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長井線リポート(23)  最上川を越える覚悟

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 この写真は下りの時の松川橋梁の写真である。上りの時は最上川に目を奪われるが、下りの時は橋脚に目が取られる。大正3年に造られた橋脚の上を走っていることに、改めて気付かされる。山形鉄道の方からは、「この当時、湾曲した鉄橋を造ることは珍しかっただろう。」と教えられた。川に飛び込んでしまいそうな感覚は、乗ってみなければ味わえないものだ。

 

 長井線の歴史を辿ると、最上川を越える時に壮大なドラマが繰り返されて来た。梨郷から最上川を渡ろうとする時、そして鮎貝から荒砥まで延伸させようとする時である。母なる川・最上川は、豊かな恵みをもたらすと共に、大いなる試練をも与えて来た。最上川を越えて鉄道を敷くには、大いなる覚悟が必要であったのだろう。

 100歳を超えた橋脚から「ボーっと乗ってんじゃねーよ」と言われそうである。

 

【写真は、時代の忘れもの館(南陽市宮内)提供の「置賜軽便鐡道開通式記念カード」より】

2021.04.12:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(22) 屈曲清流奇絶處

  • 長井線リポート(22) 屈曲清流奇絶處
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 西大塚駅を過ぎると松川橋梁にさしかかる。荒砥の最上川橋梁と並ぶ撮影スポットである。右脳と左脳をフル回転させて、車窓からの眺めと芸術作品のような写真を重ね合わせてみて欲しい。バーチャルリアリティのように、写真家が切り取った四季折々の絶景を同時に味わうことができるのではないだろうか。

 

 さて明治9年6月、内務卿大久保利通が、明治天皇の東北御巡幸に先駆けて民情視察のために米沢に来られた。この時成田の佐々木宇右衛門は、自分で建てた製糸工場の視察を懇請し、大久保公はその願いを受け入れて佐々木家に宿した。12日、舟を仕立てて最上川を下った際に、大久保が詠んだ漢詩が次のものである。大久保利通も現実とバーチャルの間に遊んだのかもしれない。

 

 千章夏木雨痕鮮/幾重の山々木々青く、雨の後に鮮やかなり

 一棹孤舟下大川/一棹の小舟、大河を下る

 屈曲清流奇絶處/清流曲がりて絶景の中を過ぎる

 米家水墨是天然/この景色は米家の水墨画にあらず本物の自然なり

 

 

 

【おらだの会】 写真は歌丸の人提供 「同じ朝はない」

 ・漢詩の読み下し分は、致芳コミュニティセンター「渡し物語」を参考にしました。

 ・佐々木宇右衛門についてはこちらをご覧ください

  ⇒ http://samidare.jp/orada3/note?p=list&c=421753

2021.04.06:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(21) 西大塚駅は東京駅と同い年

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 列車は西大塚駅に到着した。今泉駅以来、駅名看板に目が行くようになったが、西大塚駅はホーロー看板と通常の山鉄看板の両方が掲示されている。駅舎内のナスの「ようこそ西大塚駅」の看板もユニークだ。

 この駅は、大正3年(1914年)に開業したが、東京駅の竣工も同じ年である。日直室にはキリストの肖像画が飾られているなど歴史秘話もありそうな駅である。羽前成田駅と同じ平成27年(2015年)に登録有形文化財に認定されている。ホームの石垣も登録対象になっていて、駅舎を線路越しに撮影できるのはこの駅のポイントになっている。線路越しの姿をイメージしながら駅舎を眺めて欲しいものだ。

 羽前成田駅と西大塚駅の面白比較(駅舎探検)はこちらからご覧ください

  ⇒ http://samidare.jp/orada3/note?p=list&c=422504

 

【写真提供:歌丸の人さん 「春分の暁注ぐ停車場」 】

2021.04.02:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(20) 「街道」のある風景

  • 長井線リポート(20) 「街道」のある風景
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 見所満載の今泉駅を出てすぐに転車台跡があるのだが、列車の中からは確認することが出来ない。残念、と思っていたらJRの線路側に「35 越後街道」の看板が見えた。今どき、「街道」という名称が使われていることに驚いたが、そう言えば〇〇街道踏切と表示されている踏切注意柵があったことを思い出した。

 後日、「35 越後街道」の意味を確かめるべく自動車で向かうと、やはり踏切を表示する看板のようである。(ただし注意柵のキロ数は22k689m、奥の計器ボックスの表示は22k693mとなっているのが気になるが。)

 

 山形鉄道に教えてもらったところ山形鉄道の踏切の数は56箇所で、そのうち越後街道や長井街道のように街道名がついている踏切は16箇所。他には伊佐沢街道、東伊佐沢街道、小松街道、越後街道、時庭街道、萩生街道、南台街道、手ノ子街道、平山街道、西舘街道があるそうだ。

 「街道を行く」ではないが、街道という名称は、古くからの人々の行きかう様が見えてくるようで、何とも趣きを感じるものである。そこに立つ踏切は、時空移動の入り口のようだ。

 

2021.03.29:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉

  • 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉
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 ホームの柱に何やら意味ありげに雪が集められている。題して「寄らば柱の陰」。これがバンクシーの作品であれば一山1億ぐらいはするであろうか。実は、ホームの雪は、一旦柱付近に集められ、除雪車が出動する際に線路に落として処理をするのだそうです。

 

 今泉駅にはいろいろな珍百景が隠れている。国鉄風の「赤湯方面のりば」の看板とホーロー看板に山鉄の三本ラインの入った「いまいずみ」の駅名板が、一本の柱に貼ってある。JRにあってYRにない「待合室」。JRの柱はスチール製でYRは木製。JRの屋根の上には何やら不思議な金具があり、YRの屋根には西大塚駅にあったトンボが見える。

 

 まさに乗ってみなけりゃわからない、降りてみなけりゃわからない。「今泉駅は、面白景色の宝石箱や~!」

2021.03.27:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]