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霊魂との交信、そして人心の荒廃とは…

  • 霊魂との交信、そして人心の荒廃とは…

 

 「3人が道に迷ったら困る。だから被災した元の場所に家を建てなければ…」―。東日本大震災で母親と妻、一人娘の3人が行方不明になっている白銀照男さん(69)がほぼ全滅した大槌町安渡に約7年ぶりに自宅を再建した。白壁の瀟洒(しょうしゃ)な2階建て。玄関を入ってすぐの6畳間が仏間と照さんの居間兼寝室で、震災の1年前に亡くなった父親と「3・11」以降、行方の分からない3人の”遺影”が飾ってある。母親のキノエさん(当時84)と妻のはち子さん(55)、長女の美由紀さん(34)の亡骸(なきがら)はまだ見つかっていない。

 

 「不思議なことにあの時以来、3人が夢に出なくなった。どうしてなのか…」と照さんがつぶやいた。「あの時」とは震災から約1年後、枕元の携帯電話の振動音が「ブルッ、ブルッ」と響いた。「お父さん」という妻の声。「お前、今どこにいるんだ」と聞くと、「安渡橋のたもとにいる。お母さんも美由紀も一緒よ」と言ったきり、プツンと切れた。着信履歴にその形跡はなかった。昨年秋、名古屋に住む妻の姉から電話があった。「妹が夢枕に立ってね、もうすぐ家ができるって喜んでいたよ」―。照さんはふ~っとため息をついた。「オレを苦しめたくないので姉の夢に出たのかも…。でもこれで迷子にならなくて済む。良かった」。

 

 照さんは震災の約4ケ月後、3人の死亡届を提出した。しかし、墓石には戒名を刻んでいない。この7年間、3人からのサインみたいな出来事が相次いだ。ある時、父親の供養のために買い求めた回り灯篭が流失した家の前にすっくと立っていた。中のお釈迦さんを見て腰を抜かしそうになった。「何もかもが流されてしまったのに…。誰かが見つけて組み立ててくれたのかもしれないが、それにしても…」。その数か月後、今度は車を運転して避難所に帰る途中、一匹のカメが前を横切るのに気が付いた。水槽を買い求めて餌を与え続けた。「灯篭が現れたと思ったら、次は長寿のシンボルのカメの出現。まるで生と死の間を行ったり来たり。3人の霊魂との交信だったのかもしれない」。照さんはそう思っている。

 

 震災当時、美由紀さんは母親と一緒に寝たきりの祖母の看病に当たっていた。近所の人が「一緒に逃げよう」と声をかけた。なのに、美由紀さんはただ笑っていただけだったと後で聞いた。「病身のおばあちゃんを置き去りにするのが忍びなかったんでしょうか」。照さんはこう言って言葉を継いだ。「だから、骨のひとかけらが見つかるまでは3人はまだ、生きているんです」

 

 当時の町長ら40人が犠牲になった建物を「震災遺構」として残すべきか、解体すべきか―。町民の議論が二分されていた旧大槌町役場庁舎の解体が町議会で決まった。照さんはある光景が目に焼き付いて離れない。観光客の一団が多くの命を飲み込んだ旧庁舎をバックにVサインしながら、写真に納まっていた。「3人がまだ行方不明なのに…。世間ではもう記念写真の対象だと思うとショックだった」と照さんは悲劇の現場に立ちながら、うめくように言った。この日(3月27日)、「森友」問題にかかわる証人喚問が行われた。「福島出身、東大経済学卒業」―。証人の佐川宣寿・前国税庁長官(前財務相理財局長)のプロフィールについて、テレビ画面は時折、こんな表示を流した。テレビ局の意図は分らなかったが、ふと、公文書の改ざんという問題の核心よりも人心の荒廃ということを考えさせられた。

 

 ふるさと・福島の原発事故の悲惨をこの人はどう心に刻んでいるのだろうか―。Vサインの記念撮影に心を痛めた照さんの表情を思い出しながら、忖度(そんたく)の裏にひそむ、底知れない自己保身(エゴイズム)…他人どころか、我が生まれ故郷の痛みもどこ吹く風― 「刑事訴追」を理由に何と56回も証言を拒否した、この人とこの国の闇(やみ)の深さを見せつけられた思いがした

 

(写真は解体が決まった旧役場庁舎の前に立つ白銀照男さん。お地蔵さんの頭巾も色あせている=3月25日、大槌町で)

2018.03.27:masuko:コメント(0):[身辺報告]

春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

  • 春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

 

 「一個の妖怪がヨ-ロッパを徘徊している――共産主義の妖怪が…」―。『共産党宣言』(序文)にならって言えば、「一個の(忖度という名の)妖怪が日本全国を徘徊している――全体主義の妖怪が…」とでもなろうか。しかもまるでパンデミック(感染爆発)みたいに…。官庁の中の官庁と言われる財務省の公文書「改ざん」事件が朝日新聞のスク-プによって、その氷山の一角が明らかにされつつある。かつて、同じ職場に身を置いた一人として、後輩たちの頑張りに敬意を表しつつ、足元への感染度合を検証するために一計を案じてみた。突破口は議員にとっての生命線―「質問権」である。花巻市議会3月定例会の予算特別委員会で繰り出した質問は全部で25項目。その質疑応答の中から垣間見えてきたのは、地方自治の大原則である「二元代表制」が無惨にも崩壊しつつある姿だった。「イ-ハト-ブ劇場」は3月22日、閉幕した。

 

 

【第一幕】~「酒気帯び運転もご心配なく!?」

 

 花巻市は総務省が提唱する「地域おこし協力隊」の活用に積極的に取り組んできた。現在の隊員は10人で、ぶどう農家の支援(大迫町)などで大きな成果を上げている。応募条件の中で目を引くのが隊員に対する公用車の貸与。他の自治体でも同じような制度を導入しているが、当市の特長は私用に利用することも認めていることである。これに関連し、上田東一市長は同僚議員の一般質問にこう答弁した。「事故についても酒気帯び運転なども含めてすべて(市が加入する保険で)カバ-するので、ご心配はいらない」。一瞬、耳を疑った。言葉は政治家の命である。口にするのも憚(はばか)られるというのはこんな類(たぐい)の発言を指す。

 

 予算特別委員会(照井省三委員長=社民党系「平和環境社民クラブ」所属)に場を移したのを受け、私は問うた。「あえて酒気帯び運転に触れた真意がわからない。政治家として不適切な発言だと思う。撤回する用意はないか」―。撤回に応じる素振りを見せない上田市長に代わって、逆に私の質問を封じたのは照井委員長の方だった。いわく―「ここは予算審議の場。撤回を求めるのはふさわしくない」。予算執行の最高責任者の言質を問うた意味がこの委員長にはどうも理解できないらしい。私はすかさず挙手をした。「この種の発言を看過し、そのまま会議録に残すことは議会の品位にもかかわる。この場を借りて遺憾の意を表しておきたい」。公正中立を逸脱する委員長采配に一抹の不安を抱いたが、事態はより深刻な方向に進展していった。信じられないことが起こった。

 

 

【第2幕】~「質疑妨害、そして証拠隠滅!?」」

 

 当市は平成30年度当初予算に「第3子以降保育料負担軽減事業」として、約3千8百万円を計上した。少子化対策に前向きに取り組む施策と評価したうえで、私はその政策形成過程をただした。「花巻市議会基本条例」はその13条で「議会は市長が提案する重要な政策について、その政策水準を高めることに資するため」―として①必要とする背景、②提案に至るまでの経緯、③財源措置、④将来にわたるコスト計算など6項目の説明を求めることを定めている。この事業についての現場の事務事業評価(行政評価)にはこう書かれていた。「年齢制限の撤廃による対象範囲の拡大や補助率の拡充が考えられるが、どちらの場合も事業費が倍増することから、現在の市単独事業としての拡大は困難と考えられる」

 

 私は現場の認識と“政治判断“との調整…つまり予算編成のかなめの部分を問うたつもりだった。突然、後部の議席から怒声交じりの声が背中越しに聞こえてきた。一問一答形式の質疑の間に別の議員が割って入るのは余程の緊急事態以外には考えられない。よく聞き取れなかったが、「質問自体が予算審議になじまない」と主張しているらしかった。議事の混乱を避けるため、私は質問をいったん留保。休憩時間帯にこの間の経緯の説明を求めた。「動議と受け止め、発言を許可した」というのが照井委員長の言い分だった。議会事務局側に録音の再生を申し出てまた、腰を抜かしてしまった。その部分の発言は正式に委員長の許可を得ない、いわゆる「不規則」発言と判断し、録音していなかったことがわかった。

 

 つまりはこういうことである。不規則発言によって、私の質問が妨害されたうえ、その証拠となる録音記録も存在しないという摩訶不思議な出来事が起きていたのである。事務局側の録音停止の判断に疑義を差しはさむものではない。それにしても、まるで阿吽(あうん)の呼吸でも図ったみたいなこの“偶然の一致”…。お見事と言うしかない。

 

 それにしても、何とも既視感のある光景ではないか―。現在に至るまで国政を揺るがしている「森友・加計」問題……「あったこと」が「なかったこと」にされ、目の前では公文書が改ざんざれるという前代未聞の不祥事が連日のように報道されている。その正体こそが「忖度(そんたく)という名の妖怪」に他ならない。中央―地方を問わず、その背後にうごめくのは「一強」をほしいままにする“権力”の存在である。二元代表制の行司役であるべきはずの予算委員長がそのボディガ-ドになり下がった構図がすかし絵のように浮かび上がった。太鼓持ち、茶坊主、腰ぎんちゃく、幇間(ほうかん)、佞臣(ねいしん)…。こんな言葉が浮かんでは消えた。

 

 

【第三幕】~「誤解は招くが、『不適切』ではない!?」

 

 当市中心部の国道沿いに「景観」を損(そこ)ないかねない空間が放置されたままになっている。かつて、漢字テレププリンタ-などの生産で戦後花巻の復興に貢献した「新興製作所」跡地である。3年前に仙台市内の不動産業者が取得し、建物の解体工事は終了したものの、コンクリ-トガラや残土などは未撤去のまま。請負業者と代金の支払いをめぐって裁判沙汰になった末、当該地が競売にかけられるなど今後の展開は不透明の状態が続いている。この件について、同僚議員が一般質問で「景観から受けるマイナスイメ-ジ」という観点から対応をただしたのに対し、上田市長は以下のように答弁した。

 

 「建物内に存在したアスベスト除去は完了しており、最大の健康被害の心配はなくなった。とりあえず、この段階に至っただけでもまだマシだ。コンクリ-トガラの撤去など今後の景観保全については第一義的には土地所有者の責任に帰す。もし、市側が撤去するとすれば、1億5千万円以上の経費がかかる。これだけ莫大な経費を税金で賄うのはいかがなものか。税金投入の是非については最終的には議員の判断にゆだねられるが、今後も進展が見込まれない限り、新興跡地の景観保全にかかわる質問はもうしないでほしい」―。同僚議員がこの市長答弁に対し、「質問権」の侵害という立場から異議申し立てを行い、後日の議会運営委員会で協議することになった。

 

 花巻市まちづくり総合計画「第2期中期プラン」(平成29年~31年度)の中には市街地再生の重点戦略として「景観形成の推進」があげられ、地域との協働による良好な景観の保全を謳(うた)っている。私はこのプランを根拠にその取り組みについてただそうとした。と、今度は二元代表制の一方の当事者である上田市長が「予算審議に関係はあるのか」と口出しをした。この手の横やりはいまに始まったことではない。私は当局と議会双方による理不尽な質問封じに対し、気色ばんで反論した。担当部長が手を挙げたのはしばらくたってからである。ボソボソと蚊の鳴くような声でつぶやいた。「当初予算には景観保全にかかわる経費は計上していません」。都合の悪い質問には口をふさぎ、議会側がそれをバックアップするという曲芸技である。

 

 「確かに誤解を招くような発言だったが、前後の文脈から読み解くと必ずしも『不適切』とまでは言えない」―。予算特別委員会最終日の16日に開かれた議会運営委員会(中村初彦委員長ら7人)は結果として、上田市長の質問権の侵害を“免罪”する決定を賛成多数で可決した。反対したのはわずか2人だけ。議員にとって“命綱”ともいえる質問権は当の議員たちによって葬り去られた。「自殺行為」とはこのことである。

 

 

【公演を終えるにあたって】

 

 

 永田町界隈で飛び交っている「一部の職員」という語法が気にかかる。「森友」問題に関連し、「常識が壊れた」という遺書を残して自殺した職員はさらにその末端に位置する職員だった。私にも思い当たるふしがある。上田市長が新興跡地の保存や保全を訴えてきた議員を「一部の議員」と切って捨てたことがあったからである。一世を風靡(ふうび)し、もはや忘れ去られてしまった感がある、例の「排除」(小池都知事)の論理である。もっとも「忖度」と「排除」とはコインの裏表の関係にあることに変わりはない。そもそも、花巻市議会に「二元代表制」を求めること自体が幻想だったことに、今さらながら気がついた。不徳のいたすところである。

 

 「忖度」を拒絶し、文部科学省を追われた前川喜平・前事務次官に対するバッシングが続いている。前次官が天下り問題にかかわって辞職したことや出会い系バ―を利用していたことなどを指摘し、文科省が講演先の中学校に対し、講演内容の提示を求めていることが明らかになった。双方の間を国会議員が取り持った結果、忖度によって教育の中立性が侵害される事態となった。かつての“検閲”を彷彿(ほうふつ)させるに十分である。「忖度の先にあったのは“集団リンチ”だった」―こんな光景がふいに目の前に広がった。私自身、「イ-ハト-ブ劇場」の役回りを演じながら、そのことをいやというほど思い知らされたからである。

 

 英国人作家、ジョ-ジ・オ-ウエルの代表作『1984』の中で描かれる独裁国家(ビッグ・ブラザ-)には平和、豊富、真理、愛情の4省が置かれている。「真理省」は歴史記録や公文書の改ざん、架空の人物のでっち上げ、「愛情省」は反体制分子に対する尋問や拷問、処刑などを主要な任務にしていた。皮肉にもそのディストピア(暗黒郷)が海を飛び越えて、日本に出現したということなのか。今年の流行語大賞には昨年の「忖度」に続いて、「改ざん」が有力候補になるらしい。「SONTAKU」はもはや世界共通語として定着している。民主主義の根幹が全国津々浦々で音を立てて崩れ落ちようとしている。この国を根っこで支えてきた「理非曲直」…つまり、物ごとの分別が腐臭を放っている。

 

 

(写真は3月定例会で質問に立つ筆者。質問権は議員にとっての生命線であり、二元代表制を守備する最前線に位置する=3月8日、花巻市議会議場で)

 

 

《注》~二元代表制(憲法第93条)

 「議会の議員」と「市長」を市民が直接選挙で選ぶ制度のことで、「議院内閣制」の国会で国会議員が総理大臣を選んでいることと違い、どちらも市民の代表であることから、議会と市長は対等の機関として、お互いに抑制、協力することで緊張感を保ちながら自治体の運営に取り組む制度のこと。(平成22年6月制定の「花巻市議会基本条例」説明文より)

 

 

《ブログ再開のお知らせ》

 

 妻の病状が安定したため、3月22日からブログを再開します。約1か月間の休載でしたが、国の内外には風雲急を告げる出来事が相次いでいます。わが足元も例外ではありません。一刻の猶予も許されないという切羽詰まった気持ちです。掲載間隔が少し長くなると思いますが、以前にも増したご愛顧、ご叱正をよろしくお願い申し上げます。ニッポン沈没の危機を実感させられる毎日です。

 

 

 

 

2018.03.22:masuko:コメント(0):[議会報告]

「STAR/SAND」―賢治と沖縄、そして震災7年、そしてあぁ公文書「改ざん」…

  • 「STAR/SAND」―賢治と沖縄、そして震災7年、そしてあぁ公文書「改ざん」…

 

 沖縄本島の本部港からフェリ-で約30分、真っ平らな島の中でそこだけが恐竜のように首をもたげている。「タッチュ-」(城山)の名で知られるグスク(城跡)で、標高は約172メ-トル。この島こそが「沖縄戦の縮図」と呼ばれた伊江島である。私がここを訪れたのは昨年5月。南西部の海岸線には大小のガマ(洞窟)がワニのように口を開けている。「ニャティヤガマ」はその中でも最大級の面積を誇り、「千人洞(ガマ)」の名前も持つ。沖縄戦のさ中、島民たちが防空壕として身を隠したのがその名の由来である。太平洋戦争末期の1944年、旧日本軍はこの島に東洋一の飛行場を建設したが、翌年4月には米軍が上陸。わずか6日間の戦闘で、島民の3分の1に当たる約1500人の命が奪われた。

 

 映画「STAR/SAND―星砂物語」(日豪合作、2017年公開)は、「卑怯な」日本兵と「憶病な」米兵…つまり、敵味方の“脱走兵”がニャティヤガマに身をひそめながら、共同生活を送る場面から始まる。監督は「戦場のメリ-クリスマス」(大島渚監督、1987年)で助監督を務めた、米国生まれでオ-ストラリア在住の作家、演出家のロジャ-・パルバ-スさん。青春時代、ベトナム戦争に遭遇したパルバ-スさんはその不条理に疑問を抱き、祖国を捨てた。以来、「戦時下において、“戦わない”裏切り」―をテ-マに掲げ、3年前、映画化の原作となる『星砂物語』を日本語で執筆・出版した。映画は以下のような展開で進行する。

 

 日系アメリカ人の母を持つ16歳の少女が日本に帰国し、ふとしたきっかけでこの島に住み着くことに。実はサンゴ礁の海に散らばる「星砂」に興味があったのだった。星の形の粒子からなる砂状の海洋性堆積物で、この砂には永遠の生命が宿っていると島の人たちは信じていた。二人の脱走兵と少女との間には不思議な連帯感みたいなものが築かれていくが、米兵の狙撃で負傷した日本兵の兄の出現で事態は一変する。「皇軍兵士」を誇る兄は憶病で裏切り者の二人を殺してしまう。それを見た少女も背後からその兄を突き殺す―。少女はガマでの出来事を日記に残して島を去る。戦後70年を経て、この存在を知った女子学生が卒業論文の資料として、日記をたどる形で戦争のむごさ…ガマの中で繰り広げられた「地獄」を追体験していく―。

 

 殺害される直前、脱走米兵が少女からプレゼントされた星砂を夜空に向かって放り投げるシ-ンがある。海底に沈んでいた星砂は一瞬のうちに天空に舞い上がり、銀河宇宙は満天の星空に姿を変える。皇軍兵士の栄光と狂気、そして破滅…。気の遠くなるようなアンビバレンスの背後にふと、宮沢賢治の物語世界が広がっていくような気がした。

 

 「Strong in the rain/Strong in the wind…」―。賢治の詩「雨ニモマケズ」の英訳などで知られるパルバ-スさんは著名な賢治研究者でもある。2008年には第18回宮沢賢治賞を受賞している。2月24日、盛岡で行われた映写会で舞台あいさつに立った際、私はこう問うた。「この映画に賢治の精神はどのように投影されているのか」―。パルバ-スさんは待ってましたとばかりに、ニッコリ微笑みながら答えた。「生前、賢治はせいぜい関西までしか足を延ばしていない。しかし、その精神は広大無辺だ。星砂のシ-ンでは賢治の『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』などを無意識のうちにイメ-ジしていた。銀河宇宙のように生命はひとつにつながっている。そのことを訴えたかった。沖縄を舞台にした“賢治映画”かもしれない」

 

 伊江島には琉歌にちなんで「ヌチドゥタカラ(命が宝)の家」と名付けられた反戦平和資料館がある。「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ(聖書)/基地をもつ国は基地で亡び/核をもつ国は核で亡ぶ」―。入口の壁にはこんな文字が大書されている。「沖縄のガンジ-」と呼ばれた阿波根昌鴻(あわごん しょうこう=1901年―2002年)が生涯をかけて捧げた非暴力・平和運動の生きた証しがここに収められている。パルバ-スさんは映画のねらいについて「非暴力の戦争映画を作りたかった」と語った。ロケ地をこの島に定めたのも決して偶然の巡り合わせではなかったのである。

 

 「If someone is near death in the south/He goes and says, ‘Don’t be afraid’」(南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ=パルバ-スさん訳「雨ニモマケズ」の一節から)―。銀河鉄道に運ばれるようにして、賢治の声は確かにニライカナイ(南の島)に届いていた。映画を見ながら、そう思った。

 

 と、ここまで書いて新聞をみやると、一面トップの大見出しが目に飛び込んできた。「沖縄本島にミサイル部隊/『地対艦』検討、中国牽制を強化」(2月27日付「朝日新聞」)―。政府が地対艦誘導弾(SSM)の部隊を沖縄本島に配備する方向で本格的な検討に入った―ことを伝えていた。日本最西端の与那国島には2年前から陸上自衛隊の沿岸監視部隊が置かれており、政府の計画では南西諸島(先島)の宮古島と石垣島にはSSM部隊のほか、SAM(地対空誘導弾)部隊の配備がすでに決まっている。「南西」脅威論に名を借りた“捨て石作戦”に他ならない。憲法に「自衛隊」の存在を明記するという“底意”がこれではっきりしたではないか。在日米軍と日本の自衛隊とが結託した、平成最後の置き土産としてのさらなる「琉球処分」―がその正体である。

 

 化けの皮がはがされたというのに…アベシンゾウよ、政府・与党の面々よ、居直りを続けるのはもう、いい加減にやめんか!!追っかけるように公文書”改ざん”事件が浮上!!!国会周辺には「アベヤメロ」コール!!!!

 

★いつまでも本土の出城にされる島(2月28日付「朝日川柳」)

★知らず知らず「先軍政治」に染まりだし(同上)

★どう生きるかが大事だってよ安倍総理(同上)

 

 

(写真はニャティヤガマの中で日本兵(満島真之助)と向き合う少女(織田梨沙)=インタ-ネット上に公開の映画シ-ンから)

 

 

 

《追 悼》―震災7年と白銀さん

 

 

 2018年3月11日午後2時46分、東日本大震災から7年を迎えた。今年1月吉日の日付で被災者の白銀照男さん(69)から転居通知が届いた。「この度、震災以前に暮らしていた近くに家を再建しました。母と妻、娘の3人はまだ行方不明のままですが、必ず見つかると信じ祈りながら前へと進んでいきます。避難所や仮設住宅での6年10カ月を経て、息子夫婦と孫2人の5人暮らしです」

 

 新住所は岩手県上閉伊郡大槌町安渡2丁目7番3号ー。「安渡」(あんど)の地名を見てホッとさせられた。忘却を峻拒(しゅんきょ)するすべての「記憶」がこの地名には刻まれているからである。「安渡」とは元々「安堵」(あんど)の意が込められた命名だったにちがいない。震災直後、白銀さんは「3人がわが家に戻ってくる時、迷子になったら困る。だから…」と話していた。冬の長かった東北・岩手の地にも遅い春が駆け足でやってきた。近く、新居を訪ねてみようと思う。

 

 「3・11大震災とイーハトーブ」、「三陸の未来に光あれ」…。仲間たちと企画した追悼イベントのポスターがまだ、書斎の壁に貼られたままである。「かあさ~ん、はち子、美由紀…」―、がれきの荒野に肉親を捜し求める、白銀さんの声がいまも耳の奥にこだましている。震災7年のこの日、朝茶を飲もうと戸棚を開くと、愛用の湯飲み茶わんが割れているのに気が付いた。一瞬、不吉な予感がした。破壊された土偶には生命再生の願いが込められているとも言われる。そのことをふと、思い出した。いや、この意想外の符合に実は内心、戦(おのの)きながら一日中、考え続けた末にたどり着いたというのが正直な気持ちである。7年目の節目が被災地の真の再生につながることを心から祈りたい。この日、私も78回目の誕生日を迎えた。

 

 He does not consider himself/In whatever occurs…his understanding/Comes from observation and experience/And he never loses sight of thingsアラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ=パルバースさん訳「雨ニモマケズ」から)

 

 

山城議長らに有罪判決

 

 

 名護市辺野古の新基地建設や東村高江の米軍北部訓練場ヘリコプター発着場建設に対する抗議活動を巡り、威力業務妨害や公務執行妨害・傷害などの罪に問われた山城博治沖縄平和運動センター議長(65)ら3人の判決公判が14日午後1時半、那覇地裁で開かれた。柴田寿宏裁判長は議長に懲役2年(求刑懲役2年6月)、執行猶予3年を言い渡した。ほか2人も猶予刑を言い渡した。うち一人は一部無罪とした。弁護団は判決を不服として即時控訴した。

 

 起訴状によると、山城議長は2016年1月に名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ工事用ゲート前でブロックを積み上げ、資材搬入の業務を妨害したとされる。弁護側は資材搬入を止めるためのブロックを積み上げ行為について、威力業務妨害を適用することは「表現の自由を侵害し違憲だ」などと主張し、器物損壊を除く各事案で無罪を訴えていた。那覇地裁周辺には議長らの支援者が多く駆け付け、拳を挙げて無罪を強く訴えていた【3月14日付琉球新報電子版】

 

 

 

《ブログ休載のお知らせ》

 

 

 私的な事情で恐縮ですが、妻の病気看護に専念するため、当ブログ「イ-ハト-ブ通信」をしばらくの間、休載させていただきます。これまでのご愛顧とご叱正に心より感謝を申し上げます。地方議会の片隅に身を置きながら、その内と外に垣間見えた出来事や現象をただ日記風に書き記したもので、アクセスしていただいた皆様方の心証は度外視した内容でした。失礼の段、お許しください。

 

 生地を同じくする宮沢賢治については当ブログでも何度か取り上げてきましたが、最終回も賢治だったことに我ながら驚いています。でも、単なる「賢治論」ではなく、その射程に「沖縄」が入っていたことに内心、ホッとしています。というのも、私自身の立ち位置の中で「賢治と沖縄」は密接不可分の関係にあるからです。「汝(なんじ)の立つところを深く掘れ、其処(そこ)に泉あり」―。沖縄学の祖、伊波普猷(いは ふゆう)の言葉を噛みしめています。またお会いできる日まで、お元気で…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.02.28:masuko:コメント(0):[身辺報告]

新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」と金子兜太、そして…

  • 新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」と金子兜太、そして…

 「駐車場雪に土下座の跡残る」―。ホスト同士のけんかの落とし前をつけた証(あかし)なのだろうか。切っ先鋭いが言葉がよどんだ空気を切り裂いていくような俳句が大都会の片隅から聞こえてくる。「俳句」という文字がなければ、きっとあの筋の組織だと思うだろうが、「屍(しかばね)派」はれっきとした俳句集団である。ニ-トやバ-テンダ-、元ホスト、女装家、前科のあるミュ-ジシャン…。月に一回、日本屈指の歓楽街・新宿歌舞伎町のビルの一角にあるたまり場「砂の城」に個性豊かな面々が集まってくる。酒を飲みながらの句会を仕切るのが北大路翼(きたおうじつばさ)さん(39)である。昨年暮、『アウトロ-俳句』を出版した。

 

 真冬、冷たい水のウォシュレットに見舞われた体験を本人はこう詠う、「ウォシュレットの設定変へた奴殺す」―。横浜出身で、小学生の時に種田山頭火の俳句に出会い、この世界にのめりこんだ。新宿コマ劇場の解体をきっかけに「変わりゆく歌舞伎町」をツイッタ-で投句。これを知った俳句好きの”はみ出し者”たちが集まり始めた。彼はこう語る。「屍派にはドロップアウトした経験を持つ、はみ出し者が多かった。みんなと同じであることを強要される社会に居心地の悪さを感じ、距離を置いていた」、「そういう人に限って、真面目すぎるのだ。俳句を上手く詠むためには、社会の見方を少し変えることが一歩となる。その力が身につけば、生きるのは少し楽になるに違いない。俳句は現代を生き抜くための処方箋なのだ」

 

 「アベ政治を許さない」―。「安保法制」の是非を巡って国論が二分した時、野太い筆文字のプラカ-ドが全国津々浦々に掲げられた。筆主の俳人、金子兜太さんが2月20日に亡くなった。享年98歳。太平洋戦争中、海軍の主計中尉としてトラック諸島に赴任。目の前で次々に倒れていく餓死者を目の当たりにした。この時の体験が後に「社会性俳句」の旗手としての地位を不動のものとした。置き去りにした仲間たちへの鎮魂をこう詠っている。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」―。「反戦平和」を訴え続け、安保法制や沖縄の基地問題、米国のトランプ大統領、北朝鮮情勢などを俳句に託すなど「生涯現役」を貫いた。

 

 「KY」(2007年流行語大賞)から「忖度」(2017年同大賞)へ―。KYは「空気を読む」のローマ字略語。医師の鎌田實さんは自著『空気は読まない』の中にこう書いている。「KYって初めて聞いたとき、なんのことだかわからなかった。『空気が読めないヤツ』のことだと教えてもらった。KYって言われたくなくて、みんなが、空気にとらわれはじめた。…昔、みんなが空気感染して、なんだかわからないうちに、ぼくたちの国は戦争をしてしまった。『空気』ばかり読んでいると、あの時代のように、人は、自分の意見や意思を、見失ってしまうのではないだろうか」

 

 「読む」空気があったうちはまだ良かった。わずか10年間の間に私たちは「読むべき空気」さえも自失した「忖度」という名の世界を生きているのではないか。周囲を見渡すと、ヒラメみたいな“上目使い”ばかりである。卑近な例をひとつ―。本来は部下に向けられるべき目線が…係長→課長→部長→副市長→市長へと上昇志向を続けるってな具合。「そりゃそうだよ。『上だ』(上田市政)だもんな」とはある皮肉屋の弁である。議会だって、同じ穴のむじな…九ちゃんの意には決して沿ってはいない「上を向いて歩こう」の大合唱である。

 

 「言葉は凶器である」(2月16日当ブログ「『BARABARA』-向井豊昭の世界」参照)―。屍派の俳人たちや金子さんらは「凶器としての言葉」を携え、よどんだ空気に立ち向かって行った。「忖度」世界にはもはや空気だけではなく、語るべき言葉さえも見当たらない。鎌田さんは自著を以下のように結んでいる。私たちはいま、その言説とは真逆の世界を生きていると思えば間違いはない。上から強制されるのではなく、自らが率先して手を貸す「新手のファシズム」である。

 

 「空気は、人に、街に、時代に伝染する。じわじわ広がり、いつの間にか、気分を高揚させたり停滞させたりする。ときには、景気さえ左右し、経済を動かす。ときには、国を間違った方向に動かす。ときには、人間の行動や生き方までも、操っていく。まわりから浮きたくないと、必死で空気を読む。空気にとらわれる。結局、小さな生き方から出られない。気概を忘れていく。気が抜けていく。心が鬱々(うつうつ)としてくる。空気に流されるな。空気をつくり出せ。空気をよどますな。空気をかきまわせ。それが新しい生き方になる。それが新しい時代をつくり出す。信じていい。空気は…読まない」―。

 

 ”ヒラメ人間”に席巻(せっけん)された感のある、この国はどんよりとよどんだ空気にすっぽりと覆(おお)われている。今日、確定申告をしてきた。「忖度」長官が住まう霞が関の中央官庁には連日、「納税者一揆」の抗議デモが押しかけているらしい。「失言癖」のある例の財務相が納税者を小バカにする発言をしでかし、世間は炎上気味。一揆衆よ!空気を、言葉を取り戻すために頑張れ。気のせいか、この日応対した税務職員は随分と丁寧だった。

 

(写真は自身が編纂した『アウトロ-俳句』を手にする北大路さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

2018.02.23:masuko:コメント(0):[身辺報告]

政界の”狙撃手“と革新市長

  • 政界の”狙撃手“と革新市長

 「憲法をないがしろにしたこの法案を通すことは、市民の命を守らなければならない市長として断じて容認することはできません」―。「安全保障関連法」(安保法制=2015年9月30日公布)の国会審議が大詰めを迎えていた約2年半前、私は花巻市議会9月定例会である首長の発言を引用しながら、「国政と地方自治」との関わりについて上田東一市長の見解をただした。件(くだん)の首長とは兵庫県宝塚市の中川智子市長(現在3期目)である。冒頭の文章は中川市長が広報たからづか(2015年8月号)の「市長からの手紙」に掲載した意見表明である。今年1月26日に逝去した元自民党幹事長の野中広務さん(享年92歳)が実は中川市長の“政治の師”だったことを初めて知った。「政治」の本来のあるべき姿を教えられたような気がした。

 

 「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わりにします」―。「米軍(駐留軍)用地特別措置法改正」(1997年)の採決に際し、特別委員会の委員長だった野中さんが異例の発言をした。「不穏当な発言」として、会議録から一部が削除された。発言に先立ち、野中さんは沖縄での辛い体験を披歴している。「タクシ-の運転手が突然、ブレ-キを強く踏んで車を停め『あそこのサトウキビ畑で私の妹が殺された』と言ったかと思うと、急に泣き出した。号泣はしばらく止まらなかった。しかも、やったのは米軍ではなかった(つまり、旧日本軍だった)」

 

 朝日新聞編集委員の秋山訓子さんがこの先の物語について、紹介していた。「当時、これを聞いて感動のあまり、矢も盾もたまらず野中事務所に走っていった国会議員がいた。社民党の一年生議員だった中川智子氏だ。ちょうど野中氏も自室にいて、中川氏の勢いに驚かれながらも会うことができた。『私は、今日の野中さんの発言に涙が出ました。あなたみたいな政治家に会えてよかった。本当に素晴らしかった。私も沖縄には同じ思いです』。夜、中川氏が議員宿舎に帰ると郵便受けに野中氏からのメモが入っていた。『これから困ったことがあったら、何でも相談しなさい』。携帯電話の番号があった」(2月15日付「朝日新聞」ザ・コラム=要旨)―。政界の”狙撃手“と恐れられていた実力者と物おじしない「おばさんパワ-」との不思議な邂逅(かいこう)だった。

 

 「いい話だな」と思った。その背後にある種の政治的な思惑があったとしても、何か思想・信条を越えた「同志」としての絆(きずな)みたいなものを感じたからである。互いにそれを支えたのは、弱者に寄り添う眼差しなのだろうと思う。後日談は続く。「中川氏は薬害ヤコブ病の患者救済や介助犬といった身体障害者補助犬法などに取り組んだ。野中氏だけでなく多くの与党の実力者に声をかけて巻き込んで、辛抱強くことを進めて法律を作った。2期務めて2003年の選挙で落選後、国政を去る。2009年、宝塚市長選に出馬した。市長が連続して収賄で逮捕という前代未聞の出来事の後だった。野中氏に相談すると『やりなさい』と背中を押してくれた。応援にも来てくれた」(同上コラム)

 

 「安保法制」国会の際、中川市長は全国市長会の総会の場でこう呼びかけた。「国民の6割が慎重審議を求め、8割が十分な説明がなされていないと感じているという世論調査もある。市長の最大の責任は市民の命を守ること。市長会として一切、議論しないことは将来に禍根を残す」(2015年6月11日付「朝日新聞」)。この会議に同席した、一方の上田市長は私の質問に対し、当時、以下のように答弁している。

 

 「地方自治法第1条の2において、地方公共団体は住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものと定められている。この規定により、防衛、軍事、安全保障などは国の所管であり、地方公共団体にはその権限はないと理解している。安保法制のかなめである沖縄の米軍基地、とくに喫緊(きっきん)の課題である米軍普天間飛行場の辺野古移転問題と地方自治のかかわりについては、花巻市域内の問題でない以上、憲法と地方自治法に定める市の権限と役割から、当市の地方自治に直接関連すると判断することはできないものと考える」(平成27年9月定例会会議録から=要旨)

 

 野中さんが亡くなった9日後の今年2月4日、米軍普天間飛行場の「辺野古」移設(新基地建設)の是非が問われた名護市長選で、自民党や公明党など政府与党が推す基地容認派が新市長に選ばれた。野中さんが言い残した“遺言”などはどこ吹く風、「軍靴」の響きがふたたび、遠音のように覆(おお)い始めた。この時を待つかのようにして建設工事はさらに、加速されつつある。ヤマト(本土)の自治体のほとんどは相変わらず、見て見ぬふりを決め込み、永田町界隈は「一強多弱」という名の大政翼賛会に成り果てた。政治家としての使命感に燃えた同志的な結びつきはもう夢のかなたにかすんでしまったかのようである。

 

 野中さんは自らが被差別部落の出身であることを隠さなかった。「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」―と差別感情丸出しの発言をしたのは麻生太郎・副総理である。実はこの人の系列である麻生財閥が経営した「麻生炭鉱」(福岡・筑豊)は強制連行した朝鮮人を酷使した「圧政ヤマ」として知られる。閉山後、炭鉱跡地のあちこちから朝鮮人を含む遺骨がたくさん出てきた。炭鉱長屋の土壁から人骨がにゅっと、飛び出していたという信じられないような出来事もあった。私自身、その現場を取材した一人である。

 

 

 

写真は在りし日の野中さん。「ハト」派的な一面も兼ね備えていた=インタ-ネット上に公開の写真から)

2018.02.20:masuko:コメント(0):[身辺報告]
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