体的な支援の動きはいまだに見えてこない。

 

 東日本大震災(3・11)の被災自治体である大船渡市ではいち早く、ふるさと納税による「代理寄付」の受付を始めた。被災地の輪島、七尾両市へのふるさとの納税の受け入れ事務を代行するほか、公営住宅の提供(10戸程度)、被災児童の受け入れ(小学生70人、中学生30人程度)、介護チームの派遣などの支援を打ち出した。「3・11の際の支援を忘れることはできない。壊滅的な被害を受けた自治体のお手伝いを少しでもできれば…」と担当者。また、盛岡市でも給水車の派遣を第6次まで継続派遣する方針を決めたほか、県も約260戸の公営住宅などを2次避難先として、確保したことを明らかにした。

 

 「早池峰の風薫る/安らぎと活力にみちた/イ-ハト-ブはなまき」―。当市は将来都市像として、こんなスロ-ガンを掲げている。宮沢賢治が「理想郷」と名づけた、そのイ-ハト-ブへのふるさとの納税の寄付額は令和3年度で約44億円。自治体別ふるさと納税寄付額のベスト100(同年度)の中で、全国24位のランクにあり、東北でトップの寄付額である。ちなみに、今年度の寄付額は現時点で総額90億円(見込み)という巨額にのぼっている。「こんなに潤沢なお金があるなら、こんな時こそ被災地支援に生かすべきではないか」という声があちこちから聞こえてくる。

 

 「温泉に一緒に浸かって背中を流してあげたい。暖かいみそ汁とご飯を口元に運んであげたい。何をやるべきか、何をやらなければならないか―。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。試されているのはわたしたち自身の側なのです」(趣意書から)―。「3・11」の4日後、私たち有志は支援組織「いわてゆいっこ花巻」を立ち上げた。髪も爪も伸び放題の被災者たちがうめくように言った。「あんたのところは東北有数温泉地。風呂さ入れてけねべが」

 

 「日帰り入浴」支援はこのひと言でスタートした。温泉経営者が千人風呂と厨房、大型バスを無料で提供してくれた。行く手を阻むがれきを手で押しのけながら、バスは被災地へと向かった。女性ボランティアは被災者の性別、年齢、サイズごとに真新し下着を準備し、厨房では手料理に腕を振るった。震災2週間後、大槌や陸前高田、大船渡などの被災地から数百人が湯船で歓声を上げた。「生き返った」…心からのこの言葉がまだ、耳底に残っている。私たちはあの時、賢治の詩「雨ニモマケズ」に背中を押されたのだったのかもしれない。受難者に寄り添おうというこの「行ッテ」精神はいま、いずこに…

 

 

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ……

 

 

 

(写真は真新しい下着を被災者に手渡す女性ボランティア=2011年3月中旬、花巻市の志戸平温泉で)

 

 

 

 

《追記-1》~がれきをかき分けて進むバスと車中の光景、そして、「いい、湯だな」(コメント欄に写真)

 

 「3・11」の際は震災直後から、“生きている”道路を辿って、何とか沿岸被災地に行き着くことができた。今回の地震は半島という地理的条件がネックになり、支援の手が届きにくくなっている。一刻も早いホテルや温泉地などへの「広域避難」が望まれる。

 

 

 

《追記―2》~「雨風太陽」が炊き出し支援プロジェクト

 

 産直アプリ「ポケットマルシェ」の運営などを手がける(株)「雨風太陽」(あめかぜたいよう=本社・花巻市)が能登半島地震の直後に被災地入りをし、仲間たちと炊き出し支援プロジェクトを立ち上げた。産直アプリに登録する全国の生産者から食材を提供してもらい、産地直送の食材を使った料理を提供する。代表の高橋博之さんは「いわてゆいっこ花巻」の呼びかけ人の一人である。

 

 

 

《追記ー3》~岸田首相が被災地へ。歴代首相でラストランナー

 

 岸田首相が14日午後、能登半島地震で壊滅的な被害を受けた石川県の輪島市と珠洲市を2週間ぶりに視察した。ちなみに、歴代首相の被災地視察では一番遅い。一方、当市でも13日、被災地である石川県白山市、内灘町に生理用品や紙おむつ、携帯トイレなど、15日にはアルファ化米(災害用非常食)やブルーシートなどを輸送した。後だしジャンケンでも良し、これからも支援の継続を。

 

・阪神・淡路大震災(1995年1月17日)~村山富市首相:2日後

・新潟中越地震(2004年10月23日)~小泉純一郎首相:3日後

・東日本大震災(2011年3月11日)~菅直人首相:翌日

・熊本地震(2016年4月14日)~安倍晋三首相:予定の16日に大きな余震があっため、9日後

(斎藤さんの「本音のコラム」より)

 

 

《追記―4》~阪神・淡路大震災とシリコロカムイ

 

 

 29年前も新しい年明けの決意をへし折るような大災厄だった。能登半島の無残な光景がそれに重なった。被災地に入った際のもうひとつ光景が目に焼き付いている。倒壊した家屋を支えていたのは街路樹の木々たちだった。当時、私は以下のような原稿を現地から送った。忘れられない記事のひとつである。

 

 現地ルポのために西宮市に入った私は倒壊した建物群にではなく、その倒壊を防ぐように家々を支えている街路樹の並木に目を奪われた。被災者たちは公園の中の巨木に下に身を寄せ合っていた。足元には地中深くまるでタコの足のように太い根が張り巡らされていた。「木はただ、地面に突っ立っているんじゃない。逆に地面を下から支え持っているのさ」―。ふと唐突に、アイヌのフチ(おばあさん)の言葉を思い出した。樹木のことをアイヌ語で「シリ(大地を)・コロ(持つ)・カムイ(神)」という。「逆立ちしてごらん。そうすれば、あんたも木の神様になれるっていうわけさ」とフチはその時、自然を畏敬(いけい)する大切さをそう語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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