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第3話 ここから(南陽市役所駅)

  • 第3話 ここから(南陽市役所駅)

 「次は南陽市役所、南陽市役所です。」のアナウンスと共に、私は窓の向こうを眺めた。この駅を降りて、市役所のすぐ近くに高速バスの停留所があるのである。私は5年前、高速バスに乗ってこの地域の市役所にインターンシップに来て、一か月後、ここから郷里に帰って行った。

 

 その当時私は、大学で学ぶことに意義を見つけられず、卒業して何をすべきかもわからずにいた。とりあえず卒業するための単位を得るために、ゼミの先生に言われるままに、インターン生活を始めたのだった。しかしそこで知り合った大人たちは熱かった。その大人たちは、私を一人前の大人として扱い、意見を求めてきた。私はその中で、一生懸命やるってかっこいいんだと思うようになった。何処であろうが、何の仕事であろうが、一生懸命考え悩む人間になろうと思うようになった。

 

 ここを離れる日、バス停の近くにあった回転寿司が、地元の人たちとの最後の晩餐の場所であった。そして私は実家に帰るバスに乗った。夜行バスの中で、この一か月のことを何度も何度も想い返していた。家に着いて父と母にこれからのことを話した。こんな風に両親と話すのは初めてことだった。私は大学を卒業し、福祉関係のNPOで働くことを選んだ。

 

 そして今、私の隣の席には会社で知り合った女性がいる。その当時世話になった人に彼女を紹介するために来たのであった。彼女は、窓を開けて風が入るのを楽しんでいる。昔と同じく穏やかな山並みを遠くに見ながら、列車は想い出の街へと進んでいった。私は確かに、ここから人生という旅を歩き始めたのだ。

 

 

【おらだの会】写真は、JRWH24さんの駅ノートイラスト作品です。

第2話 別れの時(赤湯駅から)

  • 第2話 別れの時(赤湯駅から)

 新幹線のドアが静かに閉まり、列車はホームを離れていった。笑顔で見送っていた家族連れの姿も消えていた。思えば学生の頃、ここから彼の元に出かけた。新調した服を着て、どんなことを話そうかと考えながら。トンネルの向こうは、いつも明るい日差しに包まれて見えた。彼はそのまま東京の会社に勤め、いつしか二人の間には、見えない溝ができていた。もう二度とこのホームで彼を見送ることはないのだと思った。跨線橋を降りるとき、その階段がどこまでも暗い世界に続いていくように思えた。振り払わなければならない想い出が重かった。

 

 運転手が跨線橋の階段を眺めている。階段を降りて来る人がもういないことを確認すると、運転席に着いた。ドアが閉まり、列車は静かに走り始めた。窓にほほをつけながら流れる景色を追っていた。先ほどまでいたホームが視界から消えた。彼との思い出を整理するには時間がかかるけれど、私はここで生きていくことを決めたのだ、と改めて自分に言い聞かせた。本線と並走していた線路は、高架橋をくぐると大きく曲がりながら分かれて行く。それぞれの鉄路の先にあるものを想いながらその景色を眺めていた。「次は南陽市役所駅です」というアナウンスが流れた。

 

 山形鉄道赤湯駅の魅力はこちらをご覧ください。

→ 長井線リポート(33) 湖畔の別荘・赤湯駅:おらだの会 (samidare.jp) 

第1話 帰郷(赤湯駅へ)

  • 第1話 帰郷(赤湯駅へ)

 東京駅の人混みをかき分けて23番線に上がる。ホームに並ぶ顔に何となく親しみを覚え、服装などにも故郷の香りを感じる。自分と同じように、初めての帰省であるような若い女性も何人か並んでいる。シルバー色(※)の列車に乗り込むと、車内ではすでに山形訛りの会話が飛び交う。啄木の歌ではないが、この大きな声の会話が、故郷への旅のプロローグのように思える。

 

 関東平野を過ぎ福島県内の丘陵地帯の上を走り抜け、一時間ほどすると福島駅に到着する。ここでつばさはやまびこ号と分かれる。つばさは、小さな車体を右に左にゆすりながら奥羽山脈を駆け上る。それはまるで何者かから解放された少年のようである。峠の最頂点を過ぎると、今度は置賜盆地の底を目指して疾走する。故郷に一刻も早く帰りたいという我が思いが乗り移ったようである。眼下に流れる沢に春は新緑、秋は紅葉のパノラマが、幾枚にもわたって車窓を駆けていくのである。この峠道での列車の喘ぎと揺れる鼓動に、旅立ちの時の思いが蘇る。

 

 車内放送が山形鉄道の待ち合わせ時間をアナウンスする。東京を出て2時間20分、列車は赤湯駅3番(※)ホームに到着した。階段を上り跨線橋を4番線に向かう。ローカル線の鉄道娘の看板が迎えてくれる。階段を降りるとフラワーの車両が暖機運転をしている。ホームにガガダン、ググダンという金属がこすれるような音が響いている。若い運転士がこちらを見て、軽く挨拶をしてくれた。私は、ラッピング列車に乗り込んだ。窓をあけて、故郷の風を胸いっぱい吸い込んだ。

 

 

【おらだの会】長井線の各駅を舞台にした物語やエッセーを連載したいと思い、突如として発車させてしまいました。ベルも聞かずに出発した妄想列車にお付き合いいただければ幸いです。

踊子草より雪がよい

  • 踊子草より雪がよい

 2月10日から11日にかけて関東地方に大雪警報が出された。長井でも久しぶりにまとまった雪が降り、雪かき作業に追われた。朝食後のひと時に、スノーダストが輝く中で眺める景色は、雪国に住む者に与えられた特権だなと思う。

 

 今から3年前の2020年(令和2年)は、ほとんど雪が降らない冬であった。広場には1月中旬まで踊子草が並んでいた。1月15日には新型コロナウィルスに日本人初の感染が確認され、翌2月にはダイヤモンドプリンセス号で多数の感染者が確認された。以来、今日まで長い憂鬱な日々が続いている。

 

 雪かき作業は一年ごとに辛くなるけれど、当たり前に雪が降り、当たり前の季節が巡ることを「有難い」と思う。やはり今の時期は、踊子草よりは雪がよい。

 

 

 3年前の駅前広場の様子はこちらから

 → 桜と踊り子草:おらだの会 (samidare.jp)

2023.02.11:orada3:コメント(0):[停車場風景]

雪灯り回廊祭りのこと

  • 雪灯り回廊祭りのこと

 2023年2月4日、長井市の市街地で第20回雪灯り回廊祭りが開催された。この祭りが初めて開催された2000年初頭はデフレ不況に見舞われ、失業率も高い状況が続いていた時期である。長井の町もその例外ではなかった。そんな時に「街を元気にすんべ」という若い人の発案で開催されたのが始まりである。

 

 おらだの会では発足後間もなくからイルミネーションを点灯させていたが、その後、駅前通りで雪灯り回廊祭りを実施していた。当時の宮崎会長が、吉川病院の患者さんを元気づけたいとの思いで、病院の職員と共に作業をやったこともある。宮崎会長の没後、平成29年2月からは実施せずに、その代わりに列車での参拝と新年会を行うようになった。

 

 任意の自主団体が存続していくことはそれだけで大変なものがある。事業ができなくなることは残念なことではあるが、時代の変化の中で事業が変更されることも有りうることである。ただ、「地域を元気にすんべ」「楽しくやんべ」という気持ちだけは持ち続けたいものだ。

 

 

 2013年の雪灯りの様子はこちらからどうぞ

 → ’13 成田駅前雪灯り回廊祭り①:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2023.02.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]