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成田駅の宝物(22) スタンプアート

  • 成田駅の宝物(22) スタンプアート

 特製スタンプに続いては、スタンプアート。羽前成田駅の机の中に散在していたスタンプを押しまくったもので、駅を訪れてくれた山鉄大好きお兄さんが制作してくれたものです。事務用のスタンプもここまでやると「アート」というよりは、「スタンプ曼荼羅」のように神々しく見えます。

 山鉄大好きお兄さんはこの後、旅に出て行ってしまいましたが、このスタンプアートは成田駅の大事な宝物となっています。

2021.02.11:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]

成田駅の宝物(21) 特製駅スタンプ

  • 成田駅の宝物(21) 特製駅スタンプ
  • 成田駅の宝物(21) 特製駅スタンプ

 最近は「鉄印帳」というご利益のありそうなものも大変な人気があるようですが、鉄道を愛する人にとっては、駅スタンプを収集するのも楽しみ方の一つ。羽前成田駅には2012年(平成24年)に、みちのく鉄道応援団から提供された特製駅スタンプがあります。みちのく鉄道応援団からプレゼントいただいたのは、成田駅の他に荒砥駅と宮内駅だったそうです。

 

 なお山形鉄道には開業当初に独自に制作した、各駅のスタンプがありました。そのスタンプには、写真のように当時の山形鉄道のキャッチコピーであった「湯の香 花の香 紬の里へ」が刻まれています。それらは現在、長井駅に保管されているそうです。

 

【おらだの会】 当駅は無人駅ですので、管理上、スタンプの紹介は写真展等の開催時などに限らせていただいております。何卒、ご理解くださいますようお願いします。

2021.02.09:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]

成田駅の宝物(20) 運賃表

  • 成田駅の宝物(20) 運賃表

  待合室に掲示されている運賃表。山形の知人によると「昭和57年4月の料金改定時の運賃表だろう。」とのこと。来訪された方からは、「寝台列車に乗りたかった」とか「急行だってよ」などの声が上がります。前回紹介した硬券ホルダーでは東京都区内が5,500円でしたが、この運賃表では4,500円となっています。日光と富山の料金が同じなのも面白い。

 

  そして今ではほとんど乗降しなくなった上野駅が見えます。上野駅には長井出身の彫塑家・長沼孝三さんの「愛の女神像」が昭和24年に設置され、歌謡曲「ああ上野駅」(昭和39年)も懐かしく想い出されます。けれども平成3年の東北新幹線の東京駅乗り入れと翌年の山形新幹線開業によって、上野駅は遠い存在になってしまいました。

 

【おらだの会】 原本の保存のため、現在、待合室には複製の運賃表を掲示しております。

2021.02.01:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]

成田駅の宝物(19) 硬券箱と硬券ホルダー

  • 成田駅の宝物(19) 硬券箱と硬券ホルダー
  • 成田駅の宝物(19) 硬券箱と硬券ホルダー

  事務室の机に硬券ホルダーが何本か残っていました。当初は「硬券ホルダー」という名前も知らずに、その仕掛けを知りたくて、長井駅に行って入場券を何枚も購入しながら、硬券箱を覗き込んだものでした。その後、段ボールに割り箸をセットして硬券箱モドキを作りました。今から思えば、子供が新聞紙で●●ソードを作って喜んでいるようなものです。

 

 そして、長井線を超愛する友人が、「ネットで購入した。」と持って来てくれたのが写真の硬券箱です。昭和19年当時の写真に写っている大きな硬券箱とは比べようがないですが、その構造が理解できるのがうれしい。彼からの指示は「硬券は裏にして番号を下に置くこと」「当日の最後の硬券には朱の色鉛筆で線を引いておくこと」。鉄っちゃんへの道はなかなか奥深いものがありますね。

 

 昭和19年当時の事務室の様子はこちら

 ⇒ http://samidare.jp/orada/note?p=log&lid=386233

 

2021.01.24:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]

成田駅の宝物(18) 国土美化のホーロー看板

  • 成田駅の宝物(18) 国土美化のホーロー看板

  「よごさぬように美しく」と書かれたホーロー製の看板。「そこら中で見かけるようなこの看板が宝物?」と思われる方も多いかと思いますが、モノにはすべて物語があるものです。

 

 この看板にある「日本観光協会」は、昭和34年3月の日本観光協会法によって設立された特殊法人。国際観光事業の振興と観光事業の健全な発達に寄与することを目的として設立されたものですが、昭和39年4月の同法改正によって(社)日本観光協会に改組されています。

 

 国土美化運動については、昭和39年度運輸白書には、「観光資源の保護の一態様として・・・(略)…国土美化の問題がある。古くは昭和10年頃鉄道省の外局である国際観光局の提唱により、また戦後には(社)全日本観光連盟、旧日本観光協会、(財)新生活運動協会(注:現在の「あしたの日本を創る協会」)、地方公共団体等により国土美化運動が推進されてきた。なお、国土の美化については昭和37年4月には衆議院本会議で国土を美しくする決議がなされた」とあります。

 

 とすると、この看板は昭和34年から39年4月までの間に、全国的な運動の一環として掲示されたのではないかと思われます。この時期は、昭和38年に観光基本法が制定され、翌39年10月には東京オリンピックが開催。国全体が行け行けドンドンの熱気の中にあったと思われます。こうした時期に、「よごさぬように美しく」を国民運動として進めていたことに驚かされます。私たちはコロナ禍の中でも、観光客誘致や2020東京オリ・パラの夢を追いかけていますが、忘れてはならないものがあることをこの看板が教えているような気がします。

2021.01.22:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]