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長井線リポート(33) 湖畔の別荘・赤湯駅

  • 長井線リポート(33) 湖畔の別荘・赤湯駅
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 いよいよ赤湯駅に到着した。西口広場の池越しに見ると、まるで超富豪の別荘のようである。さらに駅舎の中を探検すると、照明が極めて凝ったものであることに驚かされた。山小屋風、ステンドグラス風そしてシャンデリア風のものまである。ここに暖炉があれば、まさに湖畔に建つ別荘である。

 

 この駅舎は昭和63年(1988年)10月25日に長井線開業に合わせて建設されたようである。平成11年(1999年)には、梨郷駅がこれまたログハウス風に造られた。さらに平成27年(2015年)には南陽市文化会館が建設され、世界最大の木造コンサートホールとしてギネス認定されている。こうしてみると、ギネス認定へのスタートは、長井線赤湯駅にあったのかもしれない。やっぱり、降りてみなけりゃわからんもんだ。

 

【おらだの会】この豪奢な照明が点灯するか否かは確認していません。ご存知の方は教えて下さい。

2021.05.22:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(32)  高架を超えて

  • 長井線リポート(32)  高架を超えて

 南陽市役所駅を出るとすぐに、奥羽本線の線路と並走しながら国道113号線の高架をくぐる。旅人は、この高架を超えて長井線の旅に向かうのである。折しも今日5月16日は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出発した日であり、「旅の日」である。

 この高架は、憧れの土地への入り口であり、過去の自分との訣別の場所である。芭蕉が「旅心定まりぬ」と語った白河の関と同じかもしれない。旅が終わり高架を超えて帰るその時に、胸の中に語りきれない実りがあることを願っている。(「木戸をあけて」的)

 

  トカイヲ  ハナレテ  タビスル  ヒトヨ

  キミハ   ナニヲ   モトメテ  キタノカ

  トカイニ  カエル   タビビトヨ

  キミハ   ナニヲ   ミツケタ  ダロウカ

2021.05.16:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(31) 消えた駅名看板

  • 長井線リポート(31) 消えた駅名看板

 宮内駅を出て南陽市役所駅に到着した。この駅は1988年(昭和63年)10月25日、山形鉄道の営業開始と共に開設された駅である。当時の為政者達の「長井線を守って行く」決意の表れであったのだろうか。ただ残念ながら現在は、長井線の中でも最も乗降客が少ない駅のようである。

 

 ホームを見ると、何も書かれていない駅名看板が現れた。単に修繕作業中の一コマなのでしょうが、こうしてみるとホームという舞台には駅名看板が必要な装置であることに気づかされる。今はもう修繕が済んでいるだろうか。

 

 駅舎のないホームであったとしても、四季の郷駅のように地元の人たちの思いを伝えることはできるものである。地元の人たちの顔が見えるのは嬉しいものだ。 旗が見えないのは寂しい。Show  the  flag!

 

【おらだの会】写真は2021年2月に撮影したものです。

2021.05.10:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(30) 駅から街へ・街から駅へ

  • 長井線リポート(30)  駅から街へ・街から駅へ
  • 長井線リポート(30)  駅から街へ・街から駅へ

 西大塚駅から一緒だった乗り鉄風の二人が、待合室で缶ビールを飲みながら談笑していた。長井線での待ち時間の過ごし方には、こんな風に飲食しながら談笑できる場所が必要だな、などと思いながら駅舎を出た。

 

 駅の正面に2基のモニュメントがある。正面の立派な石碑は、平成14年のもので童謡「ないしょ話」の作者 結城よしを紹介するものである。写真はないが、その隣には「童謡(うた)と昔話(かたり)のまちかど」と題した平成20年8月3日制作の石碑がある。ホーム側には平成10年制作の「童謡のふるさと宮内」と書かれた看板があったが、この看板がその後の商店街運動のスタートになったのではないかと思われる。

 

 長井線で市街地と連坦する駅は少ない。ローカル線を交流の基軸にしようとすると、列車から降りた人にどのような時間を過ごしてもらうのか。駅から街に誘引するにはどうすれば良いのか。さらに地元の人に駅に来てもらうにはどうすればよいのか、などの課題がある。宮内駅はそんな取り組みを重ねて来たようで、学ぶことがたくさんあると思う。

 

 「童謡と昔話のまちかど」の碑には、「この小さな広場で皆さんが少しの間いこい、私たちの街の昔に思いをめぐらしていただくことを願っています」と刻まれていた。

2021.05.05:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(29) 駅舎に残された思い

  • 長井線リポート(29) 駅舎に残された思い
  • 長井線リポート(29) 駅舎に残された思い

 駅舎の窓には2枚の看板が掲げられている。「もっちぃようこそ」「もっちぃ列車デビュー」などと書かれており、平成22年(2010年)11月20日の日付がある。もっちぃが宮内駅長に着任したのが平成22年の8月。もっちぃがラッピングされたもっちぃ列車が登場したのが11月20日である。この看板は、もっちぃ列車の登場を祝って制作されたもののようである。

 

 そしてひかり号の遊具が置かれている。もっちぃ駅長に会いに来てくれた子どもたちに遊んでもらおうと準備したのだろうか。昭和39年(1964年)の東京オリンピックの年に開通したのが東海道新幹線。戦後からの脱却と高度経済成長の象徴であったひかり号を、令和の東京オリンピックの年に見ることができるのも、不思議な思いがする。

 

 昨年はもっちぃ駅長就任10周年だった。フラワー長井線にとってもっちぃ駅長の貢献は大きなものがある。色あせた看板も動かない新幹線の遊具も、この駅で何かを創ろうとした人がいたことの証であり、駅舎に残されたメッセージのようにも思われる。

2021.05.03:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]