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碓氷関所

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先月末の1月29日、娘夫婦宅から軽井沢移動の途中で、富岡製紙場により次に碓氷関所跡に立ち寄りました。この関所は1623年、江戸幕府によって設置・・中山道は特に重要な交通路であったため、関東出入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視したところ、東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていたとあります。
その東門が昭和35年、関所跡に復元され、隣接地に関所史料館も建てられました。また、平成30年から関所跡の南にある「麻苧茶屋」内に展示室がオープンし、関所および近世交通に関する史料を展示しています。絵図に当時の建物などが見れます、通りの一部は昔の街道風情が残ってます・・
毎年5月、安政遠足(侍マラソン)の開催日には関所周辺で「碓氷関所まつり」が行われ、獅子舞や八木節などの郷土芸能が披露されるそうです

2024.02.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

富岡製糸場

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軽井沢に行く途中、前々から、寄ろう寄ろうと思っていた富岡製紙場に初めて寄ってきた。群馬県の南西部、富岡市にある富岡製糸場は、明治政府が日本の近代化のために設立した官営の製糸場。工場の敷地は55,391.42㎡という広さ、当時の建物をはじめとする多くの文化財が残る、2014年に世界遺産に登録されて、観光客が増えているところです。

経営は官から民へ移行、経営も変わって、最後は片倉工業となり、富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後も一般向けの公開をせず、「売らない、貸さない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念したとあります。富岡製糸場はその巨大な敷地ゆえ固定資産税が年間2000万円、その他の維持・管理費用も含めると最高で1年間に1億円以上かかったこともあると記されています。修復工事をするにしても、コストを抑えることよりも、当時の工法で復原することにこだわったというからすごいですね・・この取り組みがあったればこそ、富岡製糸場が良好な保存状態で保たれてきたのですね、管内の順路に従いまわるとけっこな時間がかかりますね・・説明動画もみんな見て結構疲れました、従業員の社宅も残っており見ごたえは十分でした。

2024.02.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

旧本間家

  • 旧本間家
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北前船の寄港地酒田、そこに日本一の大地主と呼ばれた、本間家がある、6月28日に飛鳥泊予定が強風運休で街ブラさんぽとなりました。山居倉庫から奉行所跡、そして
本間家本邸見学、入ると樹齢400年以上の赤松、玄関の屋根に覆いかぶさるように生えている、本間家では、『門かぶりの松』とも呼ばれ『奢り高ぶらず、常に低姿勢でいなさい』という精神を表しているということです、武家屋敷と本間家が生活した商家造りが一体となった、全国的にも珍しい建物、庭園の石なんかも全国の有名な石で一角にある石だけで家が一軒建つほどの高価なものなんだそうだ。
2023.07.14:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

酒田奉行所跡

  • 酒田奉行所跡
  • 酒田奉行所跡
1645年寛永年間に御町奉行所に革められて、明治維新至る246年間、町政の役所として機能してきた酒田奉行所、復元された冠木門や稲荷神社など当時の風景を思わせる。6月28日飛鳥予定が強風で運休したため、山居倉庫から川を渡ってすぐのとこにあり、旧本間家へも行く途中でもあったので、よってみました。中には特に何もないけど、絵図にミニチュア模型があり、当時の規模がわかる。今の跡地は当時の一部のようです。
2023.07.13:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

縄文の女神

  • 縄文の女神
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4月も明日で終わりですね、早いものです。今日からゴールデンウイークで9連休という会社もあると思います・・今月4月10日に、右ふくらはぎを負傷して、ひと月休みをいただいています、先週までは足がビッコ状態、気分転換にと山友さん運転で先週、簡単に行ける山形百名山の猿羽根山よったときに、その公園内にある縄文の女神と呼ばれる土偶見てきました。平成4年(1992)発掘されたもの、奥羽線舟形駅の西300メートルの小国川左岸に縄文中期とみられる跡の調査で発掘され、平成24年(2012)に国宝の指定を受けている、45センチと日本最大の土偶、レプリカ展示があり、触ることができます、質、重さも同じ、完全再現はどうやって作るんでしょうかね??館長さんの説明ではレプリカ300万かかったそうで、後にかけ過ぎと苦情があったと聞きましたが、なんせ国宝なんですから、良いじゃないですかね、舟形町の宝、国の宝ですからね、欠損部分がなく完全復元と造形的にも、縄文時代を代表する土偶である・・この土偶のデザイン感覚はすごいと思いますね・・小学生高学年頃、米沢成島の土器、石器ほりしていたころ懐かしいです、あの頃、まるまる破片をつけて土器の底が復元できたのが掘れたし、矢じり、石斧、三脚石器というのも持っていたが、全部、小松小学校に寄贈したはず、いまあるのか気になるね

2023.04.29:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]