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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その19

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3月の投稿からはや5ヶ月がたち久々の投稿、バードは小松で2泊した後、越後街道を左に折れて、長井街道、中小松を通り、樽平酒造さんの所で糠の目、赤湯方面に行く道に右折する、この道の分岐点にある樽平酒造さんは昔ながらの伝統的な製法をかたくなに守り、品質本位の純米辛口樽酒の独特の個性ある本来の日本酒造りをしているところ、創業は元禄年間(1695年頃)とされ、米沢市にある上杉家から苗字帯刀を許された由緒あるところです、都心に「樽平」として樽詰、直送の酒好きで賑わう居酒屋を新宿・銀座・上野・五反田に出店もしています。人気コミックス「美味しんぼ」にも人気ブランド「住吉」が紹介されるなど有名どころです、また、10代目社長井上庄七の設立した財団法人掬粋巧芸館は鎌倉時代~近代・南方の陶磁器を見ることが出来ます。親戚筋にあたる作家の井上ひさしさんもこの場所を小説に書いており、この付近は遊び場だったようです、バードが通った時代もこの樽平さんのところはおんなじだったのでしょう。写真は2016年3月時点の特別雪の少ない年の写真になります。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その18

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 バードは三日町から直進し、小松城の入り口の角にさしかかる。するとみちがかくっとクランクして曲がり、そのかど亥子屋さん前になる。

 ここを通過して八日町に進む。この八日町の古い写真は『置賜の昭和』に掲載されていたので投稿。説明には体育会マラソン折り返し点とあり昭和36年頃とある。

 現在右の畳屋さん、左のバイク屋さんが見え、奥には樽平酒造さんが見える。

 町出身の直木賞作家、井上ひさしさんの本家筋にあたる、昔ながらの酒作りを大切にしているところ。ドラマや小説にも出ているし、東洋陶磁器のオールドコレクションで知られる『掬水巧芸館』は何度もマスコミに取り上げられている有名どころである。井上少年はこのあたりが遊び場。小松城にある新山神社では野球に熱中し、写真奥の犬川は水遊び場だった、神社横は新山中学があったが統合されなくなっている。

 統合した中学の校歌は町の依頼で井上ひさしさんが校歌を作詞している、その一文”めあては一つひとらしき人、空よりも心の広きをめざして、・・花よりも心の清きをめざして、・・山よりも心の強きをめざして・・]が好きである。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その17

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 横町を抜け左に折れると、中小松三日町通りとなります。この通りは三日に市があったところ・昭和を感じさせる写真、現在とはちがい萱屋根が続いてます。電柱だけ昔の位置のまま、古い建物はもう見えません。

 写真の一番奥、突き当たりのように見えますが、道がかくっとなっています。

 この角は新山神社入口=小松城の入り口になるところです。昔はもっとこの角の家は出っ張っていたそうですが道路拡張に伴いへこんだんだそうです。城の守りのためにある曲がり道であったことが伺えます。この角の家は亥子屋さんで現在(陽Cafe)ひなたかふぇと酒、肥料、農業資材等の販売をやっているお店。上杉時代は旅籠屋さんで古い版木に亥子屋六右衛門の名が商屋の名で残っているようです。田舎にUターンしてから、バードの通った道を写真撮りながら諏訪峠をスタートして散歩がてら歩いて小松を抜けるところまで行ってその帰り、歩きで2時間のコース、おなかが空く頃にちょうどこの店があり、話聞きながらスパゲティを食べました。店の雰囲気もよく、アイスもおいしいです。お勧めです。米粉のピザを販売しており、子供たち、孫連れてきたらきっと行くと思う。(現代人はピザが好き)
 そういえば、この店の横から入った小松城は新山神社があり新山中学がありました。私の母校になりますが今はありません。町の中学は現在1校のみしかありません。しかもピーク時の1学年にも満たないそうです。非常にかなしい。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その16

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 寛政二年二月(西暦1790年)創業の老舗菓子屋さん『錦屋』を直進(100m程度)し突き当りで左におれ(30m程度)すぐ右に折れます。そしてすぐ左に狭い道があり小さな堀の橋(この道、新山神社のある小松城に通じる道です)があり、渡って右に『小松座』という娯楽演芸場がありました。小学1,2年くらいまであったと思います。自分も映画を見た記憶があります。本町出身の直木賞作家の井上ひさしさんが少年期そこへ毎日通ったとされる演芸場です。井上作品のみを専門に上演する『こまつ座』がありますが、原点はここにあります。小松座の写真は『ここが地球の中心 井上ひさしと遅筆堂文庫』に載っていたで紹介、掲載されているこの本は町のフレンドリープラザで販売してますが、お勧めです。

 2枚目の写真手前右手にウコギの垣根があります。とげがあり垣根としてそして春の新芽はご飯に混ぜて食しり、おひたしでたべたりと、昔はどこにでも垣根としてあったものです。上杉鷹山時代奨励されたもの、いまも多く残っていればすばらしい景色になるのだが・・・

 手前左のブロック塀を左に行くと小松座があったところ、バードはこの道を信号機のところで左に折れて中小松の通りに進みます。お城の道、カク、カクとなっていていかにも旧道という感じがします。お堀も現在残っています。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その15

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 十印さんのある五日町から「両羽銀行」(現山形銀行)に入ると、通りは十日町になる、それぞれ市がたつ日が違っていた。当時どんな風景だったのでしょう?

 今はやりのまるしぇや朝市この通りで、同じように5日、10日とやるのも面白そうだけど。はじめの写真は突き当りがカギ十字となる山形銀行交差点で次の曲がり角になるところから撮影。突き当りは長崎屋さんで向こうから手前にバードは進みます。

 中間くらいのところに小松小学校の正門に通じる道があり、角にパン屋さんがあります。中学時代のクラブ帰り道、須藤というやつと、くずパン(コーヒーロールのはじ、ないときは食パンのみみ)かって食べました。コーヒーロールはクリームが残っていておいしいのです。当時おばあちゃんが店番してました、紙の袋か、新聞紙?にごそごそといっぱいつめて10円か20円だったと思います、今思うと、結構サービスしてくれたんでしょうね、コーヒーロールパン、今もパリドールサノ(山銀のある交差点にある)やヤマザワで販売してました。ダリアパンもむかしからあったが、おいしいです。

 写真手前のお茶屋さん、主人は父と同級生で娘さんが自分と同級生、主人は油絵が趣味で画風がすきでしたが、数年前に亡くなりました。川西で油彩を描くひとはほとんどいなくなったようで、寂しいです。お茶屋さんを過ぎて右側にまがりますと、寛政二年二月(西暦1790年)創業、お菓子一筋という錦屋さんがあります。

 『・店の損得より、お客様を第一に行動する・お店はお客様のために、工場はお店のためにある』とHPにあります。門前(等順寺)の菓子屋として創業し今に続いている理由がここにあります。赤いポスト、萱屋根もいい感じに手入れされてます。ここにもこだわりを感じます。バードも食べたかも?比較の古写真がまだ探せてないのですが、錦屋さんと寺は今も昔も同じだったでしょう。