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東北の伊勢 熊野大社

  • 東北の伊勢 熊野大社
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一昨日ですが父が公立置賜南陽病院に移転入院したのでお見舞いに行きました、そのあと近いから熊野大社に初詣、遅ればせながらですが・・この熊野大社はフラワー長井線の宮内からだと歩いて15分、赤湯駅からだと車で15分ほどです、和歌山県の熊野三山、長野、群馬の県境にある熊野皇大神社と並ぶ日本三大熊野の一つ、そうそう定年後軽井沢プリンススキー場にスキーイントラで行くようになったけども、碓氷峠の頂上にある長野と群馬にまたがる熊野皇大神社がその一つ・・近くまた軽井沢行くので今度こそ寄ってみなくてはですがいつもスルーしてるんです、東北の熊野大社は大同元806年に平常天皇の勅命によって再興された東北屈指の歴史ある社、平安時代の本尊仏、鎌倉時代の面、室町時代の獅子頭など文化財が保存されておりすごい歴史あるところです、参道はきれいな石畳で大鳥居をくぐり進むと巨大な銀杏の木があります、これは源義家の命を受けて植えたと伝えられる、樹齢900年のイチョウで山形県の天然記念物指定、そこを過ぎ石段を上ると本殿がみえます、現在の本殿は江戸後期のものとあり屋根はいまでも萱吹き屋根です、今年の運勢とおみくじは大吉でした、ちょっとうれしい・・そして本殿裏へといくと縁を結びたい人への、最強のパワースポットといわれて全国からも大勢人がきてるといわれる3羽のうさぎが隠し彫りされて、3羽すべてを見つけると願いが叶うと評判になり、今では恋が成就するスポットとして有名なんです、平日の午後でしたが何組かカップルがなかなか見つけられずにいましたけども・・2羽までは簡単に見つけられるけども3羽めが難しい、他人に教えたり、聞いたりしては御利益がなくなるということでみな黙って探します・・3羽めはこれかなと思うところがいくつかあるのでこれだと思えばそれでもよしでしょう・・

2020.01.19:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

稲荷森古墳

  • 稲荷森古墳
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1月も10日となりましたが家の周りは雪なしの暖冬、米沢スキー場は8日からの雨で営業は中止、14日から始まるスキー授業は1週間分キャンセルだそうです、そうなるとこの辺でスキーできるのは天元台だけですね、昨年末に父が置賜総合病院に入院してその帰りに行こう行こうと思っていた稲荷森古墳みてきました、この古墳昭和8年に発見と新しい、調査は昭和52年から県が測量発掘を行っている、南陽市長岡稲荷森にあり赤湯小が隣にある墳丘は半ばは丘陵を利用しその上に盛土したもので、全長96メートル、後円部径62メートル、高さ10メートル、前方部は長さ34メートルと東北地方で7番目、県内では最大の規模を誇る国指定史跡となっていてきれいに整備されています。

2020.01.10:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

めがね橋

  • めがね橋

昨年末30日に山形から軽井沢に移動、この日朝から山形は小雨、その途中もズーと小雨でした予報は寒波ということで雪と思ってたのですが、気温が高いようです、自宅から数キロで東北中央道に入れるんでそのまま、東北道、関越道で途中峠の釜飯で昼めしと給油、満タンであと一歩のとこなんですが、ふあんなんで給油します、まだじかんあるんで碓氷第三橋梁のレンガ橋見ていこうかと、旧道から軽井沢に、明治25年にできた橋、5基残っていて国の重要文化財に成っている、途中駐車場もあり天気よければ散策に良いようですが、あいにくの小雨道路から見れる範囲で見てきました、天気よければまたトンネルのほうもいきたいなとおもいます、軽井沢着いたらなんとここも雪でなく雨、びっくり暖かいんですね、あれから今日まで毎日快晴です、さすがに快晴率90%の軽井沢いいとこです

2020.01.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

館山城(米沢)その2

  • 館山城(米沢)その2
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  • 館山城(米沢)その2
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平成28年(2016)3月に国の史跡に指定された城跡、9月の最終土曜にハイキング感覚で散策、小樽川と大樽川にはさまれた山城で国道から案内板に従って小樽川を渡ると水力発電所がある、大正9年(1920)建設とあり、現在も東北電力の管理で現役稼働していて、近代産業遺産としての評価を受けている、山城入り口に小さな案内小屋がありその中に保存会の作成した案内図があり山城コースは1時間ほどの散策ですが全体をみていたら2,3時間かかりそうな感じです、山上にある三つの曲輪と、北山麓の北館、南東山麓の東館の遺構からなります、東端の曲輪Iは最も広く虎口は北、南、そして西に開いている。北と南はそれぞれ山麓の曲輪から通じる虎口である。西の虎口は内桝形で、発掘以前は確認できなかった石垣によって固められた虎口が現在は確認することができる。また川原石が多く露出し、通路を塞ぐ形で残されており、これは枡形を使えなくする破城処理の一つで西虎口の石垣が上杉氏時代のものと考えられている。文字記録がほとんど残ってないのでどの時代に誰がというのがまだまだ不明な点がロマンを掻き立てます・・

2019.10.22:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

谷地河原堤防(直江石提)

  • 谷地河原堤防(直江石提)
  • 谷地河原堤防(直江石提)
  • 谷地河原堤防(直江石提)
  • 谷地河原堤防(直江石提)

一昨日の休み直江石提公園で芋煮会した帰り道、谷地河原堤防に寄ってみました、この堤防は上杉景勝が米沢に入った頃、城下の南から北に流れる松川がたびたび氾濫を繰り返し、城下の東側に居住することも耕作もできない土地が広がっていた、この浸水被害対策として、慶長18年(1613)に完成した石積堤防です、この堤防により城下に新たな居住区と広大な農地をもたらしたとあります、400年も前の話ですがその石積堤防はしっかりとその姿をとどめているのにおどろきます、昔の絵図にのこる堤防、川の周りは松の木が多く描かれている松川のいわれですかね・・



 

2019.10.20:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]