9月の30日鳥海山の帰りに遊佐町の十六羅漢に立ち寄りました。お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいう、吹浦海禅寺21代の和尚様が日本海での荒海にて命を失った漁師の供養と海上の安全を願って近くの村から酒田まで托鉢をしながらお金が集まると地元の石工たちを指揮して5年の歳月で明治元年22体を岩礁に刻んだということらしいです。その後明治4年に和尚71歳で自ら身を投じて守り仏になったとありました、すごいですね・・昔は現在に比べはるかに漁師は危険な仕事であったんでしょうね・・22体は結構な範囲にあります、すぐわかるものや、なかなか判別しにくいものとかあります駐車場から遊歩道的に行くことができますが奥は険しそうなんでやめましたけども・・いい景色で散策にいいとこです、駐車場にお店もあります、7月から8月にライトアップもされ奥に出羽二見という夕日スポットもあります・・来年はこの時期に鳥海山再度来たいと思います
旧渋谷家住宅
9月の末に庄内へと一泊で山友古希の祝い旅、鶴岡にある致道博物館に立ち寄り、そこに移築した茅葺の民家がある、文政5年(1822年)に建てられたものと言うからすごい・・その山村にある生活様式文化を残そうということで、昭和40年(1965年)に湯殿山の山麓、田麦俣から博物館へと移築したとある、昭和からでも55年も経っている・・兜造りというもの、山間にある田麦俣は土地が狭く建物の増築が困難だったために、生活空間と養蚕部屋が一つの建物にまとめられた多層の形になったと言われている、作業場、物置と上階に設けてある・・もとあった田麦俣地区は、庄内と内陸を結ぶ六十里越海棠の要所、湯殿山信仰が盛んになり、その登山口、宿場としての機能を有していて、全国から集まった参拝者が夜ともなると路上に出て、お国自慢の歌や踊りを披露して、毎晩祭りのようなにぎやかさだったとかとある、明治になると神仏分離、廃仏で出羽三山信仰が大打撃を受ける、このころ養蚕が盛んになりそこに活路を見出していくようになったということです・当時の山村の暮らしぶりいかがなものだったんでしょうかね・・・
歴史博物館
先週の9月29日鶴ヶ岡城跡にある藤沢周平記念館に向かうが、この日水曜日で定休日となってました・・調査せずに行って残念無念・・そんで鶴ヶ岡公園を通り抜け城跡三の丸にあたるとこにある致道博物館に行ってみました、鶴岡の歴史、文化知ることができる施設、元は庄内藩主酒井家の御用屋敷だったものを博物館として公開、入場料大人800円でした、敷地内には国指定重要文化財の旧西田川郡役所、多層民家、旧鶴岡警察署庁舎など展示物、刀剣などもありまじめに見るとけっこうな時間かかります、酒井氏庭園は書院造りで東北ではまれなんだそうです、作者も制作年代も不明、写真2枚目・・江戸時代から明治、大正と趣ある建物に庭園いいです
鶴岡公園 大賓館
9月29日(水)山友古希祝旅へ庄内方面観光して遊佐に泊り、翌日は山友らしく鳥海登山の旅・・初日29日は快晴夏みたいな天気、鶴ケ岡城跡散策と鶴岡市出身の時代小説家、藤沢周平館を見ようと思っていったのですが水曜は定休日・・とほほーアレーの確認不足でしたね、気を取り直して致道博物館へ行く途中、大賓館という建物がひときわ目立ってました、大正4年11月10日大正天皇の御即位記念に会館。大正初期の疑似洋風建築としてバロック様式を模して造られたとある、ルネッサンス風のドームをのせた赤い尖塔屋根と白亜の殿堂は全国でもまれなデザインということです、現在は郷土の先人、偉人の業績を紹介する”郷土人物資料展示室”となっている・・手入れが行き届いてきれいに維持してる大変だろなー
山居倉庫(酒田)
一昨日、山友さんたちと庄内観光、お昼、海鮮市場でおなかは満杯、少し腹ごなししないとということで、海鮮市場から820mと案内板がある山居倉庫までお散歩、大人の休日クラブで吉永小百合さんがCMやポスターに起用されて一躍有名になりましたね、酒田はかつて北前船による交易で栄えた港町、その繁栄を支えた、庄内地方のコメの保存用倉庫として使われた山居倉庫、明治26年建造とあります、ケヤキの木が日差しを遮って気持ちいい風がすり抜けていく・・この日天気よくかなり暑かったんですが石畳の上は気持ちよかったです、観光物産館、庄内米歴史資料館(大人300円)もありぶらりぶらりと散策できました