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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その14

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 商人宿『かがや』を前に見て、左に『むずる』(ここら辺の方言”むずる”は曲がるの意味、都会に出て”むずれ”とか”むずって”と言って通じなかったのを思い出します。初めてこの言葉が全国区でないことに気がついたのでした。
 かがやの隣は老舗中の老舗『十印』さんがあります。十印は「塩羊羹=十印」と言われるほど、県内では有名な老舗菓子店、川西町の小松地区が置賜地域の経済の中心だった頃、塩問屋として栄え、その名残から「塩羊羹」が誕生してます、何時も錦屋さんとあわせ、帰省のたびにお土産にもらってました。この通りの写真が同じ丸太写真館さん寄贈、米坂線開通時の写真があります。大正15年です。突き当たりはちょうどバードが通った明治11年創立(第八十一国立銀行)となります。写真は大正なので「両羽銀行」になります、この銀行は、明治294月に山形市七日町466番地に創立されたました。
 創立当時の資本金は30万円、初代頭取は米沢士族の池田成章となってます。
 昭和404月に行名を「山形銀行」に改称し、今日に至っています。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その13

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 西永十(坂の上)に宿泊したバードは小松で2泊している。

 この頃(明治11年1878年)小松は戸数513の宿場町『美しい場所にある小松につきました、人口3000、綿製品、絹酒の取引が盛んな町です・・・』とある。その半分の1500人が宿泊した家の前に押しかけたという。当時珍しい外人さんを見るのに集まった人人人でいっぱいであったのでしょう。

 この宿から先に100mほど進むと当時T字路になっていて右は米沢街道となり左が南陽市とか高畠町側に進む。現在はT字路ではなく十字路になっていて、直進すると川西町役場になる。このT字路のところの写真が丸太さんの寄贈写真にあったが、他の雑誌から撮ったもののようです。どの雑誌か私は分からないが、明治後期とあり商人宿『かがや』の看板が読み取れます。この隣は現在道路でその次の洋風建物は現在山形中央信用組合になります。奥側に真っ直ぐ進むと、原田家菩提寺、東陽寺があります。バードは、この写真からみて右側からきて、ここ手前側に向かって進みます。この時代、道路はアスファルトではないのに、道路はきれいだし、屋敷前の木もよく手入れされている。日本人の美的感覚がここにありという感じです。バードはこの地域をきれいな町、そしてアジアの桃源郷と絶賛しているのが古い写真をみてわかります。

 因みに、この場所は五日町と言って市の立った日が地名となっていて、市神様がここに祀られています。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その12

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 川西町小松でバードが通った道、その古い街並み写真がないかなと探していた写真の一部(丸太写真館さんから公民館に寄贈された金子運太郎商店)『にまるにし』さん、現在は斉藤電機さんになっています。

 羽越水害時ここは坂の上と言う地名の通り坂の頂上に当たり水は浸かっていないバードはこの向かい側にある金子重左衛門宅(現・西永十ガソリンスタンド)に宿泊したといわれている。バードはこの突き当り側に進みますが、宿泊した永十さん『これは大名の部屋であった』と記している高級役人の泊まるりっぱな部屋、久しぶりにゆったりした部屋に落ち着くことが出来たが、中庭にある池の蛙がうるさくゆっりは休めず翌日も人口3000人の町の半数の人が押しかけたという。この商店の前も人でいっぱいだったのでしょう。

 他に古い写真は見れなかったが、この商店のマッチ箱を手に入れてしまった、うれしい・・・!(小松町とあるので昭和30年以前のものと思われます)

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その11

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 大正15年1926年あら町地区、米坂線開通記念とあります。米坂線が全線開通、町は祝賀ムードで盛り上がっていたのですね。丸太写真館さん寄贈写真です。現在と思われる写真は同じ昭和42年羽越水害時の写真から、このアングル?と思うのですが、あってるかな? 

 同じ丸太写真館前で撮ったものようです。昭和の小松町、高度成長以前までは風情もあり、町は活気にあふれ、繁栄していたことが伺えます。

 丸太写真館さんは自分も写真を撮り始めた中学3年からお世話になっていた。ご主人、生きてるうちに伺っておけばよかったのだけど。・・・

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その10

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 川西町小松の丸太写真館さんから寄贈された写真の中で場所が分からなかった1枚の写真(西区七夕祭り・昭和28年7月(1953年))とある。

 この場所、昭和42年8月の羽越水害の記録写真から判明した、現在の嵐山酒造さんの向かい側になる。

 7月の七夕祭り、子供がたくさんいて町は活気に満ちているが、この昭和30年代をピークにして町の人口は減少し続けている、同じ明治11年7月にバードはこの通りを進んでいる。現在七夕祭りは行われていないが、当時どんな町並みだったか思いをはせる。

 この反対側の嵐山酒造さんは創業、享保2年(1717年)飯豊山系の豊かな伏流水、南部杜氏と地元蔵人が精魂こめて香り高い酒を醸し出す酒蔵さん、実家ではここの『花娘』を昔から飲んでいる。
 もろみの醗酵の最後の段階で米粒が浮いた状態を“酒米桜花の如し”と詠みこれから生まれたお酒を「花娘」と銘名されてます。