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資福寺跡

  • 資福寺跡
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昨日午前中、粗大ゴミ出しに千代田クリーンセンターへ、毎年1回たまったゴミを出しに行きます、行った帰り、伊達氏独眼竜政宗が幼少の折、この地で勉学に励んだ資福寺跡散策に行く、当時この地が置賜の要所であったが、天正19年(1591年)寺は仙台に移されて、一部の遺構が残る、伊達家の墓と石積がその名残りを残すのみとなっている。なんとなく毎年いってます・・

2022.06.21:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

大森城跡

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2022年1月30日(日)福島の山友さんであり、スキー友でもあるSさんの毎日のお散歩コースがこの大森城跡公園ということでどんなとこか寄ってみた、福島市大森の小高い丘陵地にある、最高点が147m・現在城山公園として整備されている、春は桜の名所として多くの人が訪れるとこになっている。頂上に本丸跡の石碑があり立て看板に説明書きがあります、いつ頃から存在するのかはわかってないが、城跡周辺には鎌倉時代から室真理時代にかけての板碑が数多く残されていることからその頃から重要な拠点だったと思われる、大森城の存在は戦国時代から伊達家がそして、豊臣秀吉による奥州仕置によって信夫群が伊達から没収されて天正19年(1591)蒲生氏が領主となるが一時は廃城に、慶長3年(1598)上杉が領主に、そして寛文4年(1664)幕府領なるに至って、廃城になっている・・山友さん毎日自宅からこの山頂まで往復してるそうです、標高差は60m以上・10歳年上ですがスキーや登山で一番はつらつ元気なんです、スキーの日は散歩しないそうですが登山するときは先にウォーミングアップでこの山を散歩してからくるんだそうです・・

2022.02.03:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

塩地平の草木塔

  • 塩地平の草木塔
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2021年11月7日(日)この日”道の駅田沢”で新そば祭りがあり、棒杭市に参加し荷物搬入後、おにぎりおやつもって草木塔めぐりへ・・ゆっくりとウォーキングで・・ぽかぽか日曜日でよかったです・・道の駅から大峠方向への最初は”白夫平1797年寛政9年、8月13日”建立がありそのあと、大荒沢不動尊の旧参道沿いにある”大荒沢の草木塔”文政元年(1818年)8月建立のを目指して向かうと”大荒山不動尊参道入り口”と看板が出てきます、大荒沢でなく大荒山とあります、田沢のマップでは大荒沢不動尊とありますがどっちが正しいのでしょかね?、気を取り直して国道121から案内板にて、右に入り、そこそこ歩いてもまだ先なの?というところで山側から参道に出てきた熊を発見しました、熊はこちらを見てすぐ山側に戻りました・・生まれて初めての熊と遭遇ですね、天元台ロープウエイの中から沢のとこにいる熊見たことは数回ありますが・・生身で遭遇は初めて・・怖かったです・・大荒沢は止めにして行動に引き返し一番奥にある”塩地平の草木塔”へと・・今度は音立てながらです、塩地平のは1780年(安永9年)7月19日建立・・現存する草木塔で最古のものと言われてます、高さ90㎝、高さ52㎝、幅24㎝、平成9年(1997)米沢市のの有形文化財に指定されてます、風化が進み欠落、亀裂が生じていることから屋根かけて保存されているようです。ここまで道の駅から3㎞ほど・・往復6㎞いい運動でした。

2021.11.11:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

白夫平の草木塔

  • 白夫平の草木塔
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道の駅田沢の新そば祭り11月7日この日、棒杭市が田沢であり、木工ミニ人形と野菜出品しました。9時搬入の後15時撤収なんで・・その間ちょうど調べたかった草木塔めぐりしてみました、まずは道の駅から大峠方面に約1.5kmほどのところ、白夫平の草木塔へと歩いていきました、121号線の道沿いの山際にあり、階段が整備されてます、登ると、祠と飯豊山供養塔、そして草木供養塔が並んで立ってます、寛政9年(1797)とあり飯豊山供養塔も同じ、書体も同じです、もとの位置は2mほど下だったようですが、国道の改修でこの位置になったとのこと、看板写真撮るのに山際で後ろに下がれず苦労しました

2021.11.10:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

戸長里の草木塔

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昨日は24節気いう立冬、冬が始まるころとされて、冬の準備を始める時期ですね。我が家の冬支度まだ途中で終わっておりませんが、昨日道の駅田沢で新そば祭り、棒杭市参加で9時搬入15時搬出と、その間家に戻らず、天気も良く、気温も高めぽかぽか日曜日となりましたし、せっかくなんで草木塔めぐりしてみました・・道の駅田沢から米沢市内方向に800mくらい、左に川西の玉庭へ行く道の分岐から200mほど市内より、旧国道121号線沿いに石塔が並んでます、草木塔の看板があるんで見ると、文化4年(1807年)建立、同じ年月建立の湯殿山石塔もあります・・入田沢村講中と江戸後期の庶民信仰が盛んになったことがうかがえる、もともとの場所はここではなく他のものも含め現在地に集約したとあります・・コンクリートの基礎が合わない気がするんですが・・・・

2021.11.08:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]