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関東官領上杉憲政のお墓

  • 関東官領上杉憲政のお墓
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南米沢駅の西、米坂線の少し内側にある、照陽寺、上杉家が会津、米沢と移封されることになり、越後から多くの寺が移ってきた一つ、この境内に、元関東官領上杉憲政のお墓がある、上杉謙信に関東官領職と上杉家の家督を譲った”上杉憲政”の墓、令和4年度の上杉文華館は『関東官領上杉氏』をテーマに、国宝”上杉家文書”など展示するそうです、長尾景虎(上杉謙信)は永禄4年(1561)上杉憲政から山内上杉氏の名跡と関東官領職を譲りうけ、後に米沢藩主となる上杉氏が成立している・・秋晴れの中、立ち寄ってみた・・

2022.10.01:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

赤浜の草木塔

  • 赤浜の草木塔
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米沢スキー場のシーズン券、申し込み行った9月19日のついでに、スキー場、入り口から13号を栗子方面に向かってすぐ右に入る小さな道がある、下り道で、すぐに小さな集落がありました、軽トラが停まって、なんか作業してる人がおられてましたが、住んでる人がいるのでしょうか?民家数軒あり、萱吹きの古民家も残ってました、その先にすぐに車は行き止まり、左に山の神様神社があり境内に草木塔説明看板がありすぐわかりました、赤浜の草木塔、江戸後期の天保12年(1841)9月吉日、安山岩の自然石、高さ79㎝とあります、米沢市の指定年2012年3月29日有形民俗文化財になっている、ここのは”山神 惣木供養塔”と草ではなく惣の字が用いられている、珍しいですが、理由は何でしょうかね、ここから市内に向かって数㎞下、苅安にあるのが弘化2年(1845)同じ山の神神社にある。その昔、木が主な燃料の時代、山仕事の技は、春先の雪解け水の中に飛び込んで、かなりの寒さと危険を伴う重労働、石炭、石油に変わる前は、木流しという山仕事があり、昭和の初期まで続いている、沢山の人が力を合わせ、頭(かしら)の采配により働く、共同作業です、ちょっとしたミスも、なまけも許されない危険な仕事、集団の結束を高める講や、技術伝搬の交流を深める泊りもあったと言う、危険な作業ゆえに山の神様に祈り、そして作業に当たる、そんな草木供養信仰がこの置賜地域に育ち、伝搬したと言うのがわかります。

2022.09.24:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

刈安の草木塔

  • 刈安の草木塔
  • 刈安の草木塔

9月18日米沢スキー場にシーズン券申し込みがてら、苅安にある草木供養塔を見てきました、山の神神社の鳥居のすぐ横にある、弘化2年(1845)8月8日安山岩の自然石を用いたもの、高さ81㎝、幅79㎝、厚さ17㎝、隣に湯殿山の碑がならんでます、米沢市の有形民俗文化財、指定年月日:20120329、米沢市の草木塔にはみな説明の看板があります。

2022.09.23:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

羽黒山、須賀の滝

  • 羽黒山、須賀の滝
  • 羽黒山、須賀の滝
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9月9日、山友さんと山形百名山巡りで、羽黒山の隋神門から継子坂を下ると、出羽三山詣での人々が、必ず禊(みそぎ)して三山詣での途についていたという禊の地、須賀の滝がある、滝の下には滝の名の由来となった不動明王像が祀られていいます。承応3年(1654)、出羽三山中興の祖と言われる、天宥(てんゆう)が山中に堰を巡らせて、8㎞ほど離れた水呑沢から導入した水を落とした人口の滝とあります。明治までは不動の滝と呼んでいたが神仏分離で今の名になっている・・

2022.09.13:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

羽黒山の爺杉

  • 羽黒山の爺杉

9月9日、曇り模様、この日山形百名山巡りで、羽黒山へ・・羽黒山の参道をわたると、左手の杉木立に囲まれた国宝「五重塔」の手前にある、杉の巨木、根周り10.5m、幹囲8.25m、高さ43mに達する。推定樹齢1000年以上と記されてる、 国の天然記念物に指定されていて、昔は爺杉と婆杉と並んで羽黒山の名物だったが、婆杉は台風で失われてしまっているとのことです、いずれにしても参道には、同じような巨木の杉が立ち並んでいます・・

2022.09.13:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]