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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17・No2 中小松三日町

  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17・No2 中小松三日町
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川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント参加で一寸変わった茅屋根の家と直木賞作家”井上ひさし”さん生家の説明案内があったので追記・・中小松三日町の通りで今では貴重な茅屋根を残しているお宅、元お医者さんで今は住んでなく除雪とか家の管理は人に頼まれていると伺っている・・以前茅屋根民家写真撮りためてるときに何げなく写真に収めていたのですがこの家のつくりが和と洋を組み合わせた貴重な建物らしいです、窓は上下スライド式です、日本は明治になり洋式文化が入り建物も洋風なものが昭和40年初頭までは小松街中でもよく見かけました、今でも残ってるものがありますが少なくなりました、このおうちも文化財的価値のある建物のようです、町出身の直木賞作家、井上ひさしさんの生家はお父さんが病気で亡くなった後、小松小学校の入り口にあるところに引っ越すわけですが生家は三日町にあり、現在使われていた石だけは、いまでも庭の敷石に使用されている、おうちの後ろに祠などがあり昔をしのばせる部分があるのですが写真は許可もないので省略・・

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その12・No2 小松坂の上

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  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その12・No2 小松坂の上
  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その12・No2 小松坂の上

川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント・・・140年前の7月14日バードが宿泊した金子邸から同じ日に同じ道をたどるという企画に参加した、140年前の朝と同じ良く晴れた日になりました、この日宿泊した永十さん『高級役人の泊まるりっぱな部屋、久しぶりにゆったりした部屋に落ち着くことが出来たが、中庭にある池の蛙がうるさくゆっりは休めず翌日も人口3000人の町の半数の人が押しかけた』という記載が残る、その金子邸現在はガソリンスタンドでその中庭伺うことができました、当時のまま残ってるわけではないですが庭石と庭木は当時のものだそうです・・まちなか歩きのポイントになってるようで庭に看板が掲げてあります・・

イザベラ・バードの通った道(山形県小国町編)

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 小国の船渡獅子を観に行った帰りに黒沢峠に立ち寄った、この峠は越後米沢十三峠のほぼ中間に位置し、天保10(1839)年から慶応3(1867)年3回の工事で敷石の道に改修されている、明治17年の小国新道開通と共に忘れ去られ、長い間土に埋もれていたところを「黒沢峠敷石道保存会」により昭和55年から活動し古道が甦っている現在の黒沢峠の敷石道は全長2.6kmで、内1.8kmに石が敷かれており、その段数は3,600段といわれている。昨年入り口に栃の実がたくさん落ちていて期待していたがまだ9月10日早かったようである。。田舎に戻ったH27年に川西町小松を散策、H28年には飯豊町を散策しH29年小国と思っていたが、どんどんやることが増えていけないでいるのがもどかしい・・

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その13(NO2)

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大正15年9月28日(1926年)米坂線開業となり昭和51年(1976年)9月28日米坂線開業50周年記念で街中パレードの写真がある、昨年2016年9月28日開業90周年になる、同じ日に同じ場所で撮ってみた、建物はほぼ同じ、信号機が横ならびから縦へと変わっている。そういえばみな縦に信号が変わっているがいつからなのだろうか、この交差点は川西町上小松の坂の上というところ、越後街道の米沢と長井の小出に行く街道の分岐点になる。バードが宿泊した日この場所には多くの人が集まったとされている。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その8手ノ子、松原、諏訪峠

  • イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その8手ノ子、松原、諏訪峠
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バードが手ノ子に着いたのは午後、ここ手ノ子でバードはおもてなしを受けている、『ここで伊藤はぞっとする料理を7皿とり、わたしには酒、お茶、ごはん、黒豆が運ばれた・・』とある。 もてなした旧家は今も風情ある建物で残っている、昭和のはじめまで旅人に出す茶屋をしていたとのことであり、伊藤が食べた“ぞっとするもの”とは「納豆もち」という説があります、11月5日にあった街道探訪での昼食は手ノ子地区民のもてないしで”ごま、あんこ、納豆”もちが出てきました、そういえば東京に出て四国出身の会社の同期2人がスキーしに実家に来たとき、2人とも納豆もちはありえないと言っていたのを思い出す・・美味しいのにね。。バードも気持悪かったのはうなずけるよね、しかしバードはここで、娘さんがうちわで丸1時間扇いでくれて、代金を不要とする親切さに心を打たれたとあります、おもてなしの心、日本の誇れるところですね、バードは松原から諏訪峠を超え小松へと向かいます、松原の旧道の通りは大内宿にあるような幅広の通りが残っているが、昭和40年を境に萱屋根民家は姿を消し、昔の風情ある風景はなくなりました、松原からゆるい下りとなり通りを過ぎると緩やかな上りの諏訪峠に進みます、頂上が飯豊町と川西町の境になる、宇津峠から落ち合は飯豊町『手ノ子保存会』、諏訪峠は川西町『諏訪峠保存会』がそれぞれ街道保全やPR活動を行っている、街道探訪11月5日のあと、11月20日天気が良かったので落合から諏訪峠まで散策、諏訪峠は旧道から頂上まで登ってみました。