羽前成田駅と西大塚駅には、小さな屋根が幾つか付けられています。その中でも、西大塚駅の待合室西側に付いている小屋根は、とても興味深いものです。第一に、これで十分に雪雨除けになるのかと思われるほどに、屋根の幅が狭いことです。第二は、屋根を支える持ち送りの形状にあります。この形状は、「待合室 ベンチの美脚」で紹介したものに類似しています。西大塚駅は西風が特に強いと思われますが、このいかにもか弱い小屋根は100年の風雪に耐えてきたのでしょうか。
鬼滅のSLは96の前任車
11月15日の地元紙に、山形市にある8600型の機関車が鬼滅の刃の無限列車のモデルであることが紹介されていました。この86型はキュウロクとして馴染み深い96型機関車の前任車として、米坂線を走っていたことが書かれていました。
飯豊町の「中ノ目の歴史散歩(平成27年3月発刊)」によれば、米坂東線(今泉~手ノ子間)開業の1931年(昭和6年)8月には、マッチ箱と呼ばれる豆機関車が走り、その後86型SLに変わった。さらに1936年(昭和11年)米坂線全通後は、96型SL機関車に変わったと記述されています。
米坂線に登場した豆機関車は600型だったのでしょうか。そして米坂線を走った86型は長井線も走ったのでしょうか。新聞記事のおかげで、歴史ロマンに遊ぶひと時でした。
長井線を走った600型機関車の記事はこちら
破風板の刻印
破風板(はふいた)は屋根の切妻部分(雨樋が付いていない屋根の端)の板です。羽前成田駅では、この破風板に四角形の意匠が施されています。長年風雪にさらされて、今にも消えてしまいそうな刻印のような彫り物がそれです。破風板に2つ並んだ四角形。それは駅舎全体の四隅にもあたります。単なる「粋」にとどまらない、鎮火や堅固など何がしかの意味が込められているように思えます。
9月27日
「山形鉄道を応援する七人展」の最後の日、見せていただきました。どれもすばらしい写真でした。ありがとうございました。これからもまた見せて欲しいと思います。(長井)
9月27日
写真展も最後の日になりましたが、ご苦労様です。ゆっくりと昔の想い出にひたりながら見させていただきました。ありがとうございました。(安部)
【おらだの会】7人展は、今回初めて開催したものです。写真家の皆さんの長井線への思いと故郷を愛する心に触れることができたような気がします。写真家の皆さんありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
優しい魔法の場所
9月27日(日)
母89歳、おば88歳、84歳を連れて、故郷に連れて来ました。私が子供の頃、この駅を使って田舎の家まで。なつかしい・・・。母、おばたちもなつかしく楽しんでくれて良かった。また連れて来れたら良いなぁ~。 (東京 福)
9月27日
私の実家は長井市内です。小学校1年生の頃、妹をおんぶしてねんねこを着た母と、長井から成田まで長井線に乗り、草岡の母の実家に歩いて里帰りしたのを、今もはっきり覚えています。車もない時代でしたから、景色をながめながら歩いたのがなつかしいです。 (飯豊町 68歳)
【おらだの会】不思議なことに、こうしたお便りを読むと、自分にも同じような記憶があったように思えてくる。ノートをとおして、自分も懐かしいあの頃に戻れるような気がしてくる。駅舎はそんな優しい魔法の場所なのかもしれない。






