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小岩沢 聖徳太子の碑

  • 小岩沢 聖徳太子の碑
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中川地区バスの「小岩沢公民館口」停留所の近くに「聖徳太子」の碑があります。

 

中川駅を作る際(明治36年開設)、当時は蒸気機関車であるため給水施設も必要でした。そこで、給水用の貯水槽と飲み水用の貯水槽を2つ作り、駅まで亜鉛管で引いて、落差で給水出来るようにしました。

その水槽を作りにきた職人達で「聖徳太子」の碑を建てたと言われています。

 

日本で初めて本格的な寺院を建立した聖徳太子は、太子講として職人達の信仰を集めてきました。

工事記念に自分達が信仰する「聖徳太子」の碑を建立したものと考えられます。

 

参考:ふるさと中川

2022.01.14:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 岩部山2

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石柱の上側に石祠が2基建っています。

画像のとおり、奇跡的に倒木による石祠の損傷はありませんでした。

石祠の中に奉納板が納めれているのですが、墨はほとんど消えています。

 

向って右側の石祠(画像2・3)は「奉勸請秋□□□」と見えます。

おそらく秋葉山(秋葉大権現)を祀っていると思われます。

秋葉山は火伏せの神様です。

 

向って左側の石祠(画像4・5)は「奉造立金□□□」と見えます。

「金」の下側の文字跡をよく見ると「金□羅大□□」のようです。

金華山や金山羅古神ではなさそうなので、おそらく金毘羅様(金毘羅大権現)を祀っていると推測しました。

元中山地区には「金毘羅講」があったという話を聞きましたが、小岩沢地区にもあったのでしょうか。

ご存じの方がいればご教示願います。

 

金毘羅様は航海安全の神様とされて全国的に信仰されていますが、山国の置賜地方では火伏せの神様としても信仰されてきました。

 

参考:南陽市史 民俗編

2021.12.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 岩部山

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岩部山の小岩沢側に石柱が建っています。

(画像は以前、撮影したものです)

画像1の大きな岩の上にあります。

石柱の正面に「奥羽石材商会」の銘があり、大正11年(1922)に建立されました。

岩部山の小岩沢側からも大正時代から採石が行われていたようです。

(小岩沢側にも石切場跡が数カ所あります。)

背面には住所の銘もあり「日本橋区箔屋町」と刻まれています。

 

大正11年は「中川石採掘組合」が設立され、川樋側の岩部山からも採石が行われていました。

 

参考:南陽市遺跡分布調査報告書(5)

2021.12.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

掲載されました

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山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館館報「うきたむ」第58号に

岩部山三十三観音が掲載されました。

公民館にも1部置いてあります。興味のある方はぜひご覧ください。

2021.12.13:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

戒壇石

  • 戒壇石

元中山永雲寺にある戒壇石(かいだんせき)です。

戒壇石とは寺院の門前に建てられている銘文のある石碑のことで、「結界石(けっかいせき)」ともいいます。

 

画像の戒壇石には「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と彫られています。

銘文の「葷」は、ニラ・ニンニク・ネギなどの臭気のある野菜やトウガラシなどの刺激の強いもの、肉を含めた食物を指しています。

 

庶民が葷酒を寺内(戒壇)に持ち込むのを禁じていることを示しています。

 

僧侶は飲酒しないということではなく、「飲酒した結果、過ちを犯すことが悪い」と解釈されており、般若湯をたしなむのは皆さんご存じのとおりです。

 

参考:日本石仏事典 庚申懇話会編

2021.12.03:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]