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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その4

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 諏訪神社参道を直進すると犬川の土手沿いの道に突き当たる。右に折れ、その先に諏訪橋が見える。諏訪橋を渡り先に進むと地蔵がある分岐の道がある。字名が町河原で昔は河原になっていた場所とのことである。今は諏訪橋から直進するバイパス道がメインになっているが昔は地蔵さんから入る道が旧道となる。くねくねと街中を進む道、いかにも旧道であることが伺える。今の諏訪橋、バードが通った頃の諏訪橋はもう少し下流側だったらしい。堰があり川幅が狭くなったところだそうだ。

 バードが通過した明治11年(1878年)に対し享和元年上小松村絵図(1801年)の地図が残っている。おそらくバードが通過したときも、この古地図と同じ町並みであったと考えられ、橋をわたった左側は家も無く河原、その右側は畑ガあり農家が一軒のみ見えた風景であった。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その3

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 その2の若松観音から3,4分で諏訪神社鳥居の横にたどり着く。この諏訪神社は、奈良時代前期の和銅年中(712年)社殿が造営された置賜地方で最も古い神社であり、長井氏以降、伊達政宗や上杉景勝が社領の献上・寄進をした。また、参道の杉並木は樹齢300年を越え、その歴史を今に伝える。諏訪神社山門脇には「草木供養塔」「山神塔」「庚申塔」の石塔群がみられる。草木塔は別の場所にあったものらしいが現在のところに集められている。

 古い写真が無いか探したら、1982年正月実家に帰省して元旦初詣のときに鳥居を撮ったのがあるので比較してみた。すると、月夜燈、常夜燈は新しく献燈となっており、古いのは鳥居の後ろに移動しているようです。また石塔郡も今とずいぶん変わっているようだ。

 燈(あかり)が貴重な時代、月明かり、蛍のひかり、窓の雪とか、何とか明るさを取り入れ、自然光の元で勉学に励む様が歌われている。歌は歌としてその思いを考えずにいたが、今思えば、勉強机が与えられ、光は蛍光灯があり、十分なのにそれでも勉強はしなかった。昔の人がみたら、なんと罰当たりと嘆いているかもしれない。
 多くは『常夜燈』と刻まれ、『月夜燈』と刻まれたものは全国的に見て置賜地方のみに存在している。一説によると「上杉鷹山公は月夜には火を灯さず、月の出ない夜にのみ、照明として使用したのではないか」と言われている。そう置賜には”もったいない”質素、倹約、また自然に対する感謝気持はどこよりも強く、月夜燈や草木塔などにそれが現れている。バードはそこに気が付いていたかな?バードは鳥居の前の道を犬川にむけ直進する。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その2

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 越後街道は数々の峠が待ち受け、その険しさは「十三峠」と称され最後が、諏訪峠(峠の由来は峠の麓にある『諏訪神社』に由来する。これは、諏訪湖のほとりにある信州一の宮諏訪大社の分社として奉遷されたのがはじまりで、和銅年間(708715)の創建でこの神社から諏訪峠となった)自分は『眺め峠』がなじんでいる。この峠の上には清水が湧いていて屋号を(峠)とした『峠茶屋』があったそうです。時代の流れとともにお店をやめ峠から麓に降りたとのことです、その家は八島家で現在もあります。昭和42年羽越水害のときまでは他に家がない一軒家ということでした。当時の写真があったら掲載します。現在調査中です。

 峠の道は現在の舗装道路より下で現在もある堤の横を通っていたそうです。今は八島家の他に、昭和42年当時、水害で家を失った川下の数軒が集まった家並みになっています。その先には若松観音があり、その分岐左にある細い道、それは諏訪神社の参道に向かう道になり、バードはそこを進みます。 

 昔若松観音は峠の頂上にありました。それは上杉家が会津から米沢へ減封に伴い佐藤作兵エが飯豊町中村、その後、小松村へと移り、観音さまも「観音山」に遍座された。

 しかし、山頂という不便さで現在地へ遍座した。置賜三十三観音の第十二番札所で弘化3年の記録も見られます。2016年2月普通なら数m雪があるのに本年は特別雪が少ない、記念にと2016年2月19日あえて雪の中参道まで歩いてみましたが旧道は除雪してないようです。

 写真は観音様前の旧道から諏訪神社の鳥居前までです。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)はじめに

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 明治11年(1878年)イギリスの女性旅行家イザベラ・ルーシー・バード以下『バード』と呼ぶは、始めて日本を旅し、その旅の様子は最愛の妹ヘンリエッタへ手紙として送られ、帰国後に旅行記を出版している。この旅行記に思いをはせ、さまざまな出版物が出されている、私の生まれ故郷川西町上小松は1878年7月に通過し小松に2泊している。 バードが通った道は私が小学校のとき遠足で通った道であり、小学、中学の通学路でもありました。昨年2015年7月第二の人生は故郷置賜で農的生活をすると決め、都会生活40年に分かれを告げてUターンした。

 幼い日の思い出とともにバードが通過した道を古い写真とあわせ散歩がてら辿り始めた、実家から峠の頂上に行き、そこからスタートしてバードが小松を通過した樽平酒造さんまでは、のんびり歩いて2時間である。同じ道を自分なりにその風景や思いを記録に残したいと思い、ここに掲載する。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その1

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 越後米沢街道13峠の最後の峠『諏訪峠』この頂上は山形県飯豊町と川西町の境になる、1878年(明治11年)7月ここをバードは通過し、ここでみた米沢盆地を『アジアのアルカディア』と褒め称えている。

 丸太写真館さんが寄贈したこの峠の写真は大正末期ころのものと思われる、中間のところと左下辺りに人が写っている。私が小学校の低学年(1964年頃)まではこれと同じ九十九折になった砂利道であった。私らは眺めが良いので『眺峠』と言って遠足、芋煮会などでよく登ったものです。

 昨年7月に田舎に戻り、このバードがわが故郷小松町を通った道の古い写真を探しては、同じ場所の写真を撮り始めた中の一枚である。現在は一直線に登り、そして下ることが出来る。効率はいいが風情は失われている。

 たぶんここが同じ箇所と思いパチリ、この頂上にはバードの説明看板が立っています。