「酒酔い運転」事故も市に賠償責任

  • 「酒酔い運転」事故も市に賠償責任

 「人身・物損事故が飲酒を原因として生じた場合でも免責にはならず、保険によってカバ-される」―花巻市は9月15日付の当ブログ(「公用車の使用要領改正―地域おこし協力隊」)の記述について、一部説明不足があったとして正式な見解を文書で示した。以下に全文を掲載するが、結論的に言えば「酒気帯びや酒酔い運転による事故の場合も法律上は市側に賠償責任がある」と明言したことになる。公用車を貸与している以上、その保有者である市側に第1義的な賠償責任があるのはその通りである。私が指摘したいのは「悪質」事案に対する対応の是非である。

 「たとえば、ひき逃げ事故などで逮捕・起訴されたケ-スもその例外ではないのか」とただしたのに対し、八重樫和彦・総合政策部長は「法的には市の賠償責任(つまりは税金の充当)は免れない」と答えた。さらに、「市民感情から見ても納得できないのではないか。いったん、賠償責任を果たしたうえで、別途市側がその当事者に損害賠償を求めることも法的には可能なはずだ」と重ねてただしたが、同部長は「そういうことは想定していない」と否定した。こんな問答を繰り返しながら、私は「公私混同」疑惑を追及されて辞任した前東京都知事の“名(迷)言”をふと思い出した。「不適切だが、違法性はない」―

 今回の件について、コンプライアンス(法令遵守)の観点から問いただしたのに対し、上田東一市長は9月定例会で「コンプライアンス上は何ら問題ない。要は政策上の決定であり、法律にも条例にも違反はしていない。これに反対なら(議会として)改めて条例を制定していただきたい」と突っぱねた。かつて、同市長はコンプライアンスの定義について、こう答えていた。「コンプライアンスは、一義的には法令遵守と訳されておりますが、広義のコンプライアンスとして、法令はもとより県や市町村の条例、規則等さらには社会的な規範の遵守まで包括されると理解しています」(平成28年6月定例会)

 「社会的な規範の遵守」とは何か―。今回の問題はそもそも私的使用を含めた「公用車貸与」問題という根本にまでさかのぼる問いかけなのかもしれない。事の本質のいかんに関わらず、「想定外」を想定しないことの過ちを私たちはつい5年前に福島の地で突きつけられたばかりである。

 なお、市側の「自家用車の公務上の使用に関する取扱要綱」(平成20年12月26日制定)には以下のような厳しい規定がある。「無断使用等で交通事故等が発生した場合においては、損害賠償など当該交通事故等の処理に関する必要な措置は、すべて当該職員の責任において行うものとする」(第6条「無断使用等の禁止及び対応」第3項)、「無断使用等における交通事故等に関し、被害者等から市に対して損害賠償の請求があり、市がその支払いをする事態となった場合には、当該支払額の全額を当該職員に求償するものとする」(同上第4項)。地域おこし協力隊への対応とは天と地の開きである。

                                  ※

 地域おこし協力隊員は花巻市の非常勤職員ですが、職員が市が保有する自動車を運転中の人身事故、対物事故により生じた損害について市は、自動車損害賠償法及び民法の使用者責任の規定に基づき賠償責任を負うことがあります。このような市の賠償責任は職員が自動車を公務のため運転する場合にはもちろん、個人目的で運転する場合であっても生じると考えられます。このような賠償責任は市の内部規定に関わらず生じるものであるため、市の内部規定でこのような法律上の賠償責任を制限したり、または拡大したりすることはできません。

 そこで市では地域おこし協力隊員を雇用し、協力隊員が市が保有する自動車の運転を開始するに当たり、市が法律上負担することのある賠償責任をカバ-するため、それらの責任を自動車損害賠償責任保険及び民間の任意保険(対人・対物無制限)でカバ-してきております。対人・対物の賠償責任をカバ-する保険においては酒気帯び運転及び酒酔い運転は免責事項とはなっておりませんので、仮に万が一協力隊員が酒酔い運転で対人事故・対物事故を起こした場合でも市の賠償責任は自動車損害賠償責任保険及び任意保険で全額カバ-され、市に保険でカバ-されない賠償責任が生じることはありません。

 任意保険においては、これら対人・対物事故の他、自動車の同乗者に生じた損害に関わる賠償責任をカバ-する同乗者保険があります。この保険は、通常無制限ではなく、3千万円などの金額の上限があるのが一般的であり、市が保有する自動車についても同乗者保険の上限は3千万円となっておりました。この点、今般、地域おこし協力隊員が運転中の自動車に協力隊員以外の同乗者が乗車する可能性を考え、事故が生じた場合に協力隊員個人に賠償責任が生じ協力隊員の資力からその賠償責任を負担できない可能性なども考慮し、同乗者保険も無制限と変更したところです。

 任意保険上の同乗者保険においては上記対人・対物保険とは異なり、酒気帯び運転及び酒酔い運転の場合には免責事由となります。なお、今般地域おこし協力隊員の要綱を一部変更しました。市の賠償責任は要綱より発生するものではなく、法律により発生するものです。要綱には一部この点誤解を招く表現があったことから修正しましたが、この変更により市の賠償責任が制限されたり拡大されたりするものではありません。


(写真は地域おこし協力隊の募集を呼びかけるポスタ-。「公用車の私的使用が応募の大きな動機になっている」と市側は強調するのだが…=インタ-ネット上に公開の写真から)
2016.09.25:masuko:コメント(2):[議会報告]

イ-ハト-ブ賞に装丁家の司修さん

  • イ-ハト-ブ賞に装丁家の司修さん

 第26回宮沢賢治賞・イ-ハト-ブ賞の授賞式が22日に花巻市で行われ、イ-ハト-ブ賞に装丁家で作家の司(つかさ)修さん(80)、同賞奨励賞に朗読家の野口田鶴子さん(69)、宮沢賢治賞奨励賞に銅版画家の加藤昌男さん(76)がそれぞれ選ばれた。司さんは受賞理由として、「『「描く』と『書く』の両方向から美術と文学を創造的に媒介し、日本の文学や出版文化に貢献してきた功績と、賢治童話をモチ-フとした自由で独創的な絵画や文学的エッセイ」―などこれまでの業績が評価された。

 賢治関連では『イ-ハト-ヴォ幻想』(1996年)、『賢治の手帳』(同年)などの著書や、『銀河鉄道の夜』(1979年)、『グスコ-ブドリの伝記』(2012年)などの絵本を刊行しているほか、近年は多様な手法による賢治に関連した絵画の個展を開催していることでも注目を集めている。「一番、駄目な人間として自分を見つめることを科してきた」―。司さんは賢治の代表作『どんぐりと山猫』を引き合いに出しながら、記念講演をこう切り出し、独自の賢治論を展開した。

 「過去の受難を忘れてはならない」―。東日本大震災の約1ヵ月後、司さんは被災者に寄り添う気持ちを込めて、賢治童話の展覧会を始めた。入口には『注文の多い料理店』のイラストを配した。『雪渡り』、『セロ弾きのゴ-シュ』…など見る人の心が賢治の心象世界へと誘われるような仕組みになっていた。猫の目を描いた絵がある。「8:15」(広島原爆)、「11:02」(長崎原爆)、「5:46」(阪神・淡路大震災)、「14:46」(東日本大震災)―大災厄の発生時刻が刻まれている。「私たちには忘れてはいけない時間というものがあるんです」と司さん

 『毘沙門叩き』と『夏至まで』―。こう題された2冊の本が私の手元にある。装幀・装画はいずれも司さんである。3年前に病没した畏友(いゆう)、木内宏(享年72歳)の遺作である。時空間を射抜くような挿(さし)絵が文章に一層の深みを与えている。「ふるさとは無二の宝。誇り高き日本列島先住民、古代蝦夷の若き末裔カナハウが、800年前の京から3・11の巨大地変に襲われた先祖の故地に帰ってきた」。東日本大震災を題材にした『夏至まで』の帯にはこう記されている。

 授賞式後、畏友の奥さまから託されたお祝いのメッセ-ジを伝えると、司さんは一瞬驚いた様子をし、次の瞬間、何ともいえない優しい笑みを浮かべた。「木内さんとは同じ群馬・前橋の出身なんですよ。亡くなる数か月前、装幀のお礼にと食事に招かれました。食欲旺盛、病身なのに私より足早なんです。まさか、これが遺作になるなんて…。木内さんの思いを裏切らないよう、私も必死に古代蝦夷の心に寄り添いました。忘れてはならない時間を木内さんは小説として残してくれました」。私が持参した本をじっと見つめながら、司さんは静かに語った。

 「あまり知られてはいませんが、実は大江(健三郎)さんは賢治の『銀河鉄道の夜』や『農民芸術概論綱要』などをきちんと読み込んでいるんです」―。大江さんの作品『最後の小説』(1988年)を装幀した司さんは講演の中でこんなエピソードも披露。その中に連合赤軍事件のリ-ダ-だった故永田洋子さんをモデルにしたと思われる「革命女性」という小節があることに触れ、「大江さんはこのリ-ダ-の生と死を賢治作品と重ね合わせたのだと思います」と語った。さらに、生前親交があった作家の故小川国夫さんの言葉を紹介して、講演を締めくくった。「他者に幸福を感じるのが本当の『幸福』である」

 畏友は前作『毘沙門叩き』の後記に「高名な画家にして小説家。尊敬する郷里の先輩でもある司修氏には、美しい画と装幀で彩りを添えてもらった。心から厚く御礼を申しあげたい」と書いている。日本を代表する装丁家に恵まれた、今は亡き木内宏は思えば本当の幸せ者だったのかもしれない。

                                  ※

 今年から賢治に関する市井の地道な活動に対して与えられる「イ-ハト-ブセンタ-功労賞」が設けられ、第1回目には賢治の母校、花巻小学校で生誕百年を機に立ち上げられ、次世代へ賢治精神を継承する活動を続けている「賢治集会」と、1994年の発足以来、連続講座や朗読会などを続けている「鎌倉・賢治の会」が選ばれた。会紙「かま猫通信」は通算175号、連続講座は197回にに上っている。


(写真は授賞式であいさつをする司さん=22日、花巻市大通りのなはんプラザで)



 
2016.09.22:masuko:コメント(1):[身辺報告]

「シン・ゴジラ」と3・11、そして賢治

  • 「シン・ゴジラ」と3・11、そして賢治

 東京湾内で漂流する無人のプレジャ-ボ-ト。革靴はきちんと揃(そろ)えられ、テ-ブルの上には宮沢賢治の『春と修羅』と折鶴。そして、「私は好きなようにした。君たちも好きにしたまえ」と記された謎めいた紙片…。やがて、背後から大量の水蒸気が噴出する―。驚異的な観客動員数を更新し続けている映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督・特技監督、2016年7月29日公開)は今、その読み解きをめぐってある種の「社会現象」とも言える様相を呈している。全編に通底するのは「3・11」(東日本大震災)とそれに伴う福島原発の記憶である。でもなぜ、いきなり賢治なのか。

 「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。1954年、初代「コジラ」(本多猪四郎/円谷英二監督)は核の脅威を象徴する怪獣として生み出された。当時は広島・長崎の原爆の記憶がまだ生々しく、公開時は米国による水素爆弾で被曝した「第5福竜丸」事件と偶然重なった。本作はある意味でそのリメイク作品でもある。首都圏に上陸したシン・ゴリラは巨大建造物を次々になぎ倒し、放射能を吐き散らす。否応なく、地震と津波、そして原発の記憶がリアルタイムでせり上がってくる。しかし、背後の光景は62年前の初代の時とはまるで違う。

 存亡をかけた攻防が続けられ、ついに米国が主体となった多国籍軍による熱核(ミサイル)攻撃が実行に移されることに。祖母を広島原爆で失った日系の米大統領特使(女性)がふと呟(つぶや)く。「ヒロシマとナガサキに続いて、祖国を再び核の地獄へ引きずり込むことはできない」。結局、血液凝固剤を注入することによって、シン・ゴジラを「凍結」することに成功、首都圏へのミサイル攻撃はすんでのところで回避される。根拠のない楽観論と前例重視の官僚主義、無能をさらけ出す有識者会議、ここに至ってもなおコンプライアンス(法令遵守)にこだわる政治家…。5年半前を彷彿(ほうふつ)させる場面展開が続く。

 刹那(せつな)、スクリ-ンの背後から賢治の代表作『グスコ-ブドリの伝記』が透かし絵のように浮き上がってくるような感覚に襲われた。冷害に苦しむ農村を救済するため、ブドリ自身が犠牲になって火山を爆発させ、気温を上昇させる物語である。荒ぶる自然の脅威を教える一方で、その自然と折り合いを付けることが出来るのもまた人間である―。「自己犠牲」を賛美する“美談”として解釈されることが多いが、人間の可能性を信じた賢治の心象が投影されているような気がする。プレジャ-ボ-トから姿を消したのは巨大不明生物の出現を予言した老研究者という設定である。

 「いかりのにがさまた青さ/4月の気層のひかりの底を/唾(つばき)しはぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」(『春と修羅』)―。94年前、賢治が独白するように呟いた、あの有名な一節が口元によみがえった。この老研究者もまた賢治と同じように「ひとり」の修羅(しゅら)として、海に身を投じたのではなかったのか。「君たちも好きにしたまえ」という”遺言状”は原発の再稼働にうつつを抜かす現代ニッポンに対する痛烈なニヒリズム(虚無)あるいはシニシズム(冷笑)ではなかったのか…。そんな思いが何か確信めいて胸に去来した。

 賢治生誕120年の今年、庵野総監督は『春と修羅』の続編を書くためにこの映画を作ったのではなかったのか、とそんな気がする。そう、「人間の可能性」(賢治)を足蹴(あしげ)にする風潮への異議申し立てとして…。千葉大学の神里達博教授(科学史)はこう語っている。「『好きにしろ』という彼(老研究者)の『遺言』は、ラストシ-ンで示される、ゴジラ(注;原発)を管理し続けるという宿命を背負った日本の未来を、まるであざ笑うかのようだ。そうやって、この作品に込められたアイロニ-に気づくと、名状しがたい不安が襲ってくる」(9月16日付朝日新聞)。凍結されたシン・ゴジラがいつまた「再生」するかは誰にもわからない。なにせ、この怪獣は人知の及ばないモンスタ―なのだから…。


(写真は東京湾横断道の海ほたるを襲うシン・ゴジラ=映画のパンフレットから)

《追記》
 賢治の命日に当たる21日、「雨ニモマケズ」詩碑の前で恒例の賢治祭が開かれ、朗読や合唱、演劇などのイベントの後、かがり火を囲んだ「偲ぶ座談会」に約30人の賢治ファンが集まった。テ-マは「私にとっての賢治さん」―。席上、「すでにネタバレかもしれないが、私にとっての賢治はさしずめゴジラである」と当ブログでの持論を展開した。しかし若干、挑発めいたこの発言に関心を示した人はほとんどいなかった。
 
 映画「シン・ゴジラ」を見たという人もわずか1人で、当然のことながら『春と修羅』の謎解きへと話題が及ぶことはなかった。たとえば、個人的な悩みを聞いてくれる人―救世主的な賢治観は今も昔も同じで、このこと自体を否定するつもりは毛頭ない。がその一方で、東日本大震災や福島原発事故などの受難の「時代」が賢治をどう受容しているのかという私の問いかけは残念ながら、肩透かしに終わってしまった。





2016.09.18:masuko:コメント(9):[身辺報告]

公用車の使用要領を改正―地域おこし協力隊

  • 公用車の使用要領を改正―地域おこし協力隊

 地域おこし協力隊に貸与している公用車による交通事故をきっかけに「公用車の使用要領」が8月19日付で改正されていたことが開会中の花巻市議会決算特別委員会で明らかになった。今年5月15日の日曜日、特別職非常勤職員である、いわゆる“地域おこし協力隊員”が私用で公用車を運転中に接触事故を起こし、その修繕代金(50,728円)を市当局が加入する自動車保険で支払ったことが発覚した。6月定例会の専決処分の報告で表ざたになった。

 花巻市地域おこし協力隊設置要綱(平成27年4月1日告示)では「公用車の私的使用については、協力隊員の特殊性から認める。私的使用にかかる燃料など相当分は、1キロ当たり5円を月単位で徴収する」(第8条)と定められている。また、同年8月11日付で制定された「公用車の使用要領」では交通事故などの際の損害賠償について、こう規定されていた。「(協力隊員が)私的使用の目的で公用車を運転中に交通事故などにより第3者に損害を与えたときは、被害者に対する道義的責任を果たすとともに、市が加入する自動車損害賠償保険の補償を基準として適正な賠償をするものとする」―

 今回の修理代金の負担はこの規定によるものだったが、市民の間からは「公用車の貸与は理解できる面もあるが、私的使用の際の事故の賠償まで市で負担するのは納得できない」という声が出ていた。私が6月定例会でこの点をただしたのに対し、上田東一市長は「安い賃金(月額173、000円)で地域のために働いてくれる隊員に対する対応としては何ら問題はない」と次のように反論した。

 「増子議員のおっしゃっていることが全く理解できないです。個人の責任の問題については、先ほど来、部長から御報告していますように、人身事故があってはいけない、だけれども人身事故が起こった場合については全てその賠償責任をカバ-する保険を花巻市が手当てしております。したがって、個人的に賠償責任を負うことはございません」、「先ほど増子議員がおっしゃった部分については全く理解できないと申し上げている次第でございまして、もうひとつ、地域おこし協力隊の個人の方々に対して御配慮いただくのは非常にありがたいと思っていますが、地域おこし協力隊の方々が花巻市を選んだ理由のひとつが、私用においても公用車が使用できるということが、この車が必要な花巻地域においては特に重要な要素として評価して応募した方も多いということでございます」(いずれも会議録から)

 今回の見直しについて、伊藤昌俊秘書政策課長は「正直なところ、あの事故は想定外だった。事故対応については甘いところがあった」と語り、改正前の私的使用にかかる事故の「損害賠償条項」を削除し、①公用、私用を問わずに市に損害を賠償すべき責任ある場合のみという制限条件を付ける。たとえば、当然のことながら飲酒運転による事故のケ-スには賠償義務は生じない(従前の規定ではこの点があいまいだった)、②同乗者に対する傷害保険の限度額を3千万円から無制限に広げる―などとなっている。「あいまいな点をきちんと整理した。今後も必要に応じて見直していきたい」と伊藤課長。ちなみに27年度の協力隊への応募者数は13人で目標とした25人の半分ほどに止まり、数字上は「公用車」効果が期待したほど現れなかった。

 一方、県内の自治体で協力隊員に公用車の私的使用を認めている例は他にない。たとえば、隣の北上市では現在4人の隊員を雇用しているが、公用車の貸与はせずに本人が車を借り上げた上、自動車保険も本人負担となっている。また、奥州市では現在、1人の隊員が自家用車を利用しており、報酬以外は燃料代を含め、月額3万円を「謝礼」名目で支払っている。現在、当市で働いている協力隊員は10人で、県下で一番多い。東日本大震災のボランティア体験から応募した隊員も多く、みんな自分の生き方にプライドを持っている。「待遇改善はもちろん大切だが、若者が抱くひたむきな情熱に寄り添って支えていきたい」―これが私の願いである。

                                  ※

 当稿を書き終え、ふと窓外に目をやるとまん丸のお月さん。そう、今日は中秋の名月。季節は違うが、津軽の方言詩人・故高木恭造の詩「冬の月」が口元に浮かんだ。「まんどろの月」は津軽弁で、満月の意。「まんどろだお月様」をいつまでも眺めた。

嬶ごと殴いで戸外サ出ハれば
まんどろだお月様だ
吹雪イだ後の吹溜こいで
何処サ行ぐどもなぐ俺ア出ハて来たンだ
ドしたてあたら憎ぐなるのだべナ
憎がるのア愛がるより本気ネなるもンだネ
そしたら今まだ愛いど思ふのア
ドしたごどだバ
ああ 吹雪と同しせエ
過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ          (高木詩集『まるめろ』 より) 



(決算特別委員会で地域おこし協力隊のあり方などをただす=14日、花巻市議会議場で)
2016.09.15:masuko:コメント(1):[議会報告]

「外」(がい)ということ

  • 「外」(がい)ということ

 化外(けがい)、疎外(そがい)、埒外(らちがい)、番外(ばんがい)、人外(じんがい)…。境を隔てる「外」(がい)という表現にはいつの時代でも排他的な響きがつきまとう。最近読んだ『三池炭鉱 宮原社宅の少年』の中で、著者で福岡県立大学非常勤講師の農中茂徳さん(70)はこう記している。「社宅の外側の地域を『外』と呼ぶ。『外』という言葉は、際限なく『外』をつくり出す。『外』は線引きの言葉である。すると人々は、人の命の重みに対する価値観にまで、違いを感じるようになる。そのことは、炭鉱におけるこれまでの事故や事件が示している」

 三井財閥は石炭で財を築いた。その最大の拠点が「炭都」と呼ばれた福岡県大牟田市である。タイトルの「宮原社宅」は長屋式の従業員社宅で、農中さんも高校までここで暮らした。東京の大学に進学した農中さんはある出来事にショックを受けた。地番まで同じ社宅の女子学生と偶然知り合ったが、2人はこの時が初対面。実は彼女が住んでいたのは生垣に囲まれた豪奢な職員住宅だった。同じ住所なのにお互いを知らない。「ため息が出るほどの驚きだった。まことに不思議な関係。職員住宅の人たちからすれば、私たちの方が『外』と呼ばれる存在だったのだ」と農中さんはその時の気持ちを書いている。

 1963(昭和38)年11月9日―。三池三川鉱で炭じん爆発事故が発生し、458人が死亡し、800人以上が一酸化炭素(CO)中毒という不治の病を背負わされた。「安保と三池」という政治動乱がやっと収束した直後の戦後最悪の炭鉱災害だった。今から40年以上も前、私は事故の惨状を『三井地獄からはい上がれ―三池炭鉱爆発とCO患者のたたかい』という本にまとめた。三池闘争による組合分裂に伴い、医療の現場にも醜い差別が持ち込まれていた。精神神経学者の多くは“組合原性疾患”と患者を詐病呼ばわりした。所属組合による「医療差別」である。本書にこんな記述がある。

 「土百姓ニシテ世ニ慣レザルモノハ足ヲ止メ候得共、少シク世慣レタル者ハ皆逃走ヲ企テ…」(明治33年、「炭鉱夫募集要項」)―。この2年前、奄美群島最南端の与論島は台風で壊滅的な被害を受け、その救済のために石炭の荷役人として集団移住させられた。与論島出身の知人の肩はまるでサツマイモみたいに盛り上がり、その表面は真っ黒い毛でおおわれていた。「『ヨ-ロン、ヨ-ロン』と言っていじめられ、指を4本立てられたり…」。今は亡きその人の無念の表情がまなうらにくっきりと刻まれている。「あの者たち噛みつかぬか」と現地を視察した三井本社の幹部が口走ったというエピソ-ドも語り継がれている。

 農中さんが青春を過ごした宮原社宅のそばに福岡県立三池工業高校の建物がある。炭じん爆発事故の2年後の甲子園大会で、初出場の同校野球部が全国制覇の偉業を達成した。新人記者だった私にとっても初めての大仕事だった。この学校の周囲は見上げるようなコンクリ-ト塀に囲まれ、所どころに赤レンガの剥落(はくらく)が目立つ。この異様なたたずまいは「三池集治監」(三池監獄)の名残である。明治22年、それまで官営だった炭坑経営が三井物産に払い下げられ、「三井炭礦社」の経営に移った。炭鉱労働者の主体は官営時代から囚人だった。深編笠で顔を隠された囚人たちは体を鎖で縛られたまま、坑内へと連行された。

 大牟田市の中心部に“囚徒墓”と呼ばれる囚人労働者の墓地がある。生前、作業着に付けられていた番号の号数だけが刻まれている。廿3号、42号などに交じって判読不明を含めて全部で41基。今はその跡形もないが、かつて「第2の囚人」と呼ばれた与論島出身者の社宅は貯炭場のすぐそばにあり、その周囲は背丈を超す柵で囲い込まれていた。そして、農中さんの社宅に隣接する、「第1の囚人」を使役した三池炭鉱宮原坑跡は昨年、ユネスコの世界文化遺産のひとつに登録された。

 「宮原社宅の少年」であった農中さんの本書は重層的な「外」が現在に至るまで社会の隅々に張り巡らされていることを静かに告発している。障がい者施設などで人権教育に携わった過去の経験が行間ににじんでいる。東日本大震災から今日(9月11日)で5年半、米国の同時多発テロから15年―。しかし、私たちはこれらの未曽有の受難劇を自らの意識の「外」に葬り去ってはいないだろうか。そして、沖縄の地の苦難の日々も…。3日間晴天に恵まれた花巻まつりはこの日、最終日を迎えた。


(写真は保存維持されている囚人墓地=大牟田市一の浦町で、インタ-ネット上に公開の写真から)


2016.09.11:masuko:コメント(1):[身辺報告]
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