羽前成田駅前の桜がライトアップされています。ライトアップしてくれているのは地元の高橋鯉屋さん。高橋鯉屋さんは大正11年に創業し、羽前成田駅と同じく今年が創業100年になります。夜桜は艶があっていいですね。高橋鯉屋さん有難うございます。
改めて開花状況をお知らせします。先頭を走ってきた十月桜は葉桜。染井吉野が満開で、枝垂桜が咲き始めです。濃いピンクが鮮やかな寒緋桜や関山、上品な黄緑色の鬱金(ウコン)桜はまだまだ蕾のようです。もうしばらく楽しめそうですよ。
昭和61年から昭和63年までは、国鉄の解散や山形鉄道の設立などに大揺れの年でした。けれどもそうした中でも駅協力会と玉置駅長さんは、駅周辺の環境整備にしっかりと取り組んでいたのでした。
昭和61年と昭和63年に毎日新聞社主催「全国花いっぱいコンクール」で優秀賞、昭和62年度、63年度の「長井市花いっぱいコンクール」では最優秀賞を受賞しています。こうした活動が評価されて、昭和63年12月の「コミュニティ広場の整備事業」の採択に結びつくことになったのだろうと思います。この事業については後日紹介いたします。
当時の花壇の様子はこちらから
→ 線路の向こう側も・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)
【おらだの会】写真の賞状は、玉置清吉さんのご遺族から提供いただきました。
4月9日から開催されている「風と大地と猿の写真展」は、これまでの写真展とはひと味違ったものを感じます。西村さんがSNSに投稿していた記事も展示され、西村さんがなぜ猿を撮るのか、が語られていました。このメッセージを一読されてから、改めて作品をご覧になってみては如何でしょうか。
なんで最近猿なのか?
それもニホンザルのみ撮るんだけど何故か?
「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」
「生を愛せ」
命ながらえる喜びを毎日大切にしなくてはいけない
色々な話を聞き、状況を見ながら心底にて思ったこと
これが影響してあの動物に妙に魅力を感じたのかもしれない
過酷な自然環境下で生活するニホンザル
彼らはいつも死と隣り合わせ
ひと冬、ひと夏を乗り越えることの重要さを彼らは知っています
人間もある意味同じじゃないですかね?
日々、死の近きことをわするることなかれ
命という宝を忘れ、快楽や金銭という別の宝ばかりを追い求めていては、いつまでたっても心満たされることはない。
そんな感覚が日本ザルに興味を持たせたんでしょう。
【おらだの会】さて皆さんは、上の作品にどんなタイトルを付けますか。
長井線の存続運動が強力に進められたが、国鉄改革と地方線廃止の流れは止められなかった。ついに昭和61年10月28日、長井線は第3次特別地方交通線に選定された。明けて昭和62年3月31日には国鉄が解散し、4月1日から東日本鉄道㈱(JR)となった。そして4月20日には長井線の第三セクター方式による存続が決定されたのでした。
こうした動きの中で、駅協力会は昭和62年12月30日に成田駅内でモチつき大会を行っている。「日本一の第三セクター鉄道づくりにまい進しよう」「地域の繁栄、発展の原動力として大きく育てていこう」とのインタビュー記事が載っている。駅には200人もの地区民が集まり、協力会の会員が列車に乗り込み、チラシと納豆モチをプレゼントしたともある。逆境にもめげずに常に前を見て行動していた先輩たちの偉大さを改めて感ずる。
3月31日
山鉄が大好きです。その周りで支えてくれる人たちに感謝、感謝です。先日フラワー長井線の一日フリー切符を買って往復乗っていました。ゆっくりまったり景色を見ると心が和みますね。
今年は100周年!!!!!! フラワー長井線はいつまでも走り続けて欲しいです!! みんなで守っていきたいですね。いつもありがとうフラワー長井線。
(最近山鉄のニュースにすぐ目が行く山鉄1年生)
追伸 おらだの会の皆さん、フラワー長井線と成田駅をいつも見守ってくれてありがとう!!
【おらだの会】山鉄一年生さん、可愛い絵をありがとうございました。ビックリマーク(!)を数えたら全部で10個あってビックリしました。ニコニコマークなどは残念ながら省略しました。