11月となりました。今月の羽前成田駅ミニギャラリーは「秋の実り(仮題)」と「山門にて(仮題)」の2作品です。
「秋の実り」には柿、栗、マツタケなどがそれこそ山盛りに描かれています。秋の実りに感謝しながら、家族団らんの食事を楽しむ。そんな光景が思い浮かびます。
静かな静かな里の秋 おせどに木の実の落ちる夜は
ああ母さんとただ二人 栗の実煮てます 囲炉裏端
「山門にて」は、紅葉に誘われて山門をくぐると、その奥もまた紅葉の世界に包まれている、そんな光景が目に浮かんで来ます。昔聞いたデュークエイセスの「女ひとり」という歌が思い出されます。
京都 大原 三千院 恋に疲れた 女が一人
短かった秋を愛おしみ、それぞれの秋に浸ってみてください。今冬が少しでも遅く訪れることを願いながら・・・。
今月のミニギャラリー
ありがとうございます!
そして今回、とても嬉しいことがありました。それは8時25分の上り列車が入って来た時のことです。運転手さんが「どうもご苦労様です」「ありがとうございます。」と声を掛けてくれたのです。初めて聞いたような大きな声でした。こちらも恐縮して、思わず直立して礼をしていました。朝作業のちょっとうれしくなるひと時でした。
「運転手さん、山鉄の皆さん毎日ご苦労様です。ありがとうございます。」 そんな言葉が浮かんで来ました。
長井線祭りルポ3 駅舎の縁
芋煮会の二次会の光景である。2年振りで遊びに来てくれた女性がいる。今日初めて出会った方が、旧友と再会したかのように語り合う姿があった。来春に向けて新たな展開の提案も出していただいた。こうして芋煮会をとおして出会いの輪が広がって来たが、その始まりは2007年(平成19年)の11月の芋煮会だったかもしれない。
元山形鉄道社長であった野村浩志を追悼する冊子が、「偲ぶ会」から出されている。その中に「『ありがとう』の反対語とは?『あたりまえ』ってご存じでしたか?」と題するエッセイがある。「あたりまえ」のことを「ありがたい」ものと考え、「ありがとう」と思うことが大事だ、との論旨である。
思えば広田泉さんや米屋こうじさんとの出会いは、まさに「ありがたい」出会いであった。そして今も、芋煮会やお花見会に来てくれる人がいる。それは「あたりまえ」なことではなく、「ありがたい」ことなのだと改めて思う。
出会いが「縁もゆかりもない人」で終わるか、「ご縁で長いおつきあいになる人」となるかは、感謝の気持ち次第であろう、と野村さんは続けている。追悼誌のサブタイトルは「人生で大切なことを『只見線』が気づかせてくれた」である。駅舎の縁、人生で大切なことを『駅舎』が気づかせてくれた。
木造駅舎での写真展
米屋こうじ写真展「守(Shu)」を実施しながら、いつも胸に浮かんでいたことがあります。米屋さんの作品をこのような場所で展示してもらっていいのだろうか。それこそ設備の整ったギャラリーなどで展示されるべきでなかったろうか、という思いでした。
米屋さんの写真展には、「米屋さんの作品を見たくて」「米屋さんのファンです」と、たくさんの方がおいでになりました。そうした中で、写真のような光景が見られるようになりました。憧れの作家とお茶を飲みながら、撮影のポイントを尋ねたり、著書の感想を伝える。
初めは緊張気味だった方も米屋さんの温かい人柄に惹かれて、話が弾みます。「成田駅で米屋さんと話し合えた時間は、私にとって特別なひと時、想い出になりました。」と語ってくれました。
木造駅舎での写真展。ちゃぶ台を囲んでの作家との語らい。この場所で、展示会を行うことの意義を教えてもらったような瞬間でした。この企画に賛同してくれた米屋さん、一人ひとりに丁寧に応対してくれた米屋さんに感謝しながら、11月2日の最終日を迎えたいと思います。





