検証…「花巻市議会基本条例」第5条(議員の活動原則)

  • 検証…「花巻市議会基本条例」第5条(議員の活動原則)

 

自由通路や新図書館の話題では、橋上化には特に意見がなかったものの「若者が集まれる場があればいい。駅の近くに自習、そういう場が欲しい」、「大人の目線では、まなび学園に10分で着くとしても、待合時間の30~40分を活用して勉強したいのに、往復20分かけて、特に冬の寒い季節などは行く気にならないのでは。駅前にあれば利用する人が多いと思う」

(2月25日午後3時の閲覧)●

 

 

 この記事の内容そのものにもびっくりしたが、当該ブログの投稿者の名前を見て「おっ!」。市民の信託を受けた公人なのだから、いまさら名前を秘す必要もあるまい。現職(1期目)の鹿討康弘市議である。それによると、所属会派の「緑の風」(4人)が主催した「若い方と市政について対話する」初めての企画で、ゲストは現役の地域おこし協力隊員の男性とまちづくりなどのプロジェクトに取り組んでいる女性。冒頭の発言は市側が進める花巻駅橋上化(東西自由通路)と「駅前か病院跡地か」の立地論争に揺れる新花巻図書館をめぐる対話の中で出てきたらしい。

 

 発言内容から見て、駅利用者の若者が待合時間の合間に利用する、いわば“待合”図書館としての観点から、新図書館の駅前立地を希望しているようである。その賛否にについて、ここでは異論を挟むつもりはないが、「往復20分かけて、特に冬の寒い季節などは行く気にならないのでは」という下りに目をむいた。「この軟弱者が…」と口に出かかったが、今のご時世は「パワハラは許せない」と集中砲火を浴びせられかねない。その点、鹿討議員は「貴重な時間を頂けたことに感謝します」と何ともやさしい。

 

 駅前立地の場合の費用は本体部分を除いてざっと10億円。わずか10分の歩行の横着をこいて、その8倍のツケ(税金)を将来に残すことになる。このことについて、この若者たちは対話の席上、どの程度の説明を受けたのか否や。ふと、「議会の最高規範」ともいわれる議会基本条例を復習してみたくなった。第5条2項は「議員の活動原則」として以下のように規定している。

 

 「議員は、市政全般についての課題及び市民の意見、要望等を的確に把握するとともに、自己の能力を高める不断の研さんに努め、市民の代表としての自覚を持って活動をしな ければならない」―。花巻駅からまなび学園(新図書館の立地候補地の隣接地)までの距離を難儀とは思わず、「冬の寒さ」も厭(いと)わない若者もきっといるはずである。むしろ、そんな若者の方が多いかもしれない。「市民の意見を的確に把握」するためにも、次回にはぜひとももう少し、幅広い層の意見にも耳を傾けてほしいと思う。図書館を唯一の居場所にしている高齢者も多い。齢(よわい)83歳のこの老残も身もそのひとり。お呼びがかかったら、喜んではせ参じたい。ところで…

 

 「『未来を展望したか、市民が参画したか、市民のためになるか』の視点でまちづくりを考え、市民ファーストで政策を研究し、その実現に向けて積極果敢に挑戦・行動する」―。昨年の12月市議会定例会を前に結成された「緑の風」はその理念を高らかに謳いあげている。そして、今回の「若者との対話」について、「(理念を同じくした)少数会派だからこそできたことかもしれません」とうそぶいて憚(はばか)らない。冗談を言ってはならない。少数も多数もへったくれもない。議員一人ひとりが果たさなければならない使命というものがある。以下の条文を目を皿にして、読み直してもらいたい。

 

 「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(憲法第15条第2項)、「議員は、議会の構成員として、市民全体の福祉の向上を目指して活動しなければならない」(議会基本条例第5条3項)―。最後にひと言。新図書館の立地論争に関連し、最初のブログ投稿にはその原因を(上田東一市長が好んで使う)「一部の市民」に矮小化する文言があったが、直後にその部分がそっくり削除されていたことを記しておく。

 

 市議会3月定例会は2月27日に開会。会期は3月19日までの22日間で、一般質問は3月4日から3日間。鹿討議員は5日午前10時に登壇し、公共施設のあり方や成年後見制度などについて、質問する。お見(お聴き)逃しなく。

 

 

 

 

 

(写真は議会傍聴に訪れた中学生。高校生議会なども随時、開催されている。議員は“衆人監視”の元にあることを忘れてはならない=インターネット上に公開の写真から)

 

 

立ち上がる市民…ジーン・シャープからのメッセージ

  • 立ち上がる市民…ジーン・シャープからのメッセージ

 

 「とりたてて勇敢でも立派でもない『普通の人』が日常生活の延長から社会変革の道へ」―。今年の幕開けはアメリカの政治学者、故ジーン・シャープの代表作『独裁制から民主主義へ』を読み解くNHKEテレ「100分de名著」を視聴することから始まった。新花巻図書館の「病院跡地」への立地を求めて、街頭署名に立つ市民の姿がジーンのメッセージにそのまま、重なった。非暴力による社会変革への扉が足元のこのまちでも確実に開かれつつある予感がした。

 

 ジーンは「独裁勢力は、民衆が政権を受け入れ、降伏し従順することにより成り立っている」とし、だからこそ「抗議行動や説得、非協力、干渉などによって、その勢力を倒すことができる」と述べている。その鍵となる考えはこうである。「権力は一枚岩盤のようなものではなく、また権力を持つ者の固有の性質に由来するものでもない。つまり、いかなる政治的権力もどんな統治機構も、支配者の命令に対する国民の服従に由来する。もし、国民が服従しないのであれば、支配者の権力は消滅する」。自ら言っているようにインドの非暴力主義者、マハトマ・ガンジーの影響が読み取れる。

 

 私は街頭に立つ高齢者の姿を見て、とくに「説得」の大切さを感じた。署名活動は重要な意思表示の手段である。その決断を促すためには時間をかけた「対話」こそが欠かせない。孫の世代と向き合い、10分近くも話し込む女性とそれに熱心に聞き入る相手の姿を何度も目撃した。「何かが確実に動いているな」と思った。別の女性は「ピンポーン」作戦と名づけて、一軒一軒の呼び鈴を押して歩いた。「もちろん玄関払いもあるが、でも逆に相手に引き留められることも…」―。ある日のツイッタ-には次のように書き込んでいた。

 

 「いまの酷い状況から抜け出すためには、自分が変わるしかない。勇気ある第一歩が大事。今日も無駄かもしれない。しかし、いま政治で何が行われているのか、知ってもらいたい。同じ“愚民”同士で対話して、少しでもレベルアップのため、これから草の根活動をしてきます。今日は寒い」。身近な抑圧者に「NO」を突きつける―。ジーンが主張する「非暴力という『武器』」を手に入れた市民が着実に増えつつあるようだ。

 

 

 

(写真は世代を超えて話し込む署名活動の女性たち=2023年12月24日、イトーヨーカドー花巻店で)

 

 

「ライブラリー、OK」…図書館立地「署名」が盛り上がり~「諦めるな」!!??

  • 「ライブラリー、OK」…図書館立地「署名」が盛り上がり~「諦めるな」!!??

 

 「えっ、まだ決まってないの。病院跡地だと思っていた」―。季節はずれの陽気に恵まれた18日の日曜日、イトーヨーカドー花巻店で「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)による署名活動が行われた。「駅前か病院跡地か」で揺れる中、身を乗り出すようにして署名する市民の姿にメンバーは手ごたえを感じた様子だった。街頭の署名活動は昨年のクリスマスイブに次いで2回目で、今後も月に1回程度行うという。

 

 「今日も早池峰山が白雪にキラキラ輝いています。この霊峰を仰ぐ病院跡地こそが新図書館にピッタリ」―。のぼりを立て、たすき掛けのメンバー約15人が3か所の入り口前で、チラシを配りながら、署名を呼びかけた。親子連れがチラシを手にしながら、何やら言い合っている。「私は、駅前よ」とお母さん。「それは勝手。でも私は断然、病院跡地」と娘さんは署名簿に記名。「イトートーカドーが閉鎖するというニュースを聞いてやってきた。おら、地元じゃねけど…」と岩手町からやってきた男性。「全然、構いません。世界の賢治の図書館を作るんですから」とメンバーが応じると、男性は「そすか」とニッコリ。

 

 この日は東日本大震災で被災し、当地に移住した気仙沼市出身の日出忠英さん(82)が娘さんと一緒に助っ人に駆けつけた。足の不自由な日出さんはイスに腰かけながら、「あれからまもなく、13年。賢治さんのふるさとにふさわしい図書館をぜひ。お世話になった恩返しのつもりです」―。近くでは外国人が興味深げにのぞきこんでいる。メンバ―のひとりが決して上手とは言えない言葉使いで、「Library、OK。Please、your name and address」と促すと、キョトンとした二人が、それでもOK印を指で作って署名簿に横文字。当市で働いているインド人で、外国人としては初めての名簿登載に。この日は2時間の活動で署名総数は229人(うち、花巻市内167人)だった。どんど晴れ。

 

 

 

 

(写真は日出さんの呼びかけに応じる若い男性=2月18日午前、花巻市小舟渡で)

 

 

 

 

《追記》~「諦めるな」!!??

 

 

 ロシアの反政権派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が16日、収監先の北極圏の刑務所で死亡した。毒殺未遂事件に巻き込まれた過去を持つ、本人を主人公にしたドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」(2022年公開)をビデオで観た。「プーチンが最も恐れた男」と言われた同氏は映画の最後でこう語っている。「(仮に僕が殺された時のメッセージは)“諦めるな”だ」ー。今回の死にも疑惑がもたれる中、まさに“遺言”となったこの言葉は私たちひとり一人にとっても、決して無縁ではない。いま、ロシアを含む欧米諸国ではナワリヌイ氏の死を悼む抗議集会が相次いでいる。「君きっと一粒の麦ナワリヌイ」(20日付「朝日新聞」朝日川柳から)

 

 


 

現代版「クマ考現学」(下)…「イヨマンテ」という究極の作法

  • 現代版「クマ考現学」(下)…「イヨマンテ」という究極の作法

 

●「人間の国というのはとにかく、楽しいところだ。ごちそうは食べきれないほどあるし、不思議なことに、木の実だけでなく、(ご祝儀の)魚(の干物)まで空から降ってくる。だが何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満があるのだ。何やら、とっても面白い物語を語って聞かせてくれるんだが、ひげをはやした威厳のある老人が、どうしたわけか、途中でその語りをやめてしまうのだ」(キムンカムイ)

 

●「新聞の連載小説みたいに、面白いところで『後は明日のお楽しみに』と切る。すると、クマの神さまはその続きを聞きにやってくる。ユカラ(英雄叙事詩)がとてつもなく長いのはこのこととも関係あるのかも知れない。長ければ長いほど、クマ神が人間の国に遊びに行きたいと思う回数も多くなるというわけだ」(ひげの長老)

 

 アイヌ民族にとって、クマは動物界でも最高神に位置する「キムンカムイ」(山の神)である。狩猟を生業(なりわい)としたアイヌの人たちにとって、そのクマこそが暖かい毛皮や飢えをしのぐ肉、貴重な薬になる胆(い)…などを与えてくれるいのちの糧(かて)でもある。「イヨマンテ」はクマの霊をカムイモシリ(神の国)を送る伝統的な儀式で、歌舞音曲の宴(うたげ)のさ中に冒頭のような会話が賑やかに飛び交うのだという。ユカラの続きを聞き損ねたクマの無念が伝わってくるようで、プッと吹き出したくなるような光景である。

 

 「排除か共生か」―。“クマ騒動”で揺れる中、いまや消滅した「イヨマンテ」の儀式の光景かふと、まな裏に浮かんだ。ビデオ映像を私に見せながら、アイヌの友人は言った。「日本人はすぐ残酷だとか野蛮だと批判するが、この儀式は人間を含めた生きとし生ける者すべてとの“共生”宣言。その根底に流れるのは畏敬(いけい)と感謝の精神だ」―。(上)で紹介したクマたちによる小十郎の「葬送の儀式」について、哲学者の梅原猛さん(故人)はこう語っている。

 

 「何百頭の熊を殺してきた代償として、彼(小十郎)はその身を熊に捧げたにちがいない。それを熊もまたよく知っていて、この小十郎の霊に対して、最大の敬意を払って、彼を手厚く葬ったのであろう。これはいわば、熊が行ったイヨマンテの儀式であろう。アイヌにおいて人間はイヨマンテの儀式によって、熊の霊をうやうやしく『あの世』に送るが、ここでは熊がイヨマンテの儀式によって、小十郎を『あの世』に送っているのである」(『百人一語』)―

 

 

 

 

(写真はかつて、アイヌ民族の間で行われた「イヨマンテ」。儀式の前に“花矢”を放って、止めを刺す=インターネット上に公開の写真から)

現代版「クマ考現学」(上)…なめとこ山の熊とAI

  • 現代版「クマ考現学」(上)…なめとこ山の熊とAI

 

 「母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋丁度人が額に手をあてて遠くを眺めるといった風に淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめていた」―。宮沢賢治の代表作『なめとこ山の熊』にこんな一節がある。クマと人とのこころの交流を描いた感動的なシーンである。

 

 「AIカメラでクマ対策」(1月31日付「岩手日報」)―。1面トップの見出しに一瞬、ひるんだ。花巻市がこの春に導入するという内容で、川岸などに30台配置し、AI(人工知能)が識別したクマをメールで受信し、下流に先回りして花火で威嚇するという最新“兵器”らしい。ここ数年、全国的に人里に現れるアーバンベア(都市型クマ)が増え続け、当市でも昨年、クマの目撃が5年前の約4倍に当たる495件に達した。「保護(放獣)か殺処分か」で揺れる“クマ騒動”を横目に見ながら、私はいつの間にか小十郎とAIとの“知恵比べ”に夢中になっていた。

 

 「なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る」―。この物語はこんな書き出しで始まる。「なめとこ山」(標高860㍍)は当市西方の奥羽山脈に位置する実在の山である。文中の「淵沢川」はいまも町なかを貫流する「豊沢川」にちがいない。AIカメラはクマの目撃情報が多いこの川沿いに配置されるというから、なめとこ山のクマたちもカメラにキャッチされるかもしれない。こんな光景を思い浮かべていた矢先、突然猟師の小十郎とクマたちが交わす対話が耳元に聞こえたような気がした。

 

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。…てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」(小十郎)、「もう二年ばかり待って呉れ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」(クマ)

 

 互いにこころを通い合わせる間柄だが、小十郎とクマとは実は「殺しー殺される」という“敵対関係”にある。ちょうど2年目の風の強い朝、家の前の垣根の下で、あのクマは約束通りに血を吐いて倒れていた。しばらくたった冬のある日、狩りに出かけた小十郎に突然、大きなクマが襲いかかってきた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。小十郎は意識が遠ざかる中で、そんな言葉を聞いた。物語はこう結ばれる。

 

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ」―。クマたちによる小十郎の「葬送の儀式」である。

 

 ふと我に返り、ChatGPTならクマたちと小十郎の出会いの物語をどんな風に描写するのであろうかという妄想にかられた。「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」―。同じ賢治の『どんぐりと山猫』の中のあの有名な“判決文”が頭の中をグルグル回っている。私はやはり、小十郎の頭の方が人工の知能よりもずっと、賢く思えてならない。

 

 

 

(写真は街頭に出没したクマ=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~署名総数が6,793筆に!!??

 

 花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会(瀧成子代表)が続けている全国署名の第2次分(13日現在)が2,063筆(市内1,178筆、県内322筆、県外563筆)になり、1次分を含めた総累計が6,793筆に上った。実行委員会では引き続き、署名活動を継続するほか、随時、街頭での呼びかけもすることにしている。