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館山城(米沢)その1

  • 館山城(米沢)その1
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平成28年3月に国の指定史跡となった館山城跡よく通りますが、いつでも行けると思うとなかなか行かずじまいでした、ようやくこの9月の最終土曜天気も良く探索に行ってきました、米沢市内から国道121号線で喜多方方面に向かうと館山城という看板がありすぐにわかります左折して橋を渡ると館山発電所が目に入り、その少し先に地蔵様があっていい感じの古い道だなーと感じます、ちょっといくと看板と柱が目に入ってきますが、その柱には”私有地につき立ち入り大歓迎”という記載!ユーモアたっぷりですこの史跡の大部分が私有地なのだそうで・・いったいどういう経緯で現在の持ち主が存在するのか、どんなかたなのかなーーと思いますね、この城は2つの川が合流する丘陵地に築かれた山城、発電所から向かいの川を渡る道は江戸時代末までは主要道路だったようで、伊達政宗が去った百年後の館山城跡を描いた絵図が和歌とともに残ってると案内看板が立ててあります、いい感じの街道といった感じこういう風景は好きですなー、川を渡る手前のところに江戸期の庚申塔が並んでいます

2019.10.01:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

鉄砲鋳造師の墓

  • 鉄砲鋳造師の墓

来年はオリンピック、前の東京オリンピックで世界の選手団の前で米沢上杉の稲富流砲術隊がその妙技を披露したことがあります・・慶長6年(1601)上杉景勝に従い米沢入りした直江兼続は城下町整備を進めて、慶長9年(1604)近江国住友村より招き、白布高湯で鉄砲火薬軍器を作らせていた、この鉄砲鋳造師”吉川惣兵工”の墓が米沢林泉寺にあります・・兼続夫妻、武田家、そして鉄砲鋳造師とお参りしてきました・・この鉄砲鋳造師は良い鉄砲を作るので鉄砲塁町に屋敷を与え、録100石を給したとあります、和泉の境からは和泉屋松右衛門が招へいされてます、来年の東京オリンピックで是非鉄砲砲術披露されると良いですがそんな話はあるのでしょうか・・白布温泉の西屋さん前広場に鋳造記念碑があり、その鋳造していた工場はさらに上の昔温泉プールがあったあたりのようですが?いずれにしても1000丁もの鉄砲つくっていたのだから相当なもの、火薬となる硫黄も採れた場所柄、秘密裏に鋳造するのは良い場所だったんですね・・その当時の鉄砲が今でも演舞披露されているものというのもすごいです

2019.09.16:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

林泉寺米沢・武田家の墓

  • 林泉寺米沢・武田家の墓
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林泉寺の武田家の墓、林泉寺米沢の中にある武田信清の墓、信清は戦国の名称武田信玄の六男、上杉景勝の正室菊姫の弟にあたる、武田家は天正3年(1575)の長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れて1582年武田家は滅んでいる、この時信清は高野山に逃れ、後に姉の嫁ぐ上杉景勝を頼り越後にと向かう、義を重んじる景勝は信清を大事な家臣として迎えている、上杉は会津そして米沢と移封されますが信清も移り、寛永19年(1642)80歳で病死とあります、結構長生きでしたね、信清は上杉家の菩提寺である林泉寺に葬られました、信清の子孫も代々米沢藩に仕え、幕末へと至っている。武田家の墓前に看板があり信清の墓の説明があります、一段と大きい五輪塔です、高さが2,3m昭和28年になって山形県の史跡に指定されてます、かっては川中島で激しく戦った上杉家を頼り、幕末まで上杉家の家臣として仕えたことは上杉家の義に厚い家風を忍ばせますね・・・・
 

2019.09.14:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

米沢林泉寺直江兼続夫婦の墓

  • 米沢林泉寺直江兼続夫婦の墓
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  • 米沢林泉寺直江兼続夫婦の墓
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直江兼続やお船の方夫婦の墓、ようやく行ってみました、2年前従妹の住む新潟へ従妹と一緒に山古志村村からお船の故郷も寄ってみましたがあまり時間なくもう一度泊りでゆっくり行きたいけどもいつになるのか・・すぐ近くにある米沢の林泉寺も行こうと思いつつあっという間に2年経ち、ようやく行った林泉寺、上杉の城から南西にある林泉寺の墓地、上杉家の家臣の墓地となっていて、2009年にNHKの大河ドラマの主人公となった”天地人”直江兼続の墓があります、ドラマから10年たちました、早いですね妻夫木聡が兼続、お船は常盤貴子さんでした、自分の中で大河のトップ3は政宗、新選組、天地人ですかね再放送もDVDでもよく見たものです・・米沢藩の基礎を築いた兼続とお船お方の墓は林泉寺の本堂から南西の一角に塀に囲まれて建っています、左が兼続、右がお船お方、墓は家形塔婆で軒反りの屋根扁平の宝珠が据えられて、6角形の穴が3個、直江の家紋でもあります、兼続は1560年~1619年ちょうど没後400年なんですね上杉景勝の家老で慶長3年(1598年)会津移封に伴い、米沢6万石を与えられて城下町整備にあたった。。この米沢の地の基礎を作った、1619年江戸屋敷で没したのち、米沢徳正寺に葬られ、この地に移されたとあります、夫婦で並んであるのは珍しいようです、独特のお墓の形は万年塔と言って兼続の考案で、有事の際に取り外して積み上げることで防塁にできる、穴は銃眼として使えるし持ち運びも楽である、水害等では中が空洞になってるので土を詰めて土嚢にもできるというしろものなかなかのものです・・

2019.09.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

春日山林泉寺(米沢)

  • 春日山林泉寺(米沢)
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昨日今日と休みで昨日は雨、今日はようやく晴れて天気も良くなってきたので前々から行こうと思っていた春日山林泉寺に行ってみました、米沢城から南に数キロ、山形大学の西となりになります、山大正門から西の方に行くと春日山林泉寺の入り口看板があります、入って小型車と大型バスが駐車できるスペースありました、林泉寺は明応5年(1496年)越後国高田(現在の上越市)に建立された曹洞宗の寺、上杉家の菩提寺になっています、謙信を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598年)越後から会津120万石に移封となりさらに米沢30万石に削減、菩提寺の林泉寺もこれに伴い米沢に移っている、山門は上杉鷹山公時代に家老を務めて藩政改革に尽力した竹俣当綱(1719~1793)その当時からあった竹俣家の屋敷門を明治35年(1902)寄贈移築したとあります、門の入り口には大きな板碑ありました、案内看板、案内順路がありわかりやすかった、今日はあいにく休みだったようです、毎週水曜が休みで9時から17時でしたが無人の拝観料100円を入れるところがあり境内の拝観券もその箱にありました、もう一度こんどは寺内にも行こうと思いますこちらは300円。

2019.09.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]