今年の父の日は6月21日(日)でした、20日に宅急便が来てましたが、不在メモでした再配達か取りに行くことになる、なかなかいけないまま一昨日ようやく取りに行く、開けてみると今年もビールでした、キリンにアサヒ、サッポロ、サントリー、エビスもあって早速飲み比べしました・・今日は我が家でギター練習の日、今日もおいしく飲めますね・・さて、この父の日、導入され始めたのが1950年頃(昭和25年)と言われてます、昭和32年生まれの私ですが、小学生の頃、母の日は知っていてプレゼントした記憶はあります、父の日は全く記憶がない、父の日でプレゼント送るようになったのが35過ぎてからだったかと思います、日本でも現在のように父の日が一般的になったのが1980年代だそうで・・実に30年もかかったのですね・・父の日は、母の日と同じくアメリカ発祥です。
誕生したきっかけは、ソノラ・スマート・ドッドという女性の嘆願によるもの。
ソノラの父親は軍人で、南北戦争から復員した後に男手ひとつで6人の子どもたちを育て上げたのだそうです。
6人兄弟の末っ子だったソノラは、ある日教会で行われていた説教を聴き、母の日があることを知りました。
そこで、父の偉業を称えようと1909年に牧師協会へ「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願。その思いによって1910年6月19日に初めて父の日の式典が開催されたのだそうです。誕生月が6月だったから、父の日の由来は育ててくれた自分の父親に対して、「感謝を伝えたい」という気持ちからだったのですね。式典が一般に浸透するまでには、6年もの年月がかかったといわれています。日本の30年よりはいいのですがね、多くの人が認知するようになった父の日は、1966年には第36代大統領リンドン・ジョンソンが「父の日」を称賛する大統領告示をだして、6月の第3日曜日を「父の日」と定めたのです。
そしてついに1972年、父の日が6月第3日曜日にある国の記念日として正式に制定されたのでした。
父の日も過ぎて
白布温泉(四国八十八か所巡りの石像)
白布三十三観音の奥に四国八十八か所巡りの石像が祀られています。笹野観音の住職が巡礼し、分霊を受けた四国八十八か所の石塔です、昭和50年に完成、安置されました。四国八十八か所とは、真言宗の開基 弘法大師が42歳の時、四国を巡礼して開いた八十八か所の霊場・・・人には88の煩悩があり、それを一つ一つ消滅させていくために霊場まわりをしたのです。人の厄災を除く意味で、霊場巡りをするともいわれています。約千四百キロのコースで、人々の往来や文化交流の道としても発展してきました。お遍路をする人は「お遍路さん」と呼ばれ、信仰だけでなく「自分を見つめ直す旅」「人生の節目の旅」として歩く人も多いという・・
花畑(天元台高原)
梅雨に入り毎日雨、毎年平均は6月12日梅雨明けは7月24日とのこと、今年の東北南部は20日頃梅雨入り、平年に比べ8日遅く、去年より3日早いということです・・雨が続く梅雨、すっきりとしない6月・・さらにいえば6月は祝日がないのですね、余計に気分も下がってしまいそうですが、畑の野菜たちには必要な梅雨入りましたね、その梅雨入り時期は夏至でもあります、今年の夏至が21日(日)でした冬至に比べ昼間が4時間以上長く夜は短くなり、太陽が高い位置で輝き暑さが日に日に増していく季節なんですが、なんか寒い日が続いてます・・昨日の天元台・・一日雨・・しかし高原はニッコウキスゲがピークのようですヒメサユリも少し残ってます・・
くろがね小屋(安達太良山)
6月18日安達太良山登山、奥岳登山口集合でロープウェイにて山頂駅へ上がり、薬師岳~峰の辻経由で周回コースでした、途中くろがね小屋の状況みると更地になり基礎の工事中でした・・この山小屋は安達太良山の中腹にある公共の山小屋で、名のとおり軒先に吊るされた『黒い鐘』がシンボル・・温泉付きの山小屋として親しまれていた、小屋の南面には、周囲の自然に配慮した太陽光発電のためのパネルが設置され、自家用発電機との併用で小屋に電気を供給し、厳しい冬には懐かしいダルマストーブが登山者を温かく迎えて入れてくれておりましたが老朽化のために2023年3月31日で営業を終了し、工事の看板見たら令和10年10月まで工事となってました・・再来年秋ですね、もう来年は古希、再来年はどうなんだろうか元気でいるだろうか??
白布三十三観音1729年享保14年
白布温泉から数百mほど天元台高原湯元駅に向かう途中に白布三十三観音があります。1729年(享保14年)に建てられ、上杉藩の歴代藩公も参詣した由緒正しい場所、案内板に東屋24代当主が、幾世の安らかなる事と、温泉の永遠の栄えを祈願して、石工と共に西国三十三観音を巡礼し、分霊をうけ建立した「石造野立の三十三観音」。庶民の物見遊山は江戸時代後期から急速に発展し、宗教的な参拝や巡礼などを理由に藩の許可が下りやすく、関所の取調べも比較的楽だった事からお伊勢参りや金比羅参り、富士山登拝など、村人達は毎年少しづつ資金を貯め、数年に一度代表者が参拝する例が多く、そこの分霊の勧請や境内の砂、御札などを持ち帰り村で祀ることがありました。分霊を勧請してそこを参拝すると同じ御利益があるとされました。















