忙中閑―コロナ神とBLMと大坂なおみと…

  • 忙中閑―コロナ神とBLMと大坂なおみと…

 

 「彼我(ひが)を差別しないというその“平等性”こそが、むごたらしい差別の実相を白日の下にさらした」―。トランプのジョ-カ-(道化師)ではないが、米大統領の「コロナ」感染は妄想の射程を無限に広げてくれたという意味では最近にない「ブラックジョ-ク」(風刺)ではなかったか。最初は劣勢が伝えられる大統領選の逆転劇をねらった大芝居―「仮病」ではないかと思ったほどである。そうではなかった。「コロナ神」(私はこのところ、尊称を込めてこう呼ぶことにしている)は実は、白人至上主義者であるトランプ大統領の下で差別を強いられてきた「ブラック」の蹶起(けっき)を促したのではないか…そんな気がするのである。

 

 「雇用や住宅、教育、健康などさまざまな面で、黒人をはじめとするマイノリティへの社会経済的不平等が新型コロナウイルスへの感染リスクや重症化リスクを高める要因となっている」―。米ブルッキングス研究所はコロナ感染による黒人の死亡率が白人の2倍以上にのぼっていることについて、こう分析している。コロナ禍のさ中の今年5月、ミネソタ州で黒人男性が白人警官に首を押さえられて死亡する事件が起きた。これをきっかけに人種差別や社会的格差に反対する「BLM」運動(ブラック・ライブズ・マタ-)が広がった。全米から全世界へ―とその伝播力はまるで同時多発的なコロナパンデミックの勢いを思わせた。

 

 「私はアスリ-トである前に、1人の黒人の女性です。私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければならない大切な問題がある」―。テニスの全米オ-プンで、2年ぶりに優勝した大阪なおみ選手(22)はこんなメッセ-ジを掲げながら、頂点を極めた。決勝までの7試合全部に黒人被害者の名前を記したマスクを着けて登場した。14歳の時、黒人少年が白人自警団に銃殺された事件を経験した。「彼の死が目を開かせてくれた」と語っている。ハイチ出身の父親と日本人の母を持つ彼女の生い立ちを聞いていると、「やっぱり、おじいちゃんの血が流れているんだな」と思ってしまう。

 

 北海道根室市に住む祖父の大阪鉄夫さん(75)は北方領土・歯舞群島(勇留島=ゆりとう)の出身で、日ロ間にまたがる“国境の海”を抱える根室漁協の組合長を20年以上にわたって務めている。だ捕の恐怖におびえながらの「密漁」やロシア側に情報を流して、密漁を見逃してもらう「レポ船」…。現役時代、この地を取材した私は領土問題(政治)の“人質”にされる国境漁民の苦悩を何度も聞かされた。大阪さんは昨年11月、孫娘のなおみさんを初めて、東端の納沙布岬に案内した。眼下に歯舞群島の島影がぼんやりと浮かんでいた。おじいちゃんは孫に対して、「国をまたいで生きる」ことの困難と勇気を教えたかったのではないか、ふとそんな気がした。

 

 「文化担う人々への抑圧も見よ」という見出しの記事で、北海道大学のアイヌ・先住民研究センタ-の北原次郎太(アイヌ名・ モコットゥナシ)准教授はこう述べている。「文化を知ることは、相手に歩み寄るための一つの手段だ。その文化や担い手を抑圧する構造を見なければ、単なる消費や収奪となる。『黒人文化だけでなく、黒人も愛してほしい』というBLM運動から発せられる言葉は、アイヌの状況にもそのまま重なっている」(10月10日付「朝日新聞」)―

 

 「黒人の命は大切」→「黒人の命も重要」→「黒人の命こそ大事」…。「Black Lives Matter」はその後、日進月歩の速さで進化し続けている。決勝後のインタビュ-での大坂さんの受け答えが印象深い。記者から「7回の試合で7枚のマスクを使いましたが、伝えたかったメッセ-ジは何ですか?」と聞かれ、「あなたが受け取ったメッセ-ジは何ですか?というのがより重要な質問です。社会が問題提起を始めることが意義であり、目標です」(総合スポ-ツ雑誌『Sports Graphic Number』9月14日号)と答えている。個々人が「自分事」として“思考”を続けることの大切さを、この未知なる脅威は私たちに伝えたかったのかもしれない。

 

 アイヌの世界では病気のことを「パヨカカムイ」(徘徊する神)と呼ぶ。病気をまき散らすのもこの神に課せられた役割なのだという。私は「ムダな抵抗」を戒めた謂(い)いだと勝手に解釈している。“疫病神”扱いされているこのウイルスに対し、「コロナ神」という尊称を献上したいと思う所以(ゆえん)である。

 

 白人警官による黒人への殺傷事件が後を絶たない。根の深いこの問題に米国はどう向き合おうとしているのか。大統領選は4日後に迫った。

 

 

 

 

(写真は大きな反響を呼んだ大坂選手のマスク姿=インタ-ネット上に公開の写真から)

忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?

  • 忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?

 

 “アベノマスク”を揶揄(やゆ)していた自分がいつの間にか、その姿に違和を感じなくなっているという不可思議…。そういえば、詩歌の世界でも年中、通用する“季語”になったみたいで。そして、スポ-ツ界に目を転じれば、あの“なおみマスク”が…。そんな時に出会ったのが「空気の日記」―

 

 「空を見上げれば、すいすい元気に飛び交うアキアカネの群れ。おお、秋だ秋茜(あきあかね)だ。足元を見れば、道には色づいた落ち葉がチラホラ並びはじめている。去年の秋と今年の秋の違うところは――落ち葉のなかに、白いマスクが何枚か混ざっているところかな」―。詩人23人が輪番でつづるWEBサイト「空気の日記」の9月23日付の文章にこんな一節が…。「玄関先の古紙回収のトイレットペ-パ-が盗まれた」(4月1日付)という一文でスタ-トしたこの日記は、こんな具合に書き進む(以下、9月25日付朝日新聞「天声人語」から引用)

 

●禁制の集会に行くかのように/息をするのも恥じ入りながら/ス-パ-にこっそり出かけてく(4月12日)

●手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり/蛇口から流れつづける今日という一日(5月6日)

●陰/陽/白/黒/必要/不要/緊急/不急/一輪の花でさえ/そんなふうにはほんとうは分けられない」(6月6日)

●STAYとかHOMEとかGO TOとか/わたしたち犬みたいだよね」(7月19日)

●マスクをする 呼吸をする/暑くてくらくらメマイがする/なぜかセカイがくるくる回る(8月6日=この日は75年目の広島原爆の日)

●布でつくられたマスクを手洗いする朝が/いつもの流れにまざって/この日常を/たやすく認めたら/わたしが壊れる(9月9日)

●わざわざ書くまでもないような/ささいなことを/ううん/わざわざ書いておかないと/あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから(9月10日=沖縄那覇在住の詩人)

 

 

 「空気の無くなる日」(1949年)―。ふいに、70年以上も前の映画のシ-ンが目の前によみがえった。子どもたちが5分間、呼吸を止める訓練をしたかと思えば、自転車のチュ-ブや氷袋に空気をためようとするなどてんやわんや大騒ぎ。彗星が接近する「その年の7月28日」に5分間だけ、「地球上から空気がなくなってしまうそうだ」というデマに踊らされるドタバタ劇である。1円20銭だった氷袋が何百倍にも高騰するというあたりは、コロナ禍でのマスクの買い占めを彷彿(ほうふつ)させるではないか。この2年前、当時の児童雑誌に掲載された同名の小説(岩倉政治著)の映画化で、私も恐るおそる見に行った記憶がある。ところで、冒頭に引用した詩はこう続く。

 

 「マスク暮らしも、板について。人気のないところでのマスク外すタイミングも心得た人々の、外し方もそれぞれ個性が出ていて、観察するとけっこう面白い。顎の下にずらしてタバコ吸ってる、顎マスク。片肌脱いだ遠山の金さんのように片方外した、片耳マスク。ゴム紐が伸びきってないとああはできないだろう頭の上の、あみだマスク。口だけ隠せばじゅうぶんだと思っているらしく堂々と、鼻出しマスク。人の気配を感知するとさっとポケットから現れる、忍びマスク。マスク景色も、十人といろだ」

 

 「ところ変われば、セリフも変わる――世界お国別、口説き文句の違いです。これは唸った。アメリカ人にマスクをさせるには、『ヒ-ロ-に、なれるよ』(アメコミだ)。イギリス人には、『紳士は、してるよ』(おとなだ)。ドイツ人は、『マスクは、ル-ルだよ』(まじめだ)。イタリア人は、『モテるよ』(さすがだ)。さて、日本人は?と固唾を飲んで待った。さて、なんだとおもう?なんだとおもう?なんだとおもい、そうかとおもった。そうかとおもい、やっぱりとおもった。そして、ちょっと悲しくなった。答えは『みんな、してるよ』(赤信号だ)」…

 

 あぁ、早くマスクを外して、すっきりしたい。でもやっぱり、新型コロナウイルスがおっかない。齢80歳にして、ふたたび「5分間呼吸停止術」に挑戦するとするか。でもたったの5分間、息を止めることができたとしても…。物理学に「イナ-シャ(慣性)の法則」というのがあるそうである。平たく言えば、周囲に慣れ親しむというような意味なのだろうか。ぐるりと見まわすと、私たちのまわりにはすでに「ニュ-ノ-マル」(新常態)という名の城壁が張りめぐらされている。「付けるも地獄、外すも地獄」―あぁ、“マスク地獄”よ!?

 

 10月19日付の日記にこんな一節があった。目の前にはもう、冬が駆け足で近づいている。

 

春、夏、秋、と
くりかえされる
カンセン、という
ひとつの音に
わたしはもう
驚かなくなっているのだろうか

ほんとうは少しも慣れていないことを
見せないことに
慣れただけなのだろうか

ひさしぶりに降りた駅
一瞬 マスクをはずして
風のつめたさを吸いこむ……

 

 

 

 

 

(写真は「空気の無くなる日」のひとこま。何となく滑稽かつ悲しげな光景である=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その5(完―2)…“上田私案”の白紙撤回を!?

  • 号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その5(完―2)…“上田私案”の白紙撤回を!?

 

 「としょかんワ-クショップ」の一般の部最終回(5回目)が25日に開かれ、7班に分かれた参加者が新花巻図書館の立地場所などについて、意見を交換した。これに先立ち、当局側から今年1月29日に公表された「新花巻図書館複合施設整備事業構想」〈いわゆる“上田私案”〉や今月19日開催の「(市議会)新花巻図書館整備特別委員会」で示された建設候補地の説明があった。私は「場所について、議論するのは尚早だ」として、“上田私案”の白紙撤回を求めて、以下のような意見を述べた。

 

 

 コロナ禍の下で続けられてきた計7回にわたる長丁場のWSは今日が最後になるわけですが、本来なら最終日のこの日が第1回目にならなければならないと思っています。というのは、WSのたたき台となるべき、市当局が「最善案」とする「住宅付き図書館の駅前立地」構想(“上田私案”)がこちら側の要求でやっと、この日の最終回に提示されたという事情からです。順序がアベコベなんです。

 

 しかし、ひるがえって考えれば、結果オ-ライではなかったのかとも思います。高校生から高齢者まで、何らの束縛もなく自由に「夢の図書館」を語り合えたのは幸運であり、こんな機会はめったにないのではないかと考えるからです。その上での提案になりますが、この際、市当局が「最善案」と称するこの構想を白紙撤回し、WSの中で出された奇想天外でしかも自由奔放な市民の声をできるだけ反映した新たな構想を作り直していただきたいと思います。体育館などとは違って、図書館などソフト面の比重が大きいプロジェクトは建物や場所などより、まず理念を先行させるべきです。「百年の計」という視点に立って、ゼロベ-スで出直してほしいと切に願います。

 

 さらに人類はいま、コロナパンデミックという感染症の脅威の中に生きなければならない「宿命」を背負わされてしまいました。「ニュ-ノ-マル」(新常態)が叫ばれる時代の中で、図書館のあり方も従来のようなまちの活性化や賑わい創出の観点だけから論じることはもはや、不可能だと考えます。私たちはいま、「パラダイムシフト」(価値の大転換)のただ中に身を置いていることを忘れてはならないと思います。

 

 次に「市政への市民参画ガイドライン」によると、市民参画の方法としては①意向調査、②パブリックコメント、③意見交換会、④WSの実施、⑤審議会その他の付属機関における委員の公募―などのほか、「市民会議の開催」を挙げています。ガイドラインはこれについて、「計画等の策定過程で市民の意見や考え方を反映するための会議を組織し、市民と市の執行機関又は市民同士が自由な論議により、意見等を取りまとめ提案する方法をいいます」と定めています。

 

 ところが、市当局が「広報はなまき」(10月1日付)で公表した工程表によると、新花巻図書館の基本計画の策定に参画するのは、花巻市立図書館協議会での審議、一般から意見を募るパブリックコメント、市民説明会の3方法に限定され、WSは除外されています。一方で、今回のWSの開催や議会側の図書館特別委員会の設置などによって、図書館に対する市民の関心が高まり、すでに「考える会」などの市民団体が活動しています。こうした動きは今後も広がっていくことが予想されます。したがって、今後の計画策定の段階ではこうした自発的な市民会議も参画メンバ-に加えるよう担当課と検討していただきたいということを申し上げておきます。

 

 

 

(写真は建設場所についての意見発表をする参加者=10月25日、花巻市葛の市交流会館で)

 

 

 

 

《追記ー1》~一人は賑やか

 

一人でいるとき淋(さび)しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

 

 哲学者の鷲田清一さんは「折々のことば」(25日付「朝日新聞」)の中で、詩人の茨木のり子の詩「一人は賑(にぎ)やか」の一節を引用して、こう書いている。この日のWSでの自分の姿を重ね合わせ、思わず、苦笑いしてしまった。「もたれあうのはいや。一人でいる時こそうんと華やいでいたい。孤独は一人ぼっちとは違う。『夢がぱちぱち はぜてくる/よからぬ思いも 湧いてくる』と、詩人は詠(うた)う。馴(な)れあうのでなく、自分を囲うのでもなく、自分の輪郭をじりじり焼いてみよ、ということか。きりっとした孤独、さんざめく孤独」

 

 というわけで、私自身はちっとも淋しくはない。本当に淋しいのは実は、”裸の王様”たる「上田東一」市長その人なのかもしれない。

 

 

 

《追記―2》~賢治とダルマ靴

 

 地元花巻在住の宮沢賢治研究家、鈴木守さんのブログ「みちのくの山野草」(25日付)の追跡ルポー「これが賢治も履いていたダルマ靴」に目を吸い寄せられた。その執念のルポの最後を鈴木さんはユ-モアたっぷりにこう結んでいる。「今の時代、ダルマ靴を売ってくれるお店はおそらくここ以外にないと思われます。つきましては、早い者勝ちです、特に宮澤賢治関連の資料を集めている研究者や組織に、『どうぞお買い求め下さい、一次情報になりますので』と御案内申し上げます」―。当時は高級品だったというこのダルマ靴をつっかけて、花巻城址の「東公園」を散策する賢治の姿が目に去来した。この地に新花巻図書館を建てたいという思いが一層、強まった。

 

 

 

 

 

 

号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その5(完―1)…「アドバイザ-」考現学

  • 号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その5(完―1)…「アドバイザ-」考現学

 

 「計画書などの成果物を見れば、逆に関わったアドバイザ-の“品質”の度合いが見えてくる」―。図書館などビッグプロジェクトの成否を左右するのは助言者たる「アドバイザ-」の手腕であることは言を待たない。では、「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地(いわゆる“上田私案”)というグロテスクで、奇怪な新花巻図書館構想はいかなる出自のもとに産み落とされたのであろうか。WSの最終回はその出生の秘密に迫ってみたい。

 

 「JR花巻駅前のJR用地を活用した新図書館整備事業。図書館と民間賃貸住宅を合築し、図書館に住むという新しいライフスタイルを花巻市民に提供する…」―。今年1月29日、“上田私案”がまさに青天の霹靂(10月15日付当ブログ参照)のように降ってわいた1か月以上も前の昨年12月19日、東京・永田町の首相官邸でこんなうたい文句の事例発表があった。国の目玉政策のひとつである「地方創生」を推進するための首相直属の会議で、議長には安倍晋三首相(当時)が就任していた。発表したのは紫波町で民間主導の「地域経営・公民連携事業」―「オガ-ル・プロジェクト」を展開する同社社長の岡崎正信さん。その手腕は公民連携の成功例として全国にも鳴り響いていた。

 

 花巻市議会9月定例会の決算特別委員会(令和元年度分)に「新花巻図書館整備アドバイス業務」という名目で、4931千円が計上された。岡崎さんに委託した分の経費で、事業の成果については、こう記されている。「新花巻図書館整備基本計画の策定に向けて、候補地の検討や複合施設として整備する場合についてアドバイスを得た」―。私はその仔細について、市側に行政文書開示請求を行い、9月29日付で受理された。開示決定は原則として15日以内に行われることになっているが、11月12日まで45日間、開示決定を延長する旨の連絡が突然、届いた。「請求内容に第三者に対する情報が記録されており、その意見照会に日数を要するため」と理由が記されていた。

 

 「岡崎さんが花巻の事例について説明したことは知っていた。しかし、個人の立場での発表であり、市として関与したわけではない。ただ今後、国の有利な融資を受けるためにも花巻の考えを伝えてくれたのは良かったと思っている。こうした大きな事業を進めるためにはこの種の同時並行的な手続きが必須である」―。当時、上田東一市長は岡崎さんの“越権行為”をこう弁護した。「リノベ-ション」(建築物などの再利用)の“旗手”などともてはやされる、その実力にいささかの疑義を差しはさむものではない。私がイラッとしたのはその礼儀知らずの無礼に対してである。「市民や議会の頭越しにまるで手柄話みたいに公表しておきながら、第三者の情報とは…。こんな風情を擁護する市長も“同罪”ではないのか」―

 

 図書館の運営やサ-ビスなどのソフト面を担当するアドバイザ-は富士大学の早川光彦教授(図書館学)である。コロナ禍の中での図書館のあり方など時宜を得た適切は助言(10月11日付当ブログ参照)を見ていると、さすがに“本の目利き”と感心させられる。一方で、「おやっ」と首を傾げたくなる局面も…。「図書館って、どんな場所?」というテ-マで開かれた第1回目WS(8月23日)で、早川教授は『図書館計画ハンドバック』と題する冊子を参加者全員に配布した。自身が執筆した「住民の願いを『かたち』にする図書館を!」という巻頭文はこう結ばれていた。「知識と情報は住民の幸せの基盤である。住民の願いを『かたち』にするために、このハンドブックが一助になることを願う」―

 

 図書館に関する各種資料や「図書館に関する自由宣言」、関連法規など初心者に役立つ情報が満載…と読み進むうちに目が点になった。後半部分がいつの間に特定業者の図書館備品や設備などのカタログに姿に変えているではないか。そういえば、第3回WS(9月27日)の資料づくりの際、早川教授から「(図書館)家具」を追加するよう指示されたと担当職員が話していたことを思い出した。ふいに「ステ-クホルダ-」というかた苦しい法律用語が頭をよぎった。「利害関係人」と訳され、企業・行政・NPOなどの利害と行動に直接・間接的な利害関係を有する者を指す。とくに、公務員には利害関係人としての行動の制約がこと細かに定められている。たとえば、花巻市職員倫理規定(平成25年2月)には―

 

 「職員は、次に掲げる行為を行ってはならない」(第5条)として、「利害関係者(人)から金銭、物品又は不動産の贈与を受けること」―など9項目にわたる「禁止行為」が挙げられている。当たり前の規定である。ところで、市側からアドバイザ-としての謝礼を受けながら、利害関係人つまり、特定業者の宣伝カタログをWSの参加者に配布するという行為…「私人(大学教授)だから、私企業の広告塔になるのは何ら支障はない」―。たとえば、こんな言い逃れが果たして、世間に通用するものなのかどうか。

 

 ガバナンス(内部統制)とかコンプライアンス(法令遵守)などという小難しいことは言うまい。その前に物事には「道理」というものがある。この2人のアドバイザ-の振る舞いは私にはどうみても「道理にもとる」としか思えない。人はその力量の前にまず人間としての“資質”が問われるという意味で、私たちは残念ながら、アドバイザ-としての人材に恵まれなかったと言わざるを得ない。アッと驚く「新花巻図書館」構想の出自をめぐる物語は以上のような経緯をたどったことを最後に報告したい。もちろん、行政トップの“任命責任”は免れることはできない。コロナ禍のさ中の8月から10月まで足かけ3か月間にわたった計5回(若い世代の分も含めると計7回)のWSの、不本意ながらこれが私の総括である。

 

 かつて、「ドウリズム」(道理主義)を公約に掲げた首長がこのまちにいた。戦後、花巻町長(当時)を2期務めた元日本社会党衆院議員で、党副委員長などを歴任した北山愛郎(1905―2002年)である。終生、中国の国民服(人民服)を愛用しながら、その思想以上に「道理」の大切を説いた姿が私の脳裏に刻まれている。母親の世代が町長選のたびに、「アイロ-さん、アイロ-さん」と叫びながら、選挙カ-の“追っかけ”をしていた光景を懐かしく思い出す。娘さんの郁子さんは『ドウリズムの政治』(2010年)というタイトルで父親の足跡を本にまとめている。

 

 「トウイチさん、トウイチさん」という声は残念ながら、遠音(とおね)にも聞こえてこない……

 

 

 

 

(写真はWSで助言する早川教授=10月25日、花巻市葛の市交流会館で)

 

 

 

号外―「蜂の巣城」の攻防…ならぬ、子どものケンカ!?”図書館戦争”、泥沼化へ

  • 号外―「蜂の巣城」の攻防…ならぬ、子どものケンカ!?”図書館戦争”、泥沼化へ

 

 「図書館は単に本を借りる場だけではない。まちの将来を支える基盤であり、〝まなび直し”の場でもある」―。そう答弁する目の前の人物の顔を私は穴のあくほど見つめ続けた。今年1月下旬、上田「(青天の)「霹靂」(へきれき)市政が突然、「賃貸住宅付き図書館の駅前立地」(いわゆる、“上田私案”)を公表した際、この人物、つまり長井謙・副市長は図書館「コストパフォ-マンス」論(費用対効果)を持ち出し、「政策立案に当たっては、利益(もうけ)があるかどうかがポイントだ」と滔々(とうとう)とまくしたてた。私は居ずまいを正してもう一度、正面に向き直した。そこに座っていたのはまぎれもなく、「ジキルとハイド」その人だった。

 

 花巻市議会の「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長)が19日開催され、当局側から今度は「総合花巻病院の建物・施設の解体、土地譲渡に関する状況」と題する新しい資料が提示された。同病院が旧県立厚生病院跡に移転・新築したその跡地の今後の工程表に関する資料で、当該地も図書館立地の候補地のひとつである「まなび学園」周辺地域に位置づけられている。しかし、譲渡時期について病院側は、コロナ禍による入院患者の減少などを理由に「3年程度の期間で資金力を養った後で…」と将来の不透明性を匂わせている。果たせるかな、議員側から疑問の声が挙がった。「結局は立地が難しいという“ダメ出し”の資料ではないのか」(10月15日付当ブログ参照)―

 

 「一般論として、市有地を有効活用する場合、たとえば図書館以外の利用の可能性も考える必要がある」―。市川清志・生涯学習部長のこの発言が火に油を注ぐ結果になった。「(10月15日開催の)議員説明会で、唐突にまなび学園周辺への“市庁舎移転構想”が示された背景には当局側のそんな腹案(ハラ)が隠されているのではないのか」…。「いや、仮の話として建物の“規模感”を分かっていただくため…」などと防戦するが、もはや手遅れ。大げさに言えば、蜂の巣をつついたような体(てい)である。「これだけではない。当局側の資料には自分たちに有利になるような新聞記事が添えられている。市民の声を反映した議会側のアンケ-ト調査も同時に併記すべきではないか」(「そうだ」の声も)…

 

 ふいに、「反骨の砦」(1964年)というタイトルのテレビドキュメンタリ-の一場面が脳裏によみがえった。作家、松下竜一(故人)の傑作『砦に拠る』のテレビ化で1960年代、九州を縦断する一級河川・築後川水系をめぐる、13年間に及ぶ「ダム建設反対」運動(蜂の巣城闘争)を描いた作品である。その拠点が「蜂の巣城」と呼ばれた。鉢巻き姿のリ-ダ-、故室原知幸の絶叫調の演説がまだ耳の底に残っている。

 

 「図書館は単に本を借りる場だけではない。(富士大学教授で、図書館アドバイザ-の)早川(光彦)教授がワ-クショップ(WS)で紹介した本にもそう書いてある」―。われに返ると、ある議員が一冊の本を振りかざして、熱弁を振るっている。あれっ、「ジキル&ハイド」氏もさっき、おんなじこと言っていた。だったら、”上田私案”を突きつけられた、その時にこの「図書館」理念を訴えれば良かったことに…。何を、いまさら。これを称して、”付け焼刃”という。件(くだん)の本は「知の殿堂」とも言われるニュ-ヨ-ク公共図書館(NYPL)をルポした『未来をつくる図書館』(菅谷明子著)。ところで、早川教授自身、この図書館が実は「公立」ではなく、NPO法人(非営利組織)の運営だということを理解していないみたいだった(8月28日付当ブログ参照)。とまあ、揚げ足取りはこの辺にしてと思っていたら、会場がざわめいている。

 

 「市民に誤解を与えるおそれもあるので、委員長として“市庁舎移転構想”やその他の不適切な資料はHPからの削除を要求したい」―。紛糾した特別委はこうしてやっと、幕を閉じた。「子どものケンカみたいだな」と心底、そう思った。当局側も議会側も原点に戻って、出直すべきではないのか―。当局側は“上田私案”を白紙撤回し、議会側にはまさに「未来の図書館」を目指した独自の対案を示し、市民ぐるみの「図書館」論争を巻き起こしてほしいものだと切に願いたい。どっちもどっちだ。いい加減にして、目を覚まさんか!?

 

 ところで、もう一方のご本尊はと言えば一…。前日(18日)の日曜日、大迫町で行われた絵画・作文コンク-ルの応募作品(「21世紀への提言」)などを収めたタイムカプセルの開封式で、上田東一市長はこう述べた。「25年前の人たちの夢、提言を確認し、それを踏まえて大迫のまちづくりに取り組みたい」―。1995年、当時の児童生徒らがふるさとへの思いや希望を表現した作品253点が四半世紀ぶりに掘り出されたが、図書館も未来への夢を託すタイムカプセルのようなものである。しかし、この夢を話し合うべく開催されたこの日の議会特別委の場に、特段の用務がないにもかかわらず、当の上田市長の姿はなかった。

 

 

 

 

 

(写真は神妙な表情で答弁する「ジキル&ハイド」氏こと長井副市長、その右は藤原忠雅副市長=10月19日午前、花巻市議会委員会室で)