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戸長里の草木塔

  • 戸長里の草木塔

昨日は24節気いう立冬、冬が始まるころとされて、冬の準備を始める時期ですね。我が家の冬支度まだ途中で終わっておりませんが、昨日道の駅田沢で新そば祭り、棒杭市参加で9時搬入15時搬出と、その間家に戻らず、天気も良く、気温も高めぽかぽか日曜日となりましたし、せっかくなんで草木塔めぐりしてみました・・道の駅田沢から米沢市内方向に800mくらい、左に川西の玉庭へ行く道の分岐から200mほど市内より、旧国道121号線沿いに石塔が並んでます、草木塔の看板があるんで見ると、文化4年(1807年)建立、同じ年月建立の湯殿山石塔もあります・・入田沢村講中と江戸後期の庶民信仰が盛んになったことがうかがえる、もともとの場所はここではなく他のものも含め現在地に集約したとあります・・コンクリートの基礎が合わない気がするんですが・・・・

2021.11.08:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

飯豊町岩倉塩畑の草木塔

  • 飯豊町岩倉塩畑の草木塔
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2021年10月25日この日、何回目か?の草木塔探訪・・細かい石の形状に、お供え用にある置き石なんかも・・どうなっていたかな?ということで気になっての探訪です・・実はこの11月6,7日と”道の駅田沢”でそば祭りがあり、そこに米沢の”なせば秋祭り”棒杭市がコロナで中止となった方の、市への参加声掛けがありました・・私も参加しようと申し込んでいたので田沢の無人市に参加することになった次第です・・置賜の獅子舞、獅子踊り、米沢鉄砲隊のミニ人形、そして米沢の田沢というと草木塔の里なわけで・・代表的な草木塔をミニ木工で作ろうとおもい・・ここ数日休みの日も仕事終わってからも、時間あれば作ってるしだいですが・・以前撮りためた写真では草木塔は情報不足で再度見て回ってるわけです、写真の草木塔は飯豊の中津川地区の岩倉の字塩畑という地区にある草木塔・・中津川郵便局から3㎞ほど奥になるところ道路すぐ横になる・・なかなかいい感じの風景です・・奥に古民家も映るアングルが一番好きですね・・ここは絵になる景色です・・来年の萠展はこの風景で

2021.10.29:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

飯豊町白川 白川寺の草木塔

  • 飯豊町白川 白川寺の草木塔
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  • 飯豊町白川 白川寺の草木塔
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2021年10月25日、柿もぎしてキノコ採り行ってからの飯豊中津川の草木塔めぐり、5年前に行って2回目の探訪、もう少し大きさに石の前後左右を写真に撮るために行って来た、飯豊町中津川郵便局から西に1㎞ほど行くと右に白川公園その奥に白川寺があります、寺にはメイン道路から少し迂回していかないといけないです。参道左側に石塔が並んでいてその中にあります・・参道はというと前は田んぼでその脇に山裾を這うような小道になってますが・・昔はどういう道だったんでしょうかね・・自然石に文久2年草木塔と刻まれてます、文久2年(1862)は生麦事件があった年、この翌年にこの事件がもとで薩英戦争が起きている・・ここの草木塔は何をきっかけに建てたのでしょうかね・・

2021.10.28:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

梓山 木場原の草木塔

  • 梓山 木場原の草木塔
  • 梓山 木場原の草木塔

米沢市街から国道13号線を万世梓山に向かう、米沢スキー場より2㎞ほど手前くらいのところで右に入れる道のすぐのところにある、江戸時代とかではなく平成17年5月15日建立で表の”草木塔”とあり、左下に文字を書いた方の名が入っている、裏には”自然の恵みに感謝しここに草木を供養する”と刻まれており、地元の施主の名があります。ここは、東北中央自動車道が計画され、工事車両の仮設道路が開設、この道路敷にあった樹木が伐採され、代々ここを管理してきた地元の方々が供養として建立したもの・・100年200年とこの自然に感謝する気持ちが後世にも伝わり、またどこかで建立されていくんでしょうかね・・この日は米沢スキー場へシーズン券申し込み行く途中でここだけ寄りましたが、万世梓山地区にまだ4か所古いものがありまた散策しようかと思います・・

2021.10.24:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

下の町の草木塔

  • 下の町の草木塔
  • 下の町の草木塔

5年前に置賜の草木塔めぐりしてから、もう一度、形がよくわかるように前後左右の写真撮るためにまた草木塔めぐり、米沢市内から館山そして小野川方面と大峠の分岐国道121号線を田沢方面に向かうと下の町という集落の道路沿い右側に墓地が見えてくる、その道路側にあります。米沢市内よりに車置けるスペースがありますのでそこにおいていけます。下の町の草木塔と説明看板が立ててありますのでよくわかります、石塔がいくつかならんでますが、草木塔は自然石のほう、文政九年(1826)八月十五日・・最初の位置から道路の拡張等により何度か移動しているということです、高さ82㎝、幅45㎝、厚さ33㎝ 町方施主とある町方は地元集落か城下なのかははっきりしてないとの説明です・・

2021.10.23:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]