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駅に残る思い その6(木製ランタン)

  • 駅に残る思い その6(木製ランタン)

 駅舎には「羽前成田駅の木製ランタン」と題したパネルと、10個程度の木製ランタンがある。パネルには「このランタンは、羽前成田駅の改修工事で出た戸の廃材で作られたものです。羽前成田駅の木造の良さや暖かさを知ってもらいたいと思い制作しました。」と記されている。

 

 これを制作したのは、市内の建築関係の短大で学んでいたH君。13年前に、おらだの会では木造駅舎の復元(修繕)工事に取り掛かっていましたが、H君はこの工事に興味を持ち、いつしか私たちの事業にも参加するようになります。

 

 H君は卒業後、仙台に就職したと聞きました。H君の他にも若い人が成田駅に来てくれました。今はそれぞれの道で頑張っていることだろうと思います。H君が残してくれた木製ランタンは、そんな若い人たちとの楽しい時間があったことを思い出させてくれます。ランタンに灯りをともしながら、再会の日を楽しみに待っていようと思います。

 

H君と駅茶のこと、若い人との想い出はこちらから

 → 「駅茶」の思い:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

 

→ 停車場憧憬 若き旅人達へ:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2024.01.23:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その5(おらだの会のお仕事風景)

  • 駅に残る思い その5(おらだの会のお仕事風景)

 この写真は2011年(平成23年)6月18日に撮影されたものである。撮影してくれたのは同じ町内に住む小笠原さん。小笠原さんの愛猫チャーが「楽しみだニャー」と言っているのは、6月26日に羽前成田駅の第1期改修事業のお披露目会のことである。

 

 ホームでは職人がコンクリートの仕上げをやっている。会長などがサッシ戸を磨いている。待合室の入口には「6月26日成田駅へ集合」のチラシ。駅舎修繕のきっかけとなった「なつかしいふるさとの駅舎を再現しました」の看板も見える。

 

 竣工式の写真は残っているものの、その準備段階の写真はなかなか残せないものである。それにしても「おらだの会のお仕事風景」というタイトルはとても素敵だ。イベントの前の地道な作業をやってくれていた先輩方がいたこと。そしてそれを温かく見守ってくれた町内の人がいたことを嬉しく思う。それは、これからもずっと大切にしていきたいことだ

2024.01.14:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その4(ホームのかかし)

  • 駅に残る思い その4(ホームのかかし)

 ラミネート処理されたこの写真には「第1回フラワー長井線かかしまつり 最優秀賞『たきび』 成田貧困会様」との説明がある。山形鉄道に問い合わせたところ、かかし祭りコンクールが開催されたのは2007年(平成19年)とのことだった。

 

 コンクールには成田貧困会(代表 今野武)の他に山形工科短大、沿線の高等学校3校、保育園や小学校などが参加し、投票の結果最優秀に輝いたのである。成田貧困会は、上山市で開催される全国かかし祭りでも数年続けて大賞を受賞している。いわば特殊な才能を持った集団だったである。

 

 それはさておき展示された駅は成田、荒砥、長井、宮内駅の他に南長井駅、鮎貝、白兎、時庭、梨郷駅など9駅である。これは、最近の長井線祭りのイベント会場数の約2倍である。またコンクールに参加した団体名をみると、主催者がかなり熱心に参加を呼び掛けたことが伺える。かかし祭りは、由利高原鉄道やいすみ鉄道などでは今も行っているようであるが、山形鉄道ではこの1回限りで終わってしまった。継続するのが大変だったのだろう。

 

 成田駅で鮎貝りんごのパネルをホーム側に設置していると、乗客の多くが驚いたようにスマホをかざす姿が見られる。無人駅であっても、いや無人駅だからこそ、乗客を歓迎する仕掛けが可能なのではないか。この写真を単に過去の記録として埋もれさせて良いものだろうか。

 

2024.01.12:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その3(征峰作)

  • 駅に残る思い その3(征峰作)

 書棚の奥の奥から「征峰」の雅号が記されたもう一枚の絵が出て来た。おらだの会第3代会長である故宮崎征一さんの作品である。宮崎さんは駅舎の修繕を行うと共に、鉄道写真家・広田泉さんとの「縁」をつくった方である。

 

 期せずしてこの度、成田駅に多大な貢献をされた佐々木郁雄さんと宮崎さんの作品を同時に見ることになった。宮崎さんが書をたしなむのは知っていたが、絵を描くことは初めて知った。二人は平成6年頃から、駅舎で展示会をやろうと考えていたのかもしれない。酒飲み以外に会員個々の趣味や特技を持ち寄ることも楽しいことかもしれない。

 

 2016年(平成28年)の同じ月に鬼籍に入られた二人である。雲の上で酒を酌み交わしながら、私たちのことを眺めているかもしれない。二人の思いに心を馳せ、時には時代の変節に翻弄されながらも、青竹のようにその節を重ねていきたいものだ。

 

2024.01.10:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その2(郁作)

  • 駅に残る思い その2(郁作)

駅に残る思い その2(郁作)

 この絵は旧事務室の書棚に保管されていたものである。表に「郁」の署名があり、故佐々木郁雄さんの作品と思われる。佐々木さんは駅協力会からの委託を受けて駅前環境の整備に取り組む地元グループの代表を務めていた。国鉄から三セク移行という激動の中で、1988年(昭和63年)に成田駅のトイレや花壇の整備等に取り組んだ。また定年退職に際して、駅の南側に花壇も整備してくれた方である。

 

 絵の裏面には「平成6年2月」と記されているが、翌1995年(平成7年)には成田駅前の仲間と共にもみじ広場の造成を果たした。佐々木さんたちはこれを機に第一線を退き、おらだの会(平成8年設立)に後を委ねることとなる。「おらだの会」という名付け親も佐々木さんであった。

 

 ザクロは子孫繁栄の象徴ともいわれる。佐々木さんはこの絵を観ながら談笑する風景を思い描いて、事務室に持参したのではないだろうか。2002年(平成14年)に成田駅が完全無人化になって以降、書棚の奥に片づけられたのかもしれない。佐々木さんはじめ、生き生きボランティアの先輩方は、今の成田駅をどんな風に見ているのだろうか。改めて佐々木さんの絵を駅茶に飾っておこうと思う。

 

 

 昭和63年の整備事業はこちらから

 → (29)「過疎化の玄関口」を「活性化の拠点」へ:おらだの会 (samidare.jp)

2024.01.08:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]