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長井線リポート(8) 旅の終わりに

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「鉄橋をわたると君の家が見える・・・・」という歌謡曲があったな、などと思っていると、高架橋をくぐりながら荒砥駅へと進んで行く。鉄橋をわたる時のけたたましさが消え、速度を落として静かに、ゆっくりと左にカーブを切るのである。

 

故郷に帰る人にとっては、田舎弁にスイッチを切り替えるための時間であり、家族に何を話そうかと考える時間となるのでしょうか。そのゆったりとしたスピードは、私にとっては、旅の終わりを惜しむかのようにも感じられた。「終着駅は始発駅」という歌があったが、終着駅には他とは違う何かがあるようだ。

 

2021.03.03:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(7) 鉄橋をわたる時

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   列車は、フラワー長井線きっての撮影スポット・最上川橋梁に差し掛かった。1887年(明治20年)より東海道本線木曽川に掛けられていたものを、移設したものである。日本最古の現役鉄道橋として知られ、2008年(平成20年)に土木学会選奨土木遺産に、翌2009年には近代化産業遺産に選定された。さらに2015年(平成27年)には、「やまがた景観物語 おすすめビューポイント」にも選定されている。

   この鉄橋は、当時の荒砥町を中心とした人々の夢だった。舟運から鉄道の時代へという変革の波に立ち向かい、故郷の将来を懸けた運動の果てに実現したものだ。1923年(大正12年)4月22日、この鉄橋を一番列車が黒煙を吐きながらわたる姿を、村人はどんな思いで迎えたのであろうか。

   あれからもうすぐ100年になる。どれだけ多くの人々が、この鉄橋をわたったのだろう。故郷を離れる寂しさと、夢に向かって進みたいとする高揚感、帰省時の何とも言えない懐かしさと安堵感を、この鉄橋をわたる度に味わったのではないだろうか。車両の前面に立ち、ダブルワーレンの回廊をくぐらなければ、こんな感慨に浸ることもなかったであろう。長井線を訪れてくれた旅人は、鉄橋をわたる時に何を感じるのであろうか、教えて欲しいものだ。

        コノハシハ    ムラビトタチノ  ユメダッタ

        コノハシヲ    ワタッテ   ボクハ   ムラヲハナレタ

        コノハシヲ    ワタッテ    ワタシハ   フルサトニ   カエッタ

        コノハシハ    ナニヲ ツナイデ    イタノダロウ

【おらだの会】最上川堤防からの写真は、山形鉄道(株)提供

2021.03.01:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(6) 四季の郷駅の畳箒・時計

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 2007年(平成19年)に造られた長井線で最も新しい四季の郷駅。「鮎貝まちづくり協議会」が制作した、地域の見所パネルが迎えてくれます。待合室に入って驚くのが、ベンチに畳が敷かれ、畳箒が準備され、さらに「白鷹町総務課」と書かれた時計が置かれていること。四季の郷駅は、「四季の郷駅を楽しむ会」が実施している七夕飾りと冬のイルミネーションが有名ですが、そのベースとなっている役場と駅、地元の協力関係がわかるような気がします。

 

   長井線の多くの駅は、四季の郷駅や白兎駅などのように、ホーム上の待合室しかない駅です。四季の郷駅を見ると、こうした駅であっても、そこに住む人と関わりを結ぶことが可能であることを教えられます。この駅は、沿線の人達に立ち寄って欲しい駅のように思います。

   駅は、域外の人と繋がる窓になります。地元の人たちが活動を継続することは、子供達の「故郷の記憶」となり、人々が楽しく集う姿は「ローカル」を愛する域外の人との縁を創ります。まずは、駅に行ってみませんか。

 

   エキニハ ノコシテオキタイ キオクガアル

 コウシテ エキガアレバ ヒトト  ヒトトノ  エンモ ツナガルコトガデキル

 ワタシタチハ エキニ ナニヲ シルスノダロウ

2021.02.25:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(5) 10年後の君たちへ

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  列車に乗って長井線を応援しよう。長井線を10倍楽しむネタを探す旅は、鮎貝駅に到着した。目に飛び込んできたのは、木製の長大看板。ホーム側には最上川橋梁を走るフラワーライナーが描かれ、「フラワー長井線10周年おめでとう 10年後はきみが主役、それまでがんばって!」の文字が躍っている。裏面にはきれいな花畑を走るフラワー号とアンパンマンやドラえもんが描かれ、数人の子ども達の名前も見える。

 

  鮎貝小学校を訪ねて、当時、この看板の制作を指導されたО先生を紹介していただいた。О先生の話によると、10周年記念事業として学校に看板制作の依頼があって、参加希望を寄せた子供数人で制作したとのこと。「10年後はきみが主役」は、校長先生が山形鉄道と子供達に向けてのメッセージだったのだそうです。10年後には子供達も成人を迎え、山形鉄道も厳しい状況を脱して力強く歩んでいくだろう、そうあって欲しいとの想いです。

 

 

  もう現役を引退されたО先生は、「今でもあの看板を見ると、あの子たちは元気にやっているだろうか。普通の幸せな暮らしをしていて欲しいなぁと思うのです。」と語ってくれました。看板は時間の経過の中で色あせてはいますが、先生と子供達、そして校長先生の笑顔が見えて来るようです。2022年10月には鮎貝駅開業100周年を迎えます。この看板が伝えるものをもう一度考えてみたいものです。

 

  オンシトノデアイ  トモトノワカレ  エキニハ  ソレゾレノ オモイデガアル

  ジュウネンゴノ キミタチニ  ナニヲ ツタエルコトガ デキルダロウ

2021.02.23:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート (4)長井線でブラタモリ

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  • 長井線リポート (4)長井線でブラタモリ

   りんごちゃんのポスターに気を取られて、写真を撮ることも忘れているうちに白兎駅、蚕桑駅を過ぎてしまった。ここからは長井線の中でも、私が特に好きな景色が展開する区間です。長井線30.5キロは、高低差が少なくしかも田園風景が続く路線になります。そんな中で蚕桑~鮎貝間(3.3キロ)では、勾配12.5パーミル(1000m走って12.5m下がる傾斜。)の区間が1.3キロも続きます。しかもその間は、西山山麓を水源とする中小の河川が幾筋も深い谷を刻み、線路沿いの台地(「舌状台地」と呼ぶ人もいる。)には樹木がうっそうと茂っています。

 

  フラワー号はまさに小さなジェットコースターのように、大鮎貝川などによって形成された台地の頂上から、最上川が造った氾濫湿原の底に真っ逆さまに落ちていきます。興奮が冷めやらぬうちに、「次は鮎貝、鮎貝」との車内アナウンスが流れます。ブラタモリ風に「やっぱり高低差と崖は最高!」などと思いながらも、大正8年に出された荒砥までの長井線延長の請願書を思い出した。「鮎貝村付近は洪水地域と認めあるをもって、線路には不適当なるのみならず停車場設置は到底不可能なり」と。

 

【おらだの会】

・写真は、下りと上りの際の写真です。

・大正8年の請願書は「おらだの会2 長井線ヒストリア・軽鉄人物伝」

   こちらからどうぞ⇒ http://samidare.jp/orada2/note?p=list&c=420220

2021.02.19:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]