5月3日(日)、安久津八幡神社で行われ た「春祭り」、巫女が本殿で倭舞を舞う、初めて見に来たのが2004頃だったか、子育ても終わり自分の時間ができて、好きだった絵でも習おうと相模原市の女子美近くの絵画教室に通い始めて、なんかテーマで描こうとしたのが”舞する少女”ここの巫女舞を見てのことでした、そこから相模原市の絵画サークルに移り、現在も在籍しているもう20年ですかね、そんな思い出の巫女舞、その種類は様々で、起源は日本最古の書物である「古事記」、「日本書紀」に登場する神話の世界まで遡り、以来1300年以上経った現在まで受け継がれ、また変化を加えて舞われ続けています。安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、定かではない。
安久津八幡は石畳参道の入口左手に、三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。舞楽殿は、室町末期のものといわれ、毎年5月3日には、倭舞(やまとまい)、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。舞楽殿では本殿で踊り終えた巫女が”田植え舞”を披露します
安久津八幡神社倭舞
田植え舞(安久津八幡神社)
5月3日(日)、幼馴染の弟が帰省してきており、一緒に高畠町の安久津八幡、亀岡文珠、長井市の獅子舞とまわってきた、安久津八幡神社で行われ た「春祭り」、巫女が本殿で倭舞を舞ったあと、舞楽殿で田植舞を奉納します、終わると餅撒きがあります、今回はなんと4個もゲット、場所が良かったですね、この”田植え舞”その年の豊作を祈る舞、田植え前の「予祝」として、田んぼでの作業を舞で先取りし、稲の成長と五穀豊穣を願う神事です。全国各地の御田植祭と同じく、田の神を迎え、稲作が無事に進むことを祈る古い農耕儀礼がもとになっているとされます。古くは、田の神への信仰と結びついた民間の田植行事があり、それが神社の祭礼に取り入れられ、儀礼的な舞として洗練されてきたと考えられています。氏子の小学生から中学生までの巫女8人で舞います・・晴れ姿を撮るためにじいちゃん、ばあちゃん、両親、姉妹盛んにシャッター切ってました・・かわいいですね、私も孫に逢いたくなりましたね
伊佐沢神社獅子舞
5月3日、幼馴染の弟が帰省してきており、安久津八幡、亀岡文珠とまわり、置賜ではいち早く行う伊佐沢神社の獅子舞見学にいった、伊佐沢は神社内で舞う”庭獅子山形県長井市一帯の黒獅子舞は、平安時代末期の前九年の役で勝利した源頼義が、總宮神社の社殿再建の際に兵士に獅子舞をさせたことが始まりと伝えられています。置賜地方の黒獅子の源流とされ、長井市内約四十社に伝わる黒獅子舞も、この系譜上にあると説明されています。伊佐沢神社の獅子舞も、長井市に広く分布する黒獅子舞の一つとして位置づけられているため、その直接の「始まり」を記した文献は見つかっていないが、總宮神社を起点とする黒獅子の伝播の中で生まれ、地域の五穀豊穣や厄払いを祈る芸能として根付いたと考えられます。伊佐沢という地域一帯は、桜で有名な「伊佐沢の久保ザクラ」や念仏踊りなど、古くから芸能や信仰が濃い地域です。伊佐沢神社の獅子舞は境内だけを舞う「庭獅子」です。この神社は上伊佐沢に祀られていた八幡神社と中伊佐沢に祀られていた、稲荷神社を大正8年に、中間地点である現在地に合祀し、「伊佐沢神社」となり、置賜地方で一番早く例祭が行われることでも知られています。





















