HOME > 記事一覧

賢ちゃんに捧ぐ―「坂田節」、炸裂

  • 賢ちゃんに捧ぐ―「坂田節」、炸裂

 

 「人徳」のかたまりのような賢ちゃんが少し首をかしげ、左耳に手を当てながら聴き入っている―。2月下旬、日本屈指のジャズ喫茶・「ベ-シ-」の穴倉ようなフロアに、活動停止したあの「嵐」ではなく、サックス奏者の坂田明さん(74)が率いる同名のユニット「嵐」の音響が炸裂した。東日本大震災で大槌町にあった岩手最古の老舗スポット「クイ-ン」は跡形もなく、海のもくずと消えた。そのオ-ナ-だった佐々木賢一さんは昨年夏、76歳で旅立った。その死をしのぶライブ…賢ちゃんの1週間前に妻を亡くした私も元気をもらいにノコノコと出かけた。

 

 「賢ちゃんがくたばってしまった。人は誰でも死ぬ。意味なんてない。オレの演奏にも意味なんか求めてくれるな。ただ、見ててくれればいい」と例のだみ声が薄暗い空間にはね返った。本来なら、ベ-シ-店主の菅原正二さんと一緒にミュ-ジシャンを迎える側の賢ちゃんが「遺影」の中で微笑んでいる。スエ-デン出身のJohan・Berthling(ダブルベ-ス)とノルウエ-出身のPaal・Nilssen・love(ドラムス)の北欧コンビがお国柄を吹き飛ばすような「超絶」ぶりを発揮している。以前、賢ちゃんと隣り合わせで同じコンビの演奏を聴いたことがある。「坂田は特上の生薬なんだよ。そう元気の源」とその時、賢ちゃんがつぶやいた言葉がよみがえった。

 

 私自身、「坂田節」から元気印を処方されてきた一人である。さかのぼれば、数十年前にアイヌのミュ-ジシャンと坂田さんがジョイントを組んで以来だから、付き合いはもうだいぶ古くなる。今回の「捧ぐ」ライブの2週間ほど前、坂田さんは滋賀県のびわ湖畔で開かれた小室等ナイトコンサ-トの会場にいた。全盲ろう者で、東京大学先端科学技術研究センタ-教授(バリアフリ-教育学)の福島智さん(56)が作詞作曲した「心の宇宙」のライブ会場。テ-マは「光と音のない世界から音楽が生まれる」―。指点字通訳者が福島さんの指を点字タイプライタ-のキ-に見立て、坂田さんらミュ-ジシャンの旋律を同時進行で伝えていく。

 

 坂田さんはミジンコの研究者としても知られる。「こいつの命は透けて見えるんだよな」というのが口癖である(1月29日付当ブログ「余命、一年半」参照)。光と音のない世界に音楽を届けるという画期的なコンサ-トの光景を目に浮かべなら、私は心の中に透明感が広がるような気がした。「強烈でなお清冽(せいれつ)なあのサックスの響きがきっと、福島さんのこころに染み入ったにちがいない」と―。1週間後の「3・11」に79歳の誕生日を迎える私は「嵐」特約のこの“生薬”を服用しながら、もう少し生きてみたいと思う。くじけそうになる時は坂田さんの十八番(おはこ)である「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)を口ずさむことにしている。

 

 

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった(一番)

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった(二番)

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった(三番)

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった(四番)

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない(五番)

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない(六番)

 

 

(写真はいまは亡き賢ちゃんも堪能したであろう坂田「嵐」ライブ=2019年2月22日、一関市内のベ-シ―で)

「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を

  • 「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を

 

 「わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する」(外村大・東大大学院総合文化研究科教授による現代語訳)―。100年前(1919年)の今日3月1日、現在のソウル中心部にあるパコダ公園(当時、現タプコル公園)で、「独立万歳」(トンニプマンセ-)の声と共に冒頭の宣言文が高らかにうたい上げられた。「3・1」独立運動はこれをきっかけに朝鮮半島全土に広がった。この約2ケ月後の5月4日、今度は中国でのちに「五・四運動」と呼ばれる抗日運動が始まった。「1・9・1・9」は日本がアジアのナショナリズムと敵対することになる節目の年だった。

 

 さかのぼること約9年前の1910年、日本は当時の大韓帝国(韓国)を併合し、全土を植民地支配下に置いた。宣言文の中にこんな一節がある。「自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちは私たちの生きる権利をさまざまな形で奪った。…彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる」―。独立運動に参加した朝鮮人は約200万人。死者7509人、負傷者1万5850人を数え、4万6306人が逮捕された。この運動に呼応した10代の少女、柳寛順(ユ・グァンスン)は日本の憲兵隊に逮捕され、16歳の時に獄死した。「朝鮮のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた彼女は日本による植民地支配に抵抗した朝鮮民族のシンボルでもあった。

 

朝鮮総督府のもとで、天皇制イデオロギ-による苛烈な同化政策が推し進められ、こうした植民地支配は太平洋戦争で日本が敗北するまで35年間、続いた。そして、100年後の日本のいま―。「竹島」問題や元徴用工への賠償問題、元慰安婦をめぐる天皇陛下への謝罪要求、レ-ダ-照射問題、さらには北朝鮮による拉致問題…。ふたたび、朝鮮半島に対する憎悪が渦巻いているようである。「独立万歳」の声は遠い歴史の彼方にかき消され、「そんな歴史はそもそもなかった」という修正主義が闊歩(かっぽ)しているような錯覚さえ覚える。宣言文の中にはこんな一節も見える。「支配者はいいかげんなごまかしの統計数字(原文では「統計數字上ノ虚飾」)を持ち出して自分たちが行う支配が立派であるかのようにいっている」―。日本の支配を正当化するこの言説について、外村教授はこう述べている。

 

 「総督府の“開発政策”が朝鮮人にはありがたいものではないという意味だったのだろうが、100年後の日本人は、文字通りの『統計数字の虚飾』の問題に直面している。他民族を騙(だま)す支配者は自国民も騙す、チェック機能が働かなければそれは繰り返される、という教訓も読み取れるかもしれない」(2月22日付「週刊金曜日」)―。そういえば、「あった」ことを「なかった」ことに、それとは逆に「なかった」ことを「あった」ことにでっち上げる便法はこの国の支配層の伝統的な手法だったことにはたと思い当たる。そして、国民のほとんどがそのことに関心を向ける気配はない。

 

 「3・1」から「3・11」へ―。(2011年)3月11日、日本列島の東半分を襲った大震災から間もなく、丸8年を迎える。この日がたまたま、私の誕生日に当たっているというのも何か不思議な巡り合わせである。「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ」と新聞記者の青木美希さんは自著『地図から消される街』のはじめにの中にこう書き、エピロ-グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。あとには何もないまち。名前をなくすまち」(2月2日付当ブログ参照)

 

わが宰相のあの破廉恥(はれんち)な発言をまざまざと思い出す。大震災の2年後、安倍晋三首相は五輪招致をこんな風に呼びかけた。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」―。いわゆる「アンダ-コントロ-ル」発言である。

 

 わずか8年前の記憶にしてこうである。いわんや100年前は…。だからこそ、私は単なる語呂合わせではなく、「3・1」から「3・11」へと記憶の架け橋をかけたいと思う。100年前の「独立宣言」こそが被抑圧者の共通の渇望(かつぼう)にちがいないからである。そっと、こう口ずさんでみる。「わたしたちは、わたしたちの国である琉球国が独立国であること、また琉球人が自由な民であることを宣言する」―。県民投票の圧倒的な「民意」などまるで歯牙(しが)にもかけないかのように、沖縄の「辺野古」新基地建設が強行されている。朝鮮半島に対するかつての植民地支配の現在進行形が目の前に存在する。語呂合わせを言うなら、「19(征く)・19(征く)」の方がよっぽど、当たっている。征服者の「征」である。

 

 

(写真はユ・グァンスンを先頭にデモする民衆とそれに銃を向ける憲兵隊を描いたレリ-フ。一連の絵がタプコル公園に設置されている=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記-1》~沖縄の「民意」と地方議会の役割

 

 東京都に住む無職の男性(71)が朝日新聞「声欄」(2月27日付)に以下のような投書(要旨)を寄せていた。「例えば昨年末、東京都小金井市議会が、辺野古の建設工事の即時中止や普天間飛行場の運用停止、代替施設の必要性について国民的議論などを求める意見書を可決した。同じ地方自治体として本土の各地方議会がやるべきなのは、『辺野古新基地の強行建設反対』などと声を上げることではないか。まもなく統一地方選がある。身近な地方議員選の候補者に、辺野古新基地建設の是非について議論することを公約とするよう求めてはどうだろうか。私たちも『沖縄の民意を活(い)かせ』と意思表示する時だ」

 

 

《追記―2》~請願(陳情)権の行使

 

 「ご異議なしと認めます」。東京都文京区議会本会議で1日、選択的夫婦別姓制度について国会審議を求める意見書の提出を要望する請願が全会一致で採択された瞬間、なんだろう、不思議な爽快感があった。請願者はソフトウエア開発会社「サイボウズ」社長の青野慶久さんと、私(毎日新聞記者)。この意見書1通で国が動くなんて思ってはいない。でも、日本国憲法16条が定める「請願権」を生まれて初めて行使してみた体験を、私は無意味だとも思わない。【3月2日付「毎日新聞」電子版】

 

 

 

 

 

 

 

「寄り添う」という風景―地元2紙の社説から…注目される花巻市議会の対応

  • 「寄り添う」という風景―地元2紙の社説から…注目される花巻市議会の対応

 

 花巻市議会3月定例会に向けて提出した「『日米地位協定』の抜本見直しを求める」陳情(2月18日付当ブログ参照)が正式に受理され、3月8日午後1時半からに開催される総務常任委員会(鎌田幸也委員長ら9人)で審査される。私は参考人として、意見陳述する。沖縄県では1996年、「日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小」の賛否を問う県民投票が行われ、「賛成」が89・0%に上った。今回の「辺野古」新基地の埋め立てをめぐる賛否でも「反対」が72・15%を占めた。同市議会は3年前、同じ趣旨の請願を反対多数で否決した経緯がある。沖縄の過去2回の「民意」をどう受け止めるか―審査の行方が注目される。社説は以下の通り。

 

 

●果たして、この国は民主主義国家なのだろうか。「民主主義の皮をかぶった独裁国家」を疑いたくなる。辺野古新基地埋め立ての賛否を問う県民投票で、投票者の7割が「反対」の明確な意思を示した。しかし、政府は民意無視の姿勢を一向に変えようとはしていない。民主主義国家としてあり得ない対応だ。政府は埋め立て工事を即座に中止し、本当に米軍普天間飛行場の危険性除去につながる方策を提示し、米側と交渉すべきだ。日本の民主主義が問われている。
 

 一夜明けて、安倍晋三首相は「結果を真摯(しんし)に受け止める」と語ったものの「移設をこれ以上、先送りできない」と強行方針を変えなかった。これだけ反対が根強いのに、地元の意向を無視して一方的に建設を強行するのは、民主主義を押しつぶす行為だ。ロシアのプ-チン大統領が昨年末、「地元知事が反対しいるのに整備が進んでいる」と指摘したように、今後、国際的な批判も浴びよう。
 

 県民は辺野古新基地について、2度の県知事選や国政選挙などで繰り返しノ-を示してきた。今回は、新基地建設という一つの問題だけに絞った駄目押しの反対表明だ。県民投票の投票率は、昨年の県知事選の63・24%よりも低い52・48%だったにもかかわらず、反対票は玉城デニ-知事の得票数39万票余を大きく上回る43万票余に上った。共同通信社の出口調査では、辺野古移設を推進する自民党の支持層でも、反対の48%が賛成の40%を上回った。保守層の中にも辺野古移設に反対が根強いことが分かる。
 

 ところが、県民投票の結果を矮小化(わいしょうか)する動きが政治家や一部報道に出てきている。「有権者の半分しか投票していない」「有権者全体では反対は37%止まりだ」などの批判だ。投票率の低下は全国的な課題だ。衆院選で見ると、2017年53・68%、14年52・66%と戦後2番目と最低を記録した。50%未満の府県はそれぞれ4県、8県だった。これらの選挙で選ばれた政治家の資格も否定するのだろうか。それよりも、人物を選ぶ選挙でもないのに、有権者の52%が投票所に足を運んだという事実は重い。政治に参加する意思のある県民だ。その7割が突き付けた反対の民意を過小評価すべきではない。
 

 県民投票を2度も実施した都道府県がどこにあろう。民意を踏みにじり、間接民主制の政治が機能不全に陥っているからこそ、直接民主主義に頼らざるを得なかったのだ。安倍政権は問題の本質をそらし、辺野古移設か普天間固定化かの二者択一論にすり替えることに躍起だ。県民の民意がはっきりした以上、工事を中止し、新基地建設とは切り離して、最優先で普天間飛行場の運用停止に向けて対米交渉へ行動を起こすべきだ。今度こそは民意に向き合い、本気で危険性除去に取り組むことを強く求める(2月26日付「琉球新報」

 

 

●名護市の辺野古新基地建設に「ノ-」を明確に突き付けた県民投票から一夜明けた25日早朝。米軍キャンプ・シュワブゲ-ト前では警察が新基地に反対する市民を排除する中、ダンプカ-が次々とゲ-ト内に入り、土砂の搬入を繰り返した。海上でも辺野古側の土砂投入と大浦湾側の護岸造成工事が続いた。沖縄の民意を無視し、力ずくで押しつぶそうという安倍政権の強行一辺倒の姿勢である。とうてい納得できない。民主国家であるならば民意が示された以上、ひとまず工事を中止すべきだ。

 

 玉城デニ-知事は同日の県議会一般質問で安倍晋三首相に対し「埋め立てを認めない断固たる民意を受け止めてもらいたい。辺野古が唯一の方針を直ちに見直し、工事を中止してもらいたい」と求めた。県民投票の結果を踏まえた当然の要求である。玉城知事は今週にも予定している安倍首相との会談で、普天間飛行場の早期返還に向け対話に応じるよう強く求める考えだ。

 

 安倍首相は衆院予算委員会で「結果を真(しん)摯(し)に受け止め、基地負担の軽減に全力を尽くしていきたい」と答弁した。言葉とは裏腹に、辺野古の現場では強権を振るっており、県民を愚(ぐ)弄(ろう)するものだ。安倍首相は「もはや普天間返還の先送りは許されない」と、新基地建設を続行する考えも示した。辺野古にこだわり続けている結果、普天間の返還が遅れに遅れて先の見通しが立っていないのが現実ではないか。

 

 信じられないのは沖縄基地負担軽減担当相を兼務する菅義偉官房長官である。「普天間飛行場の危険性除去、返還をどのようにするのか、知事から語られておらず、ぜひ考えを伺ってみたい」と述べた。そもそも普天間の危険性除去や返還で知事に代替案を出せというのがおかしい。政府の無為無策ぶりをさらけ出しているようなものだ。政府は「辺野古が唯一」の一点張り。それを見直す気がないのに、県に代替案を迫るのは暴論であり、どう喝である。

 

 仲井真弘多元知事と約束した普天間の5年以内運用停止も米側と交渉の形跡がないまま期限を迎え、県に責任転嫁している。仲井真氏は一時期「辺野古に固執するのではなく、もっと早く現実的に移設できる県外の場所を探すべきだ」と言っていた。なぜ県外では駄目なのか。説明責任をまったく果たしていない。

 

 普天間返還は当初、既存の米軍基地内にヘリポ-トを新設することが条件だった。紆余(うよ)曲折を経て似ても似つかぬ新基地に変貌した。負担軽減に逆行するのは明らかだ。返還合意当時の橋本龍太郎首相は地元の頭越しには進めないことを大原則にしていた。米軍基地は人権や自治権を大きく制約し住民にさまざまな負担を強いる。自治体や県の同意なしにはできない。新基地建設問題は県民投票によって新しいステ-ジに入った。政府は「辺野古唯一」の見直しを表明した上で、県との対話に臨むべきである(2月26日付「沖縄タイムス」)

 

 

(写真は県民投票から一夜明けた25日、米軍キャンプ・シュワブのゲ-ト前で抗議の男性を強制排除する機動隊員=25日午前、名護市辺野古で。琉球新報より)

 

 

沖縄の「民意」…問われる本土住民

  • 沖縄の「民意」…問われる本土住民

 

米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古沿岸部埋め立ての賛否を問う県民投票が24日投開票され、即日開票の結果、開票率100%で埋め立て「反対」の得票が有効投票総数の72・15%の43万4273票に達した。反対票は、県民投票条例で「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1を大きく上回る37・65%に上った。玉城デニ-知事は「新基地建設の阻止に改めて全身全霊をささげる」と述べ、政府に方針の見直しと普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還を求める考えを強調した。結果を通知するため近く上京する方向で調整している。一方、安倍晋三首相は、玉城知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。


 投票率は52・48%で半数を上回った。有効投票総数60万1888票のうち、埋め立て「賛成」は11万4033票で19・10%、「どちらでもない」は5万2682票で8・75%だった。県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は、知事選や国政選挙などに加え、新基地建設の賛否だけを直接問う県民投票でも、明確な反対の意思を示した。

 投票率は昨年9月に行われた県知事選の投票率63・24%を約10ポイント下回った。一方、埋め立てに「反対」票は知事選時に玉城知事が得票した39万6632票を上回った。今回の県民投票条例を直接請求した「辺野古」県民投票の会(元山仁士郎代表)は結果を受けて出した声明で「明確な反対の民意が示された今、問われるのは本土の人たち一人ひとりが当事者意識を持ち、国の安全保障と普天間飛行場の県外・国外移転について国民的議論を行うことだ」と強調した。その上で「政府は普天間の危険性除去(基地閉鎖・返還)を最優先に米国政府との交渉をやり直し、沖縄県内移設ではない方策を一刻も早く検討すべきだ」と提起した。

基地の整理縮小や日米地位協定見直しの是非を問うた96年の県民投票では賛成が89・09%に上り、有権者数の過半数(53・04%)に達した。投票率は59・53%だった(2月25日付「琉球新報」)

(写真は勝利を喜ぶ県民投票連絡会のメンバー=24日夜、那覇市内で。インターネット上に公開の写真から)

 

《追記―1》~「大弦小弦」(25日付「沖縄タイムス」コラム)

  名護市の投票所は小雨に包まれ、人影が少なかった。24日午後、県民投票で訪れた男性(57)は「静かすぎてびっくりです」と辺りを見回した。1997年の名護市民投票とは様変わりだ

 

あの時、投票所入り口は辺野古新基地建設に条件付き賛成と反対、両派の訴えで騒然としていた。何より、政府が全力で勝ちにきていた。防衛庁の職員が戸別訪問に回り、長官は自衛官に文書で集票を求めた

なぜ今回は静観し、「県民の理解」を求める絶好の機会を放棄したのか。菅義偉官房長官は「地方公共団体が条例に基づいて行うもの」と言うが、それは市民投票も同じだった

基地建設に合理性がなく、議論では勝ち目がない。政府がそう認めたに等しい。「不戦敗」に追い込んだこと自体、21年余りの間に県民が蓄えた力を示している

そして論戦が成立しない中でも過半数が足を運び、昨年の知事選を上回る反対の票を積み上げた。県民の意思は最終結論が出た

24日夜、反対を訴えてきた県民投票連絡会の名護支部。市民投票の時のはじけるような万歳はなく、穏やかに結果を喜び合った。参加者は「賛成派に勝った、万歳、ではない」「本当の相手は政府。県民が一緒になって向き合っていく」と語った。何度裏切られても諦めない、不条理に鍛えられてきた民主主義の言葉があった。(阿部岳)

 

 

《追記―2》~「金口木舌」(25日付「琉球新報」コラム)

 

 1996年は19歳だった。日米地位協定の見直しと基地整理縮小の是非を問う県民投票では、選挙権がないため投票できなかった。「1年早く生まれていたら」。意思表示をできなかった悔しさは今も消えない

 

名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票は投票率が50%を超え、結果は反対が賛成を大幅に上回った。県民は1票を投じ、それぞれの意思を再確認した
名護市の61歳の男性は1997年のヘリポート基地建設を問う市民投票では賛成だったが、今回は反対に投じた。「振興のため必要だと自分に言い聞かせてきたが、もう限界だ。沖縄への理不尽は何も変わらなかった」
辺野古の20歳の男性は県民投票の費用対効果に疑問を抱きつつ、「権利だから」と足を運んだ。「国と争っても補助金が減るだけだ。基地に悪いイメージもない。賛成に入れた」
名護市の投票所には車いすやタクシーで訪れた高齢者、入院患者を示すリストバンドを巻いた若い女性も1票を投じていた。取材に涙を浮かべ思いを語る男性もいた
名護市出身の元副知事、比嘉幹郎さん(88)は米統治時代、琉球列島米国土地収用委員会の通訳を務めるなど基地の変遷を見詰めた。「政府は沖縄を外交の道具として使ってきた。分裂を中央政府が喜ぶ」と指摘し、その脱却のため結束を呼び掛けた。分断は乗り越えられる。県民が票に託した願いだ。

 

 

《追記―3》~本土大手メディアの目

 

 世論調査に答えたものでも、街頭でアンケートに答えたものでもない。18歳以上の沖縄県民一人ひとりが投票所に足を運んで一票を投じたのが、今回の結果だ。1996年の県民投票は「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直し」がテーマで、賛成が89%を占め、有権者の過半数に達した。この時は前年に少女暴行事件があった。賛成票を投じやすいテーマでもあった。今回は、安倍政権が辺野古の海に土砂を投入し続ける中での県民投票だ。「工事は止まらないかもしれない」。多くの県民はそう考えながらも「意思表示をしなければ」と動いた。

 

 米軍普天間飛行場から辺野古まで直線距離は40キロ程度。辺野古に移っても、米軍機は沖縄の上空をこれまでと変わらず飛び回るうえ、子や孫の代まで使われると、沖縄の人たちは肌感覚でわかっている、だからこそ、23年ぶりの県民投票を、沖縄の歴史に残る重要な機会と受け止め、将来への責任を背負いながら「反対」に投票した人が多かったと思われる。「将来、子どもたちに『県民投票の時にお父さん、お母さんはどうしたの?』と聞かれたら、堂々と答えられるようにしたい」。取材で何度か聞いた言葉だ。

 

 県民投票実現に向けた署名集めから条例制定と改正、そして投票。沖縄は行動することによって、重い民意を示した。今度は、本土に住む人たちが、この歴史的な結果を受け止め、自分たちに何ができるか考える番だ」(2月25日付「朝日新聞」)

 

 

《追記―4》~現地では工事強行

 

【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、43万人を超える県民が埋め立て「反対」の民意を示した県民投票から一夜空けた25日、政府は工事作業を強行した。辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では市民約60人が座り込んだ。「これ以上、民意を無視するな。民主主義国家のやることか」と怒りの声を上げた。市民は早朝から、県民投票の結果を伝える新聞記事や「海を壊すな」と書かれたプラカードを走行する車に掲げた。午前9時半、基地内に建築資材を搬入する大型車がゲート前に到着すると、県警の機動隊員が市民を強制排除した。


 機動隊は「あなたも心の中では反対でしょう」と語り掛ける市民の声を遮るように次々と排除した。大型車の排出ガスが充満するなか、建築資材が基地内へと運び込まれた。沖縄防衛局は海上でも工事を強行した。辺野古崎突端部付近の「N4護岸」では被覆ブロックを積む作業が確認された。市民はカヌー9艇と抗議船を出して、民意を顧みない政府に憤りの声を上げた。抗議船船長の山口陽子さん(55)は「これだけ民意を反映しない政府とは一体何なのか。国民の1人として許せない。県民の叫びを聞いてほしい」と話した。【2月25日付「琉球新報」電子版】

 

 

 

 

 

 

 

「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

  • 「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、埋め立ての賛否を問う県民投票が24日実施され、3択のうち「反対」が「賛成」や「どちらでもない」を上回わり、「反対」が投票資格者総数(115万3591人、24日見込み)の4分の1に達することが確実となった。県民投票条例に基づいて、玉城(たまき)デニ-知事には結果の尊重義務が生じ、同知事は首相と米大統領に結果を通知する。

 

 沖縄で県民投票が実施されるのは、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小の賛否が問われた1996年以来、2回目。条例に基づく都道府県単位での実施はこの時が初めてで、「賛成」が投票総数の89・09%だった。私が提出した「日米地位協定」の抜本見直しの陳情に対し、花巻市議会が今回を含めた沖縄の民意にどう対応するかが注目される。

 

 

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われ、午後8時に締め切られた。琉球新報社が共同通信社、沖縄タイムス社と合同で実施した出口調査の集計結果や県が発表した投票率の推移などから、埋め立て「反対」の得票が県民投票条例で知事が「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1に当たる約29万票を上回ることが確実となった。

 県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、民主主義の手段で示された県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は知事選など県内の主要選挙に加え、移設の賛否だけを直接問う県民投票で辺野古移設に反対する明確な意思を示した。

 今回の県民投票は、一橋大大学院生の元山仁士郎氏を代表とする「辺野古」県民投票の会が約9万3千筆の署名を集めて昨年9月、県に県民投票条例の直接請求を行った。県議会は昨年10月、条例案を可決したが、市議会で県民投票経費の予算案が否決された沖縄市や宜野湾市などの5市長が選択肢への不満を示すなどして予算の原案執行を拒否した。その後、全県実施の声に押された県議会が賛否2択から3択に改正した条例案を賛成多数で可決、5市長は実施に転じた。【2月24日付「琉球新報」電子版】

 

 

(写真は「辺野古」新基地建設に伴う埋め立て工事ノーを伝える琉球新報の号外=24日付「琉球新報」電子版から)

 

 

 

《追記―1》~政府、困惑。しかし、方針は変えず

 

 政府は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る県民投票が反対過半数の結果になったものの、移設推進方針を堅持する。ただ賛成を大きく上回る反対票の重みを踏まえ、県側へのさらに丁寧な説明に努める。安倍晋三首相は、玉城デニ-知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。普天間の危険性を除去するためにも「辺野古移設以外の解決策はない」(首相周辺)として、理解を求める考えだ。政府は従来、辺野古に移設すれば普天間飛行場の基地機能が縮小され、危険性や騒音被害も大幅に減ると訴えてきた。それでも理解は広がっておらず、官邸幹部は困惑する(2月24日付「共同通信」)

 

 

《追記―2》~県民投票のこの日、陛下在位30年式典で「琉歌」

 

 天皇陛下の在位30年を祝う政府主催の式典が24日、天皇、皇后両陛下を迎え、国立劇場(東京都千代田区)で開かれた。天皇を国民統合の象徴と定める現行憲法下で初めて即位された陛下は、あと2カ月あまりで退位する。あいさつでは「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、私を継いでいく人たちが、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と将来への期待を語った。
 

 式典では、沖縄県出身の歌手の三浦大知さんが、陛下が詠んだ琉歌(りゅうか)(沖縄の歌)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」を独唱するなどの記念演奏があった。戦中戦後の沖縄の苦難の歴史に関心を寄せてきた両陛下は演奏を見守り、拍手を送った。約1時間の式典が終わると、陛下は笑顔で手を振り、会場を後にした【2月24日付「毎日新聞」電子版、要旨】

 

 

《追記―3》~陛下作詞、皇后作曲「歌声の響き」

 

 「歌声の響き」は天皇陛下が皇太子の頃、名護市にあるハンセン病療養所「愛楽園」を訪れた際に「だんじょかれよし」(誠にめでたいの意)という船出を祝う沖縄民謡を聞いたのがきっかけとなり、の時のことを琉歌に詠み、それをもとに皇后陛下が作曲した楽曲。歌詞は以下の通り。

 

●「だんじよかれよしの歌声の響/見送る笑顔 目にど残る」(謹訳;私たちの旅の安全を願うだんじよかれよしの歌声がひびき、見送ってくれた人々の笑顔が、いつまでの目に残っています)

 

●「だんじょかれよしの歌や湧上がたん/ゆうな咲きゆる島 肝に残て」(謹訳;私たちが立ち去ろうとすると、だんじよかれよしの歌声が湧き上がりました。ゆうなの花が、美しく咲いている島の人々のことがいつまでも心に残っています)