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「むかしむかし」から『ミライミライ』へ―「挑発的な思考実験}

  • 「むかしむかし」から『ミライミライ』へ―「挑発的な思考実験}

 

 「むかしむかし、詩人たちは銃殺された」―。作家、古川日出男さんの最新作『ミライミライ』はこんな衝撃的な書き出しで始まる。時は1972年2月上旬、場所は札幌市内を流れる豊平川河畔。処刑されたのは「北海道の日本人」でその数は全部で32人。一方、刑を執行する側はソ連兵で、罪状は「アイヌ文化の搾取や掠奪(りゃくだつ)」などとなっている。「あったかもしれないもうひとつの歴史」―。第二次世界大戦後、敗戦国である日本はアメリカとソ連に分割統治され、ソ連に統治される北海道では旧日本軍の兵士らが抗ソ連のゲリラ戦を展開していた。さて、本書では被処刑者も処刑者も「アイヌ」に対しては植民者と措定(そてい)されているようである。だとしたら、何故!?

 

 古川作品のスケールは途方もない。だから、想像力の射程を能(あた)う限り広げ、合わせてそれ相応の胆力(たんりょく)も準備しなければならない。「ソ連、北海道を占領」(1945年)、「抗ソ武装組織、網走刑務所を強襲」(1950年)、「印日連邦(インディアニッポン)誕生」(1952年)、「ヒップポップグル-プ『最新“』(サイジン)結成」(200X年)、「日本州への核武装要求」(2016年)…。冷戦下で主権を回復した日本はインドとの間で連邦国家を形成する。本土復帰後もロシアの基地が残った、その北海道の地で産声を上げた4人の若者による「最新”」。新しいリズムの「ニップノップ」が生まれ、それが世界を席巻(せっけん)する。日本列島縦断公演の途中、世界中に名声をはせるMC(司会&ラッパー)が盛岡で誘拐(ゆうかい)されるが、公演は続行される。

 

 「小説は本当に読まれなくなってきている。読むのに体力が要るから。それでも生き残っている強者(つわもの)の読者向けに、その強者が唸って卒倒するような本を書けるようでなければ…」(新潮社『波』)―。作者は本作の執筆に当たって、こんな挑発をしている。「むかし―いま―みらい」…。まさに卒倒しかねないほどの目まぐるしい展開である。その一方で、冒頭の不気味な一節が頭にまとわりついて離れない。文中にはアイヌ語に由来する地名があちこちに散りばめられ、そもそもヒット曲「ニップノップ」もいかにもアイヌ風ではないか。以下のような会話が交わされる部分がある。

 

 「北海道がなかった。そこにアイヌがいた。それから、北海道が現われて、そこに和人(わじん)が入植した。和人っていうのは、日本人だ。入植っていうのは、侵出だ。さて、こういうのは、ソ連と何が違うのか?お父ちゃんが考えるにな、これはつまり、ソ連と同じだ」―。「最新“」に危急が迫る時に決まって、現われるのはヒグマと化した”熊人間”である。アイヌ民族にとって、羆(ひぐま)は最高神(キムンカムイ)に位置づけられる。だから、銃殺刑に処せられた罪状には、「たとえば羆の霊を歌うにせよ、それをアイヌ人の熊送り(イヨマンテ)の儀式を下敷きにして語る」(本書)―という詩作の手法も「搾取や掠奪」とみなされるのである。

 

 「日本州に核を配備しろ。日本州は核武装しろ。それを私は要求する」―。最終公演地の沖縄・那覇で「最新“」は誘拐されているMCからのメッセ-ジを受け取る。「人質解放か、核武装化か」―。行政トップが苦渋の表情で語る場面がある。「本土復帰の前にはね、核が、あったからねえ。あったんだ。アメリカの基地の敷地内にあった。嘉手納(かでな)の空軍基地に、それから辺野古(へのこ)。あと、この那覇にも、核兵器は貯蔵されてましたからねえ。それが、日本州に核ミサイル配備、となると、沖縄には再配備になる。なんのための復帰だったかねえ。翻弄(ほんろう)されてばかりだねえ」

 

 「最新“」は決死の覚悟で人質になっているMCの救出作戦を練り上げる。「核武装を阻止するために」…とここまで読み解くのが精一杯だった。古川さんは「沖縄を見るということになったときにもう、鏡の中で反転された像みたいに北海道が見えてきた」(『波』)と書いている。作者は「もうひとつの歴史」―つまり「ソ連占領」という”偽史“を描くことによって、「北」と「南」の、言葉の真の意味での「正史」(植民地化史とその抵抗史)をよみがえらせようと目論んだのではないのか。作家で読みの達人でもある佐藤優さんが総合文芸雑誌『新潮』(5月号)で、古川さんの「ミライミライ」論を展開している。さっそく、注文した。私の浅読みの部分はこの論作で補ってもらうことにする。

 

 最近、北と南を行ったり来たりする自分にふと、気が付くことがある。”みちのく”(東北=蝦夷)と呼ばれた、かつてのプレ植民地ー「化外(けがい)の地」(王化の及ばない地)に生を受けた末裔の宿命なのかもしれない。両眼にヒグマとジュゴンが群れ遊ぶ姿が浮かんでは消える。

 

 

(写真は古川さんの最新作『ミライミライ』の表紙。未来を見つめる少女の視線が深い=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》~「挑発的な思考実験」

 

 「優れたテキストは複数の解釈を可能にする。それだから、この小説を書評することはとても難しい。切り口によって、まったく異なる姿が浮かび上がってくるからだ。パラレルワ-ルド(並行世界)を描いた作品と読むこともできるし、地政学を加味した国際インテリジェンス小説と解釈することもできる。音楽小説でもある」(『新潮』5月号)―。本日(4月9日)届いた文芸誌の中で、作家の佐藤優さんは「挑発的な思考実験」のタイトルでこう書いていた。そのうえで、「最新”」のヒット曲「ニップノップ」の思想の土着性に着目、その多様性に未来を展望している。

 

 本書のテ-マでもある「核」について、作者の古川さんはある対談でこう述べている。「個人的には、沖縄で米軍ヘリが落ちたことより、核開発をしている国が発射したミサイルが上空を通過したことの方が大騒ぎになるのは不思議な気がします。通過しただけで落ちていないわけですからね。その意味では、核は人間が持っている恐怖心やネガティブな感情を映し出す鏡だといえます。今の世界で最も巨大な問題だからこそ、そこに映し出される妄想の量たるやすさまじいものがある。できることは冷静に考えることしかありません。誰かが考えた『悪いシミュレ-ション』に合わせて現実は動きます。それに対抗できうるのは『良きシミュレ-ション』だけで、そこには小説の可能性がある」ー。そして、こうした心理状態を作品の中で「パラノイア」(偏執症)と位置付けている。

 

 「(古川さんの)直感と感情を、仮想の歴史の中で展開した観念小説として読んでみたい」という佐藤さんは『ミライミライ』の読後感をこう結んでいる。「本作品のテーマである日本の核武装要求もパラノイアの具現化だ。本稿を執筆している2018年3月時点でも、トランプ政権の北朝鮮政策や、森友学園問題をめぐる財務省の公文書改竄(かいざん)問題にしても、きれいに解析することを試みるとパラノイアになってしまうのである。その意味で『ミライミライ』は、優れた小説にとどまらず、現下日本と国際社会のリアリティを読み解くための手引きの書でもある」(同書)―。「思考実験」こそが小説読みの醍醐味である。そこには百態百様の切り口がある。そのひとつが佐藤さんのいう「パラレルワールド」(北=北海道vs南=沖縄)の視点に立った私の読みなのかもしれない。

 

 

 

 

 

2018.04.08:masuko:コメント(1):[身辺報告]

ヤイコシラムスイエ

  • ヤイコシラムスイエ

 

 「最近、筑紫(哲也、2008年没)さんの番組で、アイヌ音楽と、神を迎える踊りを見ることがありました。その中で、日本語の『考える』という言葉をアイヌ語では、『魂がゆれる』というのだと知りました」(『週刊金曜日』3月30日号)―。「ミナマタ」に寄り添い続け、今年2月10日に90歳の生涯を閉じた作家で詩人の石牟礼道子さんを追悼する特集に「魂ゆらぐ刻を」と題する文章が掲載されている。25年前、石牟礼さんが同誌の編集委員に名を連ねた際、自身の立ち位置について触れた文章である。当時、TBSのニュ-スキャスタ-をしていた筑紫さんのこの番組を私も鮮明に記憶している。出演したのは北海道・屈斜路湖畔を拠点に活動しているアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」(アイヌ語で大地の意)だった。石牟礼さんは続けて、こう記している。

 

 「魂がゆれるといえば思い当たります。私たちにまだ残っているあの、語らぬ思いや数かぎりない断念です。たぶんこれは近代的な権利意識とは無縁な、表現以前のデリカシ-です。それが今も、アイヌの地に魂の安らぐ時があって、人は言葉以前に魂同士、あるいは山川草木と共にゆれあっているというのです。あらためて、病としての文明が、わたしたちの感性を覆(おお)っているのに思いあたります。妙な色の、鱗(うろこ)のようなそれを、脱ぎ捨てたい願望と共に」

 

 「ヤイコシラムスイエ」―。モシリを主宰する豊岡征則さんは番組で、こんなアイヌ語を紹介した。「yay(ヤイ=自分自身)・ko(コ=に対し)・si(シ=自らの)・ram(ラム=心を)・suye(スイエ=揺らす)」…。日本語の「考える」に相当するアイヌ語である。日本語に解読しながら、こう話した。「日本人はよく、頭を使って『考える』という。でもアイヌは頭ではなく、心を揺らして『考える』。魂を大切にするということだと思う」―。代表作『苦海浄土/わが水俣病』などで知られる石牟礼さんは患者・家族との「魂のふれあい」を求め続けた人だった。批評家の若松英輔さんは追悼特集にこう書いている。「古い言葉だが、彼女に出会って、私のなかで決定的によみがえった言葉が『生類』(しょうるい)である。人類は、生類の一部であるあるとき、はじめて人類たりうる。しかし、人類は、いつしか生類とのつながりを自らの手で断ち切ったのではないか」

 

 「沖縄戦の戦跡にアイヌの祈りを捧げたい」―。もう30年以上も前のことになるが、モシリの全国公演に同行して、沖縄まで行ったことがあった。そのひとつ、沖縄戦終焉(しゅうえん)の地―本島南部・糸満市にある沖縄平和祈念公園(摩文仁の丘)ではカムイノミ(神への祈り)とイチャルパ(先祖供養)の儀式が営まれ、古式にのっとったアイヌ舞踊が宙に舞った。当時の光景が石牟礼さんの文章と重なった。

 

 「風土の神々や、感性の安らぐところを自ら封じこめてきた時代に追いつめられたあげく、近頃わたしは、舗装された地面を割って芽吹いている蓬(よもぎ)や葦(あし)をみつけて歩きます。その小さな芽立ちに、遠い世のメッセ-ジが聞こえるからです。…とりあえず今のぞましい文化のイメ-ジとして、かのアイヌ女性たちの、神を招く手つきが強く灼(や)きつけられています。魂の位相の高さを見る思いでした。言葉の真の意味で慎(つつ)ましき節度とは、このようにさしのべられる指や、脚の自然だったのかと思ったことでした。…微塵の媚(こび)もない入神の表情と躯(からだ)の動きでした。それに何よりも可愛らしいのでした。長い黒髪が、天と地とを、掃(は)いておりました」

 

 豊岡さんには「アトゥイ(atuy)」というアイヌ名がある。「海」という意味である。「この島に来ると、神々の気配を感じる」―。摩文仁の丘の前に広がるサンゴ礁の海を眺めながら、豊岡さんがポツリと言った。ニライカナイ(常世「とこよ」の国=琉球)とアイヌモシリ(人間の静かな大地=北海道)とは地続きなんだ、とその時思った。アイヌ語に日本語の「自然」に該当する言葉はない。森羅万象(しんらばんしょう)…つまり、この宇宙に存在する一切のものをアイヌの人々は「カムイ」(神)と呼ぶのである。

 

 たとえばひとつ―。夕方にふと、風がやむ「夕凪(ゆうなぎ)」ことを「レラオヌマンイペ」(風の夕食)と表現する。解読すると「rera(レラ=風が)・ onuman (オヌマン=夕方に)・ipe(イペ=食事する)」となる。「そりゃ、ひっきりなしに飛び回っているんだもん。腹もペコペコになるべや」―。にやりと笑ったエカシ(長老)のしたり顔がまだ、記憶の底にこびりついている。「風」もまた当然、カムイである。

 

 “神の国”として知られる沖縄・久高島に伝わる秘祭「イザイホウ」と、アイヌ女性の「フッタレチュイ」(黒髪の踊り)を交差させながら、石牟礼さんは「魂ゆらぐ刻を」を閉じている。

 

 

(写真は黒髪を揺らしながら、舞台狭しと踊るアイヌ女性=インタ-ネット上に公開の写真から。「モシリ」の舞台とは関係ありません)

2018.04.05:masuko:コメント(0):[身辺報告]

反戦彫刻家・金城実、吠える

  • 反戦彫刻家・金城実、吠える

 

 「天皇制と天皇とは違う。沖縄への慰霊の旅を続けてきた今の天皇には誠意が感じられる」―。天皇皇后両陛下が11回目の沖縄訪問を終えた直後の3月30日、読谷村在住の彫刻家、金城実さん(79)が東京・神田の沖縄料理店でファンに囲まれながら、熱弁を振るっていた。石垣島出身で沖縄独立論者として知られる龍谷大学の松島泰勝教授との共著『琉球独立は可能か』の出版を祝う会でのひとこま。両陛下が初めて沖縄を訪れた1975年7月、慰霊施設「ひめゆりの塔」(糸満市)で過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件が起きた。幸い大事には至らなかったが、実行犯の中に知り合いの青年がいた。当時はその行為に共感を抱いていた。

 

 2年前、「天皇制は大嫌いだが、天皇は大好きだ」(2016年8月21日付「朝日新聞」)という金城さんへのインタビュ-記事が大きな反響を呼んだ。「反戦彫刻家を自称していながら」、「天皇制に口を出す資格があるのか」…。左右両派から批判が相次いだ。「今上天皇は過去の戦争への反省を口にし、とくに沖縄戦の悲劇には心を寄せ続けた。天皇制論議はずっとタブ-だった。誰かが口火を切らなければならないと思った。それがオレだったというわけさ」とその時の気持ちを打ち明けた。実は金城さんは消えることのない心の傷を負い続けてきた。

 

 沖縄戦の際、米兵たちは女性に暴行するという噂が広がった。住民たちはあちこちのガマ(洞窟)に身を隠した。金城さんたちが避難したガマに精神に障がいのある女性がいた。パニックで大声を出したら、見つかってしまう…。その女性はガマの外に追い出された。金城さんはその時の光景を同書にこう書いている。「海岸にかすりの着物を着て、美しい背の高い女性が一人たたずんでいたんです。島民が助かるために彼女を人身御供(ひとみごくう)にしたわけですよ」―。ところが、米兵たちは女性を避けるように通り過ぎてしまった。当時、6歳だった「ガキ」の所業を金城さんはこう述懐するのである。「どこかがっかりした思いもあった。何かを期待していたからだろう。恐ろしいことを思っていたガキですよ」

 

 在日朝鮮人や被差別部落の人々、アイヌ民族…。金城さんが虐げられた者たちへの連帯を広めていった背後には幼い時の「心の傷」が影を落としているのかもしれない。出版を祝う会に一人の外国人女性の姿があった。オ-ストラリア国籍のキャサリン・ジェ-ン・フィッシャ-さん。16年前、横須賀市で米兵から暴行を受けた。加害者を米国まで追い、裁判を起こした。「正義の象徴」として、1ドルの賠償金を勝ち取った。金額の多寡(たか)ではない。3人の子どもには沖縄の血が流れている。金城さんを「沖縄のお父さん」と呼ぶジェーンさんはこう訴えた。「私と同じ悲劇に遭遇した女性が沖縄にはたくさんいる。基地がある限り、この悲劇はなくならない」

 

 私にもマイクが回ってきた。「独立戦争に失敗した末裔のひとりです」と切り出すと、みんなキョトンとした。1200年以上前の”蝦夷(えぞ)征伐”に抵抗して敗れた「アテルイの戦い」―。30年戦争とも呼ばれた、この歴史を知る人は少ない様子だった。「琉球独立」という言葉に触発され、とっさに口をついて出たのだった。金城さんと松島さんは同書の中で、「琉球(沖縄)の独立は同時に日本の独立の可能性も問いかけている」と記している。虚を突かれた。次の瞬間、死語だと思いこんでいた「独立」の2字が輪郭をともなってせりあがってきた。戦後ずっと対米従属に甘んじ、その犠牲をすべて沖縄に押し付けてきた「日本」(本土)こそが独立をた果たさなければならない。ハッとした。そのことに思いが至らない自分を恥じた。

 

 口の中にすっぽり収まりそうな可愛らしいハ-モニカから「故郷」の調べが流れた。東日本大震災の時、被災地のあちこちから聞こえてきたあの旋律である。お家芸の「下駄踊り」が会場が狭いという理由で取りやめになった。金城さんのもうひとつの隠し芸がこれだった。「ウサギ追いし…の部分はウサギ美味(おい)し、と歌ったもんだ。ひもじかったからな」―。「ふるさと」を奪われた沖縄にこそ、この童謡はそぐわしいと思いながら、聞き入った。73年前のこの日(4月1日)、米軍が沖縄本島に上陸。約3か月間に及んだ沖縄戦では県民の4人に一人と言われた約20万人が犠牲になった。

 

 この原稿を書いているその矢先、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「辺野古」移設(名護市I)に反対の座り込みを続けている金城武政さん(61)から電話が入った。米兵相手のバ-を経営していた母親はベトナム戦争当時、近くの米軍「キャンプ・シュワブ」配属の米兵にドル紙幣を強奪された上、殺害された。米国がアポロ11号による人類初の月面着陸に成功したのにちなんで、店名は「アポロ」と命名されていた。私はちょうど1年前に金城さんと現地で会い、その悲劇を聞かせてもらった経緯がある。今回の電話は「(4月)23日から6日間、、大掛かりな反対運動(ゲート前500人集会)を始める」という伝言だった。二人の「金城」さんからの相次ぐメッセージにこっちの方が驚いてしまった。偶然の一致にしても、である。

 

 払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」―。火炎瓶事件があった初訪問の際、陛下は県民に向かって、こう語りかけた。その沖縄ではいま、米軍基地の増強や南西諸島への自衛隊配備が強引に進められている。

 

 

(会場を埋め尽くした参加者、左端の女性がジェーンさん。金城さんはトレードマークの白髭を震わせながら、「故郷」を奏でた=3月30日夜、東京都文京区神田須田町で)

 

2018.04.01:masuko:コメント(0):[身辺報告]

霊魂との交信、そして人心の荒廃とは…

  • 霊魂との交信、そして人心の荒廃とは…

 

 「3人が道に迷ったら困る。だから被災した元の場所に家を建てなければ…」―。東日本大震災で母親と妻、一人娘の3人が行方不明になっている白銀照男さん(69)がほぼ全滅した大槌町安渡に約7年ぶりに自宅を再建した。白壁の瀟洒(しょうしゃ)な2階建て。玄関を入ってすぐの6畳間が仏間と照さんの居間兼寝室で、震災の1年前に亡くなった父親と「3・11」以降、行方の分からない3人の”遺影”が飾ってある。母親のキノエさん(当時84)と妻のはち子さん(55)、長女の美由紀さん(34)の亡骸(なきがら)はまだ見つかっていない。

 

 「不思議なことにあの時以来、3人が夢に出なくなった。どうしてなのか…」と照さんがつぶやいた。「あの時」とは震災から約1年後、枕元の携帯電話の振動音が「ブルッ、ブルッ」と響いた。「お父さん」という妻の声。「お前、今どこにいるんだ」と聞くと、「安渡橋のたもとにいる。お母さんも美由紀も一緒よ」と言ったきり、プツンと切れた。着信履歴にその形跡はなかった。昨年秋、名古屋に住む妻の姉から電話があった。「妹が夢枕に立ってね、もうすぐ家ができるって喜んでいたよ」―。照さんはふ~っとため息をついた。「オレを苦しめたくないので姉の夢に出たのかも…。でもこれで迷子にならなくて済む。良かった」。

 

 照さんは震災の約4ケ月後、3人の死亡届を提出した。しかし、墓石には戒名を刻んでいない。この7年間、3人からのサインみたいな出来事が相次いだ。ある時、父親の供養のために買い求めた回り灯篭が流失した家の前にすっくと立っていた。中のお釈迦さんを見て腰を抜かしそうになった。「何もかもが流されてしまったのに…。誰かが見つけて組み立ててくれたのかもしれないが、それにしても…」。その数か月後、今度は車を運転して避難所に帰る途中、一匹のカメが前を横切るのに気が付いた。水槽を買い求めて餌を与え続けた。「灯篭が現れたと思ったら、次は長寿のシンボルのカメの出現。まるで生と死の間を行ったり来たり。3人の霊魂との交信だったのかもしれない」。照さんはそう思っている。

 

 震災当時、美由紀さんは母親と一緒に寝たきりの祖母の看病に当たっていた。近所の人が「一緒に逃げよう」と声をかけた。なのに、美由紀さんはただ笑っていただけだったと後で聞いた。「病身のおばあちゃんを置き去りにするのが忍びなかったんでしょうか」。照さんはこう言って言葉を継いだ。「だから、骨のひとかけらが見つかるまでは3人はまだ、生きているんです」

 

 当時の町長ら40人が犠牲になった建物を「震災遺構」として残すべきか、解体すべきか―。町民の議論が二分されていた旧大槌町役場庁舎の解体が町議会で決まった。照さんはある光景が目に焼き付いて離れない。観光客の一団が多くの命を飲み込んだ旧庁舎をバックにVサインしながら、写真に納まっていた。「3人がまだ行方不明なのに…。世間ではもう記念写真の対象だと思うとショックだった」と照さんは悲劇の現場に立ちながら、うめくように言った。この日(3月27日)、「森友」問題にかかわる証人喚問が行われた。「福島出身、東大経済学卒業」―。証人の佐川宣寿・前国税庁長官(前財務相理財局長)のプロフィールについて、テレビ画面は時折、こんな表示を流した。テレビ局の意図は分らなかったが、ふと、公文書の改ざんという問題の核心よりも人心の荒廃ということを考えさせられた。

 

 ふるさと・福島の原発事故の悲惨をこの人はどう心に刻んでいるのだろうか―。Vサインの記念撮影に心を痛めた照さんの表情を思い出しながら、忖度(そんたく)の裏にひそむ、底知れない自己保身(エゴイズム)…他人どころか、我が生まれ故郷の痛みもどこ吹く風― 「刑事訴追」を理由に何と56回も証言を拒否した、この人とこの国の闇(やみ)の深さを見せつけられた思いがした

 

(写真は解体が決まった旧役場庁舎の前に立つ白銀照男さん。お地蔵さんの頭巾も色あせている=3月25日、大槌町で)

2018.03.27:masuko:コメント(0):[身辺報告]

春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

  • 春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

 

 「一個の妖怪がヨ-ロッパを徘徊している――共産主義の妖怪が…」―。『共産党宣言』(序文)にならって言えば、「一個の(忖度という名の)妖怪が日本全国を徘徊している――全体主義の妖怪が…」とでもなろうか。しかもまるでパンデミック(感染爆発)みたいに…。官庁の中の官庁と言われる財務省の公文書「改ざん」事件が朝日新聞のスク-プによって、その氷山の一角が明らかにされつつある。かつて、同じ職場に身を置いた一人として、後輩たちの頑張りに敬意を表しつつ、足元への感染度合を検証するために一計を案じてみた。突破口は議員にとっての生命線―「質問権」である。花巻市議会3月定例会の予算特別委員会で繰り出した質問は全部で25項目。その質疑応答の中から垣間見えてきたのは、地方自治の大原則である「二元代表制」が無惨にも崩壊しつつある姿だった。「イ-ハト-ブ劇場」は3月22日、閉幕した。

 

 

【第一幕】~「酒気帯び運転もご心配なく!?」

 

 花巻市は総務省が提唱する「地域おこし協力隊」の活用に積極的に取り組んできた。現在の隊員は10人で、ぶどう農家の支援(大迫町)などで大きな成果を上げている。応募条件の中で目を引くのが隊員に対する公用車の貸与。他の自治体でも同じような制度を導入しているが、当市の特長は私用に利用することも認めていることである。これに関連し、上田東一市長は同僚議員の一般質問にこう答弁した。「事故についても酒気帯び運転なども含めてすべて(市が加入する保険で)カバ-するので、ご心配はいらない」。一瞬、耳を疑った。言葉は政治家の命である。口にするのも憚(はばか)られるというのはこんな類(たぐい)の発言を指す。

 

 予算特別委員会(照井省三委員長=社民党系「平和環境社民クラブ」所属)に場を移したのを受け、私は問うた。「あえて酒気帯び運転に触れた真意がわからない。政治家として不適切な発言だと思う。撤回する用意はないか」―。撤回に応じる素振りを見せない上田市長に代わって、逆に私の質問を封じたのは照井委員長の方だった。いわく―「ここは予算審議の場。撤回を求めるのはふさわしくない」。予算執行の最高責任者の言質を問うた意味がこの委員長にはどうも理解できないらしい。私はすかさず挙手をした。「この種の発言を看過し、そのまま会議録に残すことは議会の品位にもかかわる。この場を借りて遺憾の意を表しておきたい」。公正中立を逸脱する委員長采配に一抹の不安を抱いたが、事態はより深刻な方向に進展していった。信じられないことが起こった。

 

 

【第2幕】~「質疑妨害、そして証拠隠滅!?」」

 

 当市は平成30年度当初予算に「第3子以降保育料負担軽減事業」として、約3千8百万円を計上した。少子化対策に前向きに取り組む施策と評価したうえで、私はその政策形成過程をただした。「花巻市議会基本条例」はその13条で「議会は市長が提案する重要な政策について、その政策水準を高めることに資するため」―として①必要とする背景、②提案に至るまでの経緯、③財源措置、④将来にわたるコスト計算など6項目の説明を求めることを定めている。この事業についての現場の事務事業評価(行政評価)にはこう書かれていた。「年齢制限の撤廃による対象範囲の拡大や補助率の拡充が考えられるが、どちらの場合も事業費が倍増することから、現在の市単独事業としての拡大は困難と考えられる」

 

 私は現場の認識と“政治判断“との調整…つまり予算編成のかなめの部分を問うたつもりだった。突然、後部の議席から怒声交じりの声が背中越しに聞こえてきた。一問一答形式の質疑の間に別の議員が割って入るのは余程の緊急事態以外には考えられない。よく聞き取れなかったが、「質問自体が予算審議になじまない」と主張しているらしかった。議事の混乱を避けるため、私は質問をいったん留保。休憩時間帯にこの間の経緯の説明を求めた。「動議と受け止め、発言を許可した」というのが照井委員長の言い分だった。議会事務局側に録音の再生を申し出てまた、腰を抜かしてしまった。その部分の発言は正式に委員長の許可を得ない、いわゆる「不規則」発言と判断し、録音していなかったことがわかった。

 

 つまりはこういうことである。不規則発言によって、私の質問が妨害されたうえ、その証拠となる録音記録も存在しないという摩訶不思議な出来事が起きていたのである。事務局側の録音停止の判断に疑義を差しはさむものではない。それにしても、まるで阿吽(あうん)の呼吸でも図ったみたいなこの“偶然の一致”…。お見事と言うしかない。

 

 それにしても、何とも既視感のある光景ではないか―。現在に至るまで国政を揺るがしている「森友・加計」問題……「あったこと」が「なかったこと」にされ、目の前では公文書が改ざんざれるという前代未聞の不祥事が連日のように報道されている。その正体こそが「忖度(そんたく)という名の妖怪」に他ならない。中央―地方を問わず、その背後にうごめくのは「一強」をほしいままにする“権力”の存在である。二元代表制の行司役であるべきはずの予算委員長がそのボディガ-ドになり下がった構図がすかし絵のように浮かび上がった。太鼓持ち、茶坊主、腰ぎんちゃく、幇間(ほうかん)、佞臣(ねいしん)…。こんな言葉が浮かんでは消えた。

 

 

【第三幕】~「誤解は招くが、『不適切』ではない!?」

 

 当市中心部の国道沿いに「景観」を損(そこ)ないかねない空間が放置されたままになっている。かつて、漢字テレププリンタ-などの生産で戦後花巻の復興に貢献した「新興製作所」跡地である。3年前に仙台市内の不動産業者が取得し、建物の解体工事は終了したものの、コンクリ-トガラや残土などは未撤去のまま。請負業者と代金の支払いをめぐって裁判沙汰になった末、当該地が競売にかけられるなど今後の展開は不透明の状態が続いている。この件について、同僚議員が一般質問で「景観から受けるマイナスイメ-ジ」という観点から対応をただしたのに対し、上田市長は以下のように答弁した。

 

 「建物内に存在したアスベスト除去は完了しており、最大の健康被害の心配はなくなった。とりあえず、この段階に至っただけでもまだマシだ。コンクリ-トガラの撤去など今後の景観保全については第一義的には土地所有者の責任に帰す。もし、市側が撤去するとすれば、1億5千万円以上の経費がかかる。これだけ莫大な経費を税金で賄うのはいかがなものか。税金投入の是非については最終的には議員の判断にゆだねられるが、今後も進展が見込まれない限り、新興跡地の景観保全にかかわる質問はもうしないでほしい」―。同僚議員がこの市長答弁に対し、「質問権」の侵害という立場から異議申し立てを行い、後日の議会運営委員会で協議することになった。

 

 花巻市まちづくり総合計画「第2期中期プラン」(平成29年~31年度)の中には市街地再生の重点戦略として「景観形成の推進」があげられ、地域との協働による良好な景観の保全を謳(うた)っている。私はこのプランを根拠にその取り組みについてただそうとした。と、今度は二元代表制の一方の当事者である上田市長が「予算審議に関係はあるのか」と口出しをした。この手の横やりはいまに始まったことではない。私は当局と議会双方による理不尽な質問封じに対し、気色ばんで反論した。担当部長が手を挙げたのはしばらくたってからである。ボソボソと蚊の鳴くような声でつぶやいた。「当初予算には景観保全にかかわる経費は計上していません」。都合の悪い質問には口をふさぎ、議会側がそれをバックアップするという曲芸技である。

 

 「確かに誤解を招くような発言だったが、前後の文脈から読み解くと必ずしも『不適切』とまでは言えない」―。予算特別委員会最終日の16日に開かれた議会運営委員会(中村初彦委員長ら7人)は結果として、上田市長の質問権の侵害を“免罪”する決定を賛成多数で可決した。反対したのはわずか2人だけ。議員にとって“命綱”ともいえる質問権は当の議員たちによって葬り去られた。「自殺行為」とはこのことである。

 

 

【公演を終えるにあたって】

 

 

 永田町界隈で飛び交っている「一部の職員」という語法が気にかかる。「森友」問題に関連し、「常識が壊れた」という遺書を残して自殺した職員はさらにその末端に位置する職員だった。私にも思い当たるふしがある。上田市長が新興跡地の保存や保全を訴えてきた議員を「一部の議員」と切って捨てたことがあったからである。一世を風靡(ふうび)し、もはや忘れ去られてしまった感がある、例の「排除」(小池都知事)の論理である。もっとも「忖度」と「排除」とはコインの裏表の関係にあることに変わりはない。そもそも、花巻市議会に「二元代表制」を求めること自体が幻想だったことに、今さらながら気がついた。不徳のいたすところである。

 

 「忖度」を拒絶し、文部科学省を追われた前川喜平・前事務次官に対するバッシングが続いている。前次官が天下り問題にかかわって辞職したことや出会い系バ―を利用していたことなどを指摘し、文科省が講演先の中学校に対し、講演内容の提示を求めていることが明らかになった。双方の間を国会議員が取り持った結果、忖度によって教育の中立性が侵害される事態となった。かつての“検閲”を彷彿(ほうふつ)させるに十分である。「忖度の先にあったのは“集団リンチ”だった」―こんな光景がふいに目の前に広がった。私自身、「イ-ハト-ブ劇場」の役回りを演じながら、そのことをいやというほど思い知らされたからである。

 

 英国人作家、ジョ-ジ・オ-ウエルの代表作『1984』の中で描かれる独裁国家(ビッグ・ブラザ-)には平和、豊富、真理、愛情の4省が置かれている。「真理省」は歴史記録や公文書の改ざん、架空の人物のでっち上げ、「愛情省」は反体制分子に対する尋問や拷問、処刑などを主要な任務にしていた。皮肉にもそのディストピア(暗黒郷)が海を飛び越えて、日本に出現したということなのか。今年の流行語大賞には昨年の「忖度」に続いて、「改ざん」が有力候補になるらしい。「SONTAKU」はもはや世界共通語として定着している。民主主義の根幹が全国津々浦々で音を立てて崩れ落ちようとしている。この国を根っこで支えてきた「理非曲直」…つまり、物ごとの分別が腐臭を放っている。

 

 

(写真は3月定例会で質問に立つ筆者。質問権は議員にとっての生命線であり、二元代表制を守備する最前線に位置する=3月8日、花巻市議会議場で)

 

 

《注》~二元代表制(憲法第93条)

 「議会の議員」と「市長」を市民が直接選挙で選ぶ制度のことで、「議院内閣制」の国会で国会議員が総理大臣を選んでいることと違い、どちらも市民の代表であることから、議会と市長は対等の機関として、お互いに抑制、協力することで緊張感を保ちながら自治体の運営に取り組む制度のこと。(平成22年6月制定の「花巻市議会基本条例」説明文より)

 

 

《ブログ再開のお知らせ》

 

 妻の病状が安定したため、3月22日からブログを再開します。約1か月間の休載でしたが、国の内外には風雲急を告げる出来事が相次いでいます。わが足元も例外ではありません。一刻の猶予も許されないという切羽詰まった気持ちです。掲載間隔が少し長くなると思いますが、以前にも増したご愛顧、ご叱正をよろしくお願い申し上げます。ニッポン沈没の危機を実感させられる毎日です。

 

 

 

 

2018.03.22:masuko:コメント(0):[議会報告]
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