震災と戦災と―若い世代の南北交流

  • 震災と戦災と―若い世代の南北交流

 「命どぅ宝(命こそ宝)。命が一番大切っていう県民共通の願いだよ。震災があった所にも通じるよね」―。米軍普天間飛行場の移設(新基地建設)工事が進む「辺野古」(沖縄県名護市)の米軍、キャンプ・シュワブゲ-ト前…。抗議の座り込み現場で司会をしていた沖縄平和運動センタ-の大城悟事務局長は声を詰まらせながら、児童のそばに駆け寄った。「震災を伝え、戦災に学ぶ」というテ-マを掲げた被災地、岩手県大船渡市の小学生と沖縄との交流事業は今年で3年目を迎えた。北と南を結ぶ若い世代の「ゆいま-る」(きずな)が着実に根を下ろしつつある。

 大船渡市内で印刷・撮影業を営んでいた村田友裕さん(64)は東日本大震災で、店舗兼住宅と約30年間撮りためたフィルムを失った。カメラを手に必死でシャッタ-を切り続け、震災前の写真と一緒に『気仙の惨状』と題する写真集にまとめた。これが沖縄県中城村(なかぐすくそん)で障害者就労支援施設などを運営する一般社団法人「みらい」(稲嶺積代表理事)の目に止まり、交流が始まった。今年は小学6年生と5年生1人の6人が参加。村田さんの引率で今月9日から5日間、米軍基地や沖縄戦の戦跡などを訪れた。この様子は17日から3日間の岩手日報紙上で詳しく伝えられた。

 那覇市内の城南小学校での交流授業のひとこま―。「6・23と3・11を説明できますか」と先生が問うた。沖縄の児童たちは「沖縄戦が終結し、魂を慰める慰霊の日です」と説明した。これに対し、赤崎小6年の志田直哉君らは震災で肉親を失った悲しみや仮設住宅での苦しみを語った。「6・23」と「3・11」がす~っと、交錯した瞬間だった。志田君は「戦争の歴史がしっかりと語り継がれていることがすごいと思った。オスプレイや戦闘機がひんぱんに飛んでいたのに驚いた。学校の上を飛んだら勉強にならないし、もし落ちたら大変なことになってしまうと感じた」と感想を語った。

 ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)では元ひめゆり学徒の新崎昌子さん(88)から沖縄戦の壮絶な体験を聞いた。沖縄県民の4人に1人が犠牲になった歴史を聞かされた大船渡北小5年の新沼美桜さんはこう話した。「戦争は起きてはいけない。友達や家族にも戦争の悲惨さや絶対駄目だということを伝えたい。沖縄の人に震災について伝えられて良かったし、分かってくれたことがありがたい」。「戦争遺品/やっと古里に」―。交流事業の連載が始まった今月17日、同じ紙面にこんな見出しの記事が載った。岩手県西和賀町沢内出身で、沖縄戦で戦死した近藤戸司さん(当時25)の遺品が遺族の元に戻ったというニュ-スだった。戦後72年目の帰還である。

 村田さんが沖縄を訪れたのは震災3年後の2014年。「みらい」などから支援の手が差し伸べられ、感謝の気持ちを伝えるためだった。それまでは「(沖縄の基地問題は)人ごと」だったという村田さんは沖縄戦から現在に続く沖縄の現状にショックを受けた。民間レベルの交流事業を思い立ったのはこの時の体験だった。「官の支援なら、座り込み現場を見ることはできないだろう」と言う村田さんが言葉を継いだ。「交流を続ければ沖縄を知る人が増え、理解も広がる」。「みらい」では今春にも大船渡市内に障害者就労支援施設の開設を予定している。

 私自身、沖縄へ視線を向けるきっかけになったのは「3・11」だった。その伝道者の役割を小学生たちが担っていることに胸を突かれる。そして、「民の交流」にこだわる村田さんの覚悟にも…。一方の稲嶺代表理事はこう応答する。「悲劇の歴史と基地問題、震災のつらさを学び合うことで成長につながる」。久しぶりに勇気を貰った気がした。

(この記事は岩手日報連載の「震災/戦災 学び合い」を参考にさせてもらいました)


(写真は「ひめゆりの塔」に献花する大船渡市の児童たち=1月11日、東日本大震災から5年10カ月目の日に糸満市で。琉球新報から)

2017.01.19:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「ニンビー」という名のシランフ-ナ-(上)~沖縄差別

  • 「ニンビー」という名のシランフ-ナ-(上)~沖縄差別

 「NIMBY」(ニンビ-)という言葉がある。「Not In My Back Yard」(わが家の裏庭にはごめんだ)の頭文字をとった略語で、「その施設の必要性は認めるが、自分の居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちやその態度を指す言葉である。「迷惑施設」や「嫌悪施設」などと呼ばれ、米軍基地や原発、産業廃棄物処理場などがその代表例である。いわゆる「総論賛成・各論反対」の典型例で、他人事や無関心、対岸の火事などを例示する表現としても使われる。単なる「エゴイズム」では片づけられないのが実はこの言葉で、一筋縄ではいかない代物でもある。

 私自身、この種の施設を目の前に突きつけられたらきっと、たじろんでしまうにちがいない。まるで遺伝子のように心性奥深くに扶植(ふしょく)させられているのが、ニンビ-の属性である。それゆえにその行き着く先はとどのつまり、どこかの誰かに犠牲を強要するということになる。その顕著な事例が沖縄の「米軍基地」問題に他ならない。この際、迷惑をこうむっている側に身を置いてみるとする。大抵は2種類の置換反応を経験させられる。「なるほど、女性暴行や事故、騒音など基地被害は想像を絶する。申し訳ない気持ちでいっぱいだ」、「でも、そんな危険なものを自分の近くには…」―という具合である。こうして、民主主義の大原則である「公正」が危機に直面することになる。

 無関心を装うことをウチナ-グチ(沖縄の言葉)で「シランフ-ナ-」という。「知らんふり」という意味である。沖縄在住の著述業、知念ウシさん(50)は自著『シランフ-ナ-の暴力』の中にこう記している。「私は沖縄の米軍基地というのは、いわゆる日本『本土』の『普通のいい人』たちが、沖縄に押しつけているものだと思っています。つまり、安保(条約)には反対しないけど『私のそばに基地があるのはイヤ』とかって思ってしまうことや、『安保や基地のことなんてよくわからない、考えたことない』っていうこと、それが沖縄に基地を押しつけることになっていると思います。…だいたいは、『沖縄、基地で大変なんだってね―』とか、『政府ってホントひどいよね―』とか言いながら…」

 知念さんはこうした対応を「無意識の植民地主義」と呼んでいる。では、沖縄の現状を憂いているはずの、いわゆる「革新勢力」はどうか。かつての「反戦平和」運動の原則は「安保破棄・全基地撤去」だった。「基地配備を規定している日米安全保障条約を破棄すれば、沖縄だけではなく本土の米軍基地も自動的に撤去される」という意味ではこの原則は正しい。しかし、現実はオスプレイなどの離発着場(ヘリパッド)の強行建設や米軍普天間飛行場の「辺野古」移設(新基地建設)など基地機機能の強化が進んでいる。しかも、日米安保を支持している日本国民が8割以上に上っているという動かしがたい数字もある。

 「日米安保によって、日本全体の安全が担保され、それを良しとする国民が大多数を占めている以上、それに伴うリスクも引きを受けるのが道理ではないのか」―。こうして、普天間飛行場など米軍基地の「県外移設」論が沖縄側から突きつけられるようになった。今では「安保」容認に傾く革新勢力も多くなったようだが、全基地撤去の原則論に照らせば「県外移設」をおいそれとは受け入れるわけにはいかない。こんな時、シランフ-ナ-(ニンビ-)はいきなり「暴力」をむき出しにする。知念さんはこうも書いている。「基地なんて近くにあるのもイヤ。そんなの遠い沖縄においておけばいいんだ、そうすれば、なんかあっても私たちは安全だし。どうせ沖縄は日本じゃないし。…結局、ヤマトゥのひとのそういう意識的・無意識的な気持ちが、沖縄に基地を押しつけていることになっているんではないでしょうか」(同書)。

 「ところで、ヤマトゥの一員であるお前の立ち位置はどうなんだ」―。その一方で、こんな問いかけが私に向かってくる。私は「イ-ハト-ブはなまき」を旗印に掲げる宮沢賢治のふるさと、花巻市に住んでいる。ここであの東日本大震災(3・11)に遭遇した。その日はたまたま71歳の誕生日に当たっていた。一時期、「戦争協力詩」ともみなされた賢治の「雨ニモマケズ」が一躍脚光を浴びるようになった。「受難者に寄り添え」というそのメッセ-ジに背中を押されるようにして、全世界からボランティアが被災地を目指した。私も仲間たちと一緒に支援活動に立ち上がった。

 賢治が「そこに行け」と執拗に促すのはなぜなのか。それほど熱心な賢治信奉者ではなかったが、「南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」という一節が頭に浮かんだ。その視線の先に「オキナワ」が浮かんだ。津波被害はなかったものの、地響きを立てて割れる足元から、ヤマトゥに征服された「エミシ」の慟哭(どうこく)を聞いたような気がした。「自分の誕生日は忘れようにも忘れようがない。まいったな。もう逃げられないな」とその時、心底そう思った。私の原点と言えば、その程度のことである。

 そういえば、若干ニュアンスが違うが、米国人学者で日本の安保政策が専門のリチャ-ド・サミュエルズ教授(マサチュ-セッツ工科大学)はこんな風に語っていた。「(在日米軍基地は)一刻も早く分散させ、負担を軽減させるべきですが、『自分の裏庭には嫌だ』(ニンビ-)という態度に阻まれています。実は、2011年の東日本大震災が、この現状を根本的に見直すきっかけになるのでは、と期待していました」(1月14日付「朝日新聞」)―。残念ながら、「3・11」の記憶は忘却の彼方に消え去り、本土の沖縄化に反対するという「沖縄差別」の声がいや増しつつある。だからこそ、知念さんは言葉をさらに厳しくせざるを得ない。

 「『全基地閉鎖』が実現するまで、『日米安保条約』がなくなるまで、在沖基地の県外移設(「日本本土」が引き取ること)を要求する。『では、本土の人が被害にあってもいいのか。そうなったら、どう責任をとるのか』と批判されるかもしれない。しかしそれには、74%の在沖米軍基地を沖縄に集中させ、それに伴う性暴力も集中させてきた責任をどうとるのか、とまず問い返したい。そのうえで、「本土」の人々には、『自分で自分や子どもを守り、基地・軍隊がいやなら、自分で安保をなくしてくれ』と言おう」(同書)

 それにしてもまるで容赦がない。しかし、「逃げ場」を失った私はただその言葉の前に立ちどまり、モグモグと自問自答を繰り返すしかない。なぜなら、植民地支配というむき出しの「沖縄差別」は思想の営みの根幹に関わると思うからである。


(写真は1995年、少女暴行事件に抗議する県民総決起大会。8万5千人が結集し、翌年には普天間飛行場の返還が合意されたが、「辺野古」移設問題が絡みまだ実現していない=同年10月21日、宜野湾市の海浜公園で、インタ-ネット上に公開の写真から)


2017.01.17:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「土人」呼ばわりされた芥川賞作家

  • 「土人」呼ばわりされた芥川賞作家

 機動隊員の「土人」発言から間もなく3か月―。現場に居合わせ、その様子をビデオカメラに収めた、沖縄在住の芥川賞作家・目取真俊さん(56)が当時を総括的に語ったインタビュ-記事が14日付の「ダイヤモンド・オンライン」(ダイヤモンド社)に掲載された。一方その前日に逮捕された、基地反対運動のリ-ダ-で沖縄平和運動センタ-議長の山城博治さん(64)は現在も勾留されたまま。

 ルポライタ-の鎌田慧さんら文化人グル-プは約1万6千通の賛同署名を添え、他の長期勾留者を含めた早期釈放を那覇地裁に求めることにしている。他方、防衛省は米軍普天間飛行場の「辺野古」移設に備え、反対派の妨害を阻止するという名目で、新装備を準備するなど現地は緊迫した空気に包まれている。長文になるが、「米軍基地」問題の核心に迫るインタビュ-を以下に転載させていただく。

≪豊かな自然が残る高江村ヘリパッド建設に機動隊が集結≫

●広さ約7800ヘクタ-ル、東京ド-ム1668個分の広大な敷地をもつ沖縄県の「北部訓練場」。そのうちの約半分(4000ヘクタ-ル)が、2016年12月22日、米軍から正式に日本側へと返還された。しかし、その条件として提示されたのが沖縄県東村(ひがしそん)の集落、高江への「ヘリパッド」(ヘリコプターの離着陸場)建設である。ヘリパッド建設に反対するため幾度となく高江に足を運んだという目取真氏は、これまで、どのような想いで抵抗を続けてきたのか。

 「沖縄に基地があり続けることへの抗議の意味もありますし、高江の豊かな自然をヘリパッド建設で破壊されることに反対しようと抵抗を続けています。ヘリパッドが建設される東村高江区と国頭村安波区は、琉球列島の固有種が数多く生息する亜熱帯の森が広がる、自然豊かな集落です。それが、目の前でチェ-ンソ-が凄まじい音を立てながら、どんどん木々を切っていく。1ヵ月前まで森だったところが赤土むき出しのヘリパッドになっていく。それを目の当たりにする精神的なダメ-ジは大きいですよ」(目取真氏、以下同)

●目取真氏は5年以上も前から高江に足を運び、ヘリパッドの建設に抗議をしているという。そもそも、ヘリパッド建設が決定したのは、米兵による少女暴行事件(1995年)を受けて米軍基地の縮小・撤廃運動が高まった1996年のこと。2016年7月に入ってから、全国から500人以上の機動隊が上陸し、反対派との衝突が報じられたため、他県でも注目を集めることとなった。

 「本来、ヘリパッドの工期は2017年の2月まででしたが、2016年内完成へと変更され2ヵ月前倒しで工事が進められるようになりました。1月にはオバマ政権が終わり、ケネディ駐日大使も任務を解かれるわけですから、その間にヘリパッドを完成させて返還記念式典を、という政府の見栄があるのでしょう。広大な山間部で抗議活動を阻止しながら突貫工事を進めようとしているわけですから、機動隊もかなりの数が必要になる。そのため、高江のような140~150人の小さな集落に、人口の3倍以上の隊員が詰めかける異様な事態になったのです」

●抗議活動の最中、大阪府警の機動隊が、目取真氏に対して「土人」と吐き捨てた。同氏は、その様子をビデオで撮影しインタ-ネットで公開。動画は瞬く間に拡散し、沖縄県民に対する「差別」だとして、全国でも物議を醸した。しかし目取真氏は、高江ヘリパッド問題に限らず、普天間飛行場を始め、米軍基地が沖縄にあり続ける状況そのものが沖縄県民への差別の表出だと語る。

 「対等な立場なら、相手に不愉快な思いをさせたら人間として心が痛みます。しかし、沖縄の米軍基地の問題においては、新聞を読んで大変だなとは思っても、ヤマトゥ(日本本土)の人間はまったくの他人事ですよね。沖縄を植民地としか思っていないから、基地を押し付けてもなんの心も痛まない。だから土人という言葉も平気で口から出てくるんです」

≪米軍基地はなぜ沖縄に?「沖縄経済の基地依存」は本当か≫

●一方、差別とは関係なしに、沖縄の米軍基地配備は安全保障上、必要だと考える人も少なくない。そうした意見に対して目取真氏は「あまりにも軍事に無知」だと反論する。

 「そもそも日米安全保障条約なんて、自動参戦条項(戦闘が発生した時に同盟国の部隊が自動的に参戦する条項)がないわけです。尖閣諸島の問題にしても、ヤギしかいない日本の無人島のために、アメリカ軍が中国と血を流して戦闘するはずがありません」

 「第一、海兵隊は臨機応変にどこにでも出動できるから意味があるわけで、必ず基地が沖縄でなければならない、という主張は海兵隊の根本的なメリットを否定しているようなもの。北朝鮮や中国の脅威論にしても、九州だって朝鮮半島や中国に近いのに、どうして米軍基地は沖縄である必要があるのでしょうか。米軍が守ってくれると無条件に信じて思考を停止した人たちが、漠然とした不安感だけで沖縄に基地を固定化しようとしているのは差別そのものです」

●建前上、自国の軍隊を持てない日本は、軍事面ではアメリカに依存することになった。その結果、日本は請け負うべきリスクを沖縄のみに押し付けているのではないかと、目取真氏は語る。

 「憲法9条改正に反対するリベラルにしても、自衛隊の強化をよしとしないので、軍事はアメリカに依存したほうがいいとなる。結局、右も左も沖縄に基地を押し付けて、安保のプラス面ばかりを享受している。マイナス面を引き受けない卑怯なやり方です」

●一方、沖縄振興予算や軍用地借地料、基地雇用などの面から、「沖縄は米軍基地負担の見返りを十分受けている」といった意見が少なからずある。沖縄経済が「米軍基地依存」と言われている状況について、目取真氏はどう考えるのか。

 「沖縄の財政のうち、米軍基地から得られる利益は5%弱。これは、県知事を始め有識者たちが口を酸っぱくして言っていることです。しかし、本土のメディアや中央はこの事実に目を向けようとしません。結局、沖縄に基地を押し付けているという心のやましさを誤魔化すための手段が、経済的なメリットの強調なのです」

 「すでに返還された基地の跡地利用がうまくいって税収が増え、雇用も増大したことなどもあり、基地に依存するより跡地を商業地や観光地にしたほうがいいと、多くの県民が気づき始めた。そこから、翁長知事を始めとする沖縄の自民党や保守派も反基地へ転じるようになったのです。ヤマトゥでは沖縄のこうした構造変化に気がついていない人が多い。もし沖縄が基地で潤っているというのであれば、他の地域でも基地を誘致して利益を享受したらいいじゃないですか。全国にも破産の危機にある自治体はたくさんあるわけですから」

≪結びつきを強める日米両政府本土と沖縄の溝は深まる≫

●目取真氏はこれまでも米軍基地の不条理を訴えて長年、反基地運動に身を投じてきた。しかし、戦後70年が過ぎた今でも、沖縄の基地問題は一向に解決の兆しを見せない。むしろ「戦後から遠ざかるにつれ、沖縄と本土の溝は深まっている」と語る。

 「先の大戦は、ヤマトゥの人からしたら遠い過去の話にすぎないのかもしれません。日本の首相も戦後生まれの世代となり、政府は『沖縄はいつまで昔の戦争の話を掘り返すんだ』という認識でしょう。しかし、沖縄県民からすれば、たった71年前の戦争を忘れてしまうこの忘却の早さは、一体どういうことなのかと問いたいのです」

●今でも沖縄県内の多くの学校では、沖縄の終戦日にあたる6月23日の慰霊の日が近づくと、平和学習を行い、若い世代に戦争の記憶を継承している。ましてや戦後の米軍統治から地続きで、いまだに基地が残っている以上、沖縄県民にとって戦争は決して遠い過去のことではない。

 「ヤマトゥにいたら戦争について学ぶ機会も少ないでしょう。戦争を知らないヤマトゥの若い世代からしたら、沖縄の怒りを知ったところで言いがかりをつけられたような気持ちになるのかもしれません。土人発言をした大阪府警の隊員も若い世代でした。むしろ若い人だからこそ、こういった言葉が出たのでしょう」

 「これまで日本は、アメリカの下についていたおかげで、ドイツやイタリアと違い自分たちの加害性と向き合わずにすんできました。でも、日本から一歩出たらそうはいきません。沖縄を含め他のアジアの国々は日本軍に虐殺されたという共通の記憶をもっている。沖縄が日本に怒っているという事実を受け止められない日本人は、アジアとだってうまくやれるはずがないんです」

●2016年12月22日、北部訓練場の返還記念式典が日米両政府の間で予定通り執り行われた。翁長雄志県知事が同月13日のオスプレイの不時着に対する抗議のため式典を欠席する中、菅官房長官は、返還について「沖縄の基地負担軽減に大きく資するものだ」と述べている。また、安倍晋三首相は同月27日に真珠湾に訪問し、犠牲者を慰霊した。日米両政府が結びつきを強めていく中、沖縄と本土の隔たりは、より顕著になっている。


【目取真俊(めどるま・しゅん)】1960年、沖縄今帰仁村に生まれる。沖縄県内で教職を務めた後、文筆活動に専念。1997年、『水滴』が芥川賞受賞。近著に『目の奥の森』がある。


(写真は「土人」発言を浴びせられた後、機動隊員に抑え込まれる目取真さん=2016年10月18日、インタ-ネット上に公開の写真から)





2017.01.14:masuko:コメント(0):[身辺報告]

“悪魔の島”―オキナワ

  • “悪魔の島”―オキナワ

 「枯れ葉剤被害者/マラソンで支援」(9日付「朝日新聞」)―。この記事の見出しを見て、ギクリとさせられた。「ベトナム戦争で米国が散布した枯れ葉剤の影響で障害を負った人々を支援しようと、日本とベトナムの有志がチャリティ-マラソン大会を計画している」という内容で、ベトナムにレンズを向け続けてきた報道写真家の中村梧郎さん(76)が呼びかけ、元五輪金メダリストの高橋尚子さんが賛同したことを伝えていた。結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の記憶をたぐり寄せて記事を読んでいるうちに、かつて”悪魔の島“と呼ばれた沖縄の戦後史がその上に重なった。ベトナムの人民が憎しみの目を沖縄に向けたのだった。

 オスプレイの訓練などに利用されるヘリパッド(離着陸帯)の建設が強行された東村・高江地区にかつて“ベトナム村”があった。1960年代、ベトナム戦争に備えたゲリラ戦の訓練のため、ベトナム風に建てられた集落群である。当時の写真を見ると、先端をとがらせた丸太を突き立て、外部からの攻撃に備えるベトナム現地を模した家屋が再現されている。その際、敵側のベトナム人に見立てるために動員されたのが高江地区の住民たちだった。ここで訓練を受けた米兵たちは連日、米軍嘉手納飛行場から出撃し、有毒なダイオキシンを含む「枯れ葉剤」を大量に散布。戦後、結合双生児や水頭症、先天性障害などを生む原因となった。在沖米軍基地はその後も湾岸戦争やアフガニスタン攻略、、イラク戦争への出撃地となった

 昨年秋、沖縄を訪れた際、米軍普天間飛行場から嘉手納飛行場に向かう道すがら、サッカ-ボ-ルを形どった塔が目に入った。周囲はぐるりと金網に取り囲まれ「廃棄物混じり土の処分を行っています(嘉手納飛行場返還地内)」という標示板がくくりつけられていた。1987年の返還後に沖縄市の市営サッカ-場として造成されたが、4年前に芝生の張り替え工事が行われた際、次々に芝生が枯れる被害が現れた。当時の米軍関係者の証言から、ベトナム戦争で使用した枯葉剤が不法投棄されていたことが判明。枯れ葉剤が入った数十本のドラム缶が地中から発見された。

 「ペンタゴンは(沖縄県)名護市に大量破壊兵器を集約していた。1960年代初頭にはコメを標的とした生物兵器として『いもち病菌』を散布する試験が行われた。辺野古弾薬庫には核弾頭も貯蔵され、キャンプ・シュワブには大量の『エ-ジェント・オレンジ』(枯れ葉剤のひとつ)が備蓄されていた」―。英国出身のジャ-ナリスト、ジョン・ミッチェルさんは著書『追跡・沖縄の枯れ葉剤』の中でこう語っている。米軍によって散布された枯れ葉剤は推定で計7200万トンに上ると見られている。「ベトナム枯れ葉剤被害者協議会」が被害者として認定した数は30万人に達しており、その影響は第1世代の親や第2世代の子どもだけでなく、第3世代や第4世代のひ孫にも疑われるケ-スが発生している。

  中村さんが「オレンジ・マラソン」と名付けた大会は今月15日、ホ-チミンシ市でプレ大会を開き、来年1月に本大会の開催を目指している。分離手術を受けた「ベトちゃんドクちゃん」のうち、兄のベトさんは10年前に亡くなった。弟のグエン・ドクさん(36)は今も健在で、マラソン大会に参加するのを楽しみにしているという。「誰でも知っている、みずみずしく甘酸っぱい果物で、南国を連想させる明るいイメ-ジがある。でもその裏に、ベトナムの被害者を忘れてほしくないという思いを込めた」(同紙)と中村さんは話している。

 ベトナム戦争終結から40年余り―。当時、「ベトコン」と呼ばれた南ベトナム解放民族戦線の”ゲリラ役”を強制された高江住民は今度はまた、その米軍によるオスプレイの墜落事故や騒音被害に脅かされている。そして、米軍「キャンプ・シュワブ」がある名護市辺野古沖では今春にも普天間飛行場の移設(新基地建設)の本格工事が予定されている。沖縄はふたたび、“悪魔の島”への道行きを強いられようとしている。「ウチナンチュ」(沖縄の人たち)に「加害」と「被害」というさらなる二重苦を背負わせてはならない。切にそう思う。素知らぬ顔はもう許されない。


(写真はベトナム上空で、枯れ葉剤を散布する米軍機=インタ-ネッ上に公開の写真から)

2017.01.13:masuko:コメント(2):[身辺報告]

沖縄の「米軍基地」問題で、共産党市議団に公開質問状

  • 沖縄の「米軍基地」問題で、共産党市議団に公開質問状

 オスプレイの墜落事故、空中給油訓練の再開、普天間飛行場の辺野古移設の本格化…。新しい年をはさんで沖縄は風雲急を告げつつある。「オキナワ」とどう向き合うのか―本土側が試される1年になりそうだ。地方議会の対応もバラバラで、当花巻市議会でも「日米地位協定」の改定を求める請願が否決されるなど後ろ向きの姿勢が隠せない。本音の議論を展開する前提として、この問題で関わりのある日本共産党「花巻市議団」に対し、10日付で公開質問状を手渡した。以下にその全文を掲載する。

                                  ※

沖縄の「米軍基地」問題に関する―
                   日本共産党「花巻市議団」への公開質問状

 2017年―基地の島・沖縄はオスプレイ(垂直離着陸輸送機)の空中給油訓練の再開という前途多難な幕開けを迎えました。昨年の東村・高江における「ヘリパッド」(オスプレイなどの離着陸帯)の建設強行に続き、今春には一時中断していた普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)への移設に向けた本格的な工事(実質的な新基地建設)が再開される予定になっています。
 
 私が平成22年12月定例会で、普天間飛行場の移設問題を取り上げて以来、すでに6年以上の歳月が流れました。この時、私は「米軍基地の約74%を沖縄に委ねながら、この問題を『対岸の火事』として見過ごしてきたのではないか。実現可能性という観点とは別に政治理念ないしは政治哲学として、花巻空港で米軍の訓練の一部を引き受けるつもりはないか」と市当局にただしました。
 
 これに対し、日本共産党所属議員(2人)の一人は「とんでもない発言だ。女性暴行などの米兵による犯罪と騒音被害は想像を絶しており、花巻市民がそれを受け入れなければならない理由はない」と自らの議会広報紙で私を名指しで批判しました。「革新」を標榜する公党の、沖縄に対するむき出しの差別意識に心底、怖気づいたのを覚えています。

 その後、米軍関係者による犯罪はより凶悪化し、昨年4月には元米兵による女性殺害・遺体遺棄という残忍な事件が発生しました。事態を深刻に受け止めた、東日本大震災の被災者の一人が「被災して初めて、沖縄の痛みがわかった。もう見て見ぬ振りはできない。犯罪の温床になっている『日米地位協定』を見直すべきだ」として、6月定例会に請願書を提出しました。しかし、紹介議員の私と棄権一人を除いた全議員の反対で、この請願は否決されました。

 一方で岩手県奥州市議会は昨年12月定例会で、その直前に起きたオスプレイの墜落事故を受け、配備の即時撤去を求める意見書を日本共産党所属議員(4人)を含む賛成多数で可決しました。当然のことながら、沖縄の「米軍基地」問題に対して、地方議会が無関心を装うことは許されません。と同時に同じ公党間での対応の乖離(かいり)に市民は戸惑いを深めています。「反戦平和」を旗印に掲げてきた日本共産党「花巻市議団」の思想的な立ち位置に関し、次の3項目について質問します。回答は今月24日までに文書でお願いします。

1、「日米地位協定」の改定を求める請願に反対した理由とその論拠について
2、奥州市議会の「オスプレイ」配備撤去を求める意見書に対する見解について
3、沖縄の「米軍基地」問題に対する日本共産党本部の基本的な考え方について


(写真は辺野古「新基地」建設に反対するプラ-カ-ドの波(インタ-ネット上に公開の写真から)

≪追記―1≫
 米海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイからパラシュ-ト降下訓練中の陸軍兵1人が10日、米軍伊江島補助飛行場(沖縄県伊江村)から約50メ-トル離れた民間の葉タバコ畑に落下していたことが11日、分かった。けが人はいなかった。村は、防衛省沖縄防衛局を通じ米側に再発防止を求める方針。同村や目撃した村議によると、オスプレイは2機編隊で、1機から6人がパラシュ-トで降下。1人が10日午前10時45分ごろ、民間地に落下した。その後、訓練は中止された(11日付「時事通信」) 

≪追記―2≫~「日米地位協定」参考資料:『「日米合同委員会」の研究―謎の権力構造の正体に迫る』(吉田敏浩著)より。地方議会のあり方にも示唆を与える文章なので、以下に引用する。かなりの長文だが、ご寛容のほどを…

【今こそ国会議員がチェック機能を果たすべき】
 
 国会に「日米地位協定委員会」を設置し、日米合同委員会の全面的な情報公開を進め、合同委員会のあり方を根本的に変える。「憲法外機関」になってしまった日米合同委員会を、憲法による「法の支配」のもとに置く。そのためには、日本側の大幅な政策転換が必要ですが、地位協定の改定までしなくてもできることです。ただ、日米地位協定第2条を変えて、米軍基地や演習場の提供は「国会の審議・承認を通じて両国政府が締結しなければならない」としたり、第25条を廃止して日米合同委員会そのものをなくしたりするには、地位協定を改定しなければなりません。

 しかし現状では、日本政府が大幅な政策転換や地位協定の改定に向けて動きだす様子は見られません。凶悪な米兵犯罪や米軍機墜落事故などが繰り返されても、改定ではなく「運用の改善」でお茶を濁し、アメリカ側に「好意的配慮」を求めるその場しのぎですませています。これまで沖縄県や神奈川県など米軍基地をかかえる自治体や、日本弁護士連合会などが、米軍優位の不平等な地位協定の抜本的改定を提唱し、政府に対して要望するなどしてきましたが、日本政府の後ろ向きな姿勢は変わりません。

 そうした政府の姿勢の背後には、日米合同委員会を通じて米軍と密接な関係を持つ外務官僚中心の官僚グル-プの意向もあるのではないでしょうか。だから、大幅な政策転換や地位協定の改定に向けて、事態を打開するためには、与野党を問わず国会議員のなかから、「日米地位協定委員会」設置への動きが起きるべきです。これまで、国会では野党議員から、日米合同委員会の議事録や合意文書の公開を求め、米軍優位の不平等な合意・密約を追及する質問や質問主意書の提出が繰り返されてきました。

 しかし、歴代の自民党政権は日米合同委員会のあり方を容認し、地位協定の解釈・運用を外務官僚を中心とする官僚機構の手に委ねてきました。だから、時の大臣たちも官僚の指南に従い、『日米地位協定の考え方』や『法務省秘密実務資料』などの裏マニュアルに沿った政府答弁をしてきたわけです。日米同委員会の関連文書の情報公開にも背を向け、官僚機構の秘密主義を認めてきました。そのため、自民党が多数派を占める国会では、日米合同委員会の情報公開、合意・密約などの実態解明が進みません。

 しかし、与野党を問わず国会議員は本来、憲法にもとづき主権者・国民に選出された代表として、「憲法外機関」となって立憲主義を侵食する日米合同委員会のあり方を許してはならないはずです。地位協定の解釈・運用を日米合同委員会に拠る外務官僚らに独占させていいはずがありません。米軍人との密室協議で、「憲法体系」を無視・超越するような合意・密約を結ばせてはいけないのです。領土・領海・領空の一部を外国軍隊に提供するという国家主権に関わる重大な決定を、日米合同委員会の手に委ねるのではなく、国会で審議し判断すべきです。それが憲法に規定された本来の主権在民のあり方です。

 与党・野党に関係なく、主権者を代表して、国会議員が国権の最高機関の一員として、今こそチェック機能を果たすべきなのです。そのために、日米合同委員会の実態解明、議事録や合意文書の情報公開要求、そして「日米地位協定委員会」設置に向けて、超党派の勉強会づくりから始めてはどうでしょうか。そこでは、過去に野党議員が国会質問などを通じて得てきた、日米合同委員会に関する情報の共有もなされるでしょう。

【真の主権回復と主権在民の実現が課題】
 
 もちろん、そうした動きをバックアップする日本社会の問題意識と世論の高まり、国民・市民の支持も欠かせません。そのためにはまず、本書でその一端を明らかにしたような、米軍優位の不平等な合意・密約をつくりだす、日米合同委員会の実態が広く知られることが必要です。日米安保の問題など日米関係はどうあるべきか。人によってさまざまな考え・意見があって当然です。ただ、それを考え、意見を交わし、判断するためには、公文書など関連情報が十分公開されていることが大前提になります。

 その意味からも、日米合同委員会の議事録や合意文書などの全面公開が必要です。全面的な情報公開がされてこそ、国民・市民が主権者として日米合同委員会をチェックし、国政をチェックする力をより発揮できるのです。政府には国民・市民の「知る権利」に応えて、説明責任を果たす義務があります。また、過去に日本の官僚機構のなかから、米軍優位の不平等な行政協定(現地位協定)の抜本的な改定要望が発せられたという歴史もあります。現在の官僚機構のなかからも、その思いを受け継ぐ新たな声がぜひ上がってほしいものです。このような不平等な状態のままでいいとは思わない官僚たちもきっといるはずです。

 結局、日米合同委員会をめぐる問題を通して浮き彫りになる日本という国の課題は、真の主権回復と主権在民のより確かな実現です。本当に「日本を取りもどす」というのなら、日米合同委員会の改廃は避けて通れない問題であることにちがいありません。そして問題は、日米合同委員会のことだけにとどまりません。すでに70年以上も外国軍隊の基地が国内に置かれ、外国軍隊が事実上の治外法権を保障されてフリ-ハンドの軍事活動を続けている状態を、ずっと放置したままでいいのかどうか、という根本的な問いの前にいま私たちは立たされているのです。




2017.01.10:masuko:コメント(0):[議会報告]