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秋葉山

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川樋地区にある秋葉山です。(画像1の右側の山です)

市内には宮内と赤湯にも秋葉山があります。

同じ名前の山がいくつもあるのは、秋葉信仰が盛んだったからで、いずれも山頂には秋葉神社が祀られています。

 

江戸時代、火除け・火伏せの神様として秋葉信仰が全国に広まりました。

ふもとにある夜燈には「文化三年寅天(1806)」と刻まれています。

江戸時代ですので、神仏習合の秋葉大権現が勧請されたと考えられます。

 

夜燈がある道は藪で行けませんので、神明神社の方から登ります。

三分の一ほど登ると、左側に鳥居が見えてきます。

鳥居の額塚(がくづか)に「元治元子年」と刻まれています。

重機もない時代に、よくこんな山の中に建てたものだと感心します。

なお、鳥居までの道は藪になっています。近くにいくつか洞穴があるので落ちないようお気を付けください。

~続く~

2021.11.10:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

六地蔵塔2

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「于時元禄九天※1霜月※2吉日」が刻銘された六地蔵塔がどちらなのか調べてみました。

 

どちらの塔も下部の幢身(どうしん)に文字が刻まれていますが、風化により判読できない箇所があります。

道路側の六地蔵塔の刻銘を見ると

「六道能化※3(ろくどうのうげ)□□□」画像1

別の面の左下を見ると「十月吉祥日」と読めます。画像2

 

地蔵堂側の六地蔵塔は

梵字で「イー・ウ・カ・□□□」と刻まれ

左側に「木月」と刻まれているように見えます。画像3

文字の大きさから考えると「霜」の一部の「木」のようです。

地蔵堂側の六地蔵塔が元禄九年(1696)の六地蔵と推定します。

 

※1 天は年の異字です。

※2 霜月は11月のことです。

※3 六道能化は地蔵菩薩の別称です。

2021.10.21:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

六地蔵塔

  • 六地蔵塔
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釜渡戸地区の赤坂にある六地蔵塔(六面幢ろくめんどう・六角幢ろっかくどう ともいいます)は重制(石を組合せて)でできています。

上部にある龕部(がんぶ)に地蔵菩薩が浮彫されています。

手前の六地蔵塔の龕部は隣に置かれています。

重制だと雪や地震でよく倒れるのだそうです。

 

六地蔵(六面幢・六角幢)は地名の由来にもなっています。

南陽市内だと、宮内地区の六角町や金山地区の六角(黒在家六角)などがあります。

 

六地蔵について

仏教では人間が死んだ後、生前の行いによって行き先が、地獄・餓鬼(がき)・畜生・修羅(しゅら)・人間・天の六道(ろくどう・りくどう)に分れるとされています。

六地蔵は六道の苦しみを救う六体の地蔵様のことです。

2021.10.20:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

釜渡戸の地蔵堂

  • 釜渡戸の地蔵堂
  • 釜渡戸の地蔵堂

釜渡戸地区の赤坂にある共同墓地の中に地蔵堂があり、二十体近くの地蔵様と六地蔵塔(六面幢ろくめんどう)が安置されています。

 

引用:「釜渡戸」を中心とした社会科資料 錦 三郎 著

 

明治※1、釜渡戸分教場が建てられたが、その地ならしの時、瀬戸くずや、白壁の崩れたのを彫りだしたそうである。(中略)また、分教場の入口あたりには多くの地蔵が立ち、六地蔵※2も二基立てられ、その一基には于時※3元禄九天(1696)霜月吉日の銘文がみられる。(中略)

これらの石地蔵、六地蔵は皆赤坂の共同墓地に移された。

 

※1 明治24年12月2日、中山尋常小学校に釜渡戸分教場を設置しました。

   なお、釜渡戸は大字中山に属していました。

   当時、中川地区にあった小学校は川樋尋常高等小学校になります。

※2 次回、紹介します。

※3 于時=時に

2021.10.19:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 道標2

  • 小岩沢 道標2
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  • 小岩沢 道標2

「花山道」の道標(みちしるべ)と同じ大正14年(1925)に建てられたのが、県道原中川停車場線と市道小岩沢南沢山線の交差点にある道標です。

 

こちらの道標は風化と削られた跡があり、判読できない文字があります。

正面に「子易観音□二□□□」

側面に「二井宿□□□□□□」

反対側の側面に「大正拾四年四月建設 中川青□會」

(□は判読できず。會は会の旧字体)

と刻まれているように見えます。

 

この当時は青年団と青□会の2つの組織があったようです。

2021.10.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]