直江兼続やお船の方夫婦の墓、ようやく行ってみました、2年前従妹の住む新潟へ従妹と一緒に山古志村村からお船の故郷も寄ってみましたがあまり時間なくもう一度泊りでゆっくり行きたいけどもいつになるのか・・すぐ近くにある米沢の林泉寺も行こうと思いつつあっという間に2年経ち、ようやく行った林泉寺、上杉の城から南西にある林泉寺の墓地、上杉家の家臣の墓地となっていて、2009年にNHKの大河ドラマの主人公となった”天地人”直江兼続の墓があります、ドラマから10年たちました、早いですね妻夫木聡が兼続、お船は常盤貴子さんでした、自分の中で大河のトップ3は政宗、新選組、天地人ですかね再放送もDVDでもよく見たものです・・米沢藩の基礎を築いた兼続とお船お方の墓は林泉寺の本堂から南西の一角に塀に囲まれて建っています、左が兼続、右がお船お方、墓は家形塔婆で軒反りの屋根扁平の宝珠が据えられて、6角形の穴が3個、直江の家紋でもあります、兼続は1560年~1619年ちょうど没後400年なんですね上杉景勝の家老で慶長3年(1598年)会津移封に伴い、米沢6万石を与えられて城下町整備にあたった。。この米沢の地の基礎を作った、1619年江戸屋敷で没したのち、米沢徳正寺に葬られ、この地に移されたとあります、夫婦で並んであるのは珍しいようです、独特のお墓の形は万年塔と言って兼続の考案で、有事の際に取り外して積み上げることで防塁にできる、穴は銃眼として使えるし持ち運びも楽である、水害等では中が空洞になってるので土を詰めて土嚢にもできるというしろものなかなかのものです・・
春日山林泉寺(米沢)
昨日今日と休みで昨日は雨、今日はようやく晴れて天気も良くなってきたので前々から行こうと思っていた春日山林泉寺に行ってみました、米沢城から南に数キロ、山形大学の西となりになります、山大正門から西の方に行くと春日山林泉寺の入り口看板があります、入って小型車と大型バスが駐車できるスペースありました、林泉寺は明応5年(1496年)越後国高田(現在の上越市)に建立された曹洞宗の寺、上杉家の菩提寺になっています、謙信を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598年)越後から会津120万石に移封となりさらに米沢30万石に削減、菩提寺の林泉寺もこれに伴い米沢に移っている、山門は上杉鷹山公時代に家老を務めて藩政改革に尽力した竹俣当綱(1719~1793)その当時からあった竹俣家の屋敷門を明治35年(1902)寄贈移築したとあります、門の入り口には大きな板碑ありました、案内看板、案内順路がありわかりやすかった、今日はあいにく休みだったようです、毎週水曜が休みで9時から17時でしたが無人の拝観料100円を入れるところがあり境内の拝観券もその箱にありました、もう一度こんどは寺内にも行こうと思いますこちらは300円。
川西町諏訪神社例大祭
川西町小松の豊年獅子踊り、お盆の8月16日に大光院で8月27日には諏訪神社で奉納される、衣装は紺色が牡獅子(おじし)、橙色が牝獅子(めじし)、黄色が供獅子(ともじし)となって、太鼓を持つ仲立(なかだち)、色鮮やかな衣装に身を包み花笠をかぶった花笠(はながさ)、早乙女(さおとめ)、まとい持ちがいます。 笛や太鼓の音に合わせて、獅子たちの花に酔い、火に狂う様子を表わした踊りを披露します、8月27日がちょうど休みで白鷹町散策行く途中で獅子踊り観てからということで見学しました、今年の町田絵画サークルの作品は大光院に入る獅子踊り一行を作品にしました・・・来年は何にするかと思ってるのだけれど諏訪神社の獅子にするか新山神社の獅子舞にするか・・
キリシタン生き埋めの地(白鷹町)
最上川最大難所黒滝
最上川は山形を代表する川、その源流は山形の米沢市最南端吾妻連峰の西吾妻山とされて、日本海に注ぎ込む、最上川の船運は平安時代から始まったとされ多くの難所がありました、江戸時代に山形城主最上義光が大がかりな開削整備を成し遂げると、舟運は一気に盛んになりました。山形県の経済や文化の発展を流通の要として支えた最上川、今日休みで山友ハイジさんと白鷹町散策ということになり荒砥駅でレンタサイクルかりて軽いサイクリング、荒砥駅から2kmほど最初に通った五百川渓谷、難所が多く船運に利用するには難しいとされてましたが、17世紀後半に上杉藩京都御用商人、西村久左衛門が私財を投じ、通船を妨げていた黒滝(落差は3m)を開削したことにより船運が可能となり、船陣屋や蔵屋敷が整備され、人の往来や京文化の流通が活発になったとあります、日本海までは165kmもあるところ、国道287号線から左に深山地区に渡る橋”黒滝橋”から見る最上川朝日町寄りに大きな岩盤群につぶて石が見えます。