魂の飢餓感

  • 魂の飢餓感

 「お父さんだよ、お父さんのところに帰るよ。一緒についてきてよ。みんなと一緒におうちに帰ろう。ここにいたらいけないよ。娘がどんな思いで命を落としたのか、どんな痛みと苦しみと恐怖の中で娘が亡くなったかと考えると耐えられません」―。元米兵による死体遺棄事件で犠牲になった女性(20)の父親が23日、事件後初めて遺棄現場に手を合わせ、「魂を拾いに来たよ」と嗚咽(おえつ)をもらした。「魂」という言葉に胸が打ち震える思いがした。翁長雄志・沖縄県知事が同じ言葉を口にしたのは昨年12月の「辺野古代執行」訴訟の意見陳述の場だった。

 「歴史的にも現在においても、沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてまいりました。私はこのことを『魂の飢餓感』と表現しています。政府との間には多くの課題がありますが、『魂の飢餓感』への理解がなければ、それぞれの課題の解決は大変困難であります」―。自由や平等、人権、自己決定権…人間の尊厳に欠かせない魂の収奪。その空っぽになった「魂の骸(むくろ)」を抱きかかえるようにして生家へと急ぐ父親…。私はその後ろ姿を目で追いながら、胸が締め付けられるような気持になった。沖縄の「米軍基地」問題とはすぐれて、「魂の復権」に関わる物語ではないか、と。

 翁長知事はオバマ米候大統領の訪日を前にした23日、「米軍基地があるゆえの犯罪。大統領に直接話をさせてほしい」と安倍首相に求めた。同席した菅義偉官房長官は「一般論で言えば、安全保障、外交に関わる問題は中央政府間で協議するのが当然のこと」(24日付朝日新聞)と述べ、事実上否定した。このやりとりを聞きながら、私は「安保法制」論議がヤマ場を迎えていた昨年9月議会の光景を思い出した。米軍普天間飛行場の「辺野古」移設問題に言及しつつ、「国民全体の安全を担保する役割の大半が、沖縄に押し付けられている実態をどう見るか」(拙著『イ-ハト-ブ騒動記』に詳述)とただした。宮沢賢治のふるさと―「イーハトーブはなまき」の上田東一市長は言いよどむ様子もなく、こう答えた。

 「防衛、軍事、安全保障などは国の所管であり、地方公共団体には権限はないと理解しているところであります。(沖縄の基地問題については)花巻市域内の問題でない以上、当市の地方自治に直接関連すると判断することはできないものと考えております」―。血も涙の一滴もないような国と地方自治体の受け答えを思い比べながら、背筋がザワッとした。「双方に決定的に欠落しているのは魂の触れ合いではないのか」。本土の私たちが「オキナワ」に向ける目線にはもはや右も左もない(20日付当ブログ参照)。そこかしこでやけに目につくのは、沖縄を打ち捨てた果ての魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちの、のっぺりとした面妖(めんよう)ぶりだけである。

 今回の事件をきっかけにして、あちこちの抗議会場で蝶(チョウ)が舞うようになった。沖縄では蝶のことを「ハ-ベ-ル-」と呼び、魂を運んだり、魂の化身だと伝えられている。地元の切り絵作家のハ-ベ-ル-は怒りを表わすために黒々と色付けされている。被害女性の父親は黒い蝶に変わり果てた愛娘と今ごろ、何を語らっているのであろうか。「ヤマト」(本土)に対する絶望だろうか、それとも「ニライカナイ」(琉球弧の理想郷)の未来へ託す希望だろうか。お互いの魂が触れ合わない限り―つまり「魂の飢餓感」からの解放を抜きにして沖縄の「基地問題」の真の解決はあり得ない。


(写真は黒い蝶蝶の切り絵を掲げて抗議する沖縄県民=22日、在沖縄米軍司令部がある北中城村のキャンプ瑞慶覧ゲ-ト前で、インタ-ネット上に公開の写真から)



2016.05.24:masuko:コメント(1):[身辺報告]

怒りの抗議行動、ふたたび

  • 怒りの抗議行動、ふたたび

 「私たち若い世代に新しい沖縄のスタ-トをさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。そのために私も、一歩一歩行動していきたい。私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」―。1995年、沖縄で米兵ら3人による12歳の少女に対する集団暴行事件が起きた。当時3年生だった女子高校生は県民総決起大会に集まった約8万5千人の県民を前に涙ながらに訴えた。あれから21年―、沖縄の未来がが託されたはずの「若い世代」の命がまた元米兵の手によって奪われた。

 「もう我慢の限界を超えた」―。悲報から一夜明けた20日、全国各地で抗議行動が開かれた。1972年の本土復帰以降の米軍人・軍属らによる刑法犯罪は5862件。うち殺人や強盗、放火、強姦などの凶悪犯罪は574件(737人)に上っている。東京・永田町の首相官邸前には市民団体「米軍人・軍属による事件被害者を支える会」のメンバ-が集まり、会員の芦澤礼子さん(53)がこう訴えた。「日米両政府の責任はもちろんあるが、米軍基地が沖縄に集中していることに無関心な本土の人の責任でもある」(5月21日付朝日新聞)

 「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」と名付けたグル-プが昨年3月に発足した。今月15日に開催したシンポジウムのテ-マは「県外移設から『県外移設へ』」―。主催者はこう語った。「沖縄に集中している米軍基地はもともと日本にあったのを国家が県外移設させて(沖縄に)押しつけた結果であり、その国家暴力に抗していま沖縄が求める『県外移設』に本土の日本人としてどう応答するのか」(5月20日付週刊金曜日)。グル-プはその後、福岡や長崎、新潟、東京でも結成され、シンポジウムに参加した新潟の代表は「沖縄の基地問題の当事者は誰か。基地を押し付けている私たち日本人の問題だ」と話した。

 「実現可能性という観点とは別にたとえば理念として、米軍普天間飛行場の訓練の一部を受け入れる考えはないか」―。私自身がこの問題を議会で取り上げたのはもう5年以上も前の2010年の12月定例会にさかのぼる。しかし、「沖縄の痛み」にそっぽを向くという市当局と議会双方の態度はその後も変わる気配は全くない。それどころか、無視・黙殺を決め込んでいるというのが実態である(20日付当ブログ参照)。「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」という20年以上も前の高校生の叫びは一体、何時になったら私たち本土の耳に届くのだろうか―。

(写真は死体遺棄事件で犠牲になった女性に黙とうを捧げる沖縄県民=20日午後、北谷町の米軍嘉手納基地第1ゲ-ト前で=インタ-ネット上に公開の写真から)

《注》
 「日米地位協定」は刑事事件の裁判権について「公務中」の場合は米側に、「公務外」の場合は日本側に認めている。しかし、公務外の場合でも「身柄が米国側にある時は、日本側が起訴するまでの間、米側が引き続き拘禁する」と規定されている。このため、「1995年」事件の際は起訴されるまで身柄が日本側に引き渡されることはなかった。今回の遺体遺棄事件はオバマ大統領の訪日という時期に重なったこともあり、沖縄県警の元に身柄が置かれることになっている。
2016.05.21:masuko:コメント(0):[身辺報告]

激震!!元米兵逮捕/死体遺棄容疑(沖縄)

  • 激震!!元米兵逮捕/死体遺棄容疑(沖縄)

 「沖縄/悲嘆、怒り。またか、許せない」、「怒る沖縄/『辺野古』にも影響」(20日付新聞各紙)―。オバマ米大統領の訪日を目前に控えた19日、元米兵による女性の死体遺棄事件が日本政府を直撃した。日米関係の強化と核廃絶に向けた「未来志向」という大統領のメッセ-ジがシナリオ通りに発せられるのか―。この日、米軍普天間飛行場の「辺野古」移設への反対を訴える米国出張から帰国した翁長雄志・沖縄県知事はこう怒りを露わにした。「沖縄の米軍基地がいかに理不尽な形で置かれているかを話してきた。その矢先に基地があるがゆえの事件が起きてしまった」(朝日新聞)

 一方、岸田文雄外相は深夜にもかかわらず、ケネディ駐日大使を外務省に呼び出して遺憾の意を表するとともに強く抗議した。「タイミング的に悪い。大変なことになった」と閣僚の一人が嘆くように、その背景には今月27日に沖縄県議選が告示され、夏には参院線が控えているという「選挙事情」がある。さらに、今回の事件は1995年に起きた海兵隊員らによる小学生女児への暴行事件という“悪夢”を思い起こさせるのに十分である。この事件をきっかけに基地反対運動が大きなうねりとなり、翌年の普天間返還合意につながった経緯がある。しかし、その「合意」も移設先をめぐって暗礁に乗り上げたままだ。

 今回の被害女性と小中高とも同級生だった会社員の金城和人さん(20)は「辺野古」移設で揺れる名護市に住んでいる。「なぜ米軍関係者の事件が繰り返されるのか。米軍が『罪を犯しても守られる』と感じてしまう日米地位協定の存在が根にあるのかもしれない。沖縄だけでなく、国全体で考えなくてはいけない」(朝日新聞)―。こんな沖縄の悲痛な叫びは、しかし、本土まで届くことは少ない。たとえば、米軍普天間飛行場の訓練の一部を本土で引き受けることに関連し、日本共産党所属の花巻市議は私の議会質問に対し、次のような認識を示している。

 「女性暴行などの米兵による犯罪と騒音被害は想像を絶しており、花巻市民がそれを受け入れなければならない理由などない。…(花巻の)住民の不安は当然であり、このような不安を(質問者の私が)与えたことをどう考えるか。議会とは市民の願いを実現するために市政に働きかけるのが仕事であり、抽象的な理念や文芸論を披歴する場ではない」(拙著『イ-ハト-ブ騒動記』に詳述)。ここには沖縄県民の不安に眼差しを向ける視線はみじんも感じられない。

 わずか0・6%の面積の中に全国の米軍基地の74%が集中する沖縄の現実―。他人の痛みを「対岸の火事」として黙殺するこの姿勢は逆にいえば、そのまま沖縄の米軍基地の固定化に手を貸すことにつながる。その一方で、私はオバマ大統領の訪日前の犯人逮捕に沖縄県警の意地を垣間見たような気がした。「基地警備などで同胞である沖縄県民と最前線で対峙することを強いられる地元の警察官。今回の逮捕劇はその無念を晴らそうという意趣返しの執念ではなかったのか」と…。同時に今回の事件は無関心を装う私たち本土の向けられた批判だということを決して忘れてはなるまい。


(写真は元米兵逮捕を報じる地元紙「琉球新報」の19日付号外。女性は殺害されたうるま市の会社員、島袋里奈さん=20)
2016.05.20:masuko:コメント(0):[身辺報告]

原爆慰霊碑とオバマ大統領

  • 原爆慰霊碑とオバマ大統領

 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」―。広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑にはこう刻まれている。「主語」のない実に不可解な文章である。作家の辺見庸さんは以前、自らのブログにこう記した。「過ち?だれによる、だれにたいするどのような過ちなのか。それを、だれが、どう、つぐなわなくてはならないのか。主語を消し去ることで責任を無限に拡散し、ついに罪を無化してしまうのでなく、日本による侵略・大量殺戮の犯罪をふくめて、ひとつひとつ責任の主体をくどいほど問いつづけ追いつづけて、自他の罪の質と所在をあかす重い労苦を、この国の戦後はなぜ担わなかったのか」

 核兵器(原爆)を実戦に使用した唯一の国である米国のオバマ大統領が今月27日、現職として初めて広島の地に立つ。米国政府は今回の訪問を「謝罪」と受け取られないよう慎重に配慮してきた。原爆投下が戦争の終結を早めたとする世論が米国内には依然として強いからである。しかし、その一方で「謝罪を口にしなくても、訪問それ自体が“暗黙の謝罪”を意味する」という知日派の見方もある。こんなリスクを抱えながら、オバマ大統領がなぜ広島訪問を決意したのか。「大統領レガシ-(遺産)」論などが叫ばれているが、「核兵器なき世界」を訴えたプラハ演説(2009年)が原点にあるのは間違いない。

 それに引き換え、受け容れる側の日本政府の浅慮(せんりょ)には開いた口がふさがらない。その顕著な例が「オバマ訪日サプライズ」論である。いわく、「オバマ氏広島訪問の意義を巡り、日本政府筋は『核なき世界』に加え、政権運営への追い風になると見込む。『右寄りとみられた安倍政権が実現にこぎつけ、サプライズ効果がある』…」、「政権支持率は上がる。この勢いで参院選に突入してくれれば…」(5月12日付岩手日報など)。当面は今夏の参院選に好材料になるとの下心が透けて見える。始まりには必ず終わりがある。当然のことながら、戦争もその例外ではない。加えて、戦争という物語には「加害」と「被害」という側面がコインの裏表のように付きまとう。

 オバマ訪日の第1報を聞いた時、私の脳裏には「パ-ル・ハ-バ-」(真珠湾)という言葉が反射的によみがえった。真珠湾攻撃がこの物語の始まりだったとすれば、「ヒロシマ・ナガサキ」への原爆投下がその終わりを示していた。そして、この物語は何よりも「加害と被害」という戦争が宿命的に抱え持つ実相を浮き彫りにするものでもあった。事実、米国内でもオバマ訪日と同時に安倍首相が太平洋戦争の開戦の地であるハワイ・真珠湾を訪問すべきとの論調も出ている。たとえば、外交専門誌「フォ-リン・アフェア-ズ」は「歴史を刻む相手国の都市への相互訪問は、両国の指導者がとるべき正しい行動だ」(14日付朝日新聞)と書いた。

 1952年、原爆死没者慰霊碑が建立されて以来の歴代の広島市長はこう述べてきた。「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである。碑文の意図するところは、『日本』『アメリカ』といった特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである。全ての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である」―。

 だからこそ、と私はあえて問いたい。いまこそ、この碑文を人類普遍の原理として共有するためにもその主語に「日本とアメリカ」をすえる勇気を持つべきではないか。日米間の戦後最大の”タブー”を打ち破るためにも…。安倍政権の底意(そこい)は歴史を冒涜するものに他ならない。オバマ大統領の広島訪問は1週間後に迫っている。


(写真はオバマ大統領の訪問を前に死没者名簿の保存維持のための「風通し」をする広島市職員。29万7684人の名前が記載されている=18日、原爆死没者慰霊碑前で、インタ-ネット上に公開の写真から)

《追記》
 この原稿を書いていたさ中、沖縄県で米軍の元海兵隊員で軍属の男(32)がうるま市の会社員の女性(20)を殺害し、遺体を遺棄した疑いで緊急逮捕されたという衝撃的なニュ-スが飛び込んできた。事件の詳細が分かり次第、オバマ大統領の訪日や辺野古移転など基地問題に与える影響を考えたい。


2016.05.19:masuko:コメント(0):[身辺報告]

ヘイトな、いや~な時代

  • ヘイトな、いや~な時代

 「おまえら朝鮮人は腐れ朝鮮人なんだよ、腐れ朝鮮人。ゴキブリ、うじ虫、朝鮮人」、「殺せ、殺せ、朝鮮人。出てけ、出てけ、朝鮮人」―。聞くだにおぞましい「ヘイトスピ-チ」(憎悪表現)に一応、法的規制がかけられることになった。「ヘイトスピ-チ対策法」が今国会で成立する見通しになったためで、罰則規定はないものの「差別を助長・誘発する目的で、生命や身体に危害を加えると告知するか侮蔑するなど、地域社会からの排除を扇動する不当な差別的言動」―など特定の人種や民族への差別をあおることが禁止される。

 ただ、保護対象が「適法に日本に居住する日本以外の出身者や子孫」に限定され、沖縄出身者やアイヌ民族、在留資格を持たない外国人らが除外されたことについては一抹の危惧を覚える。「あ、イヌ(犬)が来た」と蔑(さげす)まれ、以後「アイスクリ-ム」の看板を見ただけで足がすくんでしまった。かつて、アイヌの友人はこう語った。また、米軍基地問題などで現政権と鋭く対立する沖縄地元紙の記者が東京転勤に伴って借家を申し込んだところ、「沖縄人はお断り」とやんわり拒否された出来事が最近、報じられた。

 10日付当ブログでも言及したように過激なヘイトスピ-チは非常時に乗じてまき散らされることが多い。たとえば、5年前の東日本大震災の場合―。「福島県人=ヒマワリ」論がインタ-ネット上の掲示板に飛び交った。ヒマワリが土壌中の放射性物質を吸収しやすいと言われたことを根拠にした悪質な書き込みだった。ナチスのホロコ-ストも顔負けするような戦慄すべきデマである(2011年3月26日付)

「え?福島県民を植えればいいの?
「福島県民は20日間で放射性物質の95%以上を吸収する」
「30年(セシウム137の半減期)もかからんよ」
「で、その成長した福島県人はどこに捨てるの?」
「福島県民を焼却して出来た灰に処理剤を混合して、加熱するとガラスになる。そうなればもう出ることはないので、あとは地下格納庫でも作って積んでいけばいい」

 私自身、不快な思いにさせられたことがあった。被災地が阿鼻叫喚の修羅場と化していた同じころ、花巻市議会を舞台に義援金「流用疑惑」が浮上し、一方で傍聴にきていた被災者に向かって、議員の一人が「さっさと帰れ」と暴言を浴びせるという前代未聞の出来事が起きた。この際、問題追及に立ち上がった私に対して、投げ返されたのもヘイトスピ-チまがいの誹謗中傷・罵詈雑言の矢の束だった。その中には明らかに議員と思しき人物の匿名を使った書き込みも散見された(拙著『イ-ハト-ブ騒動記』に詳述)。たとえば、こんな調子で…。

「朝日(私のこと)はねつ造が得意。自作自演の狂言じゃないですか」
「被災者を議場に呼び込んで、扇動まがいなことを企む。そこに当市議の『おごり』と『悪意』を感じる」
「民主議会のル-ル、多数決の結論にも従わず暴言を続ける71歳の悪あがき!」
「探せばいるものですね、左巻き同類項が。声高な偽善者が分不相応な誇示しているだけ」
「あなたのボランティア活動とやら、公職選挙法違反ですよ」
「議員なんか辞めて、お遍路にでも出た方が市民が喜ぶと思いますよ」
「何様か。お前さんの飽くなき市民扇動だろうよ。放火犯が野次馬に紛れて油をまいているようなものだ」

 「ヘイトな、いや~な時代」が足元にも着々と忍び寄りつつある。



(写真は街頭に繰り出すヘイトスピ-チのデモ隊=インタ-ネット上に公開の写真から)




 
2016.05.16:masuko:コメント(4):[身辺報告]
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