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“辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』

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 生まれ故郷で不遇をかこっていると思っていたら(1月7日付当ブログ「『宮沢賢治』という演繹法」参照)、賢治さん、今度はなんと基地の街・沖縄のとある路地裏に出没していた―。第160回の直木賞候補となり、第9回山田風太郎賞を受賞した真藤順丈さん(41)の最新作『宝島』の文中での思わぬ遭遇である。米国施政権下の沖縄を生きた若者たちの青春を描いたこの小説には孤児たちがたくさん登場する。米国人の血が流れる子もいる。主人公のひとりであるヤマコが読み聞かせをするシ-ンがある。

 

 「最初に選んだのはマ-ク・トウェインの『ハックルベリ-・フィンの冒険』。それから宮沢賢治の『風の又三郎』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と読みついだ。はじめは聞くほうの集中力がつづかなかったけど、そこはさすがに古今東西の児童の心をつかんできたちいさな英雄たちの物語だ。孤児たちもいったん没入すれば、主人公に感情移入してきゃあきゃあと楽しんでくれた」―。そういえば、賢治は村の分教場に転校してきた又三郎について「赤毛の子ども」と表現し、村の子どもたちには「あいつは外国人だな」と言わせている。昭和14年、この童話が初めて築地小劇場で上演された際、又三郎役を演じたのはロシア人の血が混じる俳優の故大泉滉(あきら)さんだった。混血孤児への読み聞かせにこの童話をさりげなく並べる作者の知力に脱帽したが、読み進むうちにぶっ飛んでしまった。

 

 541ペ-ジに及ぶこの大著はサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効した1952(昭和27)年から1972(昭和47)年の本土復帰までの20年間を「リュウキュウの青」「悪霊の踊るシマ」「センカアギャ-の帰還」の3部で構成されている。米軍施設から食料や衣類、薬などを強奪する「戦果アギャ-」たちの躍動ぶりは復帰の2年前、コザ市(現沖縄市)で米軍車両や施設を焼き討ちした“コザ暴動”でクライマックスに達する。エンタメの極致を堪能しつつ、最後のペ-ジをめくった私は「これは壮大なる叙事詩ではないか」という思いを強くした。

 

 「叙事詩は辺境に宿る」-というのが私の勝手な定理である。中央集権(ヤマト)の捨て石にされた辺境にこそ、いつかは芽吹く叙事詩のタネがまかれているのではないのか。昨年秋に読む機会に恵まれた『凍てつく太陽』(葉真中顕著)はアイヌ出身の特高(警察)を主人公にすえた「北の叙事詩」だった(2018年11月9日付当ブログ「現代版『新附の民』と歴史修正主義」参照)。『宝島』の中で主人公のレイが激して口走る場面がある。

 

 「返還によって日本(ヤマトゥ)のはしっこに加えてもらうんじゃない。国家の首都の座を獲得するのさ。1972年のその瞬間からは、沖縄(ウチナ-)が国の中心になって、この島の英雄が“最高行政主席”(プライム・ミニスタ-)になるのさ。そのぐらいの条件をつけなければ遺恨は晴れない。戦争をしないことにした日本の平和がアメリカの傘下(さんか)に入ることで成立しているなら、その重要基地のほぼすべてを引き受ける地方が国政をつかさどるべきだとは思わないか。地図の片隅にある島だなんて先入観にとらわれるな、それは本土(ヤマトゥ)の人間が描いた地図なんだから」―。ここには琉球王国の時代から「ヤマト世(ゆ)」、「アメリカ世」へと受難の歴史を歩んできた悲痛な叫びが凝縮されている。

 

 沖縄出身の作家としては例えば、石垣島で育った池上永一さん(48)の『テンペスト』や『ヒストリア』などが琉球・沖縄史を舞台としたエンタメ大長編として知られている。しかし、本作の作者は生粋のヤマトンチュ(日本人=本土人)である。この一大叙事詩がこの人の手になることにも驚かされる。真藤さんは新聞などのインタビュ-でこう語っている。「沖縄の複雑な諸問題は、現在の日本が抱える最大級の難題といってもいい。批判を恐れて萎縮して、精神的に距離を置いてしまうことは、ヤマトンチュがこれまで歴史的に沖縄におこなってきた『当たらず障らず』の態度と変わらない。現在の沖縄の問題と地続きですから、その時は筆が止まりました。逃げようと思ったこともあるが、それは沖縄を『腫(は)れ物』にすることであり、無関心をよそおうことと何ら変わらないと思った」

 

 私は昨年10月21日付の当ブログで「時代を隔て、いまに結ぶ…現代の『神謡』」と題して、こう書いた。「今年の沖縄全戦没者追悼式(沖縄慰霊の日=6月23日)で朗読された平和の詩『生きる』を口ずさんでいるうちに、ふとそんな思いにとらわれた。まるで通奏低音のように、それは遠い太古からのもうひとつの詩と共鳴し合っている。最近になってそのことに心づいた。96年前、詩才を惜しまれながら19歳で世を去ったアイヌ女性、知里(ちり)幸恵が死の前年に編訳した『アイヌ神謡集』の、それが序だったということに。『私は、生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ…』。そして、相良倫子さん(浦添市立港川中学3年)の『生きる』をその上に重ねてみる。すう~っと、溶けあっていくような、そんな感じ」―。アイヌ民族に伝わる神謡(カムイユカラ)は神々がうたう叙事詩である。

 

 我流の「定理」もあながち、的外れではないと最近思うようになった。とまれ、北と南の一大「叙事詩」を一読するようお勧めしたい。

 

 

(写真は注目を集めている『宝島』と著者の真藤さん=インターネット上に公開の写真から)

 

 

「宮沢賢治」という演繹法…ホワイトハウス請願、20万筆突破。一方で「辺野古」無法

  • 「宮沢賢治」という演繹法…ホワイトハウス請願、20万筆突破。一方で「辺野古」無法

 

 「引き取り論」や国民的な議論を促す「新しい提案」(2018年12月26日付当ブログ参照)など沖縄の米軍基地に対して、本土(ヤマト)側がどう向き合うべきかという関心が一部で高まりつつあるが、大方のヤマトンチュにとっては右(保守)も左(革新)も、上(政府)も下(一般国民)も相変わらず、「知らぬが仏」を決め込んでいるようである。その点、童話作家で詩人の宮沢賢治と同郷の私は幸か不幸か、この天才にからめて取られて身動きができそうもない。かつて、私は最大限の敬意を払いつつ、この大先輩を「不世出の詐欺師」と呼んだことがある。なぜって、その呪縛(じゅばく)からいまだに逃れられないでいるのだから…

 

 そのからくりを仮に賢治流の「演繹(えんえき)法」…つまり、“三段論法”と名づけてみようと思う。賢治のセリフで一番、人口に膾炙(かいしゃ)している言葉は詩「雨ニモマケズ」と『農民芸術概論綱要』(序論)に出てくる次のメッセ-ジである。教科書などにも取り上げられ、ほぼ全国民的に受容されていると言っても過言ではない。その一部を採録してみる。

 

●「東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ…」(「雨ニモマケズ」)

●「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要から抜粋)

 

 これらの文言をひと言でいえば、「(弱者への)寄り添いと世界平和」ということであろう。小学生でもわかる理屈である。東日本大震災の際、全世界からボランティアが被災地にかけつけた。「賢治に背中を押された」という声のなんと多かったことか。米国や英国の追悼集会で朗読されたのも「雨ニモマケズ」だった。でも、油断してはならない。イラク戦争を「正義の戦い」と言ったのは当時の米ブッシュ大統領だったし、最近では我が宰相も「(沖縄に)寄り添う」などと何とも口幅(はば)ったい。脇道にずれてしまったが、この三段論法を借用したのは実は私だった。花巻市議会の2010年12月定例会で、当時議員だった私と市長との間で次のような問答が交わされた。

 

 増子:「賢治の言葉は花巻の人間なら小学生でも知っていますし、市長自身もことあるごとにこの言葉の大切さを口にしています。これを裏返せば、沖縄に基地を押しつけている限り、わたしたち本土の人間の真の幸せも達成されないということだと思います。賢治精神の真髄は弱者や被差別少数者に寄り添うまなざし、共感のまなざしです。『イ-ハト-ブ(賢治が目指した理想郷)はなまき』の実現を標榜する本市としては、当然、こうした問題に向き合う際の視点も変ってしかるべきだと思います」

 

 市長:「賢治さんのこの言葉は戦争のない世界の到来を希(こいねが)ったもので、その意味では憲法第9条の精神にも通じると思います。たとえば、いまの現実の沖縄の武装関係(米軍基地の意)を本土のほかの自治体が受け入れるということになれば、その世界平和の精神に反することになるのではないかと思うわけです。つまり、米軍の基地またその支援をするようなことを日本国内あちこちでやるということ自体が、これは世界平和とは矛盾するのではないか、いわゆる賢治精神に矛盾するのではないかということを申し上げたわけです」

 

 この時の真逆の答弁に私は一瞬、虚を突かれる思いがした。原理的(あるいは教条主義的)には一理ある。だがしかし、そこには大きな落とし穴が仕掛けられているのではないか。「戦争は平和である」―。英国人作家、ジョ-ジ・オ-ウェルが小説『1984』の中に記したダブルスピ-チ(二重語法)の比喩を思い出したのである。この種のフェイクニュ-スはいま、至るところに転がっている。ポスト・トゥル-ス(脱真実)、オルタナティブ(もうひとつの事実)…。言葉の収奪が加速している。そして、「賢治精神」さえも沖縄へ背を向ける便法にすり替えられるというご時世である。

 

オ-ウェルはこうも言っている。「自由は屈従である」「無知は力である」―。沖縄総体に対する本土側の「無知」(=知らぬが仏)こそが沖縄に対する強権政治(安倍一強)を底支えしているというオ-ウェルの逆説に今こそ、学ばなければならない。真の意味での“詐欺師”が誰であるのか、勘(かん)の働く人ならばもう、お気づきのことだろう。市民パワ-をひとつに歴史と文化で拓く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)イ-ハト-ブはなまき」―。花巻市が掲げる将来都市像が泣いている。そろそろ、看板を塗り替えたらと思うのだが…。ちなみに30年前のこの日は昭和天皇が逝去し、翌1月8日から「平成」が始まった節目の年に当たる。

 

 

(写真は賢治の命日に奉納される郷土芸能。この日、「雨ニモマケズ」詩碑の前には賢治愛好家が全国から集まる=2017年9月21日、花巻市桜町4丁目の詩碑前で)

 

 

 

《追記ー1》~英国人ギタリストで天文学者のブライアンさんも呼応。署名締め切りは12月8日午後2時(日本時間)

 

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、県民投票が行われるまで埋め立て工事を中止することを求めるホワイトハウスの請願署名で、英ロックグル-プ、クイ-ンのギタリストで天文学者のブライアン・メイさんがSNS(会員制交流サイト)のインスタグラムとツイッタ-(短文投稿サイト)で署名への協力を呼び掛けている。自身も署名をしたとみられる。

 クイ-ンは故フレディ・マ-キュリ-さんがボ-カルを務めていたイギリスのロックグル-プで、「ボヘミアン・ラプソディ」や「ウィ-・ウィル・ロック・ユ-」など数多いヒット曲で知られている。現在、沖縄県内でも公開されているクイ-ンの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が全国的に大ヒットしている。メイさんは映画では音楽プロデュ-サ-として関わっている。

 メイさんは署名を日本時間で7日に行ったとみられる。「緊急」と書き出し、「美しいサンゴ礁とかけがえのない生態系を保存するために」とし、署名に協力するよう求めている。ツイッターなどでは新基地建設に反対している人々が「すごい」「ありがとう」「うれしい」などの投稿をして反応。「ブライアン・メイが署名を呼びかけてる!まだ署名していない人は今すぐぜひ!」「まだ間に合う」「20万以上を目指そう」と締め切りまで署名協力の拡散を図ろうと呼び掛けている。【1月7日付「琉球新報」電子版】

 

 

《追記―2》~ホワイトハウス請願、20万筆を突破

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画を巡り、米国ホワイトハウスの請願書サイトを利用してトランプ大統領に埋め立て工事を止めるよう求める請願書に賛同する署名は、開始から1カ月の期限となる日本時間8日午後2時までに約20万筆が集まった。署名運動はホワイトハウスの請願サイト「WE the PEOPLE」で昨年12月8日から始まり、開始11日目で10万筆を超えた。請願書は辺野古移設の賛否を問う2月24日の県民投票までの工事中止を求めているが、署名が1カ月間で10万筆を超えれば、米政府は何らかの回答をすることになっている。

 呼びかけ人でハワイ在住の作曲家、ロバ-ト・カジワラさん(32)にはホワイトハウスから連絡があり、米政府から回答があるまでは署名を続けられるという。このため、期限前には20万筆にわずかに届かなかったが、その後も署名は増え続けて20万筆を突破。サイトでは5番目に多い署名となっている。 カジワラさんは毎日新聞のメ-ルでの取材に「多くの人々が辺野古を守りたいと思っている証拠だ。世界中の人々が沖縄を支援し、辺野古のサンゴ礁を救うことに関心を持っていることを証明している」とコメントした。

 署名運動はツイッターなどのソ-シャル・ネットワ-キング・サ-ビス(SNS)で拡散され、沖縄出身タレントのりゅうちぇるさんやモデルのロ-ラさんらが賛同したほか、英ロックバンド「クイ-ン」のギタリスト、ブライアン・メイさんも「沖縄のサンゴ礁の破壊を止めるための請願書に署名する最後のチャンス」と協力を呼びかけた。【1月8日付「毎日新聞」電子版】

 

《追記―3》~「辺野古」無法…刃物を振り回す海上保安官

 沖縄の辺野古新基地の埋め立て現場で、警備に当たる海上保安官が抗議するカヌ-船団のつなぎロ-プをナイフで切断するという暴挙が起きた。芥川賞作家で連日のようにカヌ-による抗議行動を続けている目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」(1月9日付)の中で、動画を含めた暴挙の光景が詳しく公開されている。私が現場を訪れた昨年12月初旬(2018年12月6日・7日付当ブロブ参照)、埋め立て用土砂を積みこむ民間の「琉球セメント」桟橋の国道沿いにはカミソリの刃を張り付けたような、通称「カミソリ鉄条網」と言われる有刺鉄線が張りめぐらされていた。本土(ヤマト)の「知らぬが仏」を良いことに辺野古の無法状態は極に達しつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕張炭坑節…だんな様

  • 夕張炭坑節…だんな様

 

 妻を欠いた初めての年末・年始も沖縄・石垣島に住む娘夫婦と孫二人の嵐のような来訪で、あっという間に過ぎ去り、わが住まいは元の静寂に戻った。余りにも不気味な静けさに思わず、テレビのスイッチを入れて驚いた。新春12時間スペシャル(1月2日)と銘打った歌謡番組から流れてきたのは往年の演歌歌手、三船和子が絶唱する「だんな様」だった。故鳥井実作詞、岡千秋作曲のコンビで、1983(昭和58)年に発売されたこの歌は空前のヒット曲になった。最終節はこう結ばれている。「明日を信じて、お前と二人/お酒のもうと、差し出すグラス/私の大事なだんな様/あなたに寄り添い、いつまでも/心やさしい女房でいたい」(3番)

 

 単なる偶然とはいえ、5ケ月ほど前に妻を失ったばかりの私にとって、「だんな様」とは何ともタイミングが良すぎるではないか。が、次の瞬間、私はかぶりを振った。「否、これはヤマに散った男たちへの挽歌ではないのか」―。新人記者時代、九州での炭鉱取材の経験を生かし、北海道に転勤した後も自称“ヤマ記者”を名乗っていた。1981(昭和56)年10月、北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生、道内では戦後最大となる93人が犠牲になった。4年後の1985(昭和60)年5月、今度は三菱南大夕張炭鉱でガス爆発が起こり、62人が坑内に没した。この事故をきっかけに同鉱は5年後、閉山に追い込まれた。「だんな様」はこの二つの事故をちょうど真ん中にはさむようにして、うぶ声を上げた。

 

 夕張は豪雪地帯として知られる。振り積む雪は玄関口をふさぎ、屋根からずり落ちてきた積雪はまるで雪ふとんのように上下が合体していた。夜のとばりが下りるころ、居酒屋の灯りが雪明りのようにうっすらとあたりを照らし出す。キタキツネの足跡をたどるようにして、私たち取材班は行きつけの店に足を向け、冷え切った体を温めた。「俺家」(おれんち)という名前だった。地元紙の道新(北海道新聞)やNHK、共同通信、全国各紙の記者たちがいつも一緒だった。他に体力を維持する適当な店がなかったせいでもある。北炭事故で最後の遺体が収容されたのは163日後の翌年春だった。残っていた骨片は手の平に収まるほどに小さくなっていた。

 

 「がまんしている背中をみれば/男らしさに、涙が出ます/私の大事なだんな様…」(2番)―。しんしんと深雪が降りるある夜、店の中に「だんな様」の大合唱がこだました。同席したヤマの男たちの飲みっぷりの良さにうっとりし、板子一枚下の「地獄」から生還した時の(タバコの)一服の仕草にほれぼれしてしまう…。そんな男たちがある日突然、地底(じぞこ)に絶命する―、まるでヤケクソみたいになって、この挽歌を歌いまくっていたことを今でもまざまざと思い出す。そこには特ダネ競争にうつつを抜かす記者の姿はなく、幼児と見まごう亡骸(なきがら)にともに涙した“同志”たちが確かにいたような気がする。

 

 そういえば、足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した「田中正造」研究でも知られる在野の哲学者、花崎皋平(はなざきこうへい)さんも、当時住んでいた札幌からふらりとこの居酒屋に現れることがあった。その花崎さんから年賀状が届いた。「私は今年満88歳を迎えます。幸い、まだ(無病)息災ですので、反戦平和の活動と読み書きを続けたいと思っております」と記してあった。妻の別離とヤマの男たちの無念、そして、私よりも10歳年上の老哲学者からの励まし…。新年早々、「だんな様」が思わぬ縁(えにし)を紡ぎ直してくれた。

 

 作詞した鳥井は妻の死の約1か月後の昨年8月末に83歳でこの世を去った。このヒットメーカーが実は北海道生まれというのも奇縁といえば奇縁ではある。ひょっとして、この演歌は生と死のはざまに響く現代の「声明」(しょうみょう)なのかもしれないという思いがした。それにしても、「夕張」は演歌がぴったりのまちだった。

 

 

 

(写真は雪に埋もれる夕張の町並み。スト-ブは半年間、つけっぱなしである=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~「絶望の街」で終わらせない

 

 1月5日付「朝日新聞」全国版の社会面トップに、こんな見出しの記事が載った。「あの街/代替わり」と題したシリ-ズで、財政再建に苦闘する元炭都・夕張の姿を伝えていた。当ブログで言及したように、相次ぐ炭鉱災害と閉山の嵐の中で、夕張は2006年に財政破綻した。「第2の閉山」と呼ばれた。記事の中に元炭鉱マンの加藤博さん(86)が登場していた。15歳で石炭から土砂をふるい分ける「選炭」の仕事についた。最後に働いた炭鉱が閉じたのは87年。関東へ出稼ぎに出た―。「だんな様」を口にした、おそらく最後の世代だと思う。ヤマの男たちの苦楽を託したような、この演歌がいつの日かよみがえらんことを…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄から日本への…「新しい提案」

  • 沖縄から日本への…「新しい提案」

 

 「辺野古新基地建設の中止と普天間基地代替施設について国民的議論を深め、民主主義および憲法に基づき公正に解決することを求める」―。12月6日付で東京都・小金井市議会(五十嵐京子議長、定数24)から、首相並びに衆参両院議長、総務・外務・国土交通・防衛の各大臣、官房長官、沖縄担当大臣あてに、上記のような全国の地方議会で初めてとなる画期的な意見書が提出された。以下にその全文を掲載するので、まずその内容を読んでいただきたい。

 

 

 沖縄県名護市辺野古において新たな基地の建設工事が進められていることは、日本国憲法が規定する民主主義、地方自治、基本的人権、法の下の平等の各理念からして看過することのできない重大な問題だ。普天間基地の海兵隊について沖縄駐留を正当化する軍事的理由や地政学的理由が根拠薄弱であることは既に指摘されており、沖縄県議会はこれまで何回も政府に対して「在沖海兵隊を国外・県外に移転すること」を要求する決議を可決採択している。

 

 「0・6%に70%以上の米軍専用施設が集中する」という沖縄の訴えには、「8割を超える国民が日米安全保障条約を支持しておきながら、沖縄にのみその負担を強いるのは、『差別』ではないか」という問いが含まれている。名護市辺野古に新基地を建設する国内法的根拠としては、内閣による閣議決定があるのみだ。沖縄の米軍基地の不均衡な集中、本土との圧倒的格差を是正するため、沖縄県内への新たな基地建設を許すべきではなく、工事は直ちに中止すべきだ。

 

 また、普天間基地の代替地について沖縄県外・国外移転を、当事者意識を持った国民的な議論によって決定すべきだ。安全保障の問題は日本全体の問題であり、普天間基地の代替施設が国内に必要か否かは、国民全体で議論すべき問題だ。そして、国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという世論が多数を占めるのなら、民主主義および憲法の精神にのっとり、一地域への一方的な押し付けにならないよう、公正で民主的な手続きにより決定することを求めるものだ。なお、この意見書は米軍基地の国内移設を容認するものではない。

 

 よって、小金井市議会は国会および政府に対し、以下の事項による解決を強く求めるものだ。

 

1、 辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、米軍普天間基地を運用停止にすること

2、 全国民が責任をもって、米軍基地が必要か否か、普天間基地の代替施設が日本国内に必要か否か当事者意識を持った国民的な議論を行うこと

3、 国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、沖縄の歴史および米軍基地の偏在に鑑み、沖縄以外の全国の全ての自治体を等しく候補地とし、民主主義および憲法の精神にのっとり、一地域への一方的な押し付けにならないよう、公正で民主的な手続きにより解決すること

 

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 

 

 思想的によほど偏向している人を除いては、上記意見書に異議を唱える声は少ないと思う。では、なぜこんなにも「当たり前」の訴えが本土やその議会でこれまで閑却されてきたのか。その前に横たわるのが「NIMBY(ニンビ-)」(Not in my backyard=わが家の裏庭に来てもらっては困る)という、ある意味では当然の住民感情である。これを断罪するのは簡単であるが、今回の意見書はその壁に穴をあけようという新しい試みである。しかし、可決に至るまでは紆余曲折があった。

 

 9月定例会の段階で陳情に賛成した共産党市議団(4人)が意見書提出の段になると急きょ、反対に回った。陳情文の中に「(普天間基地の代替施設について)沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする」という文言があったため、同議員団は「我が党は安保破棄・全基地撤去が基本的なテ-ゼ」と主張。一時は意見書見送りが懸念された。結局、「米軍基地の国内移設を容認するものではない」という一文を入れることで合意に達し、13対10の賛成多数で上記意見書は可決された。

 

 「沖縄に基地があるのは仕方がない」(本土の保守・無関心層)という自己正当化と、「沖縄にいらない基地は日本本土のどこにもいらない」(共産党をはじめとする革新層)―。この二つの主張は一見対立しているように見えていて、実は沖縄の基地の固定化をその根底で補い支え合っているという点では同根である。私自身、当時花巻市議だった2010年12月定例会で今回の陳情と同じような趣旨で、「普天間飛行場の訓練の一部を受け入れる考えはないか」と当局の見解をただしたことがあった。共産党市議団から意想外の反論が浴びせられた。「女性暴行など米兵による犯罪と騒音被害は想像を絶しており、花巻市民がそれを受け入れなければならない理由などない」―。”対岸の火事”を決め込む姿勢に腰を抜かしたことを覚えている。

 

 今回、陳情を提出した沖縄出身で小金井市在住の米須清真さん(30)はこう述べている。「(意見書は)国内への基地移設が前提ではなく、『本土』の人たちに自分の問題と考えてもらい、国民的議論につなげるためのものです」(10月14日付「朝日新聞」)、「小金井市の市議たちが陳情内容に真剣に向き合ってくれた結果だ。全国各地で取り組みが広がれば…」(12月7日付「琉球新報」)…。小金井市議会の対応は花巻市議会の玄関払いの扱いに比べれば、大きな第一歩といえる。

 

 「沖縄発/新しい提案」の実行委員会責任者で司法書士の安里長従さん(46)は「辺野古移設の理由は『軍事的な理由でなく、本土の理解が得られないから』という本土と沖縄の不合理な区分に問題の根本がある。差別の問題だ。…きちんと自由と権利の問題だと伝えなければならない」(12月3日付「琉球新報」)と話し、その考えをまとめた同名の著作の中では「日本への民主主義の提案です」と記している。そう、民主主義の実践を呼びかける実に素朴な訴えにもかかわらず、それに背を向け続ける本土(ヤマト)への異議申し立てでもある。私はこの問題を議会で提起した際、「不道理」という言葉をあえて使った。「『沖縄』問題のことごとくが道理に合っていない」と考えたからである。

 

 「辺野古新基地建設」の工事を県民投票(来年2月24日)まで止めるよう求めるホワイトハウスの請願サイトの署名が目標の10万筆を突破し、1月7日の期限までに20万筆を超えるのは確実な情勢になっている。日本国憲法(第16条)も国民ひとり一人に請願(陳情)権が付与されていることを定めている。民主主義を構築するための、その行使こそが大切な一歩になるはずである。

 

(写真は世界一危険な基地と呼ばれる米軍普天間飛行場。この返還の交換条件とされているのが名護市辺野古への「移設」計画である=インタ-ネット上に公開の写真から)

《注》~日本国憲法第16条

  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、 平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 

《追記》~ブログ休載のお知らせ

 妻の喪中に当たるため、年末年始をはさんだしばらくの間、当ブログを休載させていただきます。来年こそ我が「ヒカリノミチ」に新たな光明が差し込むことを願いつつ…。良いお年をお迎えください。

 

「征伐」から「処分」、そして「保護」へ

  • 「征伐」から「処分」、そして「保護」へ

 

 名誉と尊厳を保持して、次世代に継承することは多様な価値観が共生し、活力ある社会を実現するために非常に重要」(12月19日)―。こう発言した同じ人物がわずか5日前には「辺野古移設が唯一の解決策。(沖縄の民意無視という指摘は)まったくあたらない」と述べている。前者はアイヌ民族を支援するための立法化、後者は米軍普天間飛行場の辺野古移設(新基地建設)をめぐり、土砂投入を強行した際の発言である。「ジキルとハイド」、いや古代ロ-マの「双面神」(ヤヌス)も顔負けのこの人物こそが影の総理ともささやかれる菅義偉官房長官である。二つの顔を使い分けることによって、この国の中央集権化(ヤマト化)は推し進められてきた。それは次のような三段階を経て、現在に至っている。

 

【第1期】~征伐期

 古代東北において、朝廷が蝦夷(えぞ=現在の東北地方)に対して行った征討。774年から811年まで続いた戦いは「38年戦争」とも呼ばれ、現在の中央集権化の基礎を築いた。「蝦夷征伐」とも。

【第2期】~処分期

 明治政府は1872(明治5)年、琉球国を廃して琉球藩とし,中央政府の管轄とした。 1875年には中国との関係を廃絶することを要求するなど政府の処分の方針を伝え、79年3月、琉球藩を廃して沖縄県を設置する旨を通告した。ここに琉球王国は約500年にわたる歴史を閉じた。

【第3期】~保護期

 1899(明治32)年、アイヌ民族の同化政策を進める「北海道旧土人保護法」が制定された。「保護」の美名に隠れたこの法律は1997年に「アイヌ文化振興法」が制定されるまで100年近く続いた。

 

 「征伐」→「処分」→「保護」…。巧妙に装いを変えながら、その根っこに貫徹するのはヤマトの揺るぎない「支配原理」である。「そう、この列島の北と南からヤマト(本土=内地→中央)の支配原理をあばき出す。その原点の戦いがいま、始まったのさ」(12月11日付当ブログ「沖縄―弔いの旅路」参照)―。旧知の沖縄・読谷村在住の彫刻家、金城実さん(79)の絞り出すような言葉がまだ、耳の底に響いている。

 

 京都大学(旧帝大)の人類学者らが1929年、今帰仁村(なきじんそん)の百按司(むむじゃな)墓から持ち出した遺骨の返還を求めて、「琉球民族遺骨返還研究会」(松島泰勝代表)は今月4日、京都地裁に提訴した。原告のひとりに金城さんも名前を連ねている。これに先立つこと6年前の2012年9月、北海道浦河町のコタン出身の小川隆吉さんら遺族3人が北海道大学を相手に、遺骨の返還と1人当たり300万円の慰謝料支払いを求める裁判を札幌地裁に起こした。2年前に大学側と和解が成立、12体分の遺骨が墳墓の地に再埋葬された。このほかにも全国12大学に1636体と、特定できない515箱分のアイヌの遺骨が収蔵されていることが判明している。金城さんが「この列島の北と南から…」と言ったのはそのことを指している。

 

 『武士道』の著作で知られ、国際連盟事務次長を務めた「新渡戸稲造」(1862-1933年)は、蝦夷征伐の拠点のひとつである岩手県の出身である。「願はくは/われ太平洋の/橋とならん」というメッセージや五千円札の肖像画など明(めい)の部分に光が当てられることが多いが、実は北海道大学の前身である札幌農学校時代に「殖(植)民学」を講義していたことは余り知られていない。こんな記述を残している。「北海道の殖民が大した困難を伴わなかったのは、原住民のアイヌ民族が、憶病で消滅に頻(ママ、「瀕=ひん」の間違いか)した民族だったからである」(『新渡戸稲造全集』第2巻)。北大名誉教授の井上勝生さんは自書『明治日本の植民地支配北海道から朝鮮へ』の中でこう指摘する。

 

 「この頃(1895年)の形質人類学では、欧米の影響を受けて、文明発展史や民族の優劣と関連させて、頭骨の形の解剖学的比較研究が、最新の学問として流行していた。新渡戸は、頭骨の比較研究に知識と強い関心を持っていた」―。金城さんの言葉の歴史的な意味が輪郭を伴って、せりあがってくる思いがする。「征伐・処分・保護」という支配原理を同一線上で同時に思考しなくてはならない。戦後日本の「知性」はそうした営為を怠ってきたのではないか。

 

  沖縄はもうすでにして、現代版「征伐」の段階に入っていると言わざるを得ない。そして、それに加担しているのが最初の征伐の対象だった、この蝦夷の地の民だったとしたら…。被差別者が差別者に容易に変身する「被支配原理」もまた、歴史が教えるところである。

 

 

(写真は土砂の強行投入に抗議する人たちに連帯を誓う玉城デニ-・沖縄県知事=12月15日午前、沖縄県名護市の米軍キャンプ・シュワブ前で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記—1》―アメとムチ

 

【東京】政府が2019年度の沖縄関係予算案に、沖縄振興一括交付金の補完を名目にした「沖縄振興特定事業推進費」を盛り込むことが20日、分かった。事業費は30億円。関係者によると、県が市町村への配分額を決める一括交付金と異なり、県を通さない新たな交付金として、国が市町村へ直接費用を充てられるという。市町村事業への予算配分で国の直接関与を強め、沖縄県の自主性を弱める懸念も含み、今後議論になりそうだ。
 

 同推進費は予算案で新たに盛り込まれた。新設の目的として、市町村の事業に迅速・柔軟に対応して推進するとしている。政府は19年度沖縄関係予算案を3010億円とする方針を固めている。総額では18年度当初予算と同額となるが、このうち一括交付金は前年度比95億円減の1093億円と縮減され、12年度の制度創設以降、最も低い額となる。(12月21日付「琉球新報」)

 

 

《追記―2》~民意はお構いなし

 

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向け、沖縄防衛局は20日、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部で埋め立て土砂の投入を続けた。着手から21日で1週間。県民や国民の批判をよそに、作業を加速させている。20日は名護市安和の琉球セメントの桟橋にダンプ498台で土砂を、シュワブに車両261台で石材やセメントを、それぞれ搬入。2日連続で2カ所同時の作業となった。2カ所で県警が抗議の市民を規制した。土砂の運搬船は従来の4隻態勢から6隻態勢に増えた。順番に安和桟橋で土砂を積み込み、シュワブ沿岸の「K9」護岸に陸揚げした。その後、ダンプが辺野古崎近くの「N3」護岸に運び、埋め立て区域内に投入した。(12月21日付「沖縄タイムス」)

 

 

《追記―3》~「征伐」の手法(芥川賞作家、目取真俊さんのブログ「海鳴りの浜から」=12月23日付)

 

 目取真さんは2016年10月、大阪府警から派遣された機動隊員から「土人」発言を浴びせられた。連日のように埋め立て反対のカヌ-を漕ぎ出し、辺野古の海で何が起こっているかの詳細なレポ-トをブログにつづっている。そこにはむき出しの暴力の実態が克明に記されている。「日本一の無法地帯」の現場で一体、何が起きているのか。

 

 

 22日(土)はカヌ-16艇で松田ぬ浜を出発した。抗議船2隻と合流し、午前中はK9護岸で陸揚げされる赤土混じりの岩ずり(土砂)の陸揚げ作業の様子を監視したあと、ランプウェイ台船が入れ替わるのに合わせてフロ-トを越え、抗議行動を展開した。埋め立て用に使用されている「岩ズリ」の赤土の含有量が問題となっている。下記のブログで詳しく検証されている。https://blog.goo.ne.jp/chuy/e/62f6664d09e564244df9daf72b66a525K9護岸の近くで見ていると、ランプウェイ台船に積まれている「岩ズリ」は、土が流れ落ちたのか表面は岩が多く見えるが、ショベルカ-で掘り崩すと大量の赤土が含まれているのが分かる。

 

 22日は天気がよかったので、K9護岸をダンプカ-が往復するたびに、赤い土ぼこりが舞い上がっていた。沖縄防衛局は沖縄県の行政指導に従って、埋め立てに使用している土砂の投入を即座に中止し、県の立ち入り検査に応じるべきだ。安倍政権は新基地建設のために法も論理も倫理も踏みにじっている。安倍首相や管官房長官は、よく恥ずかしげもなく「法治国家」という言葉を使えるものだ。

 

  抗議をしているさなかは自分もカヌ-を漕いでいるのでカメラを扱えない。拘束後にしか写真を撮れないのがもどかしいが、カヌ-メンバーは工事を止めるために、みな必死でカヌ-を漕ぎ、海保に拘束されたあとも抵抗を続けている。空になったランプウェイ台船が離岸して沖に移動したあと、次の土砂を積んだ台船がK9護岸に向かっていく。午前中でK9護岸の近くまで移動すると、午後1時頃から土砂の陸揚げ作業が再開された。

 

 K9護岸での土砂陸揚げと並行して、朝早く大浦湾に入ってきたガット船から、空になったランプウェイ台船に土砂を移し替える作業が進められた。2隻のランプウェイ台船を交互に使い、1日にガット船3隻分の土砂を陸揚げし、埋め立て現場に投入するサイクルができてきている。このサイクルをどう遮断し、遅らせていくかを玉城知事まかせにしてはいけない。

 

 沖縄県が行政権限を駆使して、工事を止めるために尽力するのは当然として、それをあれこれ評論するだけで、自分は各工事現場で行動しなければ、工事が止まるはずがない。辺野古のゲ-ト前、海上、安和の琉球セメント桟橋、高江のヘリパッド建設現場と抗議現場が増えることで、より多くの人手が必要となっている。 抗議行動を分散させるのは沖縄防衛局の狙いでもある。年末の忙しい時期だが、時間のやりくりをして各現場に駆けつけましょう。

 

 午後は抗議船に乗って辺野古側の状況を見に行った。N3護岸では土砂を積んできたダンプカ-がやってきて、投入のために海の方に降りていく。ドロ-ンで空撮された映像を見ると、海の破壊が進んでいて胸が痛むが、それで諦めて目をそむけてしまえば、破壊は拡大する一方だ。残された海の生き物の命を救うのは、私たちの努力しかない。

 

 K4護岸の上ではクレ-ン車やショベルカ-を使い、護岸の修復作業が進められていた。この護岸の高さはまだ半分でしかない。この高さまで土砂を入れて満杯にしても、さらにその倍までかさ上げしないといけないのだ。さらにその先には水深の深い大浦湾の工事がある。その大浦湾側の護岸工事を日本政府は2020年以降に先延ばししている。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-852512.html?fbclid=IwAR1BsISiNbfaVNjU-oJ2weDnYTaCXnXfxxwteZ6v2UPHBYkpWrnHlSrugLs

 

 軟弱地盤の問題について目途も立たないまま、辺野古側での埋め立てを進めることは、莫大な予算の浪費でしかない。展望もないまま暴走し、ブレ-キも効かない安倍政権の「あおり工事」を許してはならない。これは「沖縄問題」ではなく、日本全体に打撃を与える「日本問題」なのだ。