コロナウイルス…共感を呼ぶ「メルケル」演説ーそして、足元では”マスク”騒動のお粗末劇

  • コロナウイルス…共感を呼ぶ「メルケル」演説ーそして、足元では”マスク”騒動のお粗末劇

 

 ドイツのメルケル首相は3月18日、異例のテレビ演説で、民主主義の下での国民の結束を訴えた。今回のような「パンデミック」危機に際しては、指導者の「言葉の力」こそが将来へ希望をつなぐメッセ-ジになり得る。場当たり的なわが宰相の発言やマスク越しのくぐもった言葉からはそんな「覚悟」や「品格」のひとかけらも伝わってこない。いまほど、リ-ダ-シップの“言魂”(ことだま)が問われている時期はない。以下に「メルケル」演説の要旨を掲載する。

 

 

 私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。
 

 もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした(中略)

 

 この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。

 

 しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です(中略)

 

 私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。

 

 この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。

 

 

 

(写真はテレビ演説で結束を訴えるメルケル首相=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

《追記-1》~感染拡大…南米・アマゾンにも

 

 コロナウイルスがついに、南米・アマゾンにも上陸したというニュ-スが伝えられている。人類とウイルスとの歴史は古く、自然と共生する生活様式を維持し、感染症への抵抗力が弱かった先住民族の多くを死に追いやった。たとえば、ヨ-ロッパの植民者がもたらした「天然痘」ウイルスによって、米大陸の先住民の95%が死んだという記録も残されている。アイヌ民族も天然痘(疱瘡=ほうそう)を「パヨカカムイ」(病気をまき散らす神)として恐れた。北海道のあちこちに「床丹」という地名があり、アイヌ語表記で「トゥ・コタン」(tu-kotan=消えた・村)を意味する。この地名は天然痘によって全員が死亡し、文字通り「廃村」になったという歴史を刻んでいる。今回の「コロナ禍」は(いわゆる文明人を自称する)人間こそが“寄生獣”(ウイルス)だという事実を図らずも逆照射することにもなった(3月25日付当ブログ参照)

 

 

《追記ー2》~”マスクマン”騒動…3連発の巻

 

 マスクマンの変幻自在ぶりについては、3月25日付ブログのコメント欄を参照願います。

 

 

映画「パラサイト」とコロナウイルス、そして寄生獣、さらには”マスクマン”登場のてんやわんや!?

  • 映画「パラサイト」とコロナウイルス、そして寄生獣、さらには”マスクマン”登場のてんやわんや!?

 

 2020年アカデミ-賞(オスカ-)で、作品賞や監督賞など最多4部門を総なめした韓国映画「パラサイト」(ポン・ジュノ監督、2019年)のサブタイトルは「半地下の家族」である。コロナ危機の影響で図書館や趣味のイベントが行われる公共施設の閉館が続く中、やもめ暮らしの孤独をかこつ身としてはまさに、こうした「コロナ鬱(うつ)」ともいえる“半地下”状態からの脱出こそが喫緊(きっきん)の課題だった。幸いお隣の北上市の映画館で、アジア初の快挙を成しとげたこの映画が上映中と知り、さっそく出かけた。観客はマスク姿の数人だけだったが、頭のもやもやがす~っと晴れていく一方で、何やら迷宮にまよい込んだような不思議な気持ちにさせられた。

 

 「パラサイト」とは本来は医学用語で「寄生虫(生物)」を意味し、ウイルスなども含まれる。この映画は韓国の格差社会に焦点を当てた作品で、北朝鮮の攻撃に備え国の政策として建設された「半地下」(つまり、防空壕)に住まわざるを得なくなった貧困層の家族が、高台の豪邸に住む富豪一家にあの手この手で“寄生”していく様子を悲喜こもごもに描写している。思わぬどんでん返しもあちこちに用意されている。たとえば、豪邸の地下には核攻撃に備えた「シェルタ-」があり、家人の知らないうちにもう一人の「パラサイト」がそこに住みついていることが発覚する。下へ下へと際限なく落ちていく格差社会の闇の深さにおののいてしまうが、サスペンスやコメディもあり、単なる「告発」映画になっていないところがポン監督のすごさである。

 

 そんな想念が突然、時空を飛び越えてあらぬ方向に向かった。敗戦の翌年から半世紀つづいた論壇誌『思想の科学』が廃刊されたのは今から24年前。愛読者だった私はそのいきさつを聞くために創刊者のひとりだった評論家の鶴見俊輔さん(故人)に面会を申し出た。あらかたのインタビュ-が終わった時、鶴見さんが急に話題を変えた。「ところで、すごい漫画を読んだよ。昨日、徹夜をしてな」。当時、大きな反響を呼んでいた漫画「寄生獣」(岩明均作、全10巻)のことだった。さすが博覧強記(はくらんきょうき)な鶴見さんだと思ったが、私自身は作者もその話題作も知らなかった。さっそく、取り寄せて読んでみた。ガツンと頭を一撃されたようなショックを受けた。

 

 ある日突然、宇宙の彼方から正体不明の生物が地球に集団飛来する。その正体は“寄生獣”…鼻や耳などから人間の頭に侵入し、脳全体に“寄生”して全身を支配し、超人的な能力で他の人間を捕食するという性質を持っている。こうして、人間を「宿主」(しゅくしゅ)とする寄生獣(パラサイト=ウイルス)の群団は急速に知識や言葉を獲得し、人間社会に紛れ込んでいく…。主人公である高校生の「新一」も一時乗っ取られそうになるが、脳への侵入は辛うじて食い止められる。しかし、右腕への感染を許してしまった人間・新一と寄生獣との壮絶な闘いが続く。「地球環境を汚染する人間は万物の霊長などではなく、地球を食い物にする“寄生獣”である」という文節が記憶の奥にかすかに残っている。コロナ危機の包囲網が忘却の彼方にかすんでいた記憶のひとかけらを呼び戻したのだろうか。と、つぎの瞬間、もうひとつの光景が目の前に浮かんだ。

 

 日本最大の産炭地だった筑豊―。公文書改ざん問題をめぐって、自殺者まで出しながら、口をへの字に曲げてへらへらと薄笑いを浮かべる麻生太郎・財務大臣兼副総理…この人の先祖「麻生財閥」が経営していた、“圧政ヤマ”として知られた炭鉱長屋の前に長蛇の列ができていた。もう50年近くも前のことである。閉山でヤマを追われた元坑夫たちは食い扶持(ぶじ)を支えるための生活保護の支給を待っていた。窓口には前借金を取り立てる暴力団員が待ち構えていた。花札に興じる男が声を荒げた。「おれたちが真っ黒くなってスミを掘ったから、麻生は肥え太ったんじゃないのか。保護をもらって何が悪いんじゃ」

 

 「持てる者」と「持たざる者」―。この両者はいつの時代でも相関関係にある。どちらかを欠いてもその関係は成立しない。映画「パラサイト」の貧乏一家も、そして圧政ヤマで搾取され続けた元坑夫たちも「持てる者」に対する、絶望的な“復讐劇”を演じたのかもしれない。そう思えてきた。

 

 そしていま、全世界、いや全人類がコロナウイルスの猛威の中で、その生存の基盤さえ奪われかねない瀬戸際に立たされようとしている。世紀末(パンデミック)の予感…。ひょっとしたら、どこか別な惑星から新たな寄生獣の集団が襲いかかっているのかもしれない。人類との全面戦争を企てるために…。「なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 」(3月18日付当ブログ参照)―。自死した財務省職員、赤木俊夫さんの絶命の書が目の前を去来する。地球環境にとっては、人間こそが”寄生獣”だという逆説、そして「最後の審判」の到来という悪夢……脈絡のない想念の嵐が頭の中をぐるぐる、回り始めている。

 

 「コロナ鬱」のなせる大いなる”妄想”に、私は憑(と)りつかれているのだろうか。そうかもしれない。しかし、私たちはいま、理非曲直(りひきょくちょく)を見失った「不分明」(ふぶんみょう)の世界を生かされていることだけは間違いなさそうである。

 

 

 

(写真は半地下生活を強いられるキム一家=インタ-ネット上に公開のパンフレットから)

 

 

 

 

《追記》~「コロナ危機」余話……“マスクマン”の登場(コメント欄に写真掲載)

 

 花巻市の上田東一市長がここ数日来、来客対応や記者会見の場などに目とひたいが見える程度の大型マスク姿で登場。新聞などでその姿を知った市民の間で、様ざまな憶測が飛び交っている。コロナウイルスの感染が隣県の青森や秋田など足元への広がりを見せる中、「わがイ-ハ-ト-ブへの侵入だけは絶対に阻止する。コロナに屈しないで、最後まで陣頭指揮をとる」―というトップにふさわしい決意表明だと賛意を表す市民も多いらしい。その一方で「こんな格好を見せつけられれば、逆に不安をあおるだけではないのか。首相や県知事でも会見などでは素顔。大事を取った予防対策なのか、あるいは本当に体調がすぐれないのか。だとするなら、率先して検査を受けるなり、いっそのことテレワ-クにしたら…」などと体調を気遣う声も。

 

 「公務中にマスクを外さないのは何か体調不良でもあるのではないか」―。実は私も不安を抱いたひとり。担当課に経緯を聞くと、「市長は公人と同時に私人。なぜ、マスクを着用しているのかなど疾患の有無をただすのは個人情報に関わるプライバシ―の問題で、詮索するのは差し控えたい」という“市民目線”が欠落した回答にこっちの方がびっくり。「市民の安心・安全」を守ること、つまり時節柄、市民の不安を取り除くことも首長の大事な使命である。私がこの人の立場なら、胸を張って、こう言うのだが…。「万が一に備え、多くの人たちにマスクの着用を促すため、まず自分がつけることにした。体調は万全ですので、ご心配なく」―。いずれ、市長自らの口からこの”異様な光景”の背景についての説明を待ちたい。

 

 そうではなくても、マスクの在庫不足がささやかれる中、多くの市民は「コロナ鬱」の生活を強いられている。ちなみに、花巻市内の薬局や大手ドラッグストアではマスクの在庫がほとんど底をついた状態になっている。予告なしの入荷を当てにして、開店前から市民たちの長蛇の列ができ、殺気立った空気さえ流れている。まさか、今回の「マスクマン」の出で立ちが自己防衛のための”保身”マスクだとは思いたくないのだが…

 

 

 

 

 

 

「新図書館」構想⑭ 上田流「クソミソ」思考の功罪…無理が通れば、道理が引っ込む

  • 「新図書館」構想⑭ 上田流「クソミソ」思考の功罪…無理が通れば、道理が引っ込む

 

 「全国で3番目」が逆に仇(あだ)になったのではないのか―。上田(東一)「ワンマン」市政の余りにもひどい“暴走”ぶりにため息が絶えない今日この頃である。花巻市は平成28年6月、都市再生特別措置法の一部改正(平成26年8月)で導入された「立地適正化計画」を策定した。現在、全国自治体の9割以上の248市町が策定する中で「全国で3番目、東北では初めて」というのがこの人の自慢げな口癖で、初当選(平成26年)以来の市政運営の主柱になってきた。将来の人口減や高齢化社会に備え、公共施設や商業施設、住宅などを「都市機能誘導区域」と「居住誘導区域」に集約し、コンパクトシティづくりを進めるのがねらいとされた。

 

 財政がひっ迫する中で、国の手厚い支援が受けられる制度を積極的に利用するのは行政トップとしては当然の選択肢である。しかし、こうした優遇措置には立地範囲や完成日時などの“縛り”がつきもので、その辺の兼ね合いが手腕の見せ所になる。上田市長は今回、撤回された「新図書館」構想を公表した際の記者会見でこう述べている。「国の多額の補助金をいただき、これを使って総合花巻病院の移転新築ができた。あるいは中央広場の整備もした。あるいはそういう考え方の中において、コンビニも併設されている災害公営住宅とか、子育て世帯向け地域優良賃貸住宅を国の支援を得ながら造れたわけですけれども、我々としてはこの図書館の複合施設の整備についても、まちなかの活性化に資すると考えております」(1月29日)

 

 「無理が通れば、道理が引っ込む」―。上田市政の主要施策のほとんどが立地適正化計画がらみだったことがこの発言から見て取れる。国の制度融資が有効利用されたケ-スももちろんあるが、“金目”を優先させた結果、ほころびも目立ち始めた。たとえば、その典型が「花巻中央広場」。市中心部のこの一帯は当初の立地適正化計画の中では居住を促す「居住誘導区域」に指定されていた。ところがその後、国交省から「住民の生命に著しい危害が生じる恐れがある」(レッドゾ-ン)と指摘された。急きょ、隣接する急傾斜地に擁壁を設置するなどして「広場」に衣替えし、昨年7月、中心市街地の活性化を旗印にオ-プンした。上田市長は今定例会で「この広場敷地のほか、居住誘導区域内にレッドゾーンが含まれていた個所が全部で7か所あった」―という事実を初めて認めた。当市のケースは”悪質事例”として、全国大手紙で2度にわたって、大きく取り上げられた。

 

 「コロナ」危機が迫りつつあった先月2月21日、市当局は「新型コロナウイルス感染症に関して」と題したチラシを作成し、3月1日付の広報誌に折り込んで全戸配布した。「持病のある方、ご高齢の方はできるだけ人混みの多い場所を避けるなどより一層、注意してください」などと留意事項が書かれていたが、チラシ作成の2日後の2月23日、市所有の公共施設であるこの広場で多くの市民に参加を呼びかける「どでびっくり市・冬の陣」が開かれた(2月29日付当ブログ参照)

 

 その時点で、コロナ危機の認識を持っていたにも関わらず、「負の遺産」ともいえる広場の開放を許可し、人寄せパンダよろしく“盛況”を装った。かと思ったら、今度は一転して公共施設の一斉休館へ。国の”号令”(トップダウン)に右ならえをした、公共施設の全面休館は3月2日から始まり、今月いっぱい続けられている。どうやら市民の健康などはそっちのけで、自分の“失政”を糊塗(こと)すること…つまりウソをつくことには憚(はばか)りがなかったようである。さらに、総合花巻病院の移転・新築にしても当初は病院側からの支援要請があったとの主張一点張りだったが、今となっては立地適正化計画の目玉プロジェクトとして、最初から「行政主導」型の事業だったことが明らかになっている。そして、追い打ちかけたのが今回の「新図書館」構想である。市議会3月定例会の施政方針でこう述べている。

 

 「国は令和2年度、新たに立地適正化計画で定めた都市機能誘導区域内に、都市再生整備計画に基づく都市構造再編集中支援事業により実施される誘導施設及び公共公益施設の整備等について、補助率2分の1という極めて有利な補助制度を設けることとしておりますが、市としては、図書館部分については市が図書館の区分所有権を取得することを前提として、この補助金の交付を受けることを想定しているところです」―

 

 図書館の中身(理念)よりも「箱もの」を先行させようという「クソミソ」思考がここに如実に表れている。このように、上田市政のほとんどの施策のよってきたる淵源(えんげん)は立地適正化計画にあった。私としては「諸悪の根源」とさえ呼びたくなるが、その一方で皮肉な言い方をすれば、この人の市政運営は終始一貫しており、少しもぶれてはいないということにもなる。施政方針にはこんな一節もある。

 

 「ここ数年、全国各地において新しい形態の図書館ができ、話題となっております。多くの図書館は今までの『静まり返った図書館』ではなく、子育ての場所として幼児が寝そべって絵本を読める場であったり、中高生が情報を得たり勉強したり、また自分の居場所を確保できる場であったり、老若男女がそれぞれ交流できる場所であったり、中には飲食自由・私語自由の場所も作ったり、あるいは、カフェはすでに当たり前との意見もあるようですが、それ以外の商業施設、賃貸住宅などとの複合施設も多くなってきています」―

 

 市民が描く「図書館」像と余りにもかけ離れた「上田」図書館の青写真は立地適正化計画の延長線上に位置づけられた当然の帰結だったのである。つまり、クソとミソとを一緒くたにした政策の貧困……「無理」(金目)を押し通した結果、「道理」(行政のあるべき姿)が吹き飛んでしまったという「自縄自縛」(じじょうじばく)のお粗末を満天下にさらしたのである。かつて、このまちの行政を担った人物に「ドーリズム」(道理主義)を掲げた首長がいたことをふと、思い出した。

 

 

 

 

(写真は立地適正化計画に示された新図書館の位置図。撤回された「新花巻図書館複合施設整備事業」構想案から)

 

「新図書館」構想⑬ 「新図書館 市民も議論を」…市民の関心、さらに

  • 「新図書館」構想⑬ 「新図書館 市民も議論を」…市民の関心、さらに

 

 「賢治記念館の上に賃貸住宅があったら…」という市民の“目線”に大いに納得させられた。花巻市の「新図書館」構想をめぐって、(3月)21日付の岩手日報「論壇」欄に投稿された文章の一節である。花巻在住の伊藤昇さん(78)が「新図書館 市民も議論を」と訴えた内容で、私の耳にも「ふいに見上げると、図書館の上層部のベランダに洗濯物がヒラヒラ舞っている」といった違和の声が届いている。市当局は今回、新図書館構想をいったん取り下げることにしたが、逆に一般市民の「図書館」像(イメージ)からいかに乖離(かいり)していたかということを浮き彫りにする結果になった。1ケ月ほど前には「自然豊かな新図書館に」と題する投稿もあった(2月27日付当ブログ参照)。市民の関心は日増しに高まっている。以下に伊藤さんの文章を転載させていただく。なお、宮沢賢治記念館など市内の公共施設は「コロナ」危機の影響で今月いっぱい、閉鎖されている。

 

 

 

 花巻市議会の一般質問を傍聴した。登壇者のうち複数の議員が新図書館の複合施設整備事業構想について取り上げていた。これは、市民の関心の高さを反映したものであろう。問題の焦点は、図書館の上になぜ賃貸住宅を併設しなければならないのかということと、予定地がなぜJR花巻駅東側なのかという2点であった。

 

 上田東一市長の答弁では駅前は花巻の顔であり、活性化対策を進めたいこと。そのために、市街地再生の核として図書館を建設し、同時に人口減対策として賃貸住宅を併設したいという説明であった。また、花巻駅前は旧3町からのアクセスが優れているということも強調した。私が違和感を覚えたのは、図書館を賃貸住宅との複合施設にするということである。

 

例えば、宮沢賢治記念館の上に賃貸住宅があったらどう感じるだろうか。記念館は、賢治の遺稿や作品、あるいは諸資料の単なる「入れ物」ではない。賢治の生涯や思想を象徴するものでもあると思う。だからこそ当時の関係者たちは、周囲の景観や施設のデザインについても深く検討したはずである。

 

 私は図書館もまた単なる「本の入れ物」ではないと思う。図書館は花巻にある他の文化施設に勝るとも劣らない文化の中心を担っているのではないだろうか。私たちに人生の豊かさや安らぎを提供するだけでなく、市の将来を担う子どもたちにとっても「すてきなところだなあ。また来たいなあ」と思えるような図書館でありたい。外観、広場、くつろげるカフェなども重要な要素だと思う。そのためには閑静で十分な広さの敷地が必要であろう。どのような図書館にするかという構想が決まれば、建設場所はおのずと決まるはずだ。

 

 花巻駅前の活性化はもちろん重要であり、少ない財源の中であれもこれもやらなければならない市長の立場も理解できないではない。だが、図書館建設と駅前の活性化対策は切り離して考えていただきたい。市長は今回の構想は市民や議会の意見を聞くための試案として提案したと述べていた。多くの市民が各所で討論を重ね、積極的に市に意見を提案していくことを期待したい。完成すれば長く利用されることになる図書館である。市民に愛され、親しまれる図書館を目指したい。

 

 

 

 

(写真は市内を一望できる高台に建つ宮沢賢治記念館。この建物の上に集合住宅が鎮座する光景はまさに「公共施設の美」に背を向ける愚行…グロテスクな代物としか言えない=インタ-ネッ上に公開の写真から)

 

速報~「コロナ」危機と地方自治の本旨…図書館対応の異常!?公共施設は休館延長

  • 速報~「コロナ」危機と地方自治の本旨…図書館対応の異常!?公共施設は休館延長

 

 「一斉休校と一斉休館と」―。安倍晋三首相の唐突な“号令”に歩調を合わせるかのように花巻市の公共施設の一斉休館は今月2日にスタ-ト。当初の期限の19日を前にその数は50か所以上に及んでいる。一方この日、図書館に限って21日以降の休館が解除されることが公表されたが、そのほかの公共施設では今月末まで継続されることになった。「万が一に備えるのが危機管理」(上田東一市長)という理屈はわかるが、「緊急事態宣言」の発動をちらつかせる国のトップダウンに同調するだけで、果たして良いものか。「私権」の制限が危ぶまれる宣言だが、今回の「コロナ」危機は一方で「地方自治の本旨」(自治の独立)を問いかける形にもなった。

 

 継続休館は地域活動の拠点となる27か所の振興センタ-のほか、宮沢賢治記念館や高村光太郎記念館、市博物館などの観光施設、主にシニア世代の活動の場である「まなび学園」などで、町内会が運営する「地区公民館」も休館を要請された結果、全地域での社会活動がほぼ麻痺状態に陥っている。そんな中、「情報拠点でもある図書館の全面休館は納得できない」、「学校が長期間休校になるいまだからこそ、子どもたちに読書の機会を与えたい」、「貸し出し自体の禁止は異常だ」…などの意見が殺到したため、市内の4館は当面、土日に限って開館することになった。

 

 そもそも、当市の図書館への異常な対応は最初から、他自治体に比べても突出していた。県内14市中、国が休校措置を決めた今月2日から19日までの全面休館に踏み切ったのは陸前高田と大船渡両市だけ。残りの自治体では3月中の図書館関連の行事を中止した程度で、ほぼ通常通りの業務を行った。このほか「休校中の小中学生の入館制限」(北上市)、「学習コ-ナ-の高校生以下の利用制限」(奥州市)、「児童生徒に変わる保護者への貸し出し」(滝沢市)など実情に即した臨機応変な対応が目立った。さらに、岩手県立図書館では5冊の本を詰め合わせた“福袋”を用意し、昨年の同時期より保護者の利用が1・5倍も増えるなど好評を博した。

 

 「ワンマンによる“トップダウン”行政だから、国のトップダウンには従わざるを得ないのだろうが、それにしても地方自治の裁量権を放棄した自殺行為ではないか」―こんな厳しい声が上田市政に寄せられている。コロナ危機に加え、「新図書館」構想の事実上の撤回、そして、にわかに降ってわいた“パワハラ”疑惑の包囲網の中で、上田市長はどこに打開策を見出そうとしているのだろうか―

 

 図書館こそが「危機管理の最前線」に位置していることをこの人はご存じないみたいである。ご本人は歯牙(しが)にもかけなかったが(2月21日付当ブログ参照)、2019年10月8日付の当ブログ(映画「『ニュ-ヨ-ク公共図書館』と花巻中央図書館構想の狭間にて」)をとくと読み直してもらいたい。「図書館は民主主義の柱であり、同時に社会インフラの根本である」―ということが書いてある。もっと、言おうか。「万が一のリスクを覚悟することも政治家(リーダー)に課せられた、つまり、あなたが背負わなければならない使命―ミッションなのだ」―と 

 

 ちなみに、趣味で通っているイベント団体の主催者からの連絡で、私は公共施設の休館延長を初めてを知った。HPでその事実を確認したのはずっとあと。庁内の無秩序状態が目に浮かんでくる。このまちのスローガン…「イーハトーブはなまき」はいま、沈没の瀬戸際に立たされている。

 

 

 

 (写真は休館の表示を掲げた図書館の出入り口=3月16日、花巻市若葉町の花巻市立図書館で)

 

 

 

《追記-1》~図書館特別委員会の設置へ

 

 花巻市議会の3月定例会最終日の18日、図書館のあり方などを調査・研究する「新花巻図書館整備特別委員会」が正式に設置されることが決まった。議長を除く全議員(25)人で構成され、委員長に伊藤盛幸議員(市民クラブ)、副委員長に佐藤峰樹議員(明和会)を選出した。前掲の「一市民」が指摘するように二元代表制に則った図書館論議を積み重ね、議会としての独自の「図書館」像を示してくれることを期待したい。

 

 

《追記―2》~「対岸の火事」とはなさずに「他山の石」となせ!!

 

 「佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府(原文のまま)」(コメント欄に”遺書”の全文を掲載)―。衝撃的で痛切な内容の一通の“遺書”が19日付の新聞各紙で公開された。2年前、学校法人森友学園大阪市)への国有地売却と財務省の公文書改ざん問題に抗議・自殺した同省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)が書き残していた。

 

 赤木さんの妻が18日、国と佐川宣寿(のぶひさ)・元同省理財局長に計約1億1200万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした際に明らかにされた。読む側にとっても、震えを押さえることができない文面である。あちこちで、“パワハラ”騒動はあとを絶たない。決して「対岸の火事」と目をそらしてはならない(3月4日付と同6日付け並びに同18日付の当ブログ「パワハラ」関連記事を参照のこと)

 

 

《追記―3》~ヤマハ、「パワハラ」自殺を認定

 

 大手楽器メ-カ-ヤマハ(本社・浜松市)の男性社員が今年1月、上司から厳しい指導を受けて体調を崩し、自ら命を絶っていたことがわかった。会社側は、体調不良の背景にパワーハラスメントがあったことを認め、「関係者におわびし、再発防止に全力を挙げる」としている。会社や関係者によると、亡くなったのは研究開発部門の30代の男性社員。昨春、課長職に起用されたことで、研究開発部門の執行役員だった50代の上司の男性と接する機会が増えた。上司は2017年に他社から中途採用された。

 

 会社によると、男性社員は、昨年6月ごろから体調を崩し、精神科を受診。11月から休職して実家で療養していたが、今年1月、自死した。社内の通報窓口に昨年末、男性へのパワハラを示唆する情報が寄せられていたという。ヤマハは、男性の死を受け、第三者の弁護士に調査を依頼。男性が体調を崩したのは、上司によるパワハラ行為の影響があったと認定し、上司を3月末で退職扱いとした。上司は1月から出社していないという。

 

 ヤマハの山畑聡常務執行役は「ご遺族には大変申し訳なく思う。内部通報まで気がつかなかった。対話重視で風通しの良い職場を作り、コンプライアンスを強化したい」と話している(3月20日付「朝日新聞」電子版)