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栄光への道

新しい時代が始まっている。しかし、その中における企業のあり方がわからないところに、不安やいらだちがある。ものごとにとらわれすぎているからである。”太陽は朝出て夕には沈む。季節は春夏秋冬と移り変わる”すべて、そこには自然の摂理が働き、動きがあるから生命がある。静止した状態が続けば腐敗していくだけである。

禅の師家(指導者)が参禅者に、初歩の公案(問題)として、よく提出するものに「趙洲有無の公案」というのがある。昔、中国の趙洲というところに高僧が住んでいた。修行中の雲水が彼を訪ねて「和尚、仏とはそもさん」(仏というのは何であるか)と問うと、和尚はしばし黙して、有るとか無いとかに触れず、ただ「ウーム」とだけ答えたそうである。つまり、あると思えば有るし、ないと思えば無い。この世はすべてわが心に浮かぶ夢、幻であり、実態は無にすぎないという。取り巻く環境変化に対応するように努力すれば、常によりよい生き方ができる。

変化に合わそうとはせず、過ぎ去ったことに固執しすがりつく、それが迷いである。よい時代、よい空気をつくりだすというのは、自ら努力していく以外に方法はない。考え、知ろうとする努力、そして、知りえたことに挑んでいこうという勇気と行動力が必要なのである。貝原益軒によれば、”知って行わざるは、知らずに同じ”という。これからの時代が、どのようになるかということを知ることと、どう対処していけばよいかということを考え、計画を立てることは決して難しいことではない。

問題は実践することにある。実践を怠れば、敗残者となるのは当然といわねばならない。われわれの企業をよくするかどうかは、努力によって決まるのだ。だれもが安易に経営できる世の中など、いつの時代でも来ることは絶対にない。変化に対応して、逃げず、臆せずそれに立ち向かう。その姿勢から栄光への道は開けてくることだろう。
2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

考え方と行動の原点

<感謝と学びの姿勢>
 この世に生まれたからには、よりよく行きたい、豊かになりたいと思わない人はいないだろう。昔から、そうなるためには自分の力だけでなく、三つの徳が必要だといわれている。

 一つは、ご先祖の徳、二つには、職業の徳、三つめは、配偶者の徳である。
 会社ではこれが、一つには、先輩、創業者、二つには、仕事、三つめはパートナー、同僚、労使、取引先になる。徳というのは、感謝と学びの心だと思う。

<幸せになるために>
 幸せになるためには、
 ① 年収1,000万円の人を何人つくるのか
 ② 20代の部門長が実現するか
 ③ 海外旅行に何人出すのか
 ④ 社員の財産づくりをどうするのか
 ⑤ 地域に対して企業はどんなことをしていくのか等々
 すべて、具体的に立案、明示すべきである。

 第二には、あらゆる機会損失をなくすための行動基準と考え方である。それがためには、本社からの押し付けではなく、支店・営業所の独自性のある行動規範についても規制していかねばならない。言葉を変えると、利益を上げる方針を経営努力によるものにもっていくことである。

 第三には、資本構成と利益配分についての新しい考え方と目標をハッキリさせることである。これらを従来の経営計画に付け加え、国際的視野に立って方向づけしていくことである。とかく数字の遊戯と作文に終わりがちな計画を、現実的な指標となるものにしていくことだ。

 幸せや豊かさというのは、
 個人や家庭では
 ① 健康
 ② 経済的な豊かさ
 ③ 精神的な豊かさ
 会社では
 ① 健全で潰れぬこと
 ② 儲かること
 ③ 社内、取引先、地域社会とよい関係を保つこと、の順位だと思う。

 これらの豊かさは、じっとしていて与えられるものでは決してなく、自らの努力で勝ち取っていかねばならないものである。家庭にあっては、家族それぞれが親から受け継いだ身体を大事にし、お互い注意し合い、夫は仕事に精を出し、実力をつけ、多くの収入を持ち帰り、また妻子を外敵から守る。妻は世帯のやりくりに頭を使い、夫に十分働いてもらえるよう快適な食事と衣服、そして、休息が取れるように準備し、育児と教育に心配りをしなければならない。

 企業においても同様である。労使それぞれが仲良くお互いの本分を守って力を尽くさねば企業はよくならない。全力を注ぐというのは、自分の仕事にすべてをかけようとするプロ意識である。

<心すべきこと>
 心すべきことは
 ① 基本動作を徹底的に身につける
 ② ミスや取りこぼしのないようにする
 ③ 使ったエネルギーと費用に見合った仕事をする
 ④ 時間と金の使い方を考える

 労使を問わず、多数の者が精鋭になることが企業を豊かにしていく。特に、リーダーシップを握る幹部が、しっかりとした考え方と態度を身につけなければならない。
 ① 人間に対して愛情をもつ
 ② 他人に尽くすという気持ちをもつ
 ③ 知識の習得に努め、それを能力にまで高める
 ④ すぐに実行に移す行動力をもつ
 ⑤ 困難にぶつかる勇気をもつ
 ⑥ 自分中心でなく、すべて全社的な立場で判断する
 ⑦ 問題点は徹底的に掘り下げ、必ず対策を立てる
 ⑧ 決めたことは必ずやり遂げる

 このような態度が、部下が心から協力する基本となるだろう。

2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

経営者の生き方

 人生は生きるべきものであって考えるべきものではない。空理空論を弄していても、経営は好転しない。ともかく企業が潰れぬように、生き残れるように努力し、行動するだけである。経営者の行動についても何がよいとか悪いとかいっても、善悪すべて比較より生ずる現象であるから気にしないことである。

何が正しい生き方だといっても、庶民の立場もあれば、管理者、経営者の立場もあるし、政治家という立場もある。それぞれ、あるべき姿や使命が違うのである。おかれた地位にふさわしくないやり方をすればダメだということである。

 一国を預かる政治家が、国のことを憂えず個人の立場だけを考えて行動すれば、それは政治屋とよばれる。同じ事業をやっていても、生業もあれば、家業もあり、そして企業もある。事件屋的なやり方をする人もいれば、事業家、経営家もいる。要はセンスの問題であり、人間の持つ幅の問題ともいえよう。それぞれの人生において、大を成すには、右顧左眄せずに一人で行くことだ。

 己の信じる自分の道を進む以外に方法はない。信念のあるところ、それが世に受け入れられるものである限り、そこには共鳴する人が生まれてくるものである。一人の先達者の下に、万人が生まれるのである。

 経営者は共鳴、共振、同調の発信源とならなければならない。世に多くの共鳴者を呼び、同調者を獲得するためには、企業のリーダーとしての生き方を知っていなければならない。生き方とは、それぞれの分野において、社会にどう貢献していくかということであり、個々人の立場中心に考えていくことではない。

 つまり、自己中心のエゴイストや怠け者であってはならないということである。われわれは、経営者として、いま一度、生き方について考えるべきではないだろうか。
2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

当面する経営者の姿勢

 経営者が集まると話題はたいてい決まっている。「優秀な人が集まらない」「入社しても直ぐに辞めてしまう」「古い人の頭の切り替えがなかなかできない」「競争が激しく利益も減ってきた」「売上が下がり資金繰りが苦しくなってきた」「将来に対して漠然とした不安がある」等々。いずれも、話に終わって対策なく、成り行き任せの経営をやっている。

従業員だけでなく、わが子までも会社を継ぐことは嫌だという。実の息子でもそうなのだから、まして他人で、一生をこの会社で働こうという奇特な人は集まらない。会社と子どもは自分で作ったものでありながら、大きくなれば自分のいうことをきかなくなる。

子どもが親の商売に魅力を感じないのは、人生をかける夢や希望がないからだ。三年先には売上と利益をいくらにして、五年後には企業をどこまで発展させるという将来の目標や理想がなく、ただ、毎日一生懸命に働くだけでは、肉体的な疲労のみが残り楽しみはない。将来の不安だけがいつまでも付きまとう。

目標もなければ抱負もない、毎日毎日なんとなく過ごして、一家がメシを食えればよい、と考えているような会社や商店は企業とはいわない。これを家業という。目標があるから努力が存在し、仕事に張りができる。毎日の激務の苦しみが喜びに変わる。

会社や店の規模が問題ではない。経営者として、会社をどのようにもっていくかのビジョンがあるかないかで、企業か家業かに分かれる。そして、それをどのように徹底させ、具体化していくかによって、従業員が定着し、努力するかどうかが決まるのである。

会社は、その事業を行うために志を同じくする同志の集団でなければならない。そのために、一つの理想や抱負や目標が必要なのだ。そこから経営活動が始まる。上も下もない、チーム一丸となって作戦を検討し、実行し、反省していくのだ。

各人ごとの成績がわかるように、目標を個々に割り当てていく。野球やゴルフ、競馬などが面白いのは、勝敗やその時点での成績がハッキリわかるからである。これにスピード感と金銭が加わるといっそう面白くなる。仕事をこのようにゲーム化していく。毎日、毎週、毎月の成績がわかるようにしていく。予定と実績が対比できるようにしなければならない。

商売はビジネスであり、ソロバン勘定であるにもかかわらず、自分の感情や個人的な血縁、友人関係などを経営の中に持ち込む。個人的なことはソロバンにのらない人間関係である。これを経営の中で混同するから、従業員も勤めにくいし、経営もうまくいかない。

あらゆるものが勉強であり、PR紙だけでもよく読めば経営にプラスすること大である。講習会なども色々ある。しかるに、宴会やゴルフとなると万障繰り合わせて出席しても、研修や勉強会には出て行こうとしない。

時間と金の使い方をみると、人間の値打ちがわかるというが、まさにそのとおりである。同業者より抜きん出ようとするならば、人一倍勉強することだ。
一生懸命働くということはよいことだ。稼ぐに追いつく貧乏なしというが、職人や社員と同じように働くだけではダメで、経営者は頭を人一倍使うことが必要である。

経営者は判断を下すのが仕事である。とにかく頭を悩ます問題にぶつかると、心が沈み、ものごとを悲観的に考えがちである。難問にぶつかることによって経営者は成長するのだ。不渡りをつかまされても、人が辞めても、これを将来の自分の発展のための試練と考えると、原因を調べ、対策を立て、過ちを二度と繰り返さないようにしていくだろう。

すべてプラスに考える。前向きに考えることだ。経営者の基本的な問題について改めて反省して欲しい。
2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

トップの姿勢

 今の若い世代は、残業を嫌い、仕事よりは遊び、地位よりはマイホーム中心で生活を楽しもうとしている傾向があると嘆く経営者や管理者は多い。
 どのような時代になっても、企業を潰さぬようにもっていくには、会社中心、仕事中心の考え方を若い人たちにもってもらうようにしなければならないという。

 しかし、省みて、自分自身はどうかを反省してみていただきたい。おれたちは別だ、自分らが平社員のときはこうだったというのは、言い訳に過ぎない。地位というのはより以上働くためにあるのであり、また幹部はこれらの若い人たちに、監視されているのである。

 業績が上がらぬのに付き合いゴルフに出かけ、また、各種の社交団体に出席している。社業を留守にして、やれ!と気合ばかりかけていて業績があがるはずがない。週間ゴルフをやり、付き合い酒を楽しみ、毎朝遅く出てきて、何が社業にプラスになる妙薬があるのだろうか。

 付き合いにはそれぞれ大義名分がある。しかし、建前と本音は違う。嫌いなら、ゴルフも酒もやらないはずだ。やはり、遊びが面白いからである。自分の趣味を満足させ、個人の見栄や体裁が、そのような行動をとらしめているのである。あるいは、自分の行動を合法化させるために部下を誘い、会社の金を浪費して、遊びをおぼえさせる。これで、業績が上がるなら不思議である。いずれ蹉跌がくるのは分かりきっている。士気が上がるはずがない。

 費用を捻出するために数字をごまかし、地道な努力よりは一発当てよう式の行動をし、収奪的な農法でやるから、いつの間にか肥沃な土地もやせ、気がついたときには、取り返しがつかない状態に陥ってしまう。

 若い人はと、うんぬんするより先に、自らの時間と費用の使い方を反省することだ。朝は早く出勤し、夕は部下よりも後で退勤せよ。同業者並みの行動をしていてはダメである。週刊誌やスポーツ紙を読む暇があるなら経営書を読め。業績はトップの責任である。

 異質の時代に生き残るためには、まず、上層部が姿勢を正すことである。そして、そこから真の会社らしさ、すなわち「会社とは事業を行うために、志を同じくする同志の集団でなければならない」のであり、どこを切っても同じ血が流れ、トップと同じ考え方、同じ行動をする幹部が育ってくるのである。

 目標にチャレンジし、どのような苦しみにも耐え抜き、失敗にも屈せず、なんとか競争に勝ち抜き、成長せんとする創業精神に立ち返っての若々しさ、青年らしさのある体質がなければ、これからの経営はやっていけないといえよう。
2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]