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二本松城の松

  • 二本松城の松
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この正月東京へ行った帰り道に福島の城、白河小峰城と二本松城を見てきた、福島を代表する城下町というと会津の若松城と白河の小峰城、そして二本松城と日本100名城に選定されている、写真は二本松城の門の裏にある松ですが、あまりに立派だったので写真たくさん撮ってました・・この二本松という名の由来をしらべてみたら、旅人の目印となった鶴松と亀松という二本の霊松があったことからという説と、古城・四本松城から二本の松を移植したという説もある・・ちなみに、その霊松とやらがどこなのか?残っているのか?知りたいものです・・お城と松・・なんか日本的でいい感じ、我が生まれ故郷は山形県川西町の小松町であり、町の木が松であり、町営スキー場が小松スキー場が正式ですが3本の松が頂上にあるので3本松スキー場と呼んでいた・・しかし現在2本が枯れて一本松になったようだ・・

2023.01.29:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

二本松少年隊

  • 二本松少年隊
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会津の白虎隊は正式に編成された16,17歳からなる隊士であるのに対して、二本松の場合は討幕軍が城下に切迫する直前に、出陣を志願した少年たちが緊急に各舞台に配属されたために、正式な名称はなかった。戊辰戦争に木村銃太郎門下生として大壇口に14歳で出陣した水野好之が後に、小冊子を作成、表題は『二本松戊辰少年隊記』として、少年たちの服装や大壇口出陣の隊員名、激戦の様子などを回想記述したもので、この表題を基に、「二本松少年隊」と命名されることになる。戊辰戦争―二本松の戦いにおいて、藩の兵力は仙台などの応援兵を合わせても僅かに約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人、徹底抗戦の末、1868年(慶応4・明治元年)7月29日正午前、二本松城は炎上し、落城したのでした、落城・敗戦は誰もが予想し得たことでしたが、奥羽越列藩同盟の信義のために貫いた二本松藩の守信玉砕戦は、他藩には見られない壮絶な最期でした。戦死・負傷者の数は記録によって違いがあり、1890年(明治23)に調製された「戦死姓名簿」によると、二本松藩の戦死者337人・負傷者71人でした。負傷者数が少ないのは自分を恥じて届出をしなかったためともいわれ、また他藩の戦死者は200人を超えたといいます。郷土と家族を守るため、義に殉じた少年隊士に胸が痛みます・・東京からの帰り二本松に寄って、往事を偲びました・・

2023.01.19:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

二本松提灯祭り

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二本松提灯祭りは福島の二本松市にある二本松神社の例大祭で、日本三大提灯祭りに数えられる、県の重要無形民俗文化財に指定されているとあり、現在は10月の第一土日月の3日間で開催される、歴史も古く伝統300年以上、各町7台の太鼓台にそれぞれ300個余りの提灯をつけて町内を曳きまわす、各町内共通の、砂切(しゃぎり)という囃子と、各町内ごとに特色ある情緒的な囃子がある・・この1月9日に二本松寄った際に文化会館内に置いてあった太鼓台です、・・私の生まれ故郷川西町の小松でも砂切(しゃぎり)がある、京都へ出向き学んで、その後はその土地その土地で少しずつ変化して、特色ある祭りに変化していく・・今年、二本松のしゃぎりぜひ見学に行きたい・・

2023.01.16:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

二本松城

  • 二本松城
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1月9日東京からの帰り道、二本松城に立ち寄った。二本松城は日本百名城の一つであり、国の史跡に指定されている、別名、霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる、標高345mの”白旗が峰”に築かれている、江戸時代は二本松藩主丹波氏の居城となる。石垣と再建された箕輪門、山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築されている

2023.01.14:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

白河小峰城

  • 白河小峰城
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年末年始を軽井沢ですごし、長男夫婦、娘夫婦のいる東京に寄って、9日早朝山形へと向かう帰り道、せっかくなんで城巡りでもしようと、白河小峰城に寄ってみた、ちょうど9日で、成人の日ということでお祝い看板が置いてありました、白河市には白川城址も存在するが白河といえばこの白河小峰城を指す、日本の100名城、そして国指定の史跡でもある・小峰ヶ丘という丘陵に立つ平山城で東北では珍しい総石垣作りの城という、盛岡城、若松城とともに東北3名城の一つに数えられる、現在は本丸と二の丸の一部が残る、建物は戊辰戦争でほとんどが焼失したそうですが、1991年に本丸御三階櫓が木造で復元された、市では本丸正面にあった、清水門の復元を目指してプロジェクトを立ち上げ2024年度の完成を目標にしているそうだ、完成したらゆっくり見に来たい

2023.01.13:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]