HOME > 記事一覧

弁慶の供養塔⑤

  • 弁慶の供養塔⑤

  平泉の騒乱を聞いた娘は、ある日のこと、主人の前に出でまして、今まで包んで語らなかった我が身の素性を打ち明かすのでした。「彼の時、御当家様に泊めていただいた山伏の一人で、背のずっと高い髭の多い頭(かしら)分のような態度をしておったのは、西塔武蔵坊弁慶と言う者で、妾(わらわ)の父でありましたし、付近の家に泊まった人々は主君義経夫婦などの人達でありました。」と。残らず語ったうえで、「その証拠がこれでございます。」と言うて、一つの日の丸の軍扇を出し、「これが妾の父が義経公の家来になった時、その証として拝領した軍扇で、非常に大切に肌身離さず所持していた物ですが、別れの時に親の形見にと渡していったのであります。」と言うて、示したのでありました。

 

【蛇足】写真は「義経 弁慶と五条の橋で戦ふ」(歌川国芳画)の図ですが、牛若丸が持っている扇に日の丸が見えます。弁慶が娘に渡した軍扇なのかもしれません。

三淵有志会と酒を飲んでます

  • 三淵有志会と酒を飲んでます
  • 三淵有志会と酒を飲んでます

平野の桜町公民館で、三渕有志会の人と酒を飲んでます。この人達は、三淵渓谷を20年も前に探検し、さらに墨田川で有名な「Eボート」で木地山ダム湖で遊びまくったおじさん達なのです。成田駅でしばらく振りでお会いして、餅つき会の酒飲みに呼ばれたのでした。「成田駅と三淵渓谷を繋いで遊びたいね、飲みたいね!」と盛り上がりました。 

2020.02.15:orada3:コメント(0):[イベント情報]

弁慶の供養塔⑥

  • 弁慶の供養塔⑥

 これを聞いた主人をはじめその家の人々は、大いに驚きかつたいそう喜んだ。そのような身分の人の娘では、一層粗末にできないと言って可愛いがり、大切に養育をした。成人した娘は非常に容貌の美しい、その上、心持の優しい賢い女であった。するとちょうど、その家の相続人息子に嫁取り頃で立派な若い者があって、二人は相思恋愛の仲となったのでありました。親達もたいそう喜んで、早速夫婦にしてくれた。夫婦は仲睦ましく、男女数多の子に恵まれたという。

 

 さてその後、弁慶の娘夫婦の世代となってからの事である。孝心深い彼ら夫婦は、亡父弁慶と同行の人々の霊を弔い慰めるために、供養塔を建立して大法要をしたのでありました。里人は、名高い人々を祭祀した御塔であるので、「塔ッ様(とっつぁま)」と名付けて崇敬したのでありました。現在も成田字塔の腰に、鎌倉時代の姿そのままの七重層の御塔が残っているのであります。

 

 

【補 足】写真は、今も残る塔様です。(写真はフィルターをかけています。)

弁慶の供養塔⑦

  • 弁慶の供養塔⑦

 その後、子孫大いに繁盛し、分家別家と栄えていった。現今、成田における鈴木氏一門はことごとくその子孫であるということであります。一方義経が泊った家は、森の塔の上の古口名兵衛の祖先宅であったという。なお一説には、昔の鈴木平左衛門兼行という人は、同行山伏七人のうちの一人で、やはり義経の家来で彼の娘に保護者として付け残された人であったとも言われております。

 

 果たして娘に形見として残していった日の丸の軍扇は、その由緒書と系図の一巻と共に、その家の重宝となって相伝していったのであります。さらに江戸時代になってからは、家の惣領筋の者が伝えるべきものとなり、回りまわって吉川家に伝えられることになったといいます。しかしながら歳月は流れ、今日では軍扇の存在を確認することはできなくなったとのことです。地区最大の歴史秘話を証言する軍扇は、まさに歴史の闇の中に消えてしまったのでありました。

 

注:写真はもちろんイメージです。

 

弁慶の供養塔⑧

  • 弁慶の供養塔⑧

 ここまで昔話を聞いてくれた皆さんには、果たしてこの地に義経主従が滞在することはあるのか、という疑問が残るでありましょう。確かに、山形県内で義経主従の伝説が多く残るのは最上地方ですが、平泉に下向する際のルートは、まだ確定したものはないようです。長井近辺で義経主従が登場する場所をいくつか紹介しましょう。

 

 まず、米沢市花沢の常信庵には、義経の家臣であった佐藤継信・忠信兄弟の生まれたのが米沢で、戦死した佐藤兄弟の供養のために、義経一行が平泉に逃れる途中、佐藤氏の寺院である常信庵に立ち寄ったと伝えられています。また、長井の東山から山の上を通って河井に出る道があって、義経が弁慶らと岩手の衣川に行く時、金売り吉次が案内した道であり、「金売り吉次道」と呼ばれたといいます。さらに成田から北上した朝日町には、義経の正室である北の方が出産したといわれる場所があり、また弁慶が宿代の代わりに置いていったという笈(きゅう:おいばこ)が今も残っているということです。

 

 写真は、塔様の案内板です。歴史をたどるミステリアスな旅を、この案内板から始めては如何でしょうか。

 

 

【参考資料】「金売り吉次道」は東北文教大学民話アーカイブ 工藤六兵衛翁昔話「時庭の六本仏」より。「弁慶の笈」は「あさひまちエコミュージアム」より。