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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その13(NO2)

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大正15年9月28日(1926年)米坂線開業となり昭和51年(1976年)9月28日米坂線開業50周年記念で街中パレードの写真がある、昨年2016年9月28日開業90周年になる、同じ日に同じ場所で撮ってみた、建物はほぼ同じ、信号機が横ならびから縦へと変わっている。そういえばみな縦に信号が変わっているがいつからなのだろうか、この交差点は川西町上小松の坂の上というところ、越後街道の米沢と長井の小出に行く街道の分岐点になる。バードが宿泊した日この場所には多くの人が集まったとされている。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その8手ノ子、松原、諏訪峠

  • イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その8手ノ子、松原、諏訪峠
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バードが手ノ子に着いたのは午後、ここ手ノ子でバードはおもてなしを受けている、『ここで伊藤はぞっとする料理を7皿とり、わたしには酒、お茶、ごはん、黒豆が運ばれた・・』とある。 もてなした旧家は今も風情ある建物で残っている、昭和のはじめまで旅人に出す茶屋をしていたとのことであり、伊藤が食べた“ぞっとするもの”とは「納豆もち」という説があります、11月5日にあった街道探訪での昼食は手ノ子地区民のもてないしで”ごま、あんこ、納豆”もちが出てきました、そういえば東京に出て四国出身の会社の同期2人がスキーしに実家に来たとき、2人とも納豆もちはありえないと言っていたのを思い出す・・美味しいのにね。。バードも気持悪かったのはうなずけるよね、しかしバードはここで、娘さんがうちわで丸1時間扇いでくれて、代金を不要とする親切さに心を打たれたとあります、おもてなしの心、日本の誇れるところですね、バードは松原から諏訪峠を超え小松へと向かいます、松原の旧道の通りは大内宿にあるような幅広の通りが残っているが、昭和40年を境に萱屋根民家は姿を消し、昔の風情ある風景はなくなりました、松原からゆるい下りとなり通りを過ぎると緩やかな上りの諏訪峠に進みます、頂上が飯豊町と川西町の境になる、宇津峠から落ち合は飯豊町『手ノ子保存会』、諏訪峠は川西町『諏訪峠保存会』がそれぞれ街道保全やPR活動を行っている、街道探訪11月5日のあと、11月20日天気が良かったので落合から諏訪峠まで散策、諏訪峠は旧道から頂上まで登ってみました。

 

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その7落合から手ノ子

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落合の大松は昔2本あったが米坂線工事のとき切られてしまったということです、小学生のころ父の商いに小国まで付いて行くことが多かったが、この大松はすごく印象に残っている、盆栽みたいないい枝ぶりは今も健在のようです、松のすぐ右下は削り取られた崖となり米坂線が通ってます、大松から手ノ子方面、右手の山には手ノ子スキー場が見えます、ここを下ると現113号線にぶつかり左に折れて手ノ子の町にと入ります。当時手ノ子は山麓に開けた重要な宿駅であった所です、旅人宿10、木賃宿、牛馬宿、茶屋に遊女屋も4件と記されています、宿場独特の雰囲気で昭和40年頃までは萱屋根の店やが両側に残る通りだったと記憶していますが、車の普及とともにバイパスの開通となり旧街道筋は人通りが無くなり、お店は無くなってしまいました。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その6落合

  • イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その6落合
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落合の地蔵堂から程なく現国道113号線に合流し、その後すぐに左に『花の越後街道』と看板が出てくる、ここから手ノ子駅まで旧道となる、米坂線をくぐり進むと大きな屋敷が見えてくるが、ここは馬も泊まれる宿だったところ、そして杉並木へと進みます、右手に米坂線が通り、都会ナンバーの車が止まりここで写真撮りしてるかたがいました、この辺は当時の面影が残りいい感じです、更に進むと大松が見えてきます、松の右下は米坂線、その右手奥は現国道113号線が見えます。

イザベラ・バードの泊まった宿(金谷侍屋敷:日光)

  • イザベラ・バードの泊まった宿(金谷侍屋敷:日光)
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2016年11月24日(木)この日、明治11年(1878年)イギリス人旅行家(イザベラ・バード)が宿泊した日光『金谷ホテル』の前身『金谷カテッジ・イン』に行くイベントがあり参加した、朝から冷え込み雪、置賜はこれ普通、しかし関東地方も雪、11月として観測史上初の積雪になった日となりました、街の施設フレンドリープラザ朝7時半発バスで日光には昼前に到着、日本最古の西洋式リゾートホテル発祥の地であり、江戸時代の武家屋敷がそのまま残る貴重な遺産であります、資料展示室を併設した歴史館として2015年3月から一般公開されてます、残念ながら資料館内部、サムライ屋敷内部は撮影禁止、外からはOKというので撮影、併設のレストラン内にバードがスケッチした屋敷デッサン、創業者金谷善一郎の写真があり、これ撮影OK、バードの旅行記もいくつかの本となり、バードの痕跡を求め、その足跡を訪ね歩く人がいる、同じように良寛さんや芭蕉さんなどこれらの人はこの現在の状態をどう思うのだろうか?バードが残した数々のデッサン、文章も凄すぎる、思えば多くの人に感動を伝えたいという想いが絵や文章になりまた、それに感動するのだと思うのです・・・宿泊した部屋はそのままの状態で残っているのもこれすごいよね、ちんけなじじは感動するもいい言葉は見つかりませんぬ。それにしても雪すご!みるみる積もっていく勢いで雪景色のサムライ屋敷いい写真撮れて満足、そのあと昼食を金谷ホテルでプチ贅沢のランチで満足したのでした。