HOME > 議会報告

さらば、「イ-ハト-ブ」議会―そして、さようなら、妻よーさらに、医師の本然ということについてーあぁ、無情の中部病院かな

  • さらば、「イ-ハト-ブ」議会―そして、さようなら、妻よーさらに、医師の本然ということについてーあぁ、無情の中部病院かな

 

 「新人議員にとって、そこはまさに異次元の世界だった。見るもの聞くものすべてが珍しいことばかり」(平成22年9月28日付「岩手日報」日曜論壇)という書き出しで始まる、その寄稿文はこう結ばれている。「議会改革の入り口は、まさに議場出入り口の開閉行為の是非を論じることから始めなければならない」―。アラセブ(70歳)「最後の決断」を掲げた8年前(平成22年7月)の花巻市議会議員選挙で、初当選した私は初めての9月定例会の光景に腰を抜かしてしまった。議場の出入り口に陣取った若い議会事務局員がホテルのドアマンよろしく開閉にいそしみ、胸を張った議員や市幹部が次々と入場していった。私が投稿したこの記事には「理解できぬ議員の『特権』」という見出しが付けられていた。

 

 恐るおそる議場に足を踏み入れて、二度びっくりした。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に登場する妖精たちも顔負けの魑魅魍魎(ちみもうりょう)や道化役者が跋扈(ばっこ)する不思議な世界が目の前に広がっていた。当時は民主党による政権交代に伴う沖縄の「米軍基地」問題の顕在化や、引き続いて起きた東日本大震災と福島原発事故によって、政治の真価が問われる激動の時代に立たされていた。郷土の詩人、宮沢賢治が詩「雨ニモマケズ」で訴えた、受難者に寄り添う「行ッテ」精神が脚光を浴び、全世界から支援の手が差し伸べられた。ところが、足元では…。「義援金」流用疑惑や議員による被災者への暴言(「さっさと帰れ」発言)、追及した私に対する懲罰など「イ-ハト-ブ」(賢治の理想郷)の片隅では真逆の密室劇が連日のように繰り広げられていた。

 

 あれから8年―(7月)22日、花巻市議会議員選挙が告示された。26の定数に対し、28人(現職18人、新人9人、元職1人)が立候補した。そこに私の名前はない。今回、出馬を見送って、初めて真夏の夜の“悪夢”からハッと目覚めたような気がした。いま目の前には「3・11」を思い出させる西日本豪雨の惨状が荒野のように広がっている。「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ」(「雨ニモマケズ」)―。賢治の警句が今さらのようによみがえってくる。震災の記憶しかり、沖縄の米軍基地問題しかり…。世の中はこの警句に逆らうように推移してきたように思える。中央も地方もこの間、一気に奈落へと転げ落ちていった。私の議員生活はまるで虚空(こくう)に向かって虚しく、叫びつつけてきた2期8年間だったのだろうか。

 

 「共産党や公明党は『保守』で、自民党と日本維新の会が『リベラル』(革新)」―。早稲田大学現代政治経済研究所などが40代以下の政治意識を調査した結果。若者の保守化傾向が浮き彫りになった。しかし、このことは同時に地方議会で「保革」の境界線があいまいになったことの証左でもあった。国政の場で「議院内閣制」が機能しなくなってきたのと歩調を合わせるようにして、地方議会の基本原則である「二元代表制」も崩壊の淵に立たされている。いわゆる「オ-ル与党化」である。

 

 例えば、当花巻市議会では議員の生命線である「質問権」が行政トップによって、蹂躙(じゅうりん)されているにもかかわらず、それに異議申し立てする議員はわずかしかいない。本来なら、議会改革を先導すべき、いわゆる「革新系」議員が”保守化”(オ-ル与党化)に手を貸すという体たらくである。任期最後に当たる6月定例会で、私は上田(東一)市政に対する総括的な質問を37分間にわたって行った(6月7日付当ブログ参照)。政治理念や政治哲学を最後に問いたいと思ったのである。「書を捨てよ、町に出よう」―。寺山修司をてらったような暴言が飛び出した。その実、寺山の真意を理解している風もなく、こう言い放った。「(増子)議員は市政に関係のない本ばかり読んでいるらしい。外の声にも耳を傾けた欲しい」

 

 忠告に従って、以前購入した『地方議員』という本を再読してみた。著者の佐々木信夫さんは岩手県出身の元東京都職員で、行政学や地方自治論のプロである。こんな文章が記されていた。「無批判的にオ-ル与党化していく議会が、どんな役割を果たすのだろうか。議会の本来持つ野党的機能などはどこかに消え、すべて首長の提案を丸呑みする、単なる追認機関となってしまう。じつはそのことが、首長などの役所ぐるみの汚職をはびこらせる要因にもつながる。議会は、執行機関との関係では与党的な行動ではなく、基本的には野党的な関係にあることが期待されている。機関対立主義という考え方がそれだ。議員はそのことを忘れて行動してはならない」

 

 上田市長は答弁の際にこうも口走った。「(増子)議員の質問は抽象的で答えようがない。見てください.ほかの議員の皆さんは市政にかかわる事柄をきちんと聞いてくださる」―。質問時間を持て余したうえ、まるで”御用聞き”みたいな質問を見せつけられてきた身としては、鼻白む思いである。議員自身が馬鹿にされていることに気が付かない―これを称して「愚民政治」というのであろう。つまり、議員だけではなく、彼らを選ぶ有権者も馬鹿にされているということである。「安倍」一強ならぬ、「上田」一強体制がこうして、着々と築かれていった。これはもう、シェイクスピアの喜劇どころか、「賢治」悲劇の極みと呼ぶしかない。

 

 「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わりにします」―。今年1月26日に逝去した元自民党幹事長の野中広務さん(享年92歳)は、「米軍(駐留軍)用地特別措置法改正」(1997年)の採決に際し、異例の発言をした。絞り出すような口調で、野中さんは沖縄での体験を口にした。「タクシ-の運転手が突然、ブレ-キを強く踏んで車を停め、『あそこのサトウキビ畑で私の妹が殺された』と言ったかと思うと、急に泣き出した。号泣はしばらく止まらなかった」

 

 この列島の端から端まで、野中さんの思いを裏切るような方向に進んでいる。つまり、全国規模の翼賛化の動きである。加えて、最近の政治家のことばの劣化は目を覆うばかりである。森友・加計問題、公文書改ざん問題、セクハラ発言…。そして、その極めつけはオウム真理教元幹部の集団処刑と西日本豪雨が切迫するさ中、安倍晋三首相らが参加した「赤坂自民亭」なる”料亭”での酒盛り。時事芸人のプチ鹿島さんはこう語っている。「こういう時、いちいちギョッとして、反応しなくちゃいけないと思うんです。『あっ、また始まった』で済ませていたら、後で取り返しのつかないことになるんじゃないでしょうか」(7月21日付「朝日新聞」耕論「政治家/空疎なことば」)―。そういえば、私自身「ギョッとし続けた」8年間だったような気がする。

 

 今月29日、花巻市議会の新しい顔ぶれが決まる。議員としての矜持(きょうじ)を持し、正々堂々とと論陣を張ることのできる有為な議員の誕生を切に望みたい。高々と掲げられた「イ-ハト-ブはなまき」という将来都市像によもや、泥を塗ることがないように…。最後にナチスドイツと闘い続けたユダヤ系哲学者、ハンナ・アーレント(1906-1975年)の言葉を紹介して、ペンを置きたい。「凡庸なる悪」こそが政治を腐敗させる最大の要因であることを銘記しつつ…。

 

 「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」―。これからは外野席(傍聴席)から密室劇の成り行きを見守っていきたいと思う。では、さらば「イ-ハト-ブ」議会…

 

 

(写真は最後の一般質問。登壇質問としては過去最長を記録した=6月7日、花巻市議会議場で)

 

 

 2期8年間にわたって、お届けしてきた議会報告(ブログ)「イ-ハト-ブ通信」(1期目は「マコトノクサ通信」)を今回をもって、閉じたいと思います。脈絡のない乱暴な文章を書き連ねてきましたが、長い間のご愛顧に心から感謝を申し上げます。また、別の形でお会いする機会のあることを願っています。酷暑が続いています。西日本の被災地の皆さま、そして、お付き合いいただいた多くの皆さまのご健康をお祈りいたします。

 

2018年7月22日

花巻市議会議員 増子 義久

 

《追記-1》

 

 花巻市議会議員選挙の投開票日の29日未明、私の波乱万丈の議員生活を寡黙に見守り続けてくれた妻が旅立った。後半生は重い病と闘い続けた75年の人生だった。人生の最後を楽しんでもらおうと思っていたのに、不憫でならない。沖縄・石垣島に住む一人娘夫婦と二人の孫たちのそばのサンゴ礁の海に眠ってほしいと思う。新聞記者と議員という生活で苦労のかけっぱなしだった。こんな荒っぽい人生を支えてくれるのはたぶん、君しかいなかった。ありがとう。さようなら。

 

 

《追記ー2》

 

 詳しくは言及しないが、数年間に及ぶ妻のがん闘病記(肺がん)を観察しながら、医療現場の荒廃を感じることが度々あった。今回の直接の死因は消化器出血による”突然死”だったが、消化器内科での診察予約日の前日に息を引き取った。この間、呼吸器内科の主治医から消化器異状(小腸)の告知があったが、予約日まで約2週間の空白があった。妻は見る見るうちにやせ細っていった。本日(8月6日)、私自身の診察が同じ主治医(呼吸器内科)の元であったため、「医療法」の骨子(いわゆる「説明と同意」原則)をコピーして手渡した。以下に転載するが、医師の本然に立ち返ってほしいという願いからである。医師不足や患者数の増加に責任を転嫁してはならない。この日は73回目の広島原爆の日であった。

 

 

第1条 この法律は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項、病院、診療所及び助産所の開設及び管理に関し必要な事項並びにこれらの施設の整備並びに医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携を推進するために必要な事項を定めること等により、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もつて国民の健康の保持に寄与することを目的とする。

 

第一条の二 医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。

 

第一条の四 医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、第一条の二に規定する理念に基づき、医療を受ける者に対し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない。

 

 医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。

 

 

《追記ー3》

 

 当ブログの追記-2を書いた直後、岩手最古のジャズ喫茶オーナーで、東日本大震災で被災後、花巻市に移住していた友人の訃報が飛び込んだ。8月2日に食道がんの手術を受け、4日後の5日夕、急死したのだという。妻と同じ病院の消化器内科での出来事だった。単なる偶然だとはとても思えない。何かが欠けているのではないか。この国の劣化現象はあらゆる分野に及んでいるのかもしれない。大槌町の瓦礫の荒野の中で、レコードの破片を拾い集めたことを昨日のことのように思い出す。

 

 

《追記ー4》

 

 岩手最古のジャズ喫茶オーナーだった佐々木賢一さん(享年77 追記ー3)の葬儀・告別式が9日、ふるさとの大槌町で営まれた。東日本大震災で消失した菩提寺「江岸寺」のプレハブの仮本堂には訃報を聞きつけたジャズファンが集まった。畏友のサックス奏者、坂田明さんの「ひまわり」(同名の映画主題歌)と「家路」(ドボルザーク)が髭の賢ちゃんの遺影の前に響いた。震災直後、跡形もなく消えてしまったジャズ喫茶「クイーン」の跡地で吹いたのも同じ曲だった。辛うじて崩壊を免れた先祖の墓に賢ちゃんは、みんなに見守られながら帰っていった。妻に続いて、ジャズの奥義を教えてくれた友人が去り、今度は沖縄のこころを訴え続けた沖縄県の翁長雄志知事が旅立った。大切な人たちが次々にいなくなる。寂しい…。この日は73回目の長崎原爆の日であった。

 

 

《追記ー5》

 

 妻の診察の一件(追記ー2)で、私の主治医でもある同じ呼吸器内科の医師との信頼関係が崩れたと判断。8月6日の受診の際に看護婦を通じて、他への転院を希望し、紹介状の作成を依頼した。この際に必要な「診療情報提供料」も支払い、郵送の確約を得たが、11日までに届かなかった。ホームページを見ると、13日から3日間は盆休みの一斉休診となっており、届くのは早くても盆明けの16日以降になりそう。実は6月29日に妻の要介護・要支援認定の申請を花巻市に行ったが、必要書類である主治医の意見書の提出が遅れたため、審査判定が遅れるという経緯があった。この組織はどこまでタガが緩んでいるのか。もう、病院名を秘する必要はあるまい。当該病院はれっきとした「岩手県立中部病院」(北上市)である。

 なお、ブログ表記の市議職は8月1日をもって、「前職」になりました。肩書の訂正などデザインの衣替えを外注していますので、今しばらくお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.07.22:masuko:コメント(0):[議会報告]

私は政務活動費で、こんな本を買いました

  • 私は政務活動費で、こんな本を買いました

 

 地方議員の調査、研究などに支給される「政務活動費」をめぐる不正使用が全国的に問題になっているが、花巻市の上田東一市長が議会側に正式に受理された収支報告書の内容(使途)に介入するという前代未聞の事態が起きている(6月7日付当ブログ「『地方政治家のあるべき理想像』―そして、真逆の市長暴言」参照)。当市の政務活動費は年額24万円で、各議員に一括支給される。「花巻市議会政務活動費の交付に関する条例」によると、交付者は市長で、議長は収支報告書の写しを市長に送付することになっている。つまり、予算執行者の市長はその使途についても知り得る立場にある。その一方で、適正な運用を期するために議長には「調査権」が与えられている。

 

 今年4月10日付で受理された私の収支内訳(平成29年度分)は「資料購入費」が195,112円。うち新聞2紙(朝日新聞と岩手日報)の購読料が75、571円で、残りの119、541円が図書購入費。また、インクカ-トレッジやコピ-用紙、文房具などの「その他の経費」が32,854円で、差し引きの残額12,034円はすでに市側に返還している。一方、花巻市議会では平成28年12月、地方議会総合研究所の広瀬和彦所長を講師に招いて、「政務活動費の効果的な運用」についての研修会を開いた。その中で、広瀬所長は図書購入費に関して、「市議としての政治活動全般に必要、有益な知識を得るための必要経費だ」としたうえで、「幅広い知見を持つためにもジャンルを超えた本を読んでほしい」と述べた。

 

 例えば私がなぜ、「沖縄」関連の図書を多く購入しているのか。そのことと地方自治との関係性について、説明したい。日米安保条約と日米地位協定によって、在日米軍は日本国内に駐留しているが、その約7割が沖縄に集中しているのは周知の事実である。私たち花巻市民を含めた国民の安心・安全を担保する役割の大半が沖縄という一地方自治体に押し付けられている。“受益者負担”という観点から見てもこれはおかしい。だから、沖縄以外の地方自治体も当然のことながら、この不条理から目を背けてならない―というのが私の基本的な立ち位置である。小学生にでも分かる理屈である。沖縄の現実を知るためにまず本を読み、現地にも何度も足を運んできた。地方議員として、当然あるべき政務活動であると考えたからである。

 

 そのうえで、私は平成27年9月定例会で上田市長にこう質(ただ)した。「政治理念あるは政治哲学として、沖縄の痛みをどのように共有していくのか」―。こんな答弁が返ってきた。「花巻市域内の問題でない以上、憲法と地方自治法に定める市の権限と役割から、当市の地方自治に直接関連するとの判断をすることはできないものと考えています」(会議録から)―。ある意味で予想された通りの答弁だったが、双方に最低限の議論のきっかけができたことは評価できた。しかし、今回は違った。政務活動費について、誰も質問していないにもかかわらず、市民の代表者で構成する議会本会議場でその中身に口出しをする無礼もさることながら、二元代表制を足蹴(あしげ)にする強権支配に「安倍一強」の投影を見る思いがした。そもそも「市政とは何か。(質問要件とされる)市の一般事務とは何か」という議論をわきに置きながら、購読本を「市政」に限定するような“誘導発言”にその底意(そこい)が浮き彫りになった。

 

 一方で、議会側にも政務活動の範囲をめぐる論争はついて回る。例えば、平成28年6月定例会に日米地位協定の抜本的な見直しを求める請願が出されたことがあった。請願者は東日本大震災の被災者で、私が紹介議員になった。地方自治法はこう定めている。「普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる」(第99条)―。この種の議論で必ず持ち出されるのが、いわゆる「(国の)専管事項」論と「公益」論である。その意味では行政側と立脚点は変わらない。

 

 「岩手県には米軍基地はなく、地位協定との接点はない。ただ、花巻市民も観光などで沖縄を訪れることは多く、万が一でもそうした犯罪に巻き込まれることは想定しなければならない」(詭弁としての公益論)、「議会とは市民の願いを実現するために市政に働きかけるのが仕事であり、議会の権限外」(国の専管事項論)。一見、沖縄の現実に理解を示したように振る舞いつつ、不思議なことに革新系議員が主導する形で請願は不採択になった。米兵による婦女暴行や後を絶たない米軍機の事故や騒音…。こうした受難を少しでも減らそうと沖縄の全41市町村議会は日米地位協定の改定を求める意見書を提出している。この気の遠くなるような乖離(かいり)がすべてを物語っている。例えばそれは「沖縄差別」という言葉で代替されることなのかもしれない。

 

 

 以上、市議2期目の議会最終日(6月18日)を迎えるに当たり、政務活動費と購入図書との位置づけについて、その一例として「沖縄」問題へのアプロ-チを通じて、私なりの見解を述べたつもりである。「地方自治の本旨」(憲法第92条)に直接かかわる問題でもあるからである。沖縄関連本の手引きがなかったら、一地方議会での関連質問はそもそも想定できなかったと思う。「ジャンルを超えた」読書を勧めた広瀬所長の慧眼(けいがん)に感謝したい。『書を捨てよ、町へ出よう』は寺山修司の評論集のタイトルである。そこには彼一流のアイロニ-(逆説)やレトリック(修辞)、カリカチュア(風刺)が込められている。平成29年度中に政務活動費で購入した図書の全リストを以下に掲載する(購入順)。政務活動の範囲を逸脱していると言うのなら、その理由を教えてもらいたいものである。

 

 

1、「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」(奥野修司、1512円)

2、「沖縄 草の声・根の意志」(目取真俊、4531円)

3、「裸足で逃げる沖縄夜の街の少女たち」(上間陽子、1836円)

4、「命こそ宝―沖縄反戦の心」(阿波根昌鴻、842円)

5、「これってホント?誤解だらけの沖縄基地」(沖縄タイムス編集局編、1836円)

6、「森友学園事件の深層『皇国ニッポン』」(週刊金曜日臨時増刊号、700円)

7、「米軍と農民―沖縄伊江島」(阿波根昌鴻、842円)

8、文芸誌「文学界」2017年7月号(文藝春秋、970円)

9、「水俣を伝えたジャ-ナリストたち」(平野 恵嗣、2052円)

10、「今こそ、韓国に謝ろう」(百田尚樹、1400円)

11、「日本中枢の狂謀」(古賀茂明、2560円、中古)

12、「沖縄を生きるということ」(新城郁夫、2561円、中古)

13、「辺野古問題をどう解決するか―新基地を作らせないための提言」(新外交イニシアティブ、2344円)

14、「在日米軍 変貌する日米安保体制」(梅林宏道、950円)

15、「醜い日本人―日本の沖縄意識」(大田昌秀、1757円、中古)

16、「スノ-デン、監視社会の恐怖を語る」(小笠原みどり、2172円、中古)

17、「永遠の道は曲りくねる」(宮内勝典、1998円)

18、「影裏/第157回芥川賞受賞」(沼田真佑、1404円)

19、文芸誌「文学界」2017年9月号(文藝春秋、970円)

20、「狂うひと―『死の棘』の妻、島尾ミホ」(梯久美子、3240円)

21、「歴史を学び、今を考える―戦争そして戦後」(内海愛子、1620円)

22、「キジムナ-Kids」(上原正三、1836円)

23、「向井豊昭傑作集/飛ぶくしゃみ」(向井豊昭、2376円)

24、「小熊英雄詩集」(小熊英雄、756円)

25、「Journalism(ジャ-ナリズム)」2017年8月号(朝日新聞出版、800円)

26、「花びら供養」(石牟礼道子、2700円)

27、「ヒストリア」(池上永一、2052円)

28、「教団X」(中村文則、864円)

29、「R帝国」(中村文則、1728円)

30、「ルポ沖縄/現場記者が見た『高江165日』」(阿部岳、1512円)

31、「知ってはいけない/隠された日本支配の構造」(矢部宏治、907円)

32、「ダ-クツ-リズム入門/日本と世界の『負の遺産』を巡礼する旅」(風来堂、1620円)

33、「2084 世界の終わり」(サルサル・ブアレム、2592円)

34、「遠い山なみの光」(カズオ・イシグロ、756円)

35、文芸誌「文藝」2017年11月号(河出書房新社、1610円)

36、「リスクと生きる/死者と生きる」(石戸諭 、3155円、中古)

37、「日本二千六百年史」(大川周明、1188円)

38、「野火」(大岡昇平、464円)

39、「野火」DVD(1798円)

40、「東北おんば訳/石川啄木のうた」(新井高子、1944年)

41、「戦争とこころ―沖縄からの提言」(沖縄戦・精神保健研究会、1944円)

42、「ニュ-ヨ-クの王様」DVD(1849円)

43、「漫画 君たちはどう生きるか」(羽賀翔一、吉野源三郎原作、1404円)

44、「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎、1048円)

45、「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ、1058円)

46、「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ、864円)

47、「日の名残り」(カズオ・イシグロ、821円)

48、「日本人と象徴天皇」(NHKスペシャル取材班、778円)

49、「新宿歌舞伎町俳句一家『屍派』」(北大路翼、1728円)

50、「銀河鉄道の父」(門井慶喜、1728円)

51、「原発労働者」(寺尾紗穂、821円)

52、「黙殺/報じられない“無頼系独立候補者”たちの戦い」(畠山理仁、1728円)

53、文芸誌「群像」2018年1月号(講談社、980円)

54、「仕方ない帝国」(高橋純子、1728円)

55、文芸誌「群像」2018年2月号(講談社、980円)

56、「憲法の裏側、明日の日本は…」(井上達夫、1944円)

57、「トランプ症候群、明日の世界は…」(井上達夫、1944円)

58、「おらおらでひとりいぐも/第158回芥川賞受賞」(若竹千佐子、1296円)

59、「おひとりさまVSひとりの哲学」(上野千鶴子、821円)

60、「縄文の思想」(瀬川拓郎、907円)

61、「保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱」(西部邁、907円)

62、文芸誌「群像」2018年3月号(講談社、980円)

63、文芸誌「すばる」2018年3月号(集英社、950円)

64、文芸誌「文学界」2018年3月号(文藝春秋、970円)

65、総合雑誌「世界」2018年3月号(岩波書店、918円)

66、「維新の影―近代日本一五0年、思索の旅」(姜尚中、1512円)

67、岩波講座「文学(13)―ネ-ションを超えて」(小森陽一、3672円、中古)

68、「その後の震災後文学論」(木村朗子、2160円)

69、「保守と立憲―世界によって私が変えられないために」(中島岳志、1944円)

70、「琉球独立は可能か」(川瀬俊治、2376円)

71、「人間の居場所」(田原牧、799円)

72、文芸誌「群像」2018年3月号(講談社、980円)

73、「硫黄島」(菊村到、350円)

74、「東北を置き去りにした明治維新」(星亮一、1620円)

75、「ミライミライ」(古川日出男、2484円)

76、「仁義なき幕末維新/われら賊軍の子孫」(菅原文太、864円)

77、「日本人が忘れた日本人の本質」(山折哲雄、929円)

 

 

(写真は平成29年度に購入した「沖縄」関連本の一部)

 

 

 

 

2018.06.17:masuko:コメント(0):[議会報告]

「地方政治家のあるべき理想像」―そして、真逆の市長暴言

  • 「地方政治家のあるべき理想像」―そして、真逆の市長暴言

 

 花巻市議会6月定例会の一般質問が7日開かれ、私は師と仰ぐ元釜石市長の鈴木東民氏と元沢内村長の深沢晟雄氏(いずれも故人)の言葉を引用しながら、「地方政治家のあるべき理想像」について、上田東一市長の見解をただした。登壇しての質問が制限時間60分のうちの37分に及んだため、再質問の時間はほとんど残されていなかったが、上田市長から名誉棄損にも相当するような“とんでも発言”が飛び出した。

 

 上田市長は答弁の中で、激した表情でこう述べた。「(増子)議員は政務活動費24万円(年額)のうち、15万円以上も図書の購入に充てていると聞いている。市政に関連するのがどれ位かは分からないが、本ばかり読んでいないで、市民の声にも耳を傾けてほしい。勉強をするのは立派なことではあるが、自分に近いお友達とだけ付き合うのではなく、書斎を出て地元の行事にも顔を出してもらいたい」―。私はわが耳を疑い、抗議した。「思想・信条、尊厳にかかわる暴言だ。撤回してほしい」。上田市長はグダグダ弁解がましい言葉を繰り返しながら、傲慢に言い放った。「議員が不快に思うのなら、その部分は訂正する」ー。品性のひとかけらもない、あの人を食ったような財務大臣の発言と重なった。以下の質問の中にある鈴木、深沢両氏の発言とじっくり読み比べてほしい。

 

 

 

 議席番号2番、無所属・無会派の増子義久です。今回は議員2期目としては最後の一般質問の機会になりますので、まず過去4年間の議員活動を総括し、さらに上田市政の政策課題についても私なりに検証したいと思います。そのうえで、将来に向けた地方政治家(市長)としての理念あるいは自画像について伺いたいと考えます。4年間をトータルに振り返りたいと思いますので、質問の時間がこれまでより若干、長くなることをご理解ください。

 

 さて、私は平成26年の市議2期目の立候補に際し、「いざ、『イ-ハト-ブ』の建国へ」―をスロ-ガンに掲げました。当市が将来都市像として、「市民パワをひとつに歴史と文化で拓く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イハトブはなまき」―を標榜しているのを受け、一議員としてその実現に少しでも寄与したいと考えたからです。いうまでもなく「イ-ハトブ」とは当市が生んだ宮沢賢治による造語で、童話集『注文の多い料理店』の広告チラシがその出典とされています。厳密を期するため、その部分を読み上げます。「イ-ハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパ-ンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリ-ムランドとしての日本岩手県である」

 

 文中に出てくる「大小クラウス」はアンデルセンの『小クラウスと大クラウス』、「少女アリス」はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、「テパーンタール砂漠」はインドの詩人タゴ-ルの詩篇「旅人の国」と「渡し守」、「イヴン王国」はトルストイの『イワンのばか』からの引用ではないかと言われています。この文章だけからも賢治の心象世界の無限性が伝わってきます。

 

 私はいわゆるマニフェストではこう訴えました。「東日本大震災、とくに福島第一原発事故をきっかけに、『自然との共生』を説いた賢治精神がふたたび脚光を浴びています。記憶の風化が叫ばれる今こそ、この精神をベ-スにした賢治の理想郷―『イ-ハト-ブ』の建国を急がなければなりません」―。その上で、次の4つの「建国」事業の実現を公約に掲げました。

 

①~「震災と賢治」に関する常設コ-ナ-の設置や平泉―花巻―遠野―沿岸被災地などを結ぶ「理念型観光」ルートの確立

②~羅須地人協会や「下の畑」など賢治精神の発信基地でもある「花南地区」の時空間の充実

③~賢治の生家やゆかりの建物などを生かした「賢治の息遣いが聞こえる」中心市街地の活性化

④~「雨ニモマケズ」精神(受難者や弱者へのまなざし)の具現化

 

 時あたかもこの年に初当選を果たした上田東一市長は3月定例会において「賢治のまちづくり」について、以下のように述べられました。「まず、宮沢賢治さんの生誕地であることを誇りとするということ。それから賢治さんの精神、いろいろな角度がありますけれども、それを学んでいくこと。それから、賢治さんが雨ニモマケズの中で言っております、我慢強さとか忍耐強さを忘れないこと。それから助けが必要な人に対して、ごく自然に手を差し伸べる。こういうことが賢治精神の中にあるだろうと思うのです。それを生かして市民の皆様と一緒になってまちづくりを進めていきたいと、そのように考えております」(会議録から)

 

 前置きがいささか長くなってしまいましたが、以下、何点か具体的にお聞きしたいと思います。今年3月31日付の岩手日報に「『元気なまち』復活へ」と題する上田市長へのインタビュ-記事が掲載されています。残念ながら、私が公約で訴えた「建国」事業に関しては具体化した施策はほとんど見当たりませんでした。ひとえに私自身の力不足であったと反省しています。

 

 上田市長はこのインタビュ-の中で、1期目の総括と2期目に向けた決意について、①人口減少対策、②市街地の再生、③交流人口の拡大、④防災力の強化―の4つを重点施策に挙げ、具体的なプロジェクトの推進・継続を約束しています。例えば、総合花巻病院の旧厚生病院跡地への移転整備事業、医療費助成や保育料の負担軽減、子育て世帯への移住支援、総合支所の強化、観光資源を生かしたインバウンド政策の推進、新花巻図書館の整備計画―など少子高齢化社会に向けたインフラ整備に積極的に取り組んでいることが強調されていました。

 

 こうしたプロジェクト、とくに総合花巻病院の移転整備事業と新図書館建設を推進するために導入されたのが、コンパクトシテイ・プラス・ネットワ-クと呼ばれる「立地適正化計画」だと考えます。平成30年5月現在で、都市機能誘導区域と居住誘導区域を含む計画を策定した自治体は全国で123市町村にも上っており、当市は全国で3番目の平成28年6月に策定しています。市税の減少を補う財源確保は喫緊の課題であり、有利な国の補助制度を活用するというのは行政の手法としては当然のことなのだろうと思います。

 

 ところで、上田市長が初めて立候補した際のマニフェストの冒頭には「花巻に新しい風を!」―というスロ-ガンが掲げられていました。「風」と言えば、まず賢治作品が思い当たります。『風の又三郎』や『注文の多い料理店』などその多くの作品では風が「どぅ~」と吹けば、目の前の光景ががらりと変わってしまいます。つまり「風」は賢治にとっては変革のシグナルでもありました。さて、上田市長はどんな「風」を吹かせてくれるのであろうか。「これまでになかった、何か新しいことを実現してくれるのではないか」―市民の大きな関心もこの一点に注がれました。

 

 ところが、1期4年を経過したいま、その「新しい風」つまり政策における「上田色」がもうひとつ見えてこないというのが私を含めた大方の市民の実感ではないかと思います。期待感が過剰に大きかっただけにその乖離(かいり)も随分と目立つようになりました。例えば、先ほどの立地適正化計画など国の各種制度に過度に依存することによって、逆に自治体側の自由裁量の範囲が狭められたことがその原因のひとつではないかという指摘もあります。合併特例債やまちづくり基金、財政調整基金などを有効に活用して、上田色を思い切って前面に出した政策を進めることはできないのかという声もあちらこちらから耳に入るようになりました。ここで、お尋ねします。2期目の上田市政がスタ-トした現在、市長は花巻市にどのような「新しい風」を吹かせようとしているのか、上田色をどう打ち出そうとしているのか―その辺の思いを語っていただければと思います。

 

 さて、上田市長はことあるごとに、この立地適正化計画が全国で3番目に策定されたことをしきりに喧伝(けんでん)されておられます。その位置づけに特段の異論はありませんし、限られた期限内で計画の策定に当たった現場の職員には敬意を表します。ただ、策定の順位争いを聞かされれば聞かされるほど、何かそぞろ虚しい気分になってしまいます。なぜなのか。計画の中身を時間をかけてじっくり練り上げるいとまもなく、現場の職員が国から降りてくる膨大な業務にきりきり舞いさせられているのではないかと想像するからです。とくに次々に繰り出されるいわゆる「アベノミクス」以降、その業務量は益々増えているのではないかと思います。

 

 当市の職員として総務課長の経験もあり、現在、市の教育委員とコミュニティアドバイザ-でもある役重眞喜子さんの論考が雑誌『ガバナンス』1月号に掲載されています。例えば「地方創生」のように市町村に策定を求める計画が増加の傾向にあることを踏まえた上で、役重さんはこう述べておられます。

 

 「こうして職員の膨大な時間と労力が奪われるのだが、もっと深刻な問題はそのメンタリティの変化である。上ばかり見て住民を見ない。事務をこなすことに汲々とし、地域に出ていくモチベ-ションが低下する。このままでは『住民力』という自治体職員の最大の武器を自ら失いかねない」として、こう続けています。「さらに悪いのは、首長自身が国やメディア受けする“パッと見”の良い施策に傾倒するケースであり、管理職がこれを追認、若手職員は上の顔色とSNSの『いいね!』の数に一喜一憂。こうなるともはや庁舎内は『やらされ感』、『ソンタク』という見えないガスが充満し、窒息寸前に…。こうならないうちに、打つべき手はないだろうか」

 

 私自身、こうした職場環境の変化―風通しの悪さが肝心の計画の中身に微妙な影響を与えているのではないかと思うことがあります。愛媛県今治市への獣医学部の新設で取りざたされている「加計ありき」ではありませんが、例えば、総合花巻病院の移転に関しても、病院側からの働きかけというよりは、むしろ市側の事情で行政側が主導した「立地適正化計画ありき」ではなかったか?という疑念が病院内からももれ聞こえてきます。また、佐々木忍副市長がいみじくも「至難の技」と言った「医師確保」についても結局、明確な展望が示されないままに建設工事が着工されました。「至難の技」というのは「事実上、不可能」と言っているのと同義語だと思います。「仏作って、魂入れず」ということにならないかという懸念の声が開業医の間からも出ています。地域住民に寄り添い、そのニ-ズがきちんと計画に反映されているかどうか。「計画」のための「計画」になってはいないか―。そういう懸念や疑念だと思います。

 

 さらに「過労死」が社会問題化する中、「働き方改革関連法案」が強行採決されるなど職場の労働環境への関心が過去にないほどの高まりを見せています。当市においても職場によっては、仕事量が膨大に増えるという悪循環に陥り、職員の過重労働や心身の健康面を気遣う声が庁内外からも伝わってくるようになりました。役重さんは現場経験を踏まえた上で、いわゆる一般論として述べられたのだとは思いますが、それにしても随分と手厳しい指摘です。最近、国政の場-とくにいわゆる「森友・加計」問題をめぐって、行政が歪められているのではないかという疑念が大きな社会問題になっています。こうした危機が地方自治体にも及んでいるのではないか、「ガバナンス」(統治能力)が低下しているのではないか―という観点に立ち、止むに止まれない気持ちから思い切った提言に及んだのだと推察します。

 

 ちなみに、当市にゆかりのある新渡戸稲造は『武士道』(奈良本辰也訳)の中で「忠義」について、こう述べています。「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にする者に対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣(ねいしん)』すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣(ちょうしん)』すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」―。「忖度(そんたく)」をこれほど的確に言い当てた言葉をほかには知りません。

 

 役重さんは論考を次のような印象的な話しで結んでいます。「私がこれまで最も尊敬した自治体職員、それは学校給食センタ-の栄養士と調理員さんだ。厳しい安全基準を懸命に守りつつ、彼女らは笑顔で言った。『今日は地元の野菜とつゆを使ったから、絶対完食よ』―そんな日、食缶はきっと空で戻ってきた。『残食が多いから、このクラスは来週風邪が流行るわよ』と言えば、必ずそうなった。彼女らには、食缶の向こうにいつも子どもたちの顔が見えていたのである」―。目の前にその現場の光景が浮かんで来るような気持にさせられます。

 

 「忖度」という言葉は昨年の流行語大賞に選ばれました。役重さんはこの提言の中で、忖度とは対極に位置する関係―つまり、地域とつながり、住民から顔が見える「住民プロフェッショナル」になることの大切さを訴えています。ずばり核心を突く指摘で、私たち地方議員も含めた地方政治家の姿勢が問われているのだと思います。この点について、同じ地方政治家としての立場から、何かご感想があればお聞かせください。

 

 さて、今年4月10日付岩手日報の「日曜論壇」に当市在住の男性が「横丁の灯 消え寂しさ」というタイトルの原稿を寄せていました。釜石名物の「橋上市場」が15年前に撤去され、今度は東日本大震災で被災し、仮設店舗で細々と営業を続けていた「呑ん兵衛横丁」の灯りが消えたことを惜しむ内容でした。

 

 甲子川にかかる橋上市場はイタリア・フィレンツェとここ釜石にしかない珍しい形式で、露天商の救済のために建設されたと言われています。また、呑ん兵衛横丁は先の大戦で夫など肉親を失った戦災未亡人の職場を確保するために作られ、作家の故井上やすしさんのお母さんも働いていたことでも有名になりました。寄稿文はこう結ばれていました。「橋上市場と呑ん兵衛横丁という、かけがえのない釜石の遺産。この二つを発案したかつての釜石市長、鈴木東民が生きていれば、この問題をどうとらえただろうか」―。また、東日本大震災で被災し、現在、東和町に移住している男性もある時、「東民さんが生きていたら、この大震災にどう向き合っただろうか。あの人の決断力があったならば…」とふと、洩らしたことがありました。

 

 現在、朝日新聞の全国版でルポライタ-の鎌田慧さんの伝記(聞き書き)が連載されていますが、その鎌田さんに『反骨 鈴木東民の生涯』という大著があります。この本によると、釜石に隣接する当時の唐丹村に生まれた鈴木東民は東京大学を卒業後、いったん朝日新聞に入社し、その後、いまの電通の特派員となってドイツへ渡りました。帰国後に読売新聞に入社、外報部長などを歴任。この間、徹底した反ナチス報道が原因で職場を失うことになります。戦後、読売新聞に復帰し、有名な「読売大争議」を指導しましたが、今度はGHQによって追放されるという波乱万丈の人生を送りました。

 

 郷里に戻った東民は昭和30年5月、60歳で釜石市長に当選。42年に落選するまで3期12年を務め、市長落選後に立候補した市議選ではトップ当選を果たして、周囲をあっと言わせました。市長当時、釜鉄(当時の富士製鉄釜石製鉄所)から排出される降下ばいじんは「世界一」と言われ、東民は盛岡など5市2町1村に呼びかけて「岩手県公害防止対策協議会」を結成、その後の全国的な「公害反対運動」の先駆けを作ったことでも知られています。鎌田さんは同書の中で、東民が市長落選後、親族に宛てた手紙を紹介しています。こんな内容です。

 

 「公害阻止のため釜鉄とたたかい、ぼくは市長選に敗れて釜石を追われたが、ぼくの代わりにサケがやってきた。公害を阻止したおかげである。民主主義を招来するために、戦争に反対し、起訴され、職を奪われ、強制疎開させられ、餓死一歩手前まで追いつめられたぼくの一生は、弱者の一生だった。現在の社会では正義を守ろうとする者は強者にはなれない」。鎌田さんは東民の一生について、「鈴木東民はたしかに彼の敵と闘いつづけた。が、彼はもっとも自分自身と闘いつづけけていたのだった」と同書のあとがきに書いています。

 

 もうひとり、「生命行政」を貫き通した、故沢内村長の深沢晟雄(ふかさわまさお)にも触れたいと思います。上田市長も以前、地元紙のインタビュ-に答え、深沢村長を尊敬する地方政治家の一人に挙げていたと記憶しています。鈴木東民が釜石市長として、獅子奮迅の働きをしていた昭和35年、深沢村長は国の反対を押し切って、65歳以上の医療費無料化を実現し、翌36年には60歳への引き下げと1歳未満の乳児の無料化に踏み切りました。この時の名言がいまに語り継がれています。

 

 「国民健康保険法には違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」

 

 現在、老人医療費は有料になっていますが、深沢村長の予言通り、昭和44年に秋田県と東京都が無料化し、昭和48年には国が70歳以上を対象に無料化の実施に踏み切りました。沢内村は深沢村長の理念を受け継ぎ、その後も村単独で無料化を続けました。しかし、平成17年に湯田町と合併して西和賀町となった際、約45年にわたる老人医療費無料の歴史に幕を下ろすことになりました。

 

 鈴木東民と深沢晟雄に共通するのは、弱者に寄り添うという姿勢だと思います。私はこの二人を地方政治家の師と仰いで議員生活を送ってきたつもりですが、結局、足元にも及ばなかったという悔恨だけが残っています。ここで、お尋ねします。上田市長が理想とする地方政治家には深沢村長以外にどんな方がおられるでしょうか、この際、ぜひお聞かせ願います。

 

 ところで、今年は明治維新150年に当たりますが、私たち東北人にとっては「戊辰戦争」150年ということになります。新政府軍(西軍)側についた秋田・佐竹藩に対し、奥羽越列藩同盟は兵を向けました。いわゆる「秋田戦争」です。花巻城下からも多くの武士が参戦しました。その意味で、花巻城址は貴重な歴史遺産でもあります。

 

 城跡の高台にはかつて、東公園と呼ばれた市民の憩いの場があり、その一角に「はなまき」のまちづくりに貢献した194人の名前を刻んだ「鶴陰碑」が建っていました。その中の一人が上田市長のご先祖に当たる「上田弥四郎氏」です。儒者としても知られましたが、建築関係にも造詣が深く「造作文士」と呼ばれたと記されています。江戸・文化年間の城の大改修工事の陣頭指揮に当たったのが、この上田氏でした。一方、鶴陰碑を揮ごうした「小原東離」(忠太郎)は、秋田戦争にも加わった私の曽祖父です。縁(えにし)の不思議に驚いたことを覚えています。

 

 さて、この花巻城址(旧新興製作所跡地)の取得をめぐっては上田市政と私を含む議会側の一部とが対立する形になりました。上田市長は「利用目的が決まっていない物件に市民の税金を投入するわけにはいかない」と主張。私たちは「由緒ある土地を取得し、将来のまちづくりに有効利用すべきではないか」と反論しましたが、結局、市側は取得を断念することになり、現在に至っています。国道沿いにある花巻城址にはいま、コンクリ-ト殻などの残骸が放置されたままになっています。本来ならパチンコ店やホームセンタ―が建設される予定でしたが、土地取得者らのトラブルによって、無惨な姿をさらし続けているのが実態です。ふと、150年前の光景がまなうらに浮かびました。戊辰戦争に敗残した当時の無念が二重写しになったのでした。

 

 上田市長は第三者の手に移った以上、今後、この問題が市政課題にはなり得ないという見解の取っているようですが、戊辰戦争150年の今年、あの遠い記憶を呼び戻してくれる光景が目の前に現存しているという、歴史の巡り合わせにある種の感動すら覚えます。午前中の近村議員の質問にも城跡の一部を取得し、「花巻城・城跡公園」の整備を要望する内容が含まれていました。戊辰戦争など幾多の苦難をくぐり抜けてきた、かけがえのない「歴史遺産」の価値をそこに見出しているからだと思います。上田市長は花巻城址のあの無残な姿を見て、どのような思いにかられるのか―何かありましたならば、お答えください。

 

 最後になります。アメリカでの生活が長い上田市長はご存じかもしれませんが、ニュ-ヨ-ク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがる保留地に6つのインディアン部族で構成される部族国家集団があります。シックス・ネイションズとも呼ばれる「イロコイ連邦」です。この部族集団はすべての武器を土に埋め、戦争と武器の放棄を宣言しました。“憲法”ともいえる「イロコイ連邦憲章」の中にこんな一節があります。「どんなことでも7世代先(セブンス・ジェネレ-ション)のことを考えて決めなくてはならない」―。一方の賢治は「イ-ハト-ブ」を「ドリ-ムランド」(夢の国)と呼んでいます。

 

 以上、議員2期目の総括と上田市政の検証をるる述べさせていただきました。こうしたことを踏まえた上で、上田市長が花巻の未来に向け、どんな展望や夢を抱いているのか、理想とする政治家像をどう描いているのか―忌憚のないお話をいただければ幸いです。長広舌(ちょうこうぜつ)を重ねたことをご容赦ください。登壇質問にしては異例の長さになりましたが、最後までご清聴ありがとうございました。これで登壇しての質問を終わります。

 

 

(写真は2期目のマニフェストや選挙用はがき。「イ-ハト-ブ」の建国を謳った)

 

 

 

2018.06.07:masuko:コメント(0):[議会報告]

春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

  • 春爛漫大公演―「イ-ハト-ブ劇場」(全三幕)

 

 「一個の妖怪がヨ-ロッパを徘徊している――共産主義の妖怪が…」―。『共産党宣言』(序文)にならって言えば、「一個の(忖度という名の)妖怪が日本全国を徘徊している――全体主義の妖怪が…」とでもなろうか。しかもまるでパンデミック(感染爆発)みたいに…。官庁の中の官庁と言われる財務省の公文書「改ざん」事件が朝日新聞のスク-プによって、その氷山の一角が明らかにされつつある。かつて、同じ職場に身を置いた一人として、後輩たちの頑張りに敬意を表しつつ、足元への感染度合を検証するために一計を案じてみた。突破口は議員にとっての生命線―「質問権」である。花巻市議会3月定例会の予算特別委員会で繰り出した質問は全部で25項目。その質疑応答の中から垣間見えてきたのは、地方自治の大原則である「二元代表制」が無惨にも崩壊しつつある姿だった。「イ-ハト-ブ劇場」は3月22日、閉幕した。

 

 

【第一幕】~「酒気帯び運転もご心配なく!?」

 

 花巻市は総務省が提唱する「地域おこし協力隊」の活用に積極的に取り組んできた。現在の隊員は10人で、ぶどう農家の支援(大迫町)などで大きな成果を上げている。応募条件の中で目を引くのが隊員に対する公用車の貸与。他の自治体でも同じような制度を導入しているが、当市の特長は私用に利用することも認めていることである。これに関連し、上田東一市長は同僚議員の一般質問にこう答弁した。「事故についても酒気帯び運転なども含めてすべて(市が加入する保険で)カバ-するので、ご心配はいらない」。一瞬、耳を疑った。言葉は政治家の命である。口にするのも憚(はばか)られるというのはこんな類(たぐい)の発言を指す。

 

 予算特別委員会(照井省三委員長=社民党系「平和環境社民クラブ」所属)に場を移したのを受け、私は問うた。「あえて酒気帯び運転に触れた真意がわからない。政治家として不適切な発言だと思う。撤回する用意はないか」―。撤回に応じる素振りを見せない上田市長に代わって、逆に私の質問を封じたのは照井委員長の方だった。いわく―「ここは予算審議の場。撤回を求めるのはふさわしくない」。予算執行の最高責任者の言質を問うた意味がこの委員長にはどうも理解できないらしい。私はすかさず挙手をした。「この種の発言を看過し、そのまま会議録に残すことは議会の品位にもかかわる。この場を借りて遺憾の意を表しておきたい」。公正中立を逸脱する委員長采配に一抹の不安を抱いたが、事態はより深刻な方向に進展していった。信じられないことが起こった。

 

 

【第2幕】~「質疑妨害、そして証拠隠滅!?」」

 

 当市は平成30年度当初予算に「第3子以降保育料負担軽減事業」として、約3千8百万円を計上した。少子化対策に前向きに取り組む施策と評価したうえで、私はその政策形成過程をただした。「花巻市議会基本条例」はその13条で「議会は市長が提案する重要な政策について、その政策水準を高めることに資するため」―として①必要とする背景、②提案に至るまでの経緯、③財源措置、④将来にわたるコスト計算など6項目の説明を求めることを定めている。この事業についての現場の事務事業評価(行政評価)にはこう書かれていた。「年齢制限の撤廃による対象範囲の拡大や補助率の拡充が考えられるが、どちらの場合も事業費が倍増することから、現在の市単独事業としての拡大は困難と考えられる」

 

 私は現場の認識と“政治判断“との調整…つまり予算編成のかなめの部分を問うたつもりだった。突然、後部の議席から怒声交じりの声が背中越しに聞こえてきた。一問一答形式の質疑の間に別の議員が割って入るのは余程の緊急事態以外には考えられない。よく聞き取れなかったが、「質問自体が予算審議になじまない」と主張しているらしかった。議事の混乱を避けるため、私は質問をいったん留保。休憩時間帯にこの間の経緯の説明を求めた。「動議と受け止め、発言を許可した」というのが照井委員長の言い分だった。議会事務局側に録音の再生を申し出てまた、腰を抜かしてしまった。その部分の発言は正式に委員長の許可を得ない、いわゆる「不規則」発言と判断し、録音していなかったことがわかった。

 

 つまりはこういうことである。不規則発言によって、私の質問が妨害されたうえ、その証拠となる録音記録も存在しないという摩訶不思議な出来事が起きていたのである。事務局側の録音停止の判断に疑義を差しはさむものではない。それにしても、まるで阿吽(あうん)の呼吸でも図ったみたいなこの“偶然の一致”…。お見事と言うしかない。

 

 それにしても、何とも既視感のある光景ではないか―。現在に至るまで国政を揺るがしている「森友・加計」問題……「あったこと」が「なかったこと」にされ、目の前では公文書が改ざんざれるという前代未聞の不祥事が連日のように報道されている。その正体こそが「忖度(そんたく)という名の妖怪」に他ならない。中央―地方を問わず、その背後にうごめくのは「一強」をほしいままにする“権力”の存在である。二元代表制の行司役であるべきはずの予算委員長がそのボディガ-ドになり下がった構図がすかし絵のように浮かび上がった。太鼓持ち、茶坊主、腰ぎんちゃく、幇間(ほうかん)、佞臣(ねいしん)…。こんな言葉が浮かんでは消えた。

 

 

【第三幕】~「誤解は招くが、『不適切』ではない!?」

 

 当市中心部の国道沿いに「景観」を損(そこ)ないかねない空間が放置されたままになっている。かつて、漢字テレププリンタ-などの生産で戦後花巻の復興に貢献した「新興製作所」跡地である。3年前に仙台市内の不動産業者が取得し、建物の解体工事は終了したものの、コンクリ-トガラや残土などは未撤去のまま。請負業者と代金の支払いをめぐって裁判沙汰になった末、当該地が競売にかけられるなど今後の展開は不透明の状態が続いている。この件について、同僚議員が一般質問で「景観から受けるマイナスイメ-ジ」という観点から対応をただしたのに対し、上田市長は以下のように答弁した。

 

 「建物内に存在したアスベスト除去は完了しており、最大の健康被害の心配はなくなった。とりあえず、この段階に至っただけでもまだマシだ。コンクリ-トガラの撤去など今後の景観保全については第一義的には土地所有者の責任に帰す。もし、市側が撤去するとすれば、1億5千万円以上の経費がかかる。これだけ莫大な経費を税金で賄うのはいかがなものか。税金投入の是非については最終的には議員の判断にゆだねられるが、今後も進展が見込まれない限り、新興跡地の景観保全にかかわる質問はもうしないでほしい」―。同僚議員がこの市長答弁に対し、「質問権」の侵害という立場から異議申し立てを行い、後日の議会運営委員会で協議することになった。

 

 花巻市まちづくり総合計画「第2期中期プラン」(平成29年~31年度)の中には市街地再生の重点戦略として「景観形成の推進」があげられ、地域との協働による良好な景観の保全を謳(うた)っている。私はこのプランを根拠にその取り組みについてただそうとした。と、今度は二元代表制の一方の当事者である上田市長が「予算審議に関係はあるのか」と口出しをした。この手の横やりはいまに始まったことではない。私は当局と議会双方による理不尽な質問封じに対し、気色ばんで反論した。担当部長が手を挙げたのはしばらくたってからである。ボソボソと蚊の鳴くような声でつぶやいた。「当初予算には景観保全にかかわる経費は計上していません」。都合の悪い質問には口をふさぎ、議会側がそれをバックアップするという曲芸技である。

 

 「確かに誤解を招くような発言だったが、前後の文脈から読み解くと必ずしも『不適切』とまでは言えない」―。予算特別委員会最終日の16日に開かれた議会運営委員会(中村初彦委員長ら7人)は結果として、上田市長の質問権の侵害を“免罪”する決定を賛成多数で可決した。反対したのはわずか2人だけ。議員にとって“命綱”ともいえる質問権は当の議員たちによって葬り去られた。「自殺行為」とはこのことである。

 

 

【公演を終えるにあたって】

 

 

 永田町界隈で飛び交っている「一部の職員」という語法が気にかかる。「森友」問題に関連し、「常識が壊れた」という遺書を残して自殺した職員はさらにその末端に位置する職員だった。私にも思い当たるふしがある。上田市長が新興跡地の保存や保全を訴えてきた議員を「一部の議員」と切って捨てたことがあったからである。一世を風靡(ふうび)し、もはや忘れ去られてしまった感がある、例の「排除」(小池都知事)の論理である。もっとも「忖度」と「排除」とはコインの裏表の関係にあることに変わりはない。そもそも、花巻市議会に「二元代表制」を求めること自体が幻想だったことに、今さらながら気がついた。不徳のいたすところである。

 

 「忖度」を拒絶し、文部科学省を追われた前川喜平・前事務次官に対するバッシングが続いている。前次官が天下り問題にかかわって辞職したことや出会い系バ―を利用していたことなどを指摘し、文科省が講演先の中学校に対し、講演内容の提示を求めていることが明らかになった。双方の間を国会議員が取り持った結果、忖度によって教育の中立性が侵害される事態となった。かつての“検閲”を彷彿(ほうふつ)させるに十分である。「忖度の先にあったのは“集団リンチ”だった」―こんな光景がふいに目の前に広がった。私自身、「イ-ハト-ブ劇場」の役回りを演じながら、そのことをいやというほど思い知らされたからである。

 

 英国人作家、ジョ-ジ・オ-ウエルの代表作『1984』の中で描かれる独裁国家(ビッグ・ブラザ-)には平和、豊富、真理、愛情の4省が置かれている。「真理省」は歴史記録や公文書の改ざん、架空の人物のでっち上げ、「愛情省」は反体制分子に対する尋問や拷問、処刑などを主要な任務にしていた。皮肉にもそのディストピア(暗黒郷)が海を飛び越えて、日本に出現したということなのか。今年の流行語大賞には昨年の「忖度」に続いて、「改ざん」が有力候補になるらしい。「SONTAKU」はもはや世界共通語として定着している。民主主義の根幹が全国津々浦々で音を立てて崩れ落ちようとしている。この国を根っこで支えてきた「理非曲直」…つまり、物ごとの分別が腐臭を放っている。

 

 

(写真は3月定例会で質問に立つ筆者。質問権は議員にとっての生命線であり、二元代表制を守備する最前線に位置する=3月8日、花巻市議会議場で)

 

 

《注》~二元代表制(憲法第93条)

 「議会の議員」と「市長」を市民が直接選挙で選ぶ制度のことで、「議院内閣制」の国会で国会議員が総理大臣を選んでいることと違い、どちらも市民の代表であることから、議会と市長は対等の機関として、お互いに抑制、協力することで緊張感を保ちながら自治体の運営に取り組む制度のこと。(平成22年6月制定の「花巻市議会基本条例」説明文より)

 

 

《ブログ再開のお知らせ》

 

 妻の病状が安定したため、3月22日からブログを再開します。約1か月間の休載でしたが、国の内外には風雲急を告げる出来事が相次いでいます。わが足元も例外ではありません。一刻の猶予も許されないという切羽詰まった気持ちです。掲載間隔が少し長くなると思いますが、以前にも増したご愛顧、ご叱正をよろしくお願い申し上げます。ニッポン沈没の危機を実感させられる毎日です。

 

 

 

 

2018.03.22:masuko:コメント(0):[議会報告]

憲法の「及ばぬ島」から「及ぶ島」へ

  • 憲法の「及ばぬ島」から「及ぶ島」へ

 沖縄は「憲法の及ばぬ島」と呼ばれてきた。戦力の不所持と交戦権の放棄を定めた「憲法第9条2項」を見れば、その理由は歴然としている。沖縄は戦後一貫してアメリカの支配下に置かれ、日本への復帰(1972年)を経た現在に至るまで、「在日」米軍基地の約7割が置かれたままである。この間、米軍は日本の領土である「沖縄」から出撃。ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争などに参戦してきた。沖縄は「9条2項」の埒埒外(らちがい)に置かれ、さらに米軍基地がもたらす事故や騒音、女性暴行などの基本的人権の侵害にもさらされ続けている。このように、“平和”憲法は実は沖縄の犠牲の上に成り立ってきたのであり、このことに私たちヤマト(本土)の側は相変わらず、無知・無関心を決め込んでいる。

 

 「我が党は結党以来、憲法改正を党是として掲げてきた。いよいよ実現する時を迎えている」―。安倍晋三首相は22日開会の通常国会の冒頭で「2020年改憲」に意欲を見せた。その骨子は「9条2項」を維持したまま、自衛隊を明記するという内容になっている。これを先取りするように、沖縄・南西諸島の宮古島、石垣島などには中国や北朝鮮の脅威論をタテに、陸上自衛隊のミサイル配備計画が着々と進められている。この改憲が実現すれば、皮肉なことに今度は沖縄が真っ先に憲法の「及ぶ島」になる。一方、「改憲」論議が白熱化する3月下旬、天皇・皇后両陛下が沖縄訪問に旅立つ。2年前に沿岸監視隊(陸自)が配備された、日本最西端の与那国島も初めて訪れる。

 

 「アウトソ-シング」という言葉がある。直訳すると「外部委託」という意味になる。「天皇が能動的な象徴たらんとすることを、政治の側が逆手にとるリスクも出てきています。今は、天皇が進んで被災地を訪れていますが、政治がそれを利用しようという気になれば、結果的に被災者の政治への不満を天皇が和らげ、政治の不作為を覆い隠してしまうことにもなりかねません」(2017年12月2日付「朝日新聞」)―。神戸女学院大学の河西秀哉准教授(日本近現代史)はこう説明する。「政治の不作為」の最たるものが、現在に至るまでの「沖縄戦後史」である。

 

 今から43年前の1975年7月、皇太子時代の両陛下が初めて沖縄の地を踏んだ。南部戦跡の「ひめゆりの塔」で沖縄戦の説明に耳を傾けていた時、過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件が起きた。「(沖縄に対する米国の軍事占領は)日本の主権を残したままで、25年ないし50年あるいはそれ以上の長期租借でなされるべき」(1947年9月)―。実は昭和天皇は沖縄の戦後処理について、こうした考えを米国側に伝えていたことが後にわかった。「琉球諸島の将来に関する日本国天皇の意見」―いわゆる「沖縄メッセ-ジ」と呼ばれる文書である。天皇の名のもとに「捨て石」にされた沖縄の人々の間には、「皇室」に反発する声も強かった。その日、皇太子は沖縄県民に向けたもうひとつのメッセ-ジを発表した。

 

 「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷痕を深く省み、平和への願いを未来に繋げ、共々に力を合わせて努力していきたいと思います。払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によって贖(あがな)えるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省のうちにあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」―。さらに、事件後の12月に行われた記者会見ではこう語った。「沖縄の歴史は心の痛む歴史であり、日本人全体がそれを直視していくことが大事です。避けてはいけない」

 

 「6・23」(沖縄戦終結))、「8・6」(広島原爆投下)、「8・9」(長崎原爆投下)、「8・15」(日本敗戦)…両陛下は「忘れてはならない日」として、戦後の始まりとなった、この四つ日を挙げている。こんな思いを抱いた両陛下の沖縄訪問はすでに10回を数えている。

 

 一方の安倍首相は通常国会の施政方針演説でこう述べた。「日米同盟の抑止力を維持しながら、沖縄の方々の気持ちに寄り添い、基地負担の軽減に全力を尽くします。米軍機の飛行には、安全の確保が大前提であることは言うまでもありません。…最高裁の判決に従い、名護市辺野古沖への移設工事を進めます」―。小学校や保育園の上空を米軍機がわがもの顔で飛行し、大惨事につながりかねない部品が空から降ってくる。そして、米軍普天間飛行場の「辺野古」移設は全額を政府が出資する、初めての自前の”米軍基地”となる。治外法権―無法地帯と化した沖縄抜きの「改憲」が強行されようとしている。

 

 来年4月30日の退位を控え、今回が最後の沖縄訪問になるとみられている。両陛下が「象徴」としての務め(アウトソ-シング)を果たしてきたことによって、「政治の不作為」が免罪されることはない。「日米安保」によって、ヤマトの安心・安全が担保されている―と多くのヤマトンチュは考えている。だとするならば、そこには”受益者負担“が生じる。沖縄に「寄り添う」ということの真意は、安倍首相の演説の中にではなく、「火炎瓶」事件の際の天皇メッセ-ジに託されている。沖縄の復権のため、私たちヤマトンチュが何をなすべきか―そのことが問われる1年になりそうだ。「辺野古」移設(実質的な新基地建設)の賛否を問う名護市長選挙は28日に告示され、2月4日に投開票される。

 

 

(写真は火炎瓶が投げつけられる瞬間をとらえた写真。皇太子夫妻は身を乗り出すようにして説明に聞き入っていた。「お怪我はありませんでしたか」と美智子妃は案内役の女性に声をかけたという=1975年7月17日、沖縄県糸満市の「ひめゆりの塔」で。当時、読売新聞のカメラマンだった山城博明さんが撮影。インターネット上に公開の写真から)

 

 

《追記-1》~相次ぐヘリ不時着

 

 23日午後8時5分ごろ、沖縄県渡名喜(となき)村で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)所属の攻撃ヘリAH1が村営ヘリポ-トに不時着した。県警によると、けが人の情報はない。日本政府関係者によると、警告灯が点灯し、事故を避けるため「予防着陸」をしたとみられるという。ヘリポートは、那覇市の西約60キロにある渡名喜島西部の港にあり、集落からは約300メ-トル。救急搬送などに使われる。島の近くには米軍の射爆撃場や訓練海域がある。

 

 政府関係者によると、米軍は「油圧系統の不具合を示す警告灯が点灯した。24日に別のヘリで整備要員を派遣し、安全が確認され次第、普天間に戻る」と説明している。(中略)県内では今月6日にうるま市の伊計島、8日には読谷村に普天間所属の米軍ヘリが不時着し、沖縄県内で米軍機の安全性への不安が高まっていた。県議会は19日、「人命に関わる重大事故につながりかねないもので、強い憤りを禁じ得ない」として、日米両政府や米軍に対する抗議決議と意見書を全会一致で可決していた(23日付「朝日新聞」電子版)

 

《追記―2》~「米軍は制御不能」と翁長知事

 

 【東京】翁長雄志知事は24日、防衛省が渡名喜村に不時着した米軍普天間飛行場所属AH1攻撃ヘリコプタ-の飛行停止を求めたものの、米軍がすぐに同型機の飛行を再開したことに対し「とんでもない話で怒り心頭だ」と厳しく批判した。米軍基地県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)の要請後、首相官邸で記者団に答えた。要請前の那覇市では「米軍が制御不能になっている。管理監督が全くできない」と批判した。

 

 翁長知事は首相官邸での取材に対し、AH1が今月2回トラブルを起こしているとして、防衛省の対応に一定の理解は示した。ただ、昨年1年に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイやCH53E大型輸送ヘリコプタ-など、AH1以外の機種でも事故やトラブルが約30件発生しているとして「この件に対してだけ強く抗議するなどというのは抜本的な解決にはならない」とくぎを刺した(25日付「琉球新報」電子版)

 

 

 

 

 

 

2018.01.24:masuko:コメント(0):[議会報告]
今日 97件
昨日 546件
合計 756,065件