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長井線リポート(25) 季節の中で想うこと

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 さて列車はバンガロー風の梨郷駅に到着します。1913年(大正2)10月26日、長井線が開業した時、梨郷駅は終着駅であった。軽便鉄道時代のホームは時庭なども含めて島式ホームが一般的だったというが、今、この痕跡を探ることは難しい。現在の駅舎は、1999年(平成11年)に改築されたものである。

 2月、駅舎は雪に埋もれて、駅の玄関や窓には雪囲いの柵が見えていた。それから2か月後、駅舎は桜の淡いピンク色に包まれる。バンガロー風の駅舎から、可愛らしい花の妖精が出迎えてくれるような気がする。車窓からの風景を楽しむには、季節の中での暮らしを想うことも大切なのかもしれない。

 

30年前の梨郷駅はこちらをどうぞ⇒ 

http://samidare.jp/orada/note?p=log&lid=429854

2021.04.18:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(24) 不思議に感動できる場所

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 松川橋梁を渡り切ると下り坂となり、列車の振動も軽やかで心地よい。ブラタモリが大好きなのは崖と縁(ヘリ)であるが、松川橋梁から梨郷駅までの区間は、置賜盆地の北の縁を走る区間であり、長井線の中でも特異な風景が楽しめる区間である。今回は写真3枚をご覧いただきたい。

 

 とりあえず北側の風景を楽しむことにする。松川橋梁を渡ってしばらくすると、北側の縁から樹木の枝が覆いかぶさって来る。山形鉄道の方が「(自然災害から線路を守るために植えられた)鉄道林がある」と言っていた場所が、この辺りなのかもしれない。

 

 旧長井街道の踏切辺りまでは旧道と並行して走る。豪農の館風の屋敷が見られる。中には蔵が何棟か建てられ、門付きの家も見ることができる。南陽市史によれば、梨郷地区は大正中期から「丸リ白菜」が全国的に有名で、関東や関西方面に貨車で運ばれて行ったというが、その名残であろうか。

 

 線路の南側に目をやれば、国道113号線が走っている。この先には最上川があり、その橋の名前は「幸来橋」。山形新聞やまがた橋物語によれば、初代の幸来橋は1887年(明治20年)に建設され、現在は3代目になるという。橋の建設に奔走した梨郷の松木慶太氏が「幸せが来るように」との願いを込めて応募した名称が採用されたのだという。

 

 崖と縁の鉄道林を抜け、新旧の街道に挟まれ、街道筋の暮らしぶりも味わえる約1.2キロは、大人(としょり)が不思議に感動できる場所だった。やっぱり乗ってみなけりゃわからないものである。

2021.04.14:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(23)  最上川を越える覚悟

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 この写真は下りの時の松川橋梁の写真である。上りの時は最上川に目を奪われるが、下りの時は橋脚に目が取られる。大正3年に造られた橋脚の上を走っていることに、改めて気付かされる。山形鉄道の方からは、「この当時、湾曲した鉄橋を造ることは珍しかっただろう。」と教えられた。川に飛び込んでしまいそうな感覚は、乗ってみなければ味わえないものだ。

 

 長井線の歴史を辿ると、最上川を越える時に壮大なドラマが繰り返されて来た。梨郷から最上川を渡ろうとする時、そして鮎貝から荒砥まで延伸させようとする時である。母なる川・最上川は、豊かな恵みをもたらすと共に、大いなる試練をも与えて来た。最上川を越えて鉄道を敷くには、大いなる覚悟が必要であったのだろう。

 100歳を超えた橋脚から「ボーっと乗ってんじゃねーよ」と言われそうである。

 

【写真は、時代の忘れもの館(南陽市宮内)提供の「置賜軽便鐡道開通式記念カード」より】

2021.04.12:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(22) 屈曲清流奇絶處

  • 長井線リポート(22) 屈曲清流奇絶處
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 西大塚駅を過ぎると松川橋梁にさしかかる。荒砥の最上川橋梁と並ぶ撮影スポットである。右脳と左脳をフル回転させて、車窓からの眺めと芸術作品のような写真を重ね合わせてみて欲しい。バーチャルリアリティのように、写真家が切り取った四季折々の絶景を同時に味わうことができるのではないだろうか。

 

 さて明治9年6月、内務卿大久保利通が、明治天皇の東北御巡幸に先駆けて民情視察のために米沢に来られた。この時成田の佐々木宇右衛門は、自分で建てた製糸工場の視察を懇請し、大久保公はその願いを受け入れて佐々木家に宿した。12日、舟を仕立てて最上川を下った際に、大久保が詠んだ漢詩が次のものである。大久保利通も現実とバーチャルの間に遊んだのかもしれない。

 

 千章夏木雨痕鮮/幾重の山々木々青く、雨の後に鮮やかなり

 一棹孤舟下大川/一棹の小舟、大河を下る

 屈曲清流奇絶處/清流曲がりて絶景の中を過ぎる

 米家水墨是天然/この景色は米家の水墨画にあらず本物の自然なり

 

 

 

【おらだの会】 写真は歌丸の人提供 「同じ朝はない」

 ・漢詩の読み下し分は、致芳コミュニティセンター「渡し物語」を参考にしました。

 ・佐々木宇右衛門についてはこちらをご覧ください

  ⇒ http://samidare.jp/orada3/note?p=list&c=421753

2021.04.06:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(21) 西大塚駅は東京駅と同い年

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 列車は西大塚駅に到着した。今泉駅以来、駅名看板に目が行くようになったが、西大塚駅はホーロー看板と通常の山鉄看板の両方が掲示されている。駅舎内のナスの「ようこそ西大塚駅」の看板もユニークだ。

 この駅は、大正3年(1914年)に開業したが、東京駅の竣工も同じ年である。日直室にはキリストの肖像画が飾られているなど歴史秘話もありそうな駅である。羽前成田駅と同じ平成27年(2015年)に登録有形文化財に認定されている。ホームの石垣も登録対象になっていて、駅舎を線路越しに撮影できるのはこの駅のポイントになっている。線路越しの姿をイメージしながら駅舎を眺めて欲しいものだ。

 羽前成田駅と西大塚駅の面白比較(駅舎探検)はこちらからご覧ください

  ⇒ http://samidare.jp/orada3/note?p=list&c=422504

 

【写真提供:歌丸の人さん 「春分の暁注ぐ停車場」 】

2021.04.02:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]