「マコトノクサ」通信

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「ルポー花巻―44(語り継ぎ)」の画像
(ゆいっこ花巻:増子義久)

 「えっ、おばさんも嵐(あらし)のファンなの!?」「そう、とくに相葉(雅紀)君ね。だって、めんこいんだもの。だから一人暮らしでも寂しくないの」―。大震災の辛い体験を聞いていた雰囲気がパッと明るくなった。「震災支援ネット北海道」と「いわてゆいっこ花巻」がコ−ディネ−トした筑紫女学園大学(福岡県太宰府市)の学生20人が22日、花巻市内に住んでいる一人暮らしの被災者など10人を居宅訪問した。「3・11を風化させないために…」と大学側が企画したもので、23日は大槌町の仮設団地で炊き出しの支援をする。

 「これ、福岡名物の筑前煮です。どうぞ召し上がってください」。2年生の北村いぶきさん(20)と牧野彩永さん(20)はこの日早起きして用意した手作りの弁当を持って、里舘晶子さん(69)のアパートを訪ねた。大槌町の出身でご主人を13年前に亡くし、震災の時は一人住まいだった。「あの時のことねえ」と言って、里舘さんは記録写真を特集した雑誌や当時のテレビの映像を見せてくれた。

 「大きな手術をした5日後のことで、体はコルセットをしたまま。大津波だという叫び声で裏山の神社に逃げた。体の自由がきかないので木の根っこにつかまり、四つん這い。後ろを振り向くと、隣の家が津波と一緒に追いかけてきた。若い人に両腕を抱えられてやっと助かった。お茶のみ友達2人が帰らぬ人になった。旦那さんにすがっていた2人の手を津波が引き離してしまったの。犠牲になった知り合いの名前を紙に書き写す毎日。私の集落だけで50人以上もの人が津波と共に消えてしまったのよ」

 身じろぎしないで聞き入った2人の目に涙が…。「あら、ごめんね。こう見えても私、嵐の大ファンなのよ」と里舘さん。「えっ、私たちもよ」と話題は急に嵐談義に。収集した嵐のビデオを毎日見ているという里舘さんが笑顔で言った。「不思議なことってあるのねえ。2階を残しただけで家は全壊。でも、1階に置いてあった位牌だけは近くで見つかったの。きっと、父ちゃんが守ってくれたんではないかと。それに今は相葉君がいつも一緒にいてくれるから…」

 この日の居宅訪問は2人1組。サポ−ト役として、ゆいっこ花巻のスタッフが付き添った。約2時間後、学生たちが次々に戻ってきた。みんな涙ながらに短い訪問の感想を語り合った。

 「テレビの映像だけ見ていると、個というより全体のイメ−ジが先行した。でも、直接お話を聞いて言葉の重みを改めて感じた。その一人ひとりの悲しみが2万人分もあるのだと思うと…」、「震災当日は雪が舞う寒さだった。避難所でみんなで抱き合って過ごした。人の体温ってこんなに暖かいもんかとその時、初めて感じた。被災者の方がこう話してくれた瞬間、大震災の光景が急に目の前に迫ってきた」「遠い九州の地では震災の記憶が風化しつつある。この日の体験を持ち帰って、語り継いでいきたい」…。

 引率の宇治和貴講師がこう締めくくった。「宮沢賢治が『寄り添う』ことの大切さを説いているが、現地に来て見てそれを実感した。今後も大学として支援を継続していくように取り組んでいきたい」

(当時の写真を示しながら、体験を話す里館さん。右が牧野さん、左が北村さん=花巻市南城で)

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「ルポ・花巻―43(大震災と『ペスト』)」の画像
(ゆいっこ花巻:増子義久)

 「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」―。作家の辺見庸さんはアルベ−ル・カミュの長編小説『ペスト』に登場するリウ−医師のこの言葉を東日本大震災に重ね合わせながら、「3・11とは何であったのか」―という洞察を続けている。そして、ジャ−ナリストの外岡秀俊さんは辺見さんに触発され、「その誠実さとは何なのか」という課題を背負って被災地へと旅立つ。そこで得た「誠実さ」の結論は―。

 「災厄のさなかに、人ができることは限られている。そこにあって、ヒロイズムやイデオロギ−は無力であり、無益だ。(略)被災した人々に必要なものは、同情でも、慰めの言葉でもない。(略)『ペスト』が明らかにするように、災厄は外部から遮断されるという『孤立』にその本質がある。(略)私たちにせめてできるのは、被災した人々が絶望の果てに、彼ら自身の『希望』を見いだすまで、その悲しみの深さを忘れず、寄り添うことだけなのかもしれない」(『震災と原発 国家の過ち』)

 私自身、この小説の底知れない奥深さにずっと、付きまとわれてきたような気がする。3年ほど前、インフルエンザが猛威を振るったことがあった。当時勤めていた福祉施設の苑報(平成21年5月31日付)に私は次のような文章を載せた。

                        ※

 「パンデミック」―。何やら終末観さえ漂うような言葉が今、世界中を徘徊している。新型インフルエンザの猛威を言い表す言葉で、「世界流行」とか「感染爆発」と呼ばれている。過去、人類はその存在を脅かされるような「パンデミック」に何度か見舞われてきた。インフルエンザのほか、天然痘やペスト、コレラ、発疹チフス、マラリアなどで、近年ではエイズがそれに該当する。
 
 1918年から翌年にかけて、全世界的に流行した「スペイン風邪」で死亡した人は4千万人とも5千万人とも言われ、これが原因で第1次世界大戦の終結が早まったという説もある。中世ヨ−ロッパ社会の根底を大きく揺るがした「パンデミック」の代表例が14世紀中葉の「黒死病」(ペスト)である。当時の世界の全人口は約1億人、うち3分の1近くに当たる約3千万人が死亡したと推定されている。
 
 フランスの作家、アルベ−ル・カミュの『ペスト』(1947年刊。新潮世界文学所収、宮崎嶺雄訳)は、アルジェリアのオランという港町で発生したペストを題材にした小説である。この本を再読してみようと思い立ったのは、今回の「新型インフルエンザ」騒動がきっかけだった。

 何の変哲もない―「いってしまえば、一個の中性の場所というような町」に過ぎないオランで、1匹のネズミの死骸が発見されたことから、この物語は始まる。阿鼻叫喚の光景がいたって淡々とした筆致で描かれているが、時折、登場人物の発言にハッとさせられる。例えば、こんな言葉―「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」。

 カミュはペスト禍を描写する一方で、原罪とも言える「人間悪」についても語りたかったのではないだろうか。そして、オランの町がやっと平静を取り戻した時、小説は次のような不気味な言葉で終わっている。

 「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古(ほご)のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠(ねずみ)どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」

 高度経済成長を終焉に導いたオイルショックの後も私たち日本人は性懲りもなく、「バブル景気」に酔いしれた。そして今、百年来と言われる「世界同時不況」と地球全体をおおう温暖化の恐怖におののいている。「パンデミック」とは―。身の丈の生き方を忘れた人間に対するある種の「啓示」なのかもしれない。カミュは「内なるペスト」という暗喩で「人間のあるべき姿」を私たちに教えているような気がしてならない。

                       ※

 大地震と大津波、そして原発事故…。東日本大震災とは「パンデミック」の追い打ちではないのかとふと思う。私たち「いわてゆいっこ花巻」は1周年の来月3月11日、「三陸の未来に光あれ」というテ−マで追悼行事を開催する。リウ−医師のいう「誠実さ」の意味をその場でもう一度、かみしめてみたいと思っている。

(写真はお地蔵さんの背後に広がる瓦礫の荒野=平成23年4月初旬、大槌町で)

「三陸の未来に光あれ」の画像
 いわてゆいっこ花巻では東日本大震災の1周年に当たる3月11日、供養と鎮魂の願いを込めた「追悼3・11……三陸の未来に光あれ」を開催する。地元の春日流上ノ山鹿踊の演舞を中心に合唱や語り、震災詩の朗読などがあり、行方不明者を合わせて2万人に近い犠牲者の霊に祈りを捧げる。地震が発生した午後2時46分には参加者全員で黙とうをする。
 
 この日は花巻市内に居を移した被災者の皆さんを招き、上ノ山鹿踊の舞手によって門外不出の秘儀といわれる「供養の儀式」も特別に披露される。また、盛岡市の合唱グル−プ「ポピ−歌の会」の総勢40人が昭和三陸津波(昭和8年)の1年後に作られた「復興の歌(津波の歌)」と「慰霊の歌」の大合唱を繰り広げる。

 このほか、大槌町出身の被災者で横浜市在住の松崎豊司さんの体験談(「あの日から一年」)や第26回国民文化祭(京都2011)「現代詩フェスティバル」で文部科学大臣賞(最高賞)を受賞した、花巻詩人クラブ会長の照井良平さんによる受賞作「ばあさんのせなか」の朗読もある。幕間には「花巻賢治を読む会」代表の大原皓二さんが宮沢賢治の代表作『鹿踊りのはじまり』のクライマックスを部分朗読する。

 「生きとし生けるものすべてのいのちの供養と鎮魂のためにこの芸能を捧げる」―。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町で発見された鹿踊りの供養塔にはこう刻まれている。いわてゆいっこ花巻の高橋寛代表は「この精神をこころに刻みながら『逝(ゆ)きし人々の霊に平安あれ、三陸の未来に光あれ』―と花巻の地から祈りのメッセ−ジを発信したい。多くの市民の参加を呼びかけたい」と話している。

 「なはんプラザCOMZホ−ル」(花巻市大通り1丁目2−21)で午後1時半から(開場1時)。入場無料。問い合わせは「ゆいっこ花巻」(TEL 0198−22−4748)

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 二つの歌は昭和三陸津波の当時の石黒英彦・岩手県知事の作歌といわれる。

  ●大津波/くぐりてめげぬ/雄心(こころ)もて/いざ追い進み
  /参(ま)い上らまし              (復興の歌)

  ●亡き霊(たま)は/千尋(ちひろ)の海に/鎮(しず)もりて
  /栄え行く世の/柱たるらん           (慰霊の歌)


「ルポ・花巻―42(3大学共同研究)」の画像
(ゆいっこ花巻:増子義久)

 清華(中国)・早稲田・東北の3大学合同の「東日本大震災復興に関する共同研究」グル−プの現地視察が13日、花巻市内で行われた。早稲田大学東日本大震災復興研究拠点「自然文化安全都市研究所」の中川武所長(同大教授)が呼びかけたもので、清華大学側から朱穎心副学長ら4人が参加。学生らを含めた約15人が活発な議論を繰り広げた。14日は大槌町の被災現場でワ−クショップを開く。

 主に建築関係の専門家の集まりで、公益財団法人「さわやか福祉財団」ふれあい推進事業プロジェクトリ−ダ−の木原勇さんと復興住宅の設計などを手がけている地元・花巻の木村設計代表の木村清且さんが被災地での町づくりのあるべき姿について提言した。この中で木原さんは「地域包括ケア」の町づくりのイメ−ジを説明し、大槌町での実践を目指したいと話した。

 また、木村さんは東北の風土を基盤とした地域社会の機能回復の必要性を強調。岩手県のコンセプトとして「イ−ハト−ブ(宮沢賢治が描いた理想郷)」の実現こそが今回の大震災を無にしない方向性だと思うと語った。一方、被災地の現地報告を求められた私は「例えば、当地・花巻が生んだ賢治の理念を復興の原点に据えるべきではないか」と概略、次のように述べた。

 「今回の大震災は先の敗戦に続く『第2の敗戦』と呼べるものではないか。つまり、高度経済成長政策を支えた“万物霊長主義”の帰結が原発事故を含む今回の惨事を招いたのだと思う。そして、賢治は作品の中でその愚を繰り返し繰り返し訴え続けてきた。『雨ニモマケズ』などの作品が今、全世界で読まれている背景にはこうした人間の驕り高ぶりに対する反省があるのかも知れない。しかし、中央主導の復興論議の中にはこうした理念が反映されていない。東日本大震災からの復興論議は絶えず、文明論を起点になされなければならないと思う」

 世界第2の経済大国にのし上がった中国―。朱副学長がつぶやいた。「今回の大震災は対岸の火事ではない。私たちも四川大地震を経験している。全人類が突きつけられている課題に違いない」。岩手の霊峰・早池峰山の麓に「タイマグラ」という集落がある。ここを舞台としたドキュメンタリ−映画「タイマグラばあちゃん」と「大きな家」(いずれも澄川嘉彦監督)が上海や北京で相次いで上映された。限界集落とも呼べる集落での自然に寄り添う生活の日々…。こんな佇まいの光景が高層ビルが林立する中国の大都会で本当に受け入れられるだろうか。

 「場違いではないかと不安な気持ちだった、でも、それは杞憂に終わった。とくに、ある雑誌の編集者の感想が心に残った」。最近、澄川監督から手紙をもらった。今回の大震災から得た教訓として、私はその編集者の言葉を紹介させてもらった。

 「中国は経済競争ではもう日本を追い越したと思っている。日本から学ぶことはもう何もないと多くの人が思っている。しかし、この映画はそれが誤りであることを教えてくれる。この映画の中にあって中国にないもの、誰もが足りないと感じているものが映っている。中国はそこを学びたい。巨大となった龍が道を間違えないために」

(写真は熱心に議論を交わす3大学の参加者たち=花巻市の大沢温泉で)
「ルポ・仮設―2(大槌町第10仮設団地)」の画像
(ゆいっこ花巻:増子義久)

 「支援員の人がいなかったら…。これからはもう安心です」―。大槌第10仮設団地に1人で住んでいる横田タカさん(81)は10日、病み上がりの顔に笑みを浮かべながら、数日前の出来事を話した。その日の昼ごろ、急に吐き気が襲い、頭がガンガンしてきた。タクシ−を呼び、町内の開業医へ。「風邪」との診断で薬をもらって帰宅した。

 翌日の夕方、玄関をコツコツ叩く音で目を覚ました。容態は大分回復していたが、まだ声が出ない状態が続いていた。「おばあちゃん、大丈夫ですか」。訪ねてきたのは「地域支援員」のネ−ムプレ−トを付けた小国秀喜さん(46)。コ−ルセンタ−から地区マネ−ジャ−を通じて、安否確認の連絡が入ったのだった。

 大槌町では今月6日から「地域支援員配置」事業がスタ−トした。被災者を中心とした93人が連日、町内48カ所の仮設団地の見回りをしながら、入居者の健康や悩みごとの相談、防犯・防災、緊急時対応などに当たっている。「地域支援員」の“雇用主”は北上市で、国の緊急雇用創出基金を利用した制度を運用。すでに大船渡市でも83人が活躍している。

 「大槌第10仮設団地」の担当は小国さんのほかに白銀富美子さん(67)と地区マネ−ジャ−の石井恵美さん(37)の3人。全員が被災者でみんな別の仮設団地に住んでいる。「この団地の談話室はこれまで”開かずの部屋”みたいに利用者が少なかった。地域支援員が配置され、毎日、戸別訪問をするようになったら、茶飲み友だちが集まるようになった」と白銀さん。

 この日は北海道からやってきたボランティア団体と「いわてゆいっこ花巻」とが合同で炊き出しのサ−ビスをした。北海道グル−プがチラシ寿司の豪華版、ゆいっこ側が名物の「復興石焼き芋」を振る舞うと、談話室は熱気にあふれた。一人暮らしの上野秋子さん(82)は「こんなに楽しい雰囲気は初めて。お寿司も焼き芋も入るは入るは…。これって別腹?」と破顔一笑。「この日をきっかけにこの団地もきっと明るくなると思う。絵を描くグル−プを作ろうという声も出ている。地域支援員の出番はいよいよこれからです」と白銀さんは目を細めた。

(写真は被災者と支援者の記念撮影。後列の3人が地域支援員の左から石井さん、白銀さん、小国さん=大槌町前段の第10仮設団地で
「ルポ・花巻―41(お食事会)」の画像
(ゆいっこ花巻:増子義久)

 「食事も美味しいし、何よりも暖かい雰囲気がうれしい」―。寒波が続く8日、花巻市内の住宅の一室から明るい声がはじけた。二枚橋地区のお年寄りの親睦団体「福寿会」(川村菫子会長、会員16人)の定例のお食事会。「後に残される夫のことが心配だ」と言い残して亡くなった近所の奥さんの“遺言”がきっかけで、平成7年に誕生した。以来、毎週水曜日に欠かさずに続けてきた。

 「あの大震災の被災者の皆さんもきっと寂しい毎日を過ごしているはず。一緒に食事でもできれば…」(川村会長)。花巻に避難している被災者の消息を市社会福祉協議会に問い合わせたが、「個人情報だから」と断られた。この話が回り回って「いわてゆいっこ花巻」に届けられ、昨年12月7日に第1回目の交流会が開かれた。

 この日参加したのは大槌町出身の中村幸子さん(73)と上野安子さん(61)の2人で、ともに2回目。着のみ着のままで故郷を追われ、今は花巻市内で一人暮らしを続けている。この日の献立は麦トロにさんまの柔らか煮、シミ大根の煮つけ、菜っ葉汁、ホタテとワカメの酢のもの、デザ−トの豪華版。

 「ご馳走はもちろんのことだけど、この場の和やかな雰囲気が一番のご馳走。津波の話ばかりだと落ち込んでしまう。だから花巻のことをもっと知り、前を向いて生きていきたい」と上野さん。会員では最高齢の川村フミさん(91)が「うん、うん」とうなずきながら聞き役に回る。「遠野まごころネット」を拠点にボランティア活動を続けている神戸市出身の立花昇さん(63)も「被災者の皆さんの心に接したい」と飛び入りの参加。「阪神大震災の経験から身近に寄り添うことの大切さを感じたので…」

 「最初は月に1回程度で良いと思って始めた。1カ月後に開いたら、あるお年寄りが『あなたはどなたでしたっけ』と。あの時はショックだった。やはり、“ボケ防止”には1週間間隔が良いようです」と川村会長。傍らで中村さんがうなずいた。「私は花巻に永住しようと考えている。故郷のことはもちろん忘れることはできない。でも、お世話になっているこの町の住民としてもちゃんと暮らしていきたい。この食事会は若返りの特効薬です」

(写真は食事を取りながら、語らいに花を咲かせる参加者たち(奥の眼鏡の人が立花さん、その右が中村さんと上野さん=花巻市二枚橋町で)

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