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樹を守る人を忘れず

  • 樹を守る人を忘れず
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 彼岸も過ぎて開花宣言の話題も聞かれるようになった。例年になく雪の多かったこの地でも、雪は跡形もなく消え去っていくようだ。そんな中で、駅前広場では高所作業車からの散布作業が行われていた。

 

 駅前には成田駅開業当初に植えられたと思われる染井吉野の他に枝垂桜や鬱金(ウコン)、関山、寒緋桜など、珍しい桜を見ることが出来る。置賜桜回廊の隠れスポットとなっている。これも髙橋鯉屋さんが一年をとおして手をかけてくれるお陰である。

 

 木を植えた人を忘れず、樹を守る人を忘れず。桜の樹の下で懐かしい人たちと語り合える日が来ることを願っている。

 

 

【おらだの会】高橋鯉屋さんは毎年、桜のライトアップもしてくれています。夜桜の写真は平成29年の4月に鉄道写真家広田泉さんがおいでになった時のものです。

2022.03.26:orada3:コメント(0):[停車場風景]

(23)永遠の羽前成田駅長・玉置清吉さん

  • (23)永遠の羽前成田駅長・玉置清吉さん

 羽前成田駅では、昭和36年に貨物取扱いが廃止され、昭和39年には業務委託駅となり、さらに昭和59年には簡易委託駅となりました。その業務を担うことになったのが成田在住の元国鉄職員・玉置清吉さん(写真)でした。

 

 羽前成田駅協力会の総会資料によれば、昭和59年3月19日から玉置さんに業務を委託し、同年3月23日には簡易委託化に伴う対策について地元関係者会を開催し、4月11日には長井線沿線駅で最初の羽前成田駅協力会が設立されています。この迅速な動きの陰には当時の市議会議員や自治会、地区長会の役員、それに加えて長井市職員で長井線対策の中枢を担った故小口昭氏(成田久保町住民)等地区リーダーの存在があったはずである。

 

 そして地元住民が駅長にお願いしたのが玉置清吉さんだったのです。玉置さんは大正11年1月1日生まれ。息子さんのお話では15歳で国鉄に就職して定年退所後も成田駅に勤務し、70歳を迎えたことを区切りとして制服を脱ぐ決意をしたとのことです。駅協力会の資料によれば玉置さんが勤めた初年度の売り上げは、前年度比133パーセント増だったそうです。

 

 また駅周辺を四季折々の花々で埋め尽くした玉置さんは、その温和な人柄で「花の駅長」として皆に愛され、現在の羽前成田駅周辺の環境整備の基礎を作られたのでした。地元民にとってはまさに「羽前成田駅・永遠の駅長」であり、羽前成田駅の歴史に永遠に残されなければならない人物の一人だと思います。

 

【おらだの会】

玉置さんの記事はこちらから 

 花の想い出:おらだの会 (samidare.jp)

 線路の向こう側も・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

2022.03.24:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(22)国鉄時代の終焉 ~ 線路を残す決意

  • (22)国鉄時代の終焉 ~ 線路を残す決意

 これまでの成田駅の歴史を整理すると次のように区分できるのではないかと思います。第1期は明治末から大正11年の成田駅開業までの「希望に溢れた時代」、第2期は大正末から昭和22年頃までの「戦争によって左荒線の夢が潰えた時代」、第3期は東京オリンピックが開催された昭和39年頃までの「鉄道全盛時代」です。しかし第3期には既に国鉄改革が叫ばれ、昭和43年には国鉄諮問委員会が長井線を含む廃止対象83路線を公表したのでした。

 

 第4期の昭和40年代から山形鉄道開業の昭和63年までは国鉄時代が終焉し、「線路を自分達で残す決意をした時代」といえるかもしれません。県や市町が昭和43年に長井線存続期成同盟会を設立し存続運動を展開する中で、地元がどのように動いたのか。羽前成田駅協力会の動きを中心に紹介したいと思います。

 

 写真は昭和47年1月の成田駅です。この年、貨物列車を牽引していた蒸気機関車はその役目を終えることになります。96を見送る駅員の姿がその後の困難を予感させるようで印象的です。

 

 

【おらだの会】写真提供:小笠原弘氏(昭和47年1月撮影)

「さよならSL」の関連記事はこちらから

 → 「さよならSL」との再会:おらだの会 (samidare.jp)

2022.03.22:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

誰もいませんでしたが

  • 誰もいませんでしたが

3月14日

先人の思いを感じました。いつまでも残して欲しい駅です。

 

3月16日

私は毎日歩いているのですが、久しぶりに成田駅まで歩いて来ました。昔のままの駅なのでホッとします。駅の中は誰もいませんでしたが、歩いてまた帰ります。少し元気のある80歳です。

2022.03.20:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

散歩の帰りは電車で

3月9日

 昭和52年に東京から来た時、一年ぐらい成田駅前で仕事をしていました。今は病院もできて昔の面影はありません。長井から成田は散策コース。長井から歩いて来て少し疲れたので電車で帰ります。成田駅で30分ほど休憩して、たまには長井線に乗ってみようと思います。

 

3月11日

 東日本大震災から11年。久しぶりに小国町からここフラワー長井線に来ました。来る度に昔のままの思い出がよみがえります。また来ます。(小国町 石山)

2022.03.18:orada3:コメント(0):[停車場ノート]