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万引き家族―そして、地獄谷とドロボ-部落と

  • 万引き家族―そして、地獄谷とドロボ-部落と

 

 「直接的なきっかけは、既に死亡している親の年金を、家族が不正受給していた事件を知ったことです。『犯罪でしかつながれなかった』というキャッチコピ-が最初に思い浮かびました。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆(きずな)が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、『絆って何だろうな』と改めて考えてみたいと思いました」―。映画「万引き家族」で第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムド-ルを受賞した是枝裕和監督は制作の動機をこう語っている。ふと、既視感に襲われた。50年近くも前の、それは“地獄谷”の光景だった。

 

 大都会の高層マンションの谷間にポツンと取り残されたような平屋の一軒家に祖母と両親、母の妹、それに父親に拾われた幼い男の子の5人が暮らしている。ある寒い日、父とその子は集合住宅の廊下にたたずんでいる少女を発見する。虐待を疑った父は少女を連れ帰り、その日から6人家族の奇妙な生活が始まる。大人たちに血のつながりはない。全員が暗い過去を持つ、いわば“偽装家族”である。頼みは家主の祖母の年金だが、足りない分は親子の連携プレ-による「万引き」で補う。約2ケ月後、「5歳の女の子が行方不明」というニュ-スがテレビに流れる。やがて「万引き家族」の危うい絆に亀裂が…。作家の角田光代さんは「理解できぬ世界は悪か」(6月8日付「朝日新聞」)と題して、映画の寄稿文にこう書いている。

 

 「この家族が、言葉に拠(よ)らず共有している暗号を、当然ながら家族以外の他者は理解できない。理解できないものを、世のなかの人はいちばんこわがる。理解するために、彼らを犯罪者というカテゴリ-に押し込める。よく理解できないこと、理解したくないことに線引きをしカテゴライズするということは、ときに、ものごとを一面化させる。その一面の裏に、側面に、奥に何があるのか、考えることを放棄させる。善だけでできている善人はおらず、悪だけを抱えた悪人もいないということを、忘れさせる」。角田さんはこう書き、自らを振り返る。「実際に起きた事件の見出しを見たときと、この映画の印象が対極くらい異なるのは、だからだ、とようやく気づく。この映画は、そんな線引きをさせないからだ」と―。

 

 「地獄谷」―。その谷は九州は筑豊・田川の、いまや悪名をとどろかす麻生太郎・財務大臣の先祖が築いた麻生炭鉱の近くにあった。ヤマの閉山によって、地底(じぞこ)を追われた人たちが肩を寄せ合うようにして暮らしていた。町方の人たちは顔をしかめながら、地獄谷と、そう呼んでいた。ボタ山(石炭ガラ)が目の前にそびえたち、谷の入り口には5階建ての精神病院が建っていた。病院から流れ出る汚水が谷底に油が浮いたような小さな池を作り、そのまわりに10数戸の長屋が軒を接していた。「線引き」を超えたいと思うのは新聞記者の習い性である。交渉の結果、その1軒に約2週間にわたって住み込み取材することに成功した。当初はまるで、人と人とを隔てる「人外境」に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 

 臨月の若い女性のおなかがある日突然、引っ込んだ。でも、赤ちゃんの泣き声が聞こえない。件(くだん)の“妊婦さん”はかたわらのザルを指さし、ニヤッと笑った。妊娠を偽装し、扶助をだまし取っていたのだった。谷底を闊歩しながら、長屋連中との世間話に興じていた中年の男性と市街地のス-パ-でばったり出会ったことがあった。黒い眼鏡をかけた男性は右手に杖を突き、妻が介添えしていた。私に気が付いた夫婦は口に封をするようにと人差し指を口に当てた。「石炭人夫として、国には随分と貢献したからな。ま、れっきとした国家公務員というわけさ…」。谷にも戻った男性はケラケラと笑い飛ばした。長屋の住人は全員が生活保護を受給していた。

 

 「先祖からもらった大事な名前だからね。だから…」―。毎日、豚のえさを集めて回る初老の男性がいた。表札に「弓長(ゆみなが)」とあった。本名は「張(ちょう)」さん。戦時中、炭鉱労働者の不足を補うため、朝鮮半島から強制連行された。植民地化にあった当時、日本政府は強制的に名前を変えさせる「創氏改名」を押し付けた。「張を二つに分けてね。これが民族としての最低限の抵抗だったよ」と張さん。弓長さん宅は谷の住人たちのたまり場だった。みんなが張さんを気遣うようにして茶飲み話に花を咲かせた。血のつながりよりももっと濃い絆に結ばれた共同体がそこにはあった。

 

 差別的な蔑称で「ドロボ-部落」と呼ばれる集落が地獄谷の近くにあった。万引きやスリを生業(なりわい)にする集団で、周囲ではそう呼びならわしていた。作家の故結城昌治の『白昼堂々』はここを舞台とした小説である。当時はまだ「義賊(ぎぞく)」とか「義侠(ぎきょう)」といった言葉が通用する時代だった。大都会で万引きした高級反物を閉山地帯の弱者に安く分け与え、自分たちは“義賊”を気取っていたらしい。こんなエピソ-ドを聞くにつれ、「人外」とは実は線引きをする側の謂(い)ではないのか―、そんな思いにかられた。

 

 「キズナよキズナ。血縁よりもそっちよ」―。目の前の画面から甲高い声が聞こえて、我に返った。「万引き家族」の周辺には捜査の手が伸びていた。“家業”に疑問を持った息子が故意に警察に捕まったのだった。一家は離散の憂き目を余儀なくされた。それが当然の帰結だったとしても、家族を超えた真の絆をそこに見た思いがした。万引き家族と地獄谷とドロボ-部落…線引きされた内側にこそ、現代社会が手放してしまった”何か”を再発見したような気持になった。それがとても愛おしいものに感じられた。「おまえは一体、どっちの住人なのだ」と審問されているような気分にさせられた。

 

 映画公開後、是枝監督が国の祝意を辞退したというニュ-スを目にした。「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですが、このような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」と是枝監督は語っていた。「万引き家族」はその言葉通りの作品だった。

 

 

(写真は「万引き家族」が全員集合。映画ポスタ-から=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

2018.06.13:masuko:コメント(0):[身辺報告]

「悪だくみ」たちの”危機管理”

  • 「悪だくみ」たちの”危機管理”

 

 最近は上掲の写真を眺めながら、「40年来の腹心の友」同士である安倍晋三首相と加計学園の加計孝太郎理事長が今度はどんな“悪だくみ”を企んでいるのだろうか―とそんな詮索をする悪趣味が身についてしまった。ノンフィクション作家の森功さんが上梓した『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』が第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞したのがきっかけで、その悪だくみの仕組みが天下に暴露された結果である。そして、そのキ-ワ-ドはなんと、「危機管理」だというのである。さて、はて…

 

 日大アメフト部の「悪質タックル」問題で、一躍注目を集めたのが同大の「危機管理学部」の存在である。「責任逃れのための嘘をつき、現場の選手の勇気ある告発で辞任に追い込まれる」という危機管理のマズさが取りざたされているが、この悪しき先鞭をつけたのが加計グル-プだという。現在、全国の大学で危機管理学部を有するのは日大のほか、千葉科学大学(銚子市、2004年学部設置)と倉敷芸術科学大学(同2017年)の3校だけで、日大を除いた後者の2校はいずれも加計系列である。この経過を詳細に追跡した森さんはこう語っている。

 

 「加計学園の千葉科学大は04年の開学当初から、当時は珍しかった危機管理学部が看板でした。安倍さんが安全保障の重要性を訴えてつくらせたともいわれています。ただし、学問として安全保障を教えるというよりも、関係者によると、消防署などに就職しやすい学部をつくったという話でした。学園側は『将来の総理がバックアップ』とアピ-ルしていたそうです。04年5月の開学式典には安倍さんも馳せ参じています」(6月1日付「日刊ゲンダイ」)―。安倍側近の萩生田幹事長代行が、落選中に客員教授を務めていたのも千葉科学大の危機管理学部だった。

 

 さらに、開学10周年記念式典に安倍首相は「腹心の友」にこんな祝辞を寄せている。「千葉科学大学は『人を助けたい、という人の大学』をキャッチフレ-ズとして、薬学部、危機管理、そして今春開設した看護学部という、昨今の社会で求められている時代に即応した人材を養成する教育・研究にあたってこられました。特に危機管理学部は東日本大震災からの復興・復旧や、将来その災害が心配されている南海トラフや首都圏直下型地震など大規模災害、東アジアにおける緊張などの不測の事態に的確に対処できる専門知識を養成するという、時代の最先端を行く学部と拝察しております」(同書より)

 

 悪い冗談もほどほどにしてほしい。己の「嘘」がバレないようにするための加計流「危機管理」の実態を目の当たりにしたいま、そんな空々しい「嘘」を信じる者は誰もいまい。いわゆる「愛媛県」文書に記された、安倍首相と加計理事長との面会が実は“作り話“だったことが明らかになった(29日付当ブログ「日本列島…ついにメルトダウン」参照)。「なかった」ことをあたかも「あった」ことのようにねつ造し、形勢が不利になると急きょ、「腹心の友」を守るために「実はあれは作り話だった」と開き直る…「悪だくみ」というタイトルの猿芝居を私たちは無理やりに見せつけられている。でも不思議なことに観客席からはブ-イングがあまり、聞こえてこない。代わって「首相が可哀そう」とSNSに飛び交うという交錯した光景が周りに張りめぐらされている。どうも物事の道理が逆さまになったような摩訶不思議な感覚である。

 

 「学部をなんとか形にしたくて、私が(面会したと)言ったのだ思う。その時、ふと思ったことを言った。(面会は)なかった」、「3年前のことではっきり覚えていないが、(県、市に)報告に訪れたメンバ-を考えると、言うのは自分しかいない」、「個人の判断で、加計理事長からの指示は全くない」((6月1日付「岩手日報」)―。加計学園の渡辺良人事務局長が5月31日、初めて舞台から降り、猿芝居の裏話を披露した。こんな見え透いた「嘘」をだれか信じる者がいるだろうか。しどろもどろの応答を繰り返す、この事務局長のおどおどした姿を見ながら、「ふと思った」のは当方のほうだった。「この人もいずれ、表舞台から消える運命にあるのだろうな」―。私たちは「悪だくみ」の面々から目を背けてはならない。

 

 一方、森友学園をめぐる一連の問題で、大阪地検特捜部は告発された佐川宣寿・前財務省理財局長ら38人全員の不起訴を決めた。告発した弁護士らは「検察までも安倍一強に怯(おび)え、忖度(そんたく)し、罪に問える証拠があるのに、あれこれの屁理屈で無罪放免にした」(1日付「朝日新聞)と批判した。その一強に君臨するのが5年前、東京五輪招致のために「(福島原発事故は)アンダ-コントロ-ルされている」とうそぶいた危機管理のトップーそう、安倍首相その人である。弱冠20歳のアメフト選手がこうした「悪だくみ」に一矢を報いた。まだ、あきらめるのは早い。

 

 新渡戸稲造の『武士道』(奈良本辰也訳)は「忠義」について、こう述べている。「忖度(そんたく)」をこれほど的確に言い当てた言葉をほかには知らない。

 

 「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にする者に対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣(ねいしん)』すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣(ちょうしん)』すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」ー。

 

 

 

 (写真は加計理事長(左)と安倍首相。その口元にご注目!?=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

2018.06.02:masuko:コメント(0):[身辺報告]

日本列島…ついにメルトダウン

  • 日本列島…ついにメルトダウン

 

 

 「空気」から「気配」へ―。「忖度(そんたく)」の生みの親となった「KY」(空気を読む&読まない)だったが、最近はその空気さえ希薄になり、この世に充満しているのは「気配」なのだという。善と悪、加害と被害、有と無、…こんな対抗原理がある日突然、入れ替わっていることに気が付く。犯人はどうもこの気配という代物みたいである。“潮目”はあの「トイレ」事件ではなかったかと私はにらんでいる。

 

 5月14日の衆院・予算委員会―。野党議員が「加計学園」問題を追及していた時、安倍晋三首相がトイレ休憩を求めた。突然の要求に委員会室に「え~っ」という声があがった。「トイレにも行けないなんて、総理はかわいそう」―。この場面がテレビに映されると、ネット上にこんな声が行き交った。野党による「首相いじめ」という構図である。「森友・加計」問題で“疑惑”の渦中に置かれていた安倍首相がいじめの被害者に入れ替わった瞬間だった。記憶や記録がないという理由で「あった」ことが「なかった」ことにされ、後に「実はあったこと」が判明すると、その中身は改竄(かいざん)され……と卒倒してしまいそうな永田町劇を毎日のように見せつけられる日々だが、今度は本当に卒倒してしまった。

 

 加計学園の加計孝太郎理事長と安倍首相が面会したことを示す文書が愛媛県に残っていた問題で、当然のことながら双方は面会の事実を否定し続けてきた。いわゆる「愛媛県」文書には「加計理事長は国際水準の獣医学教育を目指す」と語り、「そういう考えはいいね」と安倍首相が応じた―という内容が記されていた。ところが、今月28日の衆参の予算委員会を前にした26日、加計学園側から「実はあの面会はなかった。獣医学部の誘致を有利に進めるための作り話だった」というメ-ルが報道機関に一方的に流された。そもそも「なかった」ことがあたかも「あった」ことのようにねつ造されたという珍事である。逆もまた真なり―。面会の事実を認めてしまったことに気が付かない「架空面会劇」…間抜けな“猿芝居”ではある。もう、卒倒するしかない。

 

 「首相とあたかも関係があるような説明をして、認可や補助金を得ようとする学校法人がいます。ご注意を」―。まずは首相官邸ホ-ムペ-ジでこう警告してはどうか、と朝日新聞の「天声人語」(28日付)が皮肉っていたが、事態はそう甘くはない。一方、地元・岩手日報の「風土計」(29日付)はダンテの『神曲』(地獄篇)を引き合いに出しながら、こう書いた。「究極のうそつきには、うそと真実の境界がない。自分の言葉で自分をだましてしまう」。マスコミの格好のネタ―「飛んで火に入る夏の虫」…とはこのことか。

 

 医師の鎌田實さんは自著『空気は読まない』の中にこう書いている。「空気は、人に、街に、時代に伝染する。じわじわ広がり、いつの間にか、気分を高揚させたり停滞させたりする。ときには、景気さえ左右し、経済を動かす。ときには、国を間違った方向に動かす。ときには、人間の行動や生き方までも、操っていく。まわりから浮きたくないと、必死で空気を読む。空気にとらわれる。結局、小さな生き方から出られない。気概を忘れていく。気が抜けていく。心が鬱々(うつうつ)としてくる。空気に流されるな。空気をつくり出せ。空気をよどますな。空気をかきまわせ。それが新しい生き方になる。それが新しい時代をつくり出す。信じていい。空気は…読まない」―。

 

  一方、「気配」の生みの親であるフリ-ライタ-の武田砂鉄さんは近著『日本の気配』の冒頭にこう記している。「本書のタイトルは『日本の気配』である。なぜ、空気ではなく、気配なのか。空気読めよ、とは言われるが、気配読めよ、とは言われない。気配なんて読めないからだ。今、政治を動かす面々は、もはや世の中の『空気』を怖がらなくなったように思える。反対意見を『何でも反対してくる人たち』と片せば、世の中の空気ってものを統率できる、と自信に満ち満ちている。『空気』として周知される前段階を『気配』とするならば、その気配から探りを入れてくる。管理しようと試みる。差し出された提案に隷従する私たちは、『気配』から生み出される『空気』をそのまま受け流す」(本書より)

 

 武田本の帯にはこうもある。「『空気』が支配する国だった日本の病状がさらに進み、いまや誰もが『気配』を察知することで自縛(じばく)・自爆する時代に?『空気』を悪用して開き直る政治家たちと、そのメッセ-ジを先取りする『気配』に身をゆだねる私たち」―これを称して、私は「メルトダウン」…国家の炉心溶融(ろしんようゆう)と呼びたい。

 

 ナチスドイツの宣伝相、ヨ-ゼフ・ゲッベルスはかつて、こう言い放った。「嘘も百回繰り返せば、真実になる」、「小さな嘘より大きな嘘に、大衆は騙(だま)される」―。

 

 

(写真は社会を読み解く鎌田本と武田本。いずれも現代ニッポンの危うさに警告を与える)

 

 

 

 

 

2018.05.29:masuko:コメント(0):[身辺報告]

“国体”は海を渡ってやってきた

  • “国体”は海を渡ってやってきた

 

 「菊(天皇)が戦前の国体だったとすれば、戦後の国体は星条旗(アメリカ)だった」―。明治維新から現代に至るまでの歴史を「国体」をキ-ワ-ドにして分析した『国体論―菊と星条旗』が注目を集めている。著者の政治学者、白井聡さんは4年前、『永続敗戦論』で敗戦の事実を否定する戦後史を白日の下にさらしたが、今回はそれを国体という概念でさらに詳細に検証している。そのスリリングな展開は本書に譲るとして、私が目を奪われたのは戦前と戦後の国体がともに沖縄を最初から埒外(らちがい)に置いていたという指摘である。先の大戦で「捨て石」にされ、いまなお米軍基地の重圧に苦しむ現実がそのことを如実に示している。

 

 「沖縄は『戦後の国体』が国民統合の機能を果たす際に、あらかじめ除外されると同時に、それが機能するために絶対に不可欠な役割を負わされた。ゆえに、『戦後の国体』、すなわち世界に類を見ない特殊な対米従属体制が国民の統合をむしろ破壊する段階に至ったいま、その矛盾が凝縮された場所=沖縄において、日本全体が逢着している国民統合の危機が最も先鋭なかたちで現れているのである」―。白井さんは沖縄の置かれた位置をずばり、こう表現している。平和憲法(戦争の放棄と象徴天皇制)―日米安保(と日米地位協定)―沖縄の犠牲(巨大な米軍基地化)……この「三位一体」が戦後の国体を根っこで支えているという論法である。

 

 作家の池澤夏樹さんは同書の書評を「沖縄は何か罰を受けているのではないだろうか」と書き出し、こう続けている。「広大な基地を押しつけられ、軍用機の騒音と米軍人の犯罪に苛(さいな)まれ、土人呼ばわりされ、あからさまに侮蔑される。異議を申し立てればまた叩(たた)かれる。これが罰でなくて何だろう。問題はいかなる罪に対する罰かということだ」(5月2日付「朝日新聞」)―。これに対する回答が「異様なる隷属」と白井さんが呼ぶ、身売りとも思える「星条旗」信仰であろう。つまり、罰せられるべきは本土の側であるという逆説である。でもなぜ、こんなことになったのか。

 

 私の場合、”アメリカ”は鼻先からやってきた。嗅(か)いだこともない、人をおびき寄せるような不思議な匂いだった。それがチョコレ-トやチュ-インガムだということがやがて、分かった。「ヘイ!カモン、ボ-イ」―。「鬼畜米英」に父親を奪われたはずの私はいつしか、進駐軍のジ-プを追い回すようになっていた。そんな光景が焼け跡のあちこちに出現した。戦後アメリカの占領政策が戦前の天皇の実質的な“退位”(象徴天皇制)と憲法9条(戦争の放棄)との引き換えによって、幕を開けたことは歴史が証明する通りである。しかしその後、肥大化の一途をたどる対米従属体制を国民全体で支え続けた正体こそが「アメリカの匂い」(豊かさ)ではなかったのか。当然のことながら、「沖縄抜きで」という留保付きで―。

 

 東京ディズニ-ランドが開園したのは35年前の1983年である。誘致先として当時、静岡県の富士山ろくに広大な土地を持つ三菱地所と、千葉県浦安市の埋め立て地を押さえる三井不動産がしのぎを削っていた。ディズニ-側の選択は周知のように「浦安」だった。『東京ディズニ-ランドの神話学』(桂英史著)にこんな記述がある。「ディズニ-ランドを訪れる人々が富士山を目の当たりにすることは、ディズニ-側にとっては明らかにデメリットである。ディズニ-ランドは、ゲストの目に見えるものすべてがディズニ-というブランドを背負ったキャラクタ-でなければならなかった」―。まるごとのアメリカナイズ(「日本=霊峰富士」隠し)である。

 

 白井さんは戦後の国体を「アメリカの日本」(占領期)→「アメリカなき日本」(安定期=ジャパン・アズ・ナンバ-ワン)→「日本のアメリカ」(現在の盲従的な対米姿勢)の三段階に分類している。集団的自衛権の行使容認、安保法制の制定、自衛隊の存在を明記した憲法改正案…。米国側の直接的な圧力がないにもかかわらずに、まるで“人身御供”(ひとみごくう)さながらの対米従属が第三段階の特色であろうか。

 

 「『お言葉』は何を語ったか」というタイトルで、『国体論』は書き始められている。2016年8月8日の「天皇」メッセ-ジについて、白井さんはこう記す。「語られることによって滲み出されたのは、今上天皇の持つ強い危機感であり、それは、煎じ詰めれば戦後民主主義の破壊・空洞化に対する危機感であった。『お言葉』によって明らかにされたのは、日本社会が解決済みとみなしてほとんど忘れ去っていた問いをめぐって、天皇その人が孤独な思索を続けてきたという事実ではなかったろうか」―。この危機感が「戦後の国体」の捨て石となった沖縄の地に向けられたことは言をまたない。現天皇(皇太子時代を含む)の沖縄訪問が実に11回に及んでいることが、そのことを雄弁に物語っている。

 

 池澤さんも前掲新聞記事をこう締めくくっている。「今上天皇の『お言葉』は退位の意思を通じて、機能する象徴天皇の姿を改めて国民の前に明示するものだった。動かなければならない。動いて、国民の傍らに膝(ひざ)をついて、祈る。弱き者の側につく。今上はそれを日本国憲法のもとにおける天皇の姿として、30年に亘(わた)って具現してきた。国体の頂点という危険な場所から距離を置くこと。貪欲(どんよく)な愚者どもの神輿(みこし)とならないこと。持てる者は放置して、何も持たない人々の側に身を置こう。天皇が働く場所は弱者の傍らしかない」

 

 「天皇制は嫌いだけれども、いまの天皇(今上天皇)は大好きだ」―。沖縄の地で「反戦」を叫ぶ彫刻家の金城実さん(79)の絞り出すような声がまだ、頭の片隅に刻み込まれている。戦後一度は”退位”させられたはずの天皇がいままさに、現代日本の危機(沖縄)を憂(うれ)いている。これ以上の歴史の皮肉があろうか。歴史は繰り返す…。「8・15」(1945年)はもうひとつの明治維新の始まりだったのかもしれない。

 

 

(写真は占領米兵のジ-プに群がる子どもたち。私もかつてはその一人だった=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

2018.05.23:masuko:コメント(0):[身辺報告]

“傷だらけの人生”と「記憶喪失症」研究

  • “傷だらけの人生”と「記憶喪失症」研究

 

 「古い奴だとお思いでしょうが/古い奴こそ、新しいものを欲しがるもんでございます/どこに新しいものがございましょう/生まれた土地は荒れ放題/今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」―。「魂の秘境」をさ迷い歩き、「イ-ハト-ブ」を散策して娑婆(しゃば)に戻ったとたん、こんな歌が口をついて出た。仁侠節は続く。「何から何まで、真っ暗闇よ/すじの通らぬことばかり/右を向いても、左を見ても/ばかと阿呆のからみあい/どこに男の夢がある」…。「いまの世情そのものだよなぁ」とボソボソとつぶきながら、そうご存じ、鶴田浩二の「傷だらけの人生」である。

 

 と、そんな鬱々(うつうつ)たる日々を送っていたある時、「市議に脅迫文、ネットに中傷」(5月9日付「西日本新聞」)という見出しが目に飛び込んできた。今年4月、北九州市で開かれた文部科学省の前川喜平・前事務次官らの講演会で、司会を務めた同市の無所属議員、村上聡子さん(52)に対し、講演会の前後からネット上で中傷の書き込みが相次ぎ、5月には事務所に「死ね」などと書かれた郵便物が送り付けられていた―という内容だった。前川氏はいわゆる「加計学園」問題をめぐって「総理のご意向」などと書かれた文書を暴露し、政府に反旗を翻したことで知られていた。

 

 その2カ月前、名古屋市内の中学校が前川氏を招いて公開授業を開催した際、文科省が市教委に対し、授業内容や録音デ-タの提出を求めていたことが明らかになった。照会メ-ルは2回にわたり、質問項目は計28項目に上った。「前川氏が出会い系バ-に出入りしたことが不適切だという報道がある。それも踏まえた上で、招いた判断をどう認識しているか」などという項目もあった。この問題について、当時の校長だった上井靖さんはこう語った。「修了式で今回の騒動に触れ、こう伝えました。『物事を判断するのは自分ですが、正しいと思い続けるのではなく、どんどん更新してください。いろんな考えの人の話を聞くことを大事にしてください』、と」(5月10日付「朝日新聞」)

 

 2日続きのこの記事が忘れかけていた“悪夢”を呼び覚ました。その顛末とは―。東日本大震災(2011年3月11日)が発生した半年後に開かれた花巻市議会6月定例会で、全国から寄せられた義援金の一部が市予算の歳入に計上されるという地方自治法違反(いわゆる「義援金流用」疑惑)が浮上した。当時、三陸沿岸で被災した千人以上が花巻市内の旅館やホテルに避難。審議が行われたその日は定員を超える被災者が傍聴に詰めかけ、成り行きを見守っていた。

 

 「さっさと帰れ」―。休憩に入った直後、革新系会派に属するある議員(故人)が突然、傍聴席に向かって、暴言を浴びせた。訴えを聞いた私はさっそく、真相の究明を議会サイドに求めた。当の議員は「言った覚えはない」とシラを切り続けた。事態は予想外の方向に進展した。「本人は記憶がないと言っている。傍聴者の聞き違いもないとは言えない」という理由で、社民党系会派(平和環境社民クラブ)と共産党所属の議員を正副とする「議員発言調査特別委員会」が正式に設置された。傍聴に来ていた被災者のうち10人が「ちゃんと聞こえた」と証言したにもかかわらず「確証は得られなかった」として、今度は同じメンバ-による「懲罰特別委員会」が発足した。半年後の12月定例会で、私は「議会の品位を汚した」という理由で戒告処分に処せられた。

 

 「朝日新聞出身の市議がネタ元で、ねつ造記事を朝日新聞に掲載する。ヤラセの臭いがプンプンしますわね」、「民主主義のル-ル、多数決の結論にも従わず暴言を続ける71歳の悪あがき」、「あなたのボランティア活動とやら、公職選挙法違反ですよ」、「議員なんて辞めて、お遍路にでも出た方が市民が喜ぶと思いますよ」、「他人の善意を我が物顔で分配するカリスマ議員。この方のボランティアって、もしかしたら究極の選挙活動、売名行為とちゃいますか」…。処分を受けるまでの半年間で、ブログに対する誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の書き込みは200件以上に達した。さながら、議会の内と外からの“集団リンチ”だった。あれから7年―。

 

 「私は部下を信じている。子どもの使いじゃない。職員の側に真意をねじ曲げるような動機はそもそもない」―。「加計学園」問題をめぐって、参考人招致された柳瀬唯夫・元首相秘書官は誘致先の愛媛県側が「ウソ」の証言をしているかのような答弁を重ねた。中村時広知事は毅然として、冒頭のように発言した。私はこの言葉を聞きながら、やっと7年目にして身の潔白を晴らしてもらったような気がした。

 

 あの当時、私も一貫して「被災者が『聞いてもいない』ことを『聞いた』と言い募る動機はまったくない」と主張した。しかし、議会側は「当該議員が被災者とグルになって芝居を演じていないとも限らない…」などと周囲に吹聴していたことを後で知った。自らの権威と体面を守るため、「あったこと」を「なかったこと」にするという不正義が、しかも革新系議員の主導で強引に推し進められたのである。私の処分に反対の意思表示をした議員はわずか2人だけだった。今回の「モリカケ」騒動と瓜二つの構図である。「品位を汚された」と臆面もなく口にする鉄面皮に、私は底知れない人品の腐敗を思い知らされたことをまざまざと思い出した。

 

 「嘘をつく人は、防御ラインを必要以上にあげ、より大きく嘘をつくものだ、と知っておくことも重要です。例えば、妻から浮気を追及された夫は『その日は女性と一緒に食事をしたが、浮気はしていない』と言えばいいのに、『その日は女性と会っていない』と言いがちです。しかし、過度に嘘をつけば、2人分の食事代が書かれたレシ-トなどで面会がばれ、しどろもどろになります」(5月11日付「朝日新聞」)―。「記憶喪失症」について、弁護士の亀石倫子さんはこう語っている。一連の論評の中でも群を抜く心理分析で、目からうろことはこのこと。でも、私ごとではないので、念のため…。

 

 「なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く…馬鹿な人間でございます」。仁侠節がまた、耳の奥に聞こえ始めた。目の前には市議の村上さんや前校長の上井さん、知事の中村さん、そして前川喜平・前文科事務次官の晴れがましい顔が見え隠れする。そりゃ、そうだ。世の中、ウソつきばっかしじゃねえってことさ。いつの間にかこっちも仁侠口調になってきた。「好いた惚れたは/もともと心が決めるもの/ひとつの心に、重なる心/それが恋なら、それもよし…」―。鶴田浩二はまだ、唸(うな)っている。「嘘は泥棒の始まり」、いや「嘘から出たまこと」と言うべきか。「傷だらけのニッポン」が目の前でのたうち回っている。

 

 

 

(写真は懐かしい「傷だらけの人生」のジャケット=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

2018.05.17:masuko:コメント(0):[身辺報告]
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