観世音堂(窪田町上矢野目鎮守)『虎列刺大明神』

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米沢市の窪田地区に4か所あるという『虎列刺大明神』東江股の隣の矢野目のとこに寄って碑を撮ってきました、当時コレラは当て字で虎列刺と書いていた・・明治12年の大流行のあと明治19年、23年、28年とたびたび大流行となっている・・まだ祟りとかいった時代で村落間の移動入るもの出るものの通化を許さず、仕事を休み念仏講を開き神前に祈りを捧げ、空砲を放つとか、硫黄をいたるところで薫じるとかしてたんだそうです・・伝染病予防法ができたのが明治30年という、川水で生活していたころは上流で発生すると瞬く間に伝染する・・公衆衛生の向上とともに伝染病は激減しているがなくなったわけではない・・今はコロナ大流行になり人々が戦っている・・コロナで苦しんだ明治12年1879年いまから140年も前の話です、これからあと100年もするとまた忘れた話になるのでしょうか??

2020.07.04:li-no2:[歴史探訪]

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