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小岩沢 岩部山2

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石柱の上側に石祠が2基建っています。

画像のとおり、奇跡的に倒木による石祠の損傷はありませんでした。

石祠の中に奉納板が納めれているのですが、墨はほとんど消えています。

 

向って右側の石祠(画像2・3)は「奉勸請秋□□□」と見えます。

おそらく秋葉山(秋葉大権現)を祀っていると思われます。

秋葉山は火伏せの神様です。

 

向って左側の石祠(画像4・5)は「奉造立金□□□」と見えます。

「金」の下側の文字跡をよく見ると「金□羅大□□」のようです。

金華山や金山羅古神ではなさそうなので、おそらく金毘羅様(金毘羅大権現)を祀っていると推測しました。

元中山地区には「金毘羅講」があったという話を聞きましたが、小岩沢地区にもあったのでしょうか。

ご存じの方がいればご教示願います。

 

金毘羅様は航海安全の神様とされて全国的に信仰されていますが、山国の置賜地方では火伏せの神様としても信仰されてきました。

 

参考:南陽市史 民俗編

2021.12.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 岩部山

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岩部山の小岩沢側に石柱が建っています。

(画像は以前、撮影したものです)

画像1の大きな岩の上にあります。

石柱の正面に「奥羽石材商会」の銘があり、大正11年(1922)に建立されました。

岩部山の小岩沢側からも大正時代から採石が行われていたようです。

(小岩沢側にも石切場跡が数カ所あります。)

背面には住所の銘もあり「日本橋区箔屋町」と刻まれています。

 

大正11年は「中川石採掘組合」が設立され、川樋側の岩部山からも採石が行われていました。

 

参考:南陽市遺跡分布調査報告書(5)

2021.12.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

掲載されました

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山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館館報「うきたむ」第58号に

岩部山三十三観音が掲載されました。

公民館にも1部置いてあります。興味のある方はぜひご覧ください。

2021.12.13:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

戒壇石

  • 戒壇石

元中山永雲寺にある戒壇石(かいだんせき)です。

戒壇石とは寺院の門前に建てられている銘文のある石碑のことで、「結界石(けっかいせき)」ともいいます。

 

画像の戒壇石には「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と彫られています。

銘文の「葷」は、ニラ・ニンニク・ネギなどの臭気のある野菜やトウガラシなどの刺激の強いもの、肉を含めた食物を指しています。

 

庶民が葷酒を寺内(戒壇)に持ち込むのを禁じていることを示しています。

 

僧侶は飲酒しないということではなく、「飲酒した結果、過ちを犯すことが悪い」と解釈されており、般若湯をたしなむのは皆さんご存じのとおりです。

 

参考:日本石仏事典 庚申懇話会編

2021.12.03:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

巡礼供養塔

  • 巡礼供養塔
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元中山永雲寺の参道に画像1の石柱が建っています。

上に「奉納」、右から「西國」「秩父」「坂東」、下に「供養塔」と彫られています。

側面には「文化四卯歳」(1807)の文字が見られ。この頃には東北からも全国各地の三十三所観音霊場へ巡礼へ出かけていたようです。

 

観音信仰は現世の人間を救済し、安穏(あんおん)な来世を願う信仰として大いに普及しました。

観音様は三十三身に変化(へんげ)して民衆を救うといわれ、三十三観音巡礼が行われるようになりました。

この巡礼は西国三十三所※をはじめに、江戸時代には坂東・秩父・江戸・洛陽(京都)など全国に開設されました。

当置賜地方にも置賜三十三観音があります。

 

画像3は元中山地区の花窪にある松尾神社参道沿いにある「巡礼供養塔」です。

正面に「西国三十三所」、左側面に「寛延四」(1751)と銘があります。

 

参考:南陽市史

 

※岩部山三十三観音は西国三十三観音を勧請しました。

2021.12.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]