今泉駅に到着しました。ここでの待ち時間を利用して、ホームで写真を撮る姿が見られる。鉄道小説家 宮脇俊三が、昭和20年8月15日の玉音放送を駅前の広場で聞いた駅としても有名である。また飯豊町の資料によると、このホームで牛めし弁当(すき焼き弁当)を売っていたが、昭和18年頃の戦時下で姿を消したという。今泉駅は、国鉄時代から米坂線と長井線の交差点として、様々な歴史を重ねてきた駅です。
さて、ここで問題です。 「JRにはなくてYRにあるのもな~んだ」
答えは「国鉄時代の看板」
山形鉄道側のホームには国鉄時代のホーロー看板が残っています。駅銘板と共に「赤湯方面のりば」という乗り場案内板もあります。今泉駅には、今も「昭和」が隠れていました。
【参考資料】 宮脇俊三「時刻表昭和史(増補版)」、中ノ目歴史散歩(平成27年3月 中ノ目の歴史を辿る会発行)