慶応元年(一八六五)に建立された大型の草木塔、道路改修に伴い、上中原の国道121号線沿いに補修移転をしたとあります。石碑の中央に、大きく”草木塔”、右側に”慶応元年七月廿日”、左側に”三田沢講中”と刻まれている。建立者の”三田沢講中”は、口田沢・神原・入田沢を指す。ここの塔は、この地域で大切に祀られてきており、現在も、地元の田澤寺住職を導師として、六月上旬 中旬の日曜日に供養祭を催している。その際には、「草木供養之御礼」のお札が配布されており、貴重な庶民信仰の形態が現在へと引き継がれている。この模型は3個目の制作です。
飯豊町白川寺境内の草木塔
飯豊町中津川郵便局から飯豊山方向に1㎞ほど行くと、右側に白川寺があります。その境内にある草木塔をミニチュア模型で制作しました。飯豊町は二個目の制作です、模型と、その写真で、模型の右から2番目が草木塔になる、塔は境内参道にいくつかの碑と並んで建っていますね、庚申塔に湯殿山碑が並んでいる、草木塔は文久2年(1862)の建立で中津川地区では4番目に古いという草木塔です。
草木塔とは、山形県の置賜地方特有の石碑で、自然を敬うことのシンボルとして建立されたもの、草木にも霊魂が宿っていると考えに草木を大切に思うこころ、現代に至るまで受け継がれているのである。中津川地区には江戸時代の文政13(1830)年から平成12年までに建立された22基の「草木塔」が見られるとあります、江戸時代に5基、明治時代に7基、大正時代の2基と昭和、平成の8基なんだそうで、まだ数基しか見てませんので、草木塔巡り行ってみたいと思います。