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宮沢賢治賞・イ-ハト-ブ賞

  • 宮沢賢治賞・イ-ハト-ブ賞

 第27回宮沢賢治賞とイ-ハト-ブ賞の授賞式が22日花巻市内で行われ、東京経済大学名誉教授で歴史家の色川大吉さん(92)がイ-ハト-ブ賞に選ばれた。また、インド・コルタカ市の「重症心身障がい児施設」で無償のボランティア活動を続けている澁谷りつ子さん、山形市を中心に賢治作品の合唱に取り組んできた「合唱団じゃがいも」にそれぞれ同賞奨励賞が贈られた。また、2年前に新設された「イーハトーブセンター」功労賞には賢治作品の鑑賞や追体験を続けている「雫石と宮沢賢治を語る会」が選ばれた。宮沢賢治賞は該当者が辞退したため、今回の受賞は見送られた。

 

 色川さんは明治期の民衆による憲法草案の発掘など民衆・精神史家として知られる。太平洋戦争当時、学徒動員令で入隊。この時の経験がその後の歴史家としての道を決めた。記念講演の中で、色川さんは賢治の『烏の北斗七星』に触れた。同世代の東大生、佐々木八郎(当時22歳)は敗戦の年の4月14日、特攻隊員として沖縄の海上で戦死した。この作品を引用して、佐々木は“遺書”をしたためている。「ああ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」(『新版 きけ わだつみのこえ』所収)

 

 佐々木の思いに自分を重ねながら、色川さんはこう語った。「この言葉は当時の時代思潮とは明らかに矛盾していたのに、私の胸中深く沁みわたった。戦後、宮沢賢治は再注目され、何十万という愛読者を持ったが、その前兆は戦時中にあらわれていたのである」。私の手元に「歴史家の見た宮沢賢治」と題する講演録がある。22年前、色川さんが講演した記録である。こんなことが書かれている。

 

 「(賢治の作品は)花巻、岩手、イ-ハト-ヴォ、そしていきなり銀河系宇宙に飛んじゃうんですから…。反戦思想にはならないけれども、非戦思想の拠り所ではあったと思う」―。「非戦」こそが「反戦」に先行する…色川さんはそのことの大切さを教えたかったのだと思う。佐々木は“遺書”の結びにこう記している。「しかし僕の気持ちはもっとヒュ-マニスティックなもの、宮沢賢治の烏と同じようなものなのだ。憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ」

 

 色川さんの著作を愛読してきた一人として、一貫してぶれないその姿勢に背中を押される思いがした。

 

(写真は年齢を感じさせない迫力で話を進める色川さん=9月22日、JR花巻駅前のなはんプラザで)

2017.09.22:masuko:コメント(0):[身辺報告]

賢治の命日よそに、当局と議会が打ち上げ(宴会)

  • 賢治の命日よそに、当局と議会が打ち上げ(宴会)

 

 「9・21」は花巻にとって、きわめて意義のある日である。当市がまちの将来像に掲げる「イ-ハト-ブ」(はなまき)は「夢の国」とか「理想郷」を意味し、その名付け親は地元出身の童話作家で詩人の宮沢賢治である。ちょうどその85回忌に当たるこの日、賢治詩碑前で行われた「賢治祭」には外国人を含む愛好家が全国から集い、賢治作品の朗読や地元小中高生などによる野外劇、郷土芸能などを鑑賞、37年という短い人生をしのんだ。この日、好天に恵まれた詩碑前の広場には星が降るように注ぎ、かがり火を囲んだ“語らい”が深更(しんこう)まで続いた。夢や希望を乗せた「イ-ハト-ブ号」が銀河宇宙の天空にぽっかり、浮かんでいるように見えた。

 

 この日はたまたま、花巻市議会9月定例会の最終日にぶつかっていた。「核兵器禁止条約」の署名・批准を求める請願書が9月11日開催の総務常任委員会(阿部一男委員長ら6人)で不採択になったのを受け、最終日の本会議で採決が行われた。私は委員会レベルでの議論の経緯について、「今回の条約では唯一の被爆国である広島や長崎の悲劇を直截(ちょくせつ)に『ヒバクシャ』と表現している。その意味では日本こそが条約実現の先頭に立つべきだ」と話し、この日にちなんで、あの有名な惹句(じゃっく)をメッセ-ジに託すように訴えた。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない/自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」(『農民芸術概論綱要』)。採決の結果、請願は賛成14:反対10で逆転採択となった。

 

 秋の冷気が肌を刺し始めた午後4時すぎ―。詩碑前には花束を手にした人たちが長い列を作っていた。見上げるような石碑には彫刻家の高村光太郎の筆になる「雨ニモマケズ」の一節が刻まれている。上田東一市長も献花し、「賢治さんに対する思いを新たにしていただきたい」とあいさつした。近くの南城小学校4年生62人による「ポラ-ノの広場の歌」の大合唱、花巻南高校演劇部による「どんぐりと山猫」…。花巻農業高校鹿踊り部が披露する「一番庭」で雰囲気は最高潮に。踊り終わった9人が素顔を見せると、全員が女子部員…会場は割れるような拍手に包まれた。

 

 一方、9月定例会最終日には当局と議会との間で“打ち上げ”を兼ねた懇親会が開かれるのが恒例となっている。上田市長も一足早く、賢治祭の会場を後にした。質疑で激論を交わした双方が反省点も含めて交流するのは有意義なことである。私もこれまで欠かさずに参加してきた。ところが、今年は運が悪いことにこの二つの”節目“が重なってしまった。もてなす側の“主役”を欠きながら、賢治をしのぶイベントは淡々と進んでいった。「沈黙は金なり」、「物言えば唇寒し」…。一部の関係職員を除き、主役たちが姿を見せることは最後までなかった。

 

 「私にとって、賢治さんとは」―。車座になった人たちがかがり火に照らされながら、思い思いの「賢治像」を語り始めた。賢治没後50周年を記念してオ-プンした「宮沢賢治記念館」は同種の賢人顕彰施設の中では異例の人気を維持し、ピ-ク時の平成18年度の一日当たりの入館者数は500人を超えた。「賢治さんに支えられて人生を生きてきた」、「目標を失った現代社会で必要とされているのはまさに、賢治精神ではないのか」…。一途でまっすぐな表白を耳に聞きながら、私はふと思った。「命日を変えることはできない。打ち上げの日程を前後にずらすような配慮は働かなかったのだろうか」―。

 

 雌雄(しゆう)を決する覚悟で臨んだ今回の9月定例会での光景が浮かんでは消えた。私の質問は「コンプライアンス」(法令遵守)一本に絞られた感があった。事実、法に抵触するような事案が次々に明らかになった。当局と議会の役割を規定した「二元代表制」が今まさに「一輪車」と化している現実を、元総務大臣で鳥取県知事を務めた片山善博・早稲田大学教授は以下のように厳しく論難した。私は一般質問の締めくくりにその文章を借用した。

 

 「『(車の)両輪』は車軸で繋がっているが、通常二つの『車輪』には適度な距離がある。距離があるからこそ、そこに異論や反論の入り込む余地がある。そんな異論や反論を交えて議論したり、そこから合意を形成したりすることで、『両輪』は安定して前に進むことができる。ところが、現実の多くの(ほとんどの)自治体では、『両輪』の間にほとんど距離がない。ぴったりくっついている。そこには異論や反論の入り込む隙間がない。したがって、議論もない。これを一体化と言ってもいいが、癒着と言う方がわかりやすい。両輪が癒着した『一輪車』である。『一輪車』と化した議会ではまともな議論を欠いたまま、執行部が提案した議案はすべて無傷で可決される。何ごとも人目につかない所で決められていて、表の議場では質問者と首長が原稿を整然と読み合う儀式が繰り広げられる。これを筆者は『八百長』と『学芸会』だ批判した」(『世界』2016年12月号)
 

 秋の虫たちのすだきが大きくなってきた。この地の冷え込みは一足飛びにやってくる。かがり火に手をかざすと遠くの方にほてった光景が点滅していた。「一輪車」談議に花を咲かせる市の幹部職員や議員たちの姿がちらついた。賢治作品をペルシャ語に翻訳しているイラン人女性、賢治の思想性を研究している中国人女性、校内放送でこの日のイベントを知り、隣の北上市から自転車を漕いで駆けつけたという高校3年生…。賢治への思いを語った全国からのファンは25人以上にのぼった。目の前では国際色豊かな「賢治」談議に一段と熱がこもってきたようである。

 

(写真は全員が女性部員という花巻農業高校の鹿(しし)踊りの勇壮な演舞=9月21日午後7時すぎ、花巻市桜町4丁目の賢治詩碑前で)

 

 

2017.09.21:masuko:コメント(0):[身辺報告]

新興跡地が競売へ―活用計画がとん挫

  • 新興跡地が競売へ―活用計画がとん挫

 「新興跡地」問題が浮上してから、早や3年。その昔、この一帯にはまちの歴史を刻んできた花巻城址があった。中心市街地の一角を占めるその場所にはいま、建物解体に伴う廃棄物がうず高く積まれたまま、放置されている。快晴に恵まれた花巻まつりには8日からの3日間、ふるさとに戻ってきた人並みがあふれた。多くの人はまちのシンボルでもあった城跡にまで足を運び、その無残な姿に顔を曇らせた。「まちの活性化にぜひ、役立てて…」という期待を裏切るように、由緒あるこの跡地が競売に付されたことを市民のほとんどには知らされていない。

 盛岡地方裁判所花巻支部は8月18日付で「期間入札」の公告をした。入札期間は9月6日から同13日まで。開札期日は9月19日、売却決定期日は同26日となっており、評価額は115,740,000円。この跡地問題をめぐっては平成26年12月、所有者の新興製作所から市側に「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)に基づいた売買の届け出がなされた。公共用地の拡大を優先させる法律で、実際の譲渡価格は100万円だった。これに対し、上田東一市長は「建物の解体費用に6億円以上が見込まれる」として、かつて「東公園」として市民に開放されていた上部平坦地の部分譲渡を申し入れたが、相手側がこれを拒否、話し合いは決裂した。この間、市民有志は「新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会を開催したが、市側の考えを翻意されるまでには至らなかった。

 その後、仙台市内の不動産業者が一括購入し、解体業者に工事を依頼した。ところが、平成28年10月、工事代金の支払いをめぐって双方が対立し、建物の解体が終わった段階で工事は中止された。裁判でも決着は付かないまま、今回の競売という最悪の事態に持ち込まれた。この取引については、市側も当初「不動産業者の思惑に不透明な点がある」と懸念を示していた。一方の不動産業者は「一帯が更地になった段階で、パチンコ店とホ-ムセンタ-を立地する」と発表。議会内部でも「野ざらしにしておくよりもパチンコ店でも何でも活性化を模索すべきだ」という意見が大勢を占め、市側も「アスベストを含む建物が解体されるのはむしろ喜ばしい」(上田市長)と方向を転換した。

 「市側に応札する考えはない。仮に買い戻すことにしたとしても上部平坦地の取り崩しや埋蔵文化財の調査などに10億もの費用が見込まれる。該当地の将来計画には全くメドが立っていない。しかし、右往左往はしない。市民の税金を無駄に使うわけにはいかない」―。上田市長は開会中の9月定例会でこう答弁し、続けた。「この二の舞を繰り返してはならない。中心商店街(上町)の不良物件(空き家)を撤去し、いま災害公営住宅の建設を計画している。これこそが街なかの活性化に直結する施策だ。だから、政治決断をした」

 「政治決断」!?―この言葉に思わず、腰を浮かしてしまった。競売が不調に終わってしまった場合、国道4号線沿いに広がる残骸の山は否応なく多くの人々の目にさらされることになり、現時点ではその可能性が高いと思われる。粉じん飛散による健康被害の心配はないのか。景観保全は欠かせない行政の重要課題ではないのか―。平成27年3月定例会に議員有志(6人)が提出した「花巻城址周辺景観保全条例」は反対多数で否決されるという憂き目にあった。いかなる困難な状況下でも、いや、そんな状況にあるときこそ、行政トップが責任を持って決断すること―。私は「政治決断」をこれまでそのように理解してきた。

 ふと、「牽強付会」(けんきょうふかい)という言葉が口元に浮かんだ。「自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること」という意味である。市民総決起大会の決議文にはこう記されていた。「あきらめるのはまだ早い。駄目か、駄目じゃないか。やって見なければ判らない。花巻百年の大計のために、我われの祖先のためにもう一度やろうじゃないか」―。昭和60年、全国で初めて全額地元負担で開業にこぎつけた「請願駅」(東北新幹線新花巻駅)。現代版「百姓一揆」と呼ばれた、その運動の先頭に立ち続けた小原甚之助(故人)の“檄”(げき)である。この一大事業に政治決断を下したのが、当時の町長、藤田万之助(故人)だった。遠方からの旅行客のほとんどはいま、この駅に降り立つ。


(写真は”塩漬け”状態のまま、放置されることが懸念される新興跡地。コンクリ—トガラが山積みとなり、雑草が背丈を伸ばしている=花巻市御田屋町で)


2017.09.10:masuko:コメント(0):[身辺報告]

Atomic-Bear(アトミック・ベア)

  • Atomic-Bear(アトミック・ベア)

 足元が揺れたと思ったら、耳をつんざくような轟音が頭上に広がった。悲鳴を上げ、誰かがしがみついている。ふり向くと、それはわが妻である―。かつて、小川原湖の自然や核燃施設などのドキュメンタリ-映画を手がけた友人の映画監督と数年ぶりに隣県の青森県に出かけた。高速道路を利用すると、わずか2時間半ほどの距離である。タッチアンドゴ-(離着陸同時訓練)を繰り返すジェット戦闘機…。たとえば、沖縄の嘉手納飛行場や普天間飛行場では当たり前のような、既視(聴)感のある光景や爆音だが、ここは本州北端の基地の町である。怯(おび)えたような妻の表情は遥か南の島では日常そのものである。この気の遠くなるような懸隔(けんかく)―。

 中核市の三沢市の四分の一(約25%)を占めるのは在日米軍(主力は空軍)「三沢基地」である。ちなみに、「辺野古」新基地建設やオスプレイ離着陸帯などの建設に翻弄(ほんろう)される沖縄県の約70%に比べ、ここは全国で第2位、本州最大の規模である。戦前、旧日本軍の空の拠点として整備され、戦後にアメリカ軍に接収された。米ソの冷戦構造をへて現在に至っており、航空自衛隊と民間航空が利用する共用施設でもある。生物多様性の宝庫ともいわれる小河原湖の白波の遥か向こうにゴルフボ-ルみたいな造形物が見えた。かつて、“象のオリ”と呼ばれた通信傍受用の巨大アンテナ群に代わって、登場したレ-ダ-サイトである。

 「本来、あるべきものが、ここにはない」―。南に向けられた目に焼き付いた、たとえば、基地反対を訴える抗議の姿がここにはない。そのことに虚を突かれた思いがした。日常と非日常の逆転劇…。案内役を買ってくれた元教員で郷土史家の川村正さん(70)が低い声でつぶやいた。「慣れって、本当に恐ろしいですね。かつては見たこともなかった光景がいつの間にか目になじんでくるというか…」。基地からほど近い場所に川村さんが手塩にかけた「歴史民俗資料館」があった。北日本最古の土偶、縄文晩期の彩色土器、そしてアイヌの影響が見られる擦文(さつもん)土器…。約2万年前から続く歴史の息遣いが伝わってきた。「基地の下は縄文だらけ。まさに原始から原子まで…。さぁ、行きましょうか」と川村さんは私たちを促した。

 北上して小一時間、突然、目の前に異様な光景が現れた。ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センタ-、再処理工場…。日本原燃(KK)が六ヶ所村に立地した”核燃”施設である。私が異様に感じたのはこれらの施設というよりも、それをぐるりと取り囲む風力発電の余りにも不釣り合いな風景だった。「アトムから自然エネルギ-へ!?」。この地方特有の風―「やませ」を利用してクルクル回る巨大風車をぼんやりと眺めていると、川村さんが一瞬、耳を疑うようなことを口にした。「実は原燃のこの敷地内には三匹のくまが住みついているんです。ある時は非常階段をよじ登って、屋上に現われたり…」―。

 しばらく、キョトンとしていた私は次の瞬間、ある小説を思い出した。作家の川上弘美さんの『神様/2011』(2011年9月)である。前作『神様』(1993年)を下敷きにしたリメイク作品だが、東日本大震災と福島第一原発事故(3・11)以来のさまざまな出来事が二つの作品に決定的な亀裂を生じさせている。両作品とも「くまにさそわれて散歩に出る」という書き出しで始まる。そのくまは最近、三つ隣の305号室に引っ越してきたばかり。散歩というよりはハイキングの方がぴったりする。行き先は歩いて20分ほどの川原。そこでは多くの人たちが泳いだり、釣りを楽しんだりしている。

 くまは突然、川に入り込み、魚を手づかみする。「今日の記念に」と言って、用意してきた粗塩を振りかけ、手際よく干物に仕上げる。2人は一緒に昼食を取り、少し昼寝をする。散歩を終えた別れ際、くまは遠慮がちに言う。「抱擁を交わしていただけますか。親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです」。互いに抱擁し、2人はそれぞれの部屋に引き返す。くまとの隔たりのなさといい、のんびりとした川原の光景といい…心象に記憶されてきた懐かしいたたずまいが眼前に広がっていく。

 ところが、後作ではその光景が一変する。道中、防護服と防塵マスクで身を固めた作業員が目立ち、家族連れが多かった川原に子どもの姿はない。「くまは、ストロンチウムにも、プルトニウムにも強いんだってな」と防護服がつぶやく。袋の中からガイガ-カウンタ-を取り出したくまが、お互いの放射線量を計測する。いつものように抱擁の儀式を終えた「わたし」は寝る前に総被爆線量を計算するのを忘れない。作者はあとがきこう書いている。「原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常は続いてゆく、けれどもその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました」

 何とも名状しがたい複雑な気持ちを抱きながら、私たちは原子力村(六ヶ所村)を後にし、下北半島を目指した。向かう先の標識には「恐山」と書かれていた。死者の霊が集まる霊山である。この半島にも東通原発の建設が予定されている。とその時、原燃職員が三匹のくまたちの被ばく線量を測定している場面が目の前に去来した。いや、そんな錯覚にとらわれたのである。錯誤であることを私は祈った。遠いオキナワではなく、その光景は背中合わせの場所にいまもあり続けている。爆音を引きずりながら、さっきのジェット戦闘機は太平洋のかなたに機影を消した。


(写真は核燃施設の周辺には風力発電が林立。風車が強い風を受けて回っていた=8月25日、青森県六ヶ所村で)

2017.08.27:masuko:コメント(1):[身辺報告]

オキナワって、どんなトコ?

  • オキナワって、どんなトコ?

 「ちゅらさん」~16年前のNHK朝ドラを覚えていますか?きれいな海に美味しい食べ物、陽気でやさしく、家族思いの人たち…。じっさい沖縄に行くと「ホントだ!」って感じること間違いなしです。でも、チョット注意しながら歩くと「アレッ!」と感じるのもホントです。広々と広がる米軍基地の周りにギュウギュウ建ち並ぶ民家…。美しい森や住宅街の上を夜昼かまわず爆音を響かせて飛ぶ軍用機…。どうしてかなぁ~~チョット一緒に考えてみませんか―。そのチラシにこう書かれていた。肩ひじ張らない文面が気に入った。さっそく、参加を申し込んだ。

 表題のイベントを企画したのはフェアトレ-ド・ショップ「おいものせなか」(花巻市上小舟渡)を経営する新田史実子さん。「フェアトレ-ド」(公平貿易)とは、アジア諸国など発展途上国で作られた作物や製品を適正な価格で継続的に取引することによって、生産者の持続的な生活向上を支える仕組み。来年には開店25周年を迎えるが、この間、幅広い様々なイベントを催し、先月中旬には伝説の報道カメラマンと言われた福島菊次郎さん(故人)の一生を描いたドキュメンタリ-映画「ニッポンの嘘」の上映会を開いた。今回の勉強会は今月19日に予定されていた。

 「必ず、来てくださいね。どうして、こんなに無関心なんですか、沖縄って」―。イベント2日前に新田さんから電話が入った。この時点での参加希望者がわずか1人なのだという。「あきらめない、あきらめない。ヤマト(本土)の総体がほとんど無関心なんだから。たった一人から始めるつもりでなきゃ」と慰めたり、励ましたり…。残り2日間の電話攻勢が功を奏し、当日は予想を上回る16人が県内各地からかけつけた。「もう、オキナワはやめようかなと…」。こんな弱音を吐いていた新田さんがニコニコ笑っている。この日の講師は盛岡在住の牧師で、沖縄通の中原眞澄さん(70)。沖縄の受難史と現在の米軍基地の実態について、映像と資料をもとに説明し、こう問うた。

 「ヤンバルクイナ(沖縄北部にだけ生息する固有種の鳥、国の天然記念物)がもし、タンチョウ(丹頂鶴、国の特別天然記念物)だったなら、(国は生息地の)釧路湿原(北海道)に基地を造るだろうか」―。ヘリパット着陸帯の建設や「辺野古」新基地建設をこんな喩(たと)え話に託して、中原さんは沖縄に米軍基地が置かれている状況を分りやすく説明した。「でも、国が釧路湿原をつぶさないことに内心、ホット胸をなで下ろしているのは他ならない、私たち(ヤマトンチュ)ではないですか」と私は尋ねた。「だからこそ、他人事ではない、人間としての共感力と想像力が私たちには求められています」。中原さんはこう話し、続けた。「私は東日本大震災に遭遇するまでは沖縄の問題をそれほど、深刻には考えていなかった。その点、この岩手の地には震災だけではなく、ヤマトに侵略された過去の記憶が刻まれている。その分、沖縄に近い位置関係にある」

 携帯電話がブルブルッと着信を伝えた。午後2時26分―席を外して画面を見ると、敬愛する沖縄・読谷村在住の彫刻家、金城実さん(78)からだった。近況を知らせた手紙への返礼の電話だった。「いま、ちょうど沖縄のことを話している最中だったんですよ。不思議ですね」と言うと、受話器の向こうから真っ白いあごひげを震わせた豪傑笑いが耳元に響いた。「分っていたんだよ。芸術家というかオキナワ人の勘(かん)だよ。全部、お見通しさ」―。「偶然にしてもできすぎだね」と言わないところが、この長老のふところの深さと言うべきか。新田さんにこのことを伝えると、「鳥肌が立つ話ですね。オキナワ、またやろうっと」。2日前の萎(しお)れようはどこ吹く風…。それにしても何とも摩訶(まか)不思議で、楽しい一日ではあった。


(写真はこじんまりした「沖縄勉強会」―隗(かい)より始めよ=8月19日午後、花巻市内の「おいものせなか」で)

2017.08.22:masuko:コメント(0):[身辺報告]
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