いわゆる“辺境”から“辺境”へ

  • いわゆる“辺境”から“辺境”へ

 全国紙と地元紙の2紙をできるだけ丹念に読むことにしている。「権力」を監視するというメディアの役割がきちんと果たされているかどうか―というのが取りあえずの建前であるが、最近の新聞の分量には体力と時間が付いていけなくなることも。ラテ面や全面広告などを含めると、2紙で70面(ペ-ジ)を越すこともある。記事だけでゆうに軽めの文庫本一冊に匹敵する分量である。というわけで、とくに関心の深い記事を集中的に読むことになるが、たまに新聞ならではの“発見”もある。たとえば、4月20日付の「岩手日報」(全32面)―。

 1面から順にめくっていったら、9面のオピニオン欄の「時の人」にひとりのアイヌ女性が紹介されていた。島田あけみさん(60)といい、「自分たちが何者なのか、それを問い直す場所がほしい」と訴えていた。首都圏に住むアイヌ民族は5千人とも1万人とも言われる。47歳の時、身内が亡くなったのをきっかけに「アイヌ」を宣言。4年前にはニ-ジ-ランドの先住民、マオリと交流し、民族の誇りを失わない姿に衝撃を受けた。「居場所」は「チャシ・アン・カラの会」(アイヌ語で「自分たちで・つくる・とりで」の意)と名付けた。少しだけだが、首都圏のアイヌ差別の実態を知っている。記事を読みながら「頑張って」と声をかけた。

 「アイヌ遺骨問題 映画に/差別の歴史伝える」―。同じ紙面の19面文化欄にはこんな記事が…。人類学の研究目的で墓を暴かれたアイヌ遺骨は全国12大学で1600体以上に及んでいる。昨年7月、遺骨返還を求める訴訟で和解が成立。その一部が北海道大学から返還され、子孫らがアイヌの風習に従って再埋葬した。札幌市内の映像ディレクタ-、藤島保志さん(58)がこの問題の経緯を「聞こえない声」というタイトルで、約1時間のドキュメンタリ-にまとめた。アイヌ受難史の過去と未来をつなぐ二つの記事に不思議な感慨を覚えた。「たまたまの同時掲載だと思う。しかし、こうした“偶然”が歴史のはざまに葬られた記憶を呼び戻してくれる」―。

 「ヤマト」(日本)という名のパノプティコン(監獄施設)の住人を続けていると、ふと“辺境”に逃げ出したくなる。これは持って生まれた習(なら)い性なのかもしれない。アイヌ口承文学の伝承者である知里幸恵(ちり ゆきえ、1903年―1922年)は「アイヌモシリ」(北海道)について、こう書き記している。「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう」(知里編訳『アイヌ神謡集』)

 もうひとつの“辺境”…「ニライカナイ」(琉球国)について、「沖縄学の父」として知られる民俗学者で、言語学者の伊波普猷(いは ふゆう、1876年―1947年)はニ-チェの箴言(しんげん)を借りて、その理想の姿を琉歌に託した。「深く掘れ己の胸中の泉/余所たよて水や汲まぬごとに」―。己の立っている足元を深く掘れば、そこには滾々(こんこん)と泉がわいているという意味である。「泉」とは生命の源であると同時に心の豊かさも暗示している。

 「アイヌモシリ」と「ニライカナイ」―。その土地は本来なら、人間にとっての本当の「幸せ」が約束された大地であったはずだ。「北」と「南」を蹂躙(じゅうりん)してなお、平然を装うヤマトとは…。その昔、私たちの原郷ー「みちのく・東北」(蝦夷国)は野蛮人が住む「化外(けがい)の地」とさげすまれ、大和朝廷によって滅ぼされた。その後に出現したのが人知をあざ笑うがごとき巨大な原発群だった。「ヤマト」の中のもうひとつの“辺境”…。「自分たちが何者なのだ」という島田さんの自問は私自身に向けられた問いかけでもある。短い旅に出ようと思う。

 と、本稿を閉じようとした時、例の原発自主避難者に対する「自己責任」発言で批判された復興大臣の口から今度は「東北」蔑視発言が飛び出した。何~にも変わっていないことをまた、この人が正直に告白してくれた。つまりは「化外」意識が心性の奥深くにピッタリと着床しているということ。安倍晋三首相があわてて、謝罪したらしいけど…。この同じ日、南の島では米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古(名護市)移設(新基地建設)に伴う護岸工事が本格的に始まり、サンゴ礁とジュゴンの海に大量の石材が投入された。あ~あ~、この国は一体、どこに行くのか!?以下、25日付「朝日新聞」電子版から――。

 「今村雅弘復興相は25日、所属する自民党二階派のパ-ティ-で講演し、東日本大震災について被害の規模を述べた後、『これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な甚大な被害があったと思う』と述べた。今村氏は講演後、記者団に対して発言を撤回したが、被災地から批判を招きそうだ」


(写真は先祖の遺影を掲げ、再埋葬の儀式「カムイノミ」(神への祈り)にのぞむ関係者たち=2016年7月30日、北海道浦河町杵臼で。インタ-ネット上に公開の写真から)


≪続報≫~遅すぎた辞任(26日付「朝日新聞」電子版)
 今村雅弘復興相が25日、東日本大震災の被災地を軽んじる発言をし、その責任をとって辞任する意向を固めた。今村氏は今月4日、原発事故の自主避難者が故郷に戻れないことを「本人の責任」と発言して被災地の反発を買ったばかり。相次ぐ失言に政権中枢も見切りをつけ、後任に自民党の吉野正芳・元環境副大臣を充てることにした。「福島、東北の人たちが聞いたらどう思うか。信じられない発言だ」。25日夜、安倍晋三首相の周辺は今村氏をこう突き放した。

 安倍政権の閣僚辞任は、2016年1月に金銭授受疑惑を追及された甘利明・前経済再生相以来。ただ、甘利氏の辞任以降も複数の閣僚が資質を問われる事態が続いている。昨年8月の内閣改造後も、山本有二農林水産相が環太平洋経済連携協定(TPP)承認案をめぐり「強行採決」に言及。今国会でも、稲田朋美防衛相が弁護士時代に学校法人「森友学園」の訴訟への関与を否定後、民事訴訟の口頭弁論に代理人弁護士として出廷した資料が明らかになり、謝罪して発言を撤回した。だが、政権は高い支持率を背景に強気の姿勢を押し通し、問題になった閣僚を擁護。官邸幹部は「いちいち閣僚を辞めさせていたらきりがない」との姿勢だったが、今村氏が立て続けに問題発言を繰り返したことから方針を変えざるを得なくなった。

 今村氏の辞任は、政権にとって打撃だ。連立を組む公明党からは25日、「本当に許しがたい。どう東北、被災地の方に申し開きができるのか、よく考えてもらいたい」(大口善徳国会対策委員長)との批判が上がった。この辞任が他の閣僚の資質問題にも飛び火しかねず、自民党内では「今まで以上に与党議員全体が注意を重ねるべきだ」(下村博文幹事長代行)と政権・与党の緩みを懸念する声が上がる。

 これに対し、野党は首相の任命責任も視野に入れて追及を強める構えだ。民進党の蓮舫代表は25日夜、自らのフェイスブックに「あり得ない。こんなに被災者に寄り添わない大臣が復興担当だなんて」と投稿した。共産党の小池晃書記局長は朝日新聞の取材に「信じられない暴言で、議員の職にとどまることも許されない。こういう人物を復興大臣に据えた安倍首相の任命責任を、徹底的に追及する」と厳しく批判した。








2017.04.25:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「忖度」から「パノプティコン」へ

  • 「忖度」から「パノプティコン」へ

 演劇集団「二兎社」制作の演劇「ザ・空気」(作・演出、永井愛)が3月末、好評のうちに全国ツア-を終了した。報道現場(テレビ局)で起きている空気―たとえば、「忖度(そんたく)」とか「自己規制」、「萎縮」…など“KY”(空気が読めないこと)を揶揄(やゆ)する社会風潮を、「言葉にならない圧力」として描いた作品である。チラシのキャッチコピ-は「上からの圧力?そんなもの、感じたことはないですねぇ」―。しかし、当のキャストの口元は封じられ、現実とのギャップが浮き彫りにされている。昨年相次いだ看板キャスタ-の降板劇を意識した演出になっている。

 「ザ・空気」がますます、社会全体に広がりつつある。そのことを身近に実感させたのが例の「忖度」騒動だったが、最近、これに代わって「パノプティコン」という聞き慣れない言葉が徘徊し始めた。元々は20世紀にフランスの哲学者、フ-コが提唱した概念で、「権力による社会の管理・統制システム」を指しているという。そもそもは「監獄施設」を意味する言葉で、監視者の姿は見えないが、囚人は監視者が不在の時でも常に監視を意識するという意味合いに使われる。東京大学の石田英敬教授(メディア論)は「権力が支配される側を『自己規制させる技術』のことだ」(4月18日付「朝日新聞」)と述べている。

 「一望監視施設」―。同紙は記事の中でこう呼んでいる。言い得て妙とはこのことか。余りにも心当たりが多すぎるが、その集大成がいわゆる「共謀罪」であろう。沖縄の「米軍基地」問題への抗議行動を続けている沖縄平和運動センタ-の山城博治議長は昨年10月から約5ヶ月に及ぶ不当な長期拘留を受けた。今月19日、東京都内で開かれた「共謀罪」反対集会で、山城議長は「私の威力業務妨害についての起訴状の中には『共謀』という言葉がいっぱい出てきます。くくりようによっては全てくくられます。写真を撮って、そこに写った者全員が、一種の共犯としてくくられてしまう」と話し、起訴状の中で示された「共謀の類型」を以下のように紹介した。

 ①山城とともに(抗議用の)テントで寝起きをして協議をしていた、②寝起きをしないまでも、ゲ-ト前に常時いて山城の演説を聞き拍手をした、③そうでなくても、何月何日までの間に山城の話を聞き、拍手を送った、④事件当日にたまたま県外から来て、山城がアジる(扇動する)演説に拍手を送った―。逮捕される2日前、私はオスプレイ(垂直離発着機)の建設現場である東村・高江の現場で、山城議長からマイクを手渡された。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」などを引き合いに出しながら、「この現実にきちんと向き合わなければならないと思う」とその時の気持ちを伝えた。これだけでもう立派に犯罪要件を満たしていることになる。即、現行犯逮捕か…。

 「上が決めたことを何も考えずに受け入れる空気が漂っている。なし崩し的に物事が進むことに不感症になったら、党はぶっ壊れる」(4月21日付「朝日新聞」『1強・パノプティコンの住人③』)―。どこの党なのかなと思ったら、党内情勢に危機感を募らせる自民党の小泉進次郎衆院議員の発言だった。かつてはスキ-ジャンプの「K点越え」と呼ばれる“一言居士”がいたという。連載の見出しには「議論封じ/沈黙の自民」とある。「先輩が黙るなら、私たちはなおさら。何か言ったら自分がおしまい」と当選2回の若手が語っている。何のことはない。「1強多弱」の「1強」それ自体が「パノプティコン」(監獄施設)だったというお粗末というか、空恐ろしい話である。

 内閣府が今月1日に発表した「社会意識に関する世論調査」よると、今の社会に全体として「満足している(やや満足も含む)」が昨年度より3・9ポイント増の65・9%と過去最高を記録したことが明らかになった。注目すべきは大学生のほとんどが含まれる18歳~29歳では「満足している」が67・1%と平均を上回り、私と同世代の70歳以上では何と72%に上っている。戦後72年を生きてきた人生の総決算がこの数字だとしたら、余りにも惨めすぎないか。よもや毎年1%ずつ、「満足度」が上昇してきたということはあるまいし…。「歴史とは」、「記憶とは」―。

 一握りの権力者が呵々(かか)大笑し、監獄の中では囚人服を着せられた老若男女がニコニコと笑顔を絶やさない。もしかしたら、この光景はブラックジョ-クではないのかもしれない。イギリス人作家、ジョ-ジ・オ-ウェルが描いた「独裁国家」―ビッグ・ブラザ-の下に私たちは囲い込まれているのだろうか。「独裁と言わず一強と呼ぶ不思議」(朝日川柳、22日付「朝日新聞」)―


(写真は「ザ・空気」のチラシ。全員の口元にはテ-プが…=インタ-ネット上に公開の写真から)



2017.04.22:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「そのいきの臭えこと」

  • 「そのいきの臭えこと」

 「そのいきの臭えこと」(詩集『鮫』収録「おっとせい」)―。詩人の金子光晴(1895年―1975年)が吐き捨てるような口調で、その詩の筆を取ったのは盧溝橋事件が勃発するなど戦雲ただならない昭和12年、今からちょうど80年前のことである。詩はこう続く。「くちからむんと蒸れる/そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること/虚無をおぼえるほどいやらしい/おゝ、憂愁よ」。それから28年後、日本が高度経済成長を謳歌していたそのさ中、金子は今度はこう書き記した。「このくには倖せになるどころか/じぶんの不幸をさへ見失った」(詩集「IL」収録「齒朶」)
 
 言葉がその本来の意味を失った時、暴徒化の兆しが始まる。腐臭を発し、吐く息が臭(くさ)くなる。金子が「倖せの喪失」を嘆いてからさらに半世紀―。私たちは今、無間(むげん)地獄のただ中に投げ出された感がある。その様(さま)を白日の下にさらけ出してくれたのが例の森友事件に端を発した「忖度(そんたく)」騒動であろうか。「他人の心中をおしはかること」―。手元にある広辞苑第4版(1994年版)はこう解説している。私たちの世代はその語意について「気づかい」や「思いやり」を意識した。今後の改訂版にはきっと、こう記述されるにちがいない。「上目づかいに上司の顔色をうかがうこと。民衆に背を向け、自己の保身にうつつを抜かすの意も」―。

 「忖度」は川の流れのごとく、上流から下流へと流れ落ちる。わが宰相がその名もずばり「キング」(君主)を自称する米国のトランプ大統領にかしずく姿を見れば一目瞭然である。トップが「プチトランプ」なら、部下はそれに右ならえという構図である。「自己責任」(福島の自主避難者に対して、復興大臣)、「ポジショント-ク(自身に都合の良い発言)するような向きも」(米軍普天間飛行場の「辺野古」移設中止を求める沖縄県に対して、北方・沖縄大臣)、「がんは学芸員」(文化財観光に関連して、地方創生大臣)…。この御三方は揃いもそろって、日本の最高学府の出なそうである。ああ、「そのいきの臭せいこと」!!

  一方で、こんな騒ぎも。「パン屋」→「和菓子屋」、「アスレチックの公園」→「和楽器店」…。来年度から小学校に導入される「道徳」の教科書をめぐって、何社かの教科書会社が文部科学省の検定意見を受け入れ、表現を書き換えたことが最近話題になった。「なぜ、パン屋ならダメなのか」―。「指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ』という点が足りない」というのが文科省の言い分らしいが、今度はパン製造業界から異議申し立てが起きた。教科書会社が文科省の顔色をうかがうという意味ではこれも立派な「忖度」である。

 「憲法や教育基本法等に反しないような形で、教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」―。こんなドサクサに紛れる形で、政府は3月31日「教育勅語」を学校教材として使うことを容認する政府答弁書を閣議決定した。「忖度」騒動の発端となった森友事件では、法人側が経営する幼稚園で教育勅語を素読させていた事実が明らかになった。この騒動を抜け目なく利用しようという政府の魂胆がミエミエである。「教育勅語が注目されたのはけがの功名。閣議決定した政権のしたたかさを感じた」(4月12日付「朝日新聞」)とある国会議員は高吟して憚(はばか)らない。「けがの功名」とは―。「過失が思いがけなくも、よい結果を生むこと」と広辞苑にはある。「言葉」を愚弄するのもいい加減にせいや、と心底思う。
 
 下流域の足元も例外ではない。市議会での当局側答弁でいつも不思議に思うことがある。幹部職員が補足答弁する際、申し合わせたように「いま、市長が答弁した通りですが…」と必ず前置きをする。「聞いたばかりなので、分かっているよ」と私はその都度、イライラする。この枕詞の背後からも何かしら「忖度」の臭いが漂ってくる。「1強多弱」の高笑いだけがやけに耳にうるさい。「夫婦して『李下に冠』理解せず」(4月18日付「朝日川柳」)―。こんな川柳が新聞に載っていた。言葉の根腐れ病とも言える腐臭が蔓延する中で、清々(すがすが)しい文章に出会った。道徳教科書をめぐる中学1年生の意見である。
 
 「道徳は、人によって感じ方が違うから『道徳』なのだと思います。道徳とは、色々な視点から物事を考えるという『答えのない』ものであるからこそ、必要なのだと思います。少なからず答えのある『道徳』は、子どもには必要ないのではないでしょうか。答えの無い教科、それが『道徳』の『答え』なのではないでしょうか」(4月6日付「朝日新聞」声欄)

 傍らのテレビは経済産業大臣政務官を辞任した政治家をめぐる”重婚”騒ぎで話題が持ちきりである。投書をした女子中学生にこの男は一体、どう申し開きをするつもりなのか。そもそも、できるのか?!―。選挙区が「ヒロシマ」だというのだから、なおさら許せない。


(写真は首相主催の「桜を見る会」の安倍首相夫妻。森友事件などどこ吹く風、お二人は満面の笑み=4月15日、東京・新宿御苑で。インタ-ネット上に公開の写真から)

2017.04.20:masuko:コメント(0):[身辺報告]

訃報;「反戦・平和」の語り部―三田照子さん

  • 訃報;「反戦・平和」の語り部―三田照子さん

 語り部として「反戦・平和」を訴え続けてきた、花巻市在住の三田照子さんが17日、99歳の生涯を閉じた。三田さんは1941年8月、旧満州(中国東北部)に渡り、夫とともに中国人青年を対象にした無料の日本語塾を設立。46年10月の帰国後は「満州での出来事を伝え、反戦・平和を訴えるのが使命だ」と語り、語り部活動や中国残留孤児の支援に力を入れてきた。

 朝日新聞盛岡総局の木瀬公二記者(シニアスタッフライタ-)がその生涯の聞き書きを続け、昨年8月から同紙岩手版で連載「満州/月と星―風化に抗(あらが)う戦後71年」が始まった。訃報が載った18日付の同じ紙面の連載は33回目。「ひるまず/たばこ売り」という見出しの最後は「日本で教えられた、高い地位にある人が偉いという教育は間違いだと思いました。どんな仕事でも働くのは尊い。職業に貴賤(きせん)はないと実感しました」と結ばれ、友人の中国人女性と服を交換し、友人が和服姿、三田さんが中国服姿の写真が添えてある。

 花巻ユネスコ協会の会長を務める長男の望さんは13年前、花巻市内の障がい福祉サ-ビス事業所「こぶし苑」の法人(花巻ふれあいの里福祉会)理事長に就任。私も園長として数年間、一緒に仕事をした思い出がある。まさに母親の精神をそのまま受け継いだ人柄だった。合掌。


(写真は亡くなるまで「語り部」を続けた三田照子さん)
2017.04.19:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「魂でもいいから、そばにいて」

  • 「魂でもいいから、そばにいて」

 「体は単なるに肉体ではない。魂の器(うつわ)なのだと思う。大切なあの人が亡くなっても、その人の魂の器が見つからなければ、遺された人には彼岸に去ったとは思えない」、「彼らが不思議な体験をするのは、亡くなったあの人を忘れたくないからであり、同時にそれが、死者の願いでもあることを知っているからだ。生者が死者を記憶に刻み続けることで、死者は生き続ける」…。ノンフィクション作家、奥野修司さんの最新刊『魂(たましい)でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く』には東日本大震災で肉親を失った18人の遺家族の“霊体験”が収録されている。

 「照さん」もやっぱり、そうだったんだ―。最愛の人たちを喪(うしな)った絶望の淵での「再会」の物語を読んで、何かストンと胸に落ちるものを感じた。大槌町の仮設住宅に住む白銀照男さん(67)は、病気で寝たきりだった母親のキノエさん(80歳)と妻のはち子さん(55歳)、それに1人娘の美由紀さん(33歳、いずれも当時)の家族全員を津波にさらわれた。あれから6年以上、3人はまだ見つかっていない。「か~さん、はち子、美由紀~」―。こう叫びながら、まさに亡霊のように瓦礫(がれき)の上をさ迷い歩く照さんに出会ったのは「3・11」の直後だった。

 まもなく「不思議な体験」をするようになった。その話を聞くたびに私は「まさかそんなことが…」とにわかには信じることはできなかった。たとえば―。「あの時は一瞬、ギクッとした。何しろお釈迦さまが自分の足で立っていたんだから…」。震災から約2か月後、肉親捜しで疲れた体を引きずりながら避難所に戻る途中、対の回り灯篭が自宅跡の瓦礫のそばにしゃんとして立っているのに気がついた。「1年前に亡くなった父親の供養のために買った灯篭だった。家は完全に崩壊したのにどうしてこれだけが…。誰かが見つけて組み立ててくれたのかも」。まだまだ、続いた。

 「瓦礫の陰から現われたと思ったら、車の前をのろりのろりと歩いているんだ。カメは万年というけれども、それにしても不思議なことが続くもんだ」―。今度は車を運転して避難所に戻る途中、1匹のカメと遭遇した。「カメは長寿のシンボル。3人がどこかで生きているって…。そのことを伝えるために、わざわざ私の目の前に現われたのかなあ。回り灯籠で生存をあきらめたと思ったら、今度はカメだからね」。照さんがこう言って宙を仰いだ時の言葉がまだ記憶の底に残っている。「この不思議な因果がとても偶然とは思えない。生と死を交互に考えること。その大切さを教えてくれているような…」。さらに―。

 ある日突然、マナモ-ドの携帯電話の振動音が枕元で「ブルッ、ブルッ」と響いた。夢うつつの中で耳にあてると「お父さん」という妻、はち子さんの声。「お前、今どこにいるんだ」と聞くと、「安渡橋のたもとにいる。お母さんも美由紀も一緒よ」と言ったきり、プツンと切れた。あわてて着信履歴を見たが、形跡はなかった。「外でドンと大きな音がしたかと思ったら、窓がカタカタ鳴った。その日はなかなか寝付けなかった。電話がかかってきたのは午前5時半ごろ。何とかして助けてやりたかったのに…」―。奥野さんは今回の聞き書きについて、こう書いている。「事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとって、それは『事実』であるということである」

 「どう、最近は何か不思議発見はある?」―。久しぶりに照さんに電話を入れてみた。「最近はあんまりないね。でも、今年中には家を新築しようと思っているから、完成したら3人一緒に遊びに来ると思うよ」。新しい家は元の家の近くに建てることになっている。私は嬉しくなって相槌をうった。「そうすりゃ、3人が迷子になる心配もないしね。それと新築祝いにはちょっとは早いけれど…」。私はさっそく、奥野さんの新著を宅急便に託した。ふと、柳田国男の『遠野物語』(99話)に同じような話が載っていることを思い出した。明治三陸大津波(明治29年)の際の体験談である。

 「土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子とを失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひたる」

 白銀照男さんのこころの中には、母親のキノエさんと妻のはち子さん(55歳)、1人娘の美由紀さんが消えることなく生き続けているのである。


(写真は回り灯篭を発見し、不思議な因果を思う白銀さん=2011年5月、大槌町安渡の元自宅前で)




2017.04.15:masuko:コメント(0):[身辺報告]