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雷神王神社(窪田町沖高野鎮守)『虎列刺大明神』

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このところ4日連続で東京都の新型コロナウイルスの感染者が100人を上回ったと・・半数が濃厚接触者、今も昔もあった流行病、ここ米沢市窪田のコミセンだより5月6月号にのった・・『恐怖心は同じ!昔(コレラ菌)も・・・今も(新型コロナウイルス)』と題した記事にある石碑の残り一つに行ってみた・・明治12年1879年に全国でコレラが大流行したというとき疫病の終息と犠牲者の冥福を祈り建立された石碑が窪田に4つあるという記事、4つすべて確認してみました、どこも同じ凝灰岩で文字は薄く読み取りにくくなってますが)『虎列刺大明神』とあります、大明神とは・・人名、事物名、状態を表す語などの下に付けて、神に見立て、それに対する尊崇・感嘆・喜び。願望などを表す語とある・・窪田地区の4か所はすべて『虎列刺大明神』と刻まれていて小野川にあるのは『虎列刺大菩薩』となっている・・

2020.07.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

観世音堂(窪田町上矢野目鎮守)『虎列刺大明神』

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  • 観世音堂(窪田町上矢野目鎮守)『虎列刺大明神』
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米沢市の窪田地区に4か所あるという『虎列刺大明神』東江股の隣の矢野目のとこに寄って碑を撮ってきました、当時コレラは当て字で虎列刺と書いていた・・明治12年の大流行のあと明治19年、23年、28年とたびたび大流行となっている・・まだ祟りとかいった時代で村落間の移動入るもの出るものの通化を許さず、仕事を休み念仏講を開き神前に祈りを捧げ、空砲を放つとか、硫黄をいたるところで薫じるとかしてたんだそうです・・伝染病予防法ができたのが明治30年という、川水で生活していたころは上流で発生すると瞬く間に伝染する・・公衆衛生の向上とともに伝染病は激減しているがなくなったわけではない・・今はコロナ大流行になり人々が戦っている・・コロナで苦しんだ明治12年1879年いまから140年も前の話です、これからあと100年もするとまた忘れた話になるのでしょうか??

2020.07.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

田塚神社(窪田町上下小瀬鎮守)『虎列刺大明神』

  • 田塚神社(窪田町上下小瀬鎮守)『虎列刺大明神』
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新型コロナの影響は計り知れないものがありますが・・今も昔のあった流行病、ここ窪田のコミセンだより5月6月号に・・『恐怖心は同じ!昔(コレラ菌)も・・・今も(新型コロナウイルス)』と題した記事・・明治12年1879年に全国でコレラが大流行したという・・このとき疫病の終息と犠牲者の冥福を祈り建立された石碑が窪田に4つあるという記事です、その一つは自分が移住した東江股の春日神社・・・4月地区掃除のとき話を聞きました、白布の泊り客からはじまり小野川温泉街に伝染して、米沢市内そして下流の窪田と瞬く間に蔓延し死者数百人が出たということだからその恐怖は計り知れない・・そのあと小野川の石碑を観に行ってましたが・・そのあとでこの記事見て残り3つある窪田の石碑先週の休みに訪ねてみました・・田塚神社の石碑・・細長い凝灰岩で読み取りにくいですが”虎列刺大明神”とあります・・

2020.07.01:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

美女塚

  • 美女塚
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米沢市塩井の地区境にある木造切妻つくりの御堂の中に地蔵がある、地区伝説の記載の中に切支丹美女の墓、小野川温泉を発見した小野小町の墓、直江兼続の遺器を埋めたとか、小笠原長時の妾の墓、などが記載されてるそうで伝説の領域を出ない・・ここと相対するように美男塚というのもあり、先週立ち寄って昨日ここ美女塚に立ち寄りました、よくこの前は通るのですが車止めて寄ったのは初めて・こんもりとした塚・木々の緑がまぶしい、地区の人が花植えたりして面倒見てるようですかね、塩井の昔話に美女塚と美男塚の間に家を建ててはいけないという物語もあるようです・お寺のお堂、お墓、道路の道筋、田んぼのあぜ道などでよく見かける地蔵様、さまざまな人々の深い苦しみを、地蔵が身代わりとなり受け止めてくれる慈悲の仏様コロナもはやく終息できるように・・

2020.06.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

美男塚

  • 美男塚
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米沢市塩井町塩野の兼業農家さんからお米買うようになって、その田んぼで今年から田植えに稲刈り体験させてもらうことになり一昨日田植えしてみました、そこから窪田に帰るとき信号のない小道・・古い街道という感じ道で塩井小を経て福徳毘沙門天に通じる道を通るのですがその道路に塚があります、市の史跡看板があり美男塚(びなんづか)とあり、小ぶりの地蔵の他に庚申塔とかあります、看板には小野小町と深草少将の悲恋が伝わる場所とあり・深草少将は小町を慕い京都から米沢へと追ってきたものの、会うことはかなわず、時を経て病となり死に際に小町の墓の近くに埋めてほしいという遺言を残したという、この場所に埋葬し”美男塚”と名付けたという、この場所から東に1.2kmのところに向かい合わせで立つ美女塚があります。

2020.05.30:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]