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父から学んだこと~父、故中村哲への追悼への感謝と思い出

  • 父から学んだこと~父、故中村哲への追悼への感謝と思い出

 

 テロの銃弾で犠牲になった医師の故中村哲さん(享年73)の告別式が11日、福岡市内の斎場で執り行われ、親族を代表して長男の健さんが「父から学んだこと」という内容の弔辞を読み上げた。人柄が偲ばれる文章なので、以下に全文を掲載する(12日付「西日本新聞」から)

 

 

 この度の父・中村哲の訃報に際し、親族を代表いたしまして、皆様へご挨拶をさせていただきたく存じます。私は故人の長男で健と申します。最初に申し上げたいのは、父を守るために亡くなられたアフガニスタンの運転手の方・警備の方そして残されたご家族・ご親族の方々への追悼の想いです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。悔やんでも悔やみきれません。父ももし今この場にいたらきっとそのように思っているはずです。家族を代表し心よりお悔やみを申し上げます。私たち家族は今回の訃報に大きなショックと深い悲しみに苛まれました。しかし、多くの方々がともに悲しんで下さり、私たち家族へ多くの激励の言葉をかけて下さっています。本当に救われています。

 

 上皇様ご夫妻からのご弔意の賜わりをはじめ、いつもそばで父を支えてともに活動して下さり、これからも継続の意向を示してくださっているペシャワール会の皆様、アフガニスタン国での父の活動に賛同しご支援をいただいている大統領をはじめ政府関係の皆様、同じくアフガニスタン国の大変な環境にある作業現場の中で父とともに活動をしていただいているアフガニスタン国の国民の皆様、父の活動にご賛同いただきご支援をいただいている日本の皆様、そして今回の訃報から父を遠い異国に迎えに行くにあたり早急にそして最短の移動スケジュールでいけるようにご配慮していただき、宿泊先まで手配していただいた外務省・大使館・政府関係の職員の皆様、どんなに感謝しても足りません。父が今までもそして命がなくなってもなおアフガニスタンで活動ができるのも偏に皆様のご賛同・ご協力のおかげとしかいえません。

 

 また今回の事件で警察、航空会社、葬儀会社、保険会社に関わる皆様にはいつも私たち家族の気持ち・立場に立っていただいています。そして24時間、どんな時でも真摯な対応をしていただいています。私たち家族は、皆様のおかげで不安・悲しみの気持ちから本当に守られています。感謝しています。生前、父は山、川、植物、昆虫、動物をこの上なく愛する人でした。家ではいつも庭の手入れをしていました。私が子供の頃はよく一緒に山登りに連れて行ってもらいました。最近も、父とはよく一緒に山に登っていました。遊びに行くときは「できればみんなで行こうよ」、「みんなで行った方が楽しいよ」ということを言っていました。みんなと楽しみたいという考えの人でした。

 

 また父がアフガニスタンへ旅立つとき、私と2人きりで話す場面ではいつも「お母さんをよろしく」「家をたのんだ」「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました。その言葉に、父の家族への気遣い・思いを感じていました。今、思い返すと、父自身も余裕がない時もきっとあったはずです。いつも頭のどこかで家族のことを思ってくれている父でした。父の、自分のことよりも人を思う性格・どんなときも本質をみるという考えから出ていた言葉だったと思います。その言葉どおり背中でみせてくれていました。

 

 私自身が父から学んだことは、家族はもちろん人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです。私が20歳になる前はいつも怒られていました。「口先だけじゃなくて行動に示せ」と言われていました。「俺は行動しか信じない」と言っていました。父から学んだことは、行動で示したいと思います。この先の人生において自分がどんなに年を取っても父から学んだことをいつも心に残し、生きていきたいと思います。最後に親族を代表致しまして皆々様からの父と私たち家族へのご厚情に深く感謝いたします。

 

 

 

(写真は菊の花に囲まれた故中村さん=11日、福岡市内の斎場で。インターネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》~ホームレスの背中を押した故中村さん

 

 アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師(73)の言葉は、時に迷いながらも信念を持って活動する人たちの背中を押した。ホームレスを支援するNPO法人「抱樸(ほうぼく)」(北九州市八幡東区)の奥田知志理事長(56)もその一人。新米牧師だった約30年前に出会った際、嫉妬と尊敬の念が入り交じる複雑な感情で接したことを鮮明に覚えているという。舞台は違えど、中村さんの活動に同じ理念を感じてきた奥田さんは10日、「この悲しみを憎しみに変えてはいけない」と訴えた。

 

 中村さんが現地代表を務める福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」が発足した1983年、関西学院大1年だった奥田さんは大阪の釜ケ崎でホームレス支援を始めたばかり。中村さんと初めて出会ったのは90年、北九州市八幡東区の東八幡キリスト教会に赴任した時だった。中村さんも同じキリスト教徒。同教会の信徒たちがペシャワール会を支援しており、中村さんは94年ごろまで同教会で活動報告会を開いていた。

 

 報告会には80人もの支援者が詰め掛け、熱気にあふれていた。中村さんの話には圧倒された。パキスタンで、ハンセン病患者がはだしで歩いて傷を負い、血やうみが流れ出て症状が悪化するのを防ぐために、古タイヤでサンダルを作っているとの内容に、思わず聞き入った。それと比べて自分の活動を支援してくれるのは10人に満たない。「海外の支援は受けがいい。アフガンもいいが、日本の困窮者はどうする」と嫉妬心が頭をもたげた。同時に「病気を癒やすだけでなく、社会自体を変えていく。スケールが大きく、自分にはとてもできないことだと思った」。

 

 中村さんは仰ぎ見るような存在で、独特の「近寄りがたさ」も感じていた。講演会で何度も一緒になったが、短い言葉を交わす程度。2人で話し込むような機会はなかったが、その言葉は深く心に刻み込まれている。「生き方、言葉が僕の活動の励みだった」中村さんは報告会や講演会で、ペシャワール会の「誰も行かぬなら、我々が行く」という理念を繰り返し訴えた。ホームレス支援を始めた当初、奥田さんは「そんな支援に何の意味があるんですか」とよく聞かれた。ホームレスは「無に等しい存在」で誰も目を向けない。自分と中村さんの活動を重ね、通じるものを感じていたという。

 

 「頑張ってますか」。2016年9月、福岡市で開かれた講演会で一緒になり、そう声を掛けられた。中村さんの講演をじっくり聞いたのは、この時が最後になった。奥田さんは今、中村さんの死をこう受け止める。「中村先生は復讐(ふくしゅう)してくれとは言わない人だとみんな確信している。中村哲という人は、自分の命が、次の命につながっていくことを望んでいると思う。この悲しみを自分の生き方にどう生かしていくか。僕はどこに行くべきか考えていきたい」(12日付「西日本新聞」)

 

 

 

 

 

「さっさと帰れ!」発言から「被害者はどっちだ!」発言へ―そして、「私たちは忘れません」

  • 「さっさと帰れ!」発言から「被害者はどっちだ!」発言へ―そして、「私たちは忘れません」

 

 「被害者はどっちだ。男か女か、教えてくれろ!」―。これじゃ、まるであのイ-ハト-ブ劇場での“ドタバタ劇”の再演ではないかと、一瞬わが耳目を疑った。ロ-マ・カトリック教会のフランシスコ教皇が核廃絶のメッセ-ジを発した被爆地・長崎市議会で起きた“暴言”騒動の一幕である。8年前、東日本大震災(2011年)直後の花巻市議会6月定例会で、私自身が当事者として経験した“悪夢”がふたたび、繰り返された。こんな矢先、アフガニスタンでテロの銃弾に斃(たお)れた医師、中村哲さん(享年73歳=12月4日付当ブログ参照)の訃報が飛び込んできた。ひょっとしたら、中村さんを「殺した」責任は私たちの側にも潜んでいるのではないのか…そんな唐突な思いが体を射抜いたように感じた。まずは「平和と人権」を市政の柱に掲げるかの地での事の発端から―

 

 もう12年も前のこと…こともあろうに、原爆被爆対策部長(当時)が取材中の女性記者に性暴力を振るうという信じられない事件が発生した。被害者から人権救済の申立を受けた日本弁護士連合会は「人権侵害」と認定し、謝罪や再発防止を勧告してきた。しかし、市側が不誠実な対応をとり続けたため、被害者はやむなく今年4月に提訴に踏み切った。さて、冒頭のヤジが議員席から飛び出したのは、7月定例会の一般質問の場での出来事。社民党所属の池田章子議員が市の対応をただしている最中に発せられた。これを受けた日本新聞労働組合連合(新聞労連)は先月11月1日、佐藤正洋・市議会議長に対し「ヤジ議員の特定と謝罪」を要求する申し入れ書を手渡した。その後の経過も私の場合と瓜二つだった。「ヤジはあったが、発言者は特定できなかった」―と

 

 そして、当方の“暴言”騒動は…あの日(2011年6月23日)、私は一般質問の中で震災被災者に対する義援金が市の歳入に繰り入れられるという、いわゆる「義援金流用」疑惑を追及していた。傍聴席には沿岸被災地から花巻市内に避難している人たちが詰めかけていた。昼の休憩が告げられた直後、議員席から傍聴席に向かって、「さっさと帰れ」というヤジが投げつけられた。「着のみ着のまま、ふるさとを追われた私たちはどこに帰ればいいんですか」―。傍聴席は騒然となった。私は直ちに真相究明を求め、議会内には「議員発言調査特別委員会」が設置された。しかし、傍聴者たちの証言は無視され、「(暴言については)確証が得られなかった」という結論で幕が下ろされた。

 

 長崎市議会のその後の動きは現在、長崎地裁で裁判が続けられているが、私に対しては手のひらを返したような“仕打ち”が待っていた。「被災者とグルになって、『なかった』発言をあたかも『あった』かのようにデッチ上げた」という論法である。ヘイトスピ-チまがいの罵詈雑言(ばりぞうごん)でブログが炎上する中、議会内に急きょ設けられた「懲罰特別委員会」は私に対して「戒告」処分を言い渡した。「議会の権威を汚した」というのがその理由だった。1人を除いた議員全員がこの処分を支持した。……悪夢は悪夢を呼ぶということか。ふと我に返ると、傍らのテレビは中村さんの非業の死を伝え続けている。

 

 「医療分野や灌漑(かんがい)事業においてアフガンで大変な貢献をしてきた。厳しい地域で命がけで業績を上げ、アフガンの人も感謝を述べていた。このような形で亡くなったことは本当にショックだ」―。沈痛な表情で中村さんの死を悼(いた)む安倍晋三首相の姿が大写しになっている。反吐(へど)が出そうになった。税金を使って「桜を見る会」に浮かれるわが宰相にその死に思いを寄せる資格がそもそもあろうか。アフガニスタンは長い間、「忘れられた国」と言われてきた。世界でも最貧国のかの地で黙々と「命の水」を掘り続けてきた中村さんの存在を、安倍首相よ、あなた自身が忘れてはいなかったか。いや、私自身を含めた日本人総体が…

 

 ところで、彼我(ひが)の“暴言”騒動にはオチがある。舌鋒鋭く「被害者はどっちだ」発言を追及した池田議員の姿勢にはさすが“革新”議員としての矜持(きょうじ)が感じられた。一方、「さっさと帰れ」発言の主は写真と照合するなどして、同じ社民系会派の男性議員(故人)とほぼ特定されたが、いまや「死人に口なし」である。永田町から地方議会まで「人格」の根腐れ病が蔓延している。被爆者の祈りを伝える「ナガサキ」も、そして宮沢賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」もタガが外れ、地に堕ちた風体(ふうてい)である。

 

 フランシスコ教皇は長崎の地で、こう演説した。「今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、(財が)築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です」―。そして、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)と記したのはいうまでもなく、わがふるさとの詩人の賢治である。その“賢治”精神を体現した中村さんには宮沢賢治賞(イ-ハト-ブ賞)が贈られている。アフガニスタンの民間航空「カ-ム航空」は口ひげをたくわえた中村さんの似顔絵を尾翼に描き、フェイスブックにこう書き込んだ。

 

 「アフガニスタンの人々のために奉仕することを選び、残念ながらその活動中に亡くなりました。故中村医師、アフガニスタンの人々はあなたのしてくれたことにずっと感謝し続けるでしょう」―

 

 

 

(写真は航空機の尾翼に描かれた故中村さん。トレ-ドマ-クの口ひげが優しい横顔=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~いやはや!?今度は盛岡市議会で「『よそ者』ヤジ」

 

 「盛岡市議会(定数38)で、一般質問に立った久慈市出身の大畑正二氏(創盛会)に『よそ者』とヤジが飛んだとして波紋を広げている。…『議員は盛岡自慢を三つくらい持っていた方がいい』と主張した際、議員席からヤジが飛んだ。同氏によると『よそ者だろ』と聞こえた。…言論の府たる議会は多様な人材の参入が時代の要請であり、仮に『排他的』と疑われる言動が一部からでも上がれば、全体の品位をおとしめる。遠藤(政幸)議長は議員への聞き取りを進める意向で『議論を妨げてはならない。重く受け止め、対処する』と語る」(12月11日付「岩手日報」)

 

 

《追記―2》~「凡庸なる悪」

 

 第2次大戦中のユダヤ人虐殺の責任者だったアイヒマン(1906~1962)について、政治学者のハンナ・ア-レントは「彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと―これは愚かさとは決して同じではない」と述べ、そのことを「凡庸なる悪」と名づけた。つまり、「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」と書いている。日本列島を覆いつくす「人格」の根腐れ病の根源はたぶん、ここにあるのだろう。

 

 

《追記―3》~故中村さんの大壁画も

 

 【カブール共同】アフガニスタン首都カブール中心部の保健省のコンクリ-ト塀に、4日に殺害された福岡市の非政府組織「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)の貢献をたたえ追悼する似顔絵が現れた。芸術団体「アートロード」が10日、12人で完成させたという。アフガンの民族帽「パコール」をかぶった中村さんが日の丸を背景に、花々を咲かせた木々を見つめ、ほほ笑んでいる構図。「この土地で私は愛と思いやりを育む種のみを植える」と、同国の主要言語の一つ、ダリー語の詩も添えられた。殺害現場となった東部ナンガルハル州の州都ジャララバードにも同様の絵を描いた(12日付「共同通信」電子版)

 

 

《追記―4》~世界各地で追悼の声

 

 【ニューヨーク共同】アフガニスタン東部で殺害された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)をしのび、米ニューヨークのアフガニスタン総領事館で10日、追悼集会が開かれた。参加者は「本当に偉大な人を失った」と故人に思いをはせた。集会には、米国在住のアフガン人や在ニューヨーク総領事館の山野内勘二総領事ら約40人が参加。黙とうの後、中村さんの似顔絵が飾られた祭壇に花を手向けた。参加した医師ソニア・カディアさん(44)は「いつの日かアフガンに平和が訪れ、海外の医師が生命の危険を感じずに活動できるようになってほしい」と語った(12日付「共同通信」電子版)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花巻市長・上田流「コンプライアンス」のチグハグ~礼節もいずこかへ

  • 花巻市長・上田流「コンプライアンス」のチグハグ~礼節もいずこかへ

 

 「本件に関する警察の捜査に協力するとともに、捜査の進展を見守りつつ当該消防士に対しては厳正な処分を行い、…職員一丸となって職務にまい進し、一日も早く市民の皆様からの信頼を回復できるよう努めてまいります」―。11月8日、免許停止期間中の花巻市の消防士(26)が救急車の運転をしていた事案が明るみに出た際、上田東一市長は“厳罰”をほのめかしながら、報道陣の前に深々と頭を下げた(11月7日付当ブログ「追記」参照)。「ところで、あなたにとってのコンプライアンスとは何か」…私はこの光景を見ながら、ふと鼻白む気分になった。3年前の平成28年6月定例会でのやりとりを思い出したからである。

 

 「コンプライアンスは、一義的には法令遵守と訳されているところでございまして、広義のコンプライアンスとしては、法令はもとより、県や市町村の条例、規則等、さらには社会的な規範の遵守まで含まれているものと存じているところでございます」―。私の一般質問に対して、上田市長はこう明言した。当時、全国の自治体では「コンプライアンス」に関連して、首長自らの行動を律する条例化の動きが出ていた。たとえば、富山県氷見市では同じ6月定例会で「氷見市長等の行動規範及び政治倫理に関する条例」を制定し、「地方自治法第142条の規定の趣旨を尊重し、市長等の配偶者若しくは1親等の親族又は法人に対し、市等との請負契約等を自粛するよう働きかけ、市民に疑惑の念を生じさせないよう努めること」(第7条)と規定した。

 

 地方自治法「第142条」は首長などの兼業を禁止した規定で、こう定めている。「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員、取締役、執行役若しくは監査役若しくはこれらに準ずべき者、支配人及び清算人たることができない」―。その当時(平成27年度現在)、花巻市から一般廃棄物の収集・運搬業務を委託されている業者は全部で14社あった。うち、ごみ収集業務などの請負額が一番多い会社の代表取締役に上田市長の配偶者が就任していることが判明し、市民からその是非を問う声が聞かれた。

 

 私はそのこと(配偶者の代表取締役)自体は法に抵触するものではないという前提に立ったうえで、「コンプライアンス上の、いわゆる“社会規範”について」―の認識をただした。上田市長は後任の人材探しが難航したことなどを理由に挙げながら、前言を翻(ひるがえ)すような説明をした。法律にうとい素人にはとても理解不能な、いわば“目くらまし”的な便法がこの人の得意技である。牽強付会(けんきょうふかい)……つまり「自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつける」―とはこのことではあるまいか、とその時に思った。

 

 「社会規範というのは定義ございませんし、これはそのときそのときで市民の皆様、あるいは我々が考えていくものだろうと思います。その意味で、はっきり規範はどこにあるのかということについては、必ずしもクリアに出てくるものではないだろうと思っております。…その上で申し上げますけれども、コンプライアンスというのは全てではないのです。コンプライアンスを守れば、全てが解決する問題ではございません。規範というのは、言ってみればル-ル化している、あるいは法に近いものを規範というと私は理解しています。それを守ればいいのではなくて、要するに、物事をはっきりさせた上で、とにかく規則を守りましょうよというのがコンプライアンスなのです」(会議録から)

 

 「家内が代表者であることは、なるべく早くやめてほしいというのが私の気持ちです。いや、それではいけないのだと、例えば議会で条例化して、会社をやめるか、あるいは市長をやめるかどちらかをとりなさいと規定されれば、そのときには考えなくてはいけません。私は規範に違反しているとは思いませんけれども、妥当ではないということでル-ル化するとお考えになるのは全く反対するものではございません。そういうことであれば、それは検討していただきたいと考えている次第です」(会議録から)―法令だけでなく、(社会)規範にも違反していない。ダメだというなら、議会の責任で条例化するなりしてほしい…私にはこんな“開き直り”に聞こえたのだった。

 

 「罪を憎んで、人を憎まず」―。将来のある消防士の不祥事の報に接した時、私はこの青年がなぜ、仲間や上司に対応の処し方を相談しなかったのか…ということが真っ先に頭をよぎった。高速道路上の速度違反はうっかりすると、誰でも犯してしまう。私も若気の至りで、速度オ-バ-をした苦い経験がある。だからこそ、「免停のまま、救急出動につかざるを得なかった」というその“孤立”に、私は慄然(りつぜん)とさせられたのである。さらには、違法行為(免停中の救急出動など)の罪状がまだ確定していない段階で、当該職員の実名をHP(11月8日付)上に公開するという人権感覚の欠如にも驚いてしまう。

 

 当市にはコンプライアンスに関し、「花巻市職員倫理規程」(平成25年)や「不正防止に係る内部通報制度」(平成27年)などきめ細かい取り決めがある。しかし、コンプライアンスはある意味で、「同調圧力」と「忖度(そんたく)」を抱え持つ“両刃の剣”でもある。前者が強まれば強まるほど、後者が頭をもたげてくる。つまりは仲間内への気遣いは次第に薄れ、上司の顔色をうかがうだけのヒラメ集団化してしまうのは目に見えている。最近の“上田城”にはそんな雰囲気が強まっているような気がしてならない。殺伐とした空気が庁内に充満している。

 

 「市長等は、地方自治法その他の法律における市長等の兼業禁止に関する規定の趣旨を尊重し、市民に疑惑の念を生じさせないようにするため、その配偶者、2親等以内の親族又はこれらの者が役員をしている会社その他の法人若しくは次に掲げる会社(略)その他の法人に、市との工事、製造その他の請負契約及び物品の購入契約の締結を辞退させるものとする」(第5条)―。大阪府と京都府の県境にある茨木市は2年前、配偶者がその行政と請負関係にある会社の役員などに就任することを禁止する厳しい条例を制定した。

 

 一方の足元では真逆な動きが進行していた。上田市長の配偶者はその後、平成29年2月19日付でいったん代表取締役の座を退いたが、今年(平成31年)2月1日付でふたたび、その任に返り咲いていた。茨木市など他の自治体などとの認識の乖離(かいり)に驚かされる。現場職員にコンプライアンス(法令遵守)を求めるのなら、トップとしてまず自らの襟(えり)を正すのが先決ではないのか―。この日、令和元年最後の12月定例会が開会した。二元代表制の根本に立ち返り、議員諸侯に置かれては、市長ら当局側の監視をゆめゆめ怠ることなかれ……

 

 

 

(写真は「何でも話せる職場」こそがコンプライアンスの基本だと訴える漫画=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~自己責任への言及なし

 

 12月定例会初日の6日、上田東一市長は当ブログで取り上げた消防士の不祥事に触れ、「免停中に救急車を運転した事案については現在警察で捜査中であり、その進展を見守りながら、当該職員に対しては厳正に対処したい」と述べた。結局、行政トップとしての「自己責任」への言及はなく、コンプライアンスだけでなく、ガバナンス(統治能力)の欠落もさらけ出した。

 

 

《追記ー2》~中村さんの死、黙とうさえもなく…

 

 アフガニスタンで非業の死を遂げた医師の中村哲さん(享年73)に対し、皇室のほか安倍晋三首相ら各界から弔意があふれ、9日開催された衆院本会議では大島理森議長の追悼の言葉に続いて、出席者全員が黙とうを捧げた。同じこの日、花巻市議会3月定例会で一般質問が始まったが、上田東一市長は答弁に先立ち「中村さんは宮沢賢治賞(イーハトーブ賞)を受賞しており、心からご冥福を祈りたい。告別式には職員を派遣したい」と述べるに止まり、議会側にも黙とうを促す動きはなかった。賢治もきっと、あの世で失望していることであろう。4日付当ブロブの追悼記事を参照願いたい。

 

 

 

 

追悼!!「アフガン、命の恩人」…中村哲

  • 追悼!!「アフガン、命の恩人」…中村哲

 

 「この土地で『なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か』と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の『セロ弾きのゴ-シュ』の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける」―

 

 「アフガンの命の恩人、中村哲さん、銃弾にたおれる」―という衝撃的なニュ-スに接し、私はいま、呆けたような状態で冒頭の文章を口にしている。『医者井戸を掘る―アフガン旱魃の闘い』などの著書で知られる医師の中村哲さん(享年73)が4日、ハンセン病の治療や農業振興などの支援に当たっていたアフガニスタンで銃弾に死した。引用した文章は2004年、第14回宮沢賢治賞(イ-ハト-ブ賞)を受賞した際、遠い異国のアフガンから寄せられた感謝のメッセ-ジの一節である。この文章はこう結ばれている。「馬鹿で、まるでなってなくて、頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ(『どんぐりと山猫』)」という言葉に慰められ、一人の普通の日本人として、素直に受賞を喜ぶものであります」

 

 私が新聞記者として初めて遭遇した最大の出来事は「三池炭鉱炭じん爆発事故」(1963年=福岡県大牟田市)で被災し、重篤な後遺症に苦しむ患者たちの取材だった。。458人が死亡し、839人が不治の病と言われた「一酸化炭素(CO)中毒」に侵された。九州大学医学部を卒業した中村さんがその時、若き精神科医の研修生として、患者の治療に奔走していたことをあとで知った。当時、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現場で、互いにすれ違っていたかもしれない。いま思えば、その時の運命的な”出会い“が6歳年下ながら、私が彼を人生の師と仰ぐきっかけだったように思う。

 

 中村さんの母方の伯父は作家の火野葦平で、外祖父は日本有数の炭鉱地帯・筑豊の荷役を一手に請け負ったヤクザ(任侠)の血を引く玉井金五郎である。火野の長編小説『花と竜』は父親の玉井をモデルにした作品で、映画化もされた。受賞後、中村さんが講演に当市・花巻を訪れたことがあった。質問の段になって、私は手をあげた。「中村さんの中にはヤクザの血が流れているんじゃないですか。ぶれることのない姿勢を見ているとそうとしか思えないんですが…」―。内心、ぶしつけな質問かと思ったが、アジアのノ-ベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞したひげ面はニャッと笑って答えた。「実は私もそう思っているんですよ」。その時の満面の笑顔が消えることのない残像として、私の脳裏に刻まれている。

 

 第1回「沖縄平和賞」(2002年)を受賞した際、中村さんはこう述べている。「遠いアフガニスタンでの活動と、アフガンに出撃する米軍基地を抱える沖縄、このコントラストは、現場にいる私たちには圧倒的であります。平和をとなえることさえ、暴力的制裁を受ける厳しい現地の状況の中で物言えない人たちの声、その奪われた平和の声を『基地の島・オキナワ』が代弁するのは、現地にいる日本人として名誉であります。沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです。基地を抱える沖縄の苦悩は、実は全アジア世界の縮図でもあることをぜひお伝えしたいと思います。―。その時の基金をもとに現地に開設された診療所は「オキナワ・ピース・クリニック」と命名されている。

 

 「武器ではなく、命の水を」―。中村さんは終生この言葉を口にし、倒れる直前までそれを実行した。今回の訃報を受け、私はこの年末年始を米軍基地で揺れる「沖縄・辺野古」に身を置いてみようと考えている。中村さんの「原点」でもある大牟田(三池)の地で留守宅を守り続けた妻の尚子さん(66)は言葉少なに語った。「場所が場所だけにあり得ると思っていた。家にずっといてほしかったけど、本人が(活動に)かけていたので……」……“三池の知遇”よ、さようなら。そして、勇気を与えてくれたヤクザの末裔よ、ありがとうございました。合掌

 

 

 

(写真はありし日の中村さん。アフガニスタンの地で=インタ-ネット上に公開された写真から)
 

 



 

現人神と政教分離…そして、狂気の笑い

  • 現人神と政教分離…そして、狂気の笑い

 

 「大日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する」(明治憲法第1条=明治22年2月11日公布)―。わが宰相の「天皇陛下万歳」と21発の祝砲で始まった大嘗祭(だいじょうさい)を含む一連の天皇の代替わりの儀式を見ながら、いままた「現人神」(あらひとがみ)が目の前に降り立ったような錯覚を覚えた。現憲法の改正を待たずして、この国はすでに「天皇は、神聖であって、侵してはならない」(同第3条)という“天皇制”国家に先祖返りしたのではないのか…と。その神格化はまるで、得体の知れない「鵺」(ぬえ)のように足元に忍び寄りつつある。

 

 「奉祝 令和 天皇陛下御即位/新しい御代(みよ)をお祝いしましょう」―と染め抜かれたのぼりが風にひらひら揺れていた。先月11月23日、花巻市の旧石鳥谷町内の神社には奉祝の長い列ができていた。かつて、「新嘗祭」(にいなめさい)と呼ばれたこの宮中行事は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)などすべての神々に新穀を供え、その恵みによって収穫を得たことに感謝する祭である。国民の祝日に関する法律(昭和23年)の施行によって、現在は「勤労感謝の日」(祝祭日)に指定されている。今回のように新天皇の即位後、最初に行われる儀式はとくに「大嘗祭」と呼ばれるということを初めて知った。

 

 その前日、私はこんな風潮に不安を覚える文章を書き記した(11月22日付当ブログ「神話崩しの時代」参照)。その直後、上田東一市長がこの行事に「公務」として出席することをHPで知った。さっそく、担当部署に経緯をただした。「祭儀にのみの出席。地域行事と認識しているので、公務としての位置づけで何ら問題はない」。今年8月、別の神社の神職昇進を祝う会にも上田市長の姿があった。私は当選直後の平成23年12月定例会で、各種神事が終わった後に行われる宴会―「神社直会(なおらい)」に対し、市長交際費が支出されていることについて、「政教分離」の観点から見解をただした。憲法判断は分かれていたが、当局側は今後この種の支出を“自粛”することを表明した。

 

  「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」―。憲法第20条は「政教分離」原則について、こう定めている。「令和」改元以降、この条文もほとんど死文化したかのようである。

 

 「われらを毀損(きそん)してくるものを、倍返しで冒涜(ぼうとく)せよ」―。作家、辺見庸さんの最新作『純粋な幸福』の帯にはこんな過激な文字が躍っている。その詩篇「グラスホッパ-」の中の一節…「世界の実相は気鬱(きうつ=気がふさいで晴れ晴れしないこと)にみちている。それなのに、老いも若きも総理大臣も天皇も、そうでないふりをしている。まるで、たるんだ尻(けつ)みたいな顔して。気鬱をはらうには怒り狂うより他にはない。狂気といわれようが、怒気をあらわにしてなに悪かろう」―。私が前掲ブログをアップした同じ日、辺見さんは新著に関するインタビュ-でこうも語っている。

 

 「表現がこれほど萎縮、収縮した時代はない。新聞を読めば活字が寝ていて、悲しみや憤りを屹立(きつりつ)させようというパッションがない。怒鳴りつける代わりに笑う。もう笑うしかないという内面の嘲笑によって冒涜したい」(11月22日付「岩手日報」)―。そういえば、話題の映画「ジョ-カ-」(11月2日付当ブログ「即位礼と啄木、そして“ジョ-カ-”の登場」参照)の主人公―殺人鬼、ア-サ-・フレックの持病は「笑い」病である。医学的には「情動調節障害」というらしいが、この悪役を演じる名優、ホアキン・フェニックスが犯罪をおかす前後に発する狂ったような「笑い声」がまだ、頭蓋の奥でこだましている。

 

 『悲しすぎて笑う』(1985年)というタイトルの本が私の書棚の片隅に置かれている。表紙は茶色に変色しかけ、「女座長筑紫美主子(ちくしみすこ)の半生」という副題も判読しにくくなっている。ロシア革命で日本に亡命した白系ロシア人と日本人との間に生まれた美主子(1921―2013年)は九州・佐賀地方に伝わる漫才「佐賀にわか」を身に付け、女座長にまで上り詰めた。しかし、「青い目」の漫才師は絶えず、差別の目にもさらされ続けた。そんな半生をこの本にまとめた詩人の森崎和江さん(92)がある時、私に語った言葉をふいに思い出した。「悲しみの極にはもう、笑いしか残されていないということだと思う」

 

 「富者の天国は貧者の地獄である」―。今年春、日本の主要都市で「笑う男」と題するミュ-ジカルが上演された。『レ・ミゼラブル』などで知られるヴィクトル・ユ-ゴ-の同名の小説が原作で、17世紀の英国が舞台。腐敗した貴族社会を風刺する内容で、見世物にするために“笑い顔”に口を整形された道化役者が主人公として登場する。元祖「ジョ-カ-」である。

 

 笑う男もジョ-カ-も、そして美主子もともに道化役者として、この世を生きた。たとえ、それが敗者の高笑いだったとしても、道化を演じながら狂い笑いするしかない…そんな時代を私たちはいま、生きているのだろうか―。

 

 

 

(写真は時と場所とをかまわず、発作的に狂い笑いする殺人鬼・ア-サ-=インタ-ネット上の公開の写真から)