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たとえば、戦争を記憶するということ

  • たとえば、戦争を記憶するということ

 憲法公布記念日(文化の日)の3日、塚本晋也監督・主演の映画「野火」(2014年)を盛岡で観た。都合がつかずにこれまで観る機会を逸してきたが、今回は塚本監督のト-クもあるということで必見だと思った。戦争文学の金字塔ともいわれる作家、大岡昇平の同名の作品の映画化で、先行作品としては市川崑監督(1959年)のものがある。先の総選挙で「改憲」勢力が多数を占め、自衛隊の明記など改憲へとひた走る情勢下、観る側が戦争の残酷さを演じる、その当事者に仕立て上げられていくような凄(すご)さを持っていた。「戦争を知らない世代」(戦後生まれ)が81%以上にのぼるいま、「戦争」(歴史)を記憶することの大切さをこの映画は教えている。

 

 「原作はすでに高校時代に読んでいた。30代になって映画化を考えたが、資金面でのびのびになっていた。決断したのは東日本大震災がきっかけだった。3・11は隠されていたすべてのことを露呈した。気がつくと、時代は改憲の動きなどキナクサイ空気に包まれていた。もう、待てないと思った」―。上映後、塚本監督はこう話し、さらに続けた。「戦争の気配を感じるいまだけでなく、戦争が遠ざかった時にもぜひ、見ていただきたい」。ある対談では「狂気そのものをモチ-フにした正気の映画」とも語っている。人間の内面が抱え持つ「不条理」を、塚本監督は描きたかったのだと思う。

 

 原作の舞台は太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。しかし、映画の中には現地の人がわずかに登場するだけで、相手(米兵)の動きも判然としないうえ、ここがどこなのかという場所の特定もない。「異様にしたたる原生林のものすごく美しい濃い緑と青い空と赤い花、それから水の巨大な奔流…大自然のものすごい営みの大きさと、人間のちっぽけな感じ。その対比を描きたかった」―。塚本監督が意図するようにスクリ-ンに映し出されるのは幽鬼(ゆうき)と化した敗残兵の姿だけである。監督が扮する田村一等兵が飢餓地獄の中で「サルの干し肉」を無理やり、口に入れさせられる場面がある。あとでそれが食うために殺害した“人肉”だとわかり、田村は「狂気」と「正気」の狭間(はざま)を彷徨(さまよ)い続けるようになる。

 

 「何だ、お前まだいたのか。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と戦友が腹部を指さす。田村一等兵は後ずさりしながら、転がるように逃げ去る。生死の境の中で別の仲間から手榴弾を投げつけられ、肩の肉がちぎれ飛ぶ。その肉片を口に入れ、むしゃむしゃと食べる。大自然に抱かれながら、自分の肉を咀嚼(そしゃく)する、この光景のコントラストにたじろぎながら、思った。「他人との”共食い”(カニバリズム)を拒絶することで、田村は辛うじて正気の領域に止まることができたのではないか」。奇跡的に帰還した田村が食事する場面が最後に出てくる。食べ物を飲み込むたびに後姿が激しく前後する。戦場での極限の飢餓―否、人間の不条理をその背中は物語っている。

 

 「ダ-クツ-リズム」という言葉がある。アウシュヴィッツやチェルノブイリ原発、グラウンド・ゼロ、沖縄戦、東日本大震災と福島原発事故…。大量虐殺や自然災害、戦争やテロなど人類史に刻印された「負の遺産」を巡礼する旅のことを指し、海外では盛んらしい。「記憶と忘却」が背中合わせの関係にあることについては当ブログ(11月1日付)で言及した。ならば、言葉の逆説的な意味で、私たちはあえて「記憶」に屋上屋を重ねる努力をしなければならない。そうしなければ、「半径5メ-トルの幸福」(中村文則著『R帝国』)に安住してしまうことになる。負の遺産だけではなく、文学や映画、演劇なども記憶の層をさらに厚くしてくれる。塚本監督はパンフレットの中で、こう語っている。

 

 「映画は一つの結論に持っていくものではありません。『こんな恐ろしいことになるのは絶対に嫌だから強い国になろう』と思う人がいるかもしれないし、あるいは『こんなことは嫌だから、どうすればケンカせずに話し合いで解決できるか考えたい』と思う人もいるかもしれません。それぞれの自由です。でもこんな恐ろしいことに近づくのは絶対にいやだという大前提は感じて頂きたいです。自分が不条理と思えば思うほど、戦争のことを不条理と思う風潮が消えていく。子どもの時からずっと、戦争はしない方がいいという前提は社会の中で当たり前としてあったはずだったのに…」

 

 忘却に抗(あらが)うためには、ただひたすら記憶し続けるしかない。

 

(写真は映画シ-ンのひとこま。戦争という人間の営為が大自然の中でどんどん小さく見えてくる=インタ-ネット上に公開の写真から)

2017.11.04:masuko:コメント(0):[身辺報告]

記憶と忘却と…

  • 記憶と忘却と…

 「いまも被災地に足を運んでいますか」―と知人に問われ、一瞬、たじろいでしまった。そういえば、震災直後に足しげく通ったはずの被災現場の記憶が遠くにかすんでしまっている。かつて、チリ北部の鉱山で地下700メ-トルに閉じ込められた33人が2か月ぶりに奇跡的に救出されたというニュ-スが全世界を駆けめぐった。東日本大震災が発生したのはそのわずか5か月後のこと。津波によって、町並みが一瞬のうちに消え去った。「救出カプセル」で一人ずつ地上に運び出された時の感動的な笑顔はあっという間に瓦礫(がれき)の下に没した。そして、あれから間もなく7年。間近で起きた「3・11」さえ、後景に退いていくような気がする。

 

 今年、ノ-ベル文学賞を受賞した英国在住のカズオ・イシグロさん(62)の作品は「記憶と追憶」の文学と言われる。イシグロさんは授賞前のインタビュ-でこう話している。「私にとっての日本は子ども時代の記憶による想像の国だった」(1989年)、「人々が共有できる感情や感動を伝えることが、私の小説家としての仕事だと思います」(2011年)、「私の作品は、人間がいつ過去を記憶したらいいのか、いつ過去を忘れたらいいのかという問いに葛藤する物語です」(2015年)、「最初に小説を書き始めた際の動機は、私の日本の記憶を保存することにありました」(同年)…。初期の長編小説『遠い山なみの光』(小野寺健訳)の中にこんなくだりがある。

 

 「大道で魚を売る店がたくさん出ていて、夕方のこのくらいの時間はちょうど漁船が港に入ってくるころなので、いま揚がったばかりの魚を入れた重い籠を肩に、雑踏をかきわけていく男たちの姿もよく目についた。くじ引きの屋台にぶつかったのも、散歩に出てきた人でごったがえしているこういう汚ならしい横丁だった。…わたしたちは、大勢の人のうしろに立って見物していた。女の人が二つか三つの男の子を高く抱き上げている。壇の上にいる手拭いで鉢巻きをした男が、ざるを持って子供の手が届くように前へかがんでいた。子供はようやく札(ふだ)を一枚とったものの、どうすればいいかわからないらしい。手に持ったまま、周りでおかしそうな顔をしている人たちをぼんやり眺めている」

 

 イシグロさんは長崎市で生まれ、5歳の時に海洋学者だった父に連れられ、一家で英国に移住した。日本語は片言しか話せない。この作品の原作も「A Pale View of Hills」という英語名である。「凝縮され、ろ過された」記憶がこんな微細な描写を可能にしているのであろうか。原爆の悲劇を背景に置きながら、懐かしい日常の光景が目の前に浮かんでくる。ふいに「神は細部に宿る」という古めかしいフレ-ズが頭をよぎった。震災後、沿岸被災地では壊滅した町並みを復元しようという試みがあちこちで進められた。「ここが床屋さん」「その先には豆腐屋があったな」…。プラモデルのような町並みの模型を前にこんな会話が行き交った。被爆と被災―。イシグロさんの描写がそのまま、す~っと重なるような気がした。

 

 「それがなぁ、自分でも不思議でなんね。頭がもげ、手足がちぎれた遺体を見でも、マンマが普通にノドを通るのしゃ。涙もでねぇし、感情も動がね。どうしてなんだべな。何が起ぎだのか、オラさっぱり、わがらね」―。震災直後、瓦礫の荒野でぼそっと、つぶやいた老女の言葉がいまも頭にこびりついて離れない。幽界にまぎれこみ、九死に一生を得た人たちがやっとのことでたどり着いた先が遠い記憶の源泉だったのかもしれない。当時の私の取材メモにはこう記されている。「多弁を慎め。ただひたすらに被災者のこころに耳を傾け、瓦礫の微細に目を凝らせ」―。

 

 「記憶は忘却に抗(あらが)い、忘却は記憶を誘(いざな)う」…人間とはこの狭間(はざま)にたゆたう、儚(はかな)い存在なのだろうか。4歳の時、起居をともにした家を出たっきり、二度と戦場から戻ることがなかった父親…。その人がそばにいたという確かな存在感はない。父親の2倍以上を生きてしまった私は、まるで幻のようなその「記憶」と「忘却」の間をいまも行ったり来たりしている。

 

(写真は倒壊した家の下敷きになった人形。津波はいろんな記憶が詰まっていた「日常」を一瞬のうちに押し流した=2011年4月上旬、岩手県大槌町で)

 

 

 

2017.11.01:masuko:コメント(0):[身辺報告]

全日本お化け大会!?…”絶滅パワー”全開

  • 全日本お化け大会!?…”絶滅パワー”全開

 最大級の敬意を表して、「全日本お化け大会」とでも名づけたくなるような集いが総選挙4日後の26日、東京都内で開かれた。ルポライタ-、鎌田慧さん(79)の半生をたどった『声なき人々の戦後史』(上下、藤原書店・聞き手、出河雅彦)の出版を祝う会。私自身もその一人である、世間では“絶滅危惧種”と呼んでいるらしい70代から80台前後の世代が何と200人以上も参集した。「今回の選挙でも立憲民主党が土壇場で踏んばった。オレたちをなめるんじゃない」。日本の政治のありように異議申し立てをし続けてきた人士たちはなお、意気盛んだった。おいしい酒にほろ酔い加減になりながら、私は思わずニンマリしてしまった。「日本中のお化けたちが集団で化けて出たみたいだな」

 

 鎌田さんの初期の代表作のひとつに『死に絶えた風景―日本資本主義の深層から』がある。46年前の1971年の刊行である。水俣病やイタイイタイ病などの公害問題、国鉄民営化や三池闘争などの労働問題、成田空港闘争や沖縄における米軍基地問題、狭山事件や財田川事件、袴田事件などの冤罪(えんざい)、反原発運動…。反逆人生50年で書きためた「死に絶えた風景」は単行本にして164冊にのぼり、取材範囲は沖縄・八重山から北方4島まで及ぶ。ある大学教授がルポライタ―の研究のため、その足跡を虫ピンで止めていったら、刺さり切れなくなってパラパラと落下したというエピソ-ドもある。「私は戦後社会の現実を、犠牲を押しつけられる側から見続け、そのような犠牲のない世の中にしたい想いでルポルタ-ジュを書き続けてきた」と鎌田さんは本書の中で語っている。

 

 佐高信、保阪正康、後藤正治、金平茂紀、石川文洋、大石芳野…。時代の同伴者たちが次々に壇上にかけ上り、祝福の言葉を贈った。小柄な女性が人波をかき分けながら、写真を撮っていた。「横浜事件」国家賠償訴訟の原告、木村まき(68)さんだった。戦時下最大の言論弾圧とされるこの事件で逮捕された、当時、中央公論社の編集者だった夫の故亨さん(享年82歳)らの名誉回復を求めている。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、安保法制、いわゆる「共謀罪」の制定、そして憲法改正へと進みつつある翼賛体制に抗(あらが)う空気が会場全体にみなぎっていた。その人脈の広さに圧倒された。

 

 「喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ/平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ/歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原/皆の歌声は はるかな喜瀬武原」(3番)―。沖縄から平和を訴え続けているミュ-ジシャン、海勢頭豊さん(74)のギタ-の弾き語りが始まった。米軍の実弾演習阻止を託した「キセンバル」である。鎌田さんは沖縄取材も長く、7年前には『沖縄(ウチナ-)―抵抗と希望の島』を上梓(じょうし)している。30年来の友人である彫刻家の金城実さん(79)が、履(は)いていた下駄ならぬ雪駄(せった)を両手に握り、お家芸の“下駄踊り”を舞い始めた。武器を捨て「非暴力」を訴えるパフォ-マンスである。海勢頭さんの代表作のひとつ「月桃」が響き渡った。舞台に引っ張りだされた鎌田さんがニコニコ笑っている。

 

 つい数日前の悪夢を一瞬、忘れさせてくれるような光景が目の前に広がっていた。「3・11」を一緒に取材した時、鎌田さんが独り言のようにつぶやいた言葉がよみがえった。「反原発を訴えてきたつもりだったが、福島の事故を防ぐことができなかった。無力感だけが残った」―。最後にあいさつに立った鎌田さんがきっぱりと言った。「こんなに同志がいると思えば、まだ諦めるわけにはいかない」―。「そうだ」という声があちこちから飛んだ。

 

 帰りの新幹線の中で出版されたばかりの『新聞記者』という文庫本を読んだ。筆者は菅義偉・官房長官に対し、舌鋒鋭い質問を繰り出した東京新聞の女性記者、望月衣塑子さん(42)。バッシングや脅迫、圧力にもめげないで「新聞記者とは何か」を問うたドキュメントである。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」―。望月さんはインド独立の父、マハトマ・ガンジ-のこの言葉を引用して、あとがきにこう書いている。「簡単には変えられないけれど、私自身が環境や周りに流され変わらないためにも。自分自身が正義と信じられるものを見失わないためにも。たとえ最後の一人になろうとも」

 

 11月3日(金)の文化の日、鎌田さんら全国市民アクションが主催する「安倍9条改憲NO!」国会包囲大行動が行われる。これに引き続き、今回の出版を祝う会の呼びかけ人の一人である沖縄平和運動センタ-議長、山城博治さん(65)を招いた岩手講演会(「沖縄とつながる岩手の会」など主催)が11月に開かれる。タイトルは「沖縄の基地の実態と平和を願うわけ―辺野古・高江の新基地に非暴力で抗う」―。24日(金)午後6時半から北上詩歌文学館、25日(土)午後1時半から盛岡サンビル7Fホ-ルで、いずれも参加費無料。「私たちは日本国民なのか。私たちに憲法は保障されているのか」―。不当逮捕され、長期勾留を余儀なくされた山城さんはこう叫びながら、全国を走り回っている。

 

 ”絶滅危惧種“の種(しゅ)はそれを絶やそうと思えば思うほど、忘れたころにむっくりと目を覚ますものである。たとえば、望月さんのように…。そう、絶滅危惧種は永遠に不滅なのである―。「沖縄はただ、平和でありたいだけなのです」という海勢頭さんの言葉がまだ、頭の中を駆けめぐっている。

 

 

(写真は海勢頭さんのギタ-演奏をバックに“下駄踊り“を披露する金城さん。「辺野古・高江は許さないぞ」という声が会場から飛んだ。右端が鎌田さん=10月26日、東京都千代田区の私学会館で)

 

2017.10.29:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「1984」から「R帝国」、そして「2084」へ

  • 「1984」から「R帝国」、そして「2084」へ

 「朝、目が覚めるとR帝国が出現していた」―。「R帝国」とは作家、中村文則さん(40)の最新作のタイトルである。総選挙の2日前、中村さんは「選挙の結果次第では、たぶん日本は見たこともない景色を見ることになると、僕は思います」(10月20日付「週刊金曜日」)と語っていた。目の前にはいま、その通りの景色が果てしなく広がっている。そう、R帝国という名の独裁国家が…。でもどうも様子がちがうのだ。かつて、この種の国家は上からの強制によって樹立されるのが普通だったが、今回は私たち有権者が率先して建国に力を貸したフシがある。その創造主が私たち自身だったとすれば、この国はいまかつて経験したことのない、歴史の転換点に立たされているのかもしれない。

 

 物語の舞台は絶対的な権力を握る「国家党」に支配された島国―R帝国。人権保護の訴えは一笑にふされ、「抵抗」という言葉はすでに死語になっている。世論の圧倒的な支持のもとに他国との戦争を繰り返し、少数意見は巧妙な情報操作で排除されていく。「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メ-トルの幸福なのだ」と党幹部がうそぶく場面がある。生々しい既視感がある。「森友・加計」問題や陸上自衛隊の「日報」問題、共謀罪の強行採決、「(震災が)あっちで良かった」発言…。その渦中にいた“戦犯”たちが花束を手に呵々(かか)大笑しているではないか。まさにこれまで「見たここともない景色」である。

 

 「戦争は平和である 」「自由は屈従である 」「無知は力である」 ―。デイストピア(反ユ-トピア)小説の元祖であるイギリス人作家、ジョ-ジ・オ-ウェル(1903―1950年)は代表作『1984』の中で、独裁国家「ビッグブラザ-」のスロ-ガンとして、この三つを掲げている。さらに真理省や愛情省、平和省、豊富省などと命名した下部組織を置き、「真理省」は歴史記録や公文書の改ざん、架空の人物のでっち上げ、「愛情省」は反体制分子に対する尋問や拷問、処刑などを主要な任務にしていた。33年後のいま、日本にはもうこんな監視網は必要ないらしい。R帝国を貫くのは「半径5メ-トルの幸福」…つまり「幸福とは閉鎖である」というスロ-ガンなのだから。

 

 「国会を見ていると、事実より隠蔽(いんぺい)の、説明より突破の、共生より排他の強引な政治のように感じる。そしてそれらを、論というよりは感情によって支える人達が様々に擁護していく。時代の空気と政治は、往々にしてリンクしてしまうことがある。論が感情にかき消されていく。支持する人達は感情で支持してくれるし、あとは北朝鮮の名を連呼して突破する」(10月6日付「朝日新聞」)―。今回の総選挙の2週間ほど前、中村さんはこう語った。アウシュビッツや「9・11」(アメリカ同時多発テロ)…。フィクションでありながら、突然、作中にノンフィクションの手法が織り込まれ、ドギマギさせられることがある。たとえば、沖縄戦におけるこんな凄惨な描写―。

 

 「血液が地面に広がっていく。本来地面に吸われていくはずの血液が、あまりに量が多過ぎるため溜(た)まりとなり、赤く黒く広がっていく。きちんと殺すことができず泣きながら謝る声が響く。早くとどめをさしてと哀願する声が響く。意味がわからずに泣き叫ぶ子供の声が響く」。こう回想するのは皮肉にも国家党を牛耳る幹部である。「沖縄戦のことは本を読んだだけの知識ではなく、現地の人がどう認識しているかということがいちばん大事だと思うので…」と中村さんはインタビュ-に答えている。「隠蔽」「突破」「排他」ー。まさに三位一体ともいえる日本政府のこうしたやり方は米軍基地問題など沖縄の現状にそのまま当てはまる。中村さんはこの国と国民の多くの「半径5メートル」の危機をここに見抜いたのだと思う。

 

 『1984』から100年後の世界を描いた『2084/世界の終わり』(中村佳子訳)が最近、世に問われた。著者はアルジェリアの作家、ブアレル・サンラル。フランスで最も権威のあるアカデ-ミ-フランセ-ズ小説賞のグランプリを受賞し、今回が初めての邦訳となる。核戦争による「大聖戦」によって誕生した恐怖政治の実態が描かれ、主人公はこう述懐する。「自分は反乱や、自由、境界の向こうの新しい人生を夢見た。…人間というのは反抗を通してしか、反抗によってしか、存在することも、おのれを知ることもできないのだと思った」―。『1984』から『R帝国』、そして『2084』へと向かう近未来を予言していると思えば、あまりにも切なくはないか。

 

 ふと、「昭和の妖怪」と呼ばれたある人物を思い出した。安倍晋三首相が「政治の師」と仰ぐ祖父の岸信介・元首相である。先の戦争でA級戦犯に問われたが、「60年安保」当時の日本のトップに君臨し、現在の沖縄の基地固定化など現下の政治の基礎を築いたひとりである。果たせなかった宿願こそが「憲法改正」だった。現首相は祖父が成しとげることができなかった遺志の実現を夢見ているのだろう。『R帝国』のトビラには「人々は、小さな嘘(うそ)より大きな嘘の騙(だま)されやすい」というアドルフ・ヒトラ-の言葉が添えられ、こんな書き出しで幕を開ける。

 

 「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」―。

 

 「世界は今後、ますます生き難いものになっていくかもしれない。でも希望は捨てないように。共に生きましょう」と中村さんはあとがきに書いている。「夏草や/兵(つわもの)どもが/夢の跡」(芭蕉)―。選挙の残骸に身をさらしながら心底、思う。たとえ、鵺(ぬえ)のようなファシズム(全体主義)の中に一条の光を探すようなものであったとしても、今度こそ本当の「希望」を求めて…。

 

(写真は自衛隊の明記など「憲法改正」に前向きな安倍首相=インタ-ネット上に公開の写真より

 

2017.10.24:masuko:コメント(0):[身辺報告]

この酔狂な時代の片隅で

  • この酔狂な時代の片隅で

 22日の「国難突破」選挙の投票をすませた後、わが身に降りかかった“国難”ならぬ「災難」をふり払うため、あるコンサ-ト会場に足を運んだ。日本3大杜氏(とうじ)のひとつである南部杜氏の酒造り唄をCD化した「南部酒屋唄」の完成を祝う集まりである。岩手の農村地帯では約300年前の江戸時代から現金収入を補うため、冬場の農閑期に酒造りを支える職人集団を全国に派遣してきた。約半年間にも及ぶ“出稼ぎ”である。ふるさとや家族と離れた淋しさ、過酷な労働からの解放、働くもの同士のきずな…。そんな時、杜氏たちの口をついて出たのが酒造り唄だった。

 

 冬場の早朝4時、凍てつく寒さの中の中に桶や樽などの道具を洗う唄が聞こえてくる。この「流し唄」と同時に酒造りが始まる。米とぎ唄、添えつき唄、仲仕込み唄、三転(さんころ)つき唄…。作業手順に応じて、八つの歌があった。口承で歌い継がれ、歌えないと給料が半分に減らされる「唄半給金」という言葉もあった。丹波杜氏(兵庫)と越後杜氏(新潟)と並ぶ名人たちだったが、酒造りの技術革新に伴い、歌い手も少なくなった。花巻市石鳥谷町在住の音楽家、佐藤司美子さん(50)らが2年がかりで蔵人たちから聞き書きをし、元杜氏の伊藤賢治さん(75)ら4人が収録に協力した。

 

 この日のコンサ-トは「酒屋唄6重奏」(ピアノ、フル-ト、ヴァイオリン、チェロ、ベ-ス、ドラム)という異色のコラボレ-ション。伊藤さんらの野太いバックミュ-ジックと洋楽との融合が不思議な小宇宙をかもし出した。岐阜県で20年間、杜氏暮らしをしたという伊藤さんが思い出を語った。「酵母菌は生きもの。だから、酒造り唄を聞きながら生まれた酒はとびっきりの上等。丈夫な子どもを育てる子守歌のようなもんです」

 

 選挙狂騒曲に振り回された12日間―。日本の伝統文化を生かしたメロディとリズムがたまった疲れをいやしてくれた。それにしても酒でも飲まなきゃと思っていた矢先のイベント。偶然とはいえ、総選挙に合わせたような酒屋唄コンサ-トに乾杯!!と、かたわらのテレビがまたぞろ、狂騒曲を奏ではじめている。「自公大勝利」を伝えるアナウンスの声がやけに甲高い。いやはや…。

 

(写真は酒造り唄との絶妙なコラボを披露したコンサ-ト=10月22日午後、JR花巻駅前のなはんプラザで)

2017.10.22:masuko:コメント(0):[身辺報告]
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