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白石城

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6月25日、温泉日帰り旅行で鎌先温泉、そして、白石城へといきました。

白石城は、仙台藩の南の要衝であり、関ヶ原の戦い後、明治維新までの260余年間、伊達家の重臣片倉氏の居城となったところ。明治7年に解体されましたが、伊達政宗の片腕として名をはせた片倉小十郎景綱(かげつな)公の偉業を偲び、平成7年に三階櫓(天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に復元されました。とありますね・・元和元年(1615)の「一国一城令」後、例外的に存続が認められ、戊辰戦争の際には奥羽越列藩同盟が結ばれるなど、時代の転換期に重要な役割を担いましたよね、

2024.06.28:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

瓜割り石庭公園

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6月25日、この日の朝、豆植えが終わり、畑に植えるものが一段落し、ご褒美で、山友さんと温泉日帰り旅行に鎌先温泉まで、帰りに瓜割り石庭公園に寄ってきた、高畠石の採掘跡を整備した公園、黄色みのある凝灰岩は、古くは古墳時代の石室に、江戸期からは民家の石塀などに広く使われ、町の特産物としてごく最近まで採られていたところ。町中心部に高畠石で造られた旧高畠駅舎が保存されており、国の有形文化財にも登録されています。すぐ近くには古墳が点在する・・切り出した石は、石の運搬”修羅”(しゅら:石を乗せて運ぶ木製の橇(そり)のこと。)を用いたという・・

2024.06.27:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

碓氷関所

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先月末の1月29日、娘夫婦宅から軽井沢移動の途中で、富岡製紙場により次に碓氷関所跡に立ち寄りました。この関所は1623年、江戸幕府によって設置・・中山道は特に重要な交通路であったため、関東出入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視したところ、東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていたとあります。
その東門が昭和35年、関所跡に復元され、隣接地に関所史料館も建てられました。また、平成30年から関所跡の南にある「麻苧茶屋」内に展示室がオープンし、関所および近世交通に関する史料を展示しています。絵図に当時の建物などが見れます、通りの一部は昔の街道風情が残ってます・・
毎年5月、安政遠足(侍マラソン)の開催日には関所周辺で「碓氷関所まつり」が行われ、獅子舞や八木節などの郷土芸能が披露されるそうです

2024.02.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

富岡製糸場

  • 富岡製糸場
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軽井沢に行く途中、前々から、寄ろう寄ろうと思っていた富岡製紙場に初めて寄ってきた。群馬県の南西部、富岡市にある富岡製糸場は、明治政府が日本の近代化のために設立した官営の製糸場。工場の敷地は55,391.42㎡という広さ、当時の建物をはじめとする多くの文化財が残る、2014年に世界遺産に登録されて、観光客が増えているところです。

経営は官から民へ移行、経営も変わって、最後は片倉工業となり、富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後も一般向けの公開をせず、「売らない、貸さない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念したとあります。富岡製糸場はその巨大な敷地ゆえ固定資産税が年間2000万円、その他の維持・管理費用も含めると最高で1年間に1億円以上かかったこともあると記されています。修復工事をするにしても、コストを抑えることよりも、当時の工法で復原することにこだわったというからすごいですね・・この取り組みがあったればこそ、富岡製糸場が良好な保存状態で保たれてきたのですね、管内の順路に従いまわるとけっこな時間がかかりますね・・説明動画もみんな見て結構疲れました、従業員の社宅も残っており見ごたえは十分でした。

2024.02.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

旧本間家

  • 旧本間家
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北前船の寄港地酒田、そこに日本一の大地主と呼ばれた、本間家がある、6月28日に飛鳥泊予定が強風運休で街ブラさんぽとなりました。山居倉庫から奉行所跡、そして
本間家本邸見学、入ると樹齢400年以上の赤松、玄関の屋根に覆いかぶさるように生えている、本間家では、『門かぶりの松』とも呼ばれ『奢り高ぶらず、常に低姿勢でいなさい』という精神を表しているということです、武家屋敷と本間家が生活した商家造りが一体となった、全国的にも珍しい建物、庭園の石なんかも全国の有名な石で一角にある石だけで家が一軒建つほどの高価なものなんだそうだ。
2023.07.14:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]