珈琲豆屋です!

珈琲豆屋です!
ログイン

「うーんんん。」のサムネイル
「うーんんん。」の画像
なかなか書けないもんですねぇー。

特にショックとは自分では思っていない筈なのですが、、、。
今日で2週間、この間のような遠い昔のような不思議な感覚がいたします。

御香典、弔電、お花など頂いた方々、本当にありがとうございました。
もうちょっと落ち着いてからご連絡させていただきます。

「再開しました。」の画像
丁度一週間休んでしまいました。皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
3月3日、本日より通常営業に戻りました。
御贔屓何卒宜しくお願い申し上げます。

そして、豆いちの駐車場の抜け道の雪が解けたので、餃子の江戸久に抜けられるようになりました。
本来は道路ではないのですが、永井荷風の濹東綺譚と同様、「ぬけられます」。

今日は九里高校の卒業式で、店の前は前途洋洋の活き活きとした顔が通り過ぎていきます。
自分のことを考えると今を去ること28年前、おそらくマイルスで一杯飲っていたに違いありません。

「臨時休業のお知らせ」の画像
元気だったおやじが、少しずつ元気がなくなり、そして24日に永眠しました。
申し訳ありませんが、24日より3月2日までお休みを頂きます。
皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、このような事情ですので何卒お察しくださいませ。

父は酒の好きな男でした。
酒が好きというよりは、宴席が好きだったのだと思います。
うちでは大抵、かかっているテレビを見るでもなく静かに飲んでいました。

夕方になるとこれから行く「寄り合い」のために、洗面所でT字型の剃刀でひげをあたっているときの楽しそうなこと。
景気のよかった子供の頃は、よく今はなき「幸寿司」のかっぱ巻きと筋子の海苔巻きのおみやを朝から食べてました。

私が店を始めてからは随分心配をしてくれていたようです。
また、新聞などに載ると嬉しそうに来る人に見せていたようです。

というわけで、ちょっとお休みさせて頂きます。
来週水曜日より皆様のご来店をお待ちしております。
「東京出張という心地よい響き。その6」の画像
後楽園に行くには、水道橋の駅から歩くというのと、丸の内線の後楽園駅で下車というのと2パターンある。
東京に来た頃、随分ジャズ喫茶巡りをしたのだが、水道橋にはスイングという老舗があった。

どうやって場所を調べていったのか憶えていないが、あそこは一体なんだったのだろう。
川の脇の、ちょっと船着場のそばの店みたいな佇まいだったように記憶している。
まるでニュー・オリンズにでも紛れ込んだような錯覚を覚えるいい雰囲気だった。
黒澤明映画の戦後すぐの東京、酔いどれ天使あたりともかなりかぶるシチュエーションだ。

人のよさそうなおじさんとちょっと大柄のおばさんでやっている摩訶不思議な空間。
そこで流れるのは1920年代から40年ごろまでのデキシー、スイングジャズ。
時間が止まったような場所は、私が行ってから数年で無くなった。だから私がそこへ足を運んだのは一回きり。
その後スイングは飯田橋へ移った。ちょっと坂を上ったところにある穴倉のような空間で、ここも居心地は悪くなかったが程なくして閉店してしまった。

サラリーマンになってからは飯田橋の店によくサボりに行ったんで、私が行くとテナーサックスのレスター・ヤングやベン・ウエブスターなんぞをかけていただいたことを思い出す。


スイングという同じ屋号のジャズ喫茶は渋谷にもあった。
ここはジャズの映像をプロジェクターで見せてくれる店で、たまたま渋谷区役所に営業に行く途中立ち寄った。

東急ハンズから少し坂を登り、左にタワーレコードを見ると右に階段がある。
数段登ると左側の奥のほうがスイングだった。
ここには随分お世話になった。
マスターは宮沢さんというおじいさんで、ちょっと昔話を聞いたこともある。
いつもビールの小瓶を注文していた。
最近余り見ないが、缶よりもいいね、ビールの小瓶。

「東京出張という心地よい響き。その5」の画像
後楽園に初めて行ったのは中学2年の修学旅行のときだ。
宿泊は大久保の笹川良一の海洋会館、でその時、後楽園には昼夜2回行った。
最初は遊園地で、夜に巨人戦のナイターだったと思う。

まだ日劇も国際劇場も健在だったが、そういうコースは時代遅れだったのでしょうか。
日光にも行ったのかなぁー。横浜は行ったなぁ。
遊覧船で安部君が白い無地の野球帽を海に飛ばした記憶は、なぜか今も鮮やかに記憶している。

で、昼の遊園地の時に球場のそばで人だかりがしていたので、隊列を離れ行ってみると、TBSの渡辺謙太郎アナウンサーだった。
そのころのTBS運動部のアナウンサーは早稲田野球部OBの渡辺、浪花節の廣澤虎造の息子、山田二郎が二枚看板だった。「謙太郎さん」「二郎さん」とおたがい「さん」づけで呼び合うのが、田舎物にとってはなんとなく都会的な感じがした。

それでなぜかサインを頂いたんだ。その時田舎の中学生は鉛筆しかなくて、しかもコクヨのメモ帳に書いてもらった。
「はぁー、鉛筆って書きやすいもんだね。」ちょっとざらっとした、少し高めの、滑舌のいい声で謙太郎氏は言った。
「ぼくらいつもボールペンしか使わないからさ、こりゃいいもんだねぇ。」
都会的で、親切でかっこいい。

ラジオでも人柄の良さは感じていたが、こんな中学生にもフランクに話しかけてくれる。
今、自分はそういう大人になれているのだろうか。
「東京出張という心地よい響き。その4」の画像
本郷もかねやすまでは江戸のうち、という川柳は子供の頃から聞いている。

享保年間(1716〜1736)に、現在の本郷3丁目の交差点角に、兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。
これが当たり店が繁盛していた、らしい。

私としては何となく刃物屋かなんかと思っていたのですが。今は洋品店のようだがその時間店は開いていなかった。
そこでマックで珈琲をいただくことにする。

吾妻サービスエリアで買った雑誌でも見ようとした時、本が汚れていることに気が付いた。
粘度のある茶色い液体でべたべたしているのだ。


それはマックスバリュで買った焼き鳥の残りのたれがパックからしたたり落ちたものだった。
ということは、あのお土産にも、、、確認すると買ってきたお菓子の包装紙にもすっと一筋やきとりのたれが附いていた。

ナプキンを水で湿らせて叩いてみたが、そのくらいで落ちる代物ではない。
思えばサウナを出るときにこういうことも想定されるので、捨ててしまおうとも思ったのだが、見たら割と旨そうだったのね。

かなりブルーになりながらも水道橋を目指して歩くと真砂坂という地名が出てきた。女系図で有名な真砂町の先生が住んでいたところだ。
坂を下っていく途中のマンションの駐車場のところから丸の内線が出てくるのが見えた。
もうすぐ後楽園の駅だ。


「東京出張という心地よい響き。その3」の画像
3階に行くとリクライニングの椅子が暗闇にずらっと並んでおり、小さいTVが付いている。
おやじというおやじがずらっと築地の鮪のように並んでいる様は壮観だ。
中には床にマットレスを引いて寝ている人もいる。

雪が降ったのも影響してか満員御礼札止めといった状況である。
隣の部屋では台湾マッサージがボキボキいっている。あっちの部屋は韓国式だ。大和式はないようだ。
うつらうつらしているが、他の人が付けているTVが気になって、なかなか寝付けない。

8時半頃になると、随分おやじの量が減ったみたいだ。なぜかリクライニングシートの小さなテーブルにたばこと100円ライターが準備された。
煙だらけになるのも苦手なので、そそくさとその部屋を出た。
そこは多分昔クラブかなんかだったところのようで、天井がでこぼこしていて、アスベストでしょうね多分。

今日は東京ドームで「テーブルウェア・フェスティバル」という展示会というかイベントに伺うことになっている。
10時開場なのだが、まだ時間はある。
そうだ、広小路といえば湯島天神があるじゃあないか。

東京に受験に来たころはまだ新幹線が福島−大宮間しかなかったので、リレー号というので上野まで出た。
そして合格祈願ということで湯島の白梅を見に石段を登った懐かしい場所だ。
取りあえずは合格したので霊験あらたかという事にしておこう。

丁度梅祭りということで、まだ開いてはいないが縁日の屋台が狭い境内に沢山出ている。
お参りを済ませてぐるりと境内を一周。合格祈願の絵馬が連なっており、そのうえに昨日からの雪がかぶさっている。

裏手の方から本郷の方まで歩くことにする。
多分わりと有名であろう壺屋総本店という菓子屋の前などを通り、少し雪の残る道を登っていくと、程なく本郷3丁目の交差点に出た。


「東京出張という心地よい響き。その2」の画像
乗っているバスは東北急行バスといって、名前はレインボー号という素晴らしいものだ。
東武鉄道系だからだと思うが、途中下道になり、岩槻、新越谷、北千住あたりを細かく回る。時間稼ぎの意味もあるのだろう。

上野に着いたのが5時20分。東京も雪が降った日でこれがまた寒い。パターンだと燕湯で朝風呂なのだが、寒すぎて風呂に入った後どうみても風邪をひく勘定だ。
しょうがないので上野松坂屋を過ぎたところにあるサウナに潜り込む。

早朝サービス1000円延長しても10時まで2000円だ。
体を洗い湯船に浸かる。狭い場所にいた体の疲れが至るところから現れる。
サウナにいくと先客が1人だけいて、声をかけられる。

「私群馬から来てるんですが、どちらからですか?」
「山形です。」
「電気工事かなんかのかたですか?」

この人はなぜか私を電気工事の人と見破ったらしい。
「いや、珈琲屋をやってまして。」
「えっ、電気工事の方じゃないんですかあー。私はてっきり、、、」

「急に出てきてアパートも借りられないんで、ここはいいですよ。2000円で午後4時までいられるんです。」
そうか10時じゃなくそんなに居られるのか。
「居酒屋に勤めてるんですが、昨日の夜は雪が降って散々でしたよ。」
そりゃ、そうでしょう。
「じゃ、またどこかで、私綿貫と申します。」

綿貫さんが居なくなって、サウナの中はしんとした。
「東京出張という心地よい響き。その1」の画像
外に出ると雪がちらちらと舞い降りてくる。少し風もあるがそれほどでもない。
桜木町から駅までは橋を渡って一本道。花沢のガードをくぐって駅の東口に出る。
マックスバリュで旅のお供というか、夜食というか、深夜の一人酒盛りのアイテムを揃える。

惣菜とはいってもつまみとおかずは若干異なる。おかずでは飲めないこともあるが、ここの惣菜は酒飲みにはぴったり来るものが多い。焼き鳥なぞもちょっといいものが盛り合わせてある。今日は迷うことなくタレを選ぶ。

今日は2月1日、短いが長い0泊3日の旅が始まった。
雪の降る中バスを待つ。寒い。乗るのは4人のようだ。
下りの新幹線が滑るように駅に飛び込んでくる。

もう少し待つと、時間通りにバスがやってきた。
全部で15、6人の乗客だろうか。
最初から全部カーテンが引かれていて、電灯が消えると車内は暗闇に包まれた。

その暗闇の中で、一人酒盛りが始まる。

「一人酒盛り」といえば私の中では三遊亭圓生だ。無論笑福亭松鶴のも下らなくていいのではあるが。圓生のも負けず劣らず下らない。

「厭だったねぇ、戦争のボカボカの時は、」というフレーズが入るので圓生のは江戸時代の噺としてやっているわけではない。
「いい酒だねぇー。いい酒の温泉(飯坂温泉)てぇーのがあったね、」というフレーズもなんとなく戦後のイメージだ。
いつの頃からこういう風に改作したのだろうか。誰かの型があったような気がしなくもない。一寸新作風のフレーバーを感じる。

などと、考えていたらもう東北道に乗っかっていたんだ。
吾妻パーキングエリアでのトイレ休憩となる。
コンビニに立ち寄ると福島の情報誌が丁度コーヒーの特集をやっていたので購入。

バスは軽いゆれを保ちながら一路関東へ、そのまま浅い眠りの中に入る。



「本日の絵葉書  其の122」の画像
大町

写真は「豆いち」に展示しています。
「本日の絵葉書  其の121」の画像
上杉神社前通 大雪景

写真は「豆いち」に展示しています。
「ロビーでの華麗な演奏、、、」の画像
華麗なねぇ、、、もしかして加齢?そうねぇ、もう13年も経っちゃったからねぇー。
ここんとこ、あんまりメンバーも変わってないしねぇー。

某新聞に私が参加しているスターダスターズの演奏風景の写真が掲載されました。
14日川西のフレンドリープラザでのものです。スイングガールズ以来の「東北学生音楽祭」の一コマです。
メンバーには許諾を得ていませんが、某新聞もこっちに確認がなかったんで載せちゃいましょう。

久しぶりの本番だったので、楽しく演奏できました。
私は午前中に演奏して、そのまますぐに店に直行したのですが、午後5時まで盛り沢山の内容だったそうです。
今年はコンサートを行いますので、その節は是非お運びください。

なお上記新聞紙上のゲストの名前が「東京ブライダル」となっていますが、正しくは「東京ブラススタイル」です。
明治記念館とか平安閣とか椿山荘じゃないんですから。
「本日の絵葉書  其の120」の画像
松川より吾妻山を望む

写真は「豆いち」に展示しています。
...続きを見る
「しゅんは大人だよ!」の画像
と、息子は言いました。

大人は毎日働くんだよ、と言ったら「豆いちでいつもおてつだいしてるじゃん!」
だそうです。切った刀で返されました。

土曜、日曜と彼は大忙しでした。

土曜日はなんとプラチナチケットの「おかあさんといっしょ」が当選し、県民会館に見に行きました。ネットオークションで1万円の値段が付いていたそうです。

夕方から高畠町に会場を移して「おれまかコンサート」でこまつを見てきました。
本人は時々エレクトーンを引きながらハモニカを吹くという芸をやっています。
多分彼の影響でしょう。
「やまぐちれおにもあったよ!」と言いたい放題です。

日曜日は午前中ヤマハのレッスンに行き、その足で川西のフレンドリー・プラザで東北学生音楽祭を見て、午後から雪灯篭祭りに行きました。

かなり非日常的な2日間だったことでしょう。


「本日の絵葉書  其の119」の画像
雪に没した粡町通り

写真は「豆いち」に展示しています。
powered by samidare