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稲荷森古墳

  • 稲荷森古墳
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1月も10日となりましたが家の周りは雪なしの暖冬、米沢スキー場は8日からの雨で営業は中止、14日から始まるスキー授業は1週間分キャンセルだそうです、そうなるとこの辺でスキーできるのは天元台だけですね、昨年末に父が置賜総合病院に入院してその帰りに行こう行こうと思っていた稲荷森古墳みてきました、この古墳昭和8年に発見と新しい、調査は昭和52年から県が測量発掘を行っている、南陽市長岡稲荷森にあり赤湯小が隣にある墳丘は半ばは丘陵を利用しその上に盛土したもので、全長96メートル、後円部径62メートル、高さ10メートル、前方部は長さ34メートルと東北地方で7番目、県内では最大の規模を誇る国指定史跡となっていてきれいに整備されています。

2020.01.10:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

めがね橋

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昨年末30日に山形から軽井沢に移動、この日朝から山形は小雨、その途中もズーと小雨でした予報は寒波ということで雪と思ってたのですが、気温が高いようです、自宅から数キロで東北中央道に入れるんでそのまま、東北道、関越道で途中峠の釜飯で昼めしと給油、満タンであと一歩のとこなんですが、ふあんなんで給油します、まだじかんあるんで碓氷第三橋梁のレンガ橋見ていこうかと、旧道から軽井沢に、明治25年にできた橋、5基残っていて国の重要文化財に成っている、途中駐車場もあり天気よければ散策に良いようですが、あいにくの小雨道路から見れる範囲で見てきました、天気よければまたトンネルのほうもいきたいなとおもいます、軽井沢着いたらなんとここも雪でなく雨、びっくり暖かいんですね、あれから今日まで毎日快晴です、さすがに快晴率90%の軽井沢いいとこです

2020.01.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

館山城(米沢)その2

  • 館山城(米沢)その2
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平成28年(2016)3月に国の史跡に指定された城跡、9月の最終土曜にハイキング感覚で散策、小樽川と大樽川にはさまれた山城で国道から案内板に従って小樽川を渡ると水力発電所がある、大正9年(1920)建設とあり、現在も東北電力の管理で現役稼働していて、近代産業遺産としての評価を受けている、山城入り口に小さな案内小屋がありその中に保存会の作成した案内図があり山城コースは1時間ほどの散策ですが全体をみていたら2,3時間かかりそうな感じです、山上にある三つの曲輪と、北山麓の北館、南東山麓の東館の遺構からなります、東端の曲輪Iは最も広く虎口は北、南、そして西に開いている。北と南はそれぞれ山麓の曲輪から通じる虎口である。西の虎口は内桝形で、発掘以前は確認できなかった石垣によって固められた虎口が現在は確認することができる。また川原石が多く露出し、通路を塞ぐ形で残されており、これは枡形を使えなくする破城処理の一つで西虎口の石垣が上杉氏時代のものと考えられている。文字記録がほとんど残ってないのでどの時代に誰がというのがまだまだ不明な点がロマンを掻き立てます・・

2019.10.22:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

谷地河原堤防(直江石提)

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一昨日の休み直江石提公園で芋煮会した帰り道、谷地河原堤防に寄ってみました、この堤防は上杉景勝が米沢に入った頃、城下の南から北に流れる松川がたびたび氾濫を繰り返し、城下の東側に居住することも耕作もできない土地が広がっていた、この浸水被害対策として、慶長18年(1613)に完成した石積堤防です、この堤防により城下に新たな居住区と広大な農地をもたらしたとあります、400年も前の話ですがその石積堤防はしっかりとその姿をとどめているのにおどろきます、昔の絵図にのこる堤防、川の周りは松の木が多く描かれている松川のいわれですかね・・



 

2019.10.20:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

館山城(米沢)その1

  • 館山城(米沢)その1
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平成28年3月に国の指定史跡となった館山城跡よく通りますが、いつでも行けると思うとなかなか行かずじまいでした、ようやくこの9月の最終土曜天気も良く探索に行ってきました、米沢市内から国道121号線で喜多方方面に向かうと館山城という看板がありすぐにわかります左折して橋を渡ると館山発電所が目に入り、その少し先に地蔵様があっていい感じの古い道だなーと感じます、ちょっといくと看板と柱が目に入ってきますが、その柱には”私有地につき立ち入り大歓迎”という記載!ユーモアたっぷりですこの史跡の大部分が私有地なのだそうで・・いったいどういう経緯で現在の持ち主が存在するのか、どんなかたなのかなーーと思いますね、この城は2つの川が合流する丘陵地に築かれた山城、発電所から向かいの川を渡る道は江戸時代末までは主要道路だったようで、伊達政宗が去った百年後の館山城跡を描いた絵図が和歌とともに残ってると案内看板が立ててあります、いい感じの街道といった感じこういう風景は好きですなー、川を渡る手前のところに江戸期の庚申塔が並んでいます

2019.10.01:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]