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(46)成田駅が登録有形文化財に(平成27年)

  • (46)成田駅が登録有形文化財に(平成27年)

 西大塚駅と羽前成田駅は、平成27年(2015年)3月の文化財審議会からの答申を受けて、8月に登録有形文化財に認定されました。羽前成田駅の認定プレートは、10月25日のフラワー長井線祭りに羽前成田駅・白兎駅協力会 鈴木義一会長とおらだの会宮崎会長に伝達されました。さらにこの年設立20周年目となるおらだの会に対して、山形鉄道より感謝状も授与されました。

 

 祝賀会の余韻をそのままに申請に尽力された小幡知之先生や市役所の方、広田泉さんとその仲間の方そして山形鉄道の社員の方が、満面の笑顔で記念撮影。駅ノートにも認定されたことを祝福するメッセージが数多く寄せられました。

 

 「生まれ育ったこの町、この駅。懐かしく、心温まります。永久にあればと願います。来るたびに必ず見に来ます。こんなふるさと成田駅。私は誇りです。心から応援しています。」

 

「登録有形文化財」の検索結果:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

2022.07.16:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(45)平成26年は大忙し!

  • (45)平成26年は大忙し!

 2014年(平成26年)は、長井市制60周年に加えて長井駅までの開通100周年、さらに山形デスティネーションキャンペーンという賑やかな年でした。フラワー長井線に手を振るスマイルプロジェクトが4月、5月、10月の3回開催され、羽前成田駅でも駅協力会や吉川病院と一緒に参加しました。

 

 この年はおらだの会にとっても忙しい年でした。まずは1月27日発売の「男の隠れ家」に掲載されたのを皮切りに、デジタルカメラの2月号、さらに「建築とまちづくり」という専門誌の11月号に会の活動が紹介されました。さらに中井精也さんの「BSてつたび」にも出演しました。BS放送を初め全国誌等に紹介されたことは、おらだの会にとっても一大転機となりました。

 

 そして5月31日からは玉崎先生によるロックガーデンづくりが行われることに。講師の玉崎弘志さんは2020年7月に逝去されたそうです。玉崎先生と共にこの場所で心に残るひと時を過ごされた皆さんがおられたことに思いを馳せながら、このロックガーデンをまもっていきたいと思います。

 

 

「男の隠れ家」におらだの爺3人衆が・・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

ゆる鉄さんの取材を受けました・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

おらだの会、「建築とまちづくりを考える!?」:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

「ガーデニング」の検索結果:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】写真はロックガーデンの作業を終えて講師の玉崎弘志さんとの別れを惜しむ参加者の皆さん。

2022.07.14:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(44)吉川記念病院との交流

  • (44)吉川記念病院との交流

 成田駅100年物語を再開しよう。さてこの100年の間で成田駅前に最も大きな変化をもたらしたものの一つには、吉川記念病院が建設されたことがあげられるだろう。

 

 吉川記念病院は2006年(平成18年)11月1日に開業した。以来、おらだの会のお花見や芋煮会に職員も参加し雪灯り回廊祭りにも協力していただいた。逆におらだの会も病院の夏祭りや文化祭に協力してきた。2016年11月5日の病院開院10周年では感謝状を授与された。

 

 こうした関係が創られたのは、当時の宮崎会長と役員が吉川病院の人と交流しながら、入院されている患者さんを含めて応援していきたいとの考え方で事業を進めてきた結果であったろうと思います。近年のコロナ禍にあっては、これまでのような連携事業を行うことは難しいと思いますが、せめてこの間の事業の姿を記録しておきたいと思います。

 

 雪灯り回廊祭りの様子はこちら →  成田駅イベント情報:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 吉川病院との交流の様子はこちらから → 「吉川病院」の検索結果:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】写真は2016年4月に広田泉さんのちゃぶ台写真展と同時開催された病院の作品展。銀閣寺とアヤメの図は、4カ月の制作期間を要したとのことです。

2022.07.12:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

地域の先生になっちゃった ~ その3

  • 地域の先生になっちゃった ~ その3
  • 地域の先生になっちゃった ~ その3

 感想を発表する時間になって男子生徒が元気よく手を上げた。「成田駅が100年たっても残っている理由がわかりました。」と言って、北側の壁を指差して「みんながここでタバコを吸わないようにしたからだと思います。」と。すると先生がすかさず「そうだね、火事を出さないようにみんなが気を付けたから100年たっても残っているんだね。」(この返しの呼吸が実に素晴らしいと思う。)

 

 このシールに注意することは今まで全くなかったし、駅を守るということとつなげて考えることは予想もしないことでした。そして、100年という歴史をつないで来たのは、この駅を利用してきた一人ひとりの心がけだったことに気づかされたのです。お礼のお手紙の中にも「(この駅は)すっごくみんなにあいされつづけたんだなぁと思いました」「ずっとなり田えきをたいせつにあつかっていきたいです」と書いていてくれました。

 

 「一生懸命学ぶ子供の姿に地域を担うたくましさも感じました」と校長先生が学校のブログに書いていましたが、全くそのとおりだと感じます。そして伝えていくことの大切さを考えさせられた1時間でした。子供たちそして先生、駅茶の爺さんのつたないお話にお付き合いくださってありがとうございました。また遊びに来てください。

 

 

【おらだの会】古い写真は成田駅開業30周年(1952年:昭和27年)の記念撮影。致芳小学校のブログはこちらから → 6/30(木)#512 地域を学ぶ、地域の先生に学ぶその3~羽前成田駅へ~:致芳小ブログ (samidare.jp)

2022.07.10:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

地域の先生になっちゃった ~ その2

  • 地域の先生になっちゃった ~ その2

 年代のギャップを先生にフォローしてもらいながら何とか授業を進めることができた。子供たちのいろんなものを見逃すまいとする気持ちと、わからないことは臆せず質問するという姿勢が伝わって来て、こちらまで楽しくなってくる。

 

①スライドを見終わって、次は駅の見所を巡回しながら説明することになる。車寄せの屋根の形を説明しながら「ハイカラっぽく見えんべ」と言うと、担任の先生がすかさず「ハイカラって現代風ってことよ。」とフォローしてくれる。(次第にこのやり取りを楽しんでいる私がいた。(笑))

   → 車寄せ 切妻vs半切妻:おらだの会 (samidare.jp)

 

②質問の時間になって5~6人が元気よく手を挙げた。一人は「駅ノートに外国の人が書いていますがどこから来てるのですか?」との質問。この子はノートを調べる時間があったのか、すごいやつだなと思いながら、「韓国とベトナムの人が来てます。」と答えたが自信はない。なぜなら私が見たこともない外国の文字もあったから・・・・。

 

③続いて女の子が小さな声で質問する。「成田駅が建てられたのは大正だといいましたが、西暦では何年ですか。」。そうかこの子たちは和暦、ましてや大正なんてピント来ないんだと知らされた。慌てて年表をめくって「1922年です。」と答えたが、続けて「あっそうか、2022年から100を引けばよかったんだ。」と気づき先生と大笑い。

 

 

【おらだの会】 子どもたちのお礼の手紙を読むと、成田駅の見所を私は「7つのこだわり」として説明したようです。そのこだわりの部分の箇所について、一人は「ほとんどがかっこつけるためだとわかって面白かった」といい、別の子は「そのおかげでかっこよく見えるんだな」と書いてくれました。それぞれの率直な感想が聞けるのがうれしい。写真は、こだわりの一つである破風板の刻印を説明しているところ。

拡大写真はこちらから → 破風板の刻印:おらだの会 (samidare.jp)

2022.07.08:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]