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ヒグマを叱る…野生動物とのソ-シャルディスタンス

  • ヒグマを叱る…野生動物とのソ-シャルディスタンス

 

 「こらっ、この野郎」―。襲いかかって来るかと思いきや、目の前に現れたヒグマは人間が発する大声に身をひるがえし、静かに森の中に消えていった。ユネスコの世界自然遺産に登録されている北海道・知床半島で、人とヒグマが“共生”してきた36年間の貴重なドキュメンタリ-番組「ヒグマを叱る男」(6月7日放映NHKBS1スペシャル)を見ながら、いまや知らない人間などいない「ソ-シャルディスタンス」(社会的距離)の原型がここにあるのではないかと思った。そして、今回のコロナ禍は自然界(たとえば、野生動物)との間のこの掟(おきて)を破った「文明」へのウイルス側からの逆襲ではないのかという想念にかられた。

 

 約500頭の野生のヒグマが生息し、4千種以上の生物多様性に恵まれる知床半島は2005年にユネスコへの登録が決まった。その突端に近いオホ-ツク海側に「ルシャ」という集落がある。アイヌ語で「浜へ降りる道」という意味である。集落とはいってもサケマス漁の時に基地となる「番屋」に漁師が仮住まいするだけ。青森出身の大瀬市三郎さん(84)がここを拠点にしたのは23歳の時である。一帯には約60頭が棲(す)みついている。昼夜を問わずに番屋のまわりに出没した。ハンタ-に駆除を頼んだが、「命を奪った」ことに後味の悪さを感じた。ある時、大型のヒグマが背後から近づいてきた。無意識のうちに「こらっ」と怒鳴った。くるりと背を向け、去っていった。大瀬さんとヒグマとの不思議な“交流”がこの時から始まった。

 

 「クマの目をじろっとにらんで、にらめっこ負けしないこと。腹の底から大声を出し、勇気をふるって足を前に一歩、踏み出す。クマは強い者勝ちだから、クマより俺の方が強いという暗示を与えておかなければだめ。そして、絶対に餌を与えないこと。一回与えたらいつでも貰えると思うようになる。つまり、あんまり親しくしないことが肝心なのさ。ルシャで襲われた者はひとりもいない」―。大瀬流「叱る」極意はある意味で、ヒグマとの会話から生まれたものなのかもしれない。

 

 ある年、サケマス漁が例年になく不漁に見舞われ、好物にあり付けないで餓死するヒグマが相次いだ。世界一の生息地と言われるルシャでは2年続きの不漁で少なくとも9頭の飢え死にが確認された。栄養失調死した子クマの体をなめ続けていた母クマがやがて、我が子を置き去りにして立ち去った。「非情な顔を見せつける大自然。これも自然界の掟さ」と大瀬さん。海岸に流れ着いたイルカの死骸をロ-プでつなぎとめる大瀬さんの姿が映し出された。飢えたクマたちがむさぼるように食らいついた。「いっぱい、食ったな」と大瀬さんはうれしそうな表情でその光景をじっと、見守った。命をつないだという安ど感があふれているようだった。

 

 番屋の屋根にアイヌのエカシ(長老)像が飾ってあった。ふと、グマを殺す側の民族の世界観に考えをめぐらしてみた。アイヌ民族にとって、ヒグマは頂点に君臨する最高神で「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。この神は黒い毛皮で正装し、お土産に肉や胆(い)を携えて人間の国に遊びにやって来る。アイヌの人たちはそう信じてきた。だから、クマ猟は「(カムイを)お迎えに行く」ということになる。射止めたクマの霊を神の国に送り返す神聖な儀式が「イヨマンテ」である。霊前にはご馳走が並べられ、朗々たるユカラ(英雄叙事詩)や踊りが捧げられるが、どうしたわけか話が佳境を迎える寸前にその語りがピタリとやんでしまう。

 

 神の国に戻ったクマ神は人間界への旅の報告会を開いて、こう話すのだという。「人間の国はなんとも楽しいところだ。ご馳走は食べきれないほどあるし、何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満がある。あんなに面白いユカラが突然、終わってしまうんだから」―。こんな話を教えてくれたアイヌ民族初の国会議員、萱野茂さん(故人)がニヤニヤしながら語った言葉がまだ、鮮明に記憶に残っている。

 

 「(人間の)仏さんには最後までユカラを聞かせてやる。でないと『夕べの続きはどうなった』と死んだはずの人がまた、目を覚ます。ところが、クマ神の場合が逆。これからっていう時に『後はあすのお楽しみ』と終わりにわけ。すると、クマ神はその続きを聞きたくなって、また人間の国を訪ねてくる。ユカラは長いもので1週間も語りが続く。長ければ長いほど、クマ神が人間の国へ遊びにくる回数も多くなるっていうわけだ」―。そう言えば、大瀬さんもこうな風に話していた。「人間がそこにいるのもひとつの自然の姿だから…。山の木や草だけが自然ではない。人間の営みもヒグマたちの生活も同じ雄大な自然の一部なんだ」

 

 そう、アイヌ民族も大瀬さんも巧まずして、とうの昔から「ソ-シャルディスタンス」を実践してきたにすぎない。共通するのは自然界に対する「畏敬の念」であろう。生と死を包摂(ほうせつ)する究極のコミュニケーション術がここにはある。その禁を犯したいわゆる“文明人”たる我われはいま、“マスクダンス”とでも呼びたいような新舞踊を踊らされている。何となくパントマイム(無言劇)の趣(おもむき)がある奇妙な光景である。

 

 

 

 

(写真は近づいてきたヒグマを「叱る」大瀬さん=放映されたドキュメンタリ-番組の一場面。インタ-ネット上に公開された写真より)

「ベニスに死す」…“思考停止”から抜け出すための処方箋

  • 「ベニスに死す」…“思考停止”から抜け出すための処方箋

 

 コロナ禍がもたらした自粛ム-ドや同調圧力が強まる中、こうした風潮に異議申し立てをする“言論”が影を潜めつつある。こんな時にこそ、出番が期待される作家の辺見庸さん(75)の肉声を久しぶりに聞いた。NHKEテレ(6月7日放映「こころの時代―緊急事態宣言の日々に」)に登場した、歯に衣着せぬ“毒舌”は相変わらず健在だった。「カオス(混沌)のいまこそ、言葉の復権を」…聖書から映画、東西の知性(注記参照)を動員した洞察は鋭利な刃物で時代の闇を切り裂く凄みさえ感じさせた。しかし、私はむしろその背後に漂う静かな「死生観」に引き寄せられた。辺見さんはある映画を引き合いに出しながら、生と死を語った。

 

 「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1971年)―。ドイツの文豪、トーマス・マン(1875―1955年)の名作を映画化したこの作品の舞台は20世紀初めのイタリア有数の観光都市・ベニス。感染症(コレラ)が蔓延するこの地を初老の音楽家が避暑に訪れる。コレラ禍のうわさが広がるそんなある日、神のごとき美少年に出会う。体調がすぐれない一方で、少年に対する思いは逆に高まっていく。主人公はまるでスト-カ-みたいに少年の後を追い続け、死の影が忍び寄る街をさまよい歩く。やがて、病魔に侵され、少年の姿をまぶたに焼けつけながら、死んでいく。BGMは「エリ-ゼのために」。結局は実ることはなかったが、ベ-ト-ベンが心を寄せた若き貴婦人に捧げた曲だと言われる。

 

 「(疫病下での)滅びゆく者の美しさ。風景全体をある種の美として描き切ったのが面白い」と辺見さんはポツリと言い、こう続けた。「あの風景の中には“人類はこうあるべき”とは違う、まったく“わたし”的な生き方がある」―。東日本大震災の際もそうだったが、いつの時代でも大災厄は個々の人間存在の根源そのものを問うてきた。今回、この名画を見直してつくづくとそう思った。「ニュ-ノ-マル」(新しい日常)という奇怪な“現象”は私にとっては、生と死を無化する陽炎(かげろう)ように見えてしかたがない。以下、印象に残った「辺見」語録(要約)を掲載する。

 

 

 

★「(コロナ禍のいまだからこそ)本当に表現したい。深呼吸しながら、し~んと人間の存在を考える。未来が判然としない半透明の中で、手探りしながら…」

★「コロナ撲滅挙国一致統一戦線みたいだ。緊急事態宣言そのものが超憲法的で超法規的。歴史が暗転する時の警戒心がなさすぎる」

★「コロナで何が立ち上がったかと言えば、人間ではなく『国家』(像)が立ち上がった。このままでは日本が滅びる、アメリカが滅びると」

★「人間の英知は意外に進んでいない。いま必要なのはシンプルな平等感や正義感。コロナ禍の中で人間はもっと謙虚でければならない。集団で眉をひそめられる世間って、いやだな。うるせいって」

★「想像(フィクション)を超えて、リアリティ(現実)が無限に展開していく、否応のない不条理。それを表現しようと思っても、あらゆる言葉が陳腐になる。耳目が洗われる言葉…欲しいのは言葉だ」

★「科学だけではこの問題を解き明かし、深めるのは難しい。哲学も文学もあらゆることを動員して考えなければならない」

★「聖書世界を想起せざるを得ない風景がいまある。人間の終わりとか存在の終わりみたいな…。聖書を文学的にとらえる。アレゴリ-(寓意)が思考を深めるきっかけになる」

★「コロナ禍の特長は人間の無名化と数値化。個の営みを数値の中に組み込み、名無しの人間にしてしまう」

★「コロナに罹患すること自体があたかも負の価値みたいにとらえられている。たとえば、手洗いを励行しないなど現在のル-ルを守れない『悪』だとか」

★「アメリカのコロナ患者の半数は黒人かヒスパニックス。死亡率も何倍も白人より多い。根幹の問題は貧困。(コロナがあぶり出した)貧困はその人の責任ではない」

★「健康の義務化。不健康は自己責任みたいなコロナの『健康論』には怒りがない。コロナが教えてくれたものこそが、我われが暮らす社会の冷酷さではなかったか。こんなインチキな社会だったんだ、と」

★「(行動変容という表現に)まず、言語的にゾッとする。自動翻訳機で翻訳したいみたいで気持ちが悪い。この社会はこうも脆く、言語世界まで動揺している」

★「生活様式の変更を国家が指示するのはファシズム以上。その一方で(強権発動を待つ前に)民衆社会の基層部の劣化が進んでいる。私権を自ら制限していくという,たとえば『自粛』」

★「ニュ-ノ-マルが新しい優性思想に姿を変えるのではないかという不安。救われる者と救われない者との分断がされ、弱者がそのおびただしい死によって淘汰される。そんな予感の中をどう生きて行けばいいのか」

★「自分が生きる尺(しゃく)を今日一日に区切る。きょう一日分だけ。どこまで続くかわからない、毎日をやっていくしかないかなぁ」

 

 

 

《注 記》

 

●旧約聖書「コヘレトの言葉」

~「なんという空しさ すべては空しい。かつてあったことは これからもあり、かつて起こったことは これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」

●堀田善衛(作家、1918―1998年)

~「大火焔のなかに女の顔を浮かべてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ…」(『方丈記私記』)

●アラン・シリト-(英国の労働者階級出身の作家、1928―2010年)

~「風邪をひいても世の中のせいにしてやる」(貧困層の怒りを表現)

●スラヴォイ・ジジェク(1949年、スロバキア生まれの哲学者)

~「(コロナ禍の三重の危機は)まず感染症そのもの、つぎは経済の破綻、そして精神の崩壊。(この事態を生き延びるための容赦のない措置として)人間の顔をした野蛮が正当化される(たとえば、恣意的なトリア-ジ=生死の優劣)」

●ジャン・ボ-ドリヤ-ル(フランスの思想家、1929―2007年)

~「人間もウイルスみたいなもの。人間がウイルスを発見したのではなく、ウイルスが人間を発見した」

 

 

 

 

(写真は古典的な名画「ベニスに死す」の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

「新しい日常」から“ニュ-ノ-マル”へ

  • 「新しい日常」から“ニュ-ノ-マル”へ

 

 ステイホ-ムやソ-シャルディスタンス、リモ-トワ-ク、テイクアウト、エッセンシャルワ-カ-、アフタ-コロナにウイズコロナ、ついでに言えばオン飲み(オンライン飲み会)にアベノマスク…。いま、巷(ちまた)にはまさにパンデミック(大流行)並みのカタカナ語が氾濫している。最近では「新しい日常」が「ニュ-ノ-マル」(新常態)などと翻訳されて、ひとり歩きし始めた。感染症予防のための「新しい生活様式」が気がついてみれば、“体制用語”に変換されているという危うさ。そう、歴史はそうやって繰り返されてきた。

 

 満5歳で敗戦を迎えた私にとっての“ニュ-ノ-マル”は「戦後民主主義」だった。父親を戦地で失った悲しみをいやすことができたのも、これまで感じたことのなかった時代の風だった。「Hey、Come On」―。チュ-インガム欲しさに占領米兵が運転するジ-プを追い回すのが、当時の子どもたちの新しい生活様式のひとつだった。これまで嗅(か)いだことのない不思議なにおいだった。B29の砲弾に追われ、防空壕に身をひそめる日々からの「解放」をかみしめたのは実はこの「アメリカのにおい」だった。当時はまだ、希望の光が満ちあふれていた。あれから75年―戦後民主主義が後期高齢期を迎え、足腰がヨタヨタし始めたちょうどそんな時、コロナパンデミックが襲いかかった。

 

 「60年安保世代」―。物心がついた大学生時代、私たちはこんな呼ばれ方をした。当時、アメリカへの従属をより強めるための「日米安全保障条約」の改定をめぐる政治交渉が緊迫の度を加えていた。こうした動きに警戒を強める労働者や学生たちが国会を包囲した。皮肉なことにこの時のエネルギ-の源(みなもと)こそが全身に浴びるように注がれた戦後民主主義の洗礼だった。改定を強行した当時の岸信介首相は責任取って辞任したが、高度経済成長を満喫したのもつかの間、その後はバブル崩壊や「失われた20年」に見舞われて現在に至っている。そしていま、過去に経験したことがない未曾有の危機の陣頭指揮をとるのが、岸元首相の孫にあたる現安倍晋三首相である。これもまた、もうひとつの歴史の皮肉である。

 

 「大人も初(はじ)めてのピンチにどうすればよいかわからず、なやんでいます。みなさんは歴史(れきし)の当事者(とうじしゃ)です」―。群馬県内の教師が新一年生にこう呼びかけたという新聞記事を目にした。自らの「思考停止」状態を正直に告白するこの教師の誠実さに好感を持った。いまの私も視点の定まらない五里霧中をさ迷い歩いているからである。

 

 今回のコロナ禍をきっかけにニュ-トンの「万有引力の法則」にまつわるエピソ-ドが話題になっている(4月27日付当ブログ参照)。17世紀、英ロンドンを襲ったペスト禍のあおりで大学が休校になったため、ケンブリッジの大学を卒業したニュ-トンは故郷への疎開を余儀なくされた。今でいう「ステイホ-ム」である。「リンゴが木から落ちる」瞬間を目撃したのは、そんな悄然(しょうぜん)とした心地の中だったらしい。ペスト禍による休校がもたらした偶然…世紀に残るこの大発見をもたらしたステイホ-ムの期間はのちに「創造的休暇」とか「已むを得ざる休暇」と呼ばれたという。次代を担う「歴史の当事者」こそが未来の創造主たりうるということだと思う。

 

 動物学者で東山動植物園(名古屋市)の企画官、上野吉一さん(59)はこう話している。「ひるがえってコロナ禍に目を向けると、そもそも森の中で眠っていたウイルスを、環境破壊よって市中に引きずり出したのは人間でした。人間至上主義が自然との距離感を崩してしまったのです。もう一度、ホモ・サピエンスとしての身の丈を見直すよう迫られていると私は考えます」(6月5日付「朝日新聞」)―

 

 「Normal」(正常)は時として、「Abnormal」(異常)を際立させるという逆説をあわせ持っている。たとえば、耳目をそばだてれば「緊急事態宣言」発令の背後から憲法改正の“底意”が立ち上がってくる気配が感じられる。「戦争」から「平和」へ…戦後民主主義の“揺りかご”に揺られて育った私たちの世代は、こうした危機に乗じた時代の変調にはことさら敏感になってしまう。「コロナ世代」という言葉を最近、耳にするようになった。ウイルスと共存する「新しい文明」を創造できるのはコロナの申し子である、この世代を抜きにしてはあり得ない。“ニュ-ノ-マル”のいかがわしさを嗅(か)ぎとる嗅覚がいま、求められている。私にとってのそれが「アメリカのにおい」だったように……

 

 

 

 

(写真は国際統一規格―「ソ-シャルディスタン」の風景=米ニュ-ヨ-クで。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

「生」と「死」との隔離…コロナ禍の葬送

  • 「生」と「死」との隔離…コロナ禍の葬送

 

 防具服に身を固めた葬祭業者にオンライン葬儀、ドライブスル-焼香…。本来は隣り合わせだったはずの「生」と「死」の風景がコロナ禍の中で一変しつつある。タレントの志村けんの親族が遺体との対面さえかなわなった出来事があまりにも鮮烈すぎる。戦死や海難事故死、「3・11」のような行方不明死などによって、“いまわの際(きわ)”に立ち会えない不幸は人生にとっては避けられない宿命であるが、今回は目の前の亡き人との最期の別れさえできないという、かつて経験したことのない「葬送」の風景である。生と死との最後の橋渡しをする“納棺師”の言葉がよみがえってくる。人間実存の根底から、それは聞こえてくるような気がする。

 

 「私が初めて湯灌(ゆかん)・納棺を始めた昭和40年代には、まだ自宅死亡が5割以上もあって、山麓の農家などへ行くと、枯れ枝のような死体によく出会った。肌色も柿木の枯れ枝のように黒ずんでいた。そんな遺骸(がい)が、暗い奥の部屋に『く』の字となって横たわっていた。そんな村落での老人の死体は、遺骸という言葉がぴったりで、なんとなく蝉の抜け殻のような乾いたイメ-ジがあった」(『納棺夫日記』、1993年)―。作家で詩人の青木新門さん(83)は葬祭業を営んでいた当時を回顧して、こう書いている。「大往生」という見事な死に際が目に浮かんでくる。

 

 日本映画で初めて、第81回アカデミ-賞外国映画賞(オスカ-)を受賞した「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)は青木さんの同書を下敷きにした作品である。生から死へと向かう瞬間の営みが納棺師の手を経ておごそかに行われる。一生を終えた「人生」の最後に立ち会う「生者」と「死者」との間に通い合う何とも言えない神々しさを描いた傑作である。何度かお会いし、宮沢賢治の死生観について伺ったことがある。こんな言葉がまだ、頭の片隅にこびりついている。「毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。死者の顔は安らかな顔をしている。死と対峙して、死と徹底的に戦い、最後に生と死が和解するその瞬間に、あの不思議な光景に出会うのだろうか」―

 

 もう間もなく丸10年になる東日本大震災で、白銀照男さん(71)は母親と妻、一人娘の3人を奪われた。まだ、3人の行方は分かっていない。あの震災の2年後、白銀さんが住む大槌町の仮設住宅の一室で、“復元納棺師”の笹原留似子さん(48)にお会いした。「触れたい、添い寝したい、話したい」…こんな遺族たちの願いをかなえようと笹原さんは遺体と向き合っていた。損傷した亡骸(なきがら)に少しずつ、笑みが戻ってくる。その口元にそっと、紅をさす…。遺族のもとに返した数は数百人にのぼる。「早く見つけて、3人を照さんに引き合わせてあげたい」―。白銀さんの肉親捜しにも同行する笹原さんはその時、こうつぶやいた。「最期のお別れ」の本当の大切さを教えられたように思った。

 

 「あなた変わりはないですか/日ごと寒さがつのります/着てはもらえぬセ-タ-を/寒さこらえて編んでます/女ごころの未練でしょう/あなた恋しい北の宿」―。このところ、哀愁のこもった演歌をひとり口ずさんでいる自分にハッとすることがある。40年近く前、北海道の北炭夕張炭鉱でガス突出事故発生、93人が死亡するという大惨事が起きた。坑底の闇の中で、ある下請け坑夫は妻子を残したまま息を引き取った。同僚のその死を腕に抱きながら看取った知人の男は、居酒屋で酒を飲むたびに狂ったようにこの「北の宿」を歌うのだった。あの時のまるで吼(ほ)えるような歌いっぷりの心の内が今になって少し、分かるような思いがする。

 

 「震災は、日本の人々の、死との向き合い方を変えたのではないかといわれています。では、死とはどのように向き合っていくべきなのか。死とは何か。死の現場では、何が起きているのか。見送る現場で、わたしは何を感じ、伝えてきたのか」―。笹原さんは死の最前線での稀有(けう)な体験をつづった自著『おもかげ復元師』の中にこう記している。笹原さんが寄り添い続けた、その「死」が今、どんどん遠のいていく。故人の最後の「おもかげ」さえも記憶することができないような時代の幕開け!?「生」と「死」とが隔離される“新しい日常”を私たちはどう生きて行ったらいいのか…、「人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」―を問いかける、これはまさに哲学的な命題なのかもしれない。

 

 

 

 

(写真は車の窓越しに手を合わせる“ドライブスル-焼香”。世紀末の風景とはこのことを言うのであろうか=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

コロナ神からの贈り物…私は10万円でこんな本を買いました

  • コロナ神からの贈り物…私は10万円でこんな本を買いました

 

 緊急事態宣言が発令された前後から、日を経ずして本が届くようになった。差出人はきまって「コロナ神」である。もう20冊以上になったが、その中の一冊の『大地よ!』が朝日新聞一面の長寿コラム「折々のことば」の筆者である哲学者の鷲田清一さん(70)の手元にも送られてきたらしい。この本の一部を引用して、鷲田さんはこう記している。「大地、火、水、風。生きとし生けるものを養うもの。それらをアイヌの人々は神(カムイ)と呼び、他の生き物たちと奪いあうのではなく分かちあうものと固く思ってきた。その文化が潰(つい)えかけている。だから今はアイヌを『語る』よりも『起こしたい』のだと」(5月28日付)

 

 本の副題に「アイヌの母神」とある。“母神”とはアイヌ語で「フチ」を連想させる表現で、おばあさんに対する尊称でもある。筆者である宇梶静江フチ(87)と出会ったのはもう30年以上も前のことである。「アイヌはね。いつだって、カムイと一緒なんだよ」とフチは口を開くとそう言った。行きつ戻りつ、その世界観を垣間見る日々を過ごしてきた。同書はコロナ禍のさ中の3月3日に発行された。表紙裏に講演録の一節が載っている。

 

 「いま私たちは、現代文明のなかで、人間とは何か、人間らしい生き方とは何かを問われています。アイヌの精神性は現在、地球が抱えているさまざまな困難に光を投げかけることができると思っています。そして、その先住の民の光は、人間であることの根源から生まれてくる光なのだと思います」―。20年近く前、ハ-バ-ド大学で行われた講演の一部である。コロナ禍に遭遇した際、私は真っ先に宇梶フチのこの言葉を思い出した。そして、思った。「コロナとは、カムイモシリ(神々の国)から地球という惑星に遣(つか)わされた新入りのカムイではないのか」と…

 

 「パヨカカムイ」(徘徊する神=病気の神)―。アイヌ民族にとっては「病気」もカムイ(神)の眷属(けんぞく)であることについては、当ブログ(4月5日付と同24日付)でも再三、触れてきた。だから、今回の新型コロナウイルスもアイヌの精神世界ではれっきとしたカムイの一員なのである。地球狭しとウイルスをまき散らし続ける「コロナ神」からのメッセ-ジが耳元に聞こえてきた。「地球人のあなた方と仲良くしないことには、わしらも住む場所がだんだん、狭くなってしまう。ともに生きるしかないじゃないか」―

 

 

 特別定額給付金(10万円)の使い道について、あれこれ考えた。齢(よわい)80歳にして今さら「新しい生活様式」でもあるまい。だったらいっそのこと、残り少ない人生をコロナ神との対話に費やすのも一興ではないか。「コロナよ、お前さんはなぜ今ごろになって、我われの前に突然、姿を現わしたのかい」…。というわけで、勢いその関係の本が多くなった。残余金はまだある。どんな本が届くのか、これからも楽しみである。以下、6月3日現在のコロナ神から贈呈本一覧~

 

 

●「まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝祭資本主義批判」(鵜飼哲著)

●「郷愁―みちのくの西行」(工藤正廣著)

●「方丈記私記」(堀田善衛著)

●「ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊」(村上陽一郎著)

●「病魔という悪の物語―チフスのメアリ-」(金森修著)

●「感染症と文明―共生への道」(山本太郎著)

●「ゼロリスク社会の罠―『怖い』が判断を狂わせる」(佐藤健太郎著)

●「21Lessons21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)

●「モンテレッジォ―小さな村の旅する本屋の物語」(内田洋子著)

●「コロナ禍の時代の表現」(新潮2020・6)

●「ペスト」(ダニエル・デフォ-/平井正穂訳)

●「大地よ!アイヌの母神、宇梶静江自伝」(宇梶静江著)

●「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダ-ノ著)

●「人は、なぜ他人を許せないのか」(中野信子著)

●「カタストロフ前夜―パリで3・11を経験すること」(関口涼子著)

●「サル化する世界」(内田樹著)

●「感染パンデミック―新型コロナウイルスから考える」(現代思想5)

●「幻化」(梅崎春生著)

●「山海記」(佐伯一麦著)

●「アイヌと神々の物語―炉端で聞いたウウェペケレ」(萱野茂著)

●「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)

●「呪文」(星野智幸著)

●「思想としての<新型コロナウイルス>」(河出書房新社編)

 

 

 

(写真は「コロナ神」からプレゼントされた本の一部。もう少し届きそう。待ち遠しい)

 

 

 

 

《追記》~コロナ神へのカムイノミ(神への祈り)

 

 コロナ拡大を受け、北海道弟子屈町のアイヌ民族の有志らが18日、病気の神が人間に近づかないよう祈りの儀式を行った。民族衣装をまとった男女約40人が、病気の神「パヨカカムイ」に向けて思い思いの踊りを披露。音楽に合わせ、魔よけの効果があるとされるクマザサで宙を突いたり、両手で持ったアイヌ文様の布を上下左右に振ったりした。「弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会」の豊岡征則会長によると、アイヌ民族の共生の精神に基づき、儀式は病気の神を退治することを目的にしなかった。「儀式で『何とか鎮まりください。お互いに生きていきましょう』とお祈りした」と話した(4月18日付「秋田魁新報」=共同配信)