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イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)

  • イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)
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 明治の女性旅行家イザベラ・バードの通った越後米沢街道、その探訪会があり、宇津峠コースに参加した、宇津峠は父が商いで小国に通っていた最大の難所であった、昭和42年まではトンネルがなく九十九折の砂利道で実家の川西町小松から小国まで1時間半かかっていた、この峠のみで30分かかり、当時マツダのファミリア(空冷の800cc)を購入した父、途中でオーバーヒートして30分は冷やすのに時間かかり使い物にならず、即マツダのプロシード(水冷1300cc)に買い換えたのでした、小学生の頃よく3兄弟の我が家では休みに順番で父について小国に行ったもので、そのころの峠の写真が宇津峠の案内看板に掲げてありました、写真アルバム『置賜の昭和』にも載っていましたので掲載、開通前の宇津トンネルの写真は実家のアルバムに残っているもので、50年ぶりにその峠探訪で旧峠と明治期のバードが通った道を散策した、11月5日(土)快晴、飯豊町手の子地区の有志で準備していたランチも豪華で最高にうまかった、小松の散策は済んだので小国と飯豊の境になる宇津峠から諏訪峠までの散策を小学校のころ通った思い出とともに綴りたいと思います。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN03(中小松三日町)

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小松で行われた虫送り、神送りの神事の翌日、中小松でも同じように村境から次の下小松との村境まで『ヨーセ、ヨッセ、ヨセー』と唱えながら提灯行列が進みます、バードが通った頃のこの通り、同じ間口の萱屋根民家が並んでいた頃となります、昭和の40年頃まではまだ、萱屋根民家がつながるいい感じの景色の街道でした。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN02(坂の上)

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  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN02(坂の上)
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バードが宿泊した羽前小松坂の上は1801年の小松絵図や東講商人鑑1855年の資料にこの地名が見られる、坂の上の突き当たりは米沢城下と長井方面に行く分岐の道になる、ここは毎年7月の26日に虫送り神事、8月の28日には神送り神事として小松の西区、南区、北区の提灯行列が集まるところである、各区の村境からこの坂の上に向かって『ヨーセ、ヨッセ、ヨセー』と笛と太鼓にあわせ唱えて進む、害虫や悪霊を集め村境に送る神事、ここで集まった各区の行列は中小松村の境まで進みます。中小松は翌日その神事が行われます。バードはこの坂の上から長井の小出側に進んだのでした。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)木工クラフトN01諏訪峠

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昨年7月に故郷にUターンし、はや1年が過ぎた、離れて分かる故郷の良さ、その良さを再発見したり、未知なることを知ったり、またそれを確認したり、しかしまた、子や孫がいる都会を思い出したりと・・・都会のときは頻繁に故郷のホームページを見ていたが、今は都会のホームページよく見るようになった(笑)、遠い首都圏、行きたいところを空想したりしてと人間とは面白いもので、ことわざに”近くの神より遠くの神”とか詩などでは”ふるさとは遠きにありて思ふもの”とかそうなんだなとつくづく感じると良く想うのです、バードが通った越後街道はまだほんの一部しか行ってないわけで、今週末は黒沢峠歩きをしようと思います。。そのバードが通った道がわかる、1801年の小松村の絵図バードが通ったのは明治11年1878年だから77年後のことである、現在もほぼ同じ道が残っている、まずは自分が生まれ育った小松の町から絵と木工人形でバードが通った道を主に作品作りを開始した、その1作目は諏訪峠、私が生まれた懐かしい昭和30年代をモチーフに製作します。因みに、バードが通った時代の服装とか風景がよく分からないのでネ・・作れないわけです・・その昭和30年代まだ父親のイメージは無口で頑固、威厳があり怖かった存在、長男は跡取りとして使命感に燃え、兄貴面して下の子を上目線で見る、母はそんな家族を暖かく見守る厳しくも優しい存在、末子は自由奔放で怖いものなし、そんないち家族が峠を重い荷を運ぶ姿、下の子は親の真似をしたがる時期で『ワタチも背負いたい』と言って、荷縄でたきつけの小枝を背負わせている、母は『あんたのおかげでほんとに助かる』とおだてて褒めると、娘は意気揚々と歩きつつも心配そうに見つめている姿である、案の定、娘は疲れておやすみモード、荷車の上でお荷物になるのでした。。。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その5(N02)

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   2016年8月30日昨日 大型の台風10号、暴風域を伴ったまま日本列島の東海上を北上し、岩手県大船渡市付近に上陸した、太平洋側から直接、東北地方に上陸したのは1951年の統計開始以来初めてのことだそうです。東北を縦断し、同日夜に日本海側に抜けた、置賜は大きな被害は無くひと安心でした。思えば49年前の昭和42年8月28日から29日にかけて羽越を襲った大水害、丸太写真館さんがこの水害のときの町の様子を収めた写真で、昨日整理してなんとなくここだろうと気がついたので雨の合間で撮ってみた、以前親父や兄、ここを通る幼馴染とかにも聞いていたがわかんなかった1枚、どこだろねーと言っていたのだが、見つけてちょっとうれしい、ここバードが通過した道になる、中央の木々は原田城の二の丸になる、現在とは家並みは大きく異なるが電柱の位置は同じ、ちから味噌の看板は今もあるが位置は違うようです、もう一枚もほぼ同じ場所から見た写真、どうやって撮ったのか、おそらく電柱に登ったのだと思うが、さすがにこれは出来ないので同じ位置写真はあきらめた。